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聖ピオ十世会日本 2018年2月聖伝のミサの報告 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2月2日には、聖母の御潔めの祝日を大阪で祝いました。ロウソクの行列聖母の御潔めの祝日のミサを行い、初金でしたので聖時間も行いました。
 2月3日には、初土曜日で「聖母の汚れなき御心」の随意ミサを行いました。その後に聖ブラジオのロウソクによる喉の祝福がありました。

 2月4日の六旬節の主日には東京で聖伝のミサを行いました。ミサの後にはやはり聖ブラジオのロウソクによる喉の祝福を行いました。

 今日、2月5日(月)には日本二十六聖殉教者のミサを執行しました。11名の愛する兄弟姉妹の皆様がミサに与ることができました。天主様に感謝!

 次回は次の通りです。

【大坂】
    2月11日(主) 五旬節の主日(2級)紫
            午後5時20分 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭 

    2月12日(月) 証聖者童貞聖マリアの僕の会の七創立者(3級祝日)白
            午前8時50分 ロザリオ及び告解 
            午前9時30分 ミサ聖祭 ←時間が変更になりました

【東京】

    2月18日(主) 四旬節第1主日(1級)紫
            午前09時頃 グレゴリオ聖歌の練習及び告解
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    2月19日(月) 四旬節の平日(3級)紫
            午前7時 ミサ聖祭

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様こんにちは。
大阪でのミッションありがとうございました。
神父様は30度を超えるフィリピンからマイナス17度の韓国、そして日本へ来られたそうで、気温差の大きさは神父様のお疲れにそのままに大きくあられたと思います。
日本の為に激務をお捧してくださる神父様に心から感謝申し上げます。

2月の初金、初土の御ミサの報告をお送りいたします。

2月2日(初金)聖母の御浄めの祝日のミサには16人が、
2月3日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサみは20人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!
この度は大阪で初めて御浄めの日のロウソク行列が行われ、参加できて大きなお恵みを頂きました。
このロウソク行列にはもともと償いの意味があったことや、ロウソクと光の意味、シメオンの祈りの解説など、前もって神父様から色々と準備して頂いたので、自分なりにシメオンになってロウソクを受け取りました。光であるイエズス様を天国に入るまで絶やさずに霊魂に保てるように、シメオンのようにイエズス様以外はもう何も必要ではなく、未練がなくなるようにこの世の旅路を終われるように願いました。

初金曜日の御ミサのあとには御聖体降福式でイエズス様を礼拝し、感謝し、お愛しし、そして日本と世界、特に中国や韓 国のために御憐みをおねがしいました。
なぜか私もこの度は、いつものようにイエズス様に色々な事をお願いしたりお話ししたり出来ず、ただただイエズス様の御憐みを乞い願った御聖体降福式となりました。。

ロウソク行列と初金、初土の両日の御ミサには小さなお友達も参加され、行列ではまだ三歳にもなられていないのに、しっかりとロウソクを手に暗い道を自分の足で歩いて聖堂へ帰って来られました。ロウソクの光を嬉しそうに見つめ、うっとりとしているお顔を見て、ロウソクの光がイエズス様を表わしていることに納得しました。小さなお子さんを遠くまで御ミサに連れてこられるのはご両親、特にお母様には大変な事だと思いますが聖堂に子供の声がするのが心地よく、とても嬉しかったです。みんな子供さんの愛らしさにノックダウンでした。大阪の聖堂にもこれからたくさんの子供、聖なる家族が増えますように!

初金日のお説教でマリア様の御浄めの祝日について黙想いたしました。
イエズス様が初めて教会にお姿を現された事がどれ程私達は喜ばなければならないでしょうか。シメオンが長い間待ちわびた救い主であるイエズス様を抱いた時に、自分の唯一の望みはかなった、自分の唯一の執着である救い主を見たのだからもう死んでもいいといいましたが、私は御聖体にましますイエズス様を見、拝領しているにも関わらずどれ程まだこの世に未練を持ち続けていることでしょうか?

