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聖ピオ十世会 聖伝のミサ(トリエント・ミサ、旧典礼のミサ、ラテン語ミサ)の報告 SSPX Traditional Latin Mass in Japan

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

大阪ではいつもの通り聖伝のミサをささげることができました。土曜日には聖体降福式も行いました。学生たちが三人で侍者をしてくれました。ありがとう!おおきに!

東京では、御聖体の荘厳祭を行いました。日本では、御聖体が軽んじられ、その前でひざまづくことさえも事実上禁止されており、御聖体拝領もほぼひざまづいて口ですることはできません。そのような中で、少なくとも私たちは、御聖体をひざまづいて礼拝し、感謝し、償いを捧げようと努力しました。

東京では二人の生まれたばかりの赤ちゃんが洗礼を受けました。ペトロ君とパウロ君です。

東京では来る主日にもミサ聖祭があります。さらに7月7日の主日には別の二人の兄弟たちが洗礼を受ける予定です。お祈りください。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父様、感想を書きました。

ミサについて
この日の祝日の聖人であるノラの聖パウリノの生涯を、聖アンブロジオや聖アウグスティノと同時代人だったことや、聖アンブロジオと同じように政治的に統治する立場から改宗して地位を捨て、司祭、司教となり、人々のためにつくしたその生涯を黙想しました。

また遠くから若い人たちが来てくれて侍者をしてくれたことは、ミサに活気をもたらし、将来への希望も与えてくれました。デオ・グラチアス!

ブログの投稿について
小野田神父様、【霊魂らの救いは最高の法(新教会法典1752条)Salus animarum suprema lex. 「違法」とはどういうことか】という、素晴らしい投稿をしてくださって、ありがとうございます。

人間として生まれたからには、霊魂の救いがないならば失敗の人生です。
成功した人生とは、霊魂の救いを得ること、すなわち天の国を勝ち得た人生、聖三位一体と一つになることのできた人生のことです。

この霊魂の救いを得るために、ローマ・カトリック教会が存在しているのですから、全能永遠の天主なる私たちの主イエズス・キリストご自身であるご聖体の前にひざまずかないなど、まともな神経があれば考えられないことです。日本の伝統に従えば、土下座しなければならないはずです。

手による聖体拝領や聖体奉仕者の導入、聖体拝領用パテナの廃止など、ご聖体に対する敬意に欠ける材料には事欠きません。それどころか、私には冒涜しているとしか思えません。

新典礼が導入されて以来約50年にして、ここまで変わってしまったのですから、どこかで読んだ言い回しに似た表現を使えば、当時と今とを一度に見比べたとすれば、何も知らない普通の感覚の未信者でも、その変わりぶりに驚くことでしょう。これが2000年の伝統のある同じローマ・カトリック教会なのか、と。
まさに神父様がお書きになった、聖パウロの次の言葉が想起されます。
「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ」(ガラチア1:8)

聖パウロが「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ」と書いたからには、将来そのようなことが、教える側から起こされると見通していたのかもしれません。当時から誤謬を教える教師が現れていたようですが、この言葉はまさに現代の私たちに当てはまるのではないでしょうか。

どのような地位にある人であっても、使徒時代以来の教会の聖伝として、不可謬の教えとして受け継がれてきたことに反することを定める権利はないはずで、それを受け入れなくても、決して従順に反するのではありません。霊魂に害を与えることは、従順に受け入れる対象にはならないからです。それが分かっていたからこそ私たちは、引退教皇ベネディクト十六世が、トリエント・ミサ(聖伝のミサ)は決して廃止されておらず司祭なら誰でも自由に捧げることができるとした2007年の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」をお出しになる前から、安心して聖ピオ十世会の聖伝のミサにあずかってきたのです。

しかし、イエズス様がこのような悲惨なことが起こるのをお許しになっていることを考えると、ますます自らの信仰を固めることと、霊魂の救い=天の国を勝ち取ることを考えていない人々に信仰を伝えることに取り組まなければなりません。そのためには、イエズス様の聖心から来るすべての恵みの仲介者である聖母マリア様により頼むしかありません。

