アヴェ・マリア・インマクラータ!
2019年5月2日(初木)秋田巡礼 聖マリアの七つの御悲しみの随意ミサ
小野田神父 説教
「次に、弟子にこう言った、『汝の母を見よ』。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、巡礼者の皆さん、今日は秋田のマリア様を崇敬して、悲しみのマリア様の随意ミサを行なっています。9月15日のミサです。
今日この御ミサでは、マリア様の涙、その意味を黙想して、そして私たちに一体何を求められているか、という事を黙想しましょう。
そして最後に遷善の決心を立てましょう、この黙想会をどのように、この巡礼をどのように過ごしたら良いか、の決心を。
マリア様は、単なるイエズス様の信者の内の一人ではありません。天主の御旨によって特別に選ばれた、イエズス様と最も一致して、第二のエヴァとして、私たち人類の救いの為に、イエズス様と共に贖いの業を達成すべき選ばれた方です。
「第二のエヴァ」という事は、「私たちの、天主の御恵みの命において私たちを生み出す母となる、全て贖われた人々の母となる方」という意味です。その為に、私たちを贖う為に、イエズス様と共にマリア様は苦しみを受けました。
イエズス様は御血を流されましたけれども、マリア様は苦しみの涙を流されました。マリア様の苦しみは、贖いの、イエズス様と共に私たちを贖う苦しみでした。マリア様は十字架の下で、その贖いの業の意味をよくご存知でした。
そこで私たちの為に、救霊の、全人類の贖いの為に、イエズス様と共にそれを、自分の苦しみを捧げておられました。そこでそれを確認するかのようになった言葉が、「汝の子供を見よ。“Ecce filius tuus.”」聖ヨハネを通して、全ての人々はマリア様の子供として宣言されました。
そしてヨハネにも言いました、「汝の母を見よ。“Ecce mater tua.”」
聖ヨハネを通して、イエズス様は今でも十字架の上から、2000年前の十字架の声を、ミサを通して響かせています、「汝の母を見よ。」
マリア様は、私たちに超自然の命を与える本当の母となりました。ただ母親のような存在だけではありません。マリア様を通して、マリア様を母として、私たちは超自然の命に、天国に行く為の命が与えられました。
これがカトリックの教えです。「汝の母を見よ。」
ところで、マリア様は、この私たちがイエズス・キリストの贖いの業を無駄にしているのをご覧になって、イエズス・キリストの愛の御業が無にされているのを見て、同時に悲しみの涙を流されています。天使が最初にメッセージで、マリア様の涙の苦しみの意味を話した時に、その事を言及しました、「一人でも多くの人々が、マリア様を通して、イエズス様と聖父に捧げられるのを待っている。その為の涙だ。」
では、私たちは一体どのような事が要求されているのでしょうか?
私たちは、マリア様を母として、超自然の母としてこれを認めて、そしてイエズス様とマリア様がなさった御業の、贖いの業に協力する事です。
どうして協力したら良いでしょうか?
それは、「イエズス様とマリア様の苦しみに、私たちの苦しみを添えてマリア様を通して捧げる」事です。私たちの日常の生活の苦しみは全て、超自然の意味がある、という事を自覚して、それを捧げる事です。特に「多くの霊魂の回心の為に祈る」事です。それをマリア様が望んでおります。
「この世の人々は聖父を悲しませている。罪を以て悲しませている。もしもこれ以上罪が続くならば、罪の赦しが無くなってしまうだろう。私は御子と共に、聖父を慰める霊魂を、祈りと犠牲を以て慰める霊魂を求めている。」これが、マリア様が涙を流して訴える、私たちへの呼びかけです。
今日、5月2日は聖アタナシオの祝日でもあります。聖アタナシオはまさに、『アタナシオ信経』と言われる聖三位一体の信経を唱えた方でもあり、また「イエズス・キリストこそが真に天主の子である。天の聖父と同一実体である(この「実体」というのは「本質」という意味で、「天主聖父と同じ本質を持つ」という意味ですけれども)のである。聖父と聖子は全く同一の天主である」という事を、ニケア公会議の宣言を、信仰宣言を強く最後まで訴えた方です。
アレキサンドリアの司教であり、そして46年間、その司教をお持ちの間、30年間これの為に苦しみました。しかしこれによって、「イエズス様こそ、真の私たちの救い主である」という事の信仰を保った方です。
聖アタナシウスの御取り次ぎを願いましょう。私たちがイエズス様とマリア様の贖いの業に協力して、マリア様を通して、私たちの苦しみを捧げる事によって、祈りを捧げる事によって、多くの人が真の天主、天主聖父と同一の天主であるイエズス・キリストに導かれますように、この巡礼をお捧げ致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
