アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2015年5月4日、秋田巡礼でのシュテーリン神父様霊的講話その7をご紹介いたします。テーマは、「隣人を自分の如く愛すること、隣人の救霊のために聖母に協力すること」です。
どうぞお読み下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年5月4日 秋田巡礼 シュテーリン神父様霊的講話7
同時通訳:小野田圭志神父
先程の拷問(講話)では、次の事を説明しようと考えていました。それは、マリア様への奉献生活の三次元的な要素、という事です。それは、第一と第二の次元は、私たちとマリア様の個人的な関係で、私たちの母であり、女王であるマリア様が、私たちの聖化の為に、私たちが聖となる為に必要である、という事です。そして第三の次元、観点というのは、それは天主様が私たちに与えて下さった使命、そして仕事、つまり愛の掟を全うする事であって、つまり隣人を私たちと同じ様に愛する、自分の如く愛する、特にイエズス・キリスト様が愛して下さった様に、隣人を愛する、という第三の観点です。
ですから私たちの人生は、天主様と共に共同の仕事をする、共に仕事を働いて、そして救霊という最も最高の幸せを隣人に分け与える、という使命です。隣人愛については、本当の意味の隣人愛については、私たちは本当に、今目も当てられない状態にいます。何故かというと、私たちはそれにほとんど関心を持っていないからです。隣人の救霊について気にもかけていません。
ですから天主様は私たちにマリア様を与えて、天主を愛するというその次に大切な、隣人を愛するという掟を、私たちが守る事ができるように助けて下さる、教えて下さるのです。私たちがマリア様の道具となればなるほど、マリア様は私たちが隣人愛を達成する事ができるように助けてくれます。何故かというと、私たちがマリア様の道具となればなるほど、隣人の救霊の為に役立つ事ができるからです。
ところで、永遠の救い、救霊という事は、全く純粋に天主様の御恵みです。でもその天主は、その御自分の望みによって、御自分の意志の決定によって、私たちをその道具と使う事によって、初めて救霊をしようと望んでいるのです。これが天主の定めた法則であって、法であって、それを私たちが受け入れるしかありません。もしも、その道具が使われる事を拒否するならば、素晴らしい芸術家も絵を描く事ができません。
ですから、私たちはこの事を深く知らなければなりません。もしも、この世に司祭がいないならば、イエズス・キリストは、天主は、救いの業をこの世で遂行する事ができません。もしも、マリア様がその道具が無いならば、マリア様がお持ちのお恵みを、その救霊の為に霊魂に使う事ができないでいます。マリア様には道具が必要です。ですからマリア様の燃えるような救霊、深いそして回心の望み、聖化の望みを持って、その望みはもう涙を流すほどのものであって、そしてその為に必要な御恵みは全てを持っているのですけれども、それを伝える道具が必要としているので、マリア様はやはり涙を湛えながら私たちの元にやって来て、「私を助けて下さい。」と、言うのです。ファチマにやって来た時にマリア様が子供達にお願いした事は、まさにこれと同じ事です。
ファチマで或いは天使が子供達に尋ねた最初の質問はこうでした、「子供たちよ、あなた達は罪人の回心の為に、祈りと犠牲を捧げる事をしてくださいますか?」と。そして1917年の8月19日、マリア様は子供達に、「祈り、犠牲を捧げなさい。何故ならば、祈り、犠牲を捧げる人がいないので、多くの霊魂たちは地獄に堕ちているからです。」
この事を言い換えるとどういう事かというと、多くの霊魂が永遠に救われるか、或いは永久に地獄に堕ちてしまうか否かは、その境目は、私たちがちょっとしたお祈りをするか、或いはちょっとした犠牲を捧げるか、それに懸かっているのです。そしてマリア様は皆さんに応えを求めます、マリア様の道具となる為には、救霊の良きマリア様の道具となる為にはどうしたら良いか、マリア様は、皆さんに今伝えようとしています。
私たちが隣人を本当の意味で愛する為には、何をしなければならないでしょうか?ファチマでは子供達に二つの手段を教えてくれました。祈り、犠牲を捧げる事です。祈りです、まさに祈りです。マリア様の汚れ無き御心には、救霊の為に必要な全てのお恵みがあります。そしてマリア様に必要なのは、その運河で御心から罪人まで届くチューブです、パイプです。ところが、そのパイプは祈りです。
明日、飛行機、或いはバスで帰る方がいますね。そして明後日は皆さん飛行機とかバスに乗って帰ることでしょう、---- 或いは自転車で帰る方もいるかもしれませんが --- ところで、皆さんが乗ったこのバス、或いは電車の同じ客室に、皆さんと会った事も無いような、そして今回御摂理によってその同じ客室にいるのですけれども、もう再び会う事も無いようなお客さん達が乗っているかもしれません。そしてバスにはもしかしたらテレビの画像が、下らない映画が上映されているかもしれません。それをボーッと見る代わりに、その代わりに目を閉じて、「イエズス様、このバスの1号席に座っている霊魂を救って下さい、2号席に座っている霊魂を救って下さい、その後ろの3号席窓側に座っている霊魂を救って下さい。」と、お祈りするのはどうでしょうか?そうすると、マリア様の道具になります、パイプになります。マリア様のお恵みを、皆さんがその霊魂に注ぐ事ができるようになっています。皆さんのこのほんの小さな祈りは本当何でもありません。
もしも、皆さんは、頭痛がするとか、お腹が痛いという時にはどうしますか?「大丈夫ですか?」と、言うと、「あぁ、頭が痛い、お腹が痛い。」と、ずっと言う人もいます。ところで、もしもそのような時には、頭痛や或いはお腹が痛いという時には、マリア様にこれを、「救霊の為に、霊魂の救いの為にお捧げします。」と、捧げるのはどうでしょうか?
