2016年8月15日(月)聖母黙想会 童貞聖マリアの被昇天の大祝日のミサ
小野田神父 説教
“Mulier amicta sole, et luna sub pedibus ejus, et in capite ejus corona stellarum duodecim.”
「太陽の服を着た婦人が現れた。その足には月があり、頭には12の星があった。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母黙想会の参加者の皆さん、そして愛する兄弟の皆さん、今日はマリア様の被昇天の祝日においてこの聖母黙想会を終わるのは、とても意義が深いと思います。
そこで、マリア様の被昇天を黙想して、マリア様が一体どのような方であるのか、私たちの元后、天地の元后であり、私たちの母である、という事を黙想して、では私たちは一体何をしなければならないか、という遷善の決心を立てる事にしましょう。
今日入祭文では、聖ヨハネが黙示録でこう書いています、「太陽を纏(まと)った婦人が現れた。天に偉大なしるしが現れた。」教父たちは、特に聖ベルナルドなどは、「この黙示録のこの婦人は、マリア様だ。マリア様の被昇天だ」と言っています。
「太陽を纏った」という事は、イエズス様の天主の性質をまさにその纏った、という事であって、天主の御母という事を表しています。栄光に満ちた方であり、もう天主イエズス・キリストのすぐ、そのすぐ側に居る、という事です。
「月を踏んでいる」というのは、このいつも変わっているこの世を支配している、という事で、マリア様です。マリア様は予言された通り、アダムとエヴァに予言された通り、この月を踏み、そして蛇の頭を踏み砕く御方です。
マリア様が「12の星の冠を被っている」という事は、聖ベルナルドによると、「全ての階級の女王である、天と地の女王であるという事だ」と言います。「なぜならば、天の9つの階級と、地上のこの3つの階級の頭であるから。なぜかというと、この地上には、活動する人々と、観想する人と、指導する人がいるから。」あるいは聖トマス・アクイナスによれば、「博士の冠であり、童貞の冠であり、殉教者の冠である」と言うかもしれません。
昇階誦では、この「マリア様に、新しい歌を歌え。このマリア様に讃美をせよ。新しい天と地が創られたのであるから、新しい歌を歌わなければならない、新しい讃美を歌わなければならない」とします。天使たちが、人類よりも遥かに数多い、数千万、数億、数兆のおびただしい天使たちが、9つの階級の天使たちが、声をあげて心から讃美して、その前に額ずいています。跪き、マリア様を天使の元后として讃美しています。
それどころか、この地上のありとあらゆる聖人たち、大聖人、聖女、博士、教皇、聖なる修道者たち、殉教者たちが揃って、マリア様を讃美しています。マリア様と共に、マリア様の内に、生活してきた人々でした。殉教者はどれほど、このマリア様の慰めの声に助けられた事でしょうか。博士たちはどれほど、マリア様からイエズス様についてのインスピレーションを受けた事でしょうか。教皇様たちはどれほど、マリア様の助けをもって教会を指導してきた事でしょうか。多くの聖人たちはマリア様を讃美しています。
三位一体は極めて喜んでいます。なぜかというと、三位一体の大傑作であるからです。聖父の愛する娘、聖子の愛する御母、聖霊の浄い浄配。三位一体は今日、非常に大きな喜びと、満足と、光栄に満ちて、マリア様のこの偉大な祝日を祝っています。
マリア様はこのまさに、これ以上人類が持つ事ができないような、最高の尊厳と、威厳と、御稜威と、栄光と、権威とに満ちて、今日天で、高らかに被昇天を祝っています。これが天地の元后である、肉体も共に最初にイエズス様の栄光に入ったマリア様、最初の被造物マリア様の、ものすごい栄光と光栄の凱旋の記念です。
でも、そのようなマリア様を私たちが見ると、もしかしたら恐れおののいて目を伏せてしまって、平伏してしまって、もうその栄光のあまりにも素晴らしさに、打ちひしがれてしまうかもしれません。でも私たちはそのような素晴らしいマリア様に敢えて近付きます。なぜかというと、このマリア様は、「私たちの愛する最も緊密な母親でありたい」と思っているからです。マリア様は私たちを子供として、自分の愛する本当の子供として、私たちにそうある事を望んでいるからです。
