2018年5月19日(土)聖霊降臨の前日のミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2018年5月19日、聖霊降臨の前日のミサをしています。
今日は聖ピオ十世会の会員は大小斎を守る日で、聖霊降臨の特別の準備の日です。そこで今日はミサの後に、私たちは5月はここの御聖堂ではまだする事ができなかった、御聖体降福式を行ないたいと思っています。どうぞ御聖体を讃美なさって下さい。特に北朝鮮のミサイルが色々打たれた時から私たちが御聖体降福式を始めて、ぜひ日本を守って下さるようにお祈りをすると、不思議な事に見かけ上は見るからには、何かそのような危機が今、より少なくなっているような印象を受けます。
ぜひ私たちもこの御聖体降福式を続けて、本当に守られますように、そしてミサが続けられますように、司祭が安全に移動ができますように、御聖体降福式を捧げたいと思っています。
次のミサは、6月1日の初金曜日と2日の初土曜日です。
「私は聖父に祈ろう。聖父は別の慰め主を送って下さるだろう。それはこの世が受ける事ができない真理の霊が、あなたたちに永遠に留まる為である。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日教会は、明日の偉大な大祝日の出来事を準備する為に、特別のミサを捧げています、聖霊降臨の前日のミサを捧げています。
⑴ そこで、聖霊降臨には一体どんな事が起こったのか?
⑵ そして教会は一体、今日この御ミサでどんな事を私たちに求めているのか?2つ、洗礼の感謝と、そして聖霊降臨の前日の準備と、その2つをどうやって求めているのか?
⑶ そして最後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。特に来月の初土曜日には、初土の信心として15分の黙想には、この聖霊降臨の玄義を黙想する事を提案したいと思っていますので、どうぞ明日の準備の為にも、初土曜の信心の為にも、聖霊降臨の神秘を深く黙想する恵みを乞い求めて下さい。
⑴ では、聖霊降臨とは一体どんな事があったのでしょうか?
皆さんもご存知のように、この世界を創造した天主は、永遠の昔から三位一体でした。そして永遠の未来に至るまで三位一体です。真の天主とは、三位一体の天主で、聖父・聖子・聖霊です。
聖父は、御自分の事を完全に把握して理解して、その御自分の理解した、自分のその知的な、純粋な知的な理解を、1つの言葉で表わします。その自分御自身の事を、自分の知性の中に宿します。それが天主の御言葉であって、天主の聖子です。天主の聖子は天主聖父の全き輝き、その映像、その完全な理解なので、天主聖父は聖子をこよなく愛します。
天主聖子も、天主聖父を完全に理解して把握して、そしてその天主聖父が最高の善である事を理解して、聖子は聖父を愛します。
そして聖子と聖父の間の愛の交流が、実体なるこの愛が、天主聖霊です。
この天主三位一体は愛の構造を持っていて、そして聖父と聖子と聖霊は、唯一の天主です。
聖子イエズス・キリストは私たちの元を離れる前に、御自分の人間として見える姿で私たちの元から発たれる前に、「別の慰めの主を送ろう」と「聖父に求めよう」とお約束されました。イエズス様御自身も私たちを慰めて下さる慰め主でもありました。しかし御自分が聖父の元に行って、私たちの為に天国の場所を準備して下さり、天主聖父の前で私たちの為に祈り取次いで下さる為に、天に昇らなければならない。御自分の代わりに、聖霊を送って下さる事を約束して下さいました。
イエズス様は、オリベト山の山頂から弟子たちを祝福して昇天される前に言いました。
「私には天と地の全ての権威が与えられている。行って、全世界に行って私の教えた事を教えよ。聖父と聖子と聖霊との御名において洗礼を授けよ。もしも信じて洗礼を受けるなら救われ、そうでなければ滅ぼされる。天と地の全ての権威が私に与えられている。」
つまり、私こそが真の救い主であり、真の天主であり、全ては私の元に集められなければならない。その最高の権威をお前たちに、特に使徒たちに、そして使徒の後継者である司教・司祭に与える。恐れるな、全世界に行け。私の始めた仕事を完成させよ。
私はお前たちと共に世の終わりまで常にいる。全世界を聖父と聖子と聖霊との御名によって聖化せよ、浄めよ、天国に導け。全世界にイエズス・キリストの御名を知らしめよ。