皆さんの祈りと犠牲は、マリア様のお恵みを使って霊魂に触れる事です。このほんの小さいパイプの様な私たちの祈りですけれども、そのマリア様のパイプが、祈りがその霊魂に触れたその瞬間、マリア様の胸からものすごい光が、パーッと霊魂に注がれるのです。
小さなヤシンタちゃんは10歳で亡くなりました。ヤシンタちゃんは、病気で病院に入院して苦しんでいましたけれども、彼女のやった事は、祈り、犠牲を捧げる事でした。そしてこの子供は、自分の知らないような多くの霊魂たちの回心の為に、たくさんの祈りを常に捧げていました。このヤシンタを列福運動の為に特別に働いていた枢機卿は、その列福調査の後に、「この小さな女の子は、その当時全世界で働いていた全ての宣教師たちの仕事を全て集めたよりも、もっと救霊の為に働いていた。」と、宣言されました。
この小さな祈りの効果、力というのがどれほど凄いかよく理解して下さい。これが、私たちが隣人の為に真剣になって愛するという事の行為です。つまり彼らの救いの為に祈る、という事です。
幼きイエズスの聖テレジアの生涯も全く同じ事でした。幼きイエズスの聖テレジアが亡くなった時には23歳にしかすぎませんでした。その時、宣教地に行くとか宣教師として出掛けたという事はなくて、ただ小さなカルメルの修道院の中に閉じこもっていて、そこの周りにいたのは20人の同僚のシスター達だけでした。この本当の小さい隠れた幼きイエズスの聖テレジアですけれども、何百万何千万何億という多くの救霊の為に祈りを捧げ、そして彼らのその救霊の為の効果を得ました。ですからカトリック教会は、この小さな修道女を、隠れた修道女を、宣教師の守護の聖人として宣言し、そして偉大な大聖人となりました。
有名な聖ドン・ボスコのビジョンがあります。イタリアのボローニャという所でドン・ボスコは汽車を待っていました。ところで、その汽車を待っていて、こう汽車がやって来るのですけれども、同じこのプラットホームの向こうの方では、おかしな男が天主様を冒涜して、悪い口汚い言葉で罵っていました。そこで電車が来たのでもう乗らなければならないのですけれども、この霊魂の為にお祈りをしました、「彼が地獄に堕ちませんように、マリア様、彼を救ってあげて下さい。」そして電車に乗りました。電車に乗ったドン・ボスコは、この男の事をコロッと忘れてしまいました。ところで数ヶ月後、ビジョンでこの冒涜の言葉を吐いていた男がビジョンの中に現れて、ドン・ボスコに言葉をかけてきたのです、「ドン・ボスコ、私が誰だか分かりますか?」「分かりません。」「三ヶ月前、私はボローニャの駅にいました。その時、駅で天主に冒涜を吐いていた男がいたでしょう。二日前、私は事故で死にました。そしてその死の直後、私の前に地獄の火がボオオオッと、大きく門が開くのを見ました。ところがその最後の最後の瞬間に、天主様は私に、罪を痛悔するお恵みを与えて下さいました。そしてその時に同時に、天主様はドン・ボスコの姿を見せて、〖この男があなたの為にお祈りをしてくれた。だからこの人のお祈りのおかげで、あなたは地獄に堕ちないのだ。〗と、説明してくれました。」そこでこの現れた男は、「ドン・ボスコ、永遠にあなたに感謝します。もしもドン・ボスコ、あなたがそのちょっとしたお祈りを、三つのお祈りをしてくれなかったら、私は永遠に永遠に永遠に、地獄の火に焼かれていました。
ですから皆さん、今なぜマリア様が、あたかも乞食であるかのように、皆さんの前に、「お願いですから、どうぞ恵んで下さい。私の道具となって下さい。」と、やって来るのは、意味が理解できたと思います。「私の子供、私の奴隷となるのみならず、更に、私の兵士となって下さい、私の騎士となって下さい。」
ですから私たちはこう申し上げます、「マリア様、私はあなたに何ができるでしょうか?私は本当に情けない罪人で、本当に悪い、もう役に立たない道具です。」
私たちの無能さは、マリア様には関係ありません。これについては、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様が美しくこうやって説明しています、「素晴らしい天才的な画家を見て下さい。画家がこの絵を描く時に色々なペンを持っています。グレコとかティツィアーノとかレンブラントとかは、色んな筆とかペンを使って描きました。そしてその素晴らしい絵を見て、‘あぁ、何と素晴らしい筆だったんだろうか!’と、言う人は誰もいません。もしもその絵を見て、筆の事を褒める人がいたらどうかしています。」
ですから皆さんのお祈りが、効果を持ってたくさん回心させたからといって、何か誤解しないで下さい。皆さんは筆に過ぎません、道具に過ぎません。
皆さん、皆さんが例えば、ミケランジェロでも、天才的な画家でもレオナルド・ダヴィンチでも、筆の代わりにほうきを与えて下さい。ミケランジェロは、「え!?ほうきでこれ絵をどうやって描くんですか!?」と、聞くと思はれます。でも、もしも万が一、この普通のどこかのほうきで、素晴らしい絵を描く画家がいたとしたら、彼こそ天才的な画家です。そのような画家がいて、その画家の名前は、無原罪のマリア様で、ほうきの名前は、皆さんです。
マリア様は仰って下さいます、「皆さん、皆さんは全く無に等しい、0(ゼロ)に等しいものに過ぎません。」私たちは無です、私たちは0です。私たちは何でもありません、全く無いに等しい、0です。000000、0。皆さんがいくら集まっても00000。0は0です。
でも、皆さんがいくら00000000で、0だとしても、最初に1があれば、100000000(1億)になります。そして、この最初に立つ1が、マリア様です。これは、コルベ神父様の数学です。
ですから皆さん、私たち自身がロクでもない役立たずな罪人であるという事を忘れないで下さい。でも皆さんはマリア様に自分を捧げて下さい。それが必要です。
では、このマリア様の手に於ける良き道具、そして騎士、そして兵士となる事の、第三の事を考察します。
皆さん、ちょっとこういう事を想像して下さい。小野田神父が、もう特別の研究をして、汗水流して、このある液体を発明した、そしてこの液体をちょっと飲む事によって、寿命が20年延びる。20年延びる特別の薬を発明した小野田神父の銅像が、あちこちに建つだろう。そして20年の命を与えた全人類の恩人として、小野田神父の銅像と壁画が、どこにも建てられて、この人類の恩人として名誉を受ける事になります。例えものすごい薬が発明されて、20年間寿命が延びたとしても、その20年の後は、どうせ死んでしまいます。
