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新しいミサとルターのした典礼の革新とがどれほど似ているか:

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

ルターのミサから新しいミサへ(ルフェーブル大司教の講話より)

 今晩わたしはルターのミサとルターのした典礼の革新とが、どれほど新しいミサと似通っているかということを話したいと思います。


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 なぜこのことを話す必要があるのでしょうか。なぜなら、典礼の改革を司った委員会の委員長自身が言うところによれば、この改革の根本には教会一致の考えがあり、わたしたちはこの改革について考察せざるを得ないからです。なぜならもし新しいミサと、ルターの典礼とのこの親子関係が本当に存在することが証明できれば、神学上の問題すなわち信仰の問題が、有名な“Lex orandi, lex credendi"(祈りの法は、信仰の法)と言う格言に従って、問題にならざるを得ないからです。

 さて、ルターのした典礼の改革の歴史的書類は現在の改革を照らし出すうえで大変参考になります。

 ルターのした典礼の改革の目的が一体何であったかということを理解するために、今簡単に司祭職とミサ聖祭に関する教会の教えをもう一度見ることにしましょう。

 トレント公会議はその第22総会においてこう私たちに教えています。我々の天主であり主であるイエズスキリストは、その司祭職を終わらせることを望まれず、その死にあたって、最後の晩餐において自分の愛する花嫁である教会に目に見えるいけにえを制定された。これはご自分の贖いの救いの力を我々が毎日犯す罪に適応させるためのものであった。この目的のためにご自分の使徒らを、彼らとその後継者らを、新約の司祭と制定し、新しい契約のこれらの司祭に聖なる消すことのできない印をつける品級の秘跡を制定した。

 この目に見えるいけにえは、現在我々の祭壇のうえでいけにえを捧げる行為によって捧げられている。これにより、我らの主は現実にパンとブドウ酒の形相の下に実在され、ご自分を天主御父にいけにえとして捧げられるのである。そしてこのいけにえを食することにより我々は主の御体と御血と交わり我々も自己を主と一致して捧げるのである。

 したがって教会は次のことを私たちに教えています。

司祭の司祭職は、叙階の秘跡を受けていない平信徒の司祭職と本質的に異なっていること。平信徒は司祭職を絶対的に必要とする教会の一部をなしてはいますが、(秘跡的)司祭職をもっていないのです。そしてこの司祭職には極めて独身がふさわしく、司祭用の服装などによって平信徒と外的に区別することがふさわしいのです。 この司祭職によって行使される礼拝式の本質的行為は、ミサ聖祭です。これは十字架のいけにえが流血のいけにえでありましたが、ミサにおいては無流血のいけにえであるということのみが異なるだけです。司祭は聖変化の言葉によって実現されるいけにえを捧げる行為によってミサを執行するのであって、ご受難のあるいは最後の晩餐の記念を単に朗読することによってミサをたてるのではないのです。

 この崇高で神秘的な行為によって私たちの霊魂と煉獄の霊魂の各々に贖いの功徳が適応されるのです。そしてそのことは奉献文においてすばらしく表明されています。

 したがって、いけにえが現実に存在することは必要であり、この実在はパンとブドウ酒の実体が我らの主の御体と御血に変化することによってなされるのです。したがって御聖体を私たちは礼拝しなければならないのです。そして御聖体に対して非常に大きな尊敬を払うべきです。それゆえにこそ司祭だけが御聖体を取り扱うという聖伝が生まれたのです。「司祭がただ一人だけで捧げるミサ」、そして「司祭一人だけが聖体拝領をするミサ」は、それだけで公の行為であり、ミサ聖祭としての全く同じ価値をもっています。そしてこのミサは司祭にとってもすべての信者らにとっても有益なのです。「司祭一人が立てるミサ」をこうして教会は勧め、望んでいるのです。

 ラテン語のミサの正に中核を構成する祈り、聖歌、典礼儀式(そしてその「宝石」はカノンですが)それらの起源にはこれらの信仰の原理があるのです。私たちはトレント公会議の言うところを読むと感動を覚えずにはいられません。「聖なるものを聖なるものとして取り扱うことはふさわしいことであり、このいけにえはすべての中で最も聖なるものであるのであるから、このいけにえがふさわしくかつ尊敬をもって捧げられ受けられるために、カトリック教会は数世紀以前より、そのうちに成聖を息吹かせ、外的信心を催し、このミサを捧げるものの精神を天主に上げるような、これに反するもののまったくないすべての誤謬から免れた純粋な、聖なるカノンを制定した。このカノンは実に主のみ言葉それ自体、使徒らの聖伝、聖なる教皇らの敬虔な指導からできている。」(第22総会第4章)

