アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
8月15日の聖母の被昇天ですが、いつもミサ聖祭を捧げる新大阪のコロナホテルで、午後6時半からミサ聖祭(歌ミサ)を捧げるように予定が付け加わりました。アジア管区長のシュテーリン神父様が司式される予定です。よろしくお願いいたします。
8月16日主日には、大阪で聖伝のミサが二回捧げられる予定です。
また、9月6日の東京でのミサ聖祭ですが、都合により午後1時半からの開始の予定です。お間違えの無いようにお願い申し上げます。
さて、今回は、8月1日に大阪での初土:聖母の汚れなき御心のミサの時の説教をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年8月1日 初土曜日 聖母の汚れ無き御心の随意ミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年8月1日、8月の初土曜日のミサをしています。聖母の汚れ無き御心の随意ミサです。
8月の次のミサは、8月16日の主日で、いつもは夕方ですけれども、今回に限り、午前中にミサがあります。シュテーリン神父様と私と2つ、2回ミサがあります。8月16日の主日の、朝の9時と10時30分です。どうぞいらして下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、8月15日は、マリア様の被昇天であり、8月22日は、聖伝によれば、マリア様の汚れ無き御心の大祝日であって、日本の第1の主要の守護の聖人であり、また私たちの巡回教会も、マリア様の汚れ無き御心に捧げられた教会であります。今日は、その8月の初土曜日ですから、マリア様の汚れ無き御心、マリア様の御心がどれだけ聖寵が充ち満ち溢れていたのか、という事を黙想する事に致しましょう。
マリア様の汚れ無き御心の聖寵の満ち溢れの、その偉大さを黙想しつつ、来たる被昇天、聖母の汚れ無き御心の祝日を準備する事に致しましょう。今日このミサを、準備の最初として捧げる事に致しましょう。
この黙想のポイントは、1つは、「マリア様には、まず罪がなかった。」これはどういう事か。次に「マリア様は、どのようにして聖寵の恩寵を高め、いや増していったのか。」最後に、「私たちはそのようなマリア様に対して、どのような信心をするべきか。」決心を立てる事に致しましょう。
皆さんもご存知の通り、私たちにとって「洗礼を受ける」という事は、成聖の恩寵の第1のスタートポイントです。洗礼を受ける事によって私たちは、天主様が元々私たちにくださろうとした御計画であった、それを望んでおられた、成聖の恩寵、天主様の命を、私たちが回復する事ができるようになります。原罪が赦され、天主様の命に再び生きる事ができるようになります。ですから私たちは、肉体的に生まれた後に、霊的に、水と霊によって、もう一度生まれ直さなければなりません。
「霊と水によって生まれない者は、天の国には入れない。」と、イエズス様が仰ったその通りです。私たちにとってそれは、洗礼の儀式を通してきてなされます。が、マリア様は唯一例外でありました。マリア様は、天主御父が既に、御子を、天主御父の最も愛する天主御子を、その方に委ねるべく、その御母となるべく、聖霊の神殿となるべく、特別の準備をして、特別の恩寵で、原罪の1つの汚れも無く、聖アンナ様の胎内に宿る特権を受けた方であるからです。原罪の汚れの無い、受胎をなさった方であるからです。
これには色々な理由があります。マリア様が原罪の汚れを特別に免れた、という事は、天主様の住まうべき、その天主の聖性と合う方でなければならなかった、天主の聖性がそれを、無限の聖性がそれを要求した事も1つの理由ですが、イエズス様の、御母に対する特別の愛、無限の愛と、イエズス様の全能が、それをさせたのも、もう1つの理由です。また、イエズス様がこの世に来られたその理由というのも、「私たちの、罪の支配からの解放」ですから、マリア様が、まず、罪の支配下に、1つたりとも、一瞬たりとも、あってはならなかった、その解放の目的を、最初からつまずかすわけにはいかなかった。
