2018年11月30日(金)使徒聖アンドレアのミサ
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年11月30日、使徒聖アンドレアの祝日を祝っています。
サマース神父様が既に到着をしている予定でしたが、残念ながら神父様の飛行機が2時間半以上遅れているという事で、ミサの始まりも少し遅れる事が予想されています。そこで神父様の代わりに、その今、使徒聖アンドレアの祝日の黙想を提案したいと思っています。
⑴聖アンドレアというのは一体どのような人で、
⑵そしてどのように殉教していったのか?
⑶私たちにどのような、2018年11月30日に生きている私たちにどんな意味があるのか?
という事を黙想致しましょう。
⑴聖アンドレアは、使徒聖ペトロの兄弟です。やはり漁夫で、魚を捕る事を賄いとしていました。ペトロもそしてアンドレアも、洗者聖ヨハネの弟子でした。この二人はペトロとアンドレアは、洗者聖ヨハネがイエズス・キリストを指して、「見よ、天主の子羊を見よ」と言ったのを見て、ついて行った人です。「主よ、御身はどこにお住まいですか?」と聞くと、「来てみなさい。」
今日の福音によれば、ある時、イエズス様が、ペトロとアンドレアが魚を釣っている時に、ヨハネとそしてヤコボとそしてそのお父さんと一緒に魚を釣っている時に、イエズス様が通られました。そして「私に従え。」
そして彼らはそれを全て捨てて、イエズス様について従って行きました。
⑵ 聖アンドレアがどのように殉教したかを黙想します。聖アンドレアはイエズス様の十字架を特別に愛した人でした。
彼はイエズス様の十字架を宣教して行きました。しかし王エジェアス(AEgeas)に「偶像に生贄を捧げるように」と命じられた時、聖アンドレアは、「それはできません。なぜかというと、私は本物の、本当の天主に、本物の本当のいけにえを捧げているからです。それは牛やその他の動物ではなく、天主の子羊をいけにえとして捧げているからです。そしてその聖なる体を、私たちは拝領しているからです」と言って断りました。
するとその王エジェアスは非常に怒って、聖アンドレアをXのようなバツの形の十字架に、手と足を伸ばさせ付けて死刑を宣告しました。聖アンドレアは十字架の上に2日付けられて、生きながらイエズス様の説教をしながら殉教していきました。
十字架に付けられた時に、「あぁ、私が今まで望んでいた十字架よ!私の求めていた、願っていたものよ!O bona crux, diu desiderata, et iam concupiscenti animo praeparata!」と十字架に挨拶をしました。イエズス様に、「私に従え」と言われた時に、全てを捨ててイエズス様に従い、そして十字架の極みまで、イエズス様に従いました。
それがその聖アンドレアで、その遺体は特に聖アンドレアの頭は、聖ペトロ大聖堂に今あります。ミサ聖祭の中にもミサ典文の中にも、「聖アンドレア」の名前と、あと天にましますの後にも「聖アンドレア」の名前が入っています。特に天にましますの後のは、聖アンドレアの聖遺物がローマに運ばれた時に、特に付け加えられました。
⑶ もうすぐ後、明後日、待降節第一主日を迎えて、そして新しい典礼暦を祝おうとする私たちに、その聖アンドレアは何を訴えているでしょうか?
第3の点は、聖アンドレアは私たちに、「イエズス・キリストに従う事、全てを捨ててイエズス様に従う事のその寛大さを、その覚悟を、その決心とその心の準備」を訴えています。
イエズス様は天の聖父の懐からこの地上に、人となって宿ろうとするのを私たちは準備します。十字架を担う為に、十字架に付けられる為に、私たちの救いの為に。
私たちの永遠の命、私たちが従うべきは唯一、イエズス・キリストです。今日皆さんは、本当ならこの世の人々のように、面白おかしい事もあったかもしれませんが、それを捨てて、イエズス様の十字架に与る為に、ミサに来ました。御聖体拝領をする為に全てを捨てて、イエズス様に従う為に、ミサにやって来ました。
私たちが終わりまで、この命の最後の瞬間まで、イエズス様に従い続ける事ができますように、「イエズス様の心に、聖心に適わないものがあれば、どうぞイエズス様、私たちの心から取って下さい。聖アンドレア、どうぞ私たちの弱さを、祈りを以て助けて下さい。」
マリア様にお祈り致しましょう。私たちも聖アンドレアに倣って、イエズス様にいつも忠実でありますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年11月30日、使徒聖アンドレアの祝日を祝っています。
サマース神父様が既に到着をしている予定でしたが、残念ながら神父様の飛行機が2時間半以上遅れているという事で、ミサの始まりも少し遅れる事が予想されています。そこで神父様の代わりに、その今、使徒聖アンドレアの祝日の黙想を提案したいと思っています。
⑴聖アンドレアというのは一体どのような人で、
⑵そしてどのように殉教していったのか?
