アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
フランシスコ教皇様が、9月1日づけで「あわれみの特別聖年」("いつくしみの聖年")【注】における贖宥(Indulgentia)について、この特別聖年の準備・運営に携わる教皇庁新福音化推進評議会の議長、サルバトーレ・フィジケッラ大司教に書簡を書きました。(「あわれみの特別聖年」は、今年12月8日「無原罪の聖母」の大祝日から、来年11月20日新しいミサの典礼による「王であるキリスト」の大祝日まで開催されます。)
この書簡の中で、フランシスコ教皇様は、聖ピオ十世会の告解の秘蹟が有効であることを言及しています。
聖ピオ十世会は何も変わっていない、変わる必要はない、しかし、ローマから一方的に「聖ピオ十世会はカトリックである」というメッセージが出されました。教皇様が、聖ピオ十世会がカトリックであることをよく知っているのですから、これからもそのようなジェスチャーがいろいろあることだと思います。ローマは、当然のことをしているわけです。今まで、あまりにも不当に取り扱われすぎていましたから。
聖ピオ十世会本部は、この教皇様のジェスチャーに対して、次のような声明を発表しました。日本語訳をご紹介します。
【注:この特別聖年をどのように日本語に訳すかについては、既に「マニラの eそよ風」432号で考察しました。
(1)カトリック教会の公式の祈祷文である「公教会祈祷文」の訳には Miserere nobis!, Have mercy on us! が「我らを憐れみ給え」と訳されているのであって、「私たちをいつくしみ下さい」ではないから。
(2)元来ラテン語の misericordia は、miseria (あわれさ、悲惨さ、みじめさ)を心する(cordia)ことであり、「あわれ」という言葉が入っている「あわれみ」が misericordia に合っているから。
(3)天主が、罪を犯し続ける被造物であるそれ自体で目も当てられないような罪人である私たち人間を、憐れに思って下さるのが天主の misericordia であり、日本語で「あわれむ」とは、罪のみじめさやあわれさから引き出そうとすることだから。
(4)日本語で「いつくしみ」とは、年下の可愛い子供・可愛らしい動物や植物などを、(あわれで、不憫だから、ではなく)かわいいから、いとおしく思い、愛情を注いで、大切に思うことであり、「いつくしみ」の対象は、客観的にも愛するに値するようなものだから。
従って、「あわれみ」と「いつくしみ」という言葉の意味の違いをよく考察すると、一方で「あわれみ」が、対象の悲惨な憐れな否定的な状況を認めてそれから救い出そうとする、すなわち「あわれむ」ことであり、他方で「いつくしみ」が、対象を肯定的に愛すべき善であると認めてそれをそのまま大切にしようとする、すなわち「いつくしむ」ことである、ということがわかります。
天主は、私たちの惨めな罪の状態を憐れんで、その惨めさから引き出そうとするのが、聖伝による「天主のあわれみ」ですが、罪を否定せず、それを「いつくしみ」をもって、そのまま罪の状態を容認する、ゆがめられた"あわれみ"が、新しい "天主のあわれみ" の概念であって、まさに日本語の「いつくしみ」と言う言葉が、そのまま当てはまります。
私たちは、来るべき「あわれみの聖年」を、聖伝による天主のあわれみとして理解し、罪をそのまま容認する天主の "いつくしみ" という理解はしません。そのことを明確にするために、「あわれみの聖年」と日本語に訳しています。】
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
原文はこちら
聖ピオ十世会総本部より、「あわれみの聖年」の開始に際して教皇フランシスコの書簡に関する公式発表
2015年9月1日
聖ピオ十世会は報道機関を通じて、来たる聖年の際に教皇フランシスコによってなされた規定について知った。2015年9月1日、教皇庁新福音化推進評議会( Pontifical Council for the Promotion of the New Evangelization)議長リノ・フィジケッラ大司教 (Archbishop Rino Fisichella) に通達した書簡の最後の段落で、教皇は次のように書いている。
「私は、あわれみの聖年の期間中、和解の秘蹟を受けるために聖ピオ十世会の司祭たちに近づく信者たちが、有効かつ合法に罪の許しを受けることを定める」
【英語訳“I establish that those who during the Holy Year of Mercy approach these priests of the Society of St Pius X to celebrate the Sacrament of Reconciliation shall validly and licitly receive the absolution of their sins.”
