アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2020年6月7日は三位一体の主日(一級祝日 白)です。
聖職者は、ローマ聖務日課の第一時課で「アタナシオ信教」を唱える義務があります。愛する兄弟姉妹の皆様にその内容のラテン語と日本語・中文の対訳のテキストをご紹介いたします。日本語訳はラテン語にできるだけ忠実であるようにしてみました。
三位一体の主日には、東京と大阪とでそれぞれ聖伝のミサがあります。
【東京】
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
【大阪】
18:00 ミサ聖祭 歌ミサ
SYMBOLUM ATHANASIANUM アタナシオ信教 亞他那修信經 QUICUMQUE vult salvus esse, ante omnia opus est, ut teneat catholicam fidem: 救われることを望む者は誰であれ、全てに優先して、カトリック信仰を持つ必要がある。 人要得到上帝的拯救,最重要的是:必須要持守大公教會的信仰。 Quam nisi quisque integram inviolatamque servaverit, absque dubio in aeternum peribit. この信仰を、誰でも完全に汚されずに守ならければ、疑いなく永遠に滅びるだろう。 人必需要篤信無疑的、完整的、純潔的持守此信仰。 Fides autem catholica haec est: ut unum Deum in Trinitate, et Trinitatem in unitate veneremur. さてカトリック信仰は次の通り。すなわち、我らは三位における唯一の天主、一性における三位を礼拝する。 大公教會信仰即是:我們敬拜三位一體的獨一神;這獨一神裡的三位乃是合而為一的。 Neque confundentes personas, neque substantiam separantes. 位格を混同することなく、本質(substantia)を分けることなく。 獨一神裡的三位彼此間不混亂,其本質也不分開。 Alia est enim persona Patris alia Filii, alia Spiritus Sancti: 御父の位格は別であり、御子の位格も別、聖霊の位格も別である。 此三位乃是:聖父、聖子、聖靈。 Sed Patris, et Filii, et Spiritus Sancti una est divinitas, aequalis gloria, coaeterna maiestas. しかし、御父と御子と聖霊との天主性は一であり、栄光は等しく、御稜威(みいつ)は共に永遠である。 然而聖父、聖子、聖靈乃是在同一個神性本質內;祂們的榮耀及永恆中的威嚴也是相同的。 Qualis Pater, talis Filius, talis Spiritus Sanctus. 御父がまします如く、御子もましまし、聖霊も、あします。 聖父是怎樣的神,聖子也就是那樣的神,聖靈亦是那樣的神。 Increatus Pater, increatus Filius, increatus Spiritus Sanctus. 御父は創造されず、御子も創造されず、聖霊も創造されない。 聖父並非是受造的,聖子也是如此,聖靈亦是如此。 Immensus Pater, immensus Filius, immensus Spiritus Sanctus. 御父は測り知れず、御子も測り知れず、聖霊も測り知れない。 聖父是無限的,聖子也是無限的,聖靈亦是無限的。 Aeternus Pater, aeternus Filius, aeternus Spiritus Sanctus. 御父は永遠、御子も永遠、聖霊も永遠である。 聖父是永恆的,聖子也是永恆的,聖靈亦是永恆的。 Et tamen non tres aeterni, sed unus aeternus. しかし、三つの永遠なるものではなく、一なる永遠なるものである。 然而祂們並不是三位永恆的神,而是獨一的永恆神。 Sicut non tres increati, nec tres immensi, sed unus increatus, et unus immensus. 三つの創造されないものでもなく、三つの測り知れぬものでもなく、一なる創造されぬもの、一なる測り知れぬものである。 也不是三位非受造的無限之神,而是獨一的非受造的無限之神。 Similiter omnipotens Pater, omnipotens Filius, omnipotens Spiritus Sanctus. 同じく、御父は全能、御子も全能、聖霊も全能である。 相同的,聖父是全能的,聖子也是全能的,聖靈亦是全能的。 Et tamen non tres omnipotentes, sed unus omnipotens. しかし三つの全能なものではなく、一なる全能なるものである。 