教皇ピオ9世は、その「無原罪の御孕り」のドグマを制定する前に、全世界の司教、枢機卿たちに書簡を宛てて、委員会を作り、「マリア様の無原罪の御孕りをドグマにする事について、どうするか、どう思うか。」という意見を求めました。答えを出した司教は626名でした。その内、マリア様の無原罪の御孕りの教義に反対する答えは4つでした。その内、この4つは1つになります。ほぼ満場一致で、「このドグマをするべきだ。」、「昔から伝えられたこの、今まではこれを信じるか信じないかは自由であったけれども、これは使徒たちから伝えられた真理であるから、これを必ず信じるべきドグマとして公表しなければならない。」という、絶対多数の、ほぼ全員の意見がそうでした。53名の枢機卿の前、143名の全世界の司教たちの前で、ピオ9世教皇様は、「マリア様が無原罪の御孕りをなさった、原罪の汚れ無く、マリア様は、御母聖アンナ様の胎内に宿った。」という事を、これをドグマとして、全ての信徒が信じなければならないものとして、使徒たちから伝えられた真理、啓示された真理として公表しました。
その4年後、1858年ルルドで、マリア様はベルナデッタに現れて、「Que soy era immaculada councepciou. “私は実に、無原罪の御孕りである。”」と、ご自分の名前を明かされました。
ところで、第2に、「マリア様が無原罪で宿られた」という事は、単なる、原罪の為に私たちには聖寵が与えられなかった、私たちは罰を下されたのだけれども、その罰がただ免除された、だけではありません。それよりももっと肯定的な、偉大なものが与えられました。マリア様にとって、原罪が免除された、というのは一面であって、そのもう反面は、天主御父は、そのマリア様に、旧約時代の全ての預言者、王、司祭、義人、太祖たちが受けた全てのものを合わせたよりも、それをはるかに超えるような、ものすごい、今までかつて義人たちが受けた事がなかったような、それを全て合わせてもまだ足りないようなものすごい御恵みを、成聖の御恵みを、来たる御子の母として準備する為に、マリア様に全てを与えたということでした。
天主御子も、ご自分の御母を愛する、その崇敬する、その敬愛の愛を込めて、マリア様に、「全ての恩寵を、聖寵を与え尽くそう。」と、思いました。
聖霊も、その神殿として、その淨配として、マリア様に、そのご自分の持てる成聖の満ち充ちを、マリア様に与えようとしました。
その最初の無原罪の御孕りの瞬間から、マリア様は、とてつもない、私たちが今まで想像した事もなかったような、夢にも思った事がなかったような、はるかに私たちの知性の把握を超えるような、巨大な御恵みを、大洋のような御恵みを頂いたのでした。
マリア様の御恵みのその多さは、その最初の瞬間から、私たちの想像を超えています。
つい今週、日本に来る前に、私はフィリピンで、子供たちの公教要理を教える為に、パラワンという田舎の島に行かなければなりませんでした。公教要理を教える人たちと、カテキスタ数名、フィリピンの方を連れて行ったのですけれども、少しミサが、午前中のミサが11時40分からという事で、朝少し時間があるからと言って、数時間、その部落は、川に面した所にある集落なのですけれども、そこから小さなボートを、バンカというのですが、それに乗らせてもらって、向こうにある島の方まで行きました。30分位行くと、その島に近付きます。もう海が非常に綺麗で、澄んでいて、透明で、底が見えるんです。何か、プールの、深いプールの上を舟が浮かんでいるようでした。