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2018年7月16日 カルメル山の童貞聖母マリアのミサ 「茶色のスカプラリオについて」

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2018年7月16日(月)カルメル山の童貞聖母マリアのミサ
小野田神父 説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2018年7月16日、カルメル山の聖母の記念日のミサを捧げています。

このミサの直後に、昨日と同じように、総会の成功の為に「Veni Creator」と「Sub tuum」を歌ってから退場致しましょう。

今日は、午後の16時からマーチ・フォー・ライフがあるので、皆さん是非、お時間を使って下さって、マリア様と一緒に最後まで聖母行列ができればという事を望んでいます。

飛行機の都合で明日もここで朝7時から御ミサがあります。

それから昨日、デ・ガラレタ司教様の来日の為に霊的花束を提案しましたが、補佐のみならず、総長様と第1・第2補佐の3名の為に、そしてできれば、今まで長い間総長職を務めて下さった、24年の総長職を務めて下さったフェレー司教様の感謝の為と、あと今まで12年補佐をなさって下さったフルーガー神父様やネリ神父様の為にも、意向を合わせて捧げて下されば幸いに思います。


「カルメルの聖母、我らの為に祈り給え。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日はカルメル山の聖母の記念日です。ですから、このカルメル山の聖母の記念日が何で7月16日なのか?一体どういう歴史があるのか?という事を皆さんにぜひ知って頂きたいなぁと思っています。

カルメル会というのは皆さんよく知っていますね。例えばアヴィラの聖テレジアとか、幼きイエズスの聖テレジアとか、パッチの聖マグダレナとか、あるいは色々な大聖人が出ています。

⑴ でも、一体この祝日は何なのか?

⑵ それで今日、この祝日が私たちに何を教えているのか?
2つの事を、物体的な事と、あと霊的な事を教えています。
それでこの2つの事を黙想しましょう。

⑴ 聖務日課によると、今まで恐れていた内側にこもっていた使徒たちは、聖霊降臨の日に聖霊を受けて、外に向かってイエズス・キリストの聖名を宣べ伝えました。するとその時に、すでに聖ヨハネによって道を準備されていた人々、あるいは聖エリヤや聖エリゼオなどの預言者に倣って祈りの生活をしていた人たちが、使徒たちの奇跡を見て、色んな言葉で話したり、あるいはその聖霊の賜物を受けて、信仰を受け入れました。イエズス・キリストを受け入れました。

そしてそのような人たちが、実はマリア様と出会ったのです。「あぁイエズス様の、救い主のお母様ですか。」そして特にエリヤの弟子たち、洗者聖ヨハネの弟子たちは、マリア様に対して非常な尊敬と愛を示しました。「あぁ、あなたこそ、預言者エリヤがカルメルの山の上で雨が降る事を預言した、乾季で水がなくて困っていた時に、雨を降らす為の雲が上がったのを見た、あの1つの雲、つまりマリア様を預言していた、その雲の事はあなたの事だったのですね。」旧約の預言の、「あぁ、あなたこそがモーゼの見た、燃える、燃えているにも関わらず青々としたあの茂み、天主の母となったにもかかわらず童貞を守ったあの方だったのですね」等と、旧約の神秘をますますマリア様を見る事によって理解していきました。

聖務日課の記事によると、このような人たちがマリア様を崇敬して、カルメル山に登って、そしてカルメル山でお祈りの生活をした、との事です。エリヤに倣ってお祈りをした、との事です。そして特にマリア様を自分たちの保護者として崇敬していた、という事です。

そしてこの伝統がどれほど続いたのか、よく記録に残っていません。なぜかというと、その後ユダヤ人たちによって迫害が始まったので、キリスト教信者は逃げなければならなかったからです。もしかしたらまだ残っていたのかもしれません。私たちが知っているのは、十字軍によって中東のこの聖地の記録がよく残されるようになってからの事です。

それによると、「1150年には、聖ベルトルドという修道院長の元で、共同体がカルメル山の麓にあって、マリア様を崇敬するお祈りと修道生活をしていた」と記録が残っています。

