アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は聖母の御誕生日です。おめでとうございます!
ルルドさんというハンドルネームの方からコメントを頂きました。
ルルドさんは、真っ白いご聖体がゴミ箱に捨てられているのを目撃されたのだそうです!きっと大きなショックだったと思います。
きっとルルドさんがおっしゃったように、誰かが新しいミサで受け取ってしまったご聖体をどうしたらよいかわからなくて捨ててしまったのでしょう!
中には埃だらけの汚いところに捨てられたホスチアもあるかもしれません。きれいな床なら良いけれども、塵と埃とゴミの中に捨てられたご聖体、とても拝領することのできる状態でないご聖体もあることでしょう。たった一つのご聖体が捨てられるだけでも大きな涜聖ですが、日本中で、どれほど多くのご聖体が粗末に扱われていることでしょうか!
霊魂の救いのことよりも、この世で苦しむ人の物質的な救いや癒し・助けのことばかり。イエズス・キリストのご聖体への崇敬と礼拝よりも、人間の自由と尊厳のことばかり。
明らかに教会の軌道が逸れています。多くの人々が信仰の命を失いつつあります。
ルルドさんの言われるように、「ほかのすべてには門戸を開放する」、それは公認、それは公式の立場、それはしなければならない、しかし、その反対に「2000年間続く聖伝の教え」だけが否定され、閉ざされ、禁止され、異端視され、あたかも「破門」さたかのように取り扱われています。
ベネディクト十六世が言ったように、今のカトリック教会は「沈没しつつある船」のようです。「全ては順調ではありません!」
「主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。」(ベネディクト十六世)
「公会議後の楽観主義こそが、偽りの楽観主義でした。修道院が閉鎖されつづけ、神学校が閉鎖されつづけている時、彼らは言います。"でも...何でもない。全ては順調だ!"と。... 私は言います。いいえ!全ては順調ではありません。」(ベネディクト十六世)
カトリック教会は、火事のように火を出して燃えています。
「危ない!」「緊急事態だ!」「火事だ!」と救援隊が叫んで、火を消そうとすると、教会を違う方向に進めようとする人々から攻撃されます。
「消防士でもないのに何故火を消そうとするのか?許可もなく火を消すな!非合法だ!」(えっ!?人の命はどうなるのですか?全てが火で燃え尽きてしまいますよ!)
「たとえどんなに緊急時であっても、外国人の医者は医療行為をしてはならない!日本国内での医師免許もなく、緊急状態だからと言って人命を助けてはならない!応急手当もしてはならない!非合法だ!不法だ!」(え?見殺しにしろというのですか?)
「今が緊急事態だと言わなければ、火を消す許可を与えよう。今の状態が正常だと認識するなら、医療行為も行わせてあげよう。教会がこれから路線を変えていくのを「正常」だと言うのなら、合法にしてあげよう。云々。」(え?火災を認めずに、どうして消防活動ができるのですか?命の危険がないのにどうして救命活動をするのですか?)
だからといって、信仰を捨て変えても、教会の脱線に協力して良いのでしょうか?
脱線事故の当該列車に乗車していたJR西日本の社員2名が、職場に連絡をして、上司から出勤命令が出ても、犠牲者を見るに見かねず、出勤せずに救助活動をしていたとしたら、この社員は処罰を受けたでしょうか?いえ!彼らはJR西日本の名誉を救ったと称賛されるでしょう。上司は彼らに感謝することでしょう!
カトリック教会の歴代の教皇様たちや20の公会議が、不可謬権を行使して、綿々と断罪し、排斥し、間違いだと教え続けてきたことは、突然信じなければならないと「公式の教え」になったのだから、俺知らね、「従順」だよ、昔の異端が今の教えになったのだ、で良いのでしょうか?
オレ知らねぇよ、は出来ません。
私もマリア様の汚れなき御心の勝利の日が、いつか来ると思います。
将来、その時、カトリック教会は、教会が2000年間、公式に、常に信じ続けてきたこと、実践し続けてきたこと、教え続けてきたこと、愛し続けてきたことを、私たちがやりつづけたことを感謝することでしょう。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は聖母の御誕生日です。おめでとうございます!