魚も見えるし、波はほとんどないし、こうガラスのように透いていて、底が見えて、青い澄んだ綺麗な海で、その向かいの島に、ちょっとした白い砂浜があって、そこには人が何ヶ月も踏んだ事がなかったと思うのですけれども、白い砂は、波にこうもまれて、いつも回っているので、私たちが上陸すると、とてもソフトで、足を踏むと、ブクブクブクッと泡を立てて、海の水の中にある砂でも、スポンジのように柔らかくて、誰も踏んだ事が無いような、泡が出るような所で、綺麗に澄んでいて、そんな綺麗な海を見ると、マリア様の受けた聖寵を何か想像出来るような感じがします。マリア様が、最初の、無原罪の御孕りを受けた瞬間、その綺麗な澄んだ海が、この地球上の全ての海の底知れない、綺麗な澄んだ、大洋のお恵みの大海原を想像できるかもしれません。
サン・スルピスという有名な修道会がありますが、スルピス会の創立者である、オリエ神父様は、こう言っています、「この無原罪の御孕りの瞬間に、天主は、旧約時代、全ての義人の霊魂達が受けた、全ての完徳と、全てのお恵みを、マリア様に集めて与えた」と。このオリエ神父様は、「マリア様の無原罪の御孕りのその最初の瞬間から、聖霊は、最も完璧な、最も高貴な霊魂達が、今まで受けた事がなかったような、今後も受ける事のないような、全てのお恵みをもっと更に、マリア様の霊魂に注ぎ込み出した。」と、言っています。
第3のポイントは、マリア様は実は、最初のこの無原罪の御孕りのその瞬間、はかり知れない大海原の様なお恵みを受けたのみならず、マリア様が成長するに従って、この受けたお恵みを、更に、ますます、増加させていった、という事です。
皆さんもご存知のように、私たちが成聖の状態に於いて、何か愛の行いをすれば、イエズス様の為に小さな行いをすれば、それは無限の功徳を積む事ができます。例えば、昨日黙想した聖イグナチオのように、償いの苦行、或いは、告解、或いは御聖体拝領、或いは断食、大斎小斎、或いは巡礼、或いは愛の全ての行い、施し、お祈りによって増加します。全ての過去の大聖人がそうであったように、霊魂に於いて、成聖はますます高められて増加して、そのイエズス様が下さったお恵みに応えれば応えるほど、更に更に、大きな聖徳を、愛徳を、聖寵を得る事ができます。
まさにマリア様も、その最初の瞬間から、ますます、全ての瞬間瞬間を使って、大きくしていきました。三位一体は、マリア様の霊魂に於いて、いつも常駐しながら、いつも留まりながら、マリア様の霊魂にますます多くの聖寵を与え続けていきました。マリア様はそれに対応して、それに応えて、ますます愛の行いをしていきました。もしも聖イグナチオが、それだけの罪人から大聖人になったとしたら、マリア様の汚れ無き御孕りからは、どれほどの聖寵があったことでしょうか、増加があった事でしょうか。
マリア様は、聖伝によれば、「3歳、或いは4歳の時に、聖アンナ様とヨアキム様の手によって聖伝に奉献させられた。マリア様は自ら、神殿の中で、天主に祈り、自らを全く捧げた。」とあります。その12年後、15歳、或いは16歳の時に、聖霊のお恵みの、聖寵の益々益々のいや増しを受けたマリア様は、聖ガブリエルからの挨拶を受けます、「めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主は御身と共に在す。」マリア様の心は全て、天主様の為だけのものでした。マリア様の心は、童貞の心であって、主への愛しか知らない方でありました。マリア様は既にその時に、全てを天主様に捧げる婢女として、準備ができていました、「はい、私を必要とするならば、どうぞここにおります。我は主の婢女なり、仰せの如く我になれかし。」
この愛の一言によって、もちろんマリア様は、ますます聖寵をいや増し続けました。その瞬間イエズス様も、マリア様の御胎内に、人となって、住み給いました。
もしもマリア様が、その後にイエズス様をお運びして、御胎内に宿しながら、生ける御聖櫃となって、聖エリザベトを訪問して、聖エリザベトの胎内にいた洗者聖ヨハネを挨拶の言葉をもって聖化したとすれば、罪を赦したとすれば、もしも、マリア様の胎内に隠れたイエズス様の力がそれほどであれば、直接、マリア様の中におられたイエズス様は、どれほどの御力をもって、マリア様を聖化し続けたことでしょうか。
