2019年2月3日(主日)シュテーリン神父様霊的講話 後編
「本当の隣人愛 隣人の救霊のために聖母の道具となる」
同時通訳:小野田圭志神父
隣人愛も難しいものですけれども、マリア様のおかげでできるようになります。
もしも私がマリア様に、自分を子供として奉献するならば、マリア様は私たちを教えてくれます。私たちが、「隣人を天主様がどのようにご覧になっているか」というように見る事ができるように教えてくれます。つまり私たちが今いつもしているような、非常に人間臭い、自然的なレベルではなくて、超自然の、救わなければならない霊魂として、そしてイエズス様の御血によって贖われたものとして、そしてマリア様の愛する子供として、見る事ができるようになります。
ではこの隣人の為に、私は一体何をする事ができるでしょうか?もしも隣人が罪の中や、あるいは誤りの中にいるならば、回心の御恵みを必要としています。でも私は御恵みを作り上げる事はできません。回心の後には、次のステップに、聖化の御恵みも必要です。天主様にますます近付く事ができますように、でもその御恵みを作り出す事はできません。私は全く無力です。
でもどのようにしたら良いか、という事をイエズス様は教えてくれます。イエズス様は、「隣人を愛せ」と命令しました。私たちはただ「不可能だ」と言う事だけはできません。人間的に言えばちょっと難しくて、不可能のように思えますけれども、「イエズス様、もしもそのような目標を、究極点を与えて下さったならば、それに辿る道も教えて下さい。」
隣人愛をする事ができる為の秘訣は、「道具となる」事です。隣人愛というのはつまり、隣人の回心、隣人の聖化です。そしてこの御恵みを全てマリア様に、イエズス様は与えました。そしてマリア様はこの御恵みを、その御自分の全ての子供たちに与えようと望んでいます。どうやって?
マリア様は天主の掟に従います。天主の定めというのは、「この世で何か働く時には、常に天主は道具を使う」という事です。天主はただ、アダムとエヴァだけを御自分が直接創りましたけれども、その他の全ての人間は、私たちの両親を通して生み出しました。宗教の世界も同様です。イエズス様は十字架の上で、最高司祭として亡くなりました。イエズス様だけが唯一の司祭です。しかし昇天された後には、御自分のカトリック司祭を通して、御自分の御恵みを与えようとしています、道具として。
マリア様は人々に対する全ての御恵みを持っているのですけれども、その御恵みを与える事ができるのは、道具があればこそ、なければ与える事ができません。マリア様の、汚れなきマリア様の道具となるという事は、御恵みの宝庫であるマリア様から霊魂、御恵みを必要とする霊魂に、それのパイプラインを、あるいは運河を作る事です。ではこのような道具は誰でしょうか?
カトリック信者です。なぜかというと、イエズス様が、「私が愛したように愛せよ」と命令したからです。「隣人を愛する」という事はつまり「最高の善を与える」という事に、カトリック信者の大きな役割があります。マリア様の汚れなき御心から、愛する隣人の心に御恵みを渡す事です。
ですから皆さん、ご理解できましたでしょうか?コルベ神父様にとって、「道具」というのはキーワードです。皆さんそれが理解できると、一体私たちの、自分のこの世における役割という事が、一体自分は何なのか、という事が理解できるはずです。これはどのような状況にも適用させる事ができます。全て価値のある事、良い事は、道具としてなさって下さい。
ここに多くのお父様とお母様たちがいらっしゃいます。家族の生活の成功の鍵はどこにあるか知っていますか?皆さんが、お父さんとお母さんが、ご自身が、主要な運動者、主要な要人だと考えないで下さい。自分の事を単なる道具だと考えて下さい。「マリア様こそが、皆さんの家庭の本当のお母様である」という事を、「自分はその道具である」と考えて下さい。よく私たちはどうしたら良いか分かりません。この子供の教育の為にこれを決定する、あるいは決定しない、あるいはこの程度厳しくする、この程度優しくする。現在夫婦の間で愛を育てるのはますます難しくなっています。でも私たち自身を道具として考えると、「私は他の方の奉仕の為にある」という事になります。つまり「本当の主人、本当のボスの奉仕者として、使いとして居る」という事になります。
例えば教会では、「イエズス様の聖心の着座式」というものがあります。イエズスの至聖なる聖心が家庭の本当の王であって、私たちはその代理者である、お父さんとお母さんは代理者である、そして着座式をする事によって、「家庭の本当の権威はイエズス様にあって、そして自分はイエズス様に権威を委ねる」という事になります。これを奉献式において行ないます。