聖福音の中にあるたった二つの讃歌のひとつ、シメオンの讃歌は毎日聖務日課で唱えられるのはシメオンの喜びがどれ程大きかったかをまた、いかに必要で大事なものであったかを教会が私達に思い出させてくれているように思いました。

初土曜日のお説教ではイエズス様が私達に望まれる最善で最良の救霊の方法、マリア様の汚れなき御心への信心を復習しました。
ファチマ100周年が終わって、ファチマ気分が終わらぬ様、改めてマリア様への汚れなき御心への信心の大切さをファチマの使徒として胸に刻みました。
日本で、また世界で

公教要理では初土曜日の黙想の助けとして聖トマスアクイナスの解説を引用して御浄めについて詳しく説明して頂きました。
御浄めと神殿への奉献の玄義はロザリオの黙想の中でもついつい無知ゆえに簡単に黙想していた玄義でしたが、今日の公教要理を聞いて、目がパッと明るくなったようでした。
色々な事が深く深く隠れている玄義だと気付きました。2月の初土曜日の黙想は15分では足らないほどでした。

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 25人(内、子供2人)
女: 21人(内、子供4人)
計: 46人(内、子供6人)



【報告】【前回の分】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ご公現後第三の主日の御ミサをありがとうございます。

今日のお話を伺うことができまして、私の主に向かう態度、祈るときの心の持ち方、ご聖体を拝領するときの心がまえなどを、深く顧みることができました。反省させられました。ありがとうございます。

らい病の人が慎ましく述べる……「もしもあなたがお望みであるならば、そうすることができます」という、言い方と近づき方は、ずけずけとものを申し上げるのではなくて、どれほどの謙譲さで相手にものを頼むべきかということがわかりました。どのように主に近づくべきかがすこし分かったようにおもいます。。

そして、いつも、申し上げているので慣れてしまっていた百夫長の嘆願のことばも、位階秩序を知っているものが徹底的な尊敬をもって申し上げたのですというお話を伺って、どのように深い信仰を信頼をもって遜(へりくだ)って主に近づくべきかということを教えられ、自分の態度を見直すことができました。

弱く惨めなものであるがゆえに、自分が弱いものであり、病んでいるものであり、どれほどかけ離れたところにいるものなのか、ということも、ついわからなくなってしまっているのだということを、いま、振り返ることができました。
(ユダの娘として、らい病を負う者として、異邦人として、信頼と信仰と謙遜をもって主に近づきたいと思いました。)

自分とはどのようなものなのかということを、今一度わきまえて知り、全能の天主にちかづこうとするにあたり、相応しき態度で、行うことができますように、しっかりと心に刻みました。

ご聖体にましまし給うイエズス様に向かうときの、自分の態度をリセットするきっかけとなりましたことを、感謝申し上げます。

そしてさらに、マリア様がどれほど、慎ましく淑やかで遜っていらっしゃられた御方であるか、また今回も教えていただきました。

「イエズス様がお望みになるようにイエズス様に提案するのです、あまりにご謙遜で慎ましいので……」という言葉に、胸を打たれました。

そのような頼みごとができるような方で、マリア様以上の御方はいらっしゃらないことでしょう。マリア様ほどの方が、そのような頼み方をされるのですから、マリア様にお願いして頼んでいただくことが一番よい方法に思えました。

「私たちがどのようなものであるか知れば知るほど、近づくことができなくなるけれど、マリア様とともにご聖体拝領に与ってください」

これまでと同じ、百夫長が祈った言葉を申し上げて、マリア様とともにご聖体拝領をいたしましたが、その態度は馴れ馴れしさをさけるように努め、出来る限りのへりくだりと、できる限りの尊敬をもって、主に近づくことができたように思います。