マリア様は、イエズス様を、御降誕、クリスマスの時にお産みになります。マリア様の御心には、御霊魂の中には、どれほどの聖寵と喜びと、平和がいや増し続けた事でしょうか。マリア様は、イエズス様をお連れして、エジプトに避難します。或いはエジプトから戻ってナザレトに住みます。30年間、ナザレトでのイエズス様との生活、イエズス様への愛の生活。或いはイエズス様を、12歳の時に神殿で探された事、福音書には、「マリア様は、全てこれらの事をその心に、汚れ無き御心に留めて、その事を思い巡らせておられた。」と、あります。
イエズス様の公生活、マリア様を離れての生活。或いはイエズス様の御受難をご覧になるマリア様、御悲しみの聖母。或いは、マリア様がその汚れ無い御心に刺し貫かれたその剣、どれほど御悲しみになられた事か。マリア様がそれまでに、どれほどの功徳を積まれたことか、愛の行いをされた事か。
私たちは、口で、言葉で表現する能力を既に失っています。ちょうど私たちが言葉で説明するのは、この大宇宙の銀河系、或いは全宇宙の何とか星雲、もう私たちがロケットで飛ばして、はやぶさ号で行ってちょっと土を取って戻って来て、「あぁ、すごい。こんな土を取ってくることができた。」と言うに似ています。私たちがいくら言葉を尽くしても、それにも関わらず、もっと深い神秘が、マリア様の神秘があって、もう言葉で私たちが表現できずに、マリア様に対して、沈黙の内に祈るしかないほどの、ものすごい御恵みをマリア様はお持ちです。それを汚れ無き御心に留めておりました。
聖霊降臨、マリア様の受けた御聖体拝領。おそらく聖ヨハネが捧げたミサから、マリア様は御聖体拝領をした事でしょう。大聖人たちが御聖体拝領をそれば、そのお恵みは、ものすごいものを聖人たちは受けていました。マリア様の受けた御聖体拝領、一回一回は、ものすごいものだったに違いありません。一回一回がマリア様にとって、おそらく脱魂状態を起こさせるような、愛の御聖体拝領だったに違いありません。一回一回の御聖体拝領が、益々のお恵みの溢れを引き起こしたに違いありません。
マリア様の被昇天。イエズス様を愛するがあまり、この肉体は霊魂をそのままに留めておく事ができなかった、被昇天。
そのようなマリア様は、その汚れ無き御心を以って、天主を愛し、私たちを愛しておられます。天主の婢女として、また私たちに対する母として、私たちに、「善を施そう。」と思っておられます。まさにマリア様こそ、私たちの救いであって、私たちの慰めであって、私たちの避難所であります。マリア様の汚れ無き御心こそが、私たちを天国に導く道となるものです。
ちょうどこのような黙想をすると、私たちは一体どのような遷善の決心を立てなければならないでしょうか。
まず、マリア様のその汚れ無き御心におかれた、その成聖の満ち溢れの、その私たちの言葉に言う事ができない、その言葉をはるかに超える、その私にとっても無限のようにさえ思える、マリア様の素晴らしさ、聖寵の満ち溢れ、その汚れ無き御心を賛美する事に致しましょう。
マリア様の汚れ無き御心に対して特別の信心を持つ事に致しましょう。マリア様の汚れ無き御心を、お慰めする事に致しましょう。
第2回目のファチマでのご出現の時に、6月13日に、マリア様は3人の子供に、ルチア、ジャシンタ、フランシスコたちに現れて、こう言いました、「イエズス様は、この世に、私の汚れ無き御心への信心を確立する事を望んでおられます。私は、その信心を受け入れる全ての人々に、救いを約束します。これらの霊魂たちは、天主によって愛され、私自身によって、天主の玉座を飾る花として、天主に捧げられる、という事を約束します。」
特に、シスタールチアを通して私たちに、「私は、あなたを決して離れません。私の汚れ無き御心は、あなたの避難所となり、天主へとあなたを導く道となる事でしょう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
