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2016年聖母小黙想会 霊的講話【14】 8月14日 シュテーリン神父様「マリア様への自己奉献」

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2016年8月14日 聖母黙想会 シュテーリン神父様講話【14】
同時通訳:小野田圭志神父

今日は、聖マキシミリアノ・コルベ神父様の天への凱旋の日ですから、そのたくさんの御恵みを下さるはずです。

今まで、マリア様へのまことの信心がどのようなものであるか、という事を黙想しました。

マリア様の一番大きな、私たちの人生における唯一の役割を見ました。
聖グリニョン・ド・モンフォールの素晴らしい論理、私たちが天主様へとどのように戻って行くかというこの論理を、よく理解されたと思います。

第1に、私たちの人生における、マリア様の救いの業の原理と基礎を確認しました。
次に、終末の時代における役割を黙想しました。終末におけるイエズス様とマリア様の使徒はどのようなものであるか、という事を描写してみせました。

その無原罪の聖母の騎士となる為にはどのような道を通らなければならないかも黙想しました。それは、まことの信心を通して到達する、という事です。まことの信心は何かと知る為に、偽りの信心をまず点検してそれを排除しました。まことの信心と偽りの信心とを区別して、その良いものを選ぶ事をしました。

その次に、このまことの信心とはどういうものか、という事を説明しました。
まことの信心は3つのステップがあって、1つは出発点、第2は道、第3は到達点です。
出発点は私たちの本当の姿を知るという事で、私たちが一体何なのか、グリニョン・ド・モンフォールはたとえそれを聞く人が嫌に思うとしても、本当の事をズケズケと言いました。そのありのままの姿を見ると私たちは、私たち自身の力だけでは天主の元に戻る事ができない、と結論付けられました。

私たちが天主に行く為には、私たちの技術でもなければ、力でもなく、私たちの知識でもなければ、私たちが全くできないという事が分かりました。天主に行くには、マリア様が必要です。

では、マリア様の仲介、マリア様の役割は何か、という事を説明します。なぜかというと、天と地の間には唯一の仲介者しかいない、つまりイエズス様しかいないからです。この唯一の仲介者に到達する為には、マリア様を通らなければなりません。

では、マリア様はどうやったら私たちが天主様へと行く道になるでしょうか。それは言葉の本当の意味において、私たちの母親となり、私たちの女王様、元后となる事です。そして同時に、私たちの方ではそれを受け入れる、私たちはそれを受け止める決意がなければなりません、意志がなければなりません。

マリア様が私たちの母である、という事を受け入れるという事は、私たちがそのマリア様の子供であるという事に同意する事です。マリア様が私たちの女王であるという事は、私たちがマリア様の臣下であって、兵士であって、しもべであって、奴隷となる事に同意する事です。私たちがマリア様を素晴らしい御母として受け入れれば受け入れるほど、女王様として受け入れれば受け入れるほど、イエズス様へと到達します。

マリア様を通して、マリア様において、私たちはイエズス様をより良く知る事ができます。イエズス様の事を知れば知るほど、ますます愛するようになります。イエズス様とますます一致すればするほど、私たちの聖徳が高められます。

イエズス様を知るという事は3つの部分に分かれます。まず第1に、それはイエズス様の現存であって、私たちを圧倒するような現存です。イエズス様の魅力的な美しさと優しさです。この事を喜びの玄義で黙想します。

第2の段階は、イエズス様の御行為、行動であって、それはイエズス様の御苦しみです。これは苦しみの玄義で黙想します。イエズス様の行為、御受難を黙想すればするほど、私たちも天主の方に立ち戻る為には、天主の御旨、つまり十字架の道を行かなければならないと分かります。

この道が、十字架の道が、目的地に到達させます。これが永遠の凱旋であって、復活であって、天国です。これを栄えの玄義で黙想します。イエズス様の御復活、天国における栄光を黙想して、私たちも遂にここに到達するのだ、と思います。