然而祂們並不是三位全能的神,而是獨一的全能神。 Ita Deus Pater, Deus Filius, Deus Spiritus Sanctus. そのように御父は天主、御子は天主、聖霊は天主である。 聖父是神,聖子也是神,聖靈亦是神。 Et tamen non tres dii, sed unus est Deus. しかし、三つの天主ではなく、唯一の天主である。 然而祂們並不是三位神,而是獨一的神。 Ita Dominus Pater, Dominus Filius, Dominus Spiritus Sanctus. そのように御父は主であり、御子は主であり、聖霊は主である。 相同的,聖父是我們的主,聖子也是我們的主,聖靈亦是我們的主。 Et tamen non tres Domini, sed unus est Dominus. しかも、三つの主ではなく、一なる主である。 然而,我們並非有三位主,而是只有獨一的主。 Quia, sicut singillatim unamquamque personam Deum ac Dominum confiteri christiana veritate compellimur: ita tres Deos aut Dominos dicere catholica religione prohibemur. なぜなら、キリスト教の真理によって、それぞれの位格は天主であり主であると我らが告白するべきであるように、三つの天主、あるいは三つの主を語ることは、我らはカトリックの宗教によって禁ぜられている。 因此,我們受到基督真理的催促而承認:聖父、聖子、聖靈每一位都是神、都是我們的主。大公基督教也禁止我們說:有三位神、或三位主。 Pater a nullo est factus: nec creatus, nec genitus. 御父は何によっても作られず、創造されず、生まれない。 聖父並非是經由某某或某物而產生的;並非是受造的,也非被生的。 Filius a Patre solo est: non factus, nec creatus, sed genitus. 御子は御父のみよりであり、作られず、創造されず、生まれた。 聖子是單單是經由聖父而產生的;但並不是被聖父所造,而是經由聖父所生出。 Spiritus Sanctus a Patre et Filio: non factus, nec creatus, nec genitus, sed procedens. 聖霊は、御父と御子とより、作られず、創造されず、生まれず、発出する。 聖靈是經由聖父和聖子而產生的;但並不是被造,也不是被生出,而是從聖父和聖子而發出。 Unus ergo Pater, non tres Patres: unus Filius, non tres Filii: unus Spiritus Sanctus, non tres Spiritus Sancti. 従って、一なる御父であり、三つの御父ではない、一なる御子であり、三つの御子ではなく、一なる聖霊であって、三つの聖霊ではない。 因此有一位聖父,而非三位聖父;有一位聖子,而非三位聖子;有一位聖靈,而非三位聖靈。 Et in hac Trinitate nihil prius aut posterius, nihil maius aut minus: sed totae tres personae coaeternae sibi sunt et coaequales. この三位においては、より先もより後もなく、より大いなるもより小さきもない。三位は全て、共に永遠であり、互いに共に等しい。 在此三位一體獨一神中的三位之間,並無前後、尊卑、大小之分別。三位乃是共同的永恆及同等。 Ita ut per omnia, sicut iam supra dictum est, et unitas in Trinitate, et Trinitas in unitate veneranda sit. このように、すでに上に述べた如く、全てを通して、三位における一性が、かつ、一性における三位が礼拝されなければならない。 因此,如前所述,這合一的三位一體神,或說是三位一體的合一神,當受我們敬拜。 Qui vult ergo salvus esse, ita de Trinitate sentiat. 従って、救われることを望む者は、三位一体について以上のように考えるように。 所以人要得到上帝的拯救,必須要思想這位三位一體之神。 Sed necessarium est ad aeternam salutem, ut incarnationem quoque Domini nostri Iesu Christi fideliter credat. しかし、永遠の救いのために必要なことは、我らの主イエズス・キリストの御托身もまた忠実に信ずることである。 此外,要得到上帝的救恩,也必須要篤信我們主耶穌基督的道成肉身。 