私たちはこの地上で、何か立派な偉大な事業をしたいと思っているかもしれません。もしかしたら皆さんは、夢のような大宮殿を建てて、この世に造って、そしてこの世を去りたいと思っているかもしれません。「この男は、このような素晴らしい家を建てて、この世を去った。」そしてある人は、ギネスブックに載るほど全世界の言葉を知り尽くす、そしてもう流暢に話す男として、記録に残るかもしれません。
しかし、皆さんはこの全人類の為に、もっと素晴らしい貢献をする事ができます。皆さんは、多くの人々に永遠の命を与える事ができます。そして皆さんがこの地上を去って、天の門をくぐるという時に、多くの、数多くの皆さんの知らないような人達がたくさんやってきて、「ありがとう!本当にありがとう!あなたのお祈りのおかげで、今私たちは救われました。今私は永遠の地獄の火から救われて永遠の命を受けました。ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!」と、言われるに決まっています。
これこそが、皆さんがこの地上で為す最高の大事業です。その他のものは何でも、そのまま空しく去ってしまいます。このマリア様の道具となるという事はつまり、戦闘の教会に於けるマリア様の騎士となって戦う事です。救霊の為に戦う事です。何故かというと、霊魂を救うという事は、この地上における最も厳しい荘厳な戦いに、私たちがそれに参加する事だからです。
天主様は、全ての人を一人一人救おうと思われて、全ての人を救う為に、自分の命を全て捧げて、そしてそれに必要な全てのお恵みを与え尽くしています。そこで皆さんには自由意志が与えられています。選択しなければなりません。そして皆さんは、二つの陣営、二つの国のどちらかを選ばなければなりません。
イエズス様の表現を使えば、広い簡単な大通り、大きな道と、狭い厳しい道、誰にも見つけるのが難しいような道の二つの道があります。多くの人々は、単に歩くのみならず、滅びに向かって突っ走っています。でもそこの岐路にマリア様が立って、この滅びに走っている人々を見て、涙を流しています、何とかして救いたいと思っています。マリア様はそのように通りすぎる人々に、「あぁ、行ってはいけません。そうではなくてこっちに、救いの道に来て下さい。」涙を流して言います、「もしも必要ならば、何でも与えます。だから、救いの道に来て下さい。」
そしてこのこちらで誘惑する人は、色んな方法があります、「あぁ、酒はあるし、タバコはあるし、もう女はあるし、さあ!やりたい放題やったら良いよ!」そしてこの悪の勢力は、今全世界を支配しているかのように見えます。東では共産主義、西側ではフリーメイソン、そして近代主義の宗教。そしてマリア様はほんのたった一人で、ほぼ一人で。
もちろんマリア様は、天使たちとそして多くの聖人たちと、天国で幸せに永遠の至福を味わっています。しかし同時に、この世の子供たちの救霊をも願っています。そこでマリア様は、この皆さんに、お願いをしに来ています、「お願いですから、私の助けをしてくれませんか?」そうやってマリア様は、「一緒に戦って下さい。」と、お願いをしているのです。
皆さんが誰かの為にちょっとしたお祈りをする時、それは大きな武器となります。聖マキシミリアノ・コルベは、私たちの小さな祈りの事を、マシンガンと言っています。そして小さな、その私たちの射祷は、弾丸となって霊魂の救いの為に、悪に向かって戦います。そして悪がその弾に当たって倒れると、罪人は回心して起き上がります。
私たちは戦闘の教会の一員です。そして、戦いをするように招かれています。私たちは戦いをするように招かれています、イエズス・キリストの名誉の為に。特にイエズス・キリストの為に霊魂を勝ち取る為に。この戦いに参加すると、私たちは霊的に宗教的に大人になります。
いつ、私たちの教えでは教会の教えでは、いつ私たちは大人になるのでしょうか?堅振の秘跡を受けた時に大人になります。でも、堅振というのはどんな秘跡ですか?それは、キリストの兵士をつくる秘跡です。そして司教様はあんた方を、私たちがキリストの兵士となるという事で、戦いの準備をして苦しみを受ける事はできているか、覚悟はできているかという事で、私たちの頬をピシャッ!!と、平手打ちを与えます。
皆さんは、戦闘の教会の一員であって、堅振の秘跡を受けたキリストの正式な、公式な兵士ですから、イエズス様は皆さんに戦う事を命じて、それが皆さんの本分としてあるのです。皆さんはこの義務があるにも関わらず、そのように戦うという事に対して、コロッと忘れている事に問題があります。天主様に約束したこの義務を果たさなければなりません。
洗礼の約束では私たちは、天主を愛し、そして悪を、悪魔を捨て、悪魔の業を捨て、悪魔の栄華を捨て、そして善を行う、天主を愛する、という事を約束しました。そして堅振の秘跡では、聖霊の賜物を受け、私たちの周りにいる霊魂たちを、イエズス様の為に勝ち取るという戦いに参与する事を約束しました。
しかし、私たち一人ではこの約束を守りきる事ができません。洗礼の約束も、堅振の約束も、マリア様を通してこそ完璧に守る事ができます。
では、マリア様の御手にどうやったら良き道具となる事ができるでしょうか?この事をよく知って下さい、『もしも、もしも私たちが、マリア様の本当の子供、マリア様の奴隷、マリア様の騎士となったら、私たちは、天主様に対する義務の全てを果たす事ができる』と、いうことです。
では、マリア様の子供、マリア様の奴隷、マリア様の騎士とどうやったらなる事ができるのでしょうか?望めば良いのです。決定をする事です。契約をして、サインをして、判を押す。「あ~、あ~そうしようかな~どうしようかな~、やっぱりな~…。」と、いうのではなくて、「はい、望みます。」
もしも、皆さんの若い女性が、「あぁ、修道院に入りたいな~、シスターになりたいな~。」或いは若い青年が、「神学校に入りたいな~。」と、思った時に、「じゃあ、あのいつ修道院に行くのですか?神学校にいつ入るのですか?」「ん~…もしかしたら二週間後に、もしかしたら。でももしかしたら二ヶ月後かもしれません。二年後になるかも分かりません。でもあまりよく分かりません。」というのは意志ではありません、決定ではありません。椅子の上にこう座って、夢をこうやって、「いやぁ~、聖なる司祭になりたいな~。」と思うのはとても簡単です。
意志というのは、そうではなくて、立ち上がって神学校の門へ行って、コンコン、「入学しても良いですか。」「入りなさい。」そして自分の後ろでドアが閉まって、勉強して、これが意志です。ここから始まります。
