叙階25周年を迎えたパリャラーニ総長とのインタビュー
2021年6月28日 FSSPX.NEWSサイト
聖ピオ十世会の神学校で毎年行われる叙階式では、神学校の実と、それが熟して新たに叙階される司祭として成熟していくのを見ることができます。それだけでなく、叙階25周年、50周年、60周年…を迎える卒業生が、自分の叙階記念日をお祝いすることもできます。これらの記念日は、私たちを感謝の気持ちに浸してくれます。
司祭叙階25周年の機会に、イタリア管区は、アルバーノ・ラツィアーレ【ローマ南東の近郊】を訪問滞在しておられた聖ピオ十世会総長ダヴィデ・パリャラーニ神父にインタビューを行いました。総長は、司祭職の価値と個人的な経験について証言をしてくださっています。
以下はインタビューの全文(原文はイタリア語)。
【問い】司祭として25周年を迎えておられます。どのように生活しておられますか。
【パリャラーニ総長】司祭職は確かに、天主が人に与えることのおできになる最大の賜物であり、人が持つことのできる最高の人生です。25年たつと、特に自分の過去の人生を振り返ってみると、日に日にそのことを実感します。起こったすべてのことをです。司祭は、天主が自分を奉仕するよう呼びかけておられるだけでなく、非常に特別な御摂理によって天主が自分を導き続けておられることを実感します。私はすぐにそれを感じましたし、ますますそれを感じるようになっています。
【問い】召命とは、上からの呼びかけのことです。私たちはどのようにそれに耳を傾け、応えることができるでしょうか。
【パリャラーニ総長】主は常に霊魂たちに呼びかけられますし、時の終わりまで、司祭生活や修道生活のために霊魂たちに呼びかけられるでしょう。主はさまざまな方法で呼びかけられます。召命は、必ずしも声や感情のように聞こえるものではありません。
確かに、天主は人にご自分への奉仕や聖なるものすべてへの魅力を感じさせてくださいます。天主は霊魂たちに呼びかけられるのは、特にこのような方法によってです。私たちはどのように耳を傾けるのでしょうか。まず、成聖の恩寵の状態で生きようとすることによって、次に、どんなことであっても、特に天主のご意志を実行しようという心構えを持つことによってです。これらは、天主が私たちに、ご自分のために呼びかけておられているかどうかを見極めるための単純な基本条件です。
【問い】ご自分が聖ピオ十世会の総長になると想像しておられましたか。
【パリャラーニ総長】2018年の総会の数カ月前に、ある噂がいくつか私の耳に入りました。以前は、それについて考えたこともなかったというのが正直なところです。特に覚えているのは、アジアのシンガポールで3年間働くことができたという喜びです。
アジアを旅しているうちに、一生それらの国々にいたいと思ったのを覚えています。はっきりと思えていますが、墓地を訪ねたことがあります。あるイスラム教の国にあるキリスト教の墓地で、宣教師たちのお墓でした。そして、その宣教師たちのお墓を見て、私はその国々で残りの一生を過ごしたいと思ったことを鮮明に覚えています。いつの日か、故郷から遠く離れたところに自分が葬られるように。その後、主は私の計画を変更されました。
【問い】この総長の責任をどのように果たしておられますか。
【パリャラーニ総長】このような質問には単純な答えがふさわしいと思いますが、それは残念に思われるかもしれません。現実には、司祭は司祭です。幼い子どもたちのカテキズムや初聖体に責任があろうと、男女の修道者に責任があろうと、修道院に責任があろうと、管区に責任があろうと、将来の司祭の養成に責任があろうと、総長であろうと、同じなのです。
司祭に力を与えるのは、同じ愛、同じ愛徳です。司祭に割り当てられる任務は、始まりと終わりのある、予想外で偶発的で変化する現実のままでした。変わってはならないのは、司祭が自分の聖務、司祭の機能を果たすための司祭としての熱意であり、子どもたちのためのカテキズムを担当していても、総長であっても、同じ精神でそれらを達成しなければならないのです。
【問い】神学校におられたときのことや叙階についての思い出を教えてください。
【パリャラーニ総長】神学校時代の思い出としては、典礼が好きだったこと、祝日や大祝祭の準備をする喜び、非常に興味深い研究などを特に覚えています。同僚たちとの交流もありました。神学校では、将来の司祭が、他人を知り、ありのままの彼らを受け入れ、ありのままの彼らを愛することを徐々に学んでいきます。司祭が、将来の司祭が、いつか自分に委ねられる霊魂たちに対して同じ態度をとるように準備するのは、この学校を通じてです。これは美しい思い出です。年々、この種の学校の重要性を理解するようになるため、年を追うごとにさらに美しくなる思い出です。
私の叙階については、最も鮮明な思い出は、叙階の翌日の初ミサの思い出だと言わなければなりません。鮮明に覚えているのは、聖変化の瞬間です。祭壇にお辞儀をして、初めて聖変化の言葉を発した時のことです。震えたのを覚えています。自分はふさわしくないという気持ちだけでなく、自分はこの言葉を発するにはふさわしくないという印象、感覚、確信を覚えています。よく覚えているのは、喉を締めながら発したことです。恐れの気持ち、天主を恐れる気持ちもありました。そしてもちろん、初ミサを捧げる喜びがあり、その恐れはほとんど完全に忘れてしまったのです。
【問い】世界での使徒職について教えてください。