(Letter of the Holy Father Francis to the President of the Pontifical Council for the Promotion of the New Evangelization at the beginning of the Extraordinary Jubilee of Mercy)】
聖ピオ十世会は、教皇の慈父的態度に感謝の意を表明する。我々は、償いの秘跡の執行にあたって、教会法の一般規則(Normae generales)によって与えられた特別裁治権に、全き確信をもって、常に依存してきた。この聖年の開始にあたり、教皇フランシスコは聖ピオ十世会の司祭たちに告解することを望む信者たちが心配することなく秘蹟を受けることが出来ることを望んでおられる。
この回心の年の期間中、聖ピオ十世会の司祭たちは、告解の秘蹟におけるみずからの職務を、アルスの聖司祭がすべての司祭たちに示した倦むことない献身の模範にならって、あらためて寛大に実践しなければならないと心底より考えている。
メンツィンゲン
2015年9月1日
愛する兄弟姉妹の皆様、
フランシスコ教皇様が、9月1日づけで「あわれみの特別聖年」("いつくしみの聖年")【注】における贖宥(Indulgentia)について、この特別聖年の準備・運営に携わる教皇庁新福音化推進評議会の議長、サルバトーレ・フィジケッラ大司教に書簡を書きました。(「あわれみの特別聖年」は、今年12月8日「無原罪の聖母」の大祝日から、来年11月20日新しいミサの典礼による「王であるキリスト」の大祝日まで開催されます。)
この書簡の中で、フランシスコ教皇様は、聖ピオ十世会の告解の秘蹟が有効であることを言及しています。
聖ピオ十世会は何も変わっていない、変わる必要はない、しかし、ローマから一方的に「聖ピオ十世会はカトリックである」というメッセージが出されました。教皇様が、聖ピオ十世会がカトリックであることをよく知っているのですから、これからもそのようなジェスチャーがいろいろあることだと思います。ローマは、当然のことをしているわけです。今まで、あまりにも不当に取り扱われすぎていましたから。
聖ピオ十世会本部は、この教皇様のジェスチャーに対して、次のような声明を発表しました。日本語訳をご紹介します。
【注:この特別聖年をどのように日本語に訳すかについては、既に「マニラの eそよ風」432号で考察しました。
(1)カトリック教会の公式の祈祷文である「公教会祈祷文」の訳には Miserere nobis!, Have mercy on us! が「我らを憐れみ給え」と訳されているのであって、「私たちをいつくしみ下さい」ではないから。
(2)元来ラテン語の misericordia は、miseria (あわれさ、悲惨さ、みじめさ)を心する(cordia)ことであり、「あわれ」という言葉が入っている「あわれみ」が misericordia に合っているから。
(3)天主が、罪を犯し続ける被造物であるそれ自体で目も当てられないような罪人である私たち人間を、憐れに思って下さるのが天主の misericordia であり、日本語で「あわれむ」とは、罪のみじめさやあわれさから引き出そうとすることだから。
(4)日本語で「いつくしみ」とは、年下の可愛い子供・可愛らしい動物や植物などを、(あわれで、不憫だから、ではなく)かわいいから、いとおしく思い、愛情を注いで、大切に思うことであり、「いつくしみ」の対象は、客観的にも愛するに値するようなものだから。
従って、「あわれみ」と「いつくしみ」という言葉の意味の違いをよく考察すると、一方で「あわれみ」が、対象の悲惨な憐れな否定的な状況を認めてそれから救い出そうとする、すなわち「あわれむ」ことであり、他方で「いつくしみ」が、対象を肯定的に愛すべき善であると認めてそれをそのまま大切にしようとする、すなわち「いつくしむ」ことである、ということがわかります。
天主は、私たちの惨めな罪の状態を憐れんで、その惨めさから引き出そうとするのが、聖伝による「天主のあわれみ」ですが、罪を否定せず、それを「いつくしみ」をもって、そのまま罪の状態を容認する、ゆがめられた"あわれみ"が、新しい "天主のあわれみ" の概念であって、まさに日本語の「いつくしみ」と言う言葉が、そのまま当てはまります。
私たちは、来るべき「あわれみの聖年」を、聖伝による天主のあわれみとして理解し、罪をそのまま容認する天主の "いつくしみ" という理解はしません。そのことを明確にするために、「あわれみの聖年」と日本語に訳しています。】
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
原文はこちら
聖ピオ十世会総本部より、「あわれみの聖年」の開始に際して教皇フランシスコの書簡に関する公式発表
2015年9月1日
聖ピオ十世会は報道機関を通じて、来たる聖年の際に教皇フランシスコによってなされた規定について知った。2015年9月1日、教皇庁新福音化推進評議会( Pontifical Council for the Promotion of the New Evangelization)議長リノ・フィジケッラ大司教 (Archbishop Rino Fisichella) に通達した書簡の最後の段落で、教皇は次のように書いている。
「私は、あわれみの聖年の期間中、和解の秘蹟を受けるために聖ピオ十世会の司祭たちに近づく信者たちが、有効かつ合法に罪の許しを受けることを定める」
【英語訳“I establish that those who during the Holy Year of Mercy approach these priests of the Society of St Pius X to celebrate the Sacrament of Reconciliation shall validly and licitly receive the absolution of their sins.”
(Letter of the Holy Father Francis to the President of the Pontifical Council for the Promotion of the New Evangelization at the beginning of the Extraordinary Jubilee of Mercy)】
聖ピオ十世会は、教皇の慈父的態度に感謝の意を表明する。我々は、償いの秘跡の執行にあたって、教会法の一般規則(Normae generales)によって与えられた特別裁治権に、全き確信をもって、常に依存してきた。この聖年の開始にあたり、教皇フランシスコは聖ピオ十世会の司祭たちに告解することを望む信者たちが心配することなく秘蹟を受けることが出来ることを望んでおられる。
この回心の年の期間中、聖ピオ十世会の司祭たちは、告解の秘蹟におけるみずからの職務を、アルスの聖司祭がすべての司祭たちに示した倦むことない献身の模範にならって、あらためて寛大に実践しなければならないと心底より考えている。
メンツィンゲン
2015年9月1日