Est ergo fides recta ut credamus et confiteamur, quia Dominus noster Iesus Christus, Dei Filius, Deus et homo est. 従って、正しい信仰とは、我らの主イエズス・キリストは、天主の御子であり、天主であり人間であると信じ告白することである。 因為純正的信仰乃是我們宣告相信:上帝的兒子,我們的主耶穌基督是神、也是人。 Deus est ex substantia Patris ante saecula genitus: et homo est ex substantia matris in saeculo natus. 主は、御父の本質(substantia)から代々の時の前に生まれた天主であり、御母の本質(substantia)から時において生まれた人間である。 祂是神,在諸世界存在之前被聖父生出,有著聖父的本質;祂也是人,生出在這個世界之中,有著祂母親的本質。 Perfectus Deus, perfectus homo: ex anima rationali et humana carne subsistens. 完全なる天主であり、理性的な霊魂と人間の肉とから自存する完全なる人間である。 祂是完全的神,也是具有理性之靈魂及人類血肉實體之完全的人, Aequalis Patri secundum divinitatem: minor Patre secundum humanitatem. 天主性によって、御父と等しく、人性によっては、御父より低い。 就衪的神性而論,祂與聖父同等;就衪的人性而論,祂低於聖父。 Qui licet Deus sit et homo, non duo tamen, sed unus est Christus. 天主にして且つ人間であるが二つではなく、キリストは一である。 雖然祂同時是神、也是人,然而並非是兩位,而是一位基督。 Unus autem non conversione divinitatis in carnem, sed assumptione humanitatis in Deum. 天主性が肉へ変化したのではなく、天主のうちに人性が取られたことにより、一である。 祂是將人性帶進神之中的那一位,而不是將神性轉變為血肉之軀的那一位。 Unus omnino, non confusione substantiae, sed unitate personae. 本質(substantia)の混同によるのではなく、位格の一性により、全く一である。 祂完全是一位,但並非藉著祂的神性和人性本質兩者間互相混合成為一,而是藉著位格的聯合為一。 Nam sicut anima rationalis et caro unus est homo: ita Deus et homo unus est Christus. 理性的霊魂と肉体とが一つの人間であるように、天主かつ人間は一位のキリストである。 就如同祂的理性之靈魂和肉體之軀聯合成為一位人;相同的,神和人也是聯合為一位基督。 Qui passus est pro salute nostra: descendit ad inferos: tertia die resurrexit a mortuis. 主は、我らの救いのために苦しみを受け、古聖所に降りて、三日目に死人のうちよりよみがえり。 衪為了拯救我們而受難,並下到陰間,但在第三天從死裡復活。 Ascendit ad caelos, sedet ad dexteram Dei Patris omnipotentis: inde venturus est iudicare vivos et mortuos. 天に昇り、全能の父なる天主の右に座し、かしこより、生ける人と死せる人とを審かんために来り給う。 衪升到天上,坐在全能父神的右邊。將來要從那裡降臨,來審判活人和死人。 Ad cuius adventum omnes homines resurgere habent cum corporibus suis: et reddituri sunt de factis propriis rationem. 主の来り給う時に、すべての人間は、自分の肉体をもってよみがえり、自分の行いについて報告するであろう。 當祂降臨時,所有的人必然會從肉身中復活。所有的人必要供認他們自己所做過的事。 Et qui bona egerunt, ibunt in vitam aeternam: qui vero mala, in ignem aeternum. 善を行った者たちは永遠の生命に入り、悪を行った者どもは永遠の火に行く。 那些行善的人必要進入永生,為惡的人必要進入永火中。 Haec est fides catholica, quam nisi quisque fideliter firmiterque crediderit, salvus esse non poterit. Amen. これがカトリック信仰である。誰であれこれを忠実に固く信じなければ、救われることはできない。アメン 以上乃是大公教會的信仰,除非人虔誠篤信,否則便無法得到拯救。阿們。