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聖なるロザリオの黙想【苦しみの玄義】-2018年5月5日秋田巡礼にて シュテーリン神父様

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苦しみの玄義黙想(2018年5月5日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)
同時通訳:小野田圭志神父



『苦しみの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を痛悔する恵みを乞い願わん。』

秋田のマリア様は、私たちを毎日待っています。マリア様は私たちと共にオリーブの山に行きたいと待っています。私たちがいつもイエズス様の御受難に参与する事ができるように。毎日、秋田では、マリア様の涙がイエズス様といつも一緒にいております。マリア様は私たちの心が、地上の事から悲しみから離脱する事を求めています。毎日忠実に、イエズス様の御受難を黙想する事ができる御恵みを乞い求めましょう。



『苦しみの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、 主が鞭打たれ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を償う恵みを乞い願わん。』

イエズス様が受けたこの恐るべき拷問を、私たちも受けて苦しまなければなりません。私たちもこの負債を支払わなければなりません。私たちの負債は無限なので、それを支払いきる事はできません。毎日、毎瞬間、私たちの主が、私たちの肩から重い負債を取り除こうとしているので、感謝しなければなりません。私たちの心に秩序を戻し、その為に払いました。私たちが罪を犯し、イエズス様が支払って下さいます。これこそが私たちの堕落した本性、堕ちた本性をまた回復して下さる方法です。

天主の前で罪は存在する事ができません。聖ヨハネによると、「天主は光であって、その中に闇が無い」からです。したがって、罪の結果は、永遠の破滅です。永遠の破滅とは、天主から離れる事です。イエズス様は今、私の罪を全て支払って下さいます。イエズス様のおかげで天主の元に立ち戻る事ができます。マリア様を通して、イエズス様のこのはかりしれない愛の深さを理解する恵みを乞い求めましょう。



『苦しみの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、主が茨の冠を被せられ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、侮辱を恐れざる恵みを乞い願わん。』

イエズス様は全ての支払いを払ったにもかかわらず、マリア様は私たちが、イエズス様の御受難に参与をする事を招いています。なぜかというと、もしも誰かを愛するならば、その愛する方の苦しみに無関心でいる事はできないからです。イエズス様が私の為に苦しめば苦しむほど、無限に苦しむほど、私の心に同情と、共に苦しむ心を起こさせます。ですから、マリア様の招きに寛大に応える恵みを乞い求めましょう。

秋田ではマリア様は、両手を広く開いて私たちを招いています。マリア様の御心によってマリア様の目によって、どれほどイエズス様は私の為に苦しんだかを見て下さい。それは私にとって大きな利益になります。イエズス様がどれほど私の為に苦しんだかを知れば知るほど、私はますます罪と誘惑から解放されます。



『苦しみの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、 主が十字架を担い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、苦難を甘んじ受くる恵みを乞い願わん。』

マリア様の汚れなき御心の中に深く入りましょう。私たちのつまらない罪に汚れた心を、マリア様の汚れなき御心の中に入れさせてもらいます。そしてこのマリア様の心を通して、イエズス様をお慰めしましょう。誰もイエズス様を打ち捨てて、見放してしまっているにもかかわらず、イエズス様こそ王の王であるにもかかわらず、誰もその事を認めようとしません。栄光の王冠の代わりに、茨の冠を受けます。そしてイエズス様は王は、十字架を担われます。

この世の罪の値を支払う為に、このイエズス様を望まない人々の為に、私たちはベロニカの役割を果たしましょう。私たちは何も持っていませんし、私たちは何者でもありません。少なくとも私たちの善意、小さな善意をもって、私たちの心の望みをもって、「イエズス様、私の小さないけにえと私の実りを受け取って下さい。私の祈りも、犠牲も、本当に僅かですけれども、マリア様と一致してイエズス様を慰めたいと思っています。どうぞイエズス様、私の心に平和を与えて、私の心の中に入って来て下さい。御身の御旨を果たしたい、と私の心は思っています。」



『苦しみの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、 主が十字架に釘付けにせられて死し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、救霊の恵みを乞い願わん。』

ローマのバチカンには、十字架の上にはイエズス様の上にはこう書かれています、「十字架が立っていない所では、全世界は倒れてしまう。」

マリア様が立っているこの地球は、この世界です。しかしこの地球は、十字架なしにはそのまま留まる事ができません。地球がグルグル回転しているように、この世もグルグル変化します。人は生まれて死んでいきます。人々は変わります。そしてますます悪くなっていきます。この世は傲慢と、罪と、腐敗によって、ますます自己破壊をしています。この世はすぐ終わってしまうでしょう。しかしこの世に住んでいる人々の霊魂を、イエズス様とマリア様は永遠に救おうとしています。

この変わる世の中で、変わらないものが1つだけあります。1つだけ変わらないものがあります。1つだけ安全なものがあります。はっきりとした幸せに向かう道があります。それが「十字架の道」です。イエズス様が付けられたその十字架です。その下には、悲しみに満ちたマリア様が立っておられます。

ですからこの地上にいる間、私たちは必ずマリア様と十字架に留まらなければなりません。秋田のマリア様は、単純でありながら威厳があります。マリア様のこの御像には恐れがありません。変化もありません。いつも同じです。平和の元后です。マリア様の元に来る人々に、マリア様は必ず全てに平和を与えます。この無秩序の世に秩序を与えます、調和を与えます。美を、確実性を確固としたものを、永遠を与えます。

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