2018年5月20日(主日)聖霊降臨の大祝日
小野田神父 説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2018年5月20日、聖霊降臨の主日の大祝日を祝っています。
今日のこのミサの後には、14時頃からいつもの通り公教要理をしたいと思っています。
今回は、今度のイエズス様の聖心のミサの歌の練習をする事を提案します。16時からは聖霊降臨の晩歌があります。明日は朝の7時からミサがあります。
6月は次のミサは、3日と17日です。そして先ほど信徒会長から、とても心の温まる非常に嬉しいご提案があり、6月17日には皆さんでお祝いをして下さるという事を、大変非常に感謝しております。どうぞ多くの方々とご家族の方々や、お友達の方々をお招きされて、これを機会に、初めて聖伝のミサに与る機会となってくれればと願っております。感謝しています。
7月には聖ピオ十世会の総会がありますので、ぜひその総会の成功の為にもお祈り下さい。
“Veni Sancte Spiritus.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨の大祝日です。教会は霊的に私たちを、聖ペトロ大聖堂に、バチカンにある聖ペトロ大聖堂に呼び寄せて、そこでこの聖霊降臨の祝日を祝う事を望んでいます。
⑴ ではこの聖霊降臨の日に、歴史的に一体何があったのでしょうか?
⑵ 次に、では教会は私たちに、この日をどのように祝う事を、何を私たちがする事を望んでいるのでしょうか?
⑶ そして第3に、その為には私たちは何をするか、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
⑴ 愛する兄弟の皆さん、今日このカトリック教会で、聖霊降臨が最も、復活祭の次に、クリスマスよりも更に盛大に祝われる理由は、これは教会が誕生した、公に生まれて出た、誕生した日だからであります。この日に、イエズス様が約束された通り、聖霊が降臨されました。その事情については、今日の使徒行録に詳しく書かれています。
イエズス様が昇天されたその日、「天と地の全ての権威は、私に与えられている。全世界に行って、諸国に教えよ。私の弟子を作れ。聖父と聖子と聖霊の御名によって洗礼を授けよ。もしも信じて洗礼を受けるなら救われ、そうでなければ滅ぼされる」と言われました。そして「エルサレムに残って、聖霊の来るのを待ち望め」と言われました。その時に弟子たちは非常に喜び勇んで帰ってきました。
マリア様を中心に、使徒たちは聖霊の降臨し給うのを祈って、祈って、祈って、あたかも黙想会を開いたかのように、おそらく聖ペトロの指導のもとに、そしてマリア様のお祈りを中心に、聖霊の降臨を求めていました。最後の晩餐の高間で、使徒たちは心を1つにして熱烈に祈っていました。
天地が創造されたその最初の日、イエズス様が御復活されたその週の最初の日、つまり今日、聖霊は、イエズス様が昇天されて10日の後に、五旬祭のこの日に、弟子たちの上に降臨されました。その時に強い風の音がして、家を満たしました。すると火の玉のようなものが落ちてきて、それがマリア様の上に舌の形をとって、それから弟子たちの上に使徒たちの上に来ました。
弟子たちは聖霊に満たされて、全く人が変わったようになりました。今まで無知であった、あるいは何も理解ができなかった、あるいは恐れていた、あるいは世間体を気にしていた、あるいは迫害を恐れていた、あるいは何があるか分からなかった不安だったものが、いきなりイエズス様への信仰に満ち溢れて、生き生きとしてそして燃え立って、イエズス・キリストへの愛の為にならば、この地上のものは全てを失っても構わないであるかのように、公に出て、「よく聞き給え!あなたたちが50日前に十字架に付けたイエズス・キリスト、ナザレトのイエズス、彼は、天主の力によって復活した!私たちはそれの生き証人である、目撃証人である。これはこの同じイエズス様が、私たちの主イエズス・キリストである、という事を証している!」と、「さぁ、回心して洗礼を受けなさい!」と勇敢に、大胆に宣教をしました。
それを聞いていた人たちは、「何だこの人たちは?ガリレア人ではないか。ナザレトから来た者ではないか。しかし私たちの祖国の言葉で聞いてる。彼らが話すと、私たちは自分の国の言葉で聞いているので理解できる。」
その光景に、奇跡的な光景に打たれた人々は、3000人、3000人その日に洗礼を受けました。カトリック教会が公に誕生し、公にユダヤ人たちの中に確立しました。
⑵ では今日この日に、私たちに教会は何を求めているのでしょうか?
