十 日 勝 利 者 ユ ジ ツ ト
汝はエルザレムの栄誉、イスラエルの歓喜(かんき)、我が人民の誇りなり。
(ユジツト書一五。一○)
バビロンの国王ナブゴドノゾルがホロフエルネスを大軍の将として、ベツリアという町を囲(かこ)ませた事がある。その時町の人々は、敵の為に川の水を堰(せき)留(と)められ、水攻めの憂(う)き目に逢(あ)い、勇気沮喪(そそう)していよいよ愛する町を敵の手に明け渡そうという事に衆議(しゅうぎ)一決(いっけつ)した。所がこれを聞いてその不甲斐(ふがい)なさに蹶起(けっき)したのはユジツトという寡婦(やもめ)である。
彼女は町の長老達に降参(こうさん)の早計(そうけい)なるを戒(いまし)め、天主に対する厚い信頼の下に唯(ただ)一人の下婢(めしつかい)を伴(とも)に連れ、勇敢(ゆうかん)にも敵陣に乗り込み、謀略(はかりごと)を以て大将ホロフエルネスの首を討(う)ち取り、急ぎ帰って此の事を告(つ)げたので、町の人々は大いに喜び、勇躍(ゆうやく)敵陣に攻め入り、遂(つい)に大勝利を得るに至った。
その後、間もなく首府エルザレムの大司祭は多くの司祭達と共にベツリヤ町に来(き)たり、口を揃えて勇敢(ゆうかん)なユジツトを賞讃(しょうさん)し、「汝はエルザレムの栄誉(えいよ)、イスラエルの歓喜(かんき)、我が人民の誇(ほこ)りなり」と叫んだ。
この勇婦(ゆうふ)ユジツトは実は聖マリアの象徴(かたどり)である。聖母も彼女の如く燦然(さんぜん)たる大勝利を得られた。さればこそ聖会はベトレヘムの司祭達のユジツトに対するように、聖母を、祈祷(いのり)に歌に、讃美(さんび)し奉るのである。それでは聖母が征服(せいふく)し給うた敵は一体(いったい)何者であろうか?その敵は数多(あまた)ある。
しかし此処(ここ)では特別に聖会の最も恐るべき敵である異端(いたん)について考えて見たい。歴史によれば、如何に恐ろしい迫害(はくがい)が起こった時でも、聖会は決して滅(ほろ)びなかった。却(かえ)って殉教者(じゅんきょうしゃ)の聖(きよ)い血汐(ちしお)によって益々教勢(きょうぜい)が盛んになるばかりであった。然し十五世紀から十七世紀にかけて起こった様々の異端(いたん)は、多数(たすう)の人々を我が聖会より引き離した。此の点、異端(いたん)は迫害(はくがい)より恐ろしい大敵(たいてき)と云う事が出来よう。
この敵は今も聖会を攻撃して居る。聖会は恐らく世の終りまでこの敵と戦わねばなるまい。所がこの大敵に対する勇敢(ゆうかん)な新約(しんやく)のユジツトこそ天主の御母(おんはは)聖マリアである。その証拠には、異端(いたん)が人々の心を惑(まど)わすのはいつでも聖マリアに対する愛と尊敬の薄らいだ時に限っている。これは一見(いっけん)不思議のようでも、よく考えて見れば道理に適(かな)っている。
たとえ如何にキリストのみを信じ、尊敬し奉っても、其の最(さい)愛し給う御母を軽(かろ)んずるならば、どうして主の御心(みこころ)を喜ばせ奉る事が出来よう。従(したが)って与えられる恵も次第に減(げん)じ、遂に真理(しんり)の道を離れる不幸さえ招くに至るのである。
それに反して、主と共に御母をも尊敬し、その御扶助(おんたすけ)を願うならば、主の御覚(おんおぼ)えも一入(ひとしお)めでたく、御恵(おんめぐみ)は増すばかりで、必ず異端(いたん)に打ち勝つ事が出来る。故(ゆえ)に聖会は聖母を讃美(さんび)して「聖マリアよ歓(よろ)喜(こ)び給え。そは全世界の異端(いたん)に打ち勝ち給いたればなり」と祈るのである。
この聖母の御保護に依って、聖会は初めから異端(いたん)を防(ふせ)ぎ、キリストの聖教(みおしえ)を純粋(じゅんすい)に保(たも)って来た。真理は誤謬(ごびゅう)と相容(あいい)れない。天主御子(おんこ)の御教(みおし)えに背(そむ)き公教会の基(もと)となる磐(いわお)を離れて異説をたてる者は、真理(しんり)の泉に毒を投(とう)ずる者と云わねばならぬ。我等は斯様(かよう)な邪説(じゃせつ)に迷わされぬよう、屡々(しばしば)己の信仰を聖マリアの御熱心御善徳に引き較(くら)べて反省する必要がある。というのは、余程(よほど)警戒して心に堅固(けんご)な要塞(ようさい)を築(きず)いているつもりでも、悪(あく)慾(よく)や世間の快楽(かいらく)の為に心の門を開放し、いつか異端(いたん)の思想(かんがえ)の侵入を許している事が度々(たびたび)あるからである。されば我等もユジツトに倣(なら)い、天主や聖母を厚く信頼して、この大敵と勇敢(ゆうかん)に戦わねばならぬ。
祈 願
エルザレムの栄誉(えいよ)、イスラエルの歓喜(かんき)、我が人民の誇りなる聖マリアよ、我等が常に御身を離れず、御扶助(おんたすけ)によりてむらがる敵を防(ふせ)ぎ、尊(とうと)き信仰の宝を保(たも)ち、之を子孫にも伝え得るよう護り給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