また家庭においては、お父さんの権威も大切ですけれども、お母さんの役割も非常に大切です。母親はお父さんよりももっと自分の権威を、いわばそれを譲って、マリア様に譲って、そしてそのマリア様の代理者として行動しなければなりません。
この事を考えると、「聖母の騎士会」というのがどれほど多くの状況に適用している事ができるか、という事が分かります。天主の御旨に従って、つまり「マリア様を通して隣人を愛する」という事を教えています。
マリア様は私たちの仕事をやめろと言うのではなくて、その反対に、日常の多くの様々な仕事をするのですけれども、それに刻印を打って、そして判子を押して、つまり「隣人愛の為」という判子を押して、マリア様の道具として日常生活を奉献する、という事を教えています。
聖テレジアは教えています、「私たちは愛によって裁かれる。愛したかどうかによって裁かれる。」もしも私たちの隣人に対する関係が、友情関係が、超自然の、救霊・霊魂を救うという事に導かれていなければ、この事と関係がなければ、全く意味が無くなってしまいます。
これが、1917年以降コルベ神父様が体験した事でした。つまりそれ以後、霊魂の救いの為に何かしようとするや否や、霊魂の救いの敵が攻撃をし出しました。もしもコルベ神父様が、親切で優しいというだけでしたら、何の問題もありませんでした。しかし一旦、「霊魂を救おう」と、「悪魔の手から、その囚人たち、霊魂たちを解放させよう」とすると、悪魔は非常に怒り狂って、コルベ神父様に攻撃を、総攻撃を仕掛けました。
「隣人愛」というのは、単なる観光旅行ではなくて「戦い」です。しかしマリア様が下さる手段を使うならば、敵がどれほど多くても、力があっても、霊魂の為に救霊の為に、何かをする事ができます。戦う事ができます。
ファチマでもその他の所でも、マリア様は言いました、「祈り、犠牲を捧げなさい。」
もしも何かこの世の事についてコメントをするとしたら、普通どんな事を言いますか?
「あぁ、この人好きだ」「この人嫌いだ」「この人いいね」「この人ちょっと気分悪いよ」と私たちはよく言います、コメントをします。そのコメントをする時に皆さんの顔を見ると、その表情を見ると、表情だけで何を考えているのか分かります。笑ったり怒ったりしています。たとえ皆さんが顔の表情を変えなかったとしても、天主様は何があるか知っています。しかし私たちがこの隣人についてそのようなコメントをするかしないかによって、別に隣人が良くなったり救われたり、あるいは私自身が良くなったり救われたり、という事とは関係ありません。
そうではなくて、隣人に対する「コメント」を「祈り」に変えてはどうでしょうか?電車に乗って、「横の人、臭いな」その代わりに、「イエズス様、マリア様、愛しています。この臭い霊魂を救って下さい」と祈るのはどうでしょうか?もしも電車の中でこう「トサカのようなヘアで、それで赤・黄・緑、何だこれ、信号かな」と「この頃の若者はちょっとクレイジーだ」と、このような霊魂は御恵みが必要なのです。ですから皆さんのお祈りが必要なのです。
聖ドン・ボスコは、ボローニャの駅で電車を待っていました。すると向こうで、天主に対する冒瀆をする男がいました。電車がちょうどその時に来たので、聖ヨハネ・ボスコは電車に乗って、この冒瀆を吐いた男の為に祈っていました。同じ所にいた人は、「この男は何だ、おかしいな、ちょっと気が狂っている」というコメントをした人々でしたけれども、ドン・ボスコは黙ってこの霊魂の為に祈りました。
ところで、電車に乗った後すっかりその事を忘れてしまった聖ドン・ボスコは、3ヶ月の後に、その男が夢に現れたのです、それを見ました。すると彼の言うには、「自分はその後、事故に遭って死んだ。そして裁きを受けた。でもその死ぬその直前に回心の恵みを受けた。なぜならば、3ヶ月前にあなたが私の為に祈ってくれたので、そのお祈りのおかげで、特別の回心の御恵みを受けた。だから今天国で救われている。ありがとう。」
私たちは、このたった1回の射祷にどれほど価値があるかを、実はよく分かっていません。
マリア様はファチマでも同じ事をお願いしました。ジャシンタちゃんは10歳で亡くなりました。10歳、何ができるでしょうか。ところで列聖調査の時に、列聖調査を調べる厳しい神学者たちが、その10歳で亡くなったジャシンタを見て、その生活を見て、「この女の子は、祈りと犠牲を以って、その当時働いていた全ての宣教師たちの仕事を合わせたよりも、もっと霊魂の救いの為に働いた」と言いました。
