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2015年秋田巡礼 SSPX Akita Pilgrimage 霊的講話8「コルベ神父様の無原罪の聖母の騎士について」

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2015年5月5日、秋田巡礼でシュテーリン神父様がなさって下さった霊的講話のその8をご紹介します。
 今回は、シュテーリン神父様はコルベ神父様とゼノ修道士について驚くような話をして下さいます。全ては無原罪の聖母であるインマクラータの御業です。
 つまり、コルベ神父様の創立した「無原罪の聖母の騎士」についてです。これが第二バチカン公会議後、どのように変えられてしまったかについて話して下さいます。

 どうぞお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2015年5月5日 秋田巡礼 シュテーリン神父様霊的講話8

同時通訳:小野田圭志神父

 では、今日のこの最初のお話では、コルベ神父様の創って下さった、「無原罪の聖母の騎士」とはどういうものか、それについて話をしたいと思います。

 コルベ神父様は、子供の頃は非常に性格が悪かったので、乱暴で、その為に一生懸命それを直そうと努力しなければなりませんでした。良い子供、性格は良かったのですけれども、でも非常に怒りっぽくて、それを直す為に色々努力しなければなりませんでした。このご自分のお母さんでさえも、本当に自分の子供マキシミリアノを見て、「あんたは本当に心配です。あんたこのまま大きくなったら、ヤクザか暴力団になってしまうでしょう。」と、言いました。そこで、このお母さんの言葉を聞いたコルベ・マキシミリアノは、ポーランドの秩序を受けてマリア様に対する大きな愛を持っていたので、すぐマリア様の所に行って助けを求めました。

 するとマリア様は、「レイモンド(幼名はそうなのですけれども)、」二つの冠を見せて、「どちらを取りますか?」と、聞きました。一つは赤い冠で、殉教の冠でした。もう一つは白い冠で、純潔の冠でした。「どちらを選びますか?」

 「私は二つ欲しい。」幼きマキシミリアノ・コルベは、その時既に分かっていたのです。つまり、マリア様と一緒にあるならば全てができる、しかしマリア様と一緒でないならば何もできない、と。

 ポーランドのマリア信心というのは、非常に戦闘的な信心です。何故かというと、歴史的にいつもポーランドは外部から、プロテスタントやイスラム教やその他異教から攻撃を受けていて、それを守らなければならなかったからです。攻撃があって、自分を守らなければならない時に、もしもポーランドのマリア様に助けを求めて奉献するならば、必ず勝利を収めていました。そうでなければ負けていました。ポーランドでは、ポーランド語でマリア様に対して特別の称号を持っています、それは「へトマンカ」と言って、それは「総指揮官」という意味です。

 コルベ神父様は、フランシスコ会会員として修道生活を始めますけれども、フリーメイソンからのカトリック教会への攻撃を見てすぐに、「あ!この攻撃を受けている教会を守るのはマリア様だ!」と、すぐ分かりました。

 1917年、当時コルベ神父様は神学生で、ローマで勉強していました。そこで二つの博士号を取るのですけれども、その目の前で目撃したのは、人類の歴史上最悪の出来事でした。

 1917年10月のことです。レーニンは10月革命を行い、共産党はロシアを倒し、ソビエト政権を成立させます。同時にローマでは、フリーメイソンがヨーロッパ中からローマに集まり、創立200周年をローマで大々的に行っていました。教皇様はバチカンに隠れ、司祭たちも、街に出る事ができずに家に隠れなければなりませんでした。何故かというと、フリーメイソンが教会の敵として堂々とローマ市を占領していたからです。そのローマ全てを占領してしまったフリーメイソンたちは、大きな宣言をして、「私たちはカトリック教会を破壊する!サタンはバチカンを支配する!」と、宣言していました。そのような時に、司祭や修道士たちが街に出て姿を見せる事は非常に危険でした。司祭、或いは修道者たちは家の中で祈って、「このままいったらどうなってしまうのだろうか。ローマはどうなってしまうのだろうか。教会はどうなるのか。世界はどうなってしまうのだろうか。」と、非常に恐れていました。