すこし話がずれてしまいますが、お許しください。私がまだ、新しいミサのことしか知らなった時のことです、まだ、現代ではミサというものが日本語で司祭と信徒がテーブル上の祭壇を挟んで向き合いながらするものという認識しかもっていなかったその当時、私はある頃から「主よ、私はあなたをこの胸の内に迎えるに足りないあまりに惨めな者です、ただ一言仰ってください、そうすれば私の霊魂は癒されます」と心の中で三回申し上げて、マリア様に来ていただいてその汚れないみ心のうちにご聖体を受け奉りますと申し上げながらご聖体拝領をさせていただくようになりました。

それは、いろいろな昔の古いカトリックの聖人がたの書かれた本を読んでいるうち、ご聖体のイエズス様をお迎えするための方法が、それら(たとえば、聖ルイ・マリ・グリニョン・ド・モンフォール師の本などだったかもしれません)に書かれていたからでした。惨めな罪深い者でありますが、すこしでもふさわしく、イエズス様をお迎えできますようにと思って、そのようにさせていただこうと行い始めました。

ところが、全く知らなかった聖伝のラテン語のミサにおいては、それが何百年も続けられていたのだと気づくようになりまして、正直なんといっていいかわからない気持になりました。

現代の新しいミサでのご聖体拝領でのあまりにも失礼にあたるような拝領の仕方を反省して祈りの中で少しでもよい方法を求めましたのに、それはすでに、長い間世界中のカトリック教会で正式に行われ続けている聖伝のラテン語のミサ典書のなかにしっかりと収められているものであったからです。

私は、新しいミサしか知らなくても、お恵みにより、このような必要な内的態度のことを教えていただいたのかもしれません。まことに天主さまにマリア様に感謝申し上げます。そして、聖伝のごミサに導かれましたことを、感謝申し上げております、ありがとうございます。

こんなに素晴らしい拝領の仕方を教えられることもなく、ごミサに与るしかないというのは、あまりにもイエズス様に失礼となるようにも感じられますのに、現代の日本で、ミサにおけるこのような態度のことが取りはらわれ無視されてしまっていることが悲しくてなりません。信仰を求めて教会にやってくる何も知らない信者にたいしても、残酷なことと感じられます。余計なことを申し上げた失礼をどうぞお許しください。(今回のお説教の内容に関係していたことと思いました。)

神父様、ご公現後第三の主日において、この一年どのようにして主のみもとにまいりご聖体拝領をしなければならないを、今一度立ち返り反省とともに確認ができましたことを、感謝申し上げます。


【お便り】
親愛なる小野田神父様

神父様がブログに載せている、 「使徒職の秘訣」という記事をとても楽しく読んでいます。
聖ピオ10世会は、厳しい、世俗と戦うための修道会だと思ってきましたが、とても憐れみ深い、慰めの心に満ちた修道会なのだと感じております。
深い主への愛に生きておられるのだと感じます。
東京に御聖堂がないことがどんなに悲しいことか。多くの、司祭や修道者の召命のために、もっと祈らなくてはなりませんね。立派な心で司祭を志そうとする若者や、清い心で主に仕えたいと思う人々がたくさんいます。そのような、ただ、主への愛に生きたいと思う人々が、どうか、聖伝の信仰に導かれますように。
アーメン。

大阪の御ミサの案内を見ると、いつも行きたいなぁ、と思ってしまいます。
神父様、私が良き終わりを遂ぐる恵みをいただけるように、どうかお祈りください。

【お便り】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ドン・ショタール著「使徒職の秘訣」を続々アップして下さってありがとうございます!

