2021年5月4日(火)秋田巡礼聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父霊的講話3「聖母に自分を奉献することの意味」
今日のこのお話は、2つの部分に分かれています。
⑴最初は、「MI:汚れなき聖母の騎士」について、
⑵次に、明日行なう「奉献」についてです、「奉献とは何か」という事について。
⑴では、「MI」について。これは今日、ドモルネ神父様がポンマンの聖母について話して下さった、マリア様が挿絵というかビジュアルな形で示して下さった事が、実際に私たちが行なう事ができるように、組織を作るようになったことです。
1917年10月、ちょうどファチマの太陽の奇跡があって4日後、10月17日、コルベ神父様はローマに居て、「悪の勢力と、キリストの勢力が戦っている」というのを目の当たりにして、「そのマリア様の勝利の為に、聖母の軍隊を作るべきだ」とインスピレーションを受けて、そして10月17日に初めて、汚れなき聖母の騎士会を創立しました。ローマの神学校で創りました。
コルベ神父様によれば、「私たちは天主の御旨を果たさなければならないけれども、その御旨は、2つにまとめられる。その2つは、愛の掟であって、『天主を愛する事』、そして『隣人を愛する事』である。」
私たちの理想は、私たちがこの天主の御旨を果たす事ができる為には、イエズス・キリストの真似をしなければなれなりません。イエズス・キリストがなさったように、しなければなりません。「私があなたたちを愛したように、隣人を愛しなさい。」
ところで、「天主に対する愛」、それはまぁ、天主様の御憐れみと御助けによって、一生懸命する事を守ろうとしますが、ところで「隣人愛」については、「イエズス様がなさったように、私たちが隣人を愛する」というのは、非常に難しい、極めて高い教えのように私たちには響きます。
どうしたら良いのでしょうか?イエズス様がなさったというのは、「隣人の為に自分の命を捨てて、その救霊の為に全てを捧げた」という愛だったからです。
そこで私たちは、隣人を愛する為に、イエズス様と同じように愛する事ができる為に、隣人の永遠の命、つまり本当の愛徳を求める為には、私たちはイエズスがなさったというその贖いの業のみならず、イエズス様がなさった事全てを真似る必要があります。
つまり、「イエズス様がなさったように、マリア様と共に、隣人の救霊の為に力を尽くす」という事です。そしてそれはどういう事かというと、「隣人をやはり天主の子供とする為に、マリア様の子供とする。それこそが、私たちにとってできる事だ」という事です。
「この事をイエズス様は私たちに求めている、『私がやったように、互いに愛しなさい。』」
では、その為にはどうしたら良いかというと、「マリア様にはそれをする功徳があって、力が与えられて、それをする事ができる。ただ、マリア様がそれをする事ができる為に、『パイプライン』が必要だ。運河というか『水道』が必要であって、そのマリア様の御恵みを運んで、それを適用させる何かが必要だ、その『道具』が必要だ。もしもその水道がなければ、道具がなければ、本当にチャチなものであっても、ダムに湛えられた水は流れない。」
「それなので私たちは、『マリア様の忠実な道具となる』事が求められている、パイプラインとなる事が求められている。そして私たちが、そのマリア様からの影響をたくさん送り出す事ができるような、良いパイプラインになればなるほど、ますますマリア様は働く事ができる。」
では、どのように私たちは良い道具となる事ができるでしょうか?