 そこで、この若き修道者は長上に言って、「長上の神父様、私たちには解決があります、方法があります、聖母マリア様です。校長神父様、6ヶ月前に神父様はちょうど私たちに、アルフォンソ・ラティスボンの奇跡的な回心について説明して下さったではないですか。その回心はまさにこのローマで起こりました。覚えていますか、マリア様の不思議のメダイによって、教会を憎み破壊しようと企んでいたユダヤ人ラティスボンが、奇跡的に回心して、しかもローマで回心して、修道会を創立したという話を。それがちょうど75年前にローマで、回心の奇跡があったのです。」

 マキシミリアノ・コルベは校長先生に、マリア様のなさった奇跡的な大勝利の話を一つ一つ、これもあった、これもあった、これもあった、これもあった、と思い出させます。特にポーランドで、マリア様はどれほどの勝利を下さったか、という事を懇懇と説明します。ロザリオによる大勝利の話も校長先生にしました。不思議のメダイを身に付けた方々の、ものすごい奇跡をたくさん頂いた、という話をたくさん知っていました。

 ちょうど1年前、実はこのマキシミリアノ・コルベ神学生は、親指を失う寸前でした。ところで、「親指が腐っていますから、どうしても切断しなければならない。」と、お医者さんが言いました。でも、もしも親指を切断しましたら、司祭にはなれません。そこで、ルルドの聖水が与えられて、コルベ神学生はルルドの水を付けると、その翌日には治っていました。そこで校長先生にその事を説明して、この自分の体でもそういう事が起こっている、自分に奇跡が起こっている、という事を話します。

 「聖務日課では、毎週土曜日こうしてお祈りするのではないのですか?先生。“御身御一人が、全世界の異端を滅ぼし給えり”と。天主様の約束、“彼女は,悪魔の蛇の頭を踏み砕くだろう”という約束をお忘れですか?マリア様は、全世界にはびこる悪魔を皆集めても、更に強い、という事を知っていらっしゃるでしょう?マリア様は、この全世界の人々のものすごい、それが例えものすごい悪人であって罪人であったとしても、回心させるお恵みを持っていらっしゃるでしょう?例えそれが、ラティスボンのような極悪の人であっても。」

 「何が私たちに必要でしょうか?」コルベ神学生は校長先生に、私が昨日皆さんに申し上げた事を、同じ事を言います、「校長先生、マリア様は道具が必要です。言い換えると、校長先生、マリア様には、マリア様の周りを取り囲む軍隊が必要です。この軍隊が、マリア様を攻撃する、教会を攻撃する巨大な敵に対して、戦いを挑まなければなりません。校長先生、今全世界の半分は、共産主義によって占領されようと、残る半分はフリーメイソンによって占領されています。フリーメイソンが、私たちのこの目の前で‘教会を破壊し尽くす!’と、言っているではないですか。私たちはそのそれを見て、ただ涙ながら、‘あぁ~どうしようどうしよう。’と、言うだけでは十分ではありません。何かしなければなりません。」

 これはコルベ神父様の言った事ではないのですけれども、私の言葉ですけれども、皆さん考えて下さい。これも悪い、あれも悪い、こんな悪い事があって、こんなに世の中悪い、と言うのは非常に簡単な事です。ところで残念な事に、聖伝の信者でも、「これが悪い、この人が悪い、あれが悪い、あれが悪い、こんな事が起こった、教会はこーだあーだ。」と、話す人がいます。「この人がフリーメイソンだ、あれがフリーメイソンだ、あれはどーのこーの。」と、話す人もいます。皆さん、南米でブエノスアイリスで物凄い酷い事が起こっています。今日、今朝、教皇様が酷い事を言いました。ハワイのホノルルの司教様はこんな事を言いました。私の教区の、小教区の主任司祭は、私たちにこんな御説教をすごい…。皆さん、私たちはそのような事が全てもう暗記して暗唱する事ができるほどよく知っています。しかしそれらの羅列をこう並べてみても私たちは解決の何の役にも立ちません。