 では今から一体どうやってルターがその宗教改革を成し遂げたか、つまり彼自身がそう呼んだその『福音的ミサ』をどう作り上げ、それは一体どんな精神に基づいていたのか見てみましょう。このために1910年にレオン・クリスチアーニの書いた本を見ることにします。この本は現在の典礼改革の影響を受けていないはずですから。この本は「ルター主義からプロテスタンティズムへ Du Luthéranisme au Protestantisme, évolution de Luther de 1517 à 1528 Léon Cristiani」と言う題がついています。この本は典礼改革についてのルター自身の言葉やその弟子らの言葉を引用しているので大変興味深いのです。

 この研究は大変多くを教えてくれます。なぜならルターは自分を動かしていたリベラル(自由放埒)な精神を明かすことを躊躇していないからです。かれはこう書いています。「何よりもまず私は友としてこう懇願する。…神に対する「サービス」に関するこの命令を調べ、それに従いたいと思うものは、自分を束縛する法律のようにこれを読み取ったり、またいかなる良心も捉えられないようにしていただきたい。各々自分の好きなように自分の好きなときにそれを取り入れていただきたい。それがキリスト者の自由というものです。」

 「神に対する称賛としての礼拝式は、今後からは、人を慰め人を照らすために人に対してなされることになります。したがって今までは、いけにえが第1に重要な場所を占めていましたが、今度からは説教がそれに取って変わることでしょう。」

 では、ルターは司祭職についてどのような考えをもっていたのでしょうか。彼の「一人でのミサ」に関する本の中にはカトリック司祭職は悪魔の発明であることを証明しようとやっきになっています。そのためにこそ、彼はそれ以後基本的になるこの原理を持ち出すのです。「聖書にないことはサタンの付け加えたことである」と。さて聖書には目に見える司祭職については書かれていません。聖書には唯一の司祭唯一の大司祭、キリストのことについてしか書かれていません。さらにはキリストと共にわたしたちはすべて司祭である、と。司祭職は唯一であると同時に普遍的である、と。そこでルターは「司祭職を誰かのために独占するのは何という愚かなことか…。キリスト者の間のすべての位階的区別をつけるのは反キリストにふさわしい…。いわゆる『司祭』は災いなことよ。」と言うのです。

 1520年には、彼は「ドイツのキリスト教貴族への宣言」と言う本を書いていますがその中で彼は「ローマ主義者」に戦いを挑み自由公会議を求めています。

 「ローマ主義者が作った最初の高い壁」は聖職者と平信徒との区別である。「教皇、司教、司祭、修道者、が聖職者の身分を構成し、他方で君主、領主、職人、農民が世俗の身分を作り成す、ということに気づいたが、これは全くの作り事でありウソにすぎない。すべてのキリスト者は真実に聖職者の身分に属しており、役割の違いのほかキリスト者の間にいかなる区別もない。…もし教皇あるいは司教が塗油をし、剃髪式、叙階式、聖別式をし、平信徒とは違った服を着るとしたら、見せかけを作り上げ、塗油を受けた偶像を作ることはできるが、キリスト者も聖職者をも作ることができない。洗礼を受けたものはすべてすべて聖別された司祭、司教、教皇ということができる。ただしすべてがこの役割を果たすことがふさわしいとは言えないが。」と言っているのです。

 この教義から、ルターは聖職者の特別の服と独身制とに対し反対するのです。彼自身、また彼の弟子らもその模範を示し彼らは独身をやめ結婚するのです。

 バチカン公会議の改革から出た事実は、ルターの結論とどれ程似ているでしょうか。修道服の廃止、聖座によって認められた数多くの結婚、司祭と平信徒とを区別するすべての印の欠如。この平等主義は、今まで司祭にしか認められていなかった典礼の役職を平信徒にまで認めることによって明らかにされるほどです。