これで私の仕事は終わりました。では皆さん、家に帰りましょう。と言いたいのですけれども、まだです。グリニョン・ド・モンフォールはまだ、私たちにたくさんの事を言っています。今まで申し上げたのはこの本の25%ぐらいで、あとまだ残りがあります。

「聖グリニョン・ド・モンフォールよ、あなたは私たちにまだ何を教えたいのですか?言って下さい。」グリニョン・ド・モンフォールは神学者であって、神秘家です。と同時に、具体的な実践家の宣教師です。宣教師は非常にこう具体的に、実践的に教えてくれます。なぜかというと、この美しいこう黙想した後に、家に帰ると何をしたら良いか分からなくて、途方に暮れるからです。

では一体、何を今からしたら良いでしょうか?「マリア様は私たちの御母で、私は子供になりたい。マリア様は私たちの女王で、私はそのしもべに奴隷になりたい。うん、では何をしたら良いか。では具体的に、この信心を実践するにはどうしたら良いのか?」というその具体的な内容を、今日1日を使って黙想しましょう。

私たちの始める事は全て、始まりから始まります。ミサに与るにはミサが始まらなければ与れません。何か旅行をして、さぁどこかに出かけようという時には、最初に車の中に座ったり、あるいはバスに乗ったり、それから始まります。

マリア様に対するまことの信心を実践するには、毎日毎日、マリア様を通して天主へと戻る事です。この天主へと戻るというのは、ちょうど旅に出ることであって、旅路に出る事であって、巡礼であって、大阪から秋田に歩いて巡礼するという事です。

今日はところで、ワルシャワからチェンストホーヴァまで歩く巡礼の最終日なのです。私はこれを20回やりました。300km歩きます。8月4日から始まって15日に終わるのですけれども、私たちは14日に到着します。
今年はこの巡礼に行くつもりだったのですけれども、皆さんにこの黙想会を指導する為に巡礼行きをやめて、ここに来ました。皆さんの為でした。

巡礼に話を戻しますと、巡礼には、皆さんが一緒になって行きます。8月4日、毎年ワルシャワの修道院の前に皆さんが集まって、10時半、その出発の時刻になると、皆さんリュックサックなどを準備して集まって、旗を持って、十字架を持って来ます。
10時半になると鐘が鳴ります。ゴーンゴーン!と鐘が鳴って、そして十字架の印をして、皆で声を張り上げて「Christus vincit!」と歌を歌って、そしてザク、ザク、ザク、と歩き出します。

巡礼の参加者としては、大体200名ぐらいが「参加したい」というのですけれども、最初の日に来るのは150名です。なぜかというと、何名かは遅れて来て、一生懸命走って来て、「あぁ、巡礼団はどこですか!?」「もう行っちゃいました。」あるいは、他の人たちは来ません。

ではこの150名、ちゃんと時間通りに来た人は、何でちゃんと来たのでしょうか?強い意志があったからです。

その意志が、「何が起こっても、嵐が起こっても、何が起こっても、10時半に教会の前のあそこに立って、巡礼団と一緒にChristus vincitと歌うんだ!」という意志があったからです。もしもその強い意志がなければ、遅れてしまって、この巡礼団がもう既に行ってしまったという事になってしまいます、あるいは決して来る事はありませんでした。

私たちは小さな子供で、天主様へと戻る為には、マリア様のお母様の手を握らなければなりません。

では、まことの信心の最初のこの第1のステップは何でしょうか?それはマリア様の手を取る為に、この自分の手をマリア様に差し出す事です。「マリア様、さぁ手を、ここに手を取って下さい」と言う事です。マリア様にお願いして、懇願して、寄り頼んで、ひたすらに乞い願って、「私の手を決して離さないで下さい」と、「私はそれを望むのです」と頼む事です。