 そこで、コルベ神父様はこう言うのです、「ですから校長先生、私たちは立ち上がって何かをしなければなりません。軍隊を作らなければなりません。」

 皆さん、私たちはよく知っています、私たちは本当に役に立たない哀れなほうきであって、0(ゼロ)に等しいものです。でも例え0でも、その0がいくら重なっていても、マリア様が1をその前につけてくださるので、マリア様は必ず勝利します。勝利を収めます。

 1917年10月16日、長上の許可を得て、「無原罪の聖母の騎士」が創立されます。その3日前には、ファチマでは巨大な「太陽の奇跡」をマリア様はおこなっています。でもその当時には、携帯とかiphoneとかインターネットがなかったので、テレビもラジオもありませんでした。ファチマで起こった出来事は、数ヶ月後にようやく辿り着きます。10月16日、ファチマの事を知らずに、7名のメンバーをもって「無原罪の聖母の騎士」が始まります。

 ところで、マリア様がどうやってコルベ神父様を教育したか知っていますか?厳しく教育しました。この創立から1週間後に、休憩のときにいきなり血を吐き出します。結核でした。1週間後には、コルベ神父は話す事もできずに、休息をしなければなりませんでした。1週間前に創立したばかりの「無原罪の聖母の騎士」何もすることができませんでした。皆にとって、「何だ、下らない夢想家が夢をみたに過ぎない。」と、しか思いませんでした。何故かというと、その当時結核というのは、「死」を意味していたからです。

 ですから1年後、皆「無原罪の聖母の騎士」について全く忘れ去ってしまって、ただコルベ神父様だけが、この夢をただ思っていただけでした。マキシミリアノ神学生は、夢をみつつ、健康を少しだけ回復して司祭となり、ポーランドに帰って来ます。

 ポーランドに帰るや否や、「無原罪の聖母の騎士」について話し始めます。その後に、最初の500、或いは600名のメンバーを登録します。せっかくそうして始まったにもかかわらず、1ヶ月の後にはまた結核になり、結核の療養所「サナトリウム」に行って、1年休まなければなりませんでした。こうやって5年が過ぎました。

 こうやって5年経って行くと、その周りにいた修道士たちは、マキシミリアノ神父について、「この今死にそうで、今結核で死にそうにハァ、ハァしているこの神父が、全世界を征服すると言っている。」と、言って皆笑っていました。

 ところが、マキシミリアノ・コルベ神父が病気でほとんど弱りかけてハァ、ハァ言っているだけなのにもかかわらず、その「無原罪の聖母の騎士」は、どんどんそのメンバーは増えて増えて増えていくのです。

 そこで、じゃあ、という事で、ニュースレター、雑誌を印刷し始めます。「その印刷の為のお金を恵んで下さい。」と、言って回りました。一人で編集して、印刷のを作って、それで印刷機を回して、それで配って、たった一人でやっていました。そうやって5000部、最初作りました。

 するとその直後に、5000名の人々が、「騎士になりたい。」と、言って来ました。

 そこで、他の印刷会社に行って印刷を頼むとお金がかかるので、その最初に来た献金を使って、印刷機を買います。その当時は、手でこう印刷する機械でした。最初に買った機械は、印刷の途中壊れてしまいます。でも壊れてしまっても、コルベ神父様はとても機械に強かったので、それを修理して直してしまいます。この印刷機のニックネームがついてしまって、それは、「おばあさん」でした。その周りにいた修道士達はコルベ神父様に、「コルベ神父様は、この‘おばあさん’を持ってちょっとおかしくなった。」と、言って皆笑っていました。

 そのような嘲りとかを受けながら、コルベ神父様はただニッコリと笑って、おそらくこの我慢して、じっと我慢して耐え忍ぶのは大変だったと思うのですけれども、じっと我慢してそれをお捧げしていました。