ですからもしも皆さんが、マリア様の為に何かしたいな、と思ったら、「あ~やっぱりな~、どうしようかな~、う~んそうだな~。」ではなくて、「はい、やります。」これが奉献です。「私は自分を与えます。」これを忘れる事がないように、荘厳に約束しなければなりません。
そしてマリア様の子供となり、マリア様の奴隷となる為には、皆さんは33日の黙想会を、グリニョン・ド・モンフォールのやり方に従ってなされなければなりません。何故グリニョン・ド・モンフォールの様式に従うのですか?というと、マリア様は聖グリニョン・ド・モンフォールを選んで、彼に特別にまことの信心を教えたからです。ところでマリア様の騎士となる為には、また別の奉献もしなければなりません。そしてそのマリア様の騎士となる為には、色んな聖人が色んな形式で、マリア様の道具となる為のやり方を提案しました、教えられていました。20世紀に存在していた最大のマリア様の軍隊は、「レジオ・マリエ」です。また20世紀に在った同じ様に重大な重要なものは、「マリア様の無原罪の聖母の騎士」です。そしてまた別には、ファチマの「ブルー・アーミー」です。
そして皆さんは、道具として兵士として騎士として、マリア様にご自分を与え始めなければなりません。そして聖ピオ十世会のアジア管区では、「私たちは全て、眠りこけているカトリックであっては駄目だ!」と、思っています。皆さんは教会にいると、「グ~…(眠っている。)」そして、司祭がミサの時に御説教をすると、3分以上説教すると、(不機嫌そうな表情)。はい、教会にはそういう人達がたくさんいます。
私たちは今、悪魔の軍隊と直面して、それと戦いを挑んでいます。そして特にアジア管区では、「無原罪の聖母の騎士」に注目をしました。何故かというと、特に日本ではコルベ神父様がやって来て、第二次世界大戦の多くの霊魂達を回心に導き、多くの奇跡的な事がたくさん起こったからです。もしもこの聖伝のカトリックに目覚めた人達は、私たちが今直面している悪との戦いによく気がついて、その事を意識して、そして戦闘の教会の一員として悪と戦う、という事に全力を以って直面しなければなりません、その事を意識する事を望んでいます。
そしてもしも皆さんが、聖母の無原罪の騎士としてマリア様の道具となりたい、と思うのならば、その為に一番必要なのは、皆さんの意志です。これから新しい生活を始めるという意志です。新しい生活を始めるという事は、つまり朝3時に起きて生活を始めるという事ではありません。外面的には変わる事が何もありません。もしかしたら髪の毛が少し白くなるかもしれません、そしてもしかしたら痩せるかもしれません。外的には変わる事がありませんが、内的に変わります。内的には新しいモチベーションがあって、新しい動機づけがあって、そして新しい燃えるような救霊の望みがあります。
皆さんには、何をしようとも人生の十字架と、苦しみと、悲しみが待ち構えています。しかし新しい生活が始まれば、これらの十字架に対してどうやって対処すれば良いか、よく分かります。昔は、その新しい生活が始まる前は、ちょっとした事で、「あぁ、まただ…、あぁ、疲れた、もうイヤだ…あぁ、もうダメだダメだ…。」ところが新しい生活が始まると、例えば、「あぁ、頭痛がある。でもこの頭痛を霊魂の救いの為にお捧げします。」「さぁ、料理をこれを捧げて…。」或いは色んな辛い事、苦しい事を、「霊魂の為に、霊魂を救って下さい!」と、叫ぶ事ができます。
昔は、結婚生活30年、「あなた、」「何だお前、」「うるさいわねぇ、」「ほっといてほしいよ、」と、色々あったかもしれませんが、これからは新しい生活で、十字架は愛の対象なので、「あなた♡」「何だ♡」
今までは、十字架、苦しみ全ては頭痛の種でしたが、これからは霊魂の救霊の為の源となります。これで霊魂を救う事ができる。ですから、苦しみ、十字架、万歳!になります。聖マキシミリアノ・コルベの挨拶は知っていますか?「皆さんに、十字架と苦しみと悩みをお祈りします。」
時間が来ました、明日この続きをします。あの日本で働いていたマキシミリアノ・コルベ神父様が何をなさったか、「無原罪の聖母の騎士」が、ものすごい事をしていた、という事を皆さんにぜひ知ってもらいたいと思います。「無原罪の聖母の騎士」良き騎士となる為にはどうしたら良いか、皆さんに話をします。最低限の事は何か、ほんのちょっと、ほとんど無いような事があるのですけれども、そこから大聖人になるまでに、色んな事があります。
また明日、今最後のポイントとして、特に現代この21世紀が、マリア様が、無原罪のマリア様が、必ず必要だという事を知らなければなりません。何故かというと私たちは今、黙示録の時代に生きているからです。そして今黙示録の時代を生き延びる為には、マリア様だけが、唯一の、救いの最後のチャンス。マリア様なしには私たちは全て失われてしまいます。しかしマリア様と共に在るならば、私たちは必ず勝ちます。
そしてこの巡礼が終わる最終の5月の6日、できるならばこの巡礼者の皆さんが全て、「無原罪の聖母の騎士」として、ご自分を捧げて下さる事を願います。フィリピンでは先週500名参加しました、「聖母の騎士」となりました。この規定の用紙に、必要な名前とか必要なものを書いて提出して下さい。
特にEメールのアドレスが必要なので、それを忘れずに書いて下さい、何故かというと、毎月ニュースレターがEメールとして届くからです。まだ私は日本語を知らないので日本語で書く事はできないので、まだ日本語ではないのですけれども、Eメールでニュースが届きます。書いてそして私に提出して下さい。
もしも水曜日にいらっしゃらない方は、8月の聖イグナチオの霊操の時に、入会式があります。そしてまた将来もこのような機会があります。
私たちは今年の2月に司祭の勉強会をしましたが、その時に、敵は、マリア様とイエズス様の敵は、2017年をものすごい準備をして、総攻撃をかけようとして準備をしています。そしてその物凄い酷い出来事が起こる前に、マリア様の軍隊を私たちは今準備しようと決心しました。そしてこのあるアジア管区の司祭は、「できるならばマリア様の軍隊として、その敵に戦う為に、2017年5月13日までに100万人の騎士を準備しなければならない。」と提案しました。
私はその話を聞く前は、自分こそがいつも夢ばっかり見ているドリーマー、夢想家だと思っていたのですけれども、しかしその司祭のミーティングで、私よりももっとひどい夢想家がいたという事を発見しました。ですから、私は「100万ではなく、10万にしよう。」と、言いました。ではあと3年で、10万人の無原罪の聖母の騎士が準備できる事を祈っています。そしてこの10万人の騎士たちを私たちが準備するプログラムが、今準備されています。ですからこれは、その10万人の為には、今私たちの事を知らないような人達も招かなければならないので、まず皆さんが、聖母の騎士となって下さい。