イエズス・キリストが愛されるように、イエズス・キリストに従うように、イエズス・キリストの福音に従うようにせよ。イエズス・キリストが真の天主である事を、天主は愛である事を、そして天主が私たちを極みなく愛しておられるという事を伝えよ。
イエズスのこの愛を信じるように伝えよ。そして全被造物が、人間が、全ての人々が、このイエズス・キリストを信じ、天主が愛である事を信じ、そして天主を愛で以て愛し返す事を指導せよ。その為にお前たちに全ての力を与える、ということをイエズス様は仰り、三位一体の御名によって祝福して、天に昇られました。
その後、弟子たちは聖福音によると、喜びに満ちて帰ってきました。10日の間、マリア様を囲んで、聖福音によると、弟子たちは一生懸命聖霊の降臨し給うのを祈り、懇願していました。
明日、週の最初の日、この天と地が最初に創造されたその最初の日、イエズス様が復活されたその日、聖霊が降臨されます。
朝の9時、その時に風がゴーゴーとなる音がして、天から聖霊が火の形で弟子たちの上に下りました。まずマリア様を通して、次に弟子たちに、使徒たちに。
聖霊を受けると、弟子たちは全く人が変わったようになりました。イエズス・キリストの愛に燃えて、「イエズス・キリストが真の救い主であり、真の天主である」という事を恐れなく人々に教えました。
するとそれを見て打たれた五旬祭をお祝いに来たユダヤ人、あるいは祖国から集まった人々は、彼の、特に聖ペトロの話を聞いて、3000人が洗礼を受けました。そこで聖霊降臨は、御復活の大祝日と共に、洗礼を受けるべき日と教会ではなっています。
⑵ では、聖霊降臨のその前日に、教会は私たちにどんなメッセージを送りたいと思っているのでしょうか?
まずミサのテキストをご覧下さい。指定巡礼教会にラテラノ大聖堂、ヨハネ大聖堂、救世主大聖堂が選ばれています。そこには大きな洗礼台があって、そして復活の大祝日の前日の徹夜祭にも集まって、洗礼式を行った場所です。そこに霊的に私たちが呼び集められています。私たちはもう一度、「聖霊によって洗礼を受けた、霊と水によって生まれ変わった者である」という事を思い出させます。
元来この前日のミサは夜中に、真夜中に行われていました。ですから光の話、あるいは洗礼の話、水で浄められる話、という言葉がテキストでミサの中で読まれ、私たちはお祈りします。
書簡では、使徒聖パウロが洗礼の話をした事が読まれます。
「え?私は洗者聖ヨハネの洗礼しか知らなかった。」「いやいやいや、洗者聖ヨハネは罪の償いの為の準備の洗礼なんだ。本物の洗礼は、イエズス・キリストが制定した、聖父と聖子と聖霊による洗礼だ。イエズス・キリスト様のこれこそが、ヨハネではなくイエズス・キリストの洗礼だ。これこそが本物の洗礼だ。」そして彼らは洗礼を受けると、それによって水と霊によって洗礼を受けると、聖霊を受けて言葉を、新しい言葉を諸国の言葉を話して、主を讃美する事になります。
私たちも洗礼を受けた後に、もうこの世の世俗の話ではなく、イエズス・キリストの真理の話と、イエズス・キリストを愛する話と、天国の話と、そして永遠の命の話と、霊魂の救いの話を、罪の償いの話をするようになりました。使徒たちが全く人が変わったように、世間体ではなく、イエズス・キリストをどうやってお喜ばせる事ができるか、イエズス・キリストの聖心にどうやったら適う者となる事ができるか、道具となる事ができるか、と言うようになりました。
洗礼を受けて聖霊を受ける、そして私たちは、使徒たちが人が変わったように、新たな人となりました。イエズス・キリストを着る者となりました。その事を私たちに「思い出せ」と言っています。
それと同時に教会は、聖霊を受ける準備をさせています。洗礼と聖霊は日本語では名前が似ているのでこんがらがってしまいますが。この聖霊降臨の前日において、イエズス様の御言葉が思い出されました。
「私の掟を守る者こそが、私を愛する者だ。私を愛する者は聖父によって愛されるだろう。私は彼を愛して、彼に私自身を示す。私は彼に居り、彼も私に於いて居る。」
イエズス様の愛に満ちた言葉に私たちは、深い言葉を私たちはどれほど黙想しなければならない事でしょうか。
イエズス様は御自身の愛である聖霊を私たちに下さります。そしてその聖霊を受けた私たちが、イエズス様を愛する事ができるように、イエズス様の掟を守る事ができるように、全てを超えて天主を愛し、天主を愛するが故に隣人を我が身の如く愛する事ができるように、天国の御国の事を求めて生きる事ができるように、「もはや我にとりて生きるはキリストなり。私が生きるのではなく、キリストこそが私において生きる」と言う事ができるように。
