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2015年秋田巡礼のミサの説教 マリア様が母であることの意味 (シュテーリン神父) SSPX Japan

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

 秋田巡礼でのシュテーリン神父様のミサの説教をご紹介いたします。

シュテーリン神父様は、聖母マリア様が私たちの母であると言うことの意味を深めてくれます。

 どうぞお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2015年5月3日 御復活後第4主日 シュテーリン神父様御説教



同時通訳:小野田圭志神父

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
 
 昨日お話を聞かれたように、マリア様は私たちの母となりました。私たちは、マリア様が母であるという事が、一体何を意味するかを、深く理解する事に致しましょう。

 母親としてマリア様が、私たちに教えて下さる最初の教えは、天主様についてです。私たちの全生涯が、天主の神秘を正しく理解する事にかかっている事を知らなければなりません。問題は、私たちが天主様を、この目で直接間近で見る事ができない、という事です。私たちはしばしば、天主様についてふさわしい考えをもたなかったり、或いは、間違った事を思い込んでしまったりして、天主様の本当の御稜威、天主様の本当の神秘について誤解してしまう事です。

 ですから、天主様は私達に母を送って、私たちがこの地上で最も知らなければならない、最も重要な事柄、つまり天主について教えるように、としたのです。この地上でマリア様ほど、天主様に最も近しい、最も親しい、緊密な関係を持つ方はいませんでした。

 マリア様が、最初に聖アンナ様の胎内に受胎された、その無原罪の御孕りのその瞬間から、このご幼年を通して、全く罪の汚れを知りませんでした。天主しか知りませんでした。マリア様は、天主様の偉大な事を、深く理解されていました。つまり、天主様は全てであって、被造物は全く無に等しい。自分を、天主様の御前における、無に等しい婢女である、という事を深く自覚していました。

 マリア様は、この全宇宙を創った天主が無限の御方であって、大海原のように偉大な方であって、始めも無く終わりも無く常に在って在る方であり、まさに天主のその自ら在りて在す事を深く理解していました。マリア様は、全ての被造物、天使たちの代理人、人間達、大宇宙コスモス、全てが、天主様の前では影すらなく、全く無に等しいという事もよく理解していました。

 これが、マリア様が私たちに教えて下さる、最初の教えです。天主が全てであり、私たちは全く無に等しい、という事です。

 私たちは、心を開いて、この教えを大きく受けなければなりません。私たちはこれに従わなければなりません。何故かというと、私たちは非常にしばしば、全く反対を考えているからです。私たちにとってはこの世が全てで、この世には、この世の力に全くもう魅惑されてしまって、天主様は全く無に等しいかのように、誤解しています。

 考えてもみて下さい、私たちの日常生活のうち95%、99%が、この世の事、この世の事、この世の事、この世の事だけを考えて、もしかしたら5%、1%もないかもしれませんが、天主様の事を考えるか考えないかです。ですから、マリア様は私たちの心を変えて、回心させなければなりません。

 私たちはよくこう考えるかもしれません、「始めにこの世があり、この世は全てである。また、この世は永遠に続く。」と。これは、嘘です。ちょうど、今日の書簡書が言っている通りです、「全ての善いものは、天の光の聖父から来る。天主からのみ来る。」天主のみが、在りて在る方であり、御自分自身の力で存在される方であるからです、「ens a se.」これはラテン語で、「御自身自身で存在する。」と、いう意味です。私たちは、天主によって在らしめられている存在です、「ens ab alio.」これはラテン語での表現です。

 マリア様は、御自分の子供達私たちに、この本当の真理を生きる事を望んでいます。もしもそうでなかったら、私たちは幻覚と嘘と偽りの中に生きている事になってしまいます。真理とは、私は、全て、いつも、いつまでも、天主に依存している、という事です。

 私たちが朝起きたら、何をするか、どんな事を考えるか、ちょっと見て下さい。私たちの1日が始まって、動き出した時に、あたかも、「さあ、この全てが、私たちのもので、所有物で、私の思い通りにする事ができる」かのように、錯覚していませんか。これは間違っています、嘘です。

 マリア様はその反対に、朝起きて、その最初の瞬間から、「あぁ、今日この1日を御身から全て受けました。その御身の為に、これを使います。天主よ、御身を礼拝します。御身に感謝致します。」これがマリア様です。どのような事がマリア様の身に起ころうとも、どのような事があろうとも、マリア様は、「あぁ、これは天主様から私の為に送られたものだ。」

 これこそが、マリア様が私たちに、母として教えたい事です。もしも私たちが、本当のお母様であるマリア様のもとに行かなければ、馳せ寄らなければ、この真理を知る事は一切ありません。マリア様は、私たちが、私たちの人生の全ての瞬間、全ての出来事が、天主様からの贈り物であり、天主様から差し出された最高の宝物である、天主様の手にもたれたものである事を知るように、望んでいます。マリア様が朝起きて、他の隣人の方々をご覧になる時、「あぁ、この方々は、天主様、あなたが私におくって下さった方々です。天主様感謝致します。」と、祈っていました。夫が朝起きて、最初に妻を見た時に、夫は妻を、「あぁ、天主よ、天主様、あなたはこの方を私に下さいました。感謝します。」と、言います。もしも、皆さんご結婚なさっているのであれば、朝起きた時に、どれほどそれと同じような事を思うでしょうか。