そしてもしも皆さんが、この名前を提示して、マリア様の無原罪の騎士となって下さる事ができれば、マリア様は本当にお喜びになる事でしょうし、私も本当に喜びます。
小野田神父:「あの、ついでですけど、小野田神父も、ポーランドのチェンストホーバで、3年前の2012年8月15日に聖母の騎士になりました。」
これで拷問を終わります。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2015年5月4日、秋田巡礼でのシュテーリン神父様霊的講話その7をご紹介いたします。テーマは、「隣人を自分の如く愛すること、隣人の救霊のために聖母に協力すること」です。
どうぞお読み下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年5月4日 秋田巡礼 シュテーリン神父様霊的講話7
同時通訳:小野田圭志神父
先程の拷問(講話)では、次の事を説明しようと考えていました。それは、マリア様への奉献生活の三次元的な要素、という事です。それは、第一と第二の次元は、私たちとマリア様の個人的な関係で、私たちの母であり、女王であるマリア様が、私たちの聖化の為に、私たちが聖となる為に必要である、という事です。そして第三の次元、観点というのは、それは天主様が私たちに与えて下さった使命、そして仕事、つまり愛の掟を全うする事であって、つまり隣人を私たちと同じ様に愛する、自分の如く愛する、特にイエズス・キリスト様が愛して下さった様に、隣人を愛する、という第三の観点です。
ですから私たちの人生は、天主様と共に共同の仕事をする、共に仕事を働いて、そして救霊という最も最高の幸せを隣人に分け与える、という使命です。隣人愛については、本当の意味の隣人愛については、私たちは本当に、今目も当てられない状態にいます。何故かというと、私たちはそれにほとんど関心を持っていないからです。隣人の救霊について気にもかけていません。
ですから天主様は私たちにマリア様を与えて、天主を愛するというその次に大切な、隣人を愛するという掟を、私たちが守る事ができるように助けて下さる、教えて下さるのです。私たちがマリア様の道具となればなるほど、マリア様は私たちが隣人愛を達成する事ができるように助けてくれます。何故かというと、私たちがマリア様の道具となればなるほど、隣人の救霊の為に役立つ事ができるからです。
ところで、永遠の救い、救霊という事は、全く純粋に天主様の御恵みです。でもその天主は、その御自分の望みによって、御自分の意志の決定によって、私たちをその道具と使う事によって、初めて救霊をしようと望んでいるのです。これが天主の定めた法則であって、法であって、それを私たちが受け入れるしかありません。もしも、その道具が使われる事を拒否するならば、素晴らしい芸術家も絵を描く事ができません。
ですから、私たちはこの事を深く知らなければなりません。もしも、この世に司祭がいないならば、イエズス・キリストは、天主は、救いの業をこの世で遂行する事ができません。もしも、マリア様がその道具が無いならば、マリア様がお持ちのお恵みを、その救霊の為に霊魂に使う事ができないでいます。マリア様には道具が必要です。ですからマリア様の燃えるような救霊、深いそして回心の望み、聖化の望みを持って、その望みはもう涙を流すほどのものであって、そしてその為に必要な御恵みは全てを持っているのですけれども、それを伝える道具が必要としているので、マリア様はやはり涙を湛えながら私たちの元にやって来て、「私を助けて下さい。」と、言うのです。ファチマにやって来た時にマリア様が子供達にお願いした事は、まさにこれと同じ事です。
ファチマで或いは天使が子供達に尋ねた最初の質問はこうでした、「子供たちよ、あなた達は罪人の回心の為に、祈りと犠牲を捧げる事をしてくださいますか?」と。そして1917年の8月19日、マリア様は子供達に、「祈り、犠牲を捧げなさい。何故ならば、祈り、犠牲を捧げる人がいないので、多くの霊魂たちは地獄に堕ちているからです。」
この事を言い換えるとどういう事かというと、多くの霊魂が永遠に救われるか、或いは永久に地獄に堕ちてしまうか否かは、その境目は、私たちがちょっとしたお祈りをするか、或いはちょっとした犠牲を捧げるか、それに懸かっているのです。そしてマリア様は皆さんに応えを求めます、マリア様の道具となる為には、救霊の良きマリア様の道具となる為にはどうしたら良いか、マリア様は、皆さんに今伝えようとしています。
私たちが隣人を本当の意味で愛する為には、何をしなければならないでしょうか?ファチマでは子供達に二つの手段を教えてくれました。祈り、犠牲を捧げる事です。祈りです、まさに祈りです。マリア様の汚れ無き御心には、救霊の為に必要な全てのお恵みがあります。そしてマリア様に必要なのは、その運河で御心から罪人まで届くチューブです、パイプです。ところが、そのパイプは祈りです。
明日、飛行機、或いはバスで帰る方がいますね。そして明後日は皆さん飛行機とかバスに乗って帰ることでしょう、---- 或いは自転車で帰る方もいるかもしれませんが --- ところで、皆さんが乗ったこのバス、或いは電車の同じ客室に、皆さんと会った事も無いような、そして今回御摂理によってその同じ客室にいるのですけれども、もう再び会う事も無いようなお客さん達が乗っているかもしれません。そしてバスにはもしかしたらテレビの画像が、下らない映画が上映されているかもしれません。それをボーッと見る代わりに、その代わりに目を閉じて、「イエズス様、このバスの1号席に座っている霊魂を救って下さい、2号席に座っている霊魂を救って下さい、その後ろの3号席窓側に座っている霊魂を救って下さい。」と、お祈りするのはどうでしょうか?そうすると、マリア様の道具になります、パイプになります。マリア様のお恵みを、皆さんがその霊魂に注ぐ事ができるようになっています。皆さんのこのほんの小さな祈りは本当何でもありません。
もしも、皆さんは、頭痛がするとか、お腹が痛いという時にはどうしますか?「大丈夫ですか?」と、言うと、「あぁ、頭が痛い、お腹が痛い。」と、ずっと言う人もいます。ところで、もしもそのような時には、頭痛や或いはお腹が痛いという時には、マリア様にこれを、「救霊の為に、霊魂の救いの為にお捧げします。」と、捧げるのはどうでしょうか?