 下級品級の廃止、副助祭の廃止、結婚した助祭、これらは司祭は全く純粋に役職・役目でしか過ぎないという考えを生み、司祭職の秘跡的印を否定するのを促しています。叙階式は共同体へのサービス[奉仕の司祭職]という方向に向けられ、司祭職のカトリック的概念を唯一正当化する『いけにえ』のためではもはやなくなっています。

 労働司祭、組合活動主義者、あるいは国家によって俸給を受ける別の内職を求める司祭など、すべての区別を無くしてしまっています。彼らはルターのやったことよりはるか先を行っています。

 ルターの犯した第2に重大な教義上の誤謬は、この第1の誤謬の続きでありその第1原理に基づいています。すなわち、信仰あるいは信頼が救うのであって、業ではないということ。そしてこれはカトリックミサにおいて最も基本的であるいけにえを捧げる行為を否定することなのです。ルターにとって、ミサは賛美のいけにえ、すなわち賛美、感謝の行為ではありうるけれども、決して償いのためのいけにえ、十字架のいけにえを更新し適応させる贖罪のいけにえなどではないのです。

 修道院内の礼拝式の「退廃」について彼はこう言います。

「彼らの礼拝式の基本的要素、すなわちミサは、不敬虔、忌まわしさのすべて度を過ぎている。彼らはいけにえを捧げ良い業をしているという。これ[=ミサのこと]以外に修道服を脱ぎ捨て、修道院を出、誓願を破る動機はなかったではないか。ミサはそうするのに全く十分である。」

「ミサは『シナックス(集い)』であり交わりである。御聖体は3重のそして嘆かわしい捕虜となってしまった。平信徒の手からカリスを取り上げてしてしまったこと、トミストらが思いついた全実体変化に関する意見をドグマとして押し付けたこと、ミサをいけにえとしてしまったこと、これである。」

 ルターはここで最も重要な点に触れています。しかし彼は少しも躊躇してはいません。「したがって罪のために、罪の償いのために、死者のために、ミサを捧げ・適応するのは明らかなるそして不敬虔な誤謬である。…ミサは神によって人に捧げられたものであり、人によって天主に捧げられたものではない。」と彼は書いています。

 御聖体に関しては、「何よりもまず信仰を駆り立てなければならないものなのであり、俗語で捧げられなければならない。それはすべてが彼らに言われている約束の偉大さをよく理解することができるためである。」

 ルターはこの異端の結論として、いけにえの贖罪とあがないの目的をはっきりと表明している奉献文を廃止するのです。彼はカノンの大部分を廃止し、基本的な所のみを保存するのですがしかしそれもただ最後の晩餐の叙述としてだけです。最後の晩餐において成し遂げられたことに、もっと近づくために彼はパンの聖変化の言葉に「quod pro vobis tradetur(あなたたちのために渡される)」と言う言葉を付け加えるのです。そして「mysterium fidei(信仰の神秘)」という言葉と「pro multis(多くの人のために)」という言葉を廃止するのです。彼は、パンとブドウ酒の聖変化の前の言葉、そしてそれに続く文章を叙述の基本的な言葉として考えるのです。

 彼はミサをまず第1にみ言葉の典礼、第2に聖体拝領(交わり)と考えるのです。

 新しい典礼改革はルターのと全く同じ変化をもたらし、本当に信者たちが手にする現代のテキストにはもはやいけにえについては語られず、ただみ言葉の祭儀、最後の晩餐の叙述、パンあるいは御聖体の分かち合いしか語らない、というのを目前にし驚愕せざるをえません。

 新しいミサを導入する総則の第4項を見ると既にプロテスタントの考え方を表しています。それの発表の後になされた訂正は満足のいくものでは全くありあせん。

 祭壇石の廃止、ただ1枚の祭壇布しか覆われていないテーブルの導入、会衆の方に面する司祭、コルポラーレではなく常にパテナのうえにおかれたままのホスチア、普通のパンを使うことの許可、金銀の貴金属以外のいろいろな材質でできた器、そしてその他数多くの詳細な革新は、基本的にそして非常に重大にカトリックの教えに反したプロテスタントの概念を、新しいミサに与かる人に教え込んでいるのです。

 ミサ聖祭よりもカトリック教会が生き残るために必要なものはありません。ミサを打ち捨てることは教会の基礎それ自体を揺るがすことに等しいのです。キリスト教生活、修道生活、司祭生活はすべて十字架のうえに、祭壇上に新しくされる十字架の聖なるいけにえの上に築かれているのです。