「あぁ、」しかし私たちは、洗礼は受けたものの、聖霊降臨を望むものの、どれほど残念な事に、聖霊を悲しませた事でしょうか。罪を犯し、「本当ならばイエズス様の御旨はこうだ。」「イエズス様をお喜ばせする事はこうだ」と知りつつも、自分の好きな事をしたり、あるいはしてはいけない事を、するべきではない事に身を染めたり、あるいはそれに時間を使ったり、あるいはイエズス様が悲しまれるような事をしてしまったり、どれほどイエズス様と聖霊を悲しませてしまった事でしょうか。私たちの行いと、言葉と、そしてすべき事をしなかった事、怠りなどは、どれほど聖霊の御恵みを、与えて下さろうとする御恵みを拒否してきつつあった事でしょうか。
私は確かに洗礼を受ける時に、「悪魔を捨てる。その栄華を捨てる。その業を捨てる」と言いつつも、その約束を守りきれないで来た憐れな罪人でありました。
ですから今日は、この聖霊降臨の前日において教会は、「さぁ、もう一度洗礼の約束を新たに、天主を信じ、イエズス・キリストを信じ、聖霊を信じ、そして悪魔と悪魔の業とその全ての栄華を捨てよう。これからは聖霊の良き道具となろう」と決心するように促しています。
⑶ その為に一体私たちはどうしたら良いでしょうか?
私たちの、全く聖霊を受ける事ができるように、そして洗礼の約束をよく守る事ができるように、私たちの行くべきところは1つです。それはマリア様の汚れなき御心です。聖霊の花嫁、聖霊の生けるイコン、聖霊を決して悲しませる事がなかった、イエズス・キリストを悲しませる事がなかった、天主の御母、汚れなき童貞聖母マリア。その汚れなき御心に私たちは行く事に致しましょう。そしてマリア様の御取次ぎによって、私たちに聖霊が与えられますように、洗礼の決心を守る事ができますように、約束を守る事ができますように、お祈り致しましょう。そうすればイエズス様を愛する事になり、聖父は私たちを愛して下さる、そしてイエズス様は私たちに御自身を現して下さるでしょう。
「私は聖父に祈ろう。すると聖父はあなたたちに別の慰め主を送るだろう。真理の霊であって、この世が受ける事ができないものである。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2018年5月19日、聖霊降臨の前日のミサをしています。
今日は聖ピオ十世会の会員は大小斎を守る日で、聖霊降臨の特別の準備の日です。そこで今日はミサの後に、私たちは5月はここの御聖堂ではまだする事ができなかった、御聖体降福式を行ないたいと思っています。どうぞ御聖体を讃美なさって下さい。特に北朝鮮のミサイルが色々打たれた時から私たちが御聖体降福式を始めて、ぜひ日本を守って下さるようにお祈りをすると、不思議な事に見かけ上は見るからには、何かそのような危機が今、より少なくなっているような印象を受けます。
ぜひ私たちもこの御聖体降福式を続けて、本当に守られますように、そしてミサが続けられますように、司祭が安全に移動ができますように、御聖体降福式を捧げたいと思っています。
次のミサは、6月1日の初金曜日と2日の初土曜日です。
「私は聖父に祈ろう。聖父は別の慰め主を送って下さるだろう。それはこの世が受ける事ができない真理の霊が、あなたたちに永遠に留まる為である。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日教会は、明日の偉大な大祝日の出来事を準備する為に、特別のミサを捧げています、聖霊降臨の前日のミサを捧げています。
⑴ そこで、聖霊降臨には一体どんな事が起こったのか?
⑵ そして教会は一体、今日この御ミサでどんな事を私たちに求めているのか?2つ、洗礼の感謝と、そして聖霊降臨の前日の準備と、その2つをどうやって求めているのか?
⑶ そして最後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。特に来月の初土曜日には、初土の信心として15分の黙想には、この聖霊降臨の玄義を黙想する事を提案したいと思っていますので、どうぞ明日の準備の為にも、初土曜の信心の為にも、聖霊降臨の神秘を深く黙想する恵みを乞い求めて下さい。
⑴ では、聖霊降臨とは一体どんな事があったのでしょうか?
