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2015年秋田巡礼 SSPX Akita Pilgrimage 霊的講話2 「マリア様が私たちにとって母である」とは

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 秋田巡礼でのシュテーリン神父様霊的講話 その2をご紹介します。

 聖母マリア様が私たちにとって母であるとは、何を意味しているのでしょうか?
 イエズス様が十字架の上でマリア様に命じて、マリア様がイエズス様を愛したのと同じ愛を以って、私たち一人一人を愛する事を要求しましたが、それは何を意味しているのでしょうか?
 マリア様の私たちに対する愛は、どれほど偉大なものでしょうか?
 マリア様の母親としての質、特徴、役割、とは、何でしょうか?
 マリア様が私たちに、超自然の命を伝えたということはどう言うことでしょうか?
 私たちにとって、聖母マリア様が私たちの超自然の命を与えた母であるとは、具体的に何の意味があるでしょうか?
 ちょうど赤ちゃんが、自分の栄養分を全てお母さんの乳から頂くように、私たちが超自然の恵みを全てマリア様から受けているとは、どう言うことでしょうか?
 マリア様はどうやって御自分の母としての役割を果たしているのでしょうか?
 マリア様が母である、という事は、もしも、マリア様が私たちの全ての必要、全ての大切な全てを解決する事ができる、という事であると知っていたでしょうか?
 マリア様が、御自分の子供を霊的な敵から守ることが出来ると知っていたでしょうか?
 聖母マリアは、良き母として、私たち子供を教育されると知っていたでしょうか?

 どうぞお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2015年5月3日 秋田巡礼 シュテーリン神父様霊的講話2
同時通訳:小野田圭志神父

 昨日、私たちは、マリア様の母である事の玄義を、神秘を、黙想し始めました。このような素晴らしい母を私たちが受ける、という事が天主様の御旨であります。小さな子供でも、今はカトリック信者であれば、マリア様は私たちのお母様である、という事を知っています。

 しかし、マリア様が私たちにとって、本当の意味で母である、という事がどのような事を意味しているのか、という事を深く理解している人は、非常に稀にしかいません。十字架の上でイエズス様は、私たちの一人一人に於いて、マリア様が母親である、という事を任命されました。イエズス様はマリア様に、マリア様がイエズス様を愛したのと同じ愛を以って、私たち一人一人を愛する事を命じられました。マリア様が、私たちの事をこれ程までも愛しておられるという事は、信じる事が非常に難しいほどです。イエズス様の代わりに私たちの様な、罪深い、ろくでもない、ヤクザの様な、とんでもないゴロツキが与えられた、という事は、マリア様にとってどれほどの多くの苦しみだったのか、という事を深く理解しなければなりません。

 聖マリア・グリニョン・ド・モンフォールはこう言っています、「マリア様は、私たちの事を深く、優しく、愛しています。それは、全てのこの世の中のお母様たちを集めたよりも遥かに、優しく私たちを愛しています。では、この世にいる全ての母親の、自分の子供に対する愛を集めて、総計を見て下さい。この全てのその総計の愛を集めて、一つのお母さんの心に入れて、その一人のお母さんが、全ての母親の愛情を総合を全て込めて、一人の子供を愛したとします。それでも、マリア様の私たちに対する愛に比べれば、何でもありません。」

 この巡礼の目的は、私たちが、マリア様が一体どのような方なのか、つまり、私たちにとって、マリア様が母親であり、元后であり、女王であり、指揮者であり、総指揮官である事を深く理解する事です。そうする事によって、私たちの取るべき態度、すなわち、私たちがマリア様の子供であり、マリア様のしもべであり、マリア様の騎士であり、兵士である事を知る事ができるからです。

 では、マリア様の母親としての質、その特徴、マリア様の母としての役割、というものを深くみてみる事にします。

 まず、私たちの内にお母さんとなる方がいます。それはなぜ母親になったかというと、子供が生まれたからです。お母さんは子供に命を与えました。母親の役割とは、命を伝える事です。命は、子供の命は、胎内から与えられています。

 マリア様が母であるという事の役割の第一は、命を伝える事です。皆さん、私たちには二つの命がある、という事をご存知のはずです。つまり自然の命と超自然の命です。自然の命というのは、私たちがお母さんの胎内に宿って、それから死の迎える時までの事です。この自然の命は、肉体的なお父さんと肉体的なお母さんから来ます。超自然の命とは、天主様御自身の命の事です。この命は永遠の命で、決して終わる事がありません。自然の命と超自然の命を比べると、一滴のほんのちょっとした水滴と、大洋の大海原の水と比較できるかもしれません。