 ところで、コルベ神父様が受ける嘲りにもかかわらず、騎士たちは増えて増えて増えて、たくさんの騎士たちが増えて、入会所を求めてきました。そこで長上はコルベ神父様を、ロシアとポーランドの国境堺の僻地で、何もない、ただの荒れ地に置きます。何故かというと、その修道会、修道院は何もない所を持っていたからです。

 そこで3人の修道士が送られます。コルベ神父様と、もう一人のブラザーと、もう一人は修練者で修道者になりたいという人でした、3人です。その何を持って行ったかというと、カバン1つで行きました。

 5年後1927年、3人で始まった修道院は、23名の修道士に増えました。当時【修道者以外の】6万名の騎士がメンバーとなっていました。昔空っぽであった修道院の家はもう、ブラザーたちを収容する部屋はありませんでした。そこで1927年5年後には、入会を求めるブラザーたちを受け入れる事ができるように、別の場所を探していかなければなりませんでした。

 そこで、寄付をして下さる恩人がいて、ワルシャワ郊外に土地を買いました。そこで、その買った土地にマリア様の御像を立てて、「マリア様、これはあなたの土地です。これはあなたの都市です、あなたの街です。インマクラータ無原罪の街です。」

 1927年8月6日、周囲にいた小教区の主任神父様たちを呼んで、マリア様の御像の献銅式をしました。そこの儀式、セレモニーの献銅式に集まった神父様たちは、「コルベ神父様、無原罪の聖母の《街》ですか?無原罪の聖母の《都市》ですか?でも、これは荒れ地で荒野で、小屋の一つも無いじゃないですか。ちょっと頭が… どこかネジが外れてませんか?」

 そこで同じ1927年8月に、23名の今までいたブラザーたちが、新しく買った土地に移動します。3つのあばら小屋を立てます。1つはチャペルで、私たちの主イエズス・キリスト様の為です。もう1つは使徒職の、印刷機の為です。最後の1つは、ブラザーたちの住む家でした。冬は寒くて、修道者たちはもう死ぬばかりでした。

 この冬凍えて死にそうだったブラザーたちがいたのは、1927年。それから12年後の1939年、覚えておいて下さい、39年、その時にはこの土地には、建物が30棟ありました。世界中で最新の印刷機が、そこにはありました。毎月、少なくとも100万部の「無原罪の聖母の騎士」の雑誌が印刷されていました。20万部毎日印刷される日刊紙もありました。

 ところで、世界史、経済史上、この1939年というのは、ウォール・ストリートの暴落から始まった大危機で、経済的な大危機で、色んな会社が倒産して、新聞会社が倒産して、もう経済が立ち行かないという時に、マリア・コルベ神父様の新聞社だけが、どんどん部数を伸ばしていました。

 12年前、誰も住んでいない荒れ地だったその土地には、マリア様の無原罪の都市には、その時12年後、約1000名の人々が住んでいました。13名の司祭、762名の修道者、この全てが、この12年の間にここに入会して修道者となった人々です。150名の神学生たちもいました。彼らは将来宣教師となる為に、そこで訓練を受けていました。12年後には、世界で一番大きな修道院となりました。全世界では、「無原罪の聖母の騎士」のメンバーは、400万名を超えました。

 ところで、コルベ神父様は実は、無原罪の聖母の都市を創立した3年後には、宣教に旅立って出ていたのです。どこに行ったかというと、日本でした。

 コルベ神父様は日本の長崎に来て、第2の無原罪の聖母の都市を創立して、第二次世界大戦後は、それは日本の宣教の最も重要な中心地となります。

 第二次世界大戦後、つまりコルベ神父様が強制収容所で亡くなった後には、2つの国のみならず、「無原罪の聖母の騎士」は全世界に広まります。「無原罪の聖母の騎士」のメンバーで、多くの人々が殉教者として聖なる死を遂げました。この「無原罪の聖母の騎士」は、多くの人々の回心の為の道具となり、多くの異教徒たち、例えばアフリカ、或いはロシア、或いは中国、日本の人々をカトリック教に導きました。