 ルターはそのことからカトリック教会が教えているような全実体変化及びキリストの現存を結論として否定したのです。彼にとって、パンはそのまま残るのです。したがって彼の弟子で、御聖体の礼拝に反して強烈に立ち上がったメランクトンが言うように、「キリストは聖体を自分の受難の記念として制定した。聖体を礼拝することは偶像崇拝である」のです。

 そこから、手による聖体拝領、両形色の聖体拝領が生まれ、それは我らの主の御体、御血の現存をその両形色において否定しているのです。ですから、一つの形色だけによる聖体拝領は不完全だと考えられるのです。

 ここでもさらに現在の典礼改革とルターの典礼改革との奇妙な一致を計ることができます。御聖体の取り扱いに関する新しい許可はますます尊敬を欠かせ、忘れさせ、礼拝をさせないように向いているのです。手による聖体拝領、平信徒が、しかも女性が聖体を配ること、跪く回数を減少させ、数多くの司祭は既に跪くことをしなくなってしまったこと、普通のパンを使ったり、普通の容器をカリス替わりに使ったりすること、これらのすべての改革はカトリック教会が今まで教えてきた御聖体における現存を否定するのに役立っているのです。

 《Lex orandi lex credendi》と言う格言の通り、原理は実践と分かち難く結び付いているので、ルターの典礼改革をミサの典礼において真似ることは、少しづつ、しかし確実に、ルターの考えそのものを受け入れるようにと導いているのです。新しいミサが発表されて後ここ6年の経験はこのことを十分によく証明してくれます。このような、宗教統一的といわれるやり方の結果はまず信仰の領域に於いて壊滅的であり、特に司祭職の腐敗、召命の希少化に於いて特にひどく、全く身近なこの典礼に関する問題についてどこにおいてでもカトリック信者の一致を破壊し、プロテスタントやギリシャ正教会の信者との関係に悪影響を与えています。

 教会の生命活動に欠かすことのできないそして教会にとって基本的であるこの「司祭・いけにえ・御聖体」に関するプロテスタントたちの考えはカトリック教会の信仰と全く完全に反対です。トレント公会議が開かれ、4世紀にも亙って教導職のすべての文章がそれについて語っているのは、おもしろ半分でのことではなく、深い意義があることなのです。

 カトリック信者にとって、まさに自分の信仰の表明であり支えである典礼を、異端者どもが思いついた新しい典礼を受け入れるために放棄することは、しかも自分の信仰を最も大いなる危険にさらすことなしに放棄することは、心理的に、司牧的に、神学的に全く不可能なことです。プロテスタントのしていることをプロテスタントにならずに何でもかんでもまねするというのはできない相談です。

 どれ程多くの信者たちが、どれ程の若い司祭たちが、どれ程の司教様たちがこの典礼改革以降信仰を失ってしまったことか! 自然と信仰に真っ向から反対すればそのしっぺ返しは必ず食うものです。

 最初の「福音的ミサ」の様子をそしてその結末をここで皆さんに読んでみるのは2つの典礼改革がいかに奇妙なほど似通っているかということを納得してもらうために役立つと思います。

 「1521年12月24・25日の夜、群衆は教区の教会に押しかける。…「福音的ミサ」は始まろうとしていた。カールシュタットは説教壇に登り、聖体について説教する。彼は聖体を両形色で拝領する義務があると言い、聖体拝領の前の告解は無意味であるという。信仰だけで十分である、と。カールシュタットは普通の服装で祭壇に立つ。コンフィテオールを唱え聖福音の所までは普通のとおりにミサを始める。奉献の祈り、聖体奉挙などいけにえの概念を呼び起こすものはすべて省かれる。聖変化の後に聖体拝領がくる。参列者の中の多くはほとんど告解をしていなかった。彼らの多くは飲み食いし焼酎を飲んでいたものもあった。彼らも他の人と共に祭壇に近づく。カールシュタットはホスチアを配りカリスを差し出す。聖体拝領する人は手で聖別されたパンを受け取り自分で好きなようにカリスから飲む。ホスチアの一つはスルリと落ちて参列者の服に落ちる。司祭はそれを拾う。もう一つは地面に落ちる。カールシュタットは平信徒にそれを拾うようにと命じる。平信徒が尊敬あるいは迷信のしぐさをしてそれを拒むとカールシュタットは「もし誰もその上を歩かないのなら、それではその落ちたところにそのままあればよい」と言うに過ぎなかった。」