 この私たちが生きている間に、この超自然を受けた者だけが、永遠の命、永遠に生きる事ができます。この超自然の命は、洗礼を受ける事によって、初めて受ける事ができます。イエズス様の仰った通り、「もしも、私たちが永遠の命に至りたいのならば、洗礼を受けなければなりません。」

 マリア様がこの母である、というのは、この超自然の命に於ける意味での母であって、このマリア様が超自然の命の母親である、というのは、この地上の全ての母親よりももっと深い意味で、母です。

 天主様の命がどうやって、どんな方法で、私たちの所に来るのでしょうか?超自然の命は、天主様だけが、私たちに与える事ができるので、被造物が私たちに与える事は絶対にできません。イエズス・キリスト様が、この地上に人となって来られて、十字架の上で贖いの業を成し遂げて、この命を与える事ができます。ですから、イエズス・キリストの聖心こそが、そこから私たちへと出る超自然の源だ、と言う事ができます。ちょうど、イエズスの聖心から血と水が出て、超自然の命を私たちに伝えるのです。言いかえると、天主様の命と言うのは、十字架の木の果実であり、その実りなのです。それによって、私たちを聖とするのです。

 ところで、イエズスの聖心から御血が湧き出て、天主様の命が噴き出た時に、それを受けた方が十字架の足下にいます。この超自然の命のことを、成聖の恩寵、とも言います。恩寵とか寵愛という漢字の意味は、タダで、偉い方が与えて下さる、という無料のお恵みの事です。

 皆さん、毎日何千回、何百回とお祈りする、この天使のマリア様への挨拶、「めでたし、聖寵満ちみてるマリア、」この聖寵の満ちみてる、という事は、マリア様は、十字架の下でやはり、イエズス様の聖心から湧き出る全ての命を、それを受けた、ということです。無原罪の御孕りでは、既に、確かに、聖寵の充満を、満ちみてる聖寵を受けましたけれども、それは御自身の為だけでした。ところが、十字架の上ではイエズス様は、私たちの為に、その聖寵の充満をマリア様に与えたのです。

 では、皆さんにとって私たちにとって、これは一体具体的に何の意味があるでしょうか?

 皆さんの超自然の命は、二人の方に由来している、という事です。

 私たちがその方から依って受けた、超自然の生命の、その第一の恩人は、イエズス・キリストです。

 母親としての、副次的な、しかし決して欠く事の出来ない恩人は、マリア様です。

 私たちがしばらくしたら、修道院にマリア様の御像を訪問しに行きますけれども、秋田の市内を通って行きます。その市内に住んでいる人のほぼ全ては、洗礼を受けておらず、超自然の命を受けていない方々です。そのような超自然の命を受けていない様な人々が、私たちの周りにたくさんいるのを見て、そのような人々が、ものすごい大金持ちであったとしても、百万長者であったとしても、超自然の命がない事を見て、私たちはどれほど感謝しなければならないでしょうか。このような一般の人々は、たった一滴の水しか受けていないのに、私たちは大洋の大海原を受けたのです。そのような恵みを受ける、どこに功徳があったというのでしょうか。それは何故かというと、誰かが、皆さんの為にお祈りしていたからです。マリア様は2000年の間、私たちの為に、皆さんが超自然の命を受ける事ができるように、祈って下さっていたのです。

 マリア様が私たちの母となる、という特別のお恵みを、私たちは受けた、という、信じられないほどの恵みを受けた、という事を記憶して下さい。私たちは昔、たった水の一滴でしかありませんでした。確かに、この一滴の水さえも、天主様からの特別の贈り物でした。例え、その一滴の水だったとしても、原罪に依って犯されている為に、毒が付いている為に、永遠の命を受ける事ができませんでした。ところが、皆さんはイエズス様と出会い、その超自然のお恵みを受けましたが、どうやってイエズス様とお会いしたのでしょうか?何故かというと、イエズス様と私たちが出会う事ができたのは、その出会うもっと前から、イエズス様が私たちに、御自分のお母さんをおくって下さったからです。マリア様は、多くの色んな境遇や色んな出来事を使って、皆さんの心に働きかけて、触って、動かしてきているのです。

