アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、ファティマの聖母マリア様の御出現の記念日でした。ファチマでは聖母の汚れなき御心を確立することをお望みになっていることを聖母マリアさまは訴えました。
秋田巡礼では、シュテーリン神父様が「聖母の汚れなき御心」の随意ミサをして下さり、そこで次のようなお説教をして下さったので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年5月2日 秋田巡礼
聖母の汚れ無き御心の随意ミサ
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる巡礼者の皆さん、秋田の巡礼に初めて参加する事は、私にとっての大きな名誉であります。この巡礼によって、天主様の御摂理が、私たちが聖母の聖なる月、5月を上手く準備する事を助けてくれます。聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様は、「5月、聖母の聖なる月は、特別の御恵みがある月である。」と、いつも言っていました。コルベ神父様は、特にインマクラータの無原罪の騎士に対して、この5月には特別に私たちを奉献して、そしてマリア様に信頼して、そしてマリア様の為によく働くように、と励ましていました。
この5月にこの巡礼に来て、そしてマリア様にお祈りするほど、より良い準備があるでしょうか。このような重大な出来事をしていく私たちは、この巡礼とは一体何なのか、それの目的とは何なのか、それの最も大切な本質とは中核とは何かを知らなければなりません。私は、秋田で起こった出来事の状況が、私たちにこの答えをくれると知っています。
まず、マリア様がどこでお現われになったか、という状況を見ると、「秋田」という場所、また「日本」と言う国を見ると、ほとんどカトリック信者がいない様な所にお現れになった、という事に気が付きます。この事によって、マリア様は特別に日本を愛しておられる、と気が付きます。マリア様は確かに、この日本の回心を、日本がイエズス様に対する信仰を持つことを目がけておられます。マリア様が私たちをここに呼んでいるという事は、マリア様は私たちを、日本の回心の道具として使うという事を望まれている、という事です。
私たちは、マリア様の足下に、今日本に住んでいる全ての人を連れて来なければなりません。言うなれば、私たちはこの全ての人々の代表として行かなければなりません。マリア様は、私たちがこの巡礼の間にする全ての事に対して、特別の愛の眼差しをもってご覧になって下さっています。そしてマリア様はそれを使って、日本の回心の為に使おうと思っています。ですから、私たちは深く確信をしなければなりません、私たちが巡礼の間にする、ほんのちょっとしたお祈り、或いは射祷、その祈りは、日本の回心の為に大きな貢献をする、という事です。ですから私たちは、この巡礼の間の全ての時間、全ての瞬間を、最高度にその際限まで使わなければなりません。私たちは、いかなる瞬間も、下らない事や、雑念などや妄想に追われてしまう事なく、全てをマリア様の為に使わなければなりません。
私たちが時間を失わない、という事はどういう事かというと、私たちが今している事を、最高の熱心をもって、愛をもって、今している事をする、という事です。もしも私たちが祈っているならば、最高の熱烈な熱心をもって祈る、という事です。私たちが講話を聞いている時には、耳を大きく開いて、そしてこのマリア様のメッセージをよく聞く、という事です。もしも私たちが一緒に食事をする、或いは一緒に巡礼で歩く、という時には、隣人愛を実践して愛を込めて、隣人と接する、という事です。私たちはですから、他人の悪口やゴシップをするのは避けて、人の批判をするのを避けましょう。
私たちがこの巡礼で日本の回心の為に時間を全て使う、という事だけではありません。これは私たちにとって、テストであり、学校でもあります。どういう事かというと、私たちはマリア様の足下にいて、この巡礼の時のみならず、私たちの生涯全てを、マリア様の良き道具として使って下さい、とお願いする事です。
私たちがこの地を発って家に帰る時には、私たちの心の中には、全ての私たちのもてる力と、全ての愛と、全ての全生涯を、霊魂の救いの為に使いたい。そして、霊魂を救いたいというマリア様を助けたい、という熱烈な熱情に満ちていなければなりません。