聖ペトロ大聖堂に私たちを呼び寄せたという事はつまり、これは諸国の色んな国々からの巡礼者を集める、聖ペトロのお墓に集めていたこの教会に私たちを呼び寄せるという事で、それは信仰の土台である聖ペトロのもとに、諸国の言葉を話す色々な民が1つに集まって、そして同じイエズス・キリストの信仰を語る、天国の話をする、超自然の命に燃えて、天国への望みによって生きる、という事を表しています。
今日、昔からこれは聖書の言葉なのですけれども、教会がいつも唱えてきた祈りを、ミサの中でも唱えました、“Veni Sancte Spiritus.”「聖霊来たり給え。」
初代キリスト教信者は、イエズス様の再臨を求めていた為、“マラナ・タ”「主よ、来たり給え」と言いましたが、それと同時に、「聖霊来たり給え」とも祈っていました。この非常に古来からの由緒ある祈りは、私たちは教会の聖伝に従って、跪かせて祈らせました。
ですから私たちはこの歌を歌っている間、教会の伝統に従って、跪いて、「聖霊来たり給え。信者の心に満ち給え。主の愛熱の火を我らに燃えしめ給え」と祈ったのです。なぜかというと、教会は今日この日に、私たちが聖霊の愛の火を、天主の愛の賜物を全て受ける事を望んでいるからです。
この日に、全く生まれ変わったかのように、見違えたかのように、生き生きとしたイエズス・キリストへの信仰と、イエズス様への愛に満ちて生活を始めるように、「さぁ、聖霊に満たされよ。そしてこの聖霊に満たされて、愛の命を歩め」と望んでいます。まさにこれこそ、イエズス様が私たちに望んでいた贈り物でした。
天主聖父は、永遠の昔から、御自分の最高の善を完璧に、余す事なく理解しました。その理解は御自分の中に御言葉として宿され、そのそれは天主聖子でした。
天主の御言葉、天主の聖子。そしてこの聖父の完全な理解である、生き写しである天主の聖父の実体、生ける聖子は、聖父を完全に理解します。最高の善、無限の善である事を理解し、そしてこの聖父から生まれたという事を理解し、そしてその聖父の善を愛します。
聖父は聖子を、自分の生き写しである最高の善、無限の善である事を理解して、聖子を愛します。
この聖父と聖子の愛の交流が、これが実体である天主の愛、聖霊です。
天主聖父、聖子、聖霊は、三つで唯一の天主。唯一の天主は愛の構造を永遠の昔から取っています。
そしてこのイエズス様は私たちに、天主聖霊を、この天主の愛を、全て贈り物として聖父と聖子から与えようと、全て与えようと、完全に与えようと思っております、「もしも私を愛するなら、私の言葉を守るだろう。そうすれば私は聖霊と共に、お前たちの所に住処を定める」と。
私たちはこの聖霊を全て、宝物として受ける事ができる事となりました。このこれこそ、この世の他のいかなる宝にも勝る贈り物です。なぜかというと、天主御自身が与えられるからです。
しかし残念な事に私たちは、この宝物を受けるのを拒んできました。天主聖霊が私たちに、贈り物を持ってせっかくやって来たにもかかわらず、私たちはそれを、「嫌だ!それよりも自分のやりたい事をする。」自分のコンピューターゲームや、インターネットや、あるいは罪を、あるいは肉欲を、あるいは嘘を、あるいはその他を自分の都合を優先してきました。
その為に聖霊は、私たちの心にせっかくの贈り物を、天主への愛と最高のプレゼントを持って来たにもかかわらず、もらってもらう事ができずに、非常に悲しい思いをしてきました。
私たちは毎年聖霊降臨の祝日を祝ってきましたが、しかし聖霊降臨の祝日には、「聖霊来たり給え」と祈る代わりに、自分のやりたい事をやりたいと思い、聖霊を今まで受ける事ができませんでした、思うように受ける事ができないできました。イエズス様を思うように愛する事ができないできました。
⑶ ですから今日こそ、今日この2018年の聖霊降臨の大祝日こそ、「どうぞ、聖霊来て下さい。私の心を浄めて下さい。今まで私の祈りの足りなさをどうぞ補って下さい。」「マリア様、マリア様どうぞ私を助けて下さい。マリア様は聖霊を一度も拒んだ事がありませんでした。どうぞマリア様の御取次ぎによって、私たちの心に聖霊の賜物を充満を与えて下さい。どうぞ取次いで下さい。聖霊の花嫁であるマリア様、お祈り下さい」とお祈りする事に致しましょう。
ぜひ今日の御聖体拝領は、マリア様と共に、イエズス・キリストの御体を受ける時に聖霊をも全て受ける事ができるように、お祈り致しましょう。
“Veni Sancte Spiritus.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2018年5月20日、聖霊降臨の主日の大祝日を祝っています。
今日のこのミサの後には、14時頃からいつもの通り公教要理をしたいと思っています。
今回は、今度のイエズス様の聖心のミサの歌の練習をする事を提案します。16時からは聖霊降臨の晩歌があります。明日は朝の7時からミサがあります。
6月は次のミサは、3日と17日です。そして先ほど信徒会長から、とても心の温まる非常に嬉しいご提案があり、6月17日には皆さんでお祝いをして下さるという事を、大変非常に感謝しております。どうぞ多くの方々とご家族の方々や、お友達の方々をお招きされて、これを機会に、初めて聖伝のミサに与る機会となってくれればと願っております。感謝しています。
7月には聖ピオ十世会の総会がありますので、ぜひその総会の成功の為にもお祈り下さい。
“Veni Sancte Spiritus.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨の大祝日です。教会は霊的に私たちを、聖ペトロ大聖堂に、バチカンにある聖ペトロ大聖堂に呼び寄せて、そこでこの聖霊降臨の祝日を祝う事を望んでいます。
⑴ ではこの聖霊降臨の日に、歴史的に一体何があったのでしょうか?
