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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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この世はますます毒麦の勢力を広げている。良い麦がもっと広がらなければならない

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2015年11月8日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2015年11月8日 聖霊降臨後第24主日
小野田神父 説教

聖なる殉教者巡回教会へようこそ。今日は2015年11月8日、聖霊降臨後第24主日のミサをしております。

今日のミサの後いつもの通り、14時30分から公教要理、16時には主日の第2晩課もあります。
明日のミサは、朝7時からです。いらして下さい。それから、喜ばしいニュースです。私たちの兄弟の姉妹の、ヨゼフさんとマリアさんの最初の赤ちゃんがお生まれになりました。11月3日に生まれて、お母さんと赤ちゃんは今休んでいるようで、来月すぐに洗礼を受ける、という事です。どうぞ赤ちゃんの為に、お母さんの為にお祈り下さい、たくさんの子供たちに恵まれますように。


「天の国は、良い種を畑に蒔いた人のようである。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日イエズス様は、福音で例え話を仰ってくださいました。この例え話は非常に有名です。そこで私たちも、この例え話の意味を少し復習して、そしてそれを現代私たちに適用して、その後に、私たちは一体何をしなければならないか、良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。

イエズス様は例え話をして後に、福音書によると、今日のミサ典書の部分には載っていないのですけれども、後の後の方で、色々な例え話が載った後で、イエズス様が例え話を話して、それから家に帰って来ると弟子たちがやって来て、「あの毒麦の例え話の説明をして下さい。」と、聞きに来ました。するとイエズス様が直接に、他の例え話の説明はしないのですけれども、毒麦の例えだけは、説明は載っています。それによると、「良い種を蒔くのは、人の子である。畑は世界だ。良い種は御国の子らだ。毒麦は悪者の子らだ、子供たちだ。蒔いた敵というのは悪魔の事である。収穫の時というのは世の終わりの事だ。刈る人たちは天使たちである。そして毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそうなるだろう。そして義人たちは父の国で太陽のように輝くだろう。」と、説明して下さいます。

教父たちは、これをこの説明を聞いて、「この世の終わりまで、決定的な最後の日まで、この世には善と悪との戦いが残って、善人と悪人が混じり合って生活して、善と悪との戦いが続かなければならない。その究極的な決定は、世の終わりまで延ばされる。」と、説明しています。

確かに、この私たちの今、この世の中は、悪と善が混じっています。毒麦は、良い麦の場所を奪ってしまうように、勢力範囲を広げようとしますし、そして良い麦を弱らせよう、成長を奪ってしまおう、栄養を奪ってしまおうとします。そして迫害したり、或いは世間体で、或いは嘲笑ったり、もの笑いにしたりして良い人々を押しやって、悪がのさばろうと、勢力範囲を広めようとしています。

イエズス様の蒔いた福音の種は、イエズス様は別の所では、「私はこの世に火を点けに来た。」つまり、「イエズス・キリストに対する、天主に対する愛の火を点けに来た。そしてこの地上からこの火で燃えるようになるのを見るのを望む。」

イエズス様は、私たちの救霊の為に、私たちの永遠の為に、霊魂の救いの為に、私たちを御国の子らとして下さいました。ただ単にイエズス様は、種を蒔いた、というだけではありません。イエズス様が、私たちを御国の子らとして、種を蒔く、という事の為には、これは、十字架の上に於ける流血、苦しみ、受難を経て、種を蒔かなければなりませんでした。

それだけではありません、イエズス様は、マリア様と共に、この救霊の事業を、種を蒔く、という事業をなさって下さいました。マリア様を通してのみ、イエズス様が来る事を天主が望まれたからです。もしも私たちが、良い種を受けるとしたらば、これはマリア様を通してのみ、受けなければなりません。

マリア様が、「我は主の婢女なり。仰せの如く我になれかし。」と言って、イエズス様を身ごもり、そしてイエズス様に命を、イエズス様を生み出すようになさったように、マリア様こそが、イエズス様の神秘体の一部である私たちを、超自然の命に生み出し続けなければなりません。マリア様の、イエズス様と共にの苦しみがなければ、その種は蒔かれませんでした。マリア様は、イエズス様の十字架の下に立って、イエズス様を共に、御父に御捧げしました。