そしてまた別の記録によると、これはカーディナル・シュトゥラーという方が本に残しているのですけれども、「1185年以前に、」先程の話では1150年ですけれども、「1185年以前の事だけれども、正確な年は分からないが、カラブリアという所の出身のある司祭が、名前もよく分かっていないが、司祭が聖エリヤを崇敬して、カルメル山に登って、そして修道生活を始めた」とあります。

そしてここに集まっていた修道士たちは、「カルメル山のマリアの兄弟たち」という名前で呼ばれるようになりました。そしてこの名前が自然に人々の間に広がっていきました。遂には教皇様も、その名前で呼ぶ事を許可しました。しかし残念ながら、イスラム教徒の力はますます大きくなっていました。アシジの聖フランシスコが聖地に行って、何とかスルタンを回心させようとしましたけれども、しかしうまくいきませんでした、残念ながらもう少しでした。

最初はキリスト教徒は聖地に、十字軍の成功によって聖地を守る事ができましたけれども、しかしますますイスラム教徒の暴力が盛んになると、どうしても留まる事ができなくなってしまいました。そこでこのような人たちは、ヨーロッパに避難しました。

ところでこのカルメル山の修道士たちは、ヨーロッパに13世紀に避難したとしても、今度はヨーロッパの人たちからあまり受け入れられませんでした。なぜかというと、純粋な西洋的な修道院というよりは、少し東方的な修道会だったので、少し合わないところがあったのかもしれません。そこで「このような修道会はヨーロッパにはいらない」という声があり、そして教皇様に、「この修道会はもう廃止すべきだ」という色々なお願いが教皇オノリウス3世の元に届きました。

ところで1225年の7月15日と16日の間のこの夜、ちょうど今日と昨日の間の夜、教皇様は夢を見て、マリア様の御出現を受けました。そして、「我が子よ、カルメル山の聖母の会を、これを修道院を廃止してはいけない。これは私の愛するものだ。これを認めなさい。」マリア様からのお願いを受けて、オノリウス3世はこの今日、1225年、この会を保護して認めます。

それにもかかわらず、教会が認めたにもかかわらず、しかし意地悪な人たちは、カルメル会がたった1つしかなかったので、色んなヨーロッパ中に修道院があったわけではなかったので、攻撃を受けていました。

30年後、1251年の7月16日の今日、聖シモン・ストックというイギリス人の第6代総長にマリア様が現れて、「私はお前たちを守る。そしてお前たちは他の修道会とは区別されて、特別の私からの保護を受けている、という印を与える」と言われて、そしてシモン・ストックに茶色のスカプラリオを与えました。そして「このスカプラリオは、マリア様からの憐れみと、保護と、母の愛の特別なしるしである」と約束しました。そして色々な特権をこのスカプラリオに付けて、聖シモン・ストックに与えました。

そこでカルメル会では一世紀の後に、1380年からこの7月16日を会の特別な日として、公認の日、そしてまた会が守られている日として祝うようになりました。そしてこの最初は自発的に生まれたこの祝日だったのですけれども、1578年にはシクスト5世によって全カルメル会にこれが広がるようになり、遂には全カトリック教会にこの祝日が広まるようになりました。

⑵ では、このような歴史を持った祝日ですけれども、そしてカルメルのスカプラリオですけれども、一体私たちにどんな事を教えているのでしょうか?
2つポイントがあります。

1つは、「服」というのは、私たち特にカトリック信者にとっては、「マリア様からのお望みの服を着る」というのが私たちの務めです。

アダムとエヴァは罪を犯した時に、裸であるという事に気が付きました。しかし天主は、このアダムとエヴァに御自分の御摂理と、自分が保護をする、という意味で服を与えました。

マリア様も、この「スカプラリオ」という服を与えました。そしてこれはこの服は、「私たちがいつも天主によって守られていて、そしてマリア様から守られている」という、私たちの地位を表すものであって、また私たちの心の様子を表すものです。ですから服は単純であって、慎み深い、また確かにこの服を見ればカトリック信者だ、と分かるような端正な服を着なければなりません。