2019年5月2日(初木)秋田巡礼 聖マリアの七つの御悲しみの随意ミサ
小野田神父 説教
「次に、弟子にこう言った、『汝の母を見よ』。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、巡礼者の皆さん、今日は秋田のマリア様を崇敬して、悲しみのマリア様の随意ミサを行なっています。9月15日のミサです。
今日この御ミサでは、マリア様の涙、その意味を黙想して、そして私たちに一体何を求められているか、という事を黙想しましょう。
そして最後に遷善の決心を立てましょう、この黙想会をどのように、この巡礼をどのように過ごしたら良いか、の決心を。
マリア様は、単なるイエズス様の信者の内の一人ではありません。天主の御旨によって特別に選ばれた、イエズス様と最も一致して、第二のエヴァとして、私たち人類の救いの為に、イエズス様と共に贖いの業を達成すべき選ばれた方です。
「第二のエヴァ」という事は、「私たちの、天主の御恵みの命において私たちを生み出す母となる、全て贖われた人々の母となる方」という意味です。その為に、私たちを贖う為に、イエズス様と共にマリア様は苦しみを受けました。
イエズス様は御血を流されましたけれども、マリア様は苦しみの涙を流されました。マリア様の苦しみは、贖いの、イエズス様と共に私たちを贖う苦しみでした。マリア様は十字架の下で、その贖いの業の意味をよくご存知でした。
そこで私たちの為に、救霊の、全人類の贖いの為に、イエズス様と共にそれを、自分の苦しみを捧げておられました。そこでそれを確認するかのようになった言葉が、「汝の子供を見よ。“Ecce filius tuus.”」聖ヨハネを通して、全ての人々はマリア様の子供として宣言されました。
そしてヨハネにも言いました、「汝の母を見よ。“Ecce mater tua.”」
聖ヨハネを通して、イエズス様は今でも十字架の上から、2000年前の十字架の声を、ミサを通して響かせています、「汝の母を見よ。」
マリア様は、私たちに超自然の命を与える本当の母となりました。ただ母親のような存在だけではありません。マリア様を通して、マリア様を母として、私たちは超自然の命に、天国に行く為の命が与えられました。
これがカトリックの教えです。「汝の母を見よ。」
ところで、マリア様は、この私たちがイエズス・キリストの贖いの業を無駄にしているのをご覧になって、イエズス・キリストの愛の御業が無にされているのを見て、同時に悲しみの涙を流されています。天使が最初にメッセージで、マリア様の涙の苦しみの意味を話した時に、その事を言及しました、「一人でも多くの人々が、マリア様を通して、イエズス様と聖父に捧げられるのを待っている。その為の涙だ。」
では、私たちは一体どのような事が要求されているのでしょうか?
私たちは、マリア様を母として、超自然の母としてこれを認めて、そしてイエズス様とマリア様がなさった御業の、贖いの業に協力する事です。
どうして協力したら良いでしょうか?
それは、「イエズス様とマリア様の苦しみに、私たちの苦しみを添えてマリア様を通して捧げる」事です。私たちの日常の生活の苦しみは全て、超自然の意味がある、という事を自覚して、それを捧げる事です。特に「多くの霊魂の回心の為に祈る」事です。それをマリア様が望んでおります。
「この世の人々は聖父を悲しませている。罪を以て悲しませている。もしもこれ以上罪が続くならば、罪の赦しが無くなってしまうだろう。私は御子と共に、聖父を慰める霊魂を、祈りと犠牲を以て慰める霊魂を求めている。」これが、マリア様が涙を流して訴える、私たちへの呼びかけです。
今日、5月2日は聖アタナシオの祝日でもあります。聖アタナシオはまさに、『アタナシオ信経』と言われる聖三位一体の信経を唱えた方でもあり、また「イエズス・キリストこそが真に天主の子である。天の聖父と同一実体である(この「実体」というのは「本質」という意味で、「天主聖父と同じ本質を持つ」という意味ですけれども)のである。聖父と聖子は全く同一の天主である」という事を、ニケア公会議の宣言を、信仰宣言を強く最後まで訴えた方です。
アレキサンドリアの司教であり、そして46年間、その司教をお持ちの間、30年間これの為に苦しみました。しかしこれによって、「イエズス様こそ、真の私たちの救い主である」という事の信仰を保った方です。
聖アタナシウスの御取り次ぎを願いましょう。私たちがイエズス様とマリア様の贖いの業に協力して、マリア様を通して、私たちの苦しみを捧げる事によって、祈りを捧げる事によって、多くの人が真の天主、天主聖父と同一の天主であるイエズス・キリストに導かれますように、この巡礼をお捧げ致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。