 ではどうやって、コルベ神父様はこの事をやったのでしょうか?どうやったかというと、コルベ神父様は、たくさんの0を集めたのです。この0がたくさん集まって、マリア様が1として、ゼロの前にとして立ったので、大勝利を収めました。

 私たちは、このコルベ神父様のやった事を続けなければなりません。いやそればかりではなく、今こそ、コルベ神父様よりももっと、無原罪の聖母の助けが必要だからです。

 この次の拷問…お話で、この終末の時代に於いて、無原罪のマリア様がどれほど大切かという事を、皆さんに是非説明したいと思っています。

 コルベ神父様がカトリック信者たちに、「さあ、マリア様の道具となって下さい。」と、言って、答えると、「では何をしたら良いのですか?」でも、コルベ神父様はほとんど何の答えもありませんでした。「無原罪の聖母の騎士」というのは、他の色々の運動とは違っています。要はそのようなものよりも、もっと少ないと同時に、それよりももっと多いものです。これはほとんど無い、より少ないものなのです。何故かというと、例えばレジオ・マリエとか他の色々な信心会では、色んな事をしなさい、こうしなさい、こうしなさい、こう約束します、というのがあるのですけれども、「無原罪の聖母の騎士」のはそのようなものはほとんど無いからです。

 レジオ・マリエでは、必ず毎週1回、1時間半のミーティングがありますし、毎週、少なくとも1時間半の本質的な使徒職をしなければならないし、色んなその他のお祈りもしなければならないし、色んな義務があります。確かにレジオ・マリエというのは、マリア様から選ばれたエリートたちの選び抜かれた軍隊ですが、全ての人がそれに入って、その同じ様に仕事ができるとは限りません。

 コルベ神父様が求めた義務というのは、「もしもできるならば、不思議のメダイを身に付けて下さい。何故かというと、マリア様がそれを私たちに求めたからです。もしもできるならば、1日少なくとも1回、この不思議のメダイを私たちに下さった時に、マリア様が私たちに教えて下さった祈りを1回だけ唱えて下さい。“あぁ、原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身により頼み奉る、罪人なる我らのために祈り給え。”」

 これだけです。もう無いに等しいものです。それと同時に、「無原罪の聖母の騎士」は、もっと多く要求しています。何故かというと、それは外的な形式というよりも、生き方の問題であるからです。核心の問題です。

 つまり今までの生活とは違う生活が始まった、つまり「今からはマリア様の道具だ!」道具の生活が始まるからです。つまりこれからは、ただ単に天主を賛美して霊魂を救うのみならず、もっと更にもっと、マリア様を助けて、多くの霊魂の救霊の為に働くからです。

 「無原罪の聖母の騎士」になるという時には、確固とした決意を立てて下さい、「これからは、マリア様の汚れ無き御手の内に於ける、良き道具となって生きる。」という事です。

 皆さんは申し込み書に名前を書いて、アドレスを書いて、メールのアドレスを書いて、この会員の登録をして下さい。その会員の登録の番号も受けて下さい。その後に、入会の証明書を受けて下さい。その証明書の裏には、マリア様への奉献の祈りが付いています。司祭が確かに受けた、というサインも付いています。時々、この自分がマリア様の道具となった、という事を思い出して、この奉献の祈りを唱えて下さい。

 コルベ神父様は、マリア様が非常に賢いお母さんだという事を知っています。コルベ神父様はですから、マリア様にちょっとだけやれば、マリア様が取ってしまうという事を知っています。だからコルベ神父様は大成功したのです。

 コルベ神父様がやったのは、「これを始めて下さい、」と。ちょっとこの、「“原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、”という小さなこの射祷を唱えて下さい。」という事だけでした。