 その同じ日に、その付近のある司祭はおよそ50人ほどの人に両形色で聖体を配った。彼らのうちたった5人だけが告解をしていたに過ぎなかった。その他の人達はミサ中に赦しを受け、罪の償いにもう再び罪に落ちるなと勧められただけであった。

 翌日カールシュタットはアンナ・デ・モハウとの婚約式をした。幾人かの司祭たちはこの模範に従い結婚した。

 この時、ツウィングリは自分の修道院を抜け出しアイレンブルクで説教していた。彼は修道服を脱ぎ捨て髭を生やしていた。平信徒の服装で司祭一人だけのミサに反対していた。新年には両形色で聖体を配る。ホスチアは手から手へと配られていた。自分のポケットに入れてもって帰ったものもいた。ある婦人はホスチアを食しながらそのかけらを地面に落としていた。誰もそのことに注意を払わない。平信徒は自分でカリスを取りなみなみと飲んでいた。

 1522年2月29日、ツウィングリはカタリン・ファルキと結婚した。当時まさに「司祭と修道者の結婚」という伝染病がはやっていた。修道院は空っぽになり始めた。修道院に留まった修道者たちは、1つの例外を除いて、祭壇を打ち壊し、諸聖人の聖画を焼き払い、病者のための聖香油さえ焼き捨てた。

 司祭の間には全くの大きな無秩序が支配していた。誰もが自分の好き勝手にしたい放題のミサを立てていた。協議会は典礼の改革のために秩序を取り戻そうと新しい典礼を決定することを決議した。

 それでどうやってミサを立てるかというやり方を決めた。入祭唱、グロリア、書簡、福音、サンクトゥスは残された。その後に説教。奉献文とカノンは廃止された。司祭はただ単に最後の晩餐の制定を朗読する。聖変化の言葉は大きな声でドイツ語でする。聖体は両形色で配られる。アニュス・デイの歌、聖体拝領の歌、そしてベネディカムス・ドミノの歌でサービスは終わる。

 ルターは新しい聖歌を作るのが心配だった。うまい詩を探すのだがなかなか見つからない。聖人の祝日は姿を消す。ルターは典礼の過渡期をうまく乗り越える。彼は古い儀式をできるだけ残そうとする。彼はその方向づけを(なるべく穏やかに徐々に)変えようとやっきになる。ミサは大部分その外見はそのままを保つ。民衆は教会建築の中に同じ装飾を再び見いだす、民衆の気に入るように仕組まれた同じ儀式。今後は今まで以前よりもずっと民衆に訴えるようになる。礼拝式を重要視することにますます気が付く。民衆は、聖歌や声を出しての祈りなどによりますます積極的に礼拝式に参加する。少しづつ、そして決定的にラテン語はドイツ語に席を譲る。

 聖変化はドイツ語で歌われる。聖変化はこの言葉でなされる。「我らの主は渡される夜パンを取り感謝してそれを割き、弟子らに与えてこう言われた。取って食べなさいこれはあなたがたのために渡されるわたしのからだ。あなたがたがこれを行う度にわたしの記念としてこれを行いなさい。同じく食事の後に杯を取りこう言われた。取って皆これを飲みなさい。これは、あなたたちのために流される罪の許しのための私の血におけるカリス、新しい契約。このカリスを飲むたびごとにこれを私の記念として行いなさい。」

 こうして『quod pro vobis tradetur』『あなたたちのために渡される』と言う言葉が付け加えられ、ブドウ酒の聖変化において『信仰の神秘』『多くの人のために』と言う言葉が省かれるのです。

 この「福音的ミサ」似関する叙述は公会議以後の典礼改革に対して私たちが思っているのと同じことを言ってはいないでしょうか。

 新しいミサにおけるこれらの変化は本当に危険です。何故なら、少しずつ、特にいけにえの観念がもはやなく、聖体における現存や全実態変化の観念のない若い司祭にとってこれらは何の意味ももたず、教会がすることをするという意向を失ってしまうからです。そうするともはや彼らのミサは有効ではないのです。

