2019年5月19日(主日)復活後第4主日のミサ 大阪
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年5月19日、主の御復活後第4主日のミサを捧げております。
今日もこの御ミサの後のいつもの感謝の祈りの後に、聖母行列があります。
今日は小さなお友達が来れなかったようなので、簡単なおやつはなしに、マリア様の聖母行列を行ないたいと思っています。
聖母行列の後、皆さんのお昼が終わった後に、アメリカでのシスター達にお見せした、簡単なミッションのスライドショーをお見せしたいと思っています。その他にも、いくつかのスライドを皆さんにお見せしたいなとも思っています。
その後で一緒に主日の晩課を唱えましょう。
明日は朝6時半からミサ聖祭があります
明後日の火曜日から、今週は毎日ミサがあります。夕方の18時からです。
土曜日はいつもの通り10時半ですが、来週の主日に夕方18時からミサがあります。
“Cantate Domino canticum novum, quia mirabilia fecit Dominus.”
「主に新しい歌を歌え。なぜなら主は、不思議な業を行なったから。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は主の御復活後第4主日で、公教会は既に、「主の復活された」という事から、「主が昇天されて、聖霊を私たちに送って下さる」という事の準備をさせようとしています。
そこで今日司祭が入場するやいなや、「主に新しい歌を歌おう」と歌います。
なぜかというと、新しい讃美の歌の理由は、「不思議な業を行なったからだ」と。
不思議な業とは何でしょうか?
聖霊の私たちに行なう業です。この世において、そしてカトリック教会において、主の真の教会において、そして私たちの霊魂において行なう不思議な業、「その為に私たちは、新しい歌を歌おう」とミサが始まりました。
⑴では教会の精神に従って、今日のミサで歌われている「不思議な業」について黙想してみます。
⑵その次に、特に私たちの霊魂に為される業を黙想して、
⑶次に最後に、では私たちは今日何をしたら良いのか?その遷善の決心を立てる事に致しましょう。
⑴第1に、教会はミサのテキストを以て、聖霊の真の働き、不思議な御業を説明します。
まず集祷文では、「私たちの、信徒の、信じる者の心を一つにまとめる。イエズス様が知られ、愛され、敬われ、そして私たちの霊魂が救われる、というその一つの事によって結ばれ、イエズス様が真の天主である、真の救い主である、イエズス様の教えにこそ救いがある、イエズス様の十字架にこそ私たちの命の復活がある、永遠の命がある、という事に、真理において一つにまとめる。」
ですから、「その聖霊の助けによって一つにまとまった私たちの心が、主が私たちに望む事を望ませる、約束された事を望ませるように」と願っています。
そして、「私たちがこの世の大海原、この世の色んな辛い事や悲しい事、事件だらけの大海原の中で、私が碇を天に上げて、イエズス様のいらっしゃる天にしっかりとくっ付いている事ができますように」と祈っています。これも聖霊の働きです。
聖パウロは聖霊の働きについて言います、「まず完璧な、最高の、最善の贈り物は、天からだ。つまり聖霊である。天主の賜物、聖霊である。私たちを光の子とする為に、光の天主から、光の聖父から来る」と言います。
「そして私たちを新たに生まれさせてくれる。私たちがいつも喜んでいる事ができるように、私たちの本当の幸せの為に、聖霊は私たちの心に、イエズス様の心を与えてくれる。」
「すると、この聖霊の働きによって私たちは、聞くに早く、熱心に、そして話すに遅く、そして怒るのも遅く、忍耐をもって、私たちが私たちの霊魂を救う事ができるものを受け入れる事ができるようにさせる。なぜかというと、人間の怒りには救いがないから。本当の正義は天主にある。本当の聖徳は天主から来る」と言っています。
私たちの中には、「きく」というとても美しい名前を持っている方がいらっしゃいますが、聖霊は私たちにこの事を促しています。
更にアレルヤ唱では、「天主の右の手は(つまり聖霊は)、私たちに勝利を与え、私たちを高める、私たちを導く、私たちを教える」と歌っています。