 ここに、洗礼を受ける求道者の方がいます。この求道者の方は、もしかしたら本を読んで、或いはインターネットから、或いは友達を通じて、イエズス様や、マリア様や、私たちの事を知ったのかもしれません。或いは、もしかしたらまた別の方は、良いカトリック信者の男性と出会って、その男性の信仰に非常に感銘を受けて、洗礼を受けて結婚に至った、その良い方と出会った為に、洗礼を受けた、という方もいるかもしれません。

 ところで、このようなインターネット、或いは良い本、或いは良い友達、などというのは手段に過ぎません。その手段を通して、それを動かして、それを使っていた、その作者がいます。その作者は、マリア様です。マリア様は、ただ単に、私たちが洗礼を受ける、その最初の瞬間だけお母様であって、後は知らないよ、というものではありません。マリア様は、いつも、いつまでも、ずっと私たちの世話をする母親です。

 皆さんが、今日、今この瞬間、秋田に居て、こうやってマリア様の元に行く、という事も、イエズス様から特別の恵みをたくさん今頂く事ができる、というのも、実は、マリア様が皆さんをここに呼んだのです。この世では、マリア様を通して、母であるマリア様を通して、イエズス様から私たちが頂かないような恵みは一つもありません。全てのお恵みはマリア様を通して、私たちに与えられるのです。皆さんは子供です。ちょうど赤ちゃんが、自分の栄養分を全てお母さんから頂くように、お母さんの乳から頂くように、皆さんは全て、マリア様から全ての恵みを受けています。

 ですから、マリア様を置いて、マリア様なしにミサに与ってはいけません。もしも、皆さんがマリア様と一緒に、マリア様を招いて、マリア様と共にミサに与るのならば、もっと熱烈にミサに与る事が出来て、もっとマリア様を通して、母としてのマリア様を通して、たくさんのお恵みを頂く事ができます。天主様が、私たち二人をその特別な司祭として、恵みを与えて下さいました。でもこの、その司祭の恵みは、マリア様から頂いたのです。マリア様なくては、私たちは今こうあるようにできていません。私たちが受ける全ての秘跡は皆そうです、マリア様から来ます。ですから私たちは、この事をよく自覚しなければなりません。私たちが毎瞬、毎時間、全ての出来事を、事件を通してお恵みを受けているのは、マリア様を通してのみ、という事です。

 もしも皆さんがマリア様を本当の母として、確かにお母さんだ、と思えば思うほど、マリア様はもっと皆さんに多くの恵みを与えます。もしも皆さんが、もっと良い子供でありたい、良い子供として立ち振る舞う、という事であればあるほど、マリア様はもっともっとお恵みを与えて下さいます。私たちはミサを捧げる前に、「おおマリア様、私たちの我が母よ、この私の口をどうぞ導いて下さい。私の手を導いて下さい、私の心を導いて下さい。ミサを良く捧げる事ができるように助けて下さい。」と、祈ると、私たちのミサは、もっと実りの多くなると感じています。何故かというと、マリア様には、もう与えても与えても、もう与え尽くす事のできない程のものすごい巨大なお恵みを持っていて、私たちも、受けても受けても受けても受けても、もっとマリア様は、それを十分与える事ができる御方であるからです。

 皆さん、例えばカルメル山の茶色のスカプラリオとか、或いは不思議のメダイとか、色々なこのマリア様の信心、これは一体何を意味するのでしょうか?このようなスカプラリオや、或いはメダイを身に付ける、という事は、いつもマリア様が私たちの母である、という事を思い出して、これをしるしとして、この私たちが子供として生きている、という事なのです。フィリピンのレイテ島のタクロバンという所では、今年の2月にメディカルミッションがありました。4000名の病気の方々を、無料の治療を施して、不思議のメダイも配りました。その方々に、スカプラリオやメダイを与えながら、「これをいつも身につけて覚えて下さい。マリア様は、あなたのお母さんですよ。」もしかしたら、ほとんどの人々は、洗礼を受けたけれども、信仰について深い知識を持っていないかもしれません。しかし、マリア様に属している、マリア様の子供だ、という事を思い出させるメダイとスカプラリオが与えられました。

 でも、このメディカルミッションを受けた人々に比べて、皆さんは特別のお恵みで、マリア様のついての深い知識を与えられました。ですから、皆さん朝起きて最初にスカプラリオに接吻する時に、「あぁマリア様、私のお母さん、あなたは本当に私のお母さんで、私に超自然の服を下さいました。」