私たちが日頃、頭の中で考える下らない思い、つまらない考えの半分を、射祷に変えたら、どれほど大きな御恵みと霊魂の救いに役に立つでしょうか。他の事もあります。いつも私たちの頭をこびり付いているもので、それは私の受ける苦しみと、私の辛い事と、私が受ける嫌な事です。いつも私たちの心には、この心を重くするような辛い、悲しい、嫌な、あるいは反対、困難、問題などがあります。
小野田神父の睡眠時間を、実は私は奪いました。なぜかというと、今朝2時に羽田空港に到着したからです。ですからきっと、今朝目覚ましが鳴って起きる時に、「あぁ、疲れた…」と思ったかもしれません。「あぁ、今日は疲れたから、もうちょっと長く寝よう。他の人はちょっとミサが遅れても待ってるよ。」でもそうではなくて、「いや、時間通りに起きて、そのそれを捧げよう。そうしたら功徳になる。」もちろん皆さんを待たせる事はできないので、ちゃんと起きました。しかし起きてきたにも関わらず、顔は何か嫌な顔をして、あくびもたくさん頻繁にしてきました。「あぁ神父様、おはようございます。元気ですか?」「疲れた。」そして御説教の時に、「皆さん、1つの事を言わして下さい。疲れています。」
私たちはよく、たったちょっとしたつまらない問題を大問題であるかのように考えて、そしてこれをその顔にも表して、表情にも表して、何か態度にも表します。そしてこの小さな事によって、もう私たちは気を落としたり、あるいはデプレッションになったり、憂鬱になったり、そしてもう落胆したりします。何日も何日も、その小さな事を考えています。そしてこの為に家族の平和も乱したり。しかし、その小さいちょっとした問題も大問題にする事なく捧げたら、霊魂の救霊の為に捧げたら、イエズス様に御捧げしたら、それは大きな喜びに変わります。
祈りと犠牲は、これをこの価値を知れば、このこれを実行すると、私たちの人生は変わります。この2つは、祈りと犠牲は、マリア様の御恵みをたくさん運ぶパイプラインであって、運河です。もしも頭痛がしたら、辛い事があっても、頭痛があっても、それを霊魂の救霊の為に御捧げするならば、100名、200名以上の霊魂たちが救われているに違いありません。
天国に行くか行かないか、救霊を全うする事ができるかできないか、これこそが一番の問題です。私たちは毎日この事を理解しなければなりません。この「救霊がどれほど大切か」という事を理解しなければなりませんが、しかしこれこそ、私たちがすぐに忘れてしまう事です。ですからこの事を固定しなければなりません。この一番重要な問題について、もうガッチリと固めなければなりません。
皆さんはマリア様の道具となりたいと思いませんか?救霊の為に何かしたいと思いませんか?もちろんしたいです。もしもそうであれば、皆さんはっきりと、「マリア様、私を御身の道具として下さい」と仰って下さい。もしもそう仰れば、マリア様は皆さんを道具して使う事がおできになります。すると、皆さんは隣人を本当に愛する事ができるようになります。
ですからコルベ神父様は、「この奉献の祈りによって始めなさい」と教えています。この今手元にあるのは、コルベ神父様が考えて自分で作った文章ですけれども、「マリア様の道具として自分を使って下さい。そしてそうする事によって、自分の霊魂も救う事ができますし、隣人の霊魂も救う。そしてそうする事によって遂に、隣人愛を行なう事ができる」という文章です。この「道具になる」という事を、コルベ神父様は「聖母の騎士になる」と名前を付けました。
そしてこの騎士たちは、マリア様の軍隊に入るものです。なぜかというと、その軍隊は、「明日どうなろうとあれ、今日、マリア様の道具として働く」という事を目指す人々であるからです。
しるしとして、皆さんが忘れないように、この道具という事を忘れないように、皆さんがいつも不思議のメダイを身に付けている、という事をお望みです。そこでこの入会式では、聖母の騎士の入会式では、不思議のメダイの着衣式があります。リュドバックの御出現でマリア様がお願いしたのですけれども、コルベ神父様もやはりこれを身に付けるように求めています。
そして1日に少なくとも1回、この不思議のメダイを与えた時にマリア様が「このお祈りをしなさい」と言った射祷を、1回だけ唱える事を御望みです。これを戦いの精神で、コルベ神父様の言葉によれば「戦闘の精神」で唱える事を求められています。この射祷を、戦いの精神で以て言う事を求めています。
そしてこの戦いの精神という事は、この射祷にもう少し言葉を付け加える事によって、その戦いの精神がどのようなものか、という事が表明されます。そしてどのような祈りかというと、「御身に依り頼まざる者、あなたにお願いしない人々の為にもお祈り下さい」とお祈りするからです。
