2021年7月25日(主日)聖霊降臨後第9主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 お知らせ(東京)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日はいくつかお知らせがあります。
1つは、天主様の御恵みによって、東京の暁の星の修道院が設立してオープンして6ヶ月が経ちました。皆様の寛大なご支援や、多くのお祈りや、サポートを、心から感謝致します。そして先日のマーチ・フォー・ライフには多くの方が参加して下さって心から感謝します。マリア様と一緒に、東京のど真ん中をロザリオを唱えながら歩けた事は本当に嬉しく思います。大阪のど真ん中の御堂筋という所を、その翌日もマーチ・フォー・ライフを行ないました。感謝します。
第2の点は、来週の8月1日の主日から、3回目のミサの後に、日本語を話す子供たちの為にまず公教要理の授業が始まります。お父さんとお母さんの中で、子供をよく勉強させたい、という方はどうぞ登録なさって下さい。そのような方を知っている方は、子供たちの勉強に来るようにどうぞ誘ってあげて下さい。今は日本語だけですけれども、将来は英語の子供たちの為にもクラスを準備しています。しばらくお待ち下さい。
私たちのカトリックの聖伝のコミュニティは今どんどん、多くの方々の情報でますます大きくなっています。ますます多くの司祭たちや修道者たちも生まれて、多くの聖なる家族が生まれますように、お祈り致しましょう。
最後には、聖ピオ十世会総長のパリャラーニ神父様が、信徒の皆さんに手紙を書きました。これは最近のモートゥー・プロプリオ、自発教書トラディチオニス・クストデスについての考察です。とても良い美しいお手紙ですのでお読み下さい。
核心は次のような事です。
「この教皇様のお手紙自発教書によって、はっきりした、区別がついた。もう曖昧な事が無くなった。それは、私たちが昔から言ってきた事が確認された、という事だ。つまり、昔からの聖伝のミサカトリックのミサと新しいミサは、一緒に平和共存する事はできない。生きるか殺されるかのどちらしかない。聖伝のミサがカトリックのミサが生き残るか、あるいは新しいミサが生き残るか、どちらかだ。二人が同時にある事はあり得ない」という事です。
「なぜかと言うと、それは信仰が違うから。この皆さんが今与っているこの私たちのミサは、カトリックの信仰を完全に表明している。聖人・聖女・殉教者を生み出した。そしてイエズス・キリストが王であるという事を宣言している。十字架の木によってイエズス・キリストは、罪と、悪魔と、この世に打ち勝った。この十字架のミサのいけにえを以って、この世を王たるキリストは支配したいと思う。これが私たちのミサだ。」
ところが、新しいミサはそうではありません。「エキュメニカルだから、キリストじゃなくても良い、他のパチャママでも、ルーターでもいい、虹のミサでもいい。でも、キリストが王である事は、それは困る。」
ですから、この二つのミサは、一緒にいる事ができないのです。
総長は言っています。
「聖ピオ十世会は、天主の恵みによって、御助けによって、どんな事があっても、命がけでも、全財産を売り払っても、どんな値を払っても、このミサを守る。なぜかというと、イエズス・キリストは必ず勝利するから。そしてこのミサを守る事によって、全世界に希望を与えたい。勝利の希望を与えたい。だから私たちはこのミサを、自分たちのものだけとして閉じこもっているのではなくて、できるだけ多くの人に分かち合いたい。何故ならば、自分だけに独り占めするような人には、このミサを捧げるには相応しくないから。」
「そして、つい最近聖伝のミサを発見した、聖伝ミサの事を知ったような方々には、同時に、そのような方々は選ばなければならない。カトリックの信仰か、あるいはそうではないか。」
では、どうぞこの総長の手紙をゆっくりお読み下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。