そうやって蒔かれた種ですが、マリア様はただ単に、イエズス様とマリア様はただ単に、蒔いてそのまま、ではありません。この善が、勢力範囲が広がるように、一生懸命に力を尽くして下さっています。確かに天主様は、この地上から悪を根絶させてしまうように、毒麦を全て残らず取ってしまう、という事はなさいません。毒麦がそのまま生えるのを残していますけれども、しかし、良い麦が勢力範囲を広めるように、できれば毒麦から良い麦になるように、戦いを続けています。

マリア様が、サタンの手から私たちを奪い取るように、そして私たちをその悪魔の手からイエズス様の方に、毒麦から良い麦になるように、となさって下さっています、イエズス様の方に導いて下さっています。良い麦が多く広がって、健康ですくすくと育てば育つほど、毒麦の、悪の勢力範囲が、サタンの悪魔の勢力の範囲が狭まっていく、という事になるからです。

ですから、良い麦が健康ですくすくと育つ為に、麦はますます良い麦であり続けなければなりません。「キリストの弟子」「キリスト信者」というのはつまり、「第2のキリスト」となって、イエズス・キリストと共に、世の贖いに、世の救いに協力しなければなりません。毒麦がたくさん増えているのを見て、「俺は知らないよ。」ではなくて、何とか、その毒麦がはびこらないように、良い麦がもっと広がっていくようにしなければなりません。

聖ヨハネ・クリゾストモは、こういう事を言っています、それは、フランク・ダフFrank Duff という方が引用している事ですが、「キリスト者よ、審判の時にあなたたちは、自分の霊魂の事だけでなく、全ての人々の霊魂の救いについて報告しなければならない、という事を覚えよ。」自分の霊魂の救いだけではなく、全ての人の霊魂の救いについて報告しなければならない、というのは、どれほど大きな責任が負わされている事でしょうか。

イエズス様は、「毒麦は遂にこの世の終わりには刈り取られて、そして火に焼かれてしまうだろう、そこには歯ぎしりと嘆きとがあるだろう。」つまり、毒麦はもしも良い麦にならないならば、毒麦のままであるならば、悪の勢力に残っているならば、そのまま永遠に滅びてしまう。イエズス様がこれほど愛した霊魂たちが、主を愛する事を知らずに、主を知らずに、それに従順である事を知らずに、永遠に愛する主を憎み、御血を無駄にして、そして滅びてしまう、焼かれてしまう、という事なのです。

もしも良い麦たちが、イエズス様の御国の為に、イエズス様の利益の為に、イエズス様の聖名が尊まれるように、イエズス様の御旨が果たされるように、イエズス様の栄誉の為に、聖名の尊まれん事を、と、その為に勢力範囲を広げているとすれば、毒麦は、自分の事だけ、自分の楽しみの事だけ、自分の中に閉じこもって、自分の快楽の事だけを考えている麦たちです、霊魂たちです。

それに引き換え良い麦は、例えばファチマの幼い牧童たちがそうでした。ファチマの子供たちはファチマのマリア様をご覧になって、そして天主様を見て、「天主様が非常に悲しそうだ。天主が霊魂の永遠の滅びの為に、とても悲しそうに見えた。」天主の痛みの問題を感じていました。「マリア様がとても悲しく思われて、悲しそうに見えた。だから、その天主様を慰める為に、多くの霊魂を救う為に。」と言って、祈りと犠牲に励んでいました。

幼きイエズスの聖テレジアも同じでした、「私はイエズス様を愛したい。そして多くの人々が、イエズス様を愛するようにしたい。その為には、できれば全世界を駆け巡って、人々にイエズス様を述べ伝えて宣教師になりたい、世の終わりまで宣教師でいたい。世の終わりまで殉教者でありたい。司祭にもなりたい、イエズス様の事を皆に教えたい、知らせたい、マリア様の事の話をしたい。」と、思っていました。「多くの霊魂がイエズス様の事を愛するように、愛させたい。イエズス様がますます愛されますように。イエズス様の教えが愛されますように。世の終わりまで善を為したい。」と、渇望していました。

まさに、まさにここに、良き麦の特徴があります。良き麦は、イエズス様の愛を、この心に受けて、イエズス様を愛する事に渇望して、イエズス様を愛するがあまり、イエズス様の聖名が尊まれていない事、或いは無視されている事、或いは軽蔑されている事を見て、非常に悲しく思います。「何とかしてイエズス様が愛されるように、イエズス様が崇められるように。」と、願います。或いはイエズス様がこれほど愛している霊魂たちが、そのままイエズス様の事も知らずに、イエズス様の掟も無視して、そのまま滅んでしまうのも見て、非常に悲しく思います、「何とかして愛したい、霊魂を救いたい。」と。