では、マリア様にお祈りしない人とは誰でしょうか?誰がマリア様にお祈りするのを拒否するのでしょうか?それは、マリア様を知らないか、知っていても軽蔑するか、あるいはマリア様の偽物しか知らないか、間違った事しか知らないか、そして更にもっと正確に、そのマリア様の「敵」について描写をします、「特に、フリーメイソンの会員の為に」なぜかというと、その天主の敵の力として、その陰に隠れているからです。
そのようなお祈りというのは、霊的な銃として、私たちは撃ち始めます。そして教会の敵、フリーメイソン、そういう教会を破壊しようとする人々の心に、この祈りを撃ち付けます。たくさんそのようなお祈りを撃ちます。そうしたら、そのような弾を受けた霊魂は、最後には回心しますし、もしもそうしなかったとしたら、その弾は別の霊魂に行きます。その私たちの弾は必ず当たります。最も大切なのは、私が彼らの回心を見た、私は見るという、私ではなくて、彼らが天国に行く、世の人生の終わりに救われる、という事です。私がその回心を見るか見ないか、証人となるかならないかは関係ありません。全くマリア様に委ねて下さい。マリア様はそうすれば、マリア様は働く事ができます。
でもマリア様は、そのような騎士たちの奇跡的な、霊的な働きの成果を知らせてくれます。この私たちの小さなカトリックの聖伝の運動の中で、マリア様がどれほどの事をなさっているかというのは、奇跡的です。聖母の騎士には雑誌があります。世界中で10万名の会員を持っているこの聖伝の聖母の騎士会で、どれほどの奇跡的な出来事があるかという事が、そこに記されています。
つい最近では、ニカラグアの司教様たちも、聖伝の聖母の騎士会をニカラグアに創立して欲しいと頼まれました。ニカラグアというのは恐ろしい国です。聖母の愛という、非常に離れた司教区でも、マリア様の愛が働いています。司教様は私にこう言いました、「教会はこのような、人々の目を覚まさせるものが必要だ。ただ美しいお祈りを唱えて、行列をして、マリア様の御像に接吻をするだけではなくて、私たちの隣人の救いの為に活動する、そのようなグループが必要だ。私がこのマリア様のこのチラシを配り始めるや否や、プロテスタントに入ってしまうような人がストップした。他の司教区では何千何万の人々がプロテスタントに行ってしまうのですけれども、私の司教区では不思議のメダイを配って、そのチラシを配り始めた途端、プロテスタントの人がいなくなった。そして私の周りの司教区の司教様は、『一体どうやったらカトリックがプロテスタントにならないで済むのか?』という事で、『この司教区では誰一人もプロテスタントになった人がいない』という事で、皆嫉妬している」と言います。「私はこのただカトリックの霊魂を失わないのみならず、カトリックの霊魂を勝ち取る為に、この軍隊が必要です。」
そこで、12月12日に司教様ご自身が、この聖母の騎士会の入会式の司式をしました。その直後、聖母の騎士会のその責任者が私に連絡してきました、「神父様、30年間起こった事がない事が起こりました。プロテスタントが15名、カトリックに回心しました。このプロテスタントの人というのは、本当に気が狂ったような人たちだったのです。」
もしも皆さん、この東京にすぐに修道院が創立されるとしたら、それはマリア様のおかげです。もしも修道院の後に学校が、小学校ができるとしたら、それはマリア様のおかげです。その為には準備が必要です。多くの祈りと犠牲によって、何百万人の霊魂に御恵みの弾丸が染み通っていなければなりません。
私が今言った事は、皆さんあるいは理解できていないか、あるいは皆さんがこの教会を出て、「あぁ、シュテーリン神父様はいつものように素晴らしい話をしていましたね。…一体何の話だっけ?」あるいは今日そのマリア様の、「あぁ、マリア様はすごい!」マリア様の愛に燃えて家に帰るのですけれども、明日になるとケロッと忘れてしまう。ですからそういう事がないように、この軍隊に入会して下さい。そして皆さんの入会の登録の番号や、そしてEメールのアドレスなどを私に提出して下さい。そしたら私は、皆さんがいつも聖母の騎士のメンバーであるという事を思い出すように色々努力をします。
皆さん、私たちはどれほど弱い存在で、どれほど忘れっぽくて、それからどれほど多くのその他の仕事が待っているか、という事を知っています。ですから悪魔は今こう言っています、「おお、シュテーリンが話している。でもこの後で、話が終わればどんな事が起こるか、よく自分は分かっている。」皆さんの中でもう既に会員となった方がいます。あるいは今日会員となる方もいます。しかし私は知っています、皆さんのほとんどがまた眠りこけるでしょう。しかし私は皆さんを起こしに行きます。そしてこの聖母の騎士会は皆さんをいつも起こすように頑張ります。皆さん、私は指導司祭として皆さんにこうEメールを送りましたけれども、届きましたか?お読みになりましたか?