ああ原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身により頼み奉るわれらのために祈り給え。また御身により頼まざるすべての人々、特にフリーメーソン会員のため、また御身に委ねられしすべての人々のために祈り給え。聖マキシミリアノ・マリア・コルベ、われらのために祈り給え。


【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 23人(内、子供6人)
女: 32人(内、子供3人)
計: 55人(内、子供9人)

今日の洗礼式後のパーティーの参加者数:26人

【報告】
ブログにアップして下さった、ヴィクトール・パシクニック神父様のカトリック司祭への道のりの動画を拝見致しました。
言葉は分かりませんでしたが、神学校に入られて、着衣式から初ミサまでドキュメンタリーのように編集されていて素晴らしかったです。
動画だけでも、天主様の御摂理の美しさ、司祭職の美しさを感じる事ができたように思います。

マリア様が、その汚れなき御心に奉献する事を特別の要求されているロシアでの200年ぶりのカトリック司祭が、聖ピオ十世会の聖伝のカトリック司祭で、
そしてその方のロシアでの初ミサは、聖母の汚れなき御心の随意ミサが捧げられたというのも、マリア様が本当にロシアを愛していらっしゃって、ロシアの回心を心から御求めになっている表れのように感じました。

そのマリア様の御望みが1日も早く実現する日が来ますように、教皇様が全世界の司教様と一致して、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献して下さいますように、
また私たちの祖国日本の回心の為に、日本の司教様も一致してマリア様の汚れなき御心への日本の奉献の更新をして下さいますように、
私たちができる事を、マリア様の汚れなき御心への信心を、初土の信心を、初金の信心を、ロザリオを、祈りと犠牲を、日々御捧げしていく事ができますように!

遂にはマリア様の汚れなき御心の凱旋によって、天主三位一体の至聖なる御名が永遠に讃美せられますように!!

【報告】【東京】
Ave Maria Immaculta!

ご聖体の荘厳祭のごミサをありがとうございました。
ご聖体はカトリック信仰の中心、ご聖体のうちにまことに在しまし給うイエズス様を荘厳に礼拝させていただきましたことを、深く感謝申し上げます。

祭儀はご聖体降福式も行われいつもより少し長い時間でしたが、たくさんの信徒の方々と一緒に、心より礼拝させていただきました。

ご聖体は屠られたイエズス様というミサの生贄をあらわすということをお話しいただいて、ファチマで天使が子供たちにご聖体にたいして犯されている侮辱を償い礼拝するやり方で、この日はいつもよりもっと特別に熱心にご聖体の御前にて償いの祈りを捧げさせていただくことができたように思います。お導きをありがとうございます。

お説教で、ご聖体に対してどれほどの侮辱がなされているか償いをしなければならないこと、天主を信じない人の代わりに罪の赦しを願わなければならないことを、お話しいただきました。

また天使があらわれた時、『空中にご聖体とカリスがあらわれた』というのは、イエズス様が屠られている十字架の生贄の再現であるのがミサだ、カトリックの真理だということを示されたものだと、お話しいただきました。ミサとはイエズス様が御自分の御体と御血を人間の罪の償いのために捧げることにあり、この神秘を黙想することにある。という言葉も覚えて置かなければならない言葉だと思いました。

聖ピオ十世会が正式に認可された会憲には、聖ピオ十世会の霊性はミサ聖祭であり、ここに聖ピオ十世会の司祭の存在理由があるとのお話に、あらためて小野田神父様が聖ピオ十世会の司祭として東京でごミサを捧げてくださいますことに感謝致しました。

小野田神父様は、日本全体で正式に公式にミサの中での跪きと舌でのご聖体拝領を事実上禁止する発令が出された時に、それはおかしいと私にはっきりと言ってくださった唯一の司祭様でした。

ラテン語のトリエント・ミサを捧げることができて特別にそのミサを捧げてくださったその他の司祭様に直接自分たちの気持ちを訴えても、ひとことも何もおっしゃってはくださいませんでした。もちろん、所属する修道会の方針に決して反してはならないというお立場からであったことも理解いたしました。そしてなんとも哀しく無力感に陥ってしまいました。

