アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2015年9月13日の大阪における聖伝のミサの報告をご紹介します。
ところで、つい最近、アメリカ、ウィスコンシン州マディソンのロバート・モーリノ司教様(His Excellency Bishop Robert C. Morlino)が、聖ピオ十世会に反対する発言をしたことに対してお詫びをしました。司教様は、インタビューに答えて、聖ピオ十世会は「善意の内に行動しようとしている極めて良い人々」からなる「一つの別の司祭会」(“another priestly society” made up of “very fine people trying to act in good faith”)であると描写し、聖ピオ十世会は、カトリック教会の一部であると誠実に認めています。
ロバート・モーリノ司教様が聖伝を守る司教だというわけではありません。時々、聖伝のミサを捧げておられるそうですが。少なくとも誠実な司教様です。この、聖ピオ十世会がカトリックであること、カトリック教会の一部であること、をはっきり認めたその事実に、感謝します。何故なら、事実であり、真理を認めることは善だからです。
ベネディクト十六世教皇様は、かつてこう書きました。
「時として、私たちの生きている社会は、少なくとも一つのグループを必要としているように思えますそれにはいかなる寛容も与えられないグループ、これに反対しては平然と憎しみ投げつけることが出来るグループを。そして、誰であれこのグループに敢えて接近するなら、---- 今回は、それは教皇でした ---- その近づいた人も寛容の権利を失い、彼もまた憎しみとともに、畏れも遠慮もなく取り扱われうるのです。」
ベネディクト十六世隠退教皇様、私にも次のように言うことを許して下さい。
隠退教皇聖下、私も、聖ピオ十世会の一員として、その憎しみと不寛容をひしひしと体験してきました。とりわけ一部のカトリックの人々から。この身で体験しました。
隠退教皇聖下、現代、私たちの生きているこの社会が、いかなる寛容も与えられてはならないものは、カトリックの聖伝です。誰であれ彼らに敢えて近づこうとするものがいるとするなら、どんな人でさえも寛容を受ける権利をまったく失ってしまうようなこと、それは、カトリック教会の昔のままの信仰です。カトリック教会の聖伝の信仰です。
愛する兄弟姉妹の皆様、ではご報告を紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
9月の主日の御ミサの報告をお送りいたします。
9月13日(日)聖霊降臨後第16主日の歌ミサには17人が、
9月14日(月)聖十字架の称賛の歌ミサには12人が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!
13日の主日には御ミサの前に「マリア様の御名」について霊的講話がありました。
講話では、「乙女の名前はマリアであった」という福音書の一節を説明したクレルヴォ―の聖ベルナルドの美しいお説教や、どうしてマリア様は私達を助けて下さるのか?どうして私達はマリア様に依り頼む必要があるのか?また、聖ヨゼフ様のマリア様の御名に対する大きな愛をお話頂きました。
イエズス様が「こどもの様にならなければ天の国には入れぬ」とおっしゃった時の、「こども」とはどんな事なのか、この講話を聞いてよくわかりました。
御ミサでのお説教では詩篇に出てくる「新しい歌」の意味を黙想いたしました。
レネー神父様が仰るように、「私達もキリストにおいて、キリストと共に、キリストによって、御父への賛美を聖霊の燃える火の中で歌い」、「この天の聖歌隊に入ることが認められ」「天国で聖母と共にその歌を歌う事のできる恩寵を」マリア様がとりなしてくださるよう願いたいと思います。
14日は、早朝6時半からの御ミサであったにも関わらず、レネー神父様の御意向で、信徒もそう願っていましたが、「聖十字架の称賛」の歌ミサを捧げることが出来ました。
奉献時には聖歌隊の方々が「Stabat Mater」を、ご聖体拝領時には聖木曜日の聖務日課の一節「O Crux Ave」(Plestrina)をポリフォニーで歌ってくださいました。
東京から来られた方もいらっしゃいましたし、車で朝4時に出発して早朝6時半の御ミサに与られた方もいらっしゃいました。
主日のミサのなのに与られた方が少なかったので残念でした。体調がよくなかったり、御病気で御ミサに与ることができない兄弟姉妹の方々が多くいらっしゃったので残念でしたが、コルベ神父様がニエポカラヌフの病気の修道士の方々の事を「宝」と呼ばれたように、私達も病気や高齢を祈りと共に捧げてくださる兄弟姉妹を「私達の宝」としてこれらの方々の為にも御ミサに与りました。
レネー神父様の素晴らしいお説教を翻訳してくださる方々に感謝しつつお説教のアップをお待ちしています。ひとりでも多くの方々がこのお説教を読んで(聞いて)くださり、多くの御恵みを分かち合ってくださることを願います。
【お便り】
+ Ave Maria Immaculata!