もしも皆さんお望みであれば、今からこの入会式を始めるのをさせて下さい。入会式はとても簡単です。まず“Veni Creator”を歌います。“Ave maris stella”も歌います。不思議のメダイを祝別します。そして今回入会する人は、この不思議のメダイを受けて下さい。今日司祭から不思議のメダイを受ける事によって、全贖宥を受ける事ができるようになります。その後で奉献の祈りを唱えます。英語と日本語があります、2つの言葉で祈ります。そして皆さんその時にこの入会申込書に必要な事項を記入して下さい、そして提出して下さい。そこで皆さんの住所やEメールのアドレスを私に教えて下さい。私にそして皆さんの所にメールを送るのを許して下さい。そして皆さんがその事を忘れないようにするのをさせて下さい。そして最後に、この証明書を受けて下さい。
義務は、不思議のメダイを身に付けて、1日少なくとも1回、そのお祈りを射祷を唱える事です。
では始めます。
「本当の隣人愛 隣人の救霊のために聖母の道具となる」
同時通訳:小野田圭志神父
隣人愛も難しいものですけれども、マリア様のおかげでできるようになります。
もしも私がマリア様に、自分を子供として奉献するならば、マリア様は私たちを教えてくれます。私たちが、「隣人を天主様がどのようにご覧になっているか」というように見る事ができるように教えてくれます。つまり私たちが今いつもしているような、非常に人間臭い、自然的なレベルではなくて、超自然の、救わなければならない霊魂として、そしてイエズス様の御血によって贖われたものとして、そしてマリア様の愛する子供として、見る事ができるようになります。
ではこの隣人の為に、私は一体何をする事ができるでしょうか?もしも隣人が罪の中や、あるいは誤りの中にいるならば、回心の御恵みを必要としています。でも私は御恵みを作り上げる事はできません。回心の後には、次のステップに、聖化の御恵みも必要です。天主様にますます近付く事ができますように、でもその御恵みを作り出す事はできません。私は全く無力です。
でもどのようにしたら良いか、という事をイエズス様は教えてくれます。イエズス様は、「隣人を愛せ」と命令しました。私たちはただ「不可能だ」と言う事だけはできません。人間的に言えばちょっと難しくて、不可能のように思えますけれども、「イエズス様、もしもそのような目標を、究極点を与えて下さったならば、それに辿る道も教えて下さい。」
隣人愛をする事ができる為の秘訣は、「道具となる」事です。隣人愛というのはつまり、隣人の回心、隣人の聖化です。そしてこの御恵みを全てマリア様に、イエズス様は与えました。そしてマリア様はこの御恵みを、その御自分の全ての子供たちに与えようと望んでいます。どうやって?
マリア様は天主の掟に従います。天主の定めというのは、「この世で何か働く時には、常に天主は道具を使う」という事です。天主はただ、アダムとエヴァだけを御自分が直接創りましたけれども、その他の全ての人間は、私たちの両親を通して生み出しました。宗教の世界も同様です。イエズス様は十字架の上で、最高司祭として亡くなりました。イエズス様だけが唯一の司祭です。しかし昇天された後には、御自分のカトリック司祭を通して、御自分の御恵みを与えようとしています、道具として。
マリア様は人々に対する全ての御恵みを持っているのですけれども、その御恵みを与える事ができるのは、道具があればこそ、なければ与える事ができません。マリア様の、汚れなきマリア様の道具となるという事は、御恵みの宝庫であるマリア様から霊魂、御恵みを必要とする霊魂に、それのパイプラインを、あるいは運河を作る事です。ではこのような道具は誰でしょうか?
カトリック信者です。なぜかというと、イエズス様が、「私が愛したように愛せよ」と命令したからです。「隣人を愛する」という事はつまり「最高の善を与える」という事に、カトリック信者の大きな役割があります。マリア様の汚れなき御心から、愛する隣人の心に御恵みを渡す事です。
ですから皆さん、ご理解できましたでしょうか?コルベ神父様にとって、「道具」というのはキーワードです。皆さんそれが理解できると、一体私たちの、自分のこの世における役割という事が、一体自分は何なのか、という事が理解できるはずです。これはどのような状況にも適用させる事ができます。全て価値のある事、良い事は、道具としてなさって下さい。
ここに多くのお父様とお母様たちがいらっしゃいます。家族の生活の成功の鍵はどこにあるか知っていますか?皆さんが、お父さんとお母さんが、ご自身が、主要な運動者、主要な要人だと考えないで下さい。自分の事を単なる道具だと考えて下さい。「マリア様こそが、皆さんの家庭の本当のお母様である」という事を、「自分はその道具である」と考えて下さい。よく私たちはどうしたら良いか分かりません。この子供の教育の為にこれを決定する、あるいは決定しない、あるいはこの程度厳しくする、この程度優しくする。現在夫婦の間で愛を育てるのはますます難しくなっています。でも私たち自身を道具として考えると、「私は他の方の奉仕の為にある」という事になります。つまり「本当の主人、本当のボスの奉仕者として、使いとして居る」という事になります。