この、手を差し出してマリア様にお願いするのを、「奉献」と言います。あるいは「聖別」と言います。これは堅固な意志の行為です。

今まではこう言っていました、「マリア様、私はマリア様の事を知っているし、愛していますが、でも私の自分のやり方を貫きます。この大海原を危険な所を、私は自分の力で自分のやり方で航海するので大丈夫です」と言いながら、成功しませんでした。今までは自分一人で山を登ろうとしていましたけれども、もうそれは無理でした。

ですからこれからは、「絶対一人ぼっちではできない。必ずマリア様と一緒にやりたい」と決心する事です。「マリア様、私の船の船長になって下さい。マリア様がこれからは船長様です。」これが奉献の祈りです。「今から山に登る為には、マリア様こそが道案内で、ガイドです。ですから指導者です。ですからマリア様の気に入らないような足ぶみは絶対しません。マリア様は私よりもよくご存知です。マリア様、私は弱い、頑固な、愚かな子供です。私は一人では決してできません。いつも手から離れようとしています。時々私はマリア様をこう押し寄せて、自分でこう運転しようとしたりもします。お願いします。もしもこれをまたやろうとしたら、美しい鞭を持って、テーブルの上に私を置いて、私をお仕置きして下さい。でもその後では、私の方を向いて微笑んで下さい。私の心に接吻して下さい。」

マリア様への奉献は、私たちの人生の最も大切なものの一つです。この奉献は、他のとは違っています。奉献というのは、この奉献は違う、他のとは違うというのは、特別の目的の為に奉献する、「目的が違う」からです。

この聖グリニョン・ド・モンフォールによる奉献の祈りは、このまことの信心を実践する為のものです。つまり洗礼の約束を生きる為の手段です。これは、「私がマリア様と一緒に、天主へと立ち戻る為」のものです。

明日は、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様が作ったMIの奉献を更新しますが、これは違っています。もちろん両方とも、全てをマリア様に与えるという事です。でも別の目的の為です。コルベ神父様の作った奉献文は、「私たちがマリア様の道具となりたい」という奉献です。他の隣人を救う為の道具です。

ところが、グリニョン・ド・モンフォールの奉献は、私たちが全てに超えて天主を愛する為に行ないます。ところがコルベ神父様の奉献の祈りは、隣人を救う為、隣人を愛する為にやるものです。

このマリア様への全てを奉献するには、モデルがあります。この人生、この歴史の中で、マリア様に全てを捧げたのは、たった一人です。そしてこの人は、全くマリア様の奴隷となりました。それがイエズス・キリストです。マリア様の唯一の御一人子でした。「私はあなた達に模範を示した。」私たちはイエズス様に従って、イエズス様を真似て、イエズス様の後に、マリア様に奉献しなければなりません。

では、このグリニョン・ド・モンフォールの奉献の祈りは、一体どんなもので出来ているでしょうか?

実は奉献には2つの種類があります。第1は、「敬虔な望み、敬虔な願い」です。あるいは敬虔なお願いで、「そうありますように、そうでありますように」という事です。第2の種類は、「契約」としての、「約束」としての奉献です。

私たちが為した一番多いのは奉献は、第1の願いで、「そうありますように」という奉献です。例えば朝の祈りがそうです。例えば朝、「マリア様、私は全て御身に捧げます。御身に属します。どうぞ私を導いて下さい。」多くの国々では、赤ちゃんが洗礼を受けた後にすぐにマリア様の御像の元に跪かせて、お母さんとお父さんが子供をマリア様に奉献します。あるいはある国々では、初聖体の後に同じような事をします。あるいは例えばベルギーで私は見ましたけれども、結婚したての婚姻の秘跡を受けたばかりのカップルが、すぐにマリア様の元に行って、家族としてマリア様に自己奉献をする。多くの聖人たちによって作られたそういうような奉献の祈りが、お祈りの本の中にはたくさんあります。とても良い事です。