イエズス様は最後の晩餐の時にこう、私たちに新しい命令を下さりました、「私がお前たちを愛したように、お前たちも互いに愛し合え。」

イエズス様は私たちの霊魂の救いの為に、命さえも、御血を全て流してさえも、私たちの為に愛を下さいました。それと同じように私たちが隣人を愛する、というのは、何と、何と大きな命令でしょうか。それをみると、私たちは本当に恥ずかしくなります。私はちょうど毒麦の影響をあまりにも受けて、自分の事だけ、この世の世界の事だけでいっぱいになっていたようです。

この世はますます毒麦の勢力を広げています。イエズス様を色々な所から追い出してしまって、イエズス様の無い世界を作ろうとしています。お金を原理に、或いは被造物とその快楽を原理に、或いは自分の利益だけを原理に、新しい世界を、毒麦の世界を作ろうとしています、毒麦だらけのようです。

私はどうも、毒麦の影響を多く受けて、イエズス様がこれほど愛しているにもかかわらず、イエズス様に愛を返さない時がありました、罪を犯した時がありました。「イエズス様の掟がこうである」と、「御旨がこうである」と分かりながらも、それを素直にしませんでした。イエズス様が、「こうだ。」と言うのに、「はい。」と言わずに、「ちょっと待って。あぁ、またもう少し後で。」イエズス様がこれを望んでいると分かっていながらも、100%ではなく50%、或いは、「イエズス様が悲しむであろう。」或いは、と思いながらも、「あぁ、でもまぁ今回だけは。」と、御旨に逆らっていました。毒麦の影響を受けていました。

ですから今からは、「イエズス様の為に、良き麦として留まりたい。毒麦の影響を遠ざけたい。」と、私たちは自然と願うようになります。

では、遷善の決心に何を立てたら良いでしょうか?私は3つ提案します。

1つは、祈りと犠牲を以って、イエズス様の良き麦の勢力が広まるように、霊魂が救われるように、私たちが悪魔の勢力から霊魂を引き出す事ができるように、祈りと犠牲を以って、私たちの日々を捧げる事に致しましょう。

幼きイエズスの聖テレジアは、有名な盗賊で、強盗であったブランジニ、死刑囚で、回心のしるしを全く見せなかった、この極悪人の為に、祈りと犠牲をたくさん捧げて、特にマリア様を通して捧げて、そして遂に、この回心の恵みを得ました。聖テレジアは、「私たちは、祈りと犠牲を以って以外、教会に利益をする事ができない。」と、言っています。

第2に、私の提案するのは、イエズス様をこの愛するあまり、イエズス様を愛するように、霊魂を導く為に、霊魂の利益になる為に、毒麦からの影響を多くの人々が避ける事ができるように、私たちは祈りと犠牲のみならず、行動と言葉を以って、できるだけ、その霊魂たちに、愛と善を施す決心を立てる事に致しましょう。

私たちは確かに、非常に弱い、力の無いものですけれども、イエズス様の御あわれみとマリア様の御助けを以って、私たちがイエズス様の道具となりますように、マリア様の生き写しとなりますように。そしてイエズス様が、私たちの言葉や行いを以って、より少なく嫌われますように。できればイエズス様の事がますます知られ、イエズス様の事を私たちが確信を持って、「イエズス様は私たちの事を愛している天主様ですよ。」と言う事や、或いは、「マリア様は私たちの為の霊的なお母様です。」と、確信を持って言う事によって、多くの霊魂に光が照らされますように。

最後には、私たちはあまりにも弱いものですから、是非、イエズス様に、イエズス様の心を私たちに下さいますようにお祈り致しましょう。イエズス様の心を以って、私たちがマリア様のように、霊魂を愛する事ができるように。そしてマリア様にお願いして、マリア様の御取り次ぎにより、私たちにもイエズス様の心を下さるように、イエズス様の心を以って、私たちが天主と隣人を愛する事ができるように、お祈り致しましょう。祈りと犠牲を以って、行動と言葉を以って、そしてイエズス様とマリア様の御心を頂く事によって、良き麦として残り、そして遂には、多くの毒麦たちが良い麦となり、できればより多くの麦たちと共に、霊魂が太陽のように、永遠の喜びに入れますように、太陽のように輝きますように。そのお恵みをお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


【注:フランク・ダフ Frank Duff は、レジオ・マリエの創立者。】

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