そうやって聖霊の働きについて準備をした後に、イエズス様が御口ずから、私たちに聖霊の事を言います、「私が、聖父の元に行く。そうする事をお前たちは今悲しんでいるけれども、お前たちにとっては良い事だ。なぜかというと、聖霊がお前たちに与えられる唯一の条件は、私が天の聖父の元に行く事であるから。しかし聖父と私はお前たちに、聖霊を送る、慰め主を送る。そして聖霊はこの世に対して、3つの事を教える、『罪』に対して、『正義』に対して義について、そして『裁き』について。」
「罪」というのは、「この世が、イエズス様を真の救い主として受け入れ、信じない事、イエズス・キリストの立てるその教会を受け入れない事」によって、この世は罪に定められています。
「義」について「正義」について、つまり「聖徳」についてとは、「唯一本当の聖徳、本物の聖なるもの、正義、義であるという事は、イエズス・キリストにのみある。その他にはあり得ない。なぜかというと、イエズス・キリストこそ、真の天主の聖子、天主聖父から遣わされた真の救い主、道・命・真理であるから。復活であるから。誰もイエズス・キリストの元を通らずには、天主聖父に行く事はできないから。イエズス・キリストこそ真の牧者、良き牧者であるから。」
そして聖霊は更に、イエズス・キリストにのみ正義、聖徳があるという事のみならず、「この世は、イエズス・キリストを受け入れない所は、滅びる裁きを既に受けている。イエズス・キリストを受け入れない所では、誤謬と、そして暗闇によって、どうしてもうまくいかない」と、「その事を聖霊が教えてくれる」と言います。
聖霊は、この世についてのみこれを教えるのではなくて、カトリック教会を通じても、それを教えます。教会の教導権を以てそれを教えます。不可謬の教導権を以て教えます。そして教会の、イエズス様の立てた秘跡について、秘跡を通して霊魂をこれを教えます。特に秘跡を通して、私たちの霊魂に働きかけます。
洗礼によって私たちは、聖霊の神殿となりました。
堅振を受ける事によって、イエズス・キリストの軍人となり、証人となりました。そして証し人となりました。
聖霊は、イエズス・キリストをマリア様の御胎内に宿す時に、イエズス様の御人性を造られましたが、それと同じく御聖体の聖変化にも、聖霊は働きかけます。御聖体はまさに、教会の中において、聖霊が働いて造られます。
あるいはイエズス様は復活の後に弟子に仰いました、「聖霊を受けよ。お前たちが赦す罪が全て赦され、赦されない罪は天国でも赦されない。」私たちが告解の秘跡を、悔悛の秘跡を受けるのも、聖霊の働きです。
こうやって私たちに聖霊は、秘跡を通しても、教会を通して働きかけようとします。そしてキリストの神秘体として一つにまとめようとします。
⑵では第2の点に、では私たちはどうしたら良いのでしょうか?この教会の精神に従って、聖霊を受ける準備をする、イエズス様の御昇天と聖霊降臨の準備を、どのようにしたら良いでしょうか?
あぁ、愛する兄弟の皆さん、聖霊は私たちの心に「来たい、来たい」と思っています。そしてイエズス様もその為に、秘跡を通じて聖霊を与えようとされました。教会の教えを通じて、聖霊の教える通りに、唯一の聖徳を、イエズス・キリストを与えようとしました。
しかし、時にはしばしば、非常に多くの場合、私たちの心は頑固で、聖霊を受け入れようとしません。聖霊からの導き、あるいは息吹を、促しを受け入れようとせず、耳を閉ざそうとしています。なぜかというと、私たちの罪の為です。私たちが「天主に仕える」と思いつつも、しかしイエズス様が御望みの、聖霊が御望みの通りに仕えるのではなくて、しばしば私たちの思いの通りに、天主こそが私に仕えるかのように思っているからです、行動してしまうからです。残念ながら。
残念ながら、シュテーリン神父様がよく仰る、例を挙げるのは、「例えば朝起きる時に、アラームの時に、スヌーズ機能を使う」と。「またちょっと後で、」「明日、」「後で、」「5分の後、後で、」「ちょっと待って、」あるいは、「これをやるけれども、でも自分のやりたいようにやる。」イエズス様の御望みのままにできない、罪の為にできない、自分の事でいっぱいだ、という事で、聖霊を受ける事ができないでいます。
私たちは熱くもなく、生ぬるく、そして優柔不断で、決心が付いていません。
⑶一体、私たちは最後に、どのようにではしたら良いでしょうか?聖霊を受ける為に、私たちはどのようにしたら良いでしょうか?