それは、私たちがいつもマリア様と接触している事であって、マリア様と繋がっている事なのですけれども、そしてマリア様と繋がる最大のやり方は、お祈りであって、そして最高のお祈りは、「ミサ聖祭」。ファチマのマリア様が仰ったように、「『祈り』と『犠牲』によって、罪人の回心を祈りなさい。」
「ミサ」、「祈り」、「犠牲」。
そしてこの犠牲の中には、「どのような犠牲が一番効果がありますか?イエズス様の聖心に適うものですか?」とシスタールチアが聞いたら、マリア様は、「私たちの日常の義務を、それをイエズス様に捧げる事だ」と仰いました。
マリア様はですから、「イエズス様と一緒に一致して、私たちの日々の生活を、マリア様を通してお捧げする事。」
これはこの教えはちょうど、ドモルネ神父様が仰ったFr.ゲラン主任司祭、ポンマンの主任神父様、あるいはドン・ボスコがある時、駅で冒瀆を吐いてる人の為にお祈りをしたら、その人は後に回心したとか、あるいはジャシンタ、聖ジャシンタが小さな子供であるにも関わらず、病の身をいけにえにして祈りを捧げて、祈りを込めてそれを捧げた、そして多くの回心の為に祈った、罪人の回心の為に祈った、それと繋がっています。
では、どのようにこの道具となるという事でしょうか?私たちは非常に弱いものですから、「そうだ!道具になろう!」と思っても、1時間後には忘れてしまうかもしれません。
それで、それがないように、特別な組織をコルベ神父様は創ってくれました。それが、『無原罪の聖母の騎士』です。私たちが、「マリア様の道具として私たちを奉献して、マリア様に使ってもらうようにお願いする」という事です。
この道具は同時に、悪魔との戦いの道具であるので、『騎士』という名前が付いています。なぜかというと、このマリア様の為に戦うという事は、「マリア様の元に付く」者は、「悪魔と蛇の頭を踏み砕く側に付く」という事で、既に世の初めから、世の終わりまで、悪魔とマリア様の間に敵対が置かれているからです。
では、この奉献の為にはどんな事が必要なのでしょうか?何か条件があるのでしょうか?
非常に簡単なのです。私たちをマリア様の為に、「マリア様の道具として使って下さい」という奉献の祈りを私たちが申し上げて、そしてそれを時々思い出して更新する。
そして毎日不思議のメダイを身につける。
不思議のメダイに与えられたそのお祈りを毎日1回唱える、『ああ原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え。また御身に依り頼まざるすべての人々、特にフリーメーソン会員のため、また御身に委ねられしすべての人々のために祈り給え。』
それだけです。そしていつも私たちのする祈りや日常生活を、マリア様の思し召しのように使って下さるように、という意向を持つだけです。
⑵では、この「聖別」「奉献」というのは一体どういう事なのでしょうか?
この「奉献」という事をですね、今日は、シャミナード神父様が何と言っているか、という事をちょっとご紹介したいと思っています。
私はシャミナード神父様の言っている事が、聖グリニョン・ド・モンフォールと同じなので、これはきっと(聖母マリアへのまことの信心を)読んだに違いないと思ったのですけれども、よく調べてみると、グリニョン・ド・モンフォールの書かれた本『聖母マリアへのまことの信心』は、フランス革命の前に書かれて、フランス革命の間は隠されていて、その後発見されたのですけれども、発見された時は1840年で、シャミナード神父様がもはや80歳の時だったので、そして既にそれの前から同じ事を、グリニョン・ド・モンフォールが言っている事をですね、既に言っていたので、おそらくこれはグリニョン・ド・モンフォールの本を読んだのではなくて、サラゴサの柱のマリア様からの特別の啓示があったから、これは確かなのです、それからインスピレーションを受けたのだ、と研究者は言います。
そこで、シャミナード神父様によると、「奉献とは何か」という事を、「マリア様の子供」という観点から言っているので、少し紹介させて下さい。
