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ロザリオの栄えの玄義 第1玄義黙想 主の復活 私はどれほど自分が「復活」「永遠の命の為に生きている」という目的を忘れて主を裏切った事か

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栄えの玄義 第1玄義黙想
2019年11月2日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 小野田神父

『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』

御聖体の内に真に在し給うイエズスの聖心の前で、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為に、初土の信心の一環として、15分間、ロザリオの玄義の一つを黙想致しましょう。

今日は、諸聖人の祝日と煉獄の霊魂の為にミサを捧げましたので、「イエズス様の御復活」を黙想する事を提案致します。

「主において死する者は、幸いなるかな。」
「主の義の為に迫害を受ける者は、幸いなるかな。」
「天の国は彼らのものである。その報いは天において、とてつもなく大きい。」

私たちの主イエズス・キリストと同じ栄光、復活、至福の喜び。これを私たちに下さる為に、イエズス様はまず初穂として、復活されました。もはや悲しみも、苦しみも、死も、病もなく、あるものは完全な無限の喜び、満足、楽しみ。天主と共に、三位一体のまどいの中での至福の喜び。

最後のこの世の終わりに、ラッパが鳴らされる時、あっという間に私たちは復活します。義人は永遠の喜びの為に、イエズス・キリストと同じ栄光体になって。そして呪われた者たちは、罰を受ける為に、醜い肉体を、永遠の死を味わう為に、肉体と共によみがえります。

善業を行なった道具であるこの肉体も、もう一度霊魂と合体して、報いを受け、あるいは罰を受け、イエズス様の御復活は、私たちの復活の模範となるべき、私たちに与えられるべきものとして、まず復活されました。私たちの信仰を、希望を、愛を、いや増さんが為に。

そしてこの復活されたイエズス様は、私たちの目の前に生きて、御聖体の形において、真に在し給います。

マリア様、御身は十字架の下に佇み、全てが終わってしまったように思われたとしても、ひたすらイエズス様の御復活を、ただ一人信じておられました。信仰の火をそのまま保ち続けておられました。

私はどれほど、自分が「復活する」という、「永遠の命の為に生きている」という目的を忘れて、主を裏切った事でしょうか。その目的に適わない行ない、言葉、考え、あたかもこの地上だけが目的であるかのように、生活してしまいました。

目も見た事のない、耳も聞いた事のない、人間の本性をはるかに越える特別の御恵みによって与えられる復活、天国の至福、至福直観、この目的を、私たちの復活を、決して忘れる事がないように、助けて下さい。

マリア様の汚れなき御心は、天国に至る道であり、天主に至る道であり、避難所であり、汚れなき御心の信心をする者は、マリア様によって特別に、天主の玉座に備えられた花のように飾られる、と約束されました。

聖母の汚れなき御心、いつも、永遠の目的を復活を忘れる事がないように、助けて下さい。

諸聖人の元后、私たちのこの地上にいる全ての友人、家族、隣人を、天国に導いて下さい。


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