私たちにとって、このような惨めな弱い私たちにとって、イエズス様は聖霊のイコンを、聖霊の生ける生き写しを、私たちの母として下さいました。マリア様です。マリア様を通して、聖霊の浄配を通して、マリア様を通して、私たちに聖霊を送って下さるようにお祈り致しましょう。
私たちが受ける事ができない聖霊の息吹も、聖霊からの、「あぁ、そうだったのか。あぁ、こうすれば良かったのか。あぁ、今まで私は気が付かなかった。あぁ、そういう事だったのか。あぁ、聖霊の導きとはこうなのか。イエズス様の御望みはこうなのだ。私はこういう風にすれば良いのだ」という事が、今まで気が付かなかったような事も、私たちがもっと聖徳に前進する為に必要な事も、マリア様が私たちに取り次いで下さるはずです。
なぜかというと、マリア様こそが聖霊に、一切、「嫌だ!」「明日!」「ちょっと待って!」と仰らなかった方です。「はい。仰せの如く我になれかし。我は主の婢女なり。」いつもそう仰っていた方ですから、「御覧下さい、今、さあどうぞ。」
ですから今日特に、マリア様にお祈り致しましょう。私たちがマリア様に倣って、唯一の救い主である天主イエズス・キリストをますます愛する為に、聖霊の導きを充満に受ける事ができますように、更に私たちのみならず、自分のみならず、私たちの周りの方々、お友達や、仕事の同僚、この家の周りの隣人の方々、日本の全ての人々、世界中の全ての人々が、マリア様を通して、聖霊の導きを、光を、慰めを受ける事ができますように、そしてイエズス様を受ける事ができますように、特にこの今日の聖母行列でお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年5月19日、主の御復活後第4主日のミサを捧げております。
今日もこの御ミサの後のいつもの感謝の祈りの後に、聖母行列があります。
今日は小さなお友達が来れなかったようなので、簡単なおやつはなしに、マリア様の聖母行列を行ないたいと思っています。
聖母行列の後、皆さんのお昼が終わった後に、アメリカでのシスター達にお見せした、簡単なミッションのスライドショーをお見せしたいと思っています。その他にも、いくつかのスライドを皆さんにお見せしたいなとも思っています。
その後で一緒に主日の晩課を唱えましょう。
明日は朝6時半からミサ聖祭があります
明後日の火曜日から、今週は毎日ミサがあります。夕方の18時からです。
土曜日はいつもの通り10時半ですが、来週の主日に夕方18時からミサがあります。
“Cantate Domino canticum novum, quia mirabilia fecit Dominus.”
「主に新しい歌を歌え。なぜなら主は、不思議な業を行なったから。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は主の御復活後第4主日で、公教会は既に、「主の復活された」という事から、「主が昇天されて、聖霊を私たちに送って下さる」という事の準備をさせようとしています。
そこで今日司祭が入場するやいなや、「主に新しい歌を歌おう」と歌います。
なぜかというと、新しい讃美の歌の理由は、「不思議な業を行なったからだ」と。
不思議な業とは何でしょうか?