皆さんもご存知のように、この世界を創造した天主は、永遠の昔から三位一体でした。そして永遠の未来に至るまで三位一体です。真の天主とは、三位一体の天主で、聖父・聖子・聖霊です。
聖父は、御自分の事を完全に把握して理解して、その御自分の理解した、自分のその知的な、純粋な知的な理解を、1つの言葉で表わします。その自分御自身の事を、自分の知性の中に宿します。それが天主の御言葉であって、天主の聖子です。天主の聖子は天主聖父の全き輝き、その映像、その完全な理解なので、天主聖父は聖子をこよなく愛します。
天主聖子も、天主聖父を完全に理解して把握して、そしてその天主聖父が最高の善である事を理解して、聖子は聖父を愛します。
そして聖子と聖父の間の愛の交流が、実体なるこの愛が、天主聖霊です。
この天主三位一体は愛の構造を持っていて、そして聖父と聖子と聖霊は、唯一の天主です。
聖子イエズス・キリストは私たちの元を離れる前に、御自分の人間として見える姿で私たちの元から発たれる前に、「別の慰めの主を送ろう」と「聖父に求めよう」とお約束されました。イエズス様御自身も私たちを慰めて下さる慰め主でもありました。しかし御自分が聖父の元に行って、私たちの為に天国の場所を準備して下さり、天主聖父の前で私たちの為に祈り取次いで下さる為に、天に昇らなければならない。御自分の代わりに、聖霊を送って下さる事を約束して下さいました。
イエズス様は、オリベト山の山頂から弟子たちを祝福して昇天される前に言いました。
「私には天と地の全ての権威が与えられている。行って、全世界に行って私の教えた事を教えよ。聖父と聖子と聖霊との御名において洗礼を授けよ。もしも信じて洗礼を受けるなら救われ、そうでなければ滅ぼされる。天と地の全ての権威が私に与えられている。」
つまり、私こそが真の救い主であり、真の天主であり、全ては私の元に集められなければならない。その最高の権威をお前たちに、特に使徒たちに、そして使徒の後継者である司教・司祭に与える。恐れるな、全世界に行け。私の始めた仕事を完成させよ。
私はお前たちと共に世の終わりまで常にいる。全世界を聖父と聖子と聖霊との御名によって聖化せよ、浄めよ、天国に導け。全世界にイエズス・キリストの御名を知らしめよ。
イエズス・キリストが愛されるように、イエズス・キリストに従うように、イエズス・キリストの福音に従うようにせよ。イエズス・キリストが真の天主である事を、天主は愛である事を、そして天主が私たちを極みなく愛しておられるという事を伝えよ。
イエズスのこの愛を信じるように伝えよ。そして全被造物が、人間が、全ての人々が、このイエズス・キリストを信じ、天主が愛である事を信じ、そして天主を愛で以て愛し返す事を指導せよ。その為にお前たちに全ての力を与える、ということをイエズス様は仰り、三位一体の御名によって祝福して、天に昇られました。
その後、弟子たちは聖福音によると、喜びに満ちて帰ってきました。10日の間、マリア様を囲んで、聖福音によると、弟子たちは一生懸命聖霊の降臨し給うのを祈り、懇願していました。
明日、週の最初の日、この天と地が最初に創造されたその最初の日、イエズス様が復活されたその日、聖霊が降臨されます。
朝の9時、その時に風がゴーゴーとなる音がして、天から聖霊が火の形で弟子たちの上に下りました。まずマリア様を通して、次に弟子たちに、使徒たちに。
聖霊を受けると、弟子たちは全く人が変わったようになりました。イエズス・キリストの愛に燃えて、「イエズス・キリストが真の救い主であり、真の天主である」という事を恐れなく人々に教えました。
するとそれを見て打たれた五旬祭をお祝いに来たユダヤ人、あるいは祖国から集まった人々は、彼の、特に聖ペトロの話を聞いて、3000人が洗礼を受けました。そこで聖霊降臨は、御復活の大祝日と共に、洗礼を受けるべき日と教会ではなっています。
⑵ では、聖霊降臨のその前日に、教会は私たちにどんなメッセージを送りたいと思っているのでしょうか?