8月15日の聖母の被昇天ですが、いつもミサ聖祭を捧げる新大阪のコロナホテルで、午後6時半からミサ聖祭(歌ミサ)を捧げるように予定が付け加わりました。アジア管区長のシュテーリン神父様が司式される予定です。よろしくお願いいたします。
8月16日主日には、大阪で聖伝のミサが二回捧げられる予定です。
また、9月6日の東京でのミサ聖祭ですが、都合により午後1時半からの開始の予定です。お間違えの無いようにお願い申し上げます。
さて、今回は、8月1日に大阪での初土:聖母の汚れなき御心のミサの時の説教をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年8月1日 初土曜日 聖母の汚れ無き御心の随意ミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年8月1日、8月の初土曜日のミサをしています。聖母の汚れ無き御心の随意ミサです。
8月の次のミサは、8月16日の主日で、いつもは夕方ですけれども、今回に限り、午前中にミサがあります。シュテーリン神父様と私と2つ、2回ミサがあります。8月16日の主日の、朝の9時と10時30分です。どうぞいらして下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、8月15日は、マリア様の被昇天であり、8月22日は、聖伝によれば、マリア様の汚れ無き御心の大祝日であって、日本の第1の主要の守護の聖人であり、また私たちの巡回教会も、マリア様の汚れ無き御心に捧げられた教会であります。今日は、その8月の初土曜日ですから、マリア様の汚れ無き御心、マリア様の御心がどれだけ聖寵が充ち満ち溢れていたのか、という事を黙想する事に致しましょう。
マリア様の汚れ無き御心の聖寵の満ち溢れの、その偉大さを黙想しつつ、来たる被昇天、聖母の汚れ無き御心の祝日を準備する事に致しましょう。今日このミサを、準備の最初として捧げる事に致しましょう。
この黙想のポイントは、1つは、「マリア様には、まず罪がなかった。」これはどういう事か。次に「マリア様は、どのようにして聖寵の恩寵を高め、いや増していったのか。」最後に、「私たちはそのようなマリア様に対して、どのような信心をするべきか。」決心を立てる事に致しましょう。
皆さんもご存知の通り、私たちにとって「洗礼を受ける」という事は、成聖の恩寵の第1のスタートポイントです。洗礼を受ける事によって私たちは、天主様が元々私たちにくださろうとした御計画であった、それを望んでおられた、成聖の恩寵、天主様の命を、私たちが回復する事ができるようになります。原罪が赦され、天主様の命に再び生きる事ができるようになります。ですから私たちは、肉体的に生まれた後に、霊的に、水と霊によって、もう一度生まれ直さなければなりません。
「霊と水によって生まれない者は、天の国には入れない。」と、イエズス様が仰ったその通りです。私たちにとってそれは、洗礼の儀式を通してきてなされます。が、マリア様は唯一例外でありました。マリア様は、天主御父が既に、御子を、天主御父の最も愛する天主御子を、その方に委ねるべく、その御母となるべく、聖霊の神殿となるべく、特別の準備をして、特別の恩寵で、原罪の1つの汚れも無く、聖アンナ様の胎内に宿る特権を受けた方であるからです。原罪の汚れの無い、受胎をなさった方であるからです。
これには色々な理由があります。マリア様が原罪の汚れを特別に免れた、という事は、天主様の住まうべき、その天主の聖性と合う方でなければならなかった、天主の聖性がそれを、無限の聖性がそれを要求した事も1つの理由ですが、イエズス様の、御母に対する特別の愛、無限の愛と、イエズス様の全能が、それをさせたのも、もう1つの理由です。また、イエズス様がこの世に来られたその理由というのも、「私たちの、罪の支配からの解放」ですから、マリア様が、まず、罪の支配下に、1つたりとも、一瞬たりとも、あってはならなかった、その解放の目的を、最初からつまずかすわけにはいかなかった。