皆さんの祈りと犠牲は、マリア様のお恵みを使って霊魂に触れる事です。このほんの小さいパイプの様な私たちの祈りですけれども、そのマリア様のパイプが、祈りがその霊魂に触れたその瞬間、マリア様の胸からものすごい光が、パーッと霊魂に注がれるのです。
小さなヤシンタちゃんは10歳で亡くなりました。ヤシンタちゃんは、病気で病院に入院して苦しんでいましたけれども、彼女のやった事は、祈り、犠牲を捧げる事でした。そしてこの子供は、自分の知らないような多くの霊魂たちの回心の為に、たくさんの祈りを常に捧げていました。このヤシンタを列福運動の為に特別に働いていた枢機卿は、その列福調査の後に、「この小さな女の子は、その当時全世界で働いていた全ての宣教師たちの仕事を全て集めたよりも、もっと救霊の為に働いていた。」と、宣言されました。
この小さな祈りの効果、力というのがどれほど凄いかよく理解して下さい。これが、私たちが隣人の為に真剣になって愛するという事の行為です。つまり彼らの救いの為に祈る、という事です。
幼きイエズスの聖テレジアの生涯も全く同じ事でした。幼きイエズスの聖テレジアが亡くなった時には23歳にしかすぎませんでした。その時、宣教地に行くとか宣教師として出掛けたという事はなくて、ただ小さなカルメルの修道院の中に閉じこもっていて、そこの周りにいたのは20人の同僚のシスター達だけでした。この本当の小さい隠れた幼きイエズスの聖テレジアですけれども、何百万何千万何億という多くの救霊の為に祈りを捧げ、そして彼らのその救霊の為の効果を得ました。ですからカトリック教会は、この小さな修道女を、隠れた修道女を、宣教師の守護の聖人として宣言し、そして偉大な大聖人となりました。
有名な聖ドン・ボスコのビジョンがあります。イタリアのボローニャという所でドン・ボスコは汽車を待っていました。ところで、その汽車を待っていて、こう汽車がやって来るのですけれども、同じこのプラットホームの向こうの方では、おかしな男が天主様を冒涜して、悪い口汚い言葉で罵っていました。そこで電車が来たのでもう乗らなければならないのですけれども、この霊魂の為にお祈りをしました、「彼が地獄に堕ちませんように、マリア様、彼を救ってあげて下さい。」そして電車に乗りました。電車に乗ったドン・ボスコは、この男の事をコロッと忘れてしまいました。ところで数ヶ月後、ビジョンでこの冒涜の言葉を吐いていた男がビジョンの中に現れて、ドン・ボスコに言葉をかけてきたのです、「ドン・ボスコ、私が誰だか分かりますか?」「分かりません。」「三ヶ月前、私はボローニャの駅にいました。その時、駅で天主に冒涜を吐いていた男がいたでしょう。二日前、私は事故で死にました。そしてその死の直後、私の前に地獄の火がボオオオッと、大きく門が開くのを見ました。ところがその最後の最後の瞬間に、天主様は私に、罪を痛悔するお恵みを与えて下さいました。そしてその時に同時に、天主様はドン・ボスコの姿を見せて、〖この男があなたの為にお祈りをしてくれた。だからこの人のお祈りのおかげで、あなたは地獄に堕ちないのだ。〗と、説明してくれました。」そこでこの現れた男は、「ドン・ボスコ、永遠にあなたに感謝します。もしもドン・ボスコ、あなたがそのちょっとしたお祈りを、三つのお祈りをしてくれなかったら、私は永遠に永遠に永遠に、地獄の火に焼かれていました。
ですから皆さん、今なぜマリア様が、あたかも乞食であるかのように、皆さんの前に、「お願いですから、どうぞ恵んで下さい。私の道具となって下さい。」と、やって来るのは、意味が理解できたと思います。「私の子供、私の奴隷となるのみならず、更に、私の兵士となって下さい、私の騎士となって下さい。」
ですから私たちはこう申し上げます、「マリア様、私はあなたに何ができるでしょうか?私は本当に情けない罪人で、本当に悪い、もう役に立たない道具です。」
私たちの無能さは、マリア様には関係ありません。これについては、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様が美しくこうやって説明しています、「素晴らしい天才的な画家を見て下さい。画家がこの絵を描く時に色々なペンを持っています。グレコとかティツィアーノとかレンブラントとかは、色んな筆とかペンを使って描きました。そしてその素晴らしい絵を見て、‘あぁ、何と素晴らしい筆だったんだろうか!’と、言う人は誰もいません。もしもその絵を見て、筆の事を褒める人がいたらどうかしています。」
ですから皆さんのお祈りが、効果を持ってたくさん回心させたからといって、何か誤解しないで下さい。皆さんは筆に過ぎません、道具に過ぎません。
皆さん、皆さんが例えば、ミケランジェロでも、天才的な画家でもレオナルド・ダヴィンチでも、筆の代わりにほうきを与えて下さい。ミケランジェロは、「え!?ほうきでこれ絵をどうやって描くんですか!?」と、聞くと思はれます。でも、もしも万が一、この普通のどこかのほうきで、素晴らしい絵を描く画家がいたとしたら、彼こそ天才的な画家です。そのような画家がいて、その画家の名前は、無原罪のマリア様で、ほうきの名前は、皆さんです。
マリア様は仰って下さいます、「皆さん、皆さんは全く無に等しい、0(ゼロ)に等しいものに過ぎません。」私たちは無です、私たちは0です。私たちは何でもありません、全く無いに等しい、0です。000000、0。皆さんがいくら集まっても00000。0は0です。
でも、皆さんがいくら00000000で、0だとしても、最初に1があれば、100000000(1億)になります。そして、この最初に立つ1が、マリア様です。これは、コルベ神父様の数学です。
ですから皆さん、私たち自身がロクでもない役立たずな罪人であるという事を忘れないで下さい。でも皆さんはマリア様に自分を捧げて下さい。それが必要です。
では、このマリア様の手に於ける良き道具、そして騎士、そして兵士となる事の、第三の事を考察します。
皆さん、ちょっとこういう事を想像して下さい。小野田神父が、もう特別の研究をして、汗水流して、このある液体を発明した、そしてこの液体をちょっと飲む事によって、寿命が20年延びる。20年延びる特別の薬を発明した小野田神父の銅像が、あちこちに建つだろう。そして20年の命を与えた全人類の恩人として、小野田神父の銅像と壁画が、どこにも建てられて、この人類の恩人として名誉を受ける事になります。例えものすごい薬が発明されて、20年間寿命が延びたとしても、その20年の後は、どうせ死んでしまいます。
私たちはこの地上で、何か立派な偉大な事業をしたいと思っているかもしれません。もしかしたら皆さんは、夢のような大宮殿を建てて、この世に造って、そしてこの世を去りたいと思っているかもしれません。「この男は、このような素晴らしい家を建てて、この世を去った。」そしてある人は、ギネスブックに載るほど全世界の言葉を知り尽くす、そしてもう流暢に話す男として、記録に残るかもしれません。