実は私エコンに行く時に、スイスのジュネーブの空港に着いたのですけれども、その時に非常に驚いたのは、あまりにも服装が酷いことです。特に女性の服がものすごい格好をしていたので、何か海水浴場なのか街中なのか分からないような格好をしているのでビックリしました。それを見て、「あぁ、ジュネーブでは信仰というのがもう消えつつあるのだな」という事を感じました。

私たちも慎み深い服を着る事によって、私たちの内的な慎み深さを表さなければなりません。

第2に、これはもっと霊的な事でもっと重要な事です。これはマリア様が特に与えられたスカプラリオの重要性です。霊的な重要性の事です。

ヨハネ23世教皇様が、このスカプラリオに与えられた特権があまりにも素晴らしいので、「これを全人類に及ぼすべきだ」として、これを私たちがカルメル会の修道士でなくても、スカプラリオを身に付ける事ができるようにしました。そして、「このマリア様が約束された、『土曜日の特権』というものは本物である」と宣言しました。

この「土曜日の特権」はどういうものであるかというと、「もしもこのスカプラリオを着衣して、そして毎日これを身に付けて、今ではそれはないのですけれどもその当時はほんのちょっとの小斎を守って、それから決められたお祈りをして、そして身分に応じた貞潔を守るならば、例えば結婚した人ならば結婚した、結婚していないなら結婚していない、という貞潔を守るならば、マリア様が、この地上で服を着ている間守るのみならず、その後でも、煉獄に行っても私たちを守る。マリア様の憐れみと愛はこの世のみならず、煉獄にも及ぶ」という事を確信しました。

そしてこの土曜日の特権というのは、1908年7月4日にもう一度再確認されました、「これは本物だ」と、研究の後に、ローマの大贖宥聖省がこれを確認しました。それによると、「もしもこのそのような条件を果たすならば、」その今での条件は、「着衣式を受けて、毎日スカプラリオを身に付ける。それから、指定されたお祈りをする。よくするのはロザリオ一環です。そして身分に応じた貞潔を守るならば、マリア様が、私たちが亡くなったその次の土曜日に、煉獄に私たちを探しに来る」という事です。

アメリアという女の子は、シスタールチアが聞いたところによると、マリア様の答えによると、「世の終わるまで煉獄にいる」との事です。「煉獄にいるほんの1分は、100年の苦しい断食や苦行よりも更に恐ろしい、苦しいものだ」と言われています。世の終わりまで若い女の子が一体、罪を償わなければならない一体どのような罪を犯したのでしょうか。天主の正義はどれほど厳しいものでしょうか。

それを思うと、「私の罪の償いの為に、世の終わりを超えていても十分じゃないかもしれない」と思われますが、マリア様は憐れみと寛大さによって、私が亡くなったら、その次の土曜日に救いに来られるのです。なぜかというと、土曜日はマリア様の日であるからです。もしも金曜日に私が死んだとしたら、マリア様はその翌日の土曜日に来られます。何という特権でしょうか。

マリア様は、「自分がこのカルメルのスカプラリオを非常に大切にして思っている」という事を、ファチマの10月の最後の御出現の時にお見せになりました。太陽の奇跡の時に、ルチアは太陽の奇跡ではなくて、マリア様を見ていました。聖家族、それから御悲しみの聖母、そしてカルメル山の聖母でした。これはマリア様の喜びの玄義、苦しみの玄義、栄えの玄義を表していますけれども、「マリア様が天国に私たちを、カルメルの聖母として引き寄せる、という事を表している」と神学者は言います。そして神学者たちの意見によると、「マリア様はこの20世紀21世紀のこの終わりに、この時の終わりの私たちには、ロザリオとスカプラリオという特別な簡単なやり方で、天国に導く事を望んでいる」と説明します。

ですから私たちも、このカルメル山の聖母のミサをする事ができて非常に嬉しく思います。マリア様は今日書簡の中で言います、「私は美しい愛の母であり、権威の母、知識の母、聖なる希望の母である。私において全ての道と、全ての知識がある。」
マリア様の元にますます馳せ寄る事に致しましょう。そして今日は特に日本の為に、マリア様にお祈り致しましょう。日本の霊魂たちがマリア様にへと惹き付けられますように、天国へと導かれますように、その為にも私たちは、この私たちの服と、スカプラリオをいつも身に付けるように致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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