そのような経緯を経てきているので、この伝統的な聖伝のミサという大切な宝がこれからも世界の各地の教会から消え去らないように尽力してくださるのは、やはり聖ピオ十世会の司祭様だと感じております。博物館にあるような死んでしまった文化的遺産としてなどではなく、生き生きとしている宝物の本物のミサを守ってくださることを、そしてこれからもきっと守り続けてくださると信じております。

このようなミサに与らせていただく値打ちもない者である私ですのに、お恵みによりこうしてこの上ない幸福に招いてくださいますことを天主さまに感謝申し上げます。

聖伝のミサを違法ミサだという人がいるとすれば、それは2000年近く捧げられてきているミサの中で行われているイエズス様の犠牲の生贄を否定していることになると思います。それは、もう一度イエズス様がなさったことを有罪に決めつけるようなことかなと思います。

(カトリック教会の中心はミサでもあるので)本当のミサが有罪判決を受け、死刑にしろ!死刑にしろ!殺せ無くせとユダヤ人が冒涜の言葉を吐いていたとのと同じように、聖伝のミサはもうカトリック信者によって違法だとかそれに与ってはいけないとか侮辱され辱められ貶められ迫害を受けているかのように思います。

意味もなく無視されたり、ミサに与ることを禁止されたり、色々嫌がらせを受けたり、ご聖体への侮辱冒涜がエスカレートするなど、どんなにかカトリック信仰の真髄であるミサとご聖体は、近年苦しめられてきたことでしょうか。(小野田神父様は、たくさんの方からご聖体への不敬への訴えに耳を傾けていることを、お話しくださいました。)

私は何も事情を知らなかった頃は、昔のミサというのがあって今とは違うミサだということさえ知らなくて、カトリック教会はもう死なんとしているのかしらと感じていたのでした。私も本当は、一度、エルサレムから離れたエンマウスの旅人のように、教会から離れて歩き出していました。

でも、そういったことは、みな、聖書に書かれて預言されていたことではなかったかと、イエズス様がエンマウスの道で二人連れの弟子に語ったように、私にもある日心の中で、イエズス様は語ってくれました。教会にもどって、しばらくは教会に戻れたことを喜ぶだけでしたが、やがて聖伝のミサに与りご聖体が割かれて跪いて舌で拝領したときに、わたしの目は開けて、このミサにはイエズス様がいらっしゃってイエズス様はこのミサと一緒に御受難の時でいらっしゃるのだと、感じられました。

それだから私は聖伝のミサにずっとほとんど与らせていただいています。イエズス様のお苦しみを思いマリア様のお悲しみを思い、ただ十字架のもとに佇んでご一緒に苦しみ悲しむことしかできないとしても。戦闘するカトリック教会のために最前線で働いている真の司祭魂を持つ神父様達のため、何もたいしたお手伝いできないとしても。

私などこういうことを申し上げる資格もなく、聖ピオ十世会の司祭様達はどれほどの迫害と御苦難を耐え忍んでこられていらっしゃることでしょうといつも感謝をしております。ルフェーブル大司教様がどれだけ大変な思いをされて聖伝のミサを今の時代につないでくださったかのお説教を拝聴しながら、あらためて感謝申し上げました。

カトリック教会は、イエズス様が人間の罪の償いの犠牲を捧げてくださるのをなんとか止めさせようとしている悪魔の策略には、けっして嵌(はま)ってはいけないと思います。

これはきっと信仰の問題なので、目に見えない超自然のいのちのことに関係しているので、多数決で決めることでもないし時代とともに変わってしまうことでもないでしょう。たとえ迫害を受けてもたとえいろいろな嫌なこと面倒なことがあっても、このミサは守られなければならない大切なものであるという理解が、もっとたくさんの方に広まっていきますようにと願っています。

この日は、可愛らしい双子の男の赤ちゃんの洗礼式も執り行われて、本当に素晴らしい一日でした。長々と個人的な想いを申し訳ありません。小野田神父様、ご聖体の荘厳祭のごミサをありがとうございました。

ファチマの聖母、我等のために祈り給え
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