⑵ 次に、では教会は私たちに、この日をどのように祝う事を、何を私たちがする事を望んでいるのでしょうか?
⑶ そして第3に、その為には私たちは何をするか、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
⑴ 愛する兄弟の皆さん、今日このカトリック教会で、聖霊降臨が最も、復活祭の次に、クリスマスよりも更に盛大に祝われる理由は、これは教会が誕生した、公に生まれて出た、誕生した日だからであります。この日に、イエズス様が約束された通り、聖霊が降臨されました。その事情については、今日の使徒行録に詳しく書かれています。
イエズス様が昇天されたその日、「天と地の全ての権威は、私に与えられている。全世界に行って、諸国に教えよ。私の弟子を作れ。聖父と聖子と聖霊の御名によって洗礼を授けよ。もしも信じて洗礼を受けるなら救われ、そうでなければ滅ぼされる」と言われました。そして「エルサレムに残って、聖霊の来るのを待ち望め」と言われました。その時に弟子たちは非常に喜び勇んで帰ってきました。
マリア様を中心に、使徒たちは聖霊の降臨し給うのを祈って、祈って、祈って、あたかも黙想会を開いたかのように、おそらく聖ペトロの指導のもとに、そしてマリア様のお祈りを中心に、聖霊の降臨を求めていました。最後の晩餐の高間で、使徒たちは心を1つにして熱烈に祈っていました。
天地が創造されたその最初の日、イエズス様が御復活されたその週の最初の日、つまり今日、聖霊は、イエズス様が昇天されて10日の後に、五旬祭のこの日に、弟子たちの上に降臨されました。その時に強い風の音がして、家を満たしました。すると火の玉のようなものが落ちてきて、それがマリア様の上に舌の形をとって、それから弟子たちの上に使徒たちの上に来ました。
弟子たちは聖霊に満たされて、全く人が変わったようになりました。今まで無知であった、あるいは何も理解ができなかった、あるいは恐れていた、あるいは世間体を気にしていた、あるいは迫害を恐れていた、あるいは何があるか分からなかった不安だったものが、いきなりイエズス様への信仰に満ち溢れて、生き生きとしてそして燃え立って、イエズス・キリストへの愛の為にならば、この地上のものは全てを失っても構わないであるかのように、公に出て、「よく聞き給え!あなたたちが50日前に十字架に付けたイエズス・キリスト、ナザレトのイエズス、彼は、天主の力によって復活した!私たちはそれの生き証人である、目撃証人である。これはこの同じイエズス様が、私たちの主イエズス・キリストである、という事を証している!」と、「さぁ、回心して洗礼を受けなさい!」と勇敢に、大胆に宣教をしました。
それを聞いていた人たちは、「何だこの人たちは?ガリレア人ではないか。ナザレトから来た者ではないか。しかし私たちの祖国の言葉で聞いてる。彼らが話すと、私たちは自分の国の言葉で聞いているので理解できる。」
その光景に、奇跡的な光景に打たれた人々は、3000人、3000人その日に洗礼を受けました。カトリック教会が公に誕生し、公にユダヤ人たちの中に確立しました。
⑵ では今日この日に、私たちに教会は何を求めているのでしょうか?