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汝はエルザレムの栄誉、イスラエルの歓喜(かんき)、我が人民の誇りなり。
(ユジツト書一五。一○)
バビロンの国王ナブゴドノゾルがホロフエルネスを大軍の将として、ベツリアという町を囲(かこ)ませた事がある。その時町の人々は、敵の為に川の水を堰(せき)留(と)められ、水攻めの憂(う)き目に逢(あ)い、勇気沮喪(そそう)していよいよ愛する町を敵の手に明け渡そうという事に衆議(しゅうぎ)一決(いっけつ)した。所がこれを聞いてその不甲斐(ふがい)なさに蹶起(けっき)したのはユジツトという寡婦(やもめ)である。
彼女は町の長老達に降参(こうさん)の早計(そうけい)なるを戒(いまし)め、天主に対する厚い信頼の下に唯(ただ)一人の下婢(めしつかい)を伴(とも)に連れ、勇敢(ゆうかん)にも敵陣に乗り込み、謀略(はかりごと)を以て大将ホロフエルネスの首を討(う)ち取り、急ぎ帰って此の事を告(つ)げたので、町の人々は大いに喜び、勇躍(ゆうやく)敵陣に攻め入り、遂(つい)に大勝利を得るに至った。
その後、間もなく首府エルザレムの大司祭は多くの司祭達と共にベツリヤ町に来(き)たり、口を揃えて勇敢(ゆうかん)なユジツトを賞讃(しょうさん)し、「汝はエルザレムの栄誉(えいよ)、イスラエルの歓喜(かんき)、我が人民の誇(ほこ)りなり」と叫んだ。
この勇婦(ゆうふ)ユジツトは実は聖マリアの象徴(かたどり)である。聖母も彼女の如く燦然(さんぜん)たる大勝利を得られた。さればこそ聖会はベトレヘムの司祭達のユジツトに対するように、聖母を、祈祷(いのり)に歌に、讃美(さんび)し奉るのである。それでは聖母が征服(せいふく)し給うた敵は一体(いったい)何者であろうか?その敵は数多(あまた)ある。
しかし此処(ここ)では特別に聖会の最も恐るべき敵である異端(いたん)について考えて見たい。歴史によれば、如何に恐ろしい迫害(はくがい)が起こった時でも、聖会は決して滅(ほろ)びなかった。却(かえ)って殉教者(じゅんきょうしゃ)の聖(きよ)い血汐(ちしお)によって益々教勢(きょうぜい)が盛んになるばかりであった。然し十五世紀から十七世紀にかけて起こった様々の異端(いたん)は、多数(たすう)の人々を我が聖会より引き離した。此の点、異端(いたん)は迫害(はくがい)より恐ろしい大敵(たいてき)と云う事が出来よう。
この敵は今も聖会を攻撃して居る。聖会は恐らく世の終りまでこの敵と戦わねばなるまい。所がこの大敵に対する勇敢(ゆうかん)な新約(しんやく)のユジツトこそ天主の御母(おんはは)聖マリアである。その証拠には、異端(いたん)が人々の心を惑(まど)わすのはいつでも聖マリアに対する愛と尊敬の薄らいだ時に限っている。これは一見(いっけん)不思議のようでも、よく考えて見れば道理に適(かな)っている。
たとえ如何にキリストのみを信じ、尊敬し奉っても、其の最(さい)愛し給う御母を軽(かろ)んずるならば、どうして主の御心(みこころ)を喜ばせ奉る事が出来よう。従(したが)って与えられる恵も次第に減(げん)じ、遂に真理(しんり)の道を離れる不幸さえ招くに至るのである。
それに反して、主と共に御母をも尊敬し、その御扶助(おんたすけ)を願うならば、主の御覚(おんおぼ)えも一入(ひとしお)めでたく、御恵(おんめぐみ)は増すばかりで、必ず異端(いたん)に打ち勝つ事が出来る。故(ゆえ)に聖会は聖母を讃美(さんび)して「聖マリアよ歓(よろ)喜(こ)び給え。そは全世界の異端(いたん)に打ち勝ち給いたればなり」と祈るのである。
この聖母の御保護に依って、聖会は初めから異端(いたん)を防(ふせ)ぎ、キリストの聖教(みおしえ)を純粋(じゅんすい)に保(たも)って来た。真理は誤謬(ごびゅう)と相容(あいい)れない。天主御子(おんこ)の御教(みおし)えに背(そむ)き公教会の基(もと)となる磐(いわお)を離れて異説をたてる者は、真理(しんり)の泉に毒を投(とう)ずる者と云わねばならぬ。我等は斯様(かよう)な邪説(じゃせつ)に迷わされぬよう、屡々(しばしば)己の信仰を聖マリアの御熱心御善徳に引き較(くら)べて反省する必要がある。というのは、余程(よほど)警戒して心に堅固(けんご)な要塞(ようさい)を築(きず)いているつもりでも、悪(あく)慾(よく)や世間の快楽(かいらく)の為に心の門を開放し、いつか異端(いたん)の思想(かんがえ)の侵入を許している事が度々(たびたび)あるからである。されば我等もユジツトに倣(なら)い、天主や聖母を厚く信頼して、この大敵と勇敢(ゆうかん)に戦わねばならぬ。
祈 願
エルザレムの栄誉(えいよ)、イスラエルの歓喜(かんき)、我が人民の誇りなる聖マリアよ、我等が常に御身を離れず、御扶助(おんたすけ)によりてむらがる敵を防(ふせ)ぎ、尊(とうと)き信仰の宝を保(たも)ち、之を子孫にも伝え得るよう護り給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。
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