これの、その目に見える聖化という、目に見えるサインというのは、しるしというのは、皆さんがこの巡礼の間に、マリア様の騎士として、自分をマリア様の道具として捧げる、という事です。そしてこの巡礼の実りとして、私たちはかつてなかったほど、今後はマリア様の良き道具として、霊魂を救う道具として、マリア様のものとなっている、という事です。
第二の状況は、どこにお現われになったか、という事の他に、どのようにしてお現われになったか、というそのやり方です。
マリア様は、涙を流されていました。このマリア様の涙は、私たちをして多くのマリア様の他の巡礼地をも思い起こさせます。例えば、ラサレットのマリア様。これは、子供たちが失われている、というのを見る、悲しみの御母の涙です。これは、マリア様、母なるマリア様、天地の元后であるマリア様の悲しみです。なぜ悲しみかというと、それは、愛する御子イエズス・キリストが、この世の人々から捨てられ、そして受け入れられず、信じられていない、という事の悲しみです。私たちは、そんなマリア様を慰めに来ました。「もしも、マリア様、もしもこの世が御子を捨てるなら、願わくは私たちをして、御身を慰める事をお許し下さい。」
秋田はファチマの続きです。マリア様の涙を見て、私たちは心の深くから感動しなければなりません。なぜかというと、マリア様が涙を流されているのは、まず私の為に泣いておられるからです。ですから、マリア様の涙をご覧になって、私たちは心からの罪の改悛、罪の痛悔を感じなければなりません。そして第二には、私たちの痛悔と、そして償いの精神です。なぜかというと、マリア様は、多くの罪によって傷付けられ、犯され、そして悲しみを覚えているからです。
もしも私たちが、聖人となり霊魂を救いたいと思うのならば、主の教えて下さった偉大な掟を守らなければなりません。つまり、『天主を全ての力を尽くして愛し、私たちの隣人を、自分の如く愛する。』と、いう事です。正に、マリア様の涙が私たちに教えようとしている事はこれです。
第三の観点は、マリア様がどこでお現われになったか、どうやってお現われになったか、という他に、何を仰ったかということです。
マリア様は、第二バチカン公会議の後にお現われになり、メッセージを下さって、そして教会における危機を話されました。これは私の想像に過ぎないのかもしれませんが、しかし、このマリア様の仰った内容の事を考えると、なぜマリア様が日本に来てお話になったか、という事が分かります。この日本に住んでいるほぼ大部分の人々が、本当の真理を、唯一の真理を信じていません。この日本に於いては、ほんの少数の方だけが、マリア様に愛と信頼をもっています。そして第二バチカン公会議の後には、それと同じような事が全世界で起こりました。第二バチカン公会議では更にひどい事が起こりました。ただ知らない、という無知ではなくて、この真理を、知っていた真理を拒否して、それを捨て去る、という事だからです。そしてほんの少数の人々だけが、私たちの主イエズス・キリストと、そしてその聖伝に忠実になっていたのみです。
私たちが先程申しましたように、私たちはマリア様をお慰めする為に、私たちはここに来た、と言いましたが、ちょうどマリア様は、この少数の私たちを慰める為に、マリア様は秋田でこう仰っているかのようです、「あなたたちは教会の危機について知っているかもしれませんが、私は、あなたたちよりももっとよく知っています。」マリア様は言います、「私は、今が最後の時であって、最後の戦いの時である事をよく知っています。だから私は、あなたたちの所にやって来て、あなたたちを強めに来たのです。なぜなら、私こそが運河、恵みの流れる運河、全ての恵みの仲介者であるからです。私は、あなたの近くに、私の汚れ無き御心が、あなたの近くにある事を望みます。」マリア様はドアを付けて、「私は、私の汚れ無き御心にある燃えるような愛の炎を、あなたの心の中にも置きたいのです。」
巡礼が終わって、この秋田の地を離れる時に、もしも皆さんが巡礼の時を良く過ごすならば、心の信仰と心は強められて、家に帰る事ができるでしょう。そして、この哀れな、この世界を見ながら、天国に行く為に私たちは確かに、正しい道を歩いている、という事を確信する事でしょう。そして、かつてなかったほど私たちは確信するでしょう、最後には、マリア様の汚れ無き御心が勝利を収める、と。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、ファティマの聖母マリア様の御出現の記念日でした。ファチマでは聖母の汚れなき御心を確立することをお望みになっていることを聖母マリアさまは訴えました。