 確かに、もしも年を取った司祭たちはたとえ新しいミサを捧げるときでも今までの信仰を保っており、また更に彼らは長年の間古いローマミサを捧げて来たし、彼らはその意向を保っている、としたら、彼らのミサは有効だと信じることができます。しかし、彼らのこの意向が無くなるに従って、それがどこかに行ってしまうに従って彼らのミサももはや有効ではなくなってしまうのです。

 彼らはプロテスタントに近づこうとしましたがその結果としてカトリックがプロテスタントになり、プロテスタントがカトリックになったのではないのです。そのことは一目瞭然です。

 5人の枢機卿と15人の司教がテーゼの『青年の公会議』に参加したときのこと、これらの青年達はどうやってカトリシズムとは何か、プロテスタンティズムとは何かと言うことを知り得たでしょうか。あるものはプロテスタントのところで聖体拝領し、あるものはカトリックのところで聖体拝領をしました。

 ウィルブランズ枢機教がジュネーブで開かれた教会統一協議会へ行ったとき、こう宣言しました。「我々はルターの名誉を回復させなければならない。」彼は聖座からの勅使としてこう言うのです!

 告解の秘跡を見てください。合同回心式の為にこの改悛の秘跡は一体どうなってしまったのでしょうか! 信者にこう言うのは司牧的でしょうか。「集団的に許しを与えました。聖体拝領することができます。もし機会があったら、そしてもし大罪を犯していたのなら、今から6カ月かあるいは1年のうちに告解を個別的にしてください。」こんなやり方が司牧的なのでしょうか。大罪について人はどのように考えるようになることでしょうか。

 堅振の秘跡も全く同じ状況にあります。今流行の形相はこれです。「我、汝に十字架の印をする、聖霊を受けよ。」しかし、聖霊がこの秘跡によって自分を私たちに与えるその秘跡の特別の聖寵が何であるかを正確に言わなければなりません。もし、この「Ego te confirmo in nomine Patris...」という言葉を言わないとすれば、秘跡ではないのです。私はそのことを枢機卿たちに言いました。なぜなら彼らは私にこう言ったからです。「あなたは堅振の秘跡を授ける権利の無いところでそれをしている」と。「信者たちが自分の子供達が堅振の聖寵を受け取らないのではないかと恐れているから、今の教会で与えられている堅振の秘跡の有効性に彼らは疑いを抱いているので、私は堅振を授けるのです。少なくともその聖寵を確実に得ようと私に堅振を与えてくれと頼むからです。私にとって私に有効な堅振を頼む人々の願を拒むことはできないので、たとえそれが不合法だとしても私はそれをするのです。なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです。」

 私たちは今、教会の異常な危機の時代を生きています。私たちはこれらの改革については行けません。これらの改革のよき実りとはどこにあるのでしょうか。私は本当に自問自答します。典礼改革、神学校の改革、修道会の改革、すべての修道会の最高幹部会の改革。これらのかわいそうな修道院を一体どこにやってしまったのですか! みんな跡形もなく消えてしまいました。もはや修練者もなく、召命もありません。

 シンシナッティーの枢機教大司教は、ローマにおける司教らのシノドゥスでやはりこう認めました。「私たちの国々では ─英語を話す国々を指してのことですが─ 司祭とは一体なんであるか皆がよく知らないのでもはや召命が無くなってしまった。」

 ですから私たちは聖伝に留まらなくてはなりません。聖伝だけが私たちに本当に聖寵を与えてくれます。教会における継続性を与えてくれます。もし私たちが聖伝を打ち捨てるとき、私たちは教会の破壊に貢献するときです。

 私はこれらの枢機卿たちにこう申し上げました。「公会議の中の信教の自由に関する概要は矛盾しているということに気が付きませんか。この概要の第1部には『聖伝は何も変えてはならない』と言われているのに、この概要の内部ではすべてが聖伝の反対を言っています。この概要はグレゴリオ16世やピオ9世そしてレオ13世の言ったことと全く反対です。」と。

 ですから、選ばなくてはなりません。公会議の説く信教の自由に賛成し、これらの教皇様がたの言われ続けて来たことに反対するか、あるいは、これらの教皇様の言われることに賛成して信教の自由に関するこの概要の中で言われていることにもはや賛成しないかのいずれかです。この2つに同時に賛成する・同意することは全く不可能です。そして私はこう付け加えて言いました。「私は聖伝を取ります。私は聖伝を支持します。自由放埒主義と言った革新は支持しません。この1世紀半の間、すべての教皇様が排斥して来たのはまさしくこの自由放埒主義以外の何物でもないのです。この自由放埒主義が公会議を通して教会の中に入って来たのです。自由・平等・博愛の自由放埒主義が。」

