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カルメル山の聖母のスカプラリオによって危機から救われた実話

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2022年7月16日(土)聖母の土曜日 カルメル山の聖母の記念のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

愛する兄弟姉妹の皆様、一つお知らせがあります。
パリャラーニ総長は、秘書事務局長と一緒に日本にいる予定です。総長様がいらっしゃる間、大阪でもミサがある予定です。その時にはぜひ時間を作っていらして下さるようにお願い致します。サマース管区長もいらっしゃる予定です。

今日はカルメル山の聖母の祝日です。皆様もカルメル山の聖母については何度も話を伺ったと思います。スカプラリオの話も、土曜日の特権の話、特別のマリア様の保護の話もご存知と思います。

マリア様はルルドでは18回お現れになりました。その最後は7月16日、今日でした。スカプラリオの聖母の御姿で、聖ベルナデッタに現れています。

またファチマでは、10月13日、最後の御出現の時にも、マリア様は喜びの玄義・聖家族、それから苦しみの玄義、そして最後には栄えの玄義のお様子で御姿を見せて、そして栄えの玄義の御姿の時には手にスカプラリオをお持ちでした。そのマリア様をご覧になった子供たちは、マリア様は、スカプラリオによって私たちを、マリア様は救おうとされていると理解したと言っています。聖母の汚れなき御心に対する信心の一環をなすものでしょう。

今日は特に、スカプラリオでどんなことが起こったか?という話を二つだけ、エピソードをご紹介したいと思っています。

1844年に、聖地イスラエル、パレスチナ、聖地にいたカルメル会の司祭の話です。1844年のある日、このカルメル会の司祭は、墓地を訪問して、墓地で死者の埋葬をするようにそして頼まれました。そこで神父様はバスに乗って、アラブの人が運転するバスに乗ってその墓地まで行きました。まだ目的地までは遠く3㎞ほど、2マイルほどのところで、バスは突然止まりました。まだ墓地に着かないにも関わらず、舗装されていない道路の途中に、非常に危険な沼、泥地があって、バスはそこに入ることができないと言いました。なぜかというと、もしも入ったら出ることができなくなるからです。そこでバスの運転手は神父様を降ろして、別の方に行きました。

神父様はどうしてもその道を通って墓地まで行かなければなりません。埋葬を準備している人たちが待っています。そこで、ぬかるんだ土の道を行くのですけれども、底なし沼のような泥道で、行けば行くほどどんどん体は沈んでしまいます。そしてある時、足を入れると、ズブズブと体が沈んでしまって、「もうこれは底がない」と理解しました。「このままでは、ここに埋まって死んでしまう。」

そこで、カルメル会の修道服である大きなスカプラリオを取って、それに接吻をして、カルメルのマリア様に祈りしました。そしてカルメル山の方を向いて(聖地です)、マリア様に、「助けて下さい」とお祈りしたところ、底なしだと思われたその沼、もうズブズブと支えがないと思われた所に、支えが出来たのを感じました。そしてそこから、沼の中ですけれども、それでも歩いて墓地まで3km、残る道を歩くことができたそうです。その時には靴も失って、もう泥だらけになってしまったけれども、命は助かった、とのことです。「これはマリア様のおかげだ!」と言って、沼を歩きながら、この神父様はマリア様を称えながら墓地まで歩いた、ということです。

これはちょうど、私たちがこの沼のような、罪の危険の周りに囲まれたところを、私たちの墓地まで歩きながら行く姿に似ているではないでしょうか?天国に辿り着く為に、私たちが一生懸命マリア様の元で歩いている姿に似ているではないでしょうか?

ある時にはその沼地があまりにも深いので、あるいは悲しみの沼地、あるいは絶望の沼、あるいは悪徳から悪い習慣からどうしても抜けられない、あるいは危険からどうしても逃れられない、という時がもしかしたらあるかもしれません。自分の力ではどうしても、もう行けば行くほど落ちてしまう、ズブズブ入ってしまう、もうこのここから抜け出すことができない、そのような時に、もしも私たちがスカプラリオを身に付けていたら、マリア様に目を上げて助けを乞い求めるならば、マリア様は決して見捨てることなく、私たちを助けて、目的地まで導いて下さる、ということのシンボルではなかったでしょうか?

もう一つ、こんな話があります。1846年、イギリスの船に乗っていたプロテスタントの家族がいます。それはイギリスを出て、それからアフリカの南先端の喜望峰まで通って行って、そしてインドの方まで行く船で、それは「KING OF OCEAN」という船の名前でした。「大洋の王」つまりどんなことがあっても沈まない「海の王様」という船の名前でしたが、しかし沈没しようとしていました。

なぜかというと、その時にものすごい嵐が吹き寄せて、強風と高波によって船は翻弄されていました。この船の沈没は時間の問題でした。波は止むことがありません。甲板にも水はどんどん入ってきます。それを見たプロテスタントの家族、フィッシャー牧師さんは、妻と子供たちにお祈りをするようにと言っていました。しかし船の危険はますます大きくなるばかりでした。

その時に、やはり同じ船に乗っていたカトリックのアイルランドの青年がいました。ジョン・マッコーリフという方です。彼はスカプラリオを身に付けていて、この牧師さんたちの家族の近くでお祈りをしていたのです。その時、何をインスピレーションを受けたのか、いきなり自分のシャツをまくって、スカプラリオを手に取って、それに接吻をして、そのスカプラリオを手に持って、十字架のしるしを海にしたそうです。そしてマリア様にお祈りしながら、そのスカブラリオを波に投げ入れたのです。

するとその瞬間に、ピタリと波が止まって、奇跡的に大凪になりました。ただ一回だけ波が甲板に来て、そしてジョン・マッコーリフさんの元に当たりました。実はその波は、マッコーリフさんが投げたスカプラリオを戻して、そしてそれで全てが終わりました。カルメル山のマリア様によって助けられたのです。

そのことを見ていたフィッシャー牧師家族は、あまりにも奇跡的なその出来事を見て、彼は「一体、どういうことか!?」とこのアイルランド青年に聞きました。この船はその後、目的地のオーストラリアまで行きます。オーストラリアで、この家族はカトリックに改宗したとのことです。

ちょうど私たちも、この世の人生と言う荒海を航海して天国までの道を行く時に、どうしても私たちの力では乗り越えられない危険や困難があるかもしれません。その時には、ジョン・マッコーリフさんがやったように、スカプラリオをぜひ手に取って、マリア様にお祈り致しましょう。マリア様は私たちを必ず助けて下さいます。

スカプラリオによって命が助かった、霊的に助かった、あるいは肉体的に助かった、という話がまだたくさんあります。マリア様はかつてなさったように、今でも助けて下さいます。ますます荒波のような現代世界ですけれども、マリア様に対する信心を、スカプラリオに対する信心をしっかりと持つように致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

Photo Credit


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