マリア様が天主の御母となった、「我、主の婢女なり。仰せの如く我になれかし」と言ったその瞬間、天主の御母となったその直後、一体何をしたでしょうか?すぐに、一番この世から軽蔑されていたような、卑しい石女の老人、聖エリザベトの方まで、走って行きました、急いで行きました。山路を越えて、奉仕する為に行きました、助ける為に行きました。そしてマリア様が一番最初になさった言葉は、イエズス様を運んで、そのイエズス様の力を伝えて、その聖エリザベトの胎内にいた洗者聖ヨハネの罪を赦し、聖化し、そしてイエズスに似た者と、イエズスの先駆者とした事でした。
マリア様の態度はこれです。その天主の御母となったその最初に、一番小さな者に駆け寄ったとしたら、天の元后となったマリア様は、天地の元后であるマリア様は、凱旋したマリア様は、一番最初に何をするかというと、この地上に残されている愛する子供たちの為にとりなし、私たちの世話をし、私たちを保護し、私たちを助けたい、といつもジッと愛の眼をもって見守っているという事です。
もしもマリア様が、その全ての権威と権力を栄光をお持ちであるとしたら、マリア様は「これを全て、私たちの為に使いたい」と思っています。「私たちを助ける為に、私たちがますますイエズス・キリストのようになる為に使いたい」と思っています。その事をマリア様は洗者聖ヨハネにやって最初にやって、これからもこうする、と見せました。
そればかりではありません。マリア様はイエズス様の御母となり、その後、苦しみを分かち合った方でした。母親というのは、子供の苦しみをいつも同情し、子供と一緒に苦しむ方ではないでしょうか。マリア様は私たちと同じ苦しみを味わいました。30年間の貧しいナザレトの生活、イエズス様と共の生活、エジプトへの逃亡生活、祈りと労働の生活、マリア様はそれを私たちと共に体験されました。マリア様の御生涯はきらびやかな宮廷での生活では決してありませんでした。
そればかりではありません。イエズス様の公生活の3年間、マリア様はどれほど苦しまれた事でしょうか。イエズス様に対してなされる讒言、屈辱、冒瀆、疑いの言葉、非難の言葉、全てマリア様はそれを聞いて、イエズス様のその受ける苦しみを共に分かち合いました。全てこれは将来、私たちの為でした。
では、私たちはそのような母であるマリア様、私たちを愛してやまないマリア様、私たちと同じ苦しみを耐え忍んだマリア様に対して、どうすれば良いでしょうか?どんな事をしなければならないのでしょうか?
マリア様は、私たちがイエズス様に近付く事ができるように、それだけを考えています。私たちがイエズス・キリストのようになる事だけを望んでいます。イエズス・キリストと同じ栄光を、マリア様が今受けたその天の栄光と同じ栄光を私たちが受ける事を、イエズス・キリスト化する事を望んでいます。そしてその為にマリア様は、自分の御心を大きく開いて、「私の方に来なさい。私はあなたたちの拠り所ですよ。避難所ですよ。私が守ってあげましょう」と、御心を開いています。「私がイエズス・キリストへの、天の栄光への道を示してあげましょう」と言っています。
ファチマで、今から100年前にファチマでマリア様はこう仰いました、1917年6月13日、「私の御心は、罪人たちにとっての避難所となるでしょう。私の御心への信心を実践する人にとっての避難所となるでしょう。そして天国に通じる道となるでしょう。」
マリア様は待っておられます。私たちがマリア様の避難所に入り、マリア様の道を通って行く事を待っています。
では、具体的にどうやったらこの避難所に入り、どうやったらこの道を通る事ができるのでしょうか?マリア様は既に100年前に私たちに教えてくれました。
8月15日この今日から9ヶ月間、9ヶ月のノベナを始めるのはどうでしょうか?来年の5月13日まで、そのノベナによって私たちがますますマリア様の御心に深く入りますように、マリア様の道を通りますように。これはどうしたら良いのでしょうか?