しかし、皆さんはこの全人類の為に、もっと素晴らしい貢献をする事ができます。皆さんは、多くの人々に永遠の命を与える事ができます。そして皆さんがこの地上を去って、天の門をくぐるという時に、多くの、数多くの皆さんの知らないような人達がたくさんやってきて、「ありがとう!本当にありがとう!あなたのお祈りのおかげで、今私たちは救われました。今私は永遠の地獄の火から救われて永遠の命を受けました。ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!」と、言われるに決まっています。
これこそが、皆さんがこの地上で為す最高の大事業です。その他のものは何でも、そのまま空しく去ってしまいます。このマリア様の道具となるという事はつまり、戦闘の教会に於けるマリア様の騎士となって戦う事です。救霊の為に戦う事です。何故かというと、霊魂を救うという事は、この地上における最も厳しい荘厳な戦いに、私たちがそれに参加する事だからです。
天主様は、全ての人を一人一人救おうと思われて、全ての人を救う為に、自分の命を全て捧げて、そしてそれに必要な全てのお恵みを与え尽くしています。そこで皆さんには自由意志が与えられています。選択しなければなりません。そして皆さんは、二つの陣営、二つの国のどちらかを選ばなければなりません。
イエズス様の表現を使えば、広い簡単な大通り、大きな道と、狭い厳しい道、誰にも見つけるのが難しいような道の二つの道があります。多くの人々は、単に歩くのみならず、滅びに向かって突っ走っています。でもそこの岐路にマリア様が立って、この滅びに走っている人々を見て、涙を流しています、何とかして救いたいと思っています。マリア様はそのように通りすぎる人々に、「あぁ、行ってはいけません。そうではなくてこっちに、救いの道に来て下さい。」涙を流して言います、「もしも必要ならば、何でも与えます。だから、救いの道に来て下さい。」
そしてこのこちらで誘惑する人は、色んな方法があります、「あぁ、酒はあるし、タバコはあるし、もう女はあるし、さあ!やりたい放題やったら良いよ!」そしてこの悪の勢力は、今全世界を支配しているかのように見えます。東では共産主義、西側ではフリーメイソン、そして近代主義の宗教。そしてマリア様はほんのたった一人で、ほぼ一人で。
もちろんマリア様は、天使たちとそして多くの聖人たちと、天国で幸せに永遠の至福を味わっています。しかし同時に、この世の子供たちの救霊をも願っています。そこでマリア様は、この皆さんに、お願いをしに来ています、「お願いですから、私の助けをしてくれませんか?」そうやってマリア様は、「一緒に戦って下さい。」と、お願いをしているのです。
皆さんが誰かの為にちょっとしたお祈りをする時、それは大きな武器となります。聖マキシミリアノ・コルベは、私たちの小さな祈りの事を、マシンガンと言っています。そして小さな、その私たちの射祷は、弾丸となって霊魂の救いの為に、悪に向かって戦います。そして悪がその弾に当たって倒れると、罪人は回心して起き上がります。
私たちは戦闘の教会の一員です。そして、戦いをするように招かれています。私たちは戦いをするように招かれています、イエズス・キリストの名誉の為に。特にイエズス・キリストの為に霊魂を勝ち取る為に。この戦いに参加すると、私たちは霊的に宗教的に大人になります。
いつ、私たちの教えでは教会の教えでは、いつ私たちは大人になるのでしょうか?堅振の秘跡を受けた時に大人になります。でも、堅振というのはどんな秘跡ですか?それは、キリストの兵士をつくる秘跡です。そして司教様はあんた方を、私たちがキリストの兵士となるという事で、戦いの準備をして苦しみを受ける事はできているか、覚悟はできているかという事で、私たちの頬をピシャッ!!と、平手打ちを与えます。
皆さんは、戦闘の教会の一員であって、堅振の秘跡を受けたキリストの正式な、公式な兵士ですから、イエズス様は皆さんに戦う事を命じて、それが皆さんの本分としてあるのです。皆さんはこの義務があるにも関わらず、そのように戦うという事に対して、コロッと忘れている事に問題があります。天主様に約束したこの義務を果たさなければなりません。
洗礼の約束では私たちは、天主を愛し、そして悪を、悪魔を捨て、悪魔の業を捨て、悪魔の栄華を捨て、そして善を行う、天主を愛する、という事を約束しました。そして堅振の秘跡では、聖霊の賜物を受け、私たちの周りにいる霊魂たちを、イエズス様の為に勝ち取るという戦いに参与する事を約束しました。
しかし、私たち一人ではこの約束を守りきる事ができません。洗礼の約束も、堅振の約束も、マリア様を通してこそ完璧に守る事ができます。
では、マリア様の御手にどうやったら良き道具となる事ができるでしょうか?この事をよく知って下さい、『もしも、もしも私たちが、マリア様の本当の子供、マリア様の奴隷、マリア様の騎士となったら、私たちは、天主様に対する義務の全てを果たす事ができる』と、いうことです。
では、マリア様の子供、マリア様の奴隷、マリア様の騎士とどうやったらなる事ができるのでしょうか?望めば良いのです。決定をする事です。契約をして、サインをして、判を押す。「あ~、あ~そうしようかな~どうしようかな~、やっぱりな~…。」と、いうのではなくて、「はい、望みます。」
もしも、皆さんの若い女性が、「あぁ、修道院に入りたいな~、シスターになりたいな~。」或いは若い青年が、「神学校に入りたいな~。」と、思った時に、「じゃあ、あのいつ修道院に行くのですか?神学校にいつ入るのですか?」「ん~…もしかしたら二週間後に、もしかしたら。でももしかしたら二ヶ月後かもしれません。二年後になるかも分かりません。でもあまりよく分かりません。」というのは意志ではありません、決定ではありません。椅子の上にこう座って、夢をこうやって、「いやぁ~、聖なる司祭になりたいな~。」と思うのはとても簡単です。
意志というのは、そうではなくて、立ち上がって神学校の門へ行って、コンコン、「入学しても良いですか。」「入りなさい。」そして自分の後ろでドアが閉まって、勉強して、これが意志です。ここから始まります。
ですからもしも皆さんが、マリア様の為に何かしたいな、と思ったら、「あ~やっぱりな~、どうしようかな~、う~んそうだな~。」ではなくて、「はい、やります。」これが奉献です。「私は自分を与えます。」これを忘れる事がないように、荘厳に約束しなければなりません。