では、4つのポイントで、シャミナード神父様は奉献についてこう言っています。
第1のポイントは、まず、「マリア様が私たちの母なので、母親としての所有権を持っているから。母としての権利があるから。」
第2のポイントは、「私たちがマリア様に対して持っている愛は、イエズス様の、子供としての持っているマリア様に対する忠孝の愛、親孝行の愛を再現したいから。」
なぜかというと私たちは、シャミナード神父様によると、「イエズス様が十字架の上で、ヨハネを指し示しながらマリア様に向かって、『汝の子を見よ』と言った時に、実はこの『汝の子』というのは、実は自分の事であって、『私と一致している者、私の一部である。これも私の一部であるから、お前の子供である。私と一つになっている者だ』と言った」と解釈しています。
ですから私たちも、「そのイエズス様の持っていた愛を、私たちにおいても再生したい、もう一度それを作り出したい、と思うから。」
3番目は、「マリア様は、私たちの幸せと至福を願っている。マリア様が願っているのはただ私たちの全ての幸せと、喜び。そしてその為にこそ、私たちは悪魔の支配から離れて、天主様に近寄らなければならない。幸せの元に行かなければならない。つまり回心して聖化されなければならない。」
そして、「ところが天主の御計画によれば、この『回心』と『聖化』というのは、マリア様とイエズス様とが一緒になってなされたので、人々の回心や聖化(聖となる事)も、私たちとマリア様が一緒に協力してこそなされるようになる、という事を望む。なぜかというと、私たちとイエズス様は同じだから、一体だから。私たちもイエズス様と一体となって、マリア様と協力して、霊魂の救いの為に働く。これが天主様の計画である。」
ですから、「贖いの聖寵が誰かに与えられる為には、誰かの協力が必要である。マリア様がそれを与える為には、誰かの協力が必要である。例えばイエズス様が、使徒や司教様や司祭たちを使って御恵みを、秘跡などを与えるように、マリア様も天主様の計画によって、御恵みを与える為に、マリア様の子供が、そのお母さんを助ける必要があるように望まれた。」
では最後4番目には、ではこのマリア様への奉献というのは、どんな特徴を持っているのでしょうか?
それは、子供としての、子供らしい特徴を持っています。つまり、「お母さんからの愛を受けて、それへの感謝として、それの応えとして、愛に挑発されて、愛し返したい、という思いによる奉献」です。
そして、「このマリア様の愛に応える為に、私たちが頂いたものを全て、マリア様のものとなりたい。イエズス様が全て御自分をマリア様のものとしてなさったように、御胎内におられて、そしてマリア様の良い子供となられたように、マリア様の初子であるイエズス様がなさったように私たちも、イエズス様と一緒になってマリア様のものとなりたい。」
そういう忠孝の子供の心で、マリア様に奉献するという事です。
そしてこの受けた愛を、また愛で応える事によって、その愛は更に強くなって、強烈になって、そして「できれば、その私たちを愛して下さるそのマリア様の利益の為だけに、お喜びの為だけに、他の事は何も考えずに与えたい。全てを与えたい。命も死も、身も心も、全て使って下さい、と言いたい。そうする事によって霊魂を救いたい。そうする事によって、イエズス様がなさったように隣人を愛したい」と思います。
それから最後に、この特徴として、もちろん私たちの奉献は非常に自分の利益を求めない、正真正銘のマリア様の事だけを考える信心で、マリア様の子供である、というその特権を持つだけでもう、それだけで十分なのですけれども、でも私たちは知っているのです。マリア様があまりにも良い方であるので、私たちが与えれば与えるほど、マリア様はもっと下さる、与えれば与えるほど、私たちはもっと受け取る、という事を知っているのです。別にそれを求めているわけではないのですけれども、そうなるという事を知っているのです。マリア様の事をよく知っているので。それなので、この全く無私の奉献なのですけれども、その結果、思いがけずに私たちは、更に大きな愛と恵みを受ける事になる、という結果を受けざるを得ない奉献なのです。