第1に提案するのは、聖グリニョン・ド・モンフォールが私たちに示したように、「マリア様を通して、マリア様と共に、マリア様の内に、マリア様の為に生活する」という事です。シュテーリン神父様が詳しく説明して下さったように、この4つの事はつまり、マリア様の汚れなき御心の信心を実践する、という事です。全て、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為に、私たちの祈りと犠牲を捧げる、という事です。
なぜかというと、「マリア様を通して」する、という事はどういう事かというと、「マリア様に従順である」という事です。
「マリア様、一体御身は、私が今何をする事をお望みですか?マリア様、マリア様の御旨は何ですか?私の自我ではなく、マリア様の御旨を果たさせて下さい。マリア様、私がどのように考えて、どのように行動する事をお望みですか?」と、マリア様の意向を果たそうとする事です。
マリア様は、私たちが祈り、犠牲を、特にイエズス様の為に捧げる事をお望みです。日常のこの全ての生活を、マリア様と共に生活する事をお望みです。
では、「マリア様と共に」生活するというのはどういう事でしょうか?「マリア様がなさるような事を、私たちも真似してする」という事です。
「もしもマリア様が私の今いる立場にいらしたら、何を考えるだろうか?どのように仰るだろうか?どのように行動するだろうか?」という事を黙想して、マリア様と共に、マリア様の助けを以ってそうする事です。マリア様の心の持ちように真似する事です。マリア様が持っていた平和の、愛徳の心の中に入って、それを真似する事です。
「マリア様が、マリア様であったらこう考えていただろう。この平和を保っていただろう。この良心の清さを保っていただろう。」
「マリア様に内に」するというのは、「全て、マリア様の精神の中で、マリア様の考えの中で行動する」という事です。1日がマリア様と一つになって生活する、という事です。
「全ては聖母マリア様の為に。」
マキシミリアノ・コルベ神父様の伝記を私たちは読みましたけれども、「全てマリア様の為に、無原罪の聖母の栄光と、霊魂の救いの為に、マリア様の母である御旨が果たされるように」とそれだけを望んでいました。
今日から9ヶ月間、来年の2017年5月13日ファチマの日まで、9ヶ月間のノベナを、この「マリア様を通して、マリア様と共に、マリア様の内に、マリア様の為に、全て、1日の全ての瞬間を捧げる」という事を提案します。
第2は、もっと具体的に、私たちは初土の信心を致しましょう。特に大阪では初土の信心がする事ができるようになっています。マリア様の汚れなき御心に捧げられた御聖堂を持っています。このような初土のできる御聖堂は、世界中でもそんなに多くありません。聖ピオ十世会が色々な所に行っていますけれども、初土のミサを捧げる事ができるのは限られています。どうぞこの9ヶ月の間、このノベナを心してする事に致しましょう。マリア様の汚れなき御心をお慰めする事に致しましょう。
第3にそして最後には、この初土だけではなく、初土の精神で毎日過ごす事に致しましょう。特に今日から、フェレー司教様はロザリオの十字軍を起動させました、「今日から1年と1週間、来年の8月22日の聖母の汚れなき御心の日まで、1200万環のロザリオと5000万回の小さな犠牲を、マリア様の汚れなき御心に捧げよう。」
「私たちはマリア様が何とかしてくれるからいいんだ。ファチマのマリア様が天の元后であるから、もう勝手に力を尽くしてやってくれれば、私たちは何もしなくていい、傍観していればいい、ただ批判していればいい」というわけでありません。私たちはマリア様の道具とならなければなりません。これがコルベ神父様が私たちに招いている事です、「聖母の道具として、マリア様を助ける」という事です。
マリア様は私たちを必要としています。私たちの祈りと犠牲を必要としています。8月19日、マリア様はこう仰いました、1917年8月19日、「多くの霊魂は、地獄に落ちている。なぜならば、誰も彼らの為に、祈りと犠牲を捧げる者がいないからだ。」マリア様は非常に悲しそうでした。マリア様は祈りと犠牲を捧げる者を必要としています。
そこでフェレー司教様は5つの意向を立てました。「マリア様の汚れなき御心に対する信心が確立しますように」「マリア様の御心の凱旋が1日も早く来ますように」そして「マリア様の御心にロシアが奉献されますように」そして「この意向の為に私たちがロザリオと、家庭の奉献や自己の奉献をして犠牲をするように」そして最後に、「聖ピオ十世会と、聖伝を守る全ての修道会が守られますように、マリア様から特別の保護を受けますように、導かれますように」という意向です。
どうぞこの今日から始まるロザリオの十字軍に、どうぞ寛大に参加なさって下さい。マリア様の汚れなき御心をお慰めする為に、その凱旋が早まりますように、どうぞマリア様にご協力下さい。このミサの後にはすぐに聖体降福式があって、そこにおいて私たちは、マリア様に対する奉献を更新する事に致しましょう。
「太陽を纏った婦人が現れた。足には月を踏み、そして頭には12の星の冠を被っていた。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
“Mulier amicta sole, et luna sub pedibus ejus, et in capite ejus corona stellarum duodecim.”
