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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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聖母は常に天主のご意志を探し求め、自発的に、完全に、喜びをもってそれに従ってこられました。

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マリアの汚れなき御心についてのメッセージ

2021年8月29日 ドモルネ神父


はじめに

聖母は、この称号のもと、日本の第一の保護の聖人です。そのため、私たちはマリアの汚れなき御心を、一級祝日としてお祝いします。今日は、マリアの汚れなき御心が、自己意志から自由であるということについて、考えてみたいと思います。

1)汚れなき御心=自己意志のない

「心」という言葉は、私たちの意志とその行為である愛を意味しています。例えば、やる気を失い、仕事を続ける気力がなくなった人について、私たちは、その人が、心折れた、と言います。全力を尽くして愛する人については、その人が、心を尽くして愛する、と言います。ですから、私たちがマリアの御心について語るとき、マリアの意志と愛について語っているのです。

「汚れなき」という言葉は、「純粋」、あるいは「汚れのない」ことを意味します。さらに具体的に聖母に当てはめると、「罪のない」ことを意味します。マリアの霊魂は、原罪によっても、大罪や小罪によっても、また不完全な行いによってさえも、汚されることがありませんでした。

ですから、私たちがマリアの汚れなき御心について語るとき、マリアの無原罪の御孕りのことについても語っているのです。聖母は、原罪とその結果、特に意志における悪意の傷によって影響されることは、決してありませんでした。

また私たちは、聖母の道徳的な完全無欠さについても語っているのです。これは、聖母が、聖霊によって最もよく導かれ、聖霊の霊感すべてに、まことに忠実に従われたため、いかなる罪も、不完全な行いさえも、なすことができなかったことを意味します。聖母のうちには、自己意志はありませんでした。私が強調したいのは、この点です。

2)自己意志

私たちが罪を犯すとき、私たちは天主の法を破ることを選んでいるのです。私たちが不完全な行いをするとき、わたしたちができうる二つの良いことのうち、天主が好まれるほうではなく、自分が好むほうを選んでいるのです。いずれにしても、私たちは、自分の意志を天主のご意志に対抗させているのです。これが、私たちが「自己意志」と呼ぶものです。聖ベルナルドはこう言っています。「天主とも他の人とも共通点のない意志を、私は『自己意志』と呼びます。ただ『私たちのもの』であるだけの意志のことです。天主の栄光のためでも、兄弟たちの利益のためでもなく、ただ自分たち自身のためだけに自らを行動させる意志です。」自己意志は、あらゆる罪や不完全な行いの根源です。私たちの主イエズスは、自己意志について、次のように言っておられます。「悪い考えは、内から、人の心から出る。姦淫、私通、殺人、窃盗、貪欲、邪悪、詐欺、猥褻、嫉妬、誹謗、傲慢、愚痴、これらの悪いことはみな内から出て、人を汚すものだ」(マルコ7章21-22節)。聖ベルナルドは、「地獄で燃えているのは、自己意志のほかにはありません。それを取り去れば、地獄はなくなります」と言いました。確かに、自己意志がないということは、罪がないということであり、罪がないということは、罰がないということであり、罰がないということは、地獄がないということです。

天主は、私たちが、たまたま思いついたことをしようと決められるように、私たちに自由意志を与えられたのではありません。天主が私たちに自由意志を与えられたのは、私たちが天主のご意志を、自発的に、そして功徳を得るように、実行できるようにするためです。私たちに自由意志を与えられることで、天主は私たちをご自分の世界統治に参加させ、私たちが永遠の幸福を得られるようにしてくださっているのです。しかし、私たちは、自分の義務を逃れることで、自分の自由意志を悪用してしまうことが、あまりにも頻繁にあるのです。私たちは、自分のゆがんだ情熱を満たすために、天主のご意志から離れてしまうのです。

3)汚れなき御心

童貞聖マリアは、その御心に汚れがありません。それは、聖母に自己意志がないことを意味しています。聖母は常に天主のご意志を探し求め、自発的に、完全に、喜びをもってそれに従ってこられました。

聖母は、ルチフェルとは正反対です。ルチフェルは、自己意志の怪物です。ルチフェルのモットーは、「Non serviam」、つまり「私は天主に仕えない」、です。汚れなき御心のモットーはその逆の「Fiat」であり、それは受胎告知の日の聖母の言葉、「仰せのごとく、われになれかし」です。

マリアの御心は自己意志から完全に自由であったため、天主はマリアにおいて、マリアとともに、驚くべきことを実現することがおできになったのです。

・第一に、天主は、ご自身が聖母のために計画された最高の聖性および栄光へと、聖母を導かれました。実際、聖母の御心においては、天主の恩寵の進展を妨げるものは一切なかったため、その完成へと達することができたのです。

・第二に、天主は、聖母を通して、とりわけ私たちの主イエズスに栄光を与え、多くの霊魂を救われます。実際、キリストのご托身と贖いのみわざが成し遂げられたのは、マリアにおいて、マリアとともに、でした。

・第三に、天主は、マリアを通してルチフェルを打ち破られました。天主は、マリアの謙虚さによって、ルチフェルの高慢さを打ち砕かれるのです。「天主は、権力者をその座から降ろし、低い人々を高め(られた)」(ルカ1章52節)。天主は、ルチフェルにこう言われました。「私は、おまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵対を置く。女は、おまえの頭を踏み砕(くであろう)」(創世記3章15節)。

結論

親愛なる信者の皆さん、皆さんは「同じ原因が同じ結果を生み出す」ということばをご存知でしょう。私たちが自己意志から自由になればなるほど、天主は私たちの内に恩寵をさらに育てられ、私たちの主イエズス・キリストがさらに栄光をお受けになり、私たちは霊魂の救いのためにさらに効率的に働き、悪魔がさらに辱められるのです。

しかし、自己意志は、私たちの中に非常に深く根付いています。どうすれば、それを取り除くことができるのでしょうか? 先週の木曜日に祝日をお祝いした、聖ヨハネ・ユードの言葉を引用しましょう。彼は、マリアの汚れなき御心への信心を最も熱心に推進してきた人物の一人です。彼は次のように述べています。「イエズスに奉献されたすべての心の元后であるマリアに、しばしば心を捧げなさい。マリアに対してこう願いなさい。『私の心を、本当に完全にご自分のものにして、私の心を完全に御子に捧げて、私の心にご自分のお気持ちを刻んで、私の心をご自分の徳で飾って、私の心を御子と御母の聖心に似たものとしてください』、と」。

自分をマリアに奉献し、自分の心をマリアの汚れなき御心に絶えず一致させることによって、私たちは自分の自己意志から解放されるのです。地上では、自然の法則によって、良いリンゴが、腐ったリンゴと接触している時間が長ければ長いほど、そのリンゴも、よりはやく腐ってしまいます。しかし、超自然の法則によって、不純な心がマリアの汚れなき御心と接触する時間が長ければ長いほど、その心は、よりはやく純粋になるのです。


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