では、時間になりましたので、皆さんお疲れのところ最後までお付き合い下さってありがとうございます。ではこのような奉献式を明日行ないます。もしもこの「マリア様の騎士になって、マリア様に喜んで頂きたい。マリア様の道具となって、マリア様の為になりたい」と思われる方がいましたら、自由にこの入会申込書に記入して下さい。また、もう入会されている方は明日、その更新も致しましょう。
今日のこのお話は、2つの部分に分かれています。
⑴最初は、「MI:汚れなき聖母の騎士」について、
⑵次に、明日行なう「奉献」についてです、「奉献とは何か」という事について。
⑴では、「MI」について。これは今日、ドモルネ神父様がポンマンの聖母について話して下さった、マリア様が挿絵というかビジュアルな形で示して下さった事が、実際に私たちが行なう事ができるように、組織を作るようになったことです。
1917年10月、ちょうどファチマの太陽の奇跡があって4日後、10月17日、コルベ神父様はローマに居て、「悪の勢力と、キリストの勢力が戦っている」というのを目の当たりにして、「そのマリア様の勝利の為に、聖母の軍隊を作るべきだ」とインスピレーションを受けて、そして10月17日に初めて、汚れなき聖母の騎士会を創立しました。ローマの神学校で創りました。
コルベ神父様によれば、「私たちは天主の御旨を果たさなければならないけれども、その御旨は、2つにまとめられる。その2つは、愛の掟であって、『天主を愛する事』、そして『隣人を愛する事』である。」
私たちの理想は、私たちがこの天主の御旨を果たす事ができる為には、イエズス・キリストの真似をしなければなれなりません。イエズス・キリストがなさったように、しなければなりません。「私があなたたちを愛したように、隣人を愛しなさい。」
ところで、「天主に対する愛」、それはまぁ、天主様の御憐れみと御助けによって、一生懸命する事を守ろうとしますが、ところで「隣人愛」については、「イエズス様がなさったように、私たちが隣人を愛する」というのは、非常に難しい、極めて高い教えのように私たちには響きます。
どうしたら良いのでしょうか?イエズス様がなさったというのは、「隣人の為に自分の命を捨てて、その救霊の為に全てを捧げた」という愛だったからです。
そこで私たちは、隣人を愛する為に、イエズス様と同じように愛する事ができる為に、隣人の永遠の命、つまり本当の愛徳を求める為には、私たちはイエズスがなさったというその贖いの業のみならず、イエズス様がなさった事全てを真似る必要があります。
つまり、「イエズス様がなさったように、マリア様と共に、隣人の救霊の為に力を尽くす」という事です。そしてそれはどういう事かというと、「隣人をやはり天主の子供とする為に、マリア様の子供とする。それこそが、私たちにとってできる事だ」という事です。
「この事をイエズス様は私たちに求めている、『私がやったように、互いに愛しなさい。』」
では、その為にはどうしたら良いかというと、「マリア様にはそれをする功徳があって、力が与えられて、それをする事ができる。ただ、マリア様がそれをする事ができる為に、『パイプライン』が必要だ。運河というか『水道』が必要であって、そのマリア様の御恵みを運んで、それを適用させる何かが必要だ、その『道具』が必要だ。もしもその水道がなければ、道具がなければ、本当にチャチなものであっても、ダムに湛えられた水は流れない。」
「それなので私たちは、『マリア様の忠実な道具となる』事が求められている、パイプラインとなる事が求められている。そして私たちが、そのマリア様からの影響をたくさん送り出す事ができるような、良いパイプラインになればなるほど、ますますマリア様は働く事ができる。」
では、どのように私たちは良い道具となる事ができるでしょうか?