この事をよく理解する為に、例を挙げてみます。ある女性が、修道生活に入りたいと思います。ある日、「将来、シスターになりたい」と思います。そしてこの女性がイエズス様に手紙を書いて、「私の親愛なる花婿なるイエズス様。私はあなたに…」と言って、最後にサインをして、「あなたの親愛なる花嫁、誰それ」と書きます。そして既にこの彼女は、イエズス様の花嫁であって、イエズス様が花婿であると考えています。幼きイエズスのテレジアも既ににそういう事を書いています。子供の時そう書いたのですけれども、でも現実に、それが現実となる為には、行動しなければなりません。なぜかというと、それが本当に実現するのは、誓願を立てるその時であって、その前ではないからです。

誓願を立てる時には、それが「契約」となります。契約というのは、教会の権威の前で、そのように荘厳に、それを愛する事です。それは自己贈与の事です。贈与するというと、例えば韓国で、自分の家を誰かに教会に与える、奉献する、贈与するという時には、その時に、「確かにそういう贈与が行なわれた」という事で証人が立ちます。この贈与する与える人から、受け取る人へと所有権が移された、という事を記録されます。もしも「それを元に戻せ」というのはそれは犯罪です。これが第2の、祈りにおける奉献です。

この奉献の祈り、ですから第2の意味における奉献の祈りは、単純にこの「さぁこのページを開いて、奉献する」というわけにはいきません。準備が必要です。まずこの契約の条件とか、契約の内容について深く知らなければなりません。例えば「マリア様の奴隷になる、その奴隷とはどういう意味か」という事をこの本に書きましたし、私も説明しました。グリニョン・ド・モンフォールが、この奉献をするように、と招いているのですけれども、これは私たちの人生においてとても荘厳な瞬間です。これはちょうど、修道生活に入って誓願を立てるとか、あるいはそのような荘厳な瞬間に似ています。あるいは婚姻の秘跡にも似ています。ですからその修道生活や荘厳な誓願や婚姻の為には、何年もの準備が必要です。誓願を立てるには何年もの修練期が必要です。この奉献の祈りを荘厳になす時には、特別の準備の期間が必要です。ですから、この奉献の祈りの内容について深く知らなければなりません。この内容をよく知った後に、33日間の特別の黙想の後に、準備の後に、この奉献をする事ができます。

この奉献は、マリア様の特別な祝日になされなければなりません。グリニョン・ド・モンフォールは、「3月25日の御告げの日にこれをする事が良い」と言っています。でもこのマリア様の大きな祝日であれば、どの日でも構いません。私は5月31日に、元后なるマリア様の祝日にこれをしました。

グリニョン・ド・モンフォールは、「この自己奉献の祈りを、自分で手で書いてやるべきだ」と言っています。多くの人々はこの奉献文にサインをしますけれども、このグリニョン・ド・モンフォールのこの奉献の歴史を見ると、この手でまず奉献の祈りを書いて書き出して、最後の所には自分の血でサインをしたそうです。でも皆さんはそれをしないで下さい、この昔、この奉献の祈りはどれほど大切で重要であるかという事を示したいという事で、実例を挙げてこの昔の人はこうやったという事ですが、皆さんは真似しないで下さい。

グリニョン・ド・モンフォールが作った修道会、モンフォール会の司祭たちは、「この奉献の祈りを、できる限り荘厳に行なうように」と要求しました。聖グリニョン・ド・モンフォールはこの奉献を、聖体拝領の後にする事を望みました。グリニョン・ド・モンフォールの修道会の司祭たちは後に、固有の儀式を捧げました。まず“Veni Creator”あるいは“Ave Maris Stella”を歌います。司祭は御聖櫃を開きます。なるべきマリア様の奴隷たちは、祭壇の前に跪きます。そして奉献の祈りを唱えます。それが唱え終わると、御聖櫃を閉じます。それから奴隷たちは祭壇の上に昇って、書簡側に行って、そこでその祭壇の上でサインをします。これは、「奉献が、ミサのいけにえと一致している」という事のシンボルです。なぜかというと、この書簡側では、司祭がミサの時に水をワインの中に一滴落として、その私たちとの一致を聖父との一致を示しているからです。