 一日どんな時でも、或いは誘惑の時、或いは暗闇の時、或いは恐れの時、その時にスカプラリオを手に取って、ぜひ接吻して下さい。「マリア様、私はあなたの子供です。」

 もしも、そうなさったら、そのスカプラリオを通してマリア様は、もっともっともっとたくさんのお恵みを下さいます。

 皆さんは、毎日毎日もっともっと良くなろうと思っています。もっと良くなるとはどういう事でしょうか?もっと良くなるという事は、ますます天主様に満たされて生きる、という事です。私たちの命を、超自然の命を壊す罪から解放されて、罪のない生活をますます送る、という事です。マリア様は実は、この事を与えようとして待っているのです。マリア様の元に私たちが行って、「マリア様、お母さん、この超自然の命をもっと増やして下さい、この超自然の生命を守って下さい、これを失う事がないようにして下さい。」と、お祈りするのを、ただ待っているのです。

 では、第二のポイントとして、マリア様はどうやって御自分の母としての役割を果たしているのでしょうか?

 お母さん、子供がいるお母さんを見て下さい、いつもお母さんは子供の事をよく見て、子供が、あっ、と、これが必要だな、と思う時には、それを与えます。子供はそういう事にも関わらず、何か遊んで、こうやって転んで、お尻をついて、「お母さ~ん!」と、泣きます。もしも、皆さん想像して下さい、皆さんの中に可愛い赤ちゃん、子供が転んで「お母さ~ん、お母さ~ん!」と、言った時に、「また転んだの!?一人で立ちなさい!!さあ!!」と、言う人はいるでしょうか。皆さん、皆さんでさえもなさらないようであれば、マリア様はどうしてする事ができるでしょうか。私たちは小さな子供のように、超自然の命では、何度も罪を犯したり、倒れてしまう事があります。その時に私たちは、「お母さん!マリア様!」と、呼ばなければなりません。

 私は、子供の頃の事はよく覚えていないのですけれども、一つだけ忘れないで覚えている事があります。私の家は農家で、牛や豚をたくさん飼っていました。牛や馬が食べた後にその出す何かをお父さんと私が、父の手伝いをして、それを集めるのを手伝いました、子供の頃。英語とか日本語で何という名前がつくか知らないのですけれども、そういう肥溜めというのでしょうか、そういうものをたくさん近く山のように積んでいました。やっぱりその肥溜めでそういう汚い汚物がたくさん入っているこの池のような所にその父の手伝いをして入れるんです。ある日、父の手伝いをしていて「あっ」と転んで、その中にボチャッと入ってしまいました。これはちょうど底なしの沼のようにズズズッと、もうそのままズブズブズブッと入って、もう深いのです。そこでもうズブズブッと入って、もうこれで出られないようなすぐ落ちてしまったら、「お母さーん!!助けてー!!」と、叫びました。お母さんはその時に台所で料理をしていたのですけれども、その私の声を聞いてものすごい形相で走って来てその肥溜めにドボーン!と入って、私をそこから出してくれました。そのあまりにも臭かったので、三日間学校を休みました。しかし他の事は全部忘れたのですけれども、お母さんが、こうシューッと走って来て、もう一瞬たりとも遅れまいと走って来てその肥溜めにドボン!と入って、私をかき出してくれたのは覚えています。もしも、この地上の母でさえもこれをするならば、天の母親はもっとしない事があるでしょうか。

 「お元気ですか?」と私が尋ねると、こんな答えが来るかもしれません。

「色んな問題があり過ぎて、もう、ダメです。」「夫はもう飲んだくれで、子供は不良で、隣の人は極悪で、職場の人はこんなに悪く…」「この世間は本当に恥知らずで、こんな悪い人がいて、もう、もうダメです。」「問題だらけで大問題でもう解決もありません。」

 私は言います。「じゃあ何でマリア様の所に行かないんですか?マリア様には全て解決があります。」

 もしも、マリア様が私たちの全ての必要、全ての大切な全てを解決する事ができる、という事を信じて信頼しないなら、皆さんはマリア様が母である、という事を分かっていません。