秋田巡礼では、シュテーリン神父様が「聖母の汚れなき御心」の随意ミサをして下さり、そこで次のようなお説教をして下さったので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年5月2日 秋田巡礼
聖母の汚れ無き御心の随意ミサ
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる巡礼者の皆さん、秋田の巡礼に初めて参加する事は、私にとっての大きな名誉であります。この巡礼によって、天主様の御摂理が、私たちが聖母の聖なる月、5月を上手く準備する事を助けてくれます。聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様は、「5月、聖母の聖なる月は、特別の御恵みがある月である。」と、いつも言っていました。コルベ神父様は、特にインマクラータの無原罪の騎士に対して、この5月には特別に私たちを奉献して、そしてマリア様に信頼して、そしてマリア様の為によく働くように、と励ましていました。
この5月にこの巡礼に来て、そしてマリア様にお祈りするほど、より良い準備があるでしょうか。このような重大な出来事をしていく私たちは、この巡礼とは一体何なのか、それの目的とは何なのか、それの最も大切な本質とは中核とは何かを知らなければなりません。私は、秋田で起こった出来事の状況が、私たちにこの答えをくれると知っています。
まず、マリア様がどこでお現われになったか、という状況を見ると、「秋田」という場所、また「日本」と言う国を見ると、ほとんどカトリック信者がいない様な所にお現れになった、という事に気が付きます。この事によって、マリア様は特別に日本を愛しておられる、と気が付きます。マリア様は確かに、この日本の回心を、日本がイエズス様に対する信仰を持つことを目がけておられます。マリア様が私たちをここに呼んでいるという事は、マリア様は私たちを、日本の回心の道具として使うという事を望まれている、という事です。
私たちは、マリア様の足下に、今日本に住んでいる全ての人を連れて来なければなりません。言うなれば、私たちはこの全ての人々の代表として行かなければなりません。マリア様は、私たちがこの巡礼の間にする全ての事に対して、特別の愛の眼差しをもってご覧になって下さっています。そしてマリア様はそれを使って、日本の回心の為に使おうと思っています。ですから、私たちは深く確信をしなければなりません、私たちが巡礼の間にする、ほんのちょっとしたお祈り、或いは射祷、その祈りは、日本の回心の為に大きな貢献をする、という事です。ですから私たちは、この巡礼の間の全ての時間、全ての瞬間を、最高度にその際限まで使わなければなりません。私たちは、いかなる瞬間も、下らない事や、雑念などや妄想に追われてしまう事なく、全てをマリア様の為に使わなければなりません。
私たちが時間を失わない、という事はどういう事かというと、私たちが今している事を、最高の熱心をもって、愛をもって、今している事をする、という事です。もしも私たちが祈っているならば、最高の熱烈な熱心をもって祈る、という事です。私たちが講話を聞いている時には、耳を大きく開いて、そしてこのマリア様のメッセージをよく聞く、という事です。もしも私たちが一緒に食事をする、或いは一緒に巡礼で歩く、という時には、隣人愛を実践して愛を込めて、隣人と接する、という事です。私たちはですから、他人の悪口やゴシップをするのは避けて、人の批判をするのを避けましょう。
私たちがこの巡礼で日本の回心の為に時間を全て使う、という事だけではありません。これは私たちにとって、テストであり、学校でもあります。どういう事かというと、私たちはマリア様の足下にいて、この巡礼の時のみならず、私たちの生涯全てを、マリア様の良き道具として使って下さい、とお願いする事です。
私たちがこの地を発って家に帰る時には、私たちの心の中には、全ての私たちのもてる力と、全ての愛と、全ての全生涯を、霊魂の救いの為に使いたい。そして、霊魂を救いたいというマリア様を助けたい、という熱烈な熱情に満ちていなければなりません。
