2022年7月15日(金)証聖者聖ヘンリコ皇帝のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
証聖者皇帝聖ヘンリコの祝日を祝っています。
カトリックの教えによれば、天主の定めによって全ての権威は天主から来ます。父なる天主に由来します。ですからもしも、父親が父としての権威を持っているとしたら、それは天主に由来します。もしも国王が、あるいは皇帝が、国を治める力を権威を持っている、それの正当性を持っているとしたら、これは天主から由来します。天主に由来しない権威は何もありません。
ですから国を治める者は、あるいは上に立つ者は、天主から頂いたこの権威を、天主の為に、人々を天主へと近付ける為に、天主を愛させるが為に使わなければなりません。それこそが正しい権威の行使で、そしてその為にこそ権威が立てられました。
ちょうど天主がアダムとエワを創ったその原初の義の時に、全てが人間を頂点として、この目に見える世界が成り立っていました。人間が天主に従順である限り、全ての秩序は整っていました。そして平和がありましたし、動物たちは人間に一切害を与えることもなく、人間の言うことを従順に聞き、そして人間は全自然界を支配して、そして死も、病も、苦しみも、全くありませんでした。
しかし、天主に逆らったが為に、天主にノー!と言ったが為に、自然界も人間に逆らうようになってしまいました。今、現代社会の危機はまさにここにあります。
天主に本来ならば従うべき、天主の為に使うべき権威が、天主を否定するので、あるいは天主を知らないと言うので、権威は自分の権威の基礎を否定しているのです。
そこで権威は権威を保つ為に、あるいは暴力の装置を使ったり、あるいは警察を使ったり、あるいはマスコミでイデオロギーを押しつけたり、あるいは教育という装置を使って洗脳したり、人々を支配しようとします。しかしそうしようとすればそうしようとするほど、権威はますます弱体化していきます。弱体化すれば弱体化するほど、もっと支配を強めようとして、全体主義とか、あるいは警察とか、あるいはカメラで監視をする国家、あるいはコンピューターでコントロールしようとします。
何故かというと、権威が正しい目的を知らない、権威が正しい権威の行使をしていないからです。本来あるべき「天主の為」という目的を果たしていないからです。今、世界がそのようにますます危機に陥っています。その結果、全てを否定するようになっています。今の流行の言葉で言えば「キャンセル文化」、全てを過去を否定して、今のイデオロギーだけを押し付けるという文化、そういう野蛮を押し付けようとしています。
これは残念ながら、第二バチカン公会議の後のカトリック教会にも生じてしまったことです。本来ならば教えるべき立場にある教導教会、教え導く教会、そしてそれに従う教会、聞き従う教会の区別が、それが転倒されて、上と下がひっくり返ってしまって、今流行りのものは、シノドスの教会、そして司教様たちは、「教会に足を運ぶことを辞めたような人々から、特にそのような人々の話を聞かなければならない」と、世界中でそれを今実行しています。それと同時に、カトリックのもともとの教え、聖伝の信仰、不可謬の教えには、耳を閉ざしています。教会の過去を否定しようとしています。
今日、ぜひ皇帝聖ヘンリコに祈りましょう。この聖人の御取り次ぎによって、この世の霊的指導者たちが、そしてまた社会の指導者が、家庭の父親たちが、母親たちが、天主から与えられた権威を、天主からのものとして認めて、そして委ねられた霊魂たちを天主へと向かわせる為に、よく使うことができますように祈りましょう。
私たちが、正しい決断、そうあるべき決断を、あるべき掟を、あるべき指導を、天主の望むことを、人の気に入るというよりは天主の御旨を果たす、天主の御旨を喜ばせるが為に、行うことができますように。
特にカトリック教会の為にお祈りしましょう。ローマ教皇様、フランシスコ教皇様の為にお祈りしましょう。教皇様が、教会の教えを正しく教えるが為に教皇としてある、ということを自覚されますように。
そしてファチマのマリア様に特にお祈りしましょう。ファチマのマリア様は、「私だけがあなたたちを助けることができる」と仰いました。そして、「最後には私の汚れなき御心は凱旋するだろう」と言われました。マリア様の御取り次ぎによって、教会の為に、そしてこの世界の為に、家族の為に、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。