この自己奉献の祈りは公の行為ですので、司祭は、その奉献に司祭もサインをしなければなりません。ある所では、この奉献の祈りがあまりにも荘厳なので、この奉献の祈りにサインして、この手書きの奉献文を、その直後のミサの中にミサを捧げる時に、司祭がコルポラーレという物を祭壇に置きます、カリスの下に置くのですけれども、そのコルポラーレの下に敷いて、ミサを捧げた、といいます。

これらを見ると、この自己奉献の祈りがどれほど荘厳で、重大であるかという事が分かります。最も大切なのは、私たちの意思を表明する事であって、契約を結ぶ事です。この口先だけで美しい言葉を述べるだけで、心の中にそれが入り込んでいないならば駄目です。このグリニョン・ド・モンフォールが作った奉献の祈りは、教会がかつて見た事がないほど美しい祈りの一つです。

この本に書かれてある全ての事を数行にまとめて、お祈りの形で表現してあります。今からこの講話の後に、聖母への自己奉献の祈りがこの本の最後にありますから、それを黙想してみて下さい。この奉献の祈りは、ただ今は黙想するだけで、この奉献をすぐするというわけではありません。この聖母の黙想会全体が、奉献を皆さん将来いつか私は期待するのですけれども、それをする事をその日の為の導入であって、紹介の黙想会です。

日本語の本では352ページから奉献の祈りがあります。この奉献の祈りは、それ自体で奇跡だと私は思っています。グリニョン・ド・モンフォールはこのお祈りをこういう形で書く為には何年も何年もかかったはずです。これを見れば見るほど奇跡だと思います。このお祈りを私は30年間唱えています。このお祈りを唱える度にいつも、新しい事を発見します。

奉献の祈りの最初は、私たちの主に関するクレドの使徒信経の要約のようです。イエズス・キリストがどなたであるか、という事を信仰告白します。これは必ず、「永遠の天主が人となった、永遠の知恵イエズス・キリスト」について語られます。天主としては永遠の聖父の御一人子、そして人間としては終生童貞なる聖マリアの子供。

いつも、「マリア様の奴隷としての奉献」という風によく言われますけれども、でも実はよく分析すると、「イエズス様への奉献」なのです。実は、この元々のグリニョン・ド・モンフォールの手による原稿には、「マリアの手を通して、人となった永遠の知恵イエズス・キリストに自分を奉献する」とあります。

次には、ミサの4つの目的の適用が現れます。つまり、祈りの全てがここに含まれています。つまり「礼拝」「感謝」「罪の償い」それから「願い」。

ですから最初に聖グリニョン・ド・モンフォールは、「礼拝致します」という言葉を付けます。これは信仰告白の第一部をなしています、「御身こそが私の全てであって、私は御身を我が人生の中心として、全てとして礼拝します。」グリニョン・ド・モンフォールはいつも、天主聖父と御母聖マリア、天主聖父、元后マリア、というこの2つの観点をいつも身に離しません。

その次に「感謝」が来ます。なぜ感謝するのでしょうか?この感謝はいつも、自己奉献の為の感謝になっています、「なぜ感謝するかというと、私がその事を考える前に、あなたがまず奴隷になったからです。主であり、創造主であり、支配者であるあなたが奴隷になったからです。王であるあなたが、私の奴隷状態を、悪魔の奴隷状態から解放する為に奴隷になりました。マリア様の奴隷とさえなって、私の為に奴隷とさえなりました。」