「太陽の服を着た婦人が現れた。その足には月があり、頭には12の星があった。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母黙想会の参加者の皆さん、そして愛する兄弟の皆さん、今日はマリア様の被昇天の祝日においてこの聖母黙想会を終わるのは、とても意義が深いと思います。
そこで、マリア様の被昇天を黙想して、マリア様が一体どのような方であるのか、私たちの元后、天地の元后であり、私たちの母である、という事を黙想して、では私たちは一体何をしなければならないか、という遷善の決心を立てる事にしましょう。
今日入祭文では、聖ヨハネが黙示録でこう書いています、「太陽を纏(まと)った婦人が現れた。天に偉大なしるしが現れた。」教父たちは、特に聖ベルナルドなどは、「この黙示録のこの婦人は、マリア様だ。マリア様の被昇天だ」と言っています。
「太陽を纏った」という事は、イエズス様の天主の性質をまさにその纏った、という事であって、天主の御母という事を表しています。栄光に満ちた方であり、もう天主イエズス・キリストのすぐ、そのすぐ側に居る、という事です。
「月を踏んでいる」というのは、このいつも変わっているこの世を支配している、という事で、マリア様です。マリア様は予言された通り、アダムとエヴァに予言された通り、この月を踏み、そして蛇の頭を踏み砕く御方です。
マリア様が「12の星の冠を被っている」という事は、聖ベルナルドによると、「全ての階級の女王である、天と地の女王であるという事だ」と言います。「なぜならば、天の9つの階級と、地上のこの3つの階級の頭であるから。なぜかというと、この地上には、活動する人々と、観想する人と、指導する人がいるから。」あるいは聖トマス・アクイナスによれば、「博士の冠であり、童貞の冠であり、殉教者の冠である」と言うかもしれません。
昇階誦では、この「マリア様に、新しい歌を歌え。このマリア様に讃美をせよ。新しい天と地が創られたのであるから、新しい歌を歌わなければならない、新しい讃美を歌わなければならない」とします。天使たちが、人類よりも遥かに数多い、数千万、数億、数兆のおびただしい天使たちが、9つの階級の天使たちが、声をあげて心から讃美して、その前に額ずいています。跪き、マリア様を天使の元后として讃美しています。
それどころか、この地上のありとあらゆる聖人たち、大聖人、聖女、博士、教皇、聖なる修道者たち、殉教者たちが揃って、マリア様を讃美しています。マリア様と共に、マリア様の内に、生活してきた人々でした。殉教者はどれほど、このマリア様の慰めの声に助けられた事でしょうか。博士たちはどれほど、マリア様からイエズス様についてのインスピレーションを受けた事でしょうか。教皇様たちはどれほど、マリア様の助けをもって教会を指導してきた事でしょうか。多くの聖人たちはマリア様を讃美しています。
三位一体は極めて喜んでいます。なぜかというと、三位一体の大傑作であるからです。聖父の愛する娘、聖子の愛する御母、聖霊の浄い浄配。三位一体は今日、非常に大きな喜びと、満足と、光栄に満ちて、マリア様のこの偉大な祝日を祝っています。
マリア様はこのまさに、これ以上人類が持つ事ができないような、最高の尊厳と、威厳と、御稜威と、栄光と、権威とに満ちて、今日天で、高らかに被昇天を祝っています。これが天地の元后である、肉体も共に最初にイエズス様の栄光に入ったマリア様、最初の被造物マリア様の、ものすごい栄光と光栄の凱旋の記念です。
でも、そのようなマリア様を私たちが見ると、もしかしたら恐れおののいて目を伏せてしまって、平伏してしまって、もうその栄光のあまりにも素晴らしさに、打ちひしがれてしまうかもしれません。でも私たちはそのような素晴らしいマリア様に敢えて近付きます。なぜかというと、このマリア様は、「私たちの愛する最も緊密な母親でありたい」と思っているからです。マリア様は私たちを子供として、自分の愛する本当の子供として、私たちにそうある事を望んでいるからです。