教皇ピオ9世は、その「無原罪の御孕り」のドグマを制定する前に、全世界の司教、枢機卿たちに書簡を宛てて、委員会を作り、「マリア様の無原罪の御孕りをドグマにする事について、どうするか、どう思うか。」という意見を求めました。答えを出した司教は626名でした。その内、マリア様の無原罪の御孕りの教義に反対する答えは4つでした。その内、この4つは1つになります。ほぼ満場一致で、「このドグマをするべきだ。」、「昔から伝えられたこの、今まではこれを信じるか信じないかは自由であったけれども、これは使徒たちから伝えられた真理であるから、これを必ず信じるべきドグマとして公表しなければならない。」という、絶対多数の、ほぼ全員の意見がそうでした。53名の枢機卿の前、143名の全世界の司教たちの前で、ピオ9世教皇様は、「マリア様が無原罪の御孕りをなさった、原罪の汚れ無く、マリア様は、御母聖アンナ様の胎内に宿った。」という事を、これをドグマとして、全ての信徒が信じなければならないものとして、使徒たちから伝えられた真理、啓示された真理として公表しました。
その4年後、1858年ルルドで、マリア様はベルナデッタに現れて、「Que soy era immaculada councepciou. “私は実に、無原罪の御孕りである。”」と、ご自分の名前を明かされました。
ところで、第2に、「マリア様が無原罪で宿られた」という事は、単なる、原罪の為に私たちには聖寵が与えられなかった、私たちは罰を下されたのだけれども、その罰がただ免除された、だけではありません。それよりももっと肯定的な、偉大なものが与えられました。マリア様にとって、原罪が免除された、というのは一面であって、そのもう反面は、天主御父は、そのマリア様に、旧約時代の全ての預言者、王、司祭、義人、太祖たちが受けた全てのものを合わせたよりも、それをはるかに超えるような、ものすごい、今までかつて義人たちが受けた事がなかったような、それを全て合わせてもまだ足りないようなものすごい御恵みを、成聖の御恵みを、来たる御子の母として準備する為に、マリア様に全てを与えたということでした。
天主御子も、ご自分の御母を愛する、その崇敬する、その敬愛の愛を込めて、マリア様に、「全ての恩寵を、聖寵を与え尽くそう。」と、思いました。
聖霊も、その神殿として、その淨配として、マリア様に、そのご自分の持てる成聖の満ち充ちを、マリア様に与えようとしました。
その最初の無原罪の御孕りの瞬間から、マリア様は、とてつもない、私たちが今まで想像した事もなかったような、夢にも思った事がなかったような、はるかに私たちの知性の把握を超えるような、巨大な御恵みを、大洋のような御恵みを頂いたのでした。
マリア様の御恵みのその多さは、その最初の瞬間から、私たちの想像を超えています。
つい今週、日本に来る前に、私はフィリピンで、子供たちの公教要理を教える為に、パラワンという田舎の島に行かなければなりませんでした。公教要理を教える人たちと、カテキスタ数名、フィリピンの方を連れて行ったのですけれども、少しミサが、午前中のミサが11時40分からという事で、朝少し時間があるからと言って、数時間、その部落は、川に面した所にある集落なのですけれども、そこから小さなボートを、バンカというのですが、それに乗らせてもらって、向こうにある島の方まで行きました。30分位行くと、その島に近付きます。もう海が非常に綺麗で、澄んでいて、透明で、底が見えるんです。何か、プールの、深いプールの上を舟が浮かんでいるようでした。魚も見えるし、波はほとんどないし、こうガラスのように透いていて、底が見えて、青い澄んだ綺麗な海で、その向かいの島に、ちょっとした白い砂浜があって、そこには人が何ヶ月も踏んだ事がなかったと思うのですけれども、白い砂は、波にこうもまれて、いつも回っているので、私たちが上陸すると、とてもソフトで、足を踏むと、ブクブクブクッと泡を立てて、海の水の中にある砂でも、スポンジのように柔らかくて、誰も踏んだ事が無いような、泡が出るような所で、綺麗に澄んでいて、そんな綺麗な海を見ると、マリア様の受けた聖寵を何か想像出来るような感じがします。マリア様が、最初の、無原罪の御孕りを受けた瞬間、その綺麗な澄んだ海が、この地球上の全ての海の底知れない、綺麗な澄んだ、大洋のお恵みの大海原を想像できるかもしれません。