【パリャラーニ総長】私にはたくさんの思い出があります。非常にさまざまな思い出です。さまざまな緯度、さまざまな経度のさまざまな国々です。アジアでは宣教の使徒職、イタリアではその特殊な状況、アルゼンチンでは別の国、別の言語、そして神学校、将来の司祭の養成という別のタイプの使徒職です。
これらのことすべてを振り返ってみて、私が最も感銘を受けるのは、もう一度、場所や特別な種類の使徒職にかかわらず、司祭は常に同じ使命、同じ目的、同じ手段に呼ばれているということです。霊魂に私たちの主の超自然的な命を見せること、あるいは生み出すこと。自分の中で超自然的な命を育み、その後それを霊魂たちに伝えること。これは、アジア、アフリカ、アルゼンチンにも当てはまります。これは全世界に当てはまります。これは若い司祭にも、年配の司祭にも、そして総長にも当てはまります。
【問い】イタリアでは、信徒がどんどん増え、二つの学校への関与も高まっています。単なる数の増加ではないようにするために、何かアドバイスはありますか。
【パリャラーニ総長】イタリア管区の成長は、聖ピオ十世会の他の活動や教会の他の活動と同様に、本質的に超自然的な現実であることを忘れてはならないと思います。ある仕事がいつ、どのように発展すべきかを決めるのは天主です。私たちに義務を果たすこと、司祭職に忠実であることを求め、その後、出来事や御摂理的な要素を通して、適切で必要な成長をもたらす時を決定されるのは天主です。このことを忘れてはならないのです。
天主が可能な限りのことをするように求めておられたとしても、聖ピオ十世会とイタリア管区の生活は、企業の生活と同じではありません。この2年間、特にイタリアでは、公会議の災いに対してより意識的な反応が見られます。近年の大いなる災いは、信徒や霊魂が状況の深刻さを認識し、明らかに教会自身の聖伝に則った適切な治療薬を探し求めるのに役立ちます。
そして、その後は新型コロナウイルス感染症の流行です。天主はそれを霊魂の善のために使っておられます。あらゆる試練のように、新型コロナウイルス感染症もまた、霊魂のために必要なのです。そして、この機会に、他の地域のようにイタリアでも、多くの霊魂たちが聖伝を発見したと言わなければなりません。あるいくつかのチャペル、あるいくつかの共同体は、その数を2倍、3倍に増やしました。なぜでしょうか。それは、新型コロナウイルス感染症の危機の間、私たちの司祭は可能な限り、自分たちが提供できるすべての支援を霊魂たちに保証しようとしたからです。ミサを捧げ続けようとしたのです。
聖ピオ十世会の司祭たちは、そのための訓練を受け、準備をしていると言うしかありません。ある意味で、彼らはこの危機に備えていたのです。というのも、彼らは長年にわたり、できる限りの場所で、できる限りの方法で、ミサを捧げるのに慣れていたからであり、とにかくミサを捧げることに慣れていたのです。ですから、この御摂理的な習慣が功を奏したのだと思います。
【問い】ルフェーブル大司教に5分間だけ話ができるとしたら、何をお聞きになりますか。
【パリャラーニ総長】大部分は、大司教に話していただくと思います。大司教が私が言うべきこと、大司教が私にすべきことを忠告すること、大司教が私を非難することが何かあるかどうかを、お尋ねすることになるでしょう。きっとそうでしょう。ですから、特に司祭の養成と聖化に関して、大司教が抱いておられた懸念と一致すると思われる私の懸念を伝えたいと思います。司祭職の世話をすること、司祭の養成と堅忍を確保することが、聖ピオ十世会の使命です。受けたものに忠実であることです。これは、確かにルフェーブル大司教の最大の関心事でした。私はそのことにういて大司教にお伝えし、大司教の口から出てくるであろう言葉、提案、観察をすべて大切にしようと思うでしょう。
【問い】もし、この5分間を教皇フランシスコに与えられたらどうしますか。
【パリャラーニ総長】私は、教皇フランシスコにも同じ主題で話すでしょう。司祭の養成、聖化、堅忍に関することです。しかし、すぐに理解し合えるかどうかは分かりません。
【問い】信徒の皆さんへのメッセージはありますか。
【パリャラーニ総長】まず第一に、信徒の皆さんに感謝したいと思います。聖ピオ十世会が存在するのは、聖ピオ十世会を創造し、存続させてくださった御摂理のおかげであり、仲間たちのおかげでもありますが、それだけではなく、信徒の皆さんのおかげでもあります。信徒の皆さんの寛大さは、言葉のあらゆる意味で印象的です。信徒の皆さんは物質的にだけでなく、何よりも道徳的にも聖ピオ十世会を支えてくださっています。
私は、前回の召命のためのロザリオの十字軍で見せてくださった寛大さに対して、信徒の皆さんに心から感謝しています。何よりも、私は信徒の皆さんに、決して落胆しないように思い起こしていただいています。状況が危機的であればあるほど、御摂理は一層私たちに近づいてきます。教会の聖性が完全に日食に蝕まれているように見えれば見えるほど、教会の勝利の声が一層響き渡ります。教会の凱旋がすべての善意の人にとって目に見えて理解しやすいものであればあるほど、この凱旋は教会自身の天主なる性質を一層明らかにすることでしょう。
これが、天主が現在の危機を許しておられる理由です。天主は、何年も続いているこの日食を許しておられるのです。落ち込まないでください。私たちが取り返しのつかない状況にあると感じるとき、天主は私たちにさらに近いところにいてくださいます。天主の御手にかかれば取り返しのつかないことはなく、私たちが信仰を守る限り、取り返しのつかないことはないのです。
(Sources : District d’Italie/MG - FSSPX.Actualités)