マリア様が天主の御母となった、「我、主の婢女なり。仰せの如く我になれかし」と言ったその瞬間、天主の御母となったその直後、一体何をしたでしょうか?すぐに、一番この世から軽蔑されていたような、卑しい石女の老人、聖エリザベトの方まで、走って行きました、急いで行きました。山路を越えて、奉仕する為に行きました、助ける為に行きました。そしてマリア様が一番最初になさった言葉は、イエズス様を運んで、そのイエズス様の力を伝えて、その聖エリザベトの胎内にいた洗者聖ヨハネの罪を赦し、聖化し、そしてイエズスに似た者と、イエズスの先駆者とした事でした。
マリア様の態度はこれです。その天主の御母となったその最初に、一番小さな者に駆け寄ったとしたら、天の元后となったマリア様は、天地の元后であるマリア様は、凱旋したマリア様は、一番最初に何をするかというと、この地上に残されている愛する子供たちの為にとりなし、私たちの世話をし、私たちを保護し、私たちを助けたい、といつもジッと愛の眼をもって見守っているという事です。
もしもマリア様が、その全ての権威と権力を栄光をお持ちであるとしたら、マリア様は「これを全て、私たちの為に使いたい」と思っています。「私たちを助ける為に、私たちがますますイエズス・キリストのようになる為に使いたい」と思っています。その事をマリア様は洗者聖ヨハネにやって最初にやって、これからもこうする、と見せました。
そればかりではありません。マリア様はイエズス様の御母となり、その後、苦しみを分かち合った方でした。母親というのは、子供の苦しみをいつも同情し、子供と一緒に苦しむ方ではないでしょうか。マリア様は私たちと同じ苦しみを味わいました。30年間の貧しいナザレトの生活、イエズス様と共の生活、エジプトへの逃亡生活、祈りと労働の生活、マリア様はそれを私たちと共に体験されました。マリア様の御生涯はきらびやかな宮廷での生活では決してありませんでした。
そればかりではありません。イエズス様の公生活の3年間、マリア様はどれほど苦しまれた事でしょうか。イエズス様に対してなされる讒言、屈辱、冒瀆、疑いの言葉、非難の言葉、全てマリア様はそれを聞いて、イエズス様のその受ける苦しみを共に分かち合いました。全てこれは将来、私たちの為でした。
では、私たちはそのような母であるマリア様、私たちを愛してやまないマリア様、私たちと同じ苦しみを耐え忍んだマリア様に対して、どうすれば良いでしょうか?どんな事をしなければならないのでしょうか?
マリア様は、私たちがイエズス様に近付く事ができるように、それだけを考えています。私たちがイエズス・キリストのようになる事だけを望んでいます。イエズス・キリストと同じ栄光を、マリア様が今受けたその天の栄光と同じ栄光を私たちが受ける事を、イエズス・キリスト化する事を望んでいます。そしてその為にマリア様は、自分の御心を大きく開いて、「私の方に来なさい。私はあなたたちの拠り所ですよ。避難所ですよ。私が守ってあげましょう」と、御心を開いています。「私がイエズス・キリストへの、天の栄光への道を示してあげましょう」と言っています。
ファチマで、今から100年前にファチマでマリア様はこう仰いました、1917年6月13日、「私の御心は、罪人たちにとっての避難所となるでしょう。私の御心への信心を実践する人にとっての避難所となるでしょう。そして天国に通じる道となるでしょう。」
マリア様は待っておられます。私たちがマリア様の避難所に入り、マリア様の道を通って行く事を待っています。
では、具体的にどうやったらこの避難所に入り、どうやったらこの道を通る事ができるのでしょうか?マリア様は既に100年前に私たちに教えてくれました。
8月15日この今日から9ヶ月間、9ヶ月のノベナを始めるのはどうでしょうか?来年の5月13日まで、そのノベナによって私たちがますますマリア様の御心に深く入りますように、マリア様の道を通りますように。これはどうしたら良いのでしょうか?