これの、その目に見える聖化という、目に見えるサインというのは、しるしというのは、皆さんがこの巡礼の間に、マリア様の騎士として、自分をマリア様の道具として捧げる、という事です。そしてこの巡礼の実りとして、私たちはかつてなかったほど、今後はマリア様の良き道具として、霊魂を救う道具として、マリア様のものとなっている、という事です。
第二の状況は、どこにお現われになったか、という事の他に、どのようにしてお現われになったか、というそのやり方です。
マリア様は、涙を流されていました。このマリア様の涙は、私たちをして多くのマリア様の他の巡礼地をも思い起こさせます。例えば、ラサレットのマリア様。これは、子供たちが失われている、というのを見る、悲しみの御母の涙です。これは、マリア様、母なるマリア様、天地の元后であるマリア様の悲しみです。なぜ悲しみかというと、それは、愛する御子イエズス・キリストが、この世の人々から捨てられ、そして受け入れられず、信じられていない、という事の悲しみです。私たちは、そんなマリア様を慰めに来ました。「もしも、マリア様、もしもこの世が御子を捨てるなら、願わくは私たちをして、御身を慰める事をお許し下さい。」
秋田はファチマの続きです。マリア様の涙を見て、私たちは心の深くから感動しなければなりません。なぜかというと、マリア様が涙を流されているのは、まず私の為に泣いておられるからです。ですから、マリア様の涙をご覧になって、私たちは心からの罪の改悛、罪の痛悔を感じなければなりません。そして第二には、私たちの痛悔と、そして償いの精神です。なぜかというと、マリア様は、多くの罪によって傷付けられ、犯され、そして悲しみを覚えているからです。
もしも私たちが、聖人となり霊魂を救いたいと思うのならば、主の教えて下さった偉大な掟を守らなければなりません。つまり、『天主を全ての力を尽くして愛し、私たちの隣人を、自分の如く愛する。』と、いう事です。正に、マリア様の涙が私たちに教えようとしている事はこれです。
第三の観点は、マリア様がどこでお現われになったか、どうやってお現われになったか、という他に、何を仰ったかということです。
マリア様は、第二バチカン公会議の後にお現われになり、メッセージを下さって、そして教会における危機を話されました。これは私の想像に過ぎないのかもしれませんが、しかし、このマリア様の仰った内容の事を考えると、なぜマリア様が日本に来てお話になったか、という事が分かります。この日本に住んでいるほぼ大部分の人々が、本当の真理を、唯一の真理を信じていません。この日本に於いては、ほんの少数の方だけが、マリア様に愛と信頼をもっています。そして第二バチカン公会議の後には、それと同じような事が全世界で起こりました。第二バチカン公会議では更にひどい事が起こりました。ただ知らない、という無知ではなくて、この真理を、知っていた真理を拒否して、それを捨て去る、という事だからです。そしてほんの少数の人々だけが、私たちの主イエズス・キリストと、そしてその聖伝に忠実になっていたのみです。
私たちが先程申しましたように、私たちはマリア様をお慰めする為に、私たちはここに来た、と言いましたが、ちょうどマリア様は、この少数の私たちを慰める為に、マリア様は秋田でこう仰っているかのようです、「あなたたちは教会の危機について知っているかもしれませんが、私は、あなたたちよりももっとよく知っています。」マリア様は言います、「私は、今が最後の時であって、最後の戦いの時である事をよく知っています。だから私は、あなたたちの所にやって来て、あなたたちを強めに来たのです。なぜなら、私こそが運河、恵みの流れる運河、全ての恵みの仲介者であるからです。私は、あなたの近くに、私の汚れ無き御心が、あなたの近くにある事を望みます。」マリア様はドアを付けて、「私は、私の汚れ無き御心にある燃えるような愛の炎を、あなたの心の中にも置きたいのです。」
巡礼が終わって、この秋田の地を離れる時に、もしも皆さんが巡礼の時を良く過ごすならば、心の信仰と心は強められて、家に帰る事ができるでしょう。そして、この哀れな、この世界を見ながら、天国に行く為に私たちは確かに、正しい道を歩いている、という事を確信する事でしょう。そして、かつてなかったほど私たちは確信するでしょう、最後には、マリア様の汚れ無き御心が勝利を収める、と。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。