ルルドさんというハンドルネームの方からコメントを頂きました。
ルルドさんは、真っ白いご聖体がゴミ箱に捨てられているのを目撃されたのだそうです!きっと大きなショックだったと思います。
きっとルルドさんがおっしゃったように、誰かが新しいミサで受け取ってしまったご聖体をどうしたらよいかわからなくて捨ててしまったのでしょう!
中には埃だらけの汚いところに捨てられたホスチアもあるかもしれません。きれいな床なら良いけれども、塵と埃とゴミの中に捨てられたご聖体、とても拝領することのできる状態でないご聖体もあることでしょう。たった一つのご聖体が捨てられるだけでも大きな涜聖ですが、日本中で、どれほど多くのご聖体が粗末に扱われていることでしょうか!
霊魂の救いのことよりも、この世で苦しむ人の物質的な救いや癒し・助けのことばかり。イエズス・キリストのご聖体への崇敬と礼拝よりも、人間の自由と尊厳のことばかり。
明らかに教会の軌道が逸れています。多くの人々が信仰の命を失いつつあります。
ルルドさんの言われるように、「ほかのすべてには門戸を開放する」、それは公認、それは公式の立場、それはしなければならない、しかし、その反対に「2000年間続く聖伝の教え」だけが否定され、閉ざされ、禁止され、異端視され、あたかも「破門」さたかのように取り扱われています。
ベネディクト十六世が言ったように、今のカトリック教会は「沈没しつつある船」のようです。「全ては順調ではありません!」
「主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。」(ベネディクト十六世)
「公会議後の楽観主義こそが、偽りの楽観主義でした。修道院が閉鎖されつづけ、神学校が閉鎖されつづけている時、彼らは言います。"でも...何でもない。全ては順調だ!"と。... 私は言います。いいえ!全ては順調ではありません。」(ベネディクト十六世)
カトリック教会は、火事のように火を出して燃えています。
「危ない!」「緊急事態だ!」「火事だ!」と救援隊が叫んで、火を消そうとすると、教会を違う方向に進めようとする人々から攻撃されます。
「消防士でもないのに何故火を消そうとするのか?許可もなく火を消すな!非合法だ!」(えっ!?人の命はどうなるのですか?全てが火で燃え尽きてしまいますよ!)
「たとえどんなに緊急時であっても、外国人の医者は医療行為をしてはならない!日本国内での医師免許もなく、緊急状態だからと言って人命を助けてはならない!応急手当もしてはならない!非合法だ!不法だ!」(え?見殺しにしろというのですか?)
「今が緊急事態だと言わなければ、火を消す許可を与えよう。今の状態が正常だと認識するなら、医療行為も行わせてあげよう。教会がこれから路線を変えていくのを「正常」だと言うのなら、合法にしてあげよう。云々。」(え?火災を認めずに、どうして消防活動ができるのですか?命の危険がないのにどうして救命活動をするのですか?)
だからといって、信仰を捨て変えても、教会の脱線に協力して良いのでしょうか?
脱線事故の当該列車に乗車していたJR西日本の社員2名が、職場に連絡をして、上司から出勤命令が出ても、犠牲者を見るに見かねず、出勤せずに救助活動をしていたとしたら、この社員は処罰を受けたでしょうか?いえ!彼らはJR西日本の名誉を救ったと称賛されるでしょう。上司は彼らに感謝することでしょう!
カトリック教会の歴代の教皇様たちや20の公会議が、不可謬権を行使して、綿々と断罪し、排斥し、間違いだと教え続けてきたことは、突然信じなければならないと「公式の教え」になったのだから、俺知らね、「従順」だよ、昔の異端が今の教えになったのだ、で良いのでしょうか?
オレ知らねぇよ、は出来ません。
私もマリア様の汚れなき御心の勝利の日が、いつか来ると思います。
将来、その時、カトリック教会は、教会が2000年間、公式に、常に信じ続けてきたこと、実践し続けてきたこと、教え続けてきたこと、愛し続けてきたことを、私たちがやりつづけたことを感謝することでしょう。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)