その感謝の後には、「罪の赦しの求め」があります。その美しい現実、美しい理想とイエズス様のなさった事の前に、私の現実があります。まず私は約束を破った、という事を告白します、「私は御身を裏切った。私は御身をこの自分の生活から蹴飛ばした。私は御身の子供と呼ばれる資格もないし、ましてや奴隷とさえ言われる事もできない。私はもう捨てられて、こう憎まれ、嫌われるしかない。私が御元に戻るには、1つのチャンスしかありません。このチャンスは御身が私に下さったもので、それは御身の御母です。私はマリア様に立ち向かって、マリア様が私の為に特別な恵みを勝ち取って下さるように祈ります。憐れみと赦しを、そして天主へと立ち戻るように、私の内に御身がまた戻る事ができるようにお祈りします。」

次には、マリア様の方に目を向けます、「あぁマリア様、今からあなたの方に目を向けます、無原罪のマリア様。まず御身に挨拶して、御身がどなたであるかを告白します。」マリア様の素晴らしい特権を告白します。マリア様に関する特権ですけれども、特に私が今置かれている状況に関わる特別の特権を讃美します、「天主の生ける聖櫃、罪のない聖母マリア。私が見つける事ができないものも、御身に見つける事ができる。天地の元后。罪人の拠り所。そして私は御身にお願いします。どうぞ私の願いを叶えて下さい。私の完全な奉献を受け入れて下さい。」

それから契約の瞬間がやってきます。不忠実な罪人なる私は何をしたら良いでしょうか。本日、洗礼の約束を真面目に、真剣に更新します。この事について昨日説明しました。私は何度も何度も洗礼の約束を破り続けてきたので、このまま破り続ける事はできません。ですからこの約束をもう一度更新しなければなりません。「本日、私はあなたを選びます。」これが契約の行為です。「私は今から、あなたを母として、女王として選び、私は奴隷として、子供として捧げます。私と私に属するもの全てをあなたに捧げ尽くします。」先ほど奴隷とは何か、という事を黙想しましたが、この事です、全てを捧げる、と。「私自身と私に属する全てのものを、残りくまなく、お望みのままに、自由に処理する全権をお与えします。」これが奉献の本質です。

そしてこの後に、なぜこの奉献をするかというその動機を説明します、「このささやかな贈り物を受け止めて下さい。第1のこの奉献の動機は、それは、イエズス様があなたになさった服従を、従順を讃える為です。第2は、もちろんそうしなくても、御身は私の上に持っているのですけれども、イエズス様とマリア様が私の上に持っている権利を、もう一度確認する為に、という第2の動機があります。第3の動機は、聖三位一体がマリア様になさった特別の特権を認識する為です、確認する為です。」

それから、3つの事をお願いします。この3つのお願いは、マリア様の偉大さを表しています。マリア様の素晴らしさ、マリア様の徳を表しています。それを、「このマリア様の素晴らしさとこの力強さを、私の為に使って下さい」と言います。「いとも素晴らしい、いとも忠実な乙女よ、いとも素晴らしい母よ、」その素晴らしい母よ、その母がどれほど素晴らしいかを私たちは黙想しました。「私の無を受け止めて下さい。御身はこの全ての良い母を合わせたよりももっと私を愛して下さっています。その御身は私と一致して下さっています。」

御母、「母」というのは命を子供に与えます。「御身は母として私にキリストを下さいました。憐れみの母よ、御身の愛を私はますます理解します。この御身は愛を、無である私に注いで下さいました。どうぞ天主の知恵を私に満たして下さい。御身の愛する者の中に私を加えて下さい。そして教えて下さい。導いて下さい。養って下さい。保護して下さい。」この5つは母親としての役割ですけれども、これについてはすでに黙想しました。

「忠実な童貞、いとも忠実なる童貞。私も終わりまで忠実でありますように。それは、その為に私が創られた創造された、その究極のゴールに到達する事ができますように。」

まずこの奉献の祈りを黙想して、この内容について考えて下さい。そして、いつの日かこれを本当の契約として、マリア様となさる事を期待しています。

(「マリアの御手をとおして、人となった永遠の叡智イエズス・キリストに、自分自身を奉献する」日本語訳全文)

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