例えば教会では、「イエズス様の聖心の着座式」というものがあります。イエズスの至聖なる聖心が家庭の本当の王であって、私たちはその代理者である、お父さんとお母さんは代理者である、そして着座式をする事によって、「家庭の本当の権威はイエズス様にあって、そして自分はイエズス様に権威を委ねる」という事になります。これを奉献式において行ないます。
また家庭においては、お父さんの権威も大切ですけれども、お母さんの役割も非常に大切です。母親はお父さんよりももっと自分の権威を、いわばそれを譲って、マリア様に譲って、そしてそのマリア様の代理者として行動しなければなりません。
この事を考えると、「聖母の騎士会」というのがどれほど多くの状況に適用している事ができるか、という事が分かります。天主の御旨に従って、つまり「マリア様を通して隣人を愛する」という事を教えています。
マリア様は私たちの仕事をやめろと言うのではなくて、その反対に、日常の多くの様々な仕事をするのですけれども、それに刻印を打って、そして判子を押して、つまり「隣人愛の為」という判子を押して、マリア様の道具として日常生活を奉献する、という事を教えています。
聖テレジアは教えています、「私たちは愛によって裁かれる。愛したかどうかによって裁かれる。」もしも私たちの隣人に対する関係が、友情関係が、超自然の、救霊・霊魂を救うという事に導かれていなければ、この事と関係がなければ、全く意味が無くなってしまいます。
これが、1917年以降コルベ神父様が体験した事でした。つまりそれ以後、霊魂の救いの為に何かしようとするや否や、霊魂の救いの敵が攻撃をし出しました。もしもコルベ神父様が、親切で優しいというだけでしたら、何の問題もありませんでした。しかし一旦、「霊魂を救おう」と、「悪魔の手から、その囚人たち、霊魂たちを解放させよう」とすると、悪魔は非常に怒り狂って、コルベ神父様に攻撃を、総攻撃を仕掛けました。
「隣人愛」というのは、単なる観光旅行ではなくて「戦い」です。しかしマリア様が下さる手段を使うならば、敵がどれほど多くても、力があっても、霊魂の為に救霊の為に、何かをする事ができます。戦う事ができます。
ファチマでもその他の所でも、マリア様は言いました、「祈り、犠牲を捧げなさい。」
もしも何かこの世の事についてコメントをするとしたら、普通どんな事を言いますか?
「あぁ、この人好きだ」「この人嫌いだ」「この人いいね」「この人ちょっと気分悪いよ」と私たちはよく言います、コメントをします。そのコメントをする時に皆さんの顔を見ると、その表情を見ると、表情だけで何を考えているのか分かります。笑ったり怒ったりしています。たとえ皆さんが顔の表情を変えなかったとしても、天主様は何があるか知っています。しかし私たちがこの隣人についてそのようなコメントをするかしないかによって、別に隣人が良くなったり救われたり、あるいは私自身が良くなったり救われたり、という事とは関係ありません。
そうではなくて、隣人に対する「コメント」を「祈り」に変えてはどうでしょうか?電車に乗って、「横の人、臭いな」その代わりに、「イエズス様、マリア様、愛しています。この臭い霊魂を救って下さい」と祈るのはどうでしょうか?もしも電車の中でこう「トサカのようなヘアで、それで赤・黄・緑、何だこれ、信号かな」と「この頃の若者はちょっとクレイジーだ」と、このような霊魂は御恵みが必要なのです。ですから皆さんのお祈りが必要なのです。
聖ドン・ボスコは、ボローニャの駅で電車を待っていました。すると向こうで、天主に対する冒瀆をする男がいました。電車がちょうどその時に来たので、聖ヨハネ・ボスコは電車に乗って、この冒瀆を吐いた男の為に祈っていました。同じ所にいた人は、「この男は何だ、おかしいな、ちょっと気が狂っている」というコメントをした人々でしたけれども、ドン・ボスコは黙ってこの霊魂の為に祈りました。
ところで、電車に乗った後すっかりその事を忘れてしまった聖ドン・ボスコは、3ヶ月の後に、その男が夢に現れたのです、それを見ました。すると彼の言うには、「自分はその後、事故に遭って死んだ。そして裁きを受けた。でもその死ぬその直前に回心の恵みを受けた。なぜならば、3ヶ月前にあなたが私の為に祈ってくれたので、そのお祈りのおかげで、特別の回心の御恵みを受けた。だから今天国で救われている。ありがとう。」
私たちは、このたった1回の射祷にどれほど価値があるかを、実はよく分かっていません。
マリア様はファチマでも同じ事をお願いしました。ジャシンタちゃんは10歳で亡くなりました。10歳、何ができるでしょうか。ところで列聖調査の時に、列聖調査を調べる厳しい神学者たちが、その10歳で亡くなったジャシンタを見て、その生活を見て、「この女の子は、祈りと犠牲を以って、その当時働いていた全ての宣教師たちの仕事を合わせたよりも、もっと霊魂の救いの為に働いた」と言いました。
私たちが日頃、頭の中で考える下らない思い、つまらない考えの半分を、射祷に変えたら、どれほど大きな御恵みと霊魂の救いに役に立つでしょうか。他の事もあります。いつも私たちの頭をこびり付いているもので、それは私の受ける苦しみと、私の辛い事と、私が受ける嫌な事です。いつも私たちの心には、この心を重くするような辛い、悲しい、嫌な、あるいは反対、困難、問題などがあります。