⑶私たちにどのような、2018年11月30日に生きている私たちにどんな意味があるのか?
という事を黙想致しましょう。
⑴聖アンドレアは、使徒聖ペトロの兄弟です。やはり漁夫で、魚を捕る事を賄いとしていました。ペトロもそしてアンドレアも、洗者聖ヨハネの弟子でした。この二人はペトロとアンドレアは、洗者聖ヨハネがイエズス・キリストを指して、「見よ、天主の子羊を見よ」と言ったのを見て、ついて行った人です。「主よ、御身はどこにお住まいですか?」と聞くと、「来てみなさい。」
今日の福音によれば、ある時、イエズス様が、ペトロとアンドレアが魚を釣っている時に、ヨハネとそしてヤコボとそしてそのお父さんと一緒に魚を釣っている時に、イエズス様が通られました。そして「私に従え。」
そして彼らはそれを全て捨てて、イエズス様について従って行きました。
⑵ 聖アンドレアがどのように殉教したかを黙想します。聖アンドレアはイエズス様の十字架を特別に愛した人でした。
彼はイエズス様の十字架を宣教して行きました。しかし王エジェアス(AEgeas)に「偶像に生贄を捧げるように」と命じられた時、聖アンドレアは、「それはできません。なぜかというと、私は本物の、本当の天主に、本物の本当のいけにえを捧げているからです。それは牛やその他の動物ではなく、天主の子羊をいけにえとして捧げているからです。そしてその聖なる体を、私たちは拝領しているからです」と言って断りました。
するとその王エジェアスは非常に怒って、聖アンドレアをXのようなバツの形の十字架に、手と足を伸ばさせ付けて死刑を宣告しました。聖アンドレアは十字架の上に2日付けられて、生きながらイエズス様の説教をしながら殉教していきました。
十字架に付けられた時に、「あぁ、私が今まで望んでいた十字架よ!私の求めていた、願っていたものよ!O bona crux, diu desiderata, et iam concupiscenti animo praeparata!」と十字架に挨拶をしました。イエズス様に、「私に従え」と言われた時に、全てを捨ててイエズス様に従い、そして十字架の極みまで、イエズス様に従いました。
それがその聖アンドレアで、その遺体は特に聖アンドレアの頭は、聖ペトロ大聖堂に今あります。ミサ聖祭の中にもミサ典文の中にも、「聖アンドレア」の名前と、あと天にましますの後にも「聖アンドレア」の名前が入っています。特に天にましますの後のは、聖アンドレアの聖遺物がローマに運ばれた時に、特に付け加えられました。
⑶ もうすぐ後、明後日、待降節第一主日を迎えて、そして新しい典礼暦を祝おうとする私たちに、その聖アンドレアは何を訴えているでしょうか?
第3の点は、聖アンドレアは私たちに、「イエズス・キリストに従う事、全てを捨ててイエズス様に従う事のその寛大さを、その覚悟を、その決心とその心の準備」を訴えています。
イエズス様は天の聖父の懐からこの地上に、人となって宿ろうとするのを私たちは準備します。十字架を担う為に、十字架に付けられる為に、私たちの救いの為に。
私たちの永遠の命、私たちが従うべきは唯一、イエズス・キリストです。今日皆さんは、本当ならこの世の人々のように、面白おかしい事もあったかもしれませんが、それを捨てて、イエズス様の十字架に与る為に、ミサに来ました。御聖体拝領をする為に全てを捨てて、イエズス様に従う為に、ミサにやって来ました。
私たちが終わりまで、この命の最後の瞬間まで、イエズス様に従い続ける事ができますように、「イエズス様の心に、聖心に適わないものがあれば、どうぞイエズス様、私たちの心から取って下さい。聖アンドレア、どうぞ私たちの弱さを、祈りを以て助けて下さい。」
マリア様にお祈り致しましょう。私たちも聖アンドレアに倣って、イエズス様にいつも忠実でありますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。