そしてマリア様の子供となり、マリア様の奴隷となる為には、皆さんは33日の黙想会を、グリニョン・ド・モンフォールのやり方に従ってなされなければなりません。何故グリニョン・ド・モンフォールの様式に従うのですか?というと、マリア様は聖グリニョン・ド・モンフォールを選んで、彼に特別にまことの信心を教えたからです。ところでマリア様の騎士となる為には、また別の奉献もしなければなりません。そしてそのマリア様の騎士となる為には、色んな聖人が色んな形式で、マリア様の道具となる為のやり方を提案しました、教えられていました。20世紀に存在していた最大のマリア様の軍隊は、「レジオ・マリエ」です。また20世紀に在った同じ様に重大な重要なものは、「マリア様の無原罪の聖母の騎士」です。そしてまた別には、ファチマの「ブルー・アーミー」です。
そして皆さんは、道具として兵士として騎士として、マリア様にご自分を与え始めなければなりません。そして聖ピオ十世会のアジア管区では、「私たちは全て、眠りこけているカトリックであっては駄目だ!」と、思っています。皆さんは教会にいると、「グ~…(眠っている。)」そして、司祭がミサの時に御説教をすると、3分以上説教すると、(不機嫌そうな表情)。はい、教会にはそういう人達がたくさんいます。
私たちは今、悪魔の軍隊と直面して、それと戦いを挑んでいます。そして特にアジア管区では、「無原罪の聖母の騎士」に注目をしました。何故かというと、特に日本ではコルベ神父様がやって来て、第二次世界大戦の多くの霊魂達を回心に導き、多くの奇跡的な事がたくさん起こったからです。もしもこの聖伝のカトリックに目覚めた人達は、私たちが今直面している悪との戦いによく気がついて、その事を意識して、そして戦闘の教会の一員として悪と戦う、という事に全力を以って直面しなければなりません、その事を意識する事を望んでいます。
そしてもしも皆さんが、聖母の無原罪の騎士としてマリア様の道具となりたい、と思うのならば、その為に一番必要なのは、皆さんの意志です。これから新しい生活を始めるという意志です。新しい生活を始めるという事は、つまり朝3時に起きて生活を始めるという事ではありません。外面的には変わる事が何もありません。もしかしたら髪の毛が少し白くなるかもしれません、そしてもしかしたら痩せるかもしれません。外的には変わる事がありませんが、内的に変わります。内的には新しいモチベーションがあって、新しい動機づけがあって、そして新しい燃えるような救霊の望みがあります。
皆さんには、何をしようとも人生の十字架と、苦しみと、悲しみが待ち構えています。しかし新しい生活が始まれば、これらの十字架に対してどうやって対処すれば良いか、よく分かります。昔は、その新しい生活が始まる前は、ちょっとした事で、「あぁ、まただ…、あぁ、疲れた、もうイヤだ…あぁ、もうダメだダメだ…。」ところが新しい生活が始まると、例えば、「あぁ、頭痛がある。でもこの頭痛を霊魂の救いの為にお捧げします。」「さぁ、料理をこれを捧げて…。」或いは色んな辛い事、苦しい事を、「霊魂の為に、霊魂を救って下さい!」と、叫ぶ事ができます。
昔は、結婚生活30年、「あなた、」「何だお前、」「うるさいわねぇ、」「ほっといてほしいよ、」と、色々あったかもしれませんが、これからは新しい生活で、十字架は愛の対象なので、「あなた♡」「何だ♡」
今までは、十字架、苦しみ全ては頭痛の種でしたが、これからは霊魂の救霊の為の源となります。これで霊魂を救う事ができる。ですから、苦しみ、十字架、万歳!になります。聖マキシミリアノ・コルベの挨拶は知っていますか?「皆さんに、十字架と苦しみと悩みをお祈りします。」
時間が来ました、明日この続きをします。あの日本で働いていたマキシミリアノ・コルベ神父様が何をなさったか、「無原罪の聖母の騎士」が、ものすごい事をしていた、という事を皆さんにぜひ知ってもらいたいと思います。「無原罪の聖母の騎士」良き騎士となる為にはどうしたら良いか、皆さんに話をします。最低限の事は何か、ほんのちょっと、ほとんど無いような事があるのですけれども、そこから大聖人になるまでに、色んな事があります。
また明日、今最後のポイントとして、特に現代この21世紀が、マリア様が、無原罪のマリア様が、必ず必要だという事を知らなければなりません。何故かというと私たちは今、黙示録の時代に生きているからです。そして今黙示録の時代を生き延びる為には、マリア様だけが、唯一の、救いの最後のチャンス。マリア様なしには私たちは全て失われてしまいます。しかしマリア様と共に在るならば、私たちは必ず勝ちます。
そしてこの巡礼が終わる最終の5月の6日、できるならばこの巡礼者の皆さんが全て、「無原罪の聖母の騎士」として、ご自分を捧げて下さる事を願います。フィリピンでは先週500名参加しました、「聖母の騎士」となりました。この規定の用紙に、必要な名前とか必要なものを書いて提出して下さい。
特にEメールのアドレスが必要なので、それを忘れずに書いて下さい、何故かというと、毎月ニュースレターがEメールとして届くからです。まだ私は日本語を知らないので日本語で書く事はできないので、まだ日本語ではないのですけれども、Eメールでニュースが届きます。書いてそして私に提出して下さい。
もしも水曜日にいらっしゃらない方は、8月の聖イグナチオの霊操の時に、入会式があります。そしてまた将来もこのような機会があります。
私たちは今年の2月に司祭の勉強会をしましたが、その時に、敵は、マリア様とイエズス様の敵は、2017年をものすごい準備をして、総攻撃をかけようとして準備をしています。そしてその物凄い酷い出来事が起こる前に、マリア様の軍隊を私たちは今準備しようと決心しました。そしてこのあるアジア管区の司祭は、「できるならばマリア様の軍隊として、その敵に戦う為に、2017年5月13日までに100万人の騎士を準備しなければならない。」と提案しました。
私はその話を聞く前は、自分こそがいつも夢ばっかり見ているドリーマー、夢想家だと思っていたのですけれども、しかしその司祭のミーティングで、私よりももっとひどい夢想家がいたという事を発見しました。ですから、私は「100万ではなく、10万にしよう。」と、言いました。ではあと3年で、10万人の無原罪の聖母の騎士が準備できる事を祈っています。そしてこの10万人の騎士たちを私たちが準備するプログラムが、今準備されています。ですからこれは、その10万人の為には、今私たちの事を知らないような人達も招かなければならないので、まず皆さんが、聖母の騎士となって下さい。
そしてもしも皆さんが、この名前を提示して、マリア様の無原罪の騎士となって下さる事ができれば、マリア様は本当にお喜びになる事でしょうし、私も本当に喜びます。
小野田神父:「あの、ついでですけど、小野田神父も、ポーランドのチェンストホーバで、3年前の2012年8月15日に聖母の騎士になりました。」
これで拷問を終わります。