小野田神父の睡眠時間を、実は私は奪いました。なぜかというと、今朝2時に羽田空港に到着したからです。ですからきっと、今朝目覚ましが鳴って起きる時に、「あぁ、疲れた…」と思ったかもしれません。「あぁ、今日は疲れたから、もうちょっと長く寝よう。他の人はちょっとミサが遅れても待ってるよ。」でもそうではなくて、「いや、時間通りに起きて、そのそれを捧げよう。そうしたら功徳になる。」もちろん皆さんを待たせる事はできないので、ちゃんと起きました。しかし起きてきたにも関わらず、顔は何か嫌な顔をして、あくびもたくさん頻繁にしてきました。「あぁ神父様、おはようございます。元気ですか?」「疲れた。」そして御説教の時に、「皆さん、1つの事を言わして下さい。疲れています。」
私たちはよく、たったちょっとしたつまらない問題を大問題であるかのように考えて、そしてこれをその顔にも表して、表情にも表して、何か態度にも表します。そしてこの小さな事によって、もう私たちは気を落としたり、あるいはデプレッションになったり、憂鬱になったり、そしてもう落胆したりします。何日も何日も、その小さな事を考えています。そしてこの為に家族の平和も乱したり。しかし、その小さいちょっとした問題も大問題にする事なく捧げたら、霊魂の救霊の為に捧げたら、イエズス様に御捧げしたら、それは大きな喜びに変わります。
祈りと犠牲は、これをこの価値を知れば、このこれを実行すると、私たちの人生は変わります。この2つは、祈りと犠牲は、マリア様の御恵みをたくさん運ぶパイプラインであって、運河です。もしも頭痛がしたら、辛い事があっても、頭痛があっても、それを霊魂の救霊の為に御捧げするならば、100名、200名以上の霊魂たちが救われているに違いありません。
天国に行くか行かないか、救霊を全うする事ができるかできないか、これこそが一番の問題です。私たちは毎日この事を理解しなければなりません。この「救霊がどれほど大切か」という事を理解しなければなりませんが、しかしこれこそ、私たちがすぐに忘れてしまう事です。ですからこの事を固定しなければなりません。この一番重要な問題について、もうガッチリと固めなければなりません。
皆さんはマリア様の道具となりたいと思いませんか?救霊の為に何かしたいと思いませんか?もちろんしたいです。もしもそうであれば、皆さんはっきりと、「マリア様、私を御身の道具として下さい」と仰って下さい。もしもそう仰れば、マリア様は皆さんを道具して使う事がおできになります。すると、皆さんは隣人を本当に愛する事ができるようになります。
ですからコルベ神父様は、「この奉献の祈りによって始めなさい」と教えています。この今手元にあるのは、コルベ神父様が考えて自分で作った文章ですけれども、「マリア様の道具として自分を使って下さい。そしてそうする事によって、自分の霊魂も救う事ができますし、隣人の霊魂も救う。そしてそうする事によって遂に、隣人愛を行なう事ができる」という文章です。この「道具になる」という事を、コルベ神父様は「聖母の騎士になる」と名前を付けました。
そしてこの騎士たちは、マリア様の軍隊に入るものです。なぜかというと、その軍隊は、「明日どうなろうとあれ、今日、マリア様の道具として働く」という事を目指す人々であるからです。
しるしとして、皆さんが忘れないように、この道具という事を忘れないように、皆さんがいつも不思議のメダイを身に付けている、という事をお望みです。そこでこの入会式では、聖母の騎士の入会式では、不思議のメダイの着衣式があります。リュドバックの御出現でマリア様がお願いしたのですけれども、コルベ神父様もやはりこれを身に付けるように求めています。
そして1日に少なくとも1回、この不思議のメダイを与えた時にマリア様が「このお祈りをしなさい」と言った射祷を、1回だけ唱える事を御望みです。これを戦いの精神で、コルベ神父様の言葉によれば「戦闘の精神」で唱える事を求められています。この射祷を、戦いの精神で以て言う事を求めています。
そしてこの戦いの精神という事は、この射祷にもう少し言葉を付け加える事によって、その戦いの精神がどのようなものか、という事が表明されます。そしてどのような祈りかというと、「御身に依り頼まざる者、あなたにお願いしない人々の為にもお祈り下さい」とお祈りするからです。
では、マリア様にお祈りしない人とは誰でしょうか?誰がマリア様にお祈りするのを拒否するのでしょうか?それは、マリア様を知らないか、知っていても軽蔑するか、あるいはマリア様の偽物しか知らないか、間違った事しか知らないか、そして更にもっと正確に、そのマリア様の「敵」について描写をします、「特に、フリーメイソンの会員の為に」なぜかというと、その天主の敵の力として、その陰に隠れているからです。