サン・スルピスという有名な修道会がありますが、スルピス会の創立者である、オリエ神父様は、こう言っています、「この無原罪の御孕りの瞬間に、天主は、旧約時代、全ての義人の霊魂達が受けた、全ての完徳と、全てのお恵みを、マリア様に集めて与えた」と。このオリエ神父様は、「マリア様の無原罪の御孕りのその最初の瞬間から、聖霊は、最も完璧な、最も高貴な霊魂達が、今まで受けた事がなかったような、今後も受ける事のないような、全てのお恵みをもっと更に、マリア様の霊魂に注ぎ込み出した。」と、言っています。
第3のポイントは、マリア様は実は、最初のこの無原罪の御孕りのその瞬間、はかり知れない大海原の様なお恵みを受けたのみならず、マリア様が成長するに従って、この受けたお恵みを、更に、ますます、増加させていった、という事です。
皆さんもご存知のように、私たちが成聖の状態に於いて、何か愛の行いをすれば、イエズス様の為に小さな行いをすれば、それは無限の功徳を積む事ができます。例えば、昨日黙想した聖イグナチオのように、償いの苦行、或いは、告解、或いは御聖体拝領、或いは断食、大斎小斎、或いは巡礼、或いは愛の全ての行い、施し、お祈りによって増加します。全ての過去の大聖人がそうであったように、霊魂に於いて、成聖はますます高められて増加して、そのイエズス様が下さったお恵みに応えれば応えるほど、更に更に、大きな聖徳を、愛徳を、聖寵を得る事ができます。
まさにマリア様も、その最初の瞬間から、ますます、全ての瞬間瞬間を使って、大きくしていきました。三位一体は、マリア様の霊魂に於いて、いつも常駐しながら、いつも留まりながら、マリア様の霊魂にますます多くの聖寵を与え続けていきました。マリア様はそれに対応して、それに応えて、ますます愛の行いをしていきました。もしも聖イグナチオが、それだけの罪人から大聖人になったとしたら、マリア様の汚れ無き御孕りからは、どれほどの聖寵があったことでしょうか、増加があった事でしょうか。
マリア様は、聖伝によれば、「3歳、或いは4歳の時に、聖アンナ様とヨアキム様の手によって聖伝に奉献させられた。マリア様は自ら、神殿の中で、天主に祈り、自らを全く捧げた。」とあります。その12年後、15歳、或いは16歳の時に、聖霊のお恵みの、聖寵の益々益々のいや増しを受けたマリア様は、聖ガブリエルからの挨拶を受けます、「めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主は御身と共に在す。」マリア様の心は全て、天主様の為だけのものでした。マリア様の心は、童貞の心であって、主への愛しか知らない方でありました。マリア様は既にその時に、全てを天主様に捧げる婢女として、準備ができていました、「はい、私を必要とするならば、どうぞここにおります。我は主の婢女なり、仰せの如く我になれかし。」
この愛の一言によって、もちろんマリア様は、ますます聖寵をいや増し続けました。その瞬間イエズス様も、マリア様の御胎内に、人となって、住み給いました。
もしもマリア様が、その後にイエズス様をお運びして、御胎内に宿しながら、生ける御聖櫃となって、聖エリザベトを訪問して、聖エリザベトの胎内にいた洗者聖ヨハネを挨拶の言葉をもって聖化したとすれば、罪を赦したとすれば、もしも、マリア様の胎内に隠れたイエズス様の力がそれほどであれば、直接、マリア様の中におられたイエズス様は、どれほどの御力をもって、マリア様を聖化し続けたことでしょうか。