それは、私たちがいつもマリア様と接触している事であって、マリア様と繋がっている事なのですけれども、そしてマリア様と繋がる最大のやり方は、お祈りであって、そして最高のお祈りは、「ミサ聖祭」。ファチマのマリア様が仰ったように、「『祈り』と『犠牲』によって、罪人の回心を祈りなさい。」
「ミサ」、「祈り」、「犠牲」。
そしてこの犠牲の中には、「どのような犠牲が一番効果がありますか?イエズス様の聖心に適うものですか?」とシスタールチアが聞いたら、マリア様は、「私たちの日常の義務を、それをイエズス様に捧げる事だ」と仰いました。
マリア様はですから、「イエズス様と一緒に一致して、私たちの日々の生活を、マリア様を通してお捧げする事。」
これはこの教えはちょうど、ドモルネ神父様が仰ったFr.ゲラン主任司祭、ポンマンの主任神父様、あるいはドン・ボスコがある時、駅で冒瀆を吐いてる人の為にお祈りをしたら、その人は後に回心したとか、あるいはジャシンタ、聖ジャシンタが小さな子供であるにも関わらず、病の身をいけにえにして祈りを捧げて、祈りを込めてそれを捧げた、そして多くの回心の為に祈った、罪人の回心の為に祈った、それと繋がっています。
では、どのようにこの道具となるという事でしょうか?私たちは非常に弱いものですから、「そうだ!道具になろう!」と思っても、1時間後には忘れてしまうかもしれません。
それで、それがないように、特別な組織をコルベ神父様は創ってくれました。それが、『無原罪の聖母の騎士』です。私たちが、「マリア様の道具として私たちを奉献して、マリア様に使ってもらうようにお願いする」という事です。
この道具は同時に、悪魔との戦いの道具であるので、『騎士』という名前が付いています。なぜかというと、このマリア様の為に戦うという事は、「マリア様の元に付く」者は、「悪魔と蛇の頭を踏み砕く側に付く」という事で、既に世の初めから、世の終わりまで、悪魔とマリア様の間に敵対が置かれているからです。
では、この奉献の為にはどんな事が必要なのでしょうか?何か条件があるのでしょうか?
非常に簡単なのです。私たちをマリア様の為に、「マリア様の道具として使って下さい」という奉献の祈りを私たちが申し上げて、そしてそれを時々思い出して更新する。
そして毎日不思議のメダイを身につける。
不思議のメダイに与えられたそのお祈りを毎日1回唱える、『ああ原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え。また御身に依り頼まざるすべての人々、特にフリーメーソン会員のため、また御身に委ねられしすべての人々のために祈り給え。』
それだけです。そしていつも私たちのする祈りや日常生活を、マリア様の思し召しのように使って下さるように、という意向を持つだけです。
⑵では、この「聖別」「奉献」というのは一体どういう事なのでしょうか?
この「奉献」という事をですね、今日は、シャミナード神父様が何と言っているか、という事をちょっとご紹介したいと思っています。
私はシャミナード神父様の言っている事が、聖グリニョン・ド・モンフォールと同じなので、これはきっと(聖母マリアへのまことの信心を)読んだに違いないと思ったのですけれども、よく調べてみると、グリニョン・ド・モンフォールの書かれた本『聖母マリアへのまことの信心』は、フランス革命の前に書かれて、フランス革命の間は隠されていて、その後発見されたのですけれども、発見された時は1840年で、シャミナード神父様がもはや80歳の時だったので、そして既にそれの前から同じ事を、グリニョン・ド・モンフォールが言っている事をですね、既に言っていたので、おそらくこれはグリニョン・ド・モンフォールの本を読んだのではなくて、サラゴサの柱のマリア様からの特別の啓示があったから、これは確かなのです、それからインスピレーションを受けたのだ、と研究者は言います。
そこで、シャミナード神父様によると、「奉献とは何か」という事を、「マリア様の子供」という観点から言っているので、少し紹介させて下さい。
では、4つのポイントで、シャミナード神父様は奉献についてこう言っています。
第1のポイントは、まず、「マリア様が私たちの母なので、母親としての所有権を持っているから。母としての権利があるから。」