トマス小野田圭志神父様
童貞聖マリアの聖なる御名の祝日おめでとうございます!
私のためにお祈りをありがとうございます。
今月はマリア様のすべての祝日(8日聖母のご誕生、12日マリア様の聖名、15日聖母の7つの御苦しみ、24日贖虜の聖母)と29日大天使聖ミカエルの祝日が偶然にも休みに当たりました。休みには平日よりさらにロザリオの祈りと主のご受難の黙想をしています。
祝日に仕事が休みになったのは、時が近いのでよく準備をするようにとマリア様が特に祈りに招いてくださっているのだと思います。
私が与ることのできなかった8月15日や16日のごミサの様子や、シュテーリン神父様の講話をCredidimus Caritatiで視聴できますのでとても嬉しく思います。
また年間を通して東京や大阪でのごミサやお説教の様子をお知らせくださることを感謝いたします。
初土曜日の信心について、シュテーリン神父様のお話しに勇気づけられました。私は毎回ごミサに与ることができませんので、告解もご聖体拝領もできず、初土曜日の信心を、本当の意味で行うことができないと思っていました。しかし、毎日罪を痛悔し霊的聖体拝領をします。それによってマリア様への信心を果たすことができるとお聞きして、とても喜んでいます。
もはや自分が生きるのではなく、マリア様ご自身に生きていただき、一瞬一瞬十字架のイエズス様と一致して生きたいと希望しています。主と聖母のご光栄と自他の救霊のために。
私は8月15日聖母被昇天の大祝日に無原罪聖母の騎士とならせていただいて以来、毎日幾度となく奉献文を唱えています。残された生涯をマリア様の勝利のために使い尽くしたいです。私のためにお祈りください。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2015年9月13日の大阪における聖伝のミサの報告をご紹介します。
ところで、つい最近、アメリカ、ウィスコンシン州マディソンのロバート・モーリノ司教様(His Excellency Bishop Robert C. Morlino)が、聖ピオ十世会に反対する発言をしたことに対してお詫びをしました。司教様は、インタビューに答えて、聖ピオ十世会は「善意の内に行動しようとしている極めて良い人々」からなる「一つの別の司祭会」(“another priestly society” made up of “very fine people trying to act in good faith”)であると描写し、聖ピオ十世会は、カトリック教会の一部であると誠実に認めています。
ロバート・モーリノ司教様が聖伝を守る司教だというわけではありません。時々、聖伝のミサを捧げておられるそうですが。少なくとも誠実な司教様です。この、聖ピオ十世会がカトリックであること、カトリック教会の一部であること、をはっきり認めたその事実に、感謝します。何故なら、事実であり、真理を認めることは善だからです。
ベネディクト十六世教皇様は、かつてこう書きました。
「時として、私たちの生きている社会は、少なくとも一つのグループを必要としているように思えますそれにはいかなる寛容も与えられないグループ、これに反対しては平然と憎しみ投げつけることが出来るグループを。そして、誰であれこのグループに敢えて接近するなら、---- 今回は、それは教皇でした ---- その近づいた人も寛容の権利を失い、彼もまた憎しみとともに、畏れも遠慮もなく取り扱われうるのです。」
ベネディクト十六世隠退教皇様、私にも次のように言うことを許して下さい。
隠退教皇聖下、私も、聖ピオ十世会の一員として、その憎しみと不寛容をひしひしと体験してきました。とりわけ一部のカトリックの人々から。この身で体験しました。
隠退教皇聖下、現代、私たちの生きているこの社会が、いかなる寛容も与えられてはならないものは、カトリックの聖伝です。誰であれ彼らに敢えて近づこうとするものがいるとするなら、どんな人でさえも寛容を受ける権利をまったく失ってしまうようなこと、それは、カトリック教会の昔のままの信仰です。カトリック教会の聖伝の信仰です。
愛する兄弟姉妹の皆様、ではご報告を紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
9月の主日の御ミサの報告をお送りいたします。
9月13日(日)聖霊降臨後第16主日の歌ミサには17人が、
9月14日(月)聖十字架の称賛の歌ミサには12人が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!