 ご結婚された方は、今子供さんがたくさんいらっしゃるかもしれません。この子供を見た時に、「あぁ、息子がまたいたずらをした、女の子がまた言う事をきかなくて、頭が痛い。」と、言う代わりに、「あぁ、この子供達は、天主様から頂いた宝物、感謝します。」と、私たちは言うでしょうか。

 私たちは少しずつこうやってマリア様から、この私たちの生命の起源、命の始まりを、つまり、天主様が全てであって、天主様から全てが始まる、天主様がその原理であって、α(アルファ)である、始めである、という事を習っていくのです。天主様は始めであると同時に、Ω(オメガ)である、つまり終わりである、究極の目的である、全ては天主様へと向かっていかなければなりません。私たちは毎日、一体何の為に生きているのか、を知らなければなりません。

 これが、私たちの最も良い母の、マリア様の第二の教えです。

 つまり、全ては天主様から来る、というのみならず、全ては天主様へと導かれなければならない、天主様へといかなければならない、という事を教えてくださいます。

 マリア様の御生涯を見て下さい。マリア様は全て、天主様の栄光の為に、天主様のその光栄の為に捧げて、生涯を使っていました。マリア様は全て、天主に仕える為に、天主を愛するが為に、天主がおくられたこの隣人を愛する為に、助ける為に、使っていました。

 では皆さんにお尋ねします、私たちは一日中、何のために時を使っているでしょうか?私たちは非常にしばしば、自分の為に時間を使っています。私たちは、天主様の為に、天主様を愛し、天主様に仕え、隣人の救霊の為、と考えてみた事もありません。これが、私たちの人生の第二の間違いです。何故かというと、私たちは天主に栄光を与える代わりに、却って自分を高めて、自分の栄光を欲しようとしているからです。褒められたい、と思ったり、野心を果たしたい、と思ったり、お金持ちになって面白おかしく過ごしたい、と思ったりする事です。このような生活は、私たちにとって全く時間の無駄であって、非常にしばしば、罪の生活です。

 ですから、最も良き母の内の、最も良い母であるマリア様から、私たちの方向がどっちに向かっていなければならないかを、学ばなければなりません。もしも皆さんが、御自分をマリア様に奉献するならば、マリア様は必ずこの事を教えて下さいます。マリア様が、私たちの霊魂に働きかけた最初の大きな変化とは何でしょうか。私たちがもしも、全ては私から来て、全ては私に向かっている、という事は、それが多くの場合現実ですが、そのような場合には、結果的には私たちは不幸であり、遂には、絶望へと導くものです。なぜ不幸になり、なぜ絶望するかというと、これは真理ではないからです、それは幻覚であるからです。私たちは、面白おかしく、楽しんでいるかのように錯覚していますが、実は、奈落の底へ、滅亡へと、私たちは道を歩んでいるだけなのです。これは、私たちは誤った道を歩んでいるのみならず、非常に深く、天主を冒涜し、傷付けるものです。

 マリア様のもとに、今日私たちは行きますけれども、皆さん是非、マリア様にお祈りしてお願してください。私たちに本当の意味を、母となり、なって下さい。私を教育して下さい。私に本当の事を教えて下さい、とお願いして下さい。私が、天主の前にどのような態度を取らなければならないか、という事を教えて下さい。私は天主に全く依存して、それに寄り添って生きていきたいのです。それこそ、私が望んでいるのです。天主のみが全ての支配者であって、全ての王であります。

 私たちの人生は非常に短い、という事を忘れないで下さい。私たちの人生というのはただ一回、私たちの永遠を準備する為だけに与えられています。もしも、もしも私たちの人生が、天主様の為に捧げられていないなら、その為に使われていないなら、全く無駄に過ごされた、という事です。この世の人々に全く忘れてしまって、全く無知のままに残されている真理に立ち戻れる、唯一の真の天主が在して、私たちを創られ、私たちを待っている、という事に立ち戻るよう、大きな、大きな望みをもつ事に致しましょう。

 この説教の終わった直後に、私たちは使徒信教を歌います。ですから、今日の皆さん歌うクレドは、今まで歌ったクレドとは違います。天主様の、非常に偉大な御稜威の御光栄を思い浮かべて下さい。この天主御父が、私たちの持っている全ての善いものを、この全てを私たちに下さった、という事を、よく目の前に浮かべて下さい。この燦然と輝く太陽が私たちに与えらて、それは、その太陽の創り主である天主に戻っていく為だ、と。

 私たちの本当の人生の目的は、この世ではありません、天国です。私たちの面白おかしい快楽ではなく、天主です。この世の束の間の嘘の楽しみではなく、永久永遠の、終わる事のない、本当の幸せ、幸福の為に生きています。

 私たちは聖霊に祈りましょう。聖霊が私たちを、その燃える愛の炎で焼き尽くして下さいますように。私たちが、もう私ではなく、天主を見出して、天主の為に生きるように。この世の為ではなくて、天主の為に、天主から来て天主へと向かうように。そうした時に私たちは、本当の人生のヴィジョン、意味を分かる事になります。天主から来て、天主に於いて歩み、天主へと向かって行く、という事です。これが、現実であって、聖パウロの教えです。天主は、全てに於いて全てである、と。

 これこそが、最高の母であるマリア様の、子供である私たちに教える、第三の教えです。

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 

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