第1に提案するのは、聖グリニョン・ド・モンフォールが私たちに示したように、「マリア様を通して、マリア様と共に、マリア様の内に、マリア様の為に生活する」という事です。シュテーリン神父様が詳しく説明して下さったように、この4つの事はつまり、マリア様の汚れなき御心の信心を実践する、という事です。全て、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為に、私たちの祈りと犠牲を捧げる、という事です。
なぜかというと、「マリア様を通して」する、という事はどういう事かというと、「マリア様に従順である」という事です。
「マリア様、一体御身は、私が今何をする事をお望みですか?マリア様、マリア様の御旨は何ですか?私の自我ではなく、マリア様の御旨を果たさせて下さい。マリア様、私がどのように考えて、どのように行動する事をお望みですか?」と、マリア様の意向を果たそうとする事です。
マリア様は、私たちが祈り、犠牲を、特にイエズス様の為に捧げる事をお望みです。日常のこの全ての生活を、マリア様と共に生活する事をお望みです。
では、「マリア様と共に」生活するというのはどういう事でしょうか?「マリア様がなさるような事を、私たちも真似してする」という事です。
「もしもマリア様が私の今いる立場にいらしたら、何を考えるだろうか?どのように仰るだろうか?どのように行動するだろうか?」という事を黙想して、マリア様と共に、マリア様の助けを以ってそうする事です。マリア様の心の持ちように真似する事です。マリア様が持っていた平和の、愛徳の心の中に入って、それを真似する事です。
「マリア様が、マリア様であったらこう考えていただろう。この平和を保っていただろう。この良心の清さを保っていただろう。」
「マリア様に内に」するというのは、「全て、マリア様の精神の中で、マリア様の考えの中で行動する」という事です。1日がマリア様と一つになって生活する、という事です。
「全ては聖母マリア様の為に。」
マキシミリアノ・コルベ神父様の伝記を私たちは読みましたけれども、「全てマリア様の為に、無原罪の聖母の栄光と、霊魂の救いの為に、マリア様の母である御旨が果たされるように」とそれだけを望んでいました。
今日から9ヶ月間、来年の2017年5月13日ファチマの日まで、9ヶ月間のノベナを、この「マリア様を通して、マリア様と共に、マリア様の内に、マリア様の為に、全て、1日の全ての瞬間を捧げる」という事を提案します。
第2は、もっと具体的に、私たちは初土の信心を致しましょう。特に大阪では初土の信心がする事ができるようになっています。マリア様の汚れなき御心に捧げられた御聖堂を持っています。このような初土のできる御聖堂は、世界中でもそんなに多くありません。聖ピオ十世会が色々な所に行っていますけれども、初土のミサを捧げる事ができるのは限られています。どうぞこの9ヶ月の間、このノベナを心してする事に致しましょう。マリア様の汚れなき御心をお慰めする事に致しましょう。
第3にそして最後には、この初土だけではなく、初土の精神で毎日過ごす事に致しましょう。特に今日から、フェレー司教様はロザリオの十字軍を起動させました、「今日から1年と1週間、来年の8月22日の聖母の汚れなき御心の日まで、1200万環のロザリオと5000万回の小さな犠牲を、マリア様の汚れなき御心に捧げよう。」
「私たちはマリア様が何とかしてくれるからいいんだ。ファチマのマリア様が天の元后であるから、もう勝手に力を尽くしてやってくれれば、私たちは何もしなくていい、傍観していればいい、ただ批判していればいい」というわけでありません。私たちはマリア様の道具とならなければなりません。これがコルベ神父様が私たちに招いている事です、「聖母の道具として、マリア様を助ける」という事です。
マリア様は私たちを必要としています。私たちの祈りと犠牲を必要としています。8月19日、マリア様はこう仰いました、1917年8月19日、「多くの霊魂は、地獄に落ちている。なぜならば、誰も彼らの為に、祈りと犠牲を捧げる者がいないからだ。」マリア様は非常に悲しそうでした。マリア様は祈りと犠牲を捧げる者を必要としています。
そこでフェレー司教様は5つの意向を立てました。「マリア様の汚れなき御心に対する信心が確立しますように」「マリア様の御心の凱旋が1日も早く来ますように」そして「マリア様の御心にロシアが奉献されますように」そして「この意向の為に私たちがロザリオと、家庭の奉献や自己の奉献をして犠牲をするように」そして最後に、「聖ピオ十世会と、聖伝を守る全ての修道会が守られますように、マリア様から特別の保護を受けますように、導かれますように」という意向です。
どうぞこの今日から始まるロザリオの十字軍に、どうぞ寛大に参加なさって下さい。マリア様の汚れなき御心をお慰めする為に、その凱旋が早まりますように、どうぞマリア様にご協力下さい。このミサの後にはすぐに聖体降福式があって、そこにおいて私たちは、マリア様に対する奉献を更新する事に致しましょう。
「太陽を纏った婦人が現れた。足には月を踏み、そして頭には12の星の冠を被っていた。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。