 ほんのちょっとこの指先をマリア様に与えるだけで、すると、皆さんが昨日よく聞いて下さったように、「私はもっとマリア様の為にする事ができる。もっともっともっともっと。」と、いう情熱が湧き起るではないですか。皆さんはその騎士となるという事で、宣言して、その教会の代表者として送られた司祭の前に証人として、「騎士となるという事を、分かります。」と、宣言します。

 今後これから、霊魂の救霊の為に、ちょっとした祈りをするという事を始め出します。最初は一日数回かもしれませんけれども、更にもっとたくさん。もしかしたら、突然、信者じゃなかったご主人が、「カトリックになりたい。」と、言うかもしれません。そのお祈りの後に、今までカトリックから離れていた子供が、カトリックに興味を持ちだすかもしれません。「あれ?すごいなぁ、これは。もっとやってみよう。」もっともっとこの小さな祈りをたくさん唱えるようになります。

 もしかしたら、辛い事が日常生活で起こって、苦しい事が起こるかもしれませんけれども、その時は今度からは、「あ!霊魂の救いの為にこれを捧げよう!ファチマでも、マリア様は“祈りと犠牲を捧げて下さい”と言った。さぁ、これを、苦しみを捧げよう、この時間を捧げよう。」と、なります。

 「昨日は、そういえば祈りと犠牲だけでなくて、私が受けた天主様から与った才能を、霊魂の救霊の為に、隣人の救霊の為に使う事ができる、と言ってたなぁ。コンピューターを良く知っているし…」「あぁ僕は文章を書くのが好きだなぁ。」「絵を描くのが好きだなぁ。」「私にはこの才能がある。」「私にはこの才能がある。」「私の才能は、皿洗いをする時にいつもお皿を割っちゃう事です。以前はそれがちょっとおっかなかったけど、でもこれからは、割れたお皿をマリア様に捧げます。」

 こうやって皆さんの人生を新しい人生に変えて下さる、それが、「無原罪の聖母の騎士」に起こっている事です。

 このような物凄い変化の、聖化の例は、ポーランド人の日本における英雄がいます。

 皆さん知っているかもしれませんけれども、或る、ポーランド人の、本当にもうとんまな、頭の足りない男がいました。1925年だったと思うのですけれども、コルベ神父様の建てた「無原罪の聖母の都市」に入会しました。何でか知っていますか?何で他の修道院に行かずに、こっちの修道院に行ったか知っていますか?何故かというと、この男は、コルベ神父様の無原罪の聖母の都市に行けば、入会者には新しい靴がもらえると聞いていたので、「じゃあ、新しい靴をもらいに行こう。」と、思って行ったのです。

 その最初に与えられた任務は、この印刷された雑誌のパッケージを、それを郵便局に運ぶ事でした。そこでこの男は、郵便局に行く時には、コルベ神父様の新しい靴をいつも履いて行きました。コルベ神父様はある時、この自分で色々考えて考えて考えて、その原稿を紙に、雑誌に載せる記事を紙に書いて原稿を書きました。ところで、このブラザーが、書いた原稿を雑誌を包む包装紙に使ってしまったという事を知ります。

 1930年、コルベ神父様は、この修道者を日本に一緒に連れて行きます。ところがこのポーランド人の修道者は、日本に来ても日本語のアヴェマリアを、めでたしを覚える事ができませんでした。最初の、「めでたし聖寵うんぬん…」は日本語ですが、その後は、必ずポーランド語で終わっていました。一生涯日本語を覚えれませんでした。

 この男こそ、この修道士こそ、日本の英雄、日本で多くの人々を救った英雄、「ゼノ」修道士でした。

 この愚かだった、このとんまだまぬけだ、とポーランドで思われていたこの男を、無原罪の聖母は、日本の大英雄に、大聖人に変えたのです。このゼノ修道士こそ、コルベ神父様の命を受けて、そのコルベ神父様の名前によって、「無原罪の園」を建てました。