 自由、それは信教の自由のことです。平等、それは司教団主義です。博愛、それは宗教統一運動です。そしてこれらが自由放埒主義の3つの原理で、これは17世紀の哲学から来たのです。そしてこの原理がフランス革命を生んだのです。

 そしてこの観念があいまいな言葉によって公会議の中に入ったのです。そして今ではこのために私たちは崩壊に、教会の崩壊へと向かっているのです。何故なら、それらの観念は自然と信仰とに反しているからです。私たちの間に完全な平等はありません。私たちは何から何まで全く等しいわけではありません。教皇レオ13世はその自由に関する回勅の中でそのことをはっきりとすばらしく言い表しました。

 それから博愛(兄弟愛)について、もし一人の父がいないのなら、どこから兄弟愛を見つけるのでしょうか。もし天主様がいないのなら、もし天にまします父がいないのなら、どうして私たちが兄弟でありうるでしょうか。共通の父が無くしてどうして兄弟たり得るでしょうか。不可能です。無理な相談です。教会のすべての敵の言うなりにならねばならないのでしょうか。共産主義者、仏教徒、そして教会に反対するすべての人の思いのままにですか。フリーメーソンとか。 今から一週間前に発表された法令によると、フリーメーソンに入会するカトリック信者にはもはや破門の制裁は無いのだそうです。フリーメーソンはポルトガルを破壊しました。一体誰がチリにアレンデと共にいたのでしょうか。そして今では南ベトナムにいます。彼らはカトリック国家をすべて破壊し尽くさねばならないと言います。第1次世界大戦中のオーストリア、ハンガリー、ポーランドなどなど。フリーメーソンはカトリック国の破壊を望んでいるのです。フリーメーソンの活動はスペイン、イタリアではどうでしょうか。何故教会は教会の敵であるこれらの人に両手を広げるのでしょうか。

 ああ、私たちはどれほど祈り、祈らなければならないでしょうか!私たちは今まで見たことも無かったような悪魔の教会に対する攻撃のときを生きています。私たちは聖母に、至福なる童貞マリア様に、私達の助けに来てくださるように祈らねばなりません。何故なら私たちは本当に明日がどうなるか全く分からないからです。天主様が、ご自分の御稜威、その御光栄に対してなされたこれらすべての冒涜、涜聖、汚聖を受け入れるはずがありません。多くの国々で見られるようになってしまった堕胎の法律、イタリアにおける離婚の許可、これらすべての道徳に関する法律の壊滅、真理の壊滅を思ってみてください。ある日、天主様がそれに対して口を開かず、この世を厳しく罰し給う事なくそのまま済まされるなどとは到底思えません。

 それゆえにこそ、私たちは自分たちのためそして私たちの兄弟たちのために天主様に御憐れみを請い求めねばなりません。しかし私たちは戦い勝ち抜かねばなりません。聖伝を守り抜くために戦い恐れてはなりません。とりわけ私達の聖なるミサの典礼を維持しなければなりません。何故ならこのミサこそ教会の基礎であり、キリスト教文明の基礎だからです。もし教会内に本当のミサが無くなってしまうなら教会は姿を消してしまうでしょう。

 私たちはこの典礼を、このいけにえを守らねばなりません。私たちの教会はすべてこのミサのために建てられました。別のミサのためではないのです。ミサのいけにえのためであって、最後の晩餐、会食、記念、交わりのためではないのです。いいえ、違います。私たちの祭壇上で続けられる我らの主イエズス・キリストのいけにえのためです。そのためにこそ私たちの祖先はこれらの素晴らしい教会を建てたのです。決して会食や記念のためではありません。違います!

 私は神学生のために捧げられる皆さんの祈りに期待しています。わたしの神学生たちが本当の司祭になるように。信仰をもち、かくして本当の秘跡と本当のミサのいけにえを与えることができるように。お願いします。

マルセル・ルフェーブル大司教/1975年2月15日イタリア・フィレンツェにて

《De la Messe evangelique de Luther au Nouvel Ordo Missae》
par Son Excellence Mgr Marcel LEFEBVRE Florence, le 15 fevrier 1975

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