聖ペトロ大聖堂に私たちを呼び寄せたという事はつまり、これは諸国の色んな国々からの巡礼者を集める、聖ペトロのお墓に集めていたこの教会に私たちを呼び寄せるという事で、それは信仰の土台である聖ペトロのもとに、諸国の言葉を話す色々な民が1つに集まって、そして同じイエズス・キリストの信仰を語る、天国の話をする、超自然の命に燃えて、天国への望みによって生きる、という事を表しています。
今日、昔からこれは聖書の言葉なのですけれども、教会がいつも唱えてきた祈りを、ミサの中でも唱えました、“Veni Sancte Spiritus.”「聖霊来たり給え。」
初代キリスト教信者は、イエズス様の再臨を求めていた為、“マラナ・タ”「主よ、来たり給え」と言いましたが、それと同時に、「聖霊来たり給え」とも祈っていました。この非常に古来からの由緒ある祈りは、私たちは教会の聖伝に従って、跪かせて祈らせました。
ですから私たちはこの歌を歌っている間、教会の伝統に従って、跪いて、「聖霊来たり給え。信者の心に満ち給え。主の愛熱の火を我らに燃えしめ給え」と祈ったのです。なぜかというと、教会は今日この日に、私たちが聖霊の愛の火を、天主の愛の賜物を全て受ける事を望んでいるからです。
この日に、全く生まれ変わったかのように、見違えたかのように、生き生きとしたイエズス・キリストへの信仰と、イエズス様への愛に満ちて生活を始めるように、「さぁ、聖霊に満たされよ。そしてこの聖霊に満たされて、愛の命を歩め」と望んでいます。まさにこれこそ、イエズス様が私たちに望んでいた贈り物でした。
天主聖父は、永遠の昔から、御自分の最高の善を完璧に、余す事なく理解しました。その理解は御自分の中に御言葉として宿され、そのそれは天主聖子でした。
天主の御言葉、天主の聖子。そしてこの聖父の完全な理解である、生き写しである天主の聖父の実体、生ける聖子は、聖父を完全に理解します。最高の善、無限の善である事を理解し、そしてこの聖父から生まれたという事を理解し、そしてその聖父の善を愛します。
聖父は聖子を、自分の生き写しである最高の善、無限の善である事を理解して、聖子を愛します。
この聖父と聖子の愛の交流が、これが実体である天主の愛、聖霊です。
天主聖父、聖子、聖霊は、三つで唯一の天主。唯一の天主は愛の構造を永遠の昔から取っています。
そしてこのイエズス様は私たちに、天主聖霊を、この天主の愛を、全て贈り物として聖父と聖子から与えようと、全て与えようと、完全に与えようと思っております、「もしも私を愛するなら、私の言葉を守るだろう。そうすれば私は聖霊と共に、お前たちの所に住処を定める」と。
私たちはこの聖霊を全て、宝物として受ける事ができる事となりました。このこれこそ、この世の他のいかなる宝にも勝る贈り物です。なぜかというと、天主御自身が与えられるからです。
しかし残念な事に私たちは、この宝物を受けるのを拒んできました。天主聖霊が私たちに、贈り物を持ってせっかくやって来たにもかかわらず、私たちはそれを、「嫌だ!それよりも自分のやりたい事をする。」自分のコンピューターゲームや、インターネットや、あるいは罪を、あるいは肉欲を、あるいは嘘を、あるいはその他を自分の都合を優先してきました。
その為に聖霊は、私たちの心にせっかくの贈り物を、天主への愛と最高のプレゼントを持って来たにもかかわらず、もらってもらう事ができずに、非常に悲しい思いをしてきました。
私たちは毎年聖霊降臨の祝日を祝ってきましたが、しかし聖霊降臨の祝日には、「聖霊来たり給え」と祈る代わりに、自分のやりたい事をやりたいと思い、聖霊を今まで受ける事ができませんでした、思うように受ける事ができないできました。イエズス様を思うように愛する事ができないできました。
⑶ ですから今日こそ、今日この2018年の聖霊降臨の大祝日こそ、「どうぞ、聖霊来て下さい。私の心を浄めて下さい。今まで私の祈りの足りなさをどうぞ補って下さい。」「マリア様、マリア様どうぞ私を助けて下さい。マリア様は聖霊を一度も拒んだ事がありませんでした。どうぞマリア様の御取次ぎによって、私たちの心に聖霊の賜物を充満を与えて下さい。どうぞ取次いで下さい。聖霊の花嫁であるマリア様、お祈り下さい」とお祈りする事に致しましょう。
ぜひ今日の御聖体拝領は、マリア様と共に、イエズス・キリストの御体を受ける時に聖霊をも全て受ける事ができるように、お祈り致しましょう。
“Veni Sancte Spiritus.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。