「おお神父様、いつも同じ罪を犯してばかりいます。」「もうやってもやってもダメです。もうダメです。もう忘れた方が良いです。」

 何故かというと、マリア様にお願いしないからです。この小さな子供を見て下さい、転んで倒れてしまったら、お母さんを呼ぶじゃないですか。マリア様は、マリア様は私の母よりももっと早く、この恐るべき臭いのする罪から私たちを救ってくれます。

 皆さん、マリア様が本当の母である、という意味を知らなければなりません。罪を犯した後だけではありません、罪の前に誘惑を受けるかもしれません。ちょっと考えてもみて下さい、子供がお母さんのいる台所に居て、「あ!おもしろいおもちゃがある!」と言って近づくかも知れません。この面白そうなおもちゃだ、と思った物は、お母さんの使っている危ない包丁です。包丁を持ってこうやって、「きれいだなあ~。」皆さんが、そんなような子供の、包丁をおもちゃにしているような子供のお母さんだと考えて下さい。皆さん、「おお、我が子や、包丁で遊びなさい、さあさあさあ、傷を付けなさい。さあ、どんどん。」と、言うでしょうか、現代の教育はこうです。良い母は、「おお、子供よ、これは危ないのよ。危ない危ない! 危ない危ない。」

 皆さん、子供がそこらへんで遊んでいるとします。その3メートル先はものすごい崖っぷちで、もうそこには何百メートルもの、それはそれはすごい谷底があり、ヒューッと落ちてしまいそうです。お母さんはその子供が危ない崖っぷちの方にチョロチョロと行っているのを見るのです。霊的な生活においても私たちはしばしば、もしかしたら罪の危険、或いは誘惑の危険について、全く気が付いていないかもしれん。でももしも、私たちがマリア様をいつもこう見て、「お母さん、お母さん、アドバイスを下さい。お母さん、お母さん、ここは大丈夫ですか?」とすると、マリア様は、「あぁ、子よ。ここは崖っぷちですから危ないですよ、ここは誘惑の危険がありますよ、ここは近寄ってはいきませんよ。」と、必ずアドバイスをくれるに違いありません。

 皆さん、もしかしら動物園でライオンとかご覧になった事がありますね。ものすごい凶暴で、「ウオオー!」と、啼きます。ライオンのメスライオンが、そのまだ子供の頃を見た事がありますか?例えばサファリとか野生の王国に行って、ライオンの子供が、像によって踏みつけられるとか、パンサーがやって来てライオンの子供の命を狙おう、食べてしまおう、という時に、メス・ライオンがどうやって、どういう態度を取るか知っていますか?このメス・ライオンは、この自分が殺されたとしても、自分の命をかけて子供を、子供のライオンを守ります。これは野生の動物に過ぎません、単なる動物です。マリア様が、どうやって悪魔から私たちを守るかのモデルです。

 もしもマリア様が、御自分の子供が、霊的な敵から、もう死の危険を迫られて、攻撃を受けている。この子供が、「お母さん!」と、救援を求めている。マリア様は、そのメスライオンの千倍の力を凶暴さをもって戦います。もしも私たちの前に何千何万という悪魔がこう命を狙って、攻撃したとします。単なる誘惑を受けるだけではなくて手はもう喉元まで来てもう息ができずに死の直前だ、という所まで迫ってきたとしても、もう弱って弱って力尽きて、もうこれ以上もう何もできない、と思ったとしても、誰も助けに来ない時でも、全く一人で孤立したとしても、その時にマリア様を、「お母さん!」と、呼んで下さい、「サタンの頭を踏み砕いて下さい!助けに来て下さい!」マリア様はすぐにやって来て、その何千何万という悪魔を踏み砕いて、何も残りません。

 マリア様は、全ての被造物の最高に強い、最強の母です。マリア様は、その御自分から悪魔たちを、全て恐れさせて逃げおおせさせる全ての権力と力をもっています。これこそ、マリア様の母としての役割、子供を守り、擁護する。特にこの現代、マリア様の役割は、最も重要な役割の一つとなっています。何故かというと現代は、私たちの霊魂の、超自然の命の敵が私たちを取り囲んで、天主様を私たちから奪い、地獄に直行させるように働きかけているからです。もしも私たちがろくでもない、もしもまさに私たちがマリア様を忘れてしまって、マリア様にお祈りしない事があったとしたら、私たちはもう、失われたも同然です。マリア様こそが、最後の究極の救いです。