13日の主日には御ミサの前に「マリア様の御名」について霊的講話がありました。
講話では、「乙女の名前はマリアであった」という福音書の一節を説明したクレルヴォ―の聖ベルナルドの美しいお説教や、どうしてマリア様は私達を助けて下さるのか?どうして私達はマリア様に依り頼む必要があるのか?また、聖ヨゼフ様のマリア様の御名に対する大きな愛をお話頂きました。
イエズス様が「こどもの様にならなければ天の国には入れぬ」とおっしゃった時の、「こども」とはどんな事なのか、この講話を聞いてよくわかりました。
御ミサでのお説教では詩篇に出てくる「新しい歌」の意味を黙想いたしました。
レネー神父様が仰るように、「私達もキリストにおいて、キリストと共に、キリストによって、御父への賛美を聖霊の燃える火の中で歌い」、「この天の聖歌隊に入ることが認められ」「天国で聖母と共にその歌を歌う事のできる恩寵を」マリア様がとりなしてくださるよう願いたいと思います。
14日は、早朝6時半からの御ミサであったにも関わらず、レネー神父様の御意向で、信徒もそう願っていましたが、「聖十字架の称賛」の歌ミサを捧げることが出来ました。
奉献時には聖歌隊の方々が「Stabat Mater」を、ご聖体拝領時には聖木曜日の聖務日課の一節「O Crux Ave」(Plestrina)をポリフォニーで歌ってくださいました。
東京から来られた方もいらっしゃいましたし、車で朝4時に出発して早朝6時半の御ミサに与られた方もいらっしゃいました。
主日のミサのなのに与られた方が少なかったので残念でした。体調がよくなかったり、御病気で御ミサに与ることができない兄弟姉妹の方々が多くいらっしゃったので残念でしたが、コルベ神父様がニエポカラヌフの病気の修道士の方々の事を「宝」と呼ばれたように、私達も病気や高齢を祈りと共に捧げてくださる兄弟姉妹を「私達の宝」としてこれらの方々の為にも御ミサに与りました。
レネー神父様の素晴らしいお説教を翻訳してくださる方々に感謝しつつお説教のアップをお待ちしています。ひとりでも多くの方々がこのお説教を読んで(聞いて)くださり、多くの御恵みを分かち合ってくださることを願います。
【お便り】
+ Ave Maria Immaculata!
トマス小野田圭志神父様
童貞聖マリアの聖なる御名の祝日おめでとうございます!
私のためにお祈りをありがとうございます。
今月はマリア様のすべての祝日(8日聖母のご誕生、12日マリア様の聖名、15日聖母の7つの御苦しみ、24日贖虜の聖母)と29日大天使聖ミカエルの祝日が偶然にも休みに当たりました。休みには平日よりさらにロザリオの祈りと主のご受難の黙想をしています。
祝日に仕事が休みになったのは、時が近いのでよく準備をするようにとマリア様が特に祈りに招いてくださっているのだと思います。
私が与ることのできなかった8月15日や16日のごミサの様子や、シュテーリン神父様の講話をCredidimus Caritatiで視聴できますのでとても嬉しく思います。
また年間を通して東京や大阪でのごミサやお説教の様子をお知らせくださることを感謝いたします。
初土曜日の信心について、シュテーリン神父様のお話しに勇気づけられました。私は毎回ごミサに与ることができませんので、告解もご聖体拝領もできず、初土曜日の信心を、本当の意味で行うことができないと思っていました。しかし、毎日罪を痛悔し霊的聖体拝領をします。それによってマリア様への信心を果たすことができるとお聞きして、とても喜んでいます。
もはや自分が生きるのではなく、マリア様ご自身に生きていただき、一瞬一瞬十字架のイエズス様と一致して生きたいと希望しています。主と聖母のご光栄と自他の救霊のために。
私は8月15日聖母被昇天の大祝日に無原罪聖母の騎士とならせていただいて以来、毎日幾度となく奉献文を唱えています。残された生涯をマリア様の勝利のために使い尽くしたいです。私のためにお祈りください。