聖霊の私たちに行なう業です。この世において、そしてカトリック教会において、主の真の教会において、そして私たちの霊魂において行なう不思議な業、「その為に私たちは、新しい歌を歌おう」とミサが始まりました。
⑴では教会の精神に従って、今日のミサで歌われている「不思議な業」について黙想してみます。
⑵その次に、特に私たちの霊魂に為される業を黙想して、
⑶次に最後に、では私たちは今日何をしたら良いのか?その遷善の決心を立てる事に致しましょう。
⑴第1に、教会はミサのテキストを以て、聖霊の真の働き、不思議な御業を説明します。
まず集祷文では、「私たちの、信徒の、信じる者の心を一つにまとめる。イエズス様が知られ、愛され、敬われ、そして私たちの霊魂が救われる、というその一つの事によって結ばれ、イエズス様が真の天主である、真の救い主である、イエズス様の教えにこそ救いがある、イエズス様の十字架にこそ私たちの命の復活がある、永遠の命がある、という事に、真理において一つにまとめる。」
ですから、「その聖霊の助けによって一つにまとまった私たちの心が、主が私たちに望む事を望ませる、約束された事を望ませるように」と願っています。
そして、「私たちがこの世の大海原、この世の色んな辛い事や悲しい事、事件だらけの大海原の中で、私が碇を天に上げて、イエズス様のいらっしゃる天にしっかりとくっ付いている事ができますように」と祈っています。これも聖霊の働きです。
聖パウロは聖霊の働きについて言います、「まず完璧な、最高の、最善の贈り物は、天からだ。つまり聖霊である。天主の賜物、聖霊である。私たちを光の子とする為に、光の天主から、光の聖父から来る」と言います。
「そして私たちを新たに生まれさせてくれる。私たちがいつも喜んでいる事ができるように、私たちの本当の幸せの為に、聖霊は私たちの心に、イエズス様の心を与えてくれる。」
「すると、この聖霊の働きによって私たちは、聞くに早く、熱心に、そして話すに遅く、そして怒るのも遅く、忍耐をもって、私たちが私たちの霊魂を救う事ができるものを受け入れる事ができるようにさせる。なぜかというと、人間の怒りには救いがないから。本当の正義は天主にある。本当の聖徳は天主から来る」と言っています。
私たちの中には、「きく」というとても美しい名前を持っている方がいらっしゃいますが、聖霊は私たちにこの事を促しています。
更にアレルヤ唱では、「天主の右の手は(つまり聖霊は)、私たちに勝利を与え、私たちを高める、私たちを導く、私たちを教える」と歌っています。
そうやって聖霊の働きについて準備をした後に、イエズス様が御口ずから、私たちに聖霊の事を言います、「私が、聖父の元に行く。そうする事をお前たちは今悲しんでいるけれども、お前たちにとっては良い事だ。なぜかというと、聖霊がお前たちに与えられる唯一の条件は、私が天の聖父の元に行く事であるから。しかし聖父と私はお前たちに、聖霊を送る、慰め主を送る。そして聖霊はこの世に対して、3つの事を教える、『罪』に対して、『正義』に対して義について、そして『裁き』について。」
「罪」というのは、「この世が、イエズス様を真の救い主として受け入れ、信じない事、イエズス・キリストの立てるその教会を受け入れない事」によって、この世は罪に定められています。
「義」について「正義」について、つまり「聖徳」についてとは、「唯一本当の聖徳、本物の聖なるもの、正義、義であるという事は、イエズス・キリストにのみある。その他にはあり得ない。なぜかというと、イエズス・キリストこそ、真の天主の聖子、天主聖父から遣わされた真の救い主、道・命・真理であるから。復活であるから。誰もイエズス・キリストの元を通らずには、天主聖父に行く事はできないから。イエズス・キリストこそ真の牧者、良き牧者であるから。」
そして聖霊は更に、イエズス・キリストにのみ正義、聖徳があるという事のみならず、「この世は、イエズス・キリストを受け入れない所は、滅びる裁きを既に受けている。イエズス・キリストを受け入れない所では、誤謬と、そして暗闇によって、どうしてもうまくいかない」と、「その事を聖霊が教えてくれる」と言います。
聖霊は、この世についてのみこれを教えるのではなくて、カトリック教会を通じても、それを教えます。教会の教導権を以てそれを教えます。不可謬の教導権を以て教えます。そして教会の、イエズス様の立てた秘跡について、秘跡を通して霊魂をこれを教えます。特に秘跡を通して、私たちの霊魂に働きかけます。
洗礼によって私たちは、聖霊の神殿となりました。
堅振を受ける事によって、イエズス・キリストの軍人となり、証人となりました。そして証し人となりました。
聖霊は、イエズス・キリストをマリア様の御胎内に宿す時に、イエズス様の御人性を造られましたが、それと同じく御聖体の聖変化にも、聖霊は働きかけます。御聖体はまさに、教会の中において、聖霊が働いて造られます。
あるいはイエズス様は復活の後に弟子に仰いました、「聖霊を受けよ。お前たちが赦す罪が全て赦され、赦されない罪は天国でも赦されない。」私たちが告解の秘跡を、悔悛の秘跡を受けるのも、聖霊の働きです。
こうやって私たちに聖霊は、秘跡を通しても、教会を通して働きかけようとします。そしてキリストの神秘体として一つにまとめようとします。
⑵では第2の点に、では私たちはどうしたら良いのでしょうか?この教会の精神に従って、聖霊を受ける準備をする、イエズス様の御昇天と聖霊降臨の準備を、どのようにしたら良いでしょうか?