 また良き母は、子供を教育します。ちょうど、このミサの時の御説教で申し上げましたように、マリア様は、天主様と私たちの正しい関係、正しい、私たちが天主様に取るべき対する態度について教えてくれます。皆さん、マリア様はそれだけではありません、全ての事を教えようと思っています。何故かというと皆さん皆、馬鹿だからです、愚かだからです、何も知らないからです。動物さえ知っている様な私たちの日々の義務、恩務というのを、私たちは分かっていません。

 つまり、マリア様は私たちが、その教育を受けるように、学校に行くように望んでいるのです。その学校というのは、実はすごい学習期間が短いのです、1日15分です。先生の前に跪いて、先生は、皆さんの前に15分間、信仰の神秘を教えてくれます。その15分間で私たちが為すべき義務、職務という事が何であるかを教えてくれます。この学校というものは、黙想の事です。15分間毎日、マリア様の足下に跪いて黙想します。マリア様は、私たちに何をするか知っていますか?マリア様は私たちを連れて行って、「子よ、私と一緒に来なさい。私はあなたに素晴らしい事を教えてあげる。」マリア様は私たちに、今までそんな事が存在していた、という事すら思いもよらなかった素晴らしい事を、私たちに教えてくれます。もしかした皆さんは、公教要理を通して、ちょっとはそれをかじった事があるかもしれませんが、その深い意味をまだ分かっていないかもしれません。でもマリア様が、この私たちの人生の一番大切なものの深みの意味を、深い意味を教えてくれます。

 マリア様のまた別の、最も非常に重要な役割は、私たちを導いて下さる、という事です。私たちは何をして良いか分かりません。ちょうど人生の分かれ道で、「右に行くのかなあ?左に行くのかなあ?」と、思う時があります。「私にとって一番良いのはどっちなんだろう?」でもマリア様は、私たちにとって一番良いのは何かを知っているので、導いて下さいます。

 私たちは非常にしばしば、決心しなければ、選択しなければなりません。選択をして、こう決定を下さなければならないのですけれども、決定を下した後に、「あぁ、いやいやいやいや、こんなまた変な事を決めてしまった。変なものを選んでしまった。」と、後悔する事がよくあります。何故かというと、皆さんは一人で決めたからです。だから間違ったのです。皆さんは、自分の欲望とか野心とか、自分の都合とか感情に流されてそれを選んでしまったからです。選択をする前に、マリア様に尋ねて下さい。『善き勧めを給う御母』。マリア様の称号です。善き勧めを、マリア様はいつも給うのです。マリア様は善い勧めを下さりつつ、天国まで導いて下さいます。マリア様は私たちの母ですから、特に私たちを、御子イエズス様まで導いて下さいます。イエズス様と共にマリア様は、御父まで導いて下さいます。

 マリア様が皆さんを天主様の前にお見せする、紹介する時に何をするか知っていますか?皆さん、天主様の前に、何か自慢する様な何か持っていますか?新しいミサの様に、「主よ、私はあなたに、この人間の労働の実りと大地の恵みを捧げます。」と、言うのですか?皆さんの人間の尊厳と、それを、その何かあたかも何か凄い物のように差し出すのですか?私たちは、天主様に差し出せるものが何かあるのでしょうか?皆さん、皆さんが天主様の御前に、非常に心強い、純粋な愛を、熱烈な祈りを、一つでも捧げた事がありますか?私はありません。

 ちょうど私たちは比較してみると、例えてみると、御稜威の高い天皇陛下の前に、或いは王様の前に、どこかの国王様に、「捧げ物をしたい。」と、言って一生懸命差し上げたのが、腐ったリンゴだった、と。

 でも、マリア様が私たちを王様に提示する時には、マリア様には、ものすごい綺麗な素晴らしい果物がたくさんあります。何故かというと、マリア様はインマクラータで、汚れの無き、無原罪の御孕りであるからです。マリア様は自由に天主に王に会う事ができます。マリア様は天主の御母です。マリア様は天主御父から最も愛された愛娘です。マリア様は聖霊の淨配です。マリア様は天地の、全ての天使たちの、人類の元后です。

 この元后は、私のお母さんです。この母であるマリア様は、全能の天主の前にいて、私について話をします、「天主、全能永遠の御父よ、私は子供がいます。この地上の下の方にいます。この小さな子は、問題がたくさんあります。助けて下さい。」

 もしもマリア様が、ちょっとでもお願いすれば、天主は必ずその願いを聞き入れます。

 12時になりましたので、ご飯に行きます。


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