そのようなお祈りというのは、霊的な銃として、私たちは撃ち始めます。そして教会の敵、フリーメイソン、そういう教会を破壊しようとする人々の心に、この祈りを撃ち付けます。たくさんそのようなお祈りを撃ちます。そうしたら、そのような弾を受けた霊魂は、最後には回心しますし、もしもそうしなかったとしたら、その弾は別の霊魂に行きます。その私たちの弾は必ず当たります。最も大切なのは、私が彼らの回心を見た、私は見るという、私ではなくて、彼らが天国に行く、世の人生の終わりに救われる、という事です。私がその回心を見るか見ないか、証人となるかならないかは関係ありません。全くマリア様に委ねて下さい。マリア様はそうすれば、マリア様は働く事ができます。
でもマリア様は、そのような騎士たちの奇跡的な、霊的な働きの成果を知らせてくれます。この私たちの小さなカトリックの聖伝の運動の中で、マリア様がどれほどの事をなさっているかというのは、奇跡的です。聖母の騎士には雑誌があります。世界中で10万名の会員を持っているこの聖伝の聖母の騎士会で、どれほどの奇跡的な出来事があるかという事が、そこに記されています。
つい最近では、ニカラグアの司教様たちも、聖伝の聖母の騎士会をニカラグアに創立して欲しいと頼まれました。ニカラグアというのは恐ろしい国です。聖母の愛という、非常に離れた司教区でも、マリア様の愛が働いています。司教様は私にこう言いました、「教会はこのような、人々の目を覚まさせるものが必要だ。ただ美しいお祈りを唱えて、行列をして、マリア様の御像に接吻をするだけではなくて、私たちの隣人の救いの為に活動する、そのようなグループが必要だ。私がこのマリア様のこのチラシを配り始めるや否や、プロテスタントに入ってしまうような人がストップした。他の司教区では何千何万の人々がプロテスタントに行ってしまうのですけれども、私の司教区では不思議のメダイを配って、そのチラシを配り始めた途端、プロテスタントの人がいなくなった。そして私の周りの司教区の司教様は、『一体どうやったらカトリックがプロテスタントにならないで済むのか?』という事で、『この司教区では誰一人もプロテスタントになった人がいない』という事で、皆嫉妬している」と言います。「私はこのただカトリックの霊魂を失わないのみならず、カトリックの霊魂を勝ち取る為に、この軍隊が必要です。」
そこで、12月12日に司教様ご自身が、この聖母の騎士会の入会式の司式をしました。その直後、聖母の騎士会のその責任者が私に連絡してきました、「神父様、30年間起こった事がない事が起こりました。プロテスタントが15名、カトリックに回心しました。このプロテスタントの人というのは、本当に気が狂ったような人たちだったのです。」
もしも皆さん、この東京にすぐに修道院が創立されるとしたら、それはマリア様のおかげです。もしも修道院の後に学校が、小学校ができるとしたら、それはマリア様のおかげです。その為には準備が必要です。多くの祈りと犠牲によって、何百万人の霊魂に御恵みの弾丸が染み通っていなければなりません。
私が今言った事は、皆さんあるいは理解できていないか、あるいは皆さんがこの教会を出て、「あぁ、シュテーリン神父様はいつものように素晴らしい話をしていましたね。…一体何の話だっけ?」あるいは今日そのマリア様の、「あぁ、マリア様はすごい!」マリア様の愛に燃えて家に帰るのですけれども、明日になるとケロッと忘れてしまう。ですからそういう事がないように、この軍隊に入会して下さい。そして皆さんの入会の登録の番号や、そしてEメールのアドレスなどを私に提出して下さい。そしたら私は、皆さんがいつも聖母の騎士のメンバーであるという事を思い出すように色々努力をします。
皆さん、私たちはどれほど弱い存在で、どれほど忘れっぽくて、それからどれほど多くのその他の仕事が待っているか、という事を知っています。ですから悪魔は今こう言っています、「おお、シュテーリンが話している。でもこの後で、話が終わればどんな事が起こるか、よく自分は分かっている。」皆さんの中でもう既に会員となった方がいます。あるいは今日会員となる方もいます。しかし私は知っています、皆さんのほとんどがまた眠りこけるでしょう。しかし私は皆さんを起こしに行きます。そしてこの聖母の騎士会は皆さんをいつも起こすように頑張ります。皆さん、私は指導司祭として皆さんにこうEメールを送りましたけれども、届きましたか?お読みになりましたか?
もしも皆さんお望みであれば、今からこの入会式を始めるのをさせて下さい。入会式はとても簡単です。まず“Veni Creator”を歌います。“Ave maris stella”も歌います。不思議のメダイを祝別します。そして今回入会する人は、この不思議のメダイを受けて下さい。今日司祭から不思議のメダイを受ける事によって、全贖宥を受ける事ができるようになります。その後で奉献の祈りを唱えます。英語と日本語があります、2つの言葉で祈ります。そして皆さんその時にこの入会申込書に必要な事項を記入して下さい、そして提出して下さい。そこで皆さんの住所やEメールのアドレスを私に教えて下さい。私にそして皆さんの所にメールを送るのを許して下さい。そして皆さんがその事を忘れないようにするのをさせて下さい。そして最後に、この証明書を受けて下さい。
義務は、不思議のメダイを身に付けて、1日少なくとも1回、そのお祈りを射祷を唱える事です。
では始めます。