第2のポイントは、「私たちがマリア様に対して持っている愛は、イエズス様の、子供としての持っているマリア様に対する忠孝の愛、親孝行の愛を再現したいから。」
なぜかというと私たちは、シャミナード神父様によると、「イエズス様が十字架の上で、ヨハネを指し示しながらマリア様に向かって、『汝の子を見よ』と言った時に、実はこの『汝の子』というのは、実は自分の事であって、『私と一致している者、私の一部である。これも私の一部であるから、お前の子供である。私と一つになっている者だ』と言った」と解釈しています。
ですから私たちも、「そのイエズス様の持っていた愛を、私たちにおいても再生したい、もう一度それを作り出したい、と思うから。」
3番目は、「マリア様は、私たちの幸せと至福を願っている。マリア様が願っているのはただ私たちの全ての幸せと、喜び。そしてその為にこそ、私たちは悪魔の支配から離れて、天主様に近寄らなければならない。幸せの元に行かなければならない。つまり回心して聖化されなければならない。」
そして、「ところが天主の御計画によれば、この『回心』と『聖化』というのは、マリア様とイエズス様とが一緒になってなされたので、人々の回心や聖化(聖となる事)も、私たちとマリア様が一緒に協力してこそなされるようになる、という事を望む。なぜかというと、私たちとイエズス様は同じだから、一体だから。私たちもイエズス様と一体となって、マリア様と協力して、霊魂の救いの為に働く。これが天主様の計画である。」
ですから、「贖いの聖寵が誰かに与えられる為には、誰かの協力が必要である。マリア様がそれを与える為には、誰かの協力が必要である。例えばイエズス様が、使徒や司教様や司祭たちを使って御恵みを、秘跡などを与えるように、マリア様も天主様の計画によって、御恵みを与える為に、マリア様の子供が、そのお母さんを助ける必要があるように望まれた。」
では最後4番目には、ではこのマリア様への奉献というのは、どんな特徴を持っているのでしょうか?
それは、子供としての、子供らしい特徴を持っています。つまり、「お母さんからの愛を受けて、それへの感謝として、それの応えとして、愛に挑発されて、愛し返したい、という思いによる奉献」です。
そして、「このマリア様の愛に応える為に、私たちが頂いたものを全て、マリア様のものとなりたい。イエズス様が全て御自分をマリア様のものとしてなさったように、御胎内におられて、そしてマリア様の良い子供となられたように、マリア様の初子であるイエズス様がなさったように私たちも、イエズス様と一緒になってマリア様のものとなりたい。」
そういう忠孝の子供の心で、マリア様に奉献するという事です。
そしてこの受けた愛を、また愛で応える事によって、その愛は更に強くなって、強烈になって、そして「できれば、その私たちを愛して下さるそのマリア様の利益の為だけに、お喜びの為だけに、他の事は何も考えずに与えたい。全てを与えたい。命も死も、身も心も、全て使って下さい、と言いたい。そうする事によって霊魂を救いたい。そうする事によって、イエズス様がなさったように隣人を愛したい」と思います。
それから最後に、この特徴として、もちろん私たちの奉献は非常に自分の利益を求めない、正真正銘のマリア様の事だけを考える信心で、マリア様の子供である、というその特権を持つだけでもう、それだけで十分なのですけれども、でも私たちは知っているのです。マリア様があまりにも良い方であるので、私たちが与えれば与えるほど、マリア様はもっと下さる、与えれば与えるほど、私たちはもっと受け取る、という事を知っているのです。別にそれを求めているわけではないのですけれども、そうなるという事を知っているのです。マリア様の事をよく知っているので。それなので、この全く無私の奉献なのですけれども、その結果、思いがけずに私たちは、更に大きな愛と恵みを受ける事になる、という結果を受けざるを得ない奉献なのです。
では、時間になりましたので、皆さんお疲れのところ最後までお付き合い下さってありがとうございます。ではこのような奉献式を明日行ないます。もしもこの「マリア様の騎士になって、マリア様に喜んで頂きたい。マリア様の道具となって、マリア様の為になりたい」と思われる方がいましたら、自由にこの入会申込書に記入して下さい。また、もう入会されている方は明日、その更新も致しましょう。