 第二次世界大戦で日本が被害を受けて、原子爆弾が長崎に落ちて、多くの人が、食べる物も無く家も無く苦しんでいた時に、このゼノ修道士は彼らに家を建てて、世界から送られた食べ物を皆に配り、天皇陛下から感謝の勲章を受けました。

 ですから皆さんは、自分がちょっと間が抜けている、といっても恐れないで下さい。惨めな罪人だとしても恐れないで下さい。ちょっとしただけでも、指をマリア様にあげて下さい、マリア様は全部取ってしまいます。

 本当は10時で終わるのですけれども、始まったのが9時5分だったので、5分皆さんを拷問で苦しめる事にします。

 ところで、この「無原罪の聖母の騎士」、また「レジオ・マリエ」、それから「ブルー・アーミー」という、カトリック教会が20世紀に生み出した3大の、ものすごい偉大な大事業が、いきなりストップします。

 1965年、第二バチカン公会議の終了直後、カトリック教会は全ての分野に於いて、全体、全面的な改革を行います。そこでこれら3つのマリア様に対する信心会は、突然ストップしてしまうのですけれども、何故かというと、なぜならばこの3つの目的としていたものは、第二バチカン公会議の目指していたものと正反対だからです。

 第二バチカン公会議以前のこの3つの団体は、マリア様と共にあるならば、地獄を避ける事ができ、多くの霊魂を救って、地獄の火から救う事ができる、という事を教えていました。

 しかし第二バチカン公会議は、地獄の事を一度も語りません。第二バチカン公会議以後は、「戦闘の教会」という事も聞きません。地獄を避け、天国に行く為に霊魂を救うのだ、という事は突然ストップしてしまいます。「この世に新しい世界を建設する、この世に楽園を建設する、この世に天の御国を建設する。」という事を言い出します。「全民族の平和と愛の社会を作る。」「だから宗教は互いに戦い合うのではなくて、一つにまとまらなければならない。」「だから、他の人をカトリックに改宗させるなどというのではなくて、他の人の宗教の前に尊敬を表して、頭を下げて平和を保たなければならない。」

 ところが、コルベ神父様が、「無原罪の聖母の騎士」で求めていた事は、「罪人の回心、異端者の回心、フリーメイソンの回心、ユダヤ人の回心。彼らが、イエズス・キリストの戻ってくるように、その為に戦う、その為に力を尽くす。」と、いう事です。しかしそれは全てストップしています。

 コルベ神父様が作った祈りも変えられてしまいます。「御身によりすがる我らの為に、“特に、フリーメイソンの為に”」等という言葉があったのですけれども、フリーメイソンも私たちの敵ではないという事で、それはカットされてしまいます。

 1974年には、「無原罪の聖母の騎士会」の新しい会則が出ます。そこで新しい会則には、「私たちは、第二バチカン公会議の成功した新しい精神を実践しなければならない。」「回心させる」という言葉の代わりに、「他の宗教の人達と、友好的な対話をする」という事に変えられてしまいます。

 1998年、新しい改訂版が出て、それが決定的に義務となりました。ところでどうなったかというと、「無原罪の聖母の騎士会」というのはラテン語では、「Militia“軍隊”」となるのですが、その言葉も変えられてしまいます。何故かというと、「“軍隊”と言うと、この平和の世界に於いては合わない。」と、いう事です。「Militia“軍隊”」の代わりに、「Mission」と、いう言葉がフランス語では与えられています。

 「まぁ、そんな事を言うよりも、回心させる必要はもうなくなったんだ。」「マリア様は私たちの姉妹であって、マリア様は私たちの世界に於いて、平和を促進させる方だ。」「マリア様は私たち人間と同じ救われた方だから、その道徳的な価値や、或いは人間の尊厳を促進させる為に、マリア様はいらっしゃるんだ。」

 そこで、聖ピオ十世会の総長フェレー司教様が私に、2000年、ちょうど2000年、私に特別の許可を下さって、聖マキシミリアノ・コルベ神父様が始めた1965年、或いは1974年までずっとやって来られた、そのまさにそのままの「無原罪の聖母の騎士」をもう一度始める、再開させるという事の許可を得ました。