まずミサのテキストをご覧下さい。指定巡礼教会にラテラノ大聖堂、ヨハネ大聖堂、救世主大聖堂が選ばれています。そこには大きな洗礼台があって、そして復活の大祝日の前日の徹夜祭にも集まって、洗礼式を行った場所です。そこに霊的に私たちが呼び集められています。私たちはもう一度、「聖霊によって洗礼を受けた、霊と水によって生まれ変わった者である」という事を思い出させます。
元来この前日のミサは夜中に、真夜中に行われていました。ですから光の話、あるいは洗礼の話、水で浄められる話、という言葉がテキストでミサの中で読まれ、私たちはお祈りします。
書簡では、使徒聖パウロが洗礼の話をした事が読まれます。
「え?私は洗者聖ヨハネの洗礼しか知らなかった。」「いやいやいや、洗者聖ヨハネは罪の償いの為の準備の洗礼なんだ。本物の洗礼は、イエズス・キリストが制定した、聖父と聖子と聖霊による洗礼だ。イエズス・キリスト様のこれこそが、ヨハネではなくイエズス・キリストの洗礼だ。これこそが本物の洗礼だ。」そして彼らは洗礼を受けると、それによって水と霊によって洗礼を受けると、聖霊を受けて言葉を、新しい言葉を諸国の言葉を話して、主を讃美する事になります。
私たちも洗礼を受けた後に、もうこの世の世俗の話ではなく、イエズス・キリストの真理の話と、イエズス・キリストを愛する話と、天国の話と、そして永遠の命の話と、霊魂の救いの話を、罪の償いの話をするようになりました。使徒たちが全く人が変わったように、世間体ではなく、イエズス・キリストをどうやってお喜ばせる事ができるか、イエズス・キリストの聖心にどうやったら適う者となる事ができるか、道具となる事ができるか、と言うようになりました。
洗礼を受けて聖霊を受ける、そして私たちは、使徒たちが人が変わったように、新たな人となりました。イエズス・キリストを着る者となりました。その事を私たちに「思い出せ」と言っています。
それと同時に教会は、聖霊を受ける準備をさせています。洗礼と聖霊は日本語では名前が似ているのでこんがらがってしまいますが。この聖霊降臨の前日において、イエズス様の御言葉が思い出されました。
「私の掟を守る者こそが、私を愛する者だ。私を愛する者は聖父によって愛されるだろう。私は彼を愛して、彼に私自身を示す。私は彼に居り、彼も私に於いて居る。」
イエズス様の愛に満ちた言葉に私たちは、深い言葉を私たちはどれほど黙想しなければならない事でしょうか。
イエズス様は御自身の愛である聖霊を私たちに下さります。そしてその聖霊を受けた私たちが、イエズス様を愛する事ができるように、イエズス様の掟を守る事ができるように、全てを超えて天主を愛し、天主を愛するが故に隣人を我が身の如く愛する事ができるように、天国の御国の事を求めて生きる事ができるように、「もはや我にとりて生きるはキリストなり。私が生きるのではなく、キリストこそが私において生きる」と言う事ができるように。
「あぁ、」しかし私たちは、洗礼は受けたものの、聖霊降臨を望むものの、どれほど残念な事に、聖霊を悲しませた事でしょうか。罪を犯し、「本当ならばイエズス様の御旨はこうだ。」「イエズス様をお喜ばせする事はこうだ」と知りつつも、自分の好きな事をしたり、あるいはしてはいけない事を、するべきではない事に身を染めたり、あるいはそれに時間を使ったり、あるいはイエズス様が悲しまれるような事をしてしまったり、どれほどイエズス様と聖霊を悲しませてしまった事でしょうか。私たちの行いと、言葉と、そしてすべき事をしなかった事、怠りなどは、どれほど聖霊の御恵みを、与えて下さろうとする御恵みを拒否してきつつあった事でしょうか。
私は確かに洗礼を受ける時に、「悪魔を捨てる。その栄華を捨てる。その業を捨てる」と言いつつも、その約束を守りきれないで来た憐れな罪人でありました。
ですから今日は、この聖霊降臨の前日において教会は、「さぁ、もう一度洗礼の約束を新たに、天主を信じ、イエズス・キリストを信じ、聖霊を信じ、そして悪魔と悪魔の業とその全ての栄華を捨てよう。これからは聖霊の良き道具となろう」と決心するように促しています。
⑶ その為に一体私たちはどうしたら良いでしょうか?
私たちの、全く聖霊を受ける事ができるように、そして洗礼の約束をよく守る事ができるように、私たちの行くべきところは1つです。それはマリア様の汚れなき御心です。聖霊の花嫁、聖霊の生けるイコン、聖霊を決して悲しませる事がなかった、イエズス・キリストを悲しませる事がなかった、天主の御母、汚れなき童貞聖母マリア。その汚れなき御心に私たちは行く事に致しましょう。そしてマリア様の御取次ぎによって、私たちに聖霊が与えられますように、洗礼の決心を守る事ができますように、約束を守る事ができますように、お祈り致しましょう。そうすればイエズス様を愛する事になり、聖父は私たちを愛して下さる、そしてイエズス様は私たちに御自身を現して下さるでしょう。
「私は聖父に祈ろう。すると聖父はあなたたちに別の慰め主を送るだろう。真理の霊であって、この世が受ける事ができないものである。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。