マリア様は、イエズス様を、御降誕、クリスマスの時にお産みになります。マリア様の御心には、御霊魂の中には、どれほどの聖寵と喜びと、平和がいや増し続けた事でしょうか。マリア様は、イエズス様をお連れして、エジプトに避難します。或いはエジプトから戻ってナザレトに住みます。30年間、ナザレトでのイエズス様との生活、イエズス様への愛の生活。或いはイエズス様を、12歳の時に神殿で探された事、福音書には、「マリア様は、全てこれらの事をその心に、汚れ無き御心に留めて、その事を思い巡らせておられた。」と、あります。
イエズス様の公生活、マリア様を離れての生活。或いはイエズス様の御受難をご覧になるマリア様、御悲しみの聖母。或いは、マリア様がその汚れ無い御心に刺し貫かれたその剣、どれほど御悲しみになられた事か。マリア様がそれまでに、どれほどの功徳を積まれたことか、愛の行いをされた事か。
私たちは、口で、言葉で表現する能力を既に失っています。ちょうど私たちが言葉で説明するのは、この大宇宙の銀河系、或いは全宇宙の何とか星雲、もう私たちがロケットで飛ばして、はやぶさ号で行ってちょっと土を取って戻って来て、「あぁ、すごい。こんな土を取ってくることができた。」と言うに似ています。私たちがいくら言葉を尽くしても、それにも関わらず、もっと深い神秘が、マリア様の神秘があって、もう言葉で私たちが表現できずに、マリア様に対して、沈黙の内に祈るしかないほどの、ものすごい御恵みをマリア様はお持ちです。それを汚れ無き御心に留めておりました。
聖霊降臨、マリア様の受けた御聖体拝領。おそらく聖ヨハネが捧げたミサから、マリア様は御聖体拝領をした事でしょう。大聖人たちが御聖体拝領をそれば、そのお恵みは、ものすごいものを聖人たちは受けていました。マリア様の受けた御聖体拝領、一回一回は、ものすごいものだったに違いありません。一回一回がマリア様にとって、おそらく脱魂状態を起こさせるような、愛の御聖体拝領だったに違いありません。一回一回の御聖体拝領が、益々のお恵みの溢れを引き起こしたに違いありません。
マリア様の被昇天。イエズス様を愛するがあまり、この肉体は霊魂をそのままに留めておく事ができなかった、被昇天。
そのようなマリア様は、その汚れ無き御心を以って、天主を愛し、私たちを愛しておられます。天主の婢女として、また私たちに対する母として、私たちに、「善を施そう。」と思っておられます。まさにマリア様こそ、私たちの救いであって、私たちの慰めであって、私たちの避難所であります。マリア様の汚れ無き御心こそが、私たちを天国に導く道となるものです。
ちょうどこのような黙想をすると、私たちは一体どのような遷善の決心を立てなければならないでしょうか。
まず、マリア様のその汚れ無き御心におかれた、その成聖の満ち溢れの、その私たちの言葉に言う事ができない、その言葉をはるかに超える、その私にとっても無限のようにさえ思える、マリア様の素晴らしさ、聖寵の満ち溢れ、その汚れ無き御心を賛美する事に致しましょう。
マリア様の汚れ無き御心に対して特別の信心を持つ事に致しましょう。マリア様の汚れ無き御心を、お慰めする事に致しましょう。
第2回目のファチマでのご出現の時に、6月13日に、マリア様は3人の子供に、ルチア、ジャシンタ、フランシスコたちに現れて、こう言いました、「イエズス様は、この世に、私の汚れ無き御心への信心を確立する事を望んでおられます。私は、その信心を受け入れる全ての人々に、救いを約束します。これらの霊魂たちは、天主によって愛され、私自身によって、天主の玉座を飾る花として、天主に捧げられる、という事を約束します。」
特に、シスタールチアを通して私たちに、「私は、あなたを決して離れません。私の汚れ無き御心は、あなたの避難所となり、天主へとあなたを導く道となる事でしょう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。