「およそ一国民が、国をあげてキリスト教に回心するためには、ただ熱心な聖職者の布教者たちばかりでなく、信徒の中にも、イエズスの聖心と一致して生きたい、イエズスのみ国をひろめたい、そのためにはまず自分で内的生活をいとなみ、次に周囲の人の心にもまた、これを芽ばえさせたいと、はげしく渇望している篤志家の信者が、いくらかいてもらわねばならぬ。この種の精鋭の信者は、数はすくなくてもいい。肝心なのは、量よりも質だ。」

「信者の熱心と救霊は、善き司牧者の司祭たちの聖性に依存しています。もし小教区のかしらに、りっぱな主任司祭をいただきますなら、じきに信心の花は咲きみだれ、秘跡はしばしば受けられ、黙想はたいへん重んじられるようになります。」

と書いてあって、まさに今の日本の聖ピオ十世会の求めているものが書かれてあると思いました!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父さま、本のご紹介をありがとうございます。
日本語の「使徒職の秘訣」を何度か借りて読んだことがあります。
残念ながら既に絶版で、入手は困難です。

私の感想は、「とても素晴らしいけれど、 難しい!」と感じる箇所がありました。
今思いますと、典礼のことについて、書かれている箇所だったと思います。
高度な内容だし、難解に感じたように思います。
自分の体験から推察できることと少し離れていると思ったのかもしれません。

この本が出版された当時の典礼は、何百年と続けて捧げられたラテン語の古いミサで、
著者はそれを念頭にこの本を書かれたのでしょう。
まだ、新しいミサしか知らなかった私には、正しく内容を理解することができなくて、当然だったのです。

ベネディクト16世引退教皇様が説明された内容を読みますと、
新しいミサは古いミサとまったく異なるものだと、はっきりとおっしゃっておられますから。
また、私自身、古いミサ(聖伝のミサ)に与かるようになってから、
ミサで祈っている内容が、両者では異なっていると、その違いを感じさせられますから。

小野田神父様は、内的生活を築く必要性を書いてくださいました。
内的生活とは、天主様との対話、 イエズス様との親しい語らい、 祈りの生活のことかなと思います。
祈りの中で最も高度な祈りは典礼の祈りであると、古いカトリックの書物には書かれてあります。
そのことに気づいても、古いミサを知ることができなければ、その言葉が真実かどうかわかりません。
"本当の祈りを知るために、本当に良い祈りをお捧げするために、良い典礼生活が必要だ"
ということを、最近はっきり理解できるようになったとおもっています。

日本人のほとんどの人が、いまや古いミサがかつて日本の教会でも捧げられていたということを知りません。
ミサには、新しいミサと古い伝統的なミサがあるのだ、ということすら、知りません。
そしてそれが、日本人が伝統的な本物のカトリックの信仰をよく理解できない原因の一つかもしれません。

小野田神父様が推薦される「使徒職の秘訣」という素晴らしい本が、
もはや絶版となってから、幾久しく放置されているのは、
この典礼のことが日本ではあまりにも誤解を受けたからだと思います。

そのために、祈りの生活を求めようとしても、
最高の祈りの場(良い典礼生活 = 聖伝のミサ)が与えられていなくて、
カトリック信徒の本当の内的生活も、築かれ難いのだと感じております。

内的生活の希薄なカトリックであるままならば、
本物を求めている求道者を引きつけるに及ばず、
カトリック信仰が世に普及されないのだと思います。

数学の方程式を解くのと、このことは同じですね!
難問の答えが見つかったので、他の人もまた答えを見つけることができるようにと思います。

そして私の内的生活をしっかり築いていこうと思います。
聖伝のミサが日本で毎日ささげられる日が来ますように!

【報告】
小野田神父様こんにちは。

御浄めのミサの後、聖ブラジオのロウソクを祝別して喉の祝別をして頂きました。
母は薬を飲むのが苦手で、いつも飲み込むのに苦労していたので聖ブラジオ様に、薬が喉に引っかかってつまりませんようにとお願いしたそうです。
また、聖歌をもっと美しく歌えるようになりますようにとお願いした人もいました。
私は、喉は健康な方ですが、不平不満など、言いたいことを喉から先へ出さないようにできるようにお願いしました。



【お返事】
「不平不満など、言いたいことを喉から先へ出さないようにお願いしました」って、とても良いお願いですね!


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