あぁ、愛する兄弟の皆さん、聖霊は私たちの心に「来たい、来たい」と思っています。そしてイエズス様もその為に、秘跡を通じて聖霊を与えようとされました。教会の教えを通じて、聖霊の教える通りに、唯一の聖徳を、イエズス・キリストを与えようとしました。
しかし、時にはしばしば、非常に多くの場合、私たちの心は頑固で、聖霊を受け入れようとしません。聖霊からの導き、あるいは息吹を、促しを受け入れようとせず、耳を閉ざそうとしています。なぜかというと、私たちの罪の為です。私たちが「天主に仕える」と思いつつも、しかしイエズス様が御望みの、聖霊が御望みの通りに仕えるのではなくて、しばしば私たちの思いの通りに、天主こそが私に仕えるかのように思っているからです、行動してしまうからです。残念ながら。
残念ながら、シュテーリン神父様がよく仰る、例を挙げるのは、「例えば朝起きる時に、アラームの時に、スヌーズ機能を使う」と。「またちょっと後で、」「明日、」「後で、」「5分の後、後で、」「ちょっと待って、」あるいは、「これをやるけれども、でも自分のやりたいようにやる。」イエズス様の御望みのままにできない、罪の為にできない、自分の事でいっぱいだ、という事で、聖霊を受ける事ができないでいます。
私たちは熱くもなく、生ぬるく、そして優柔不断で、決心が付いていません。
⑶一体、私たちは最後に、どのようにではしたら良いでしょうか?聖霊を受ける為に、私たちはどのようにしたら良いでしょうか?
私たちにとって、このような惨めな弱い私たちにとって、イエズス様は聖霊のイコンを、聖霊の生ける生き写しを、私たちの母として下さいました。マリア様です。マリア様を通して、聖霊の浄配を通して、マリア様を通して、私たちに聖霊を送って下さるようにお祈り致しましょう。
私たちが受ける事ができない聖霊の息吹も、聖霊からの、「あぁ、そうだったのか。あぁ、こうすれば良かったのか。あぁ、今まで私は気が付かなかった。あぁ、そういう事だったのか。あぁ、聖霊の導きとはこうなのか。イエズス様の御望みはこうなのだ。私はこういう風にすれば良いのだ」という事が、今まで気が付かなかったような事も、私たちがもっと聖徳に前進する為に必要な事も、マリア様が私たちに取り次いで下さるはずです。
なぜかというと、マリア様こそが聖霊に、一切、「嫌だ!」「明日!」「ちょっと待って!」と仰らなかった方です。「はい。仰せの如く我になれかし。我は主の婢女なり。」いつもそう仰っていた方ですから、「御覧下さい、今、さあどうぞ。」
ですから今日特に、マリア様にお祈り致しましょう。私たちがマリア様に倣って、唯一の救い主である天主イエズス・キリストをますます愛する為に、聖霊の導きを充満に受ける事ができますように、更に私たちのみならず、自分のみならず、私たちの周りの方々、お友達や、仕事の同僚、この家の周りの隣人の方々、日本の全ての人々、世界中の全ての人々が、マリア様を通して、聖霊の導きを、光を、慰めを受ける事ができますように、そしてイエズス様を受ける事ができますように、特にこの今日の聖母行列でお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。