 これは、今から15年前の2000年の聖母月、5月の初土曜日、つまり5月の6日、明日その日付ですけれども、の事でした。

 最初の年は、非常に私にとっても難しい年でした。何故かというと、このポーランドの人が、私たちのやろうとしている事が一体何なのか、よく理解されてなかったようです。2000年当時は、ポーランドの聖ピオ十世会は非常に小さなものに過ぎませんでした。

 その当時、ある管区の管区長が、聖ピオ十世会の管区長が私に手紙を下さいました、「神父様、本当にあなたはちょっと頭がおかしいですね。」実はコルベ神父様も、「インマクラータの馬鹿」と言われていたので、「あ!コルベ神父様と同じ名前が与えられた!」と思って、とても嬉しく思いました。

 2002年には、フランス管区が聖ピオ十世会で第2に、「無原罪の聖母の騎士」を再興させる事を、もう一度始める事を受け入れました。

 2003年に、この赤い表紙の小さな本を私は作って、日本語にも訳されています。その時にアメリカ管区で、「無原罪の聖母の騎士」が、もう一度再開しました。

 2004年には、「無原罪の聖母、私たちの理想」という本を書いて、「無原罪の聖母の騎士」の目的とか、その意図する所を説明する本が出ました。この本は今では10カ国語に訳されています。これによって、「無原罪の聖母の騎士」が何であるか、より良く知られる事になりました。

 私が去年8月に、ヨーロッパを発ってアジアに来る時には、全世界で約6000名の方が「無原罪の聖母の騎士」になりました。

 去年の12月の8日、アジア管区で、「無原罪の聖母の騎士」を再開させました。アジア管区だけでは、まだ最初で始まったばかりなのですけれども、1000名の騎士のメンバーを抱いています。同じ日に、ドイツとスイスとオーストリアで、「無原罪の聖母の騎士」が聖伝に従って再開しました。

 イタリアと南米のいくつかの国でも、「無原罪の聖母の騎士」が始まっています。

 ところで、2017年5月13日までに、10万名の「無原罪の聖母の騎士」が必要とされています。もしも皆さんが1974年以降、「無原罪の聖母の騎士」のメンバーとして登録されたのであれば、聖伝に従って是非登録して下さい。何故かというと、1974年以降に入会された方は、新しい規約、新しい会則に従って入会されたのであって、それはマキシミリアノ・コルベ神父様の作った会則とは、違う会則で入会されているからです。

 皆さんの忍耐を乱用してしまったようです。次のお話はもっと短くなります。次のお話は1時間15分の代わりに、大サービスで1時間10分にします。15分お休みがあります。


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毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。

《罪なく宿り給いし聖マリアよ、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え。また、御身に寄り頼まぬ全ての人々のため、ことに、フリーメーソンのため、また、御身に依頼された人々のために、祈り給え。》

シスター・ルチア「神父様、この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。」

「わが天主よ、私は御身を信じ、礼拝し、御身に希望し、御身を愛します!御身を信じない人々、礼拝しない人々、御身に希望しない人々、御身を愛さない人々全てのために、赦しを乞い求めます。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、私は御身を深く礼拝いたします。私は、世界中のすべての御聖櫃の中にましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂、神性を、天主御自身が犯されている侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身にお捧げいたします。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳により、私はあわれな罪人の回心を御身に願います。」

ああ、イエズスよ、われらの罪を赦し給え。われらを地獄の火より守り給え。また、すべての霊魂、殊に最も必要としている霊魂を、天国に導き給え。

「聖マリアの甘美なる御心よ、ロシア、ヨーロッパ、中国、韓国、日本、そして全世界の救いとなり給え。」

「ああ聖マリアよ、御身の清き汚れなき御宿りによりて、ロシア、ヨーロッパ、中国、韓国、日本、そして全世界の回心を得させ給え。」


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