アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、ブログ Credidimus Caritati の開設10周年です!2006年の1月21日の東京は、雪が降っていました。とても美しい雪でした。
今月の1月18日(月)も、夜半から東京に雪が降り積もり、朝7時からのミサに与りたくても与れない方々がいらっしゃいました。それでも六名の方々が早朝ミサに与りお恵みをお受けになりました!
1月15日、16日には大阪で、17日と18日には東京で聖伝のミサを捧げることができたことを天主様に感謝します。
次のようなご報告をいただいておりますので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
御ミサの報告をお送りいたします。
1月15日(金)最初の隠修者聖パウロ のミサには14名が、
1月16日(土)教皇殉教者聖マルチェロ のミサには16名の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオ・グラチアス!
ミサの後には毎年恒例、禁教令時代の絵踏みの償いのとして、「踏絵への接吻」をいたしました。
お説教でイエズス様の聖心が私達を愛して私達と一致したいと望んでくださっているにも関わらず、私達のうちにあるイエズス様に反するものつまり、罪がその御恵みを拒絶してしまっていること、その罪、欠点を真剣に取り去り、克服する事によってイエズス様と完全に一致する事が出来るようになると伺いました。私は自分の弱い部分をずいぶん昔から気づいているのに、今だに克服できていないことがあることを深く反省し、恥ずかしくなりました。神父様がおっしゃるようにイエズス様を完全にお受けする事が出来るよう『真剣に』毎日、自分の欠点を克服できるよう、善きお母様であるマリア様に必死で助けて頂く決心をいたしました。
16日の御ミサあとには公教要理がありました。対神徳のひとつ「信仰」について深く勉強しました。
●信仰は、唯一の真理である天主を対象とし、その動機も天主の権威に基づき、天主が述べられたが故に信じなければならない、天主からくる超自然の徳である。
●人間には自由意志が与えられており、自分の意志で天主を信じることを選ぶときそれは功徳になり、逆に言えば信仰の徳を与えるために天主は私達に自由をあたえられたとなる。
●信仰には「完全な信仰」(fides formata)と、「不完全な信仰」(fides informis) とがあり、どちらもまことの天主を信じているが、「完全な信仰」が真理を知り、その掟に従い、善を行い聖性の状態であるのに対し、「不完全な信仰」は頭の中で知識的に天主が真の天主であると知ってはいるが、罪の状態で聖性の状態ではなく、信仰の徳ではない。
●信仰が深いとか浅いとかどのようにはかるのかというと、聖トマス・アクイナスによれば、人は「知性」と「意志」の両方をもって信仰の大小をはかる。つまり天主の神秘をよく知り、意志を持って善行をおこなうこと両方を加味して信仰が深いかどうかをはかっているのです。(聖母マリア様ほど信仰が深い方はいらっしゃらないというのは、マリア様ほど天主の神秘をよくご存知で、ご自分の意志を聖霊と一致されて聖霊のお望みのまま全てを善く行われたという意味になるだろう。)
●信仰を得るには
1、信じるべき事柄を提示される恵みと、
2、それに同意する恵みの二つのお恵みが必要である。
●信仰を持つと、1、天主に対する畏れ(畏敬)が生じ、2心が浄められる。
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 14人(内、子供1人)
女: 27人(内、子供2人)
計: 41人(内、子供3人)
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、ブログ Credidimus Caritati の開設10周年です!2006年の1月21日の東京は、雪が降っていました。とても美しい雪でした。
今月の1月18日(月)も、夜半から東京に雪が降り積もり、朝7時からのミサに与りたくても与れない方々がいらっしゃいました。それでも六名の方々が早朝ミサに与りお恵みをお受けになりました!
1月15日、16日には大阪で、17日と18日には東京で聖伝のミサを捧げることができたことを天主様に感謝します。
次のようなご報告をいただいておりますので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
御ミサの報告をお送りいたします。
1月15日(金)最初の隠修者聖パウロ のミサには14名が、
1月16日(土)教皇殉教者聖マルチェロ のミサには16名の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオ・グラチアス!
ミサの後には毎年恒例、禁教令時代の絵踏みの償いのとして、「踏絵への接吻」をいたしました。
お説教でイエズス様の聖心が私達を愛して私達と一致したいと望んでくださっているにも関わらず、私達のうちにあるイエズス様に反するものつまり、罪がその御恵みを拒絶してしまっていること、その罪、欠点を真剣に取り去り、克服する事によってイエズス様と完全に一致する事が出来るようになると伺いました。私は自分の弱い部分をずいぶん昔から気づいているのに、今だに克服できていないことがあることを深く反省し、恥ずかしくなりました。神父様がおっしゃるようにイエズス様を完全にお受けする事が出来るよう『真剣に』毎日、自分の欠点を克服できるよう、善きお母様であるマリア様に必死で助けて頂く決心をいたしました。
16日の御ミサあとには公教要理がありました。対神徳のひとつ「信仰」について深く勉強しました。
●信仰は、唯一の真理である天主を対象とし、その動機も天主の権威に基づき、天主が述べられたが故に信じなければならない、天主からくる超自然の徳である。
●人間には自由意志が与えられており、自分の意志で天主を信じることを選ぶときそれは功徳になり、逆に言えば信仰の徳を与えるために天主は私達に自由をあたえられたとなる。
●信仰には「完全な信仰」(fides formata)と、「不完全な信仰」(fides informis) とがあり、どちらもまことの天主を信じているが、「完全な信仰」が真理を知り、その掟に従い、善を行い聖性の状態であるのに対し、「不完全な信仰」は頭の中で知識的に天主が真の天主であると知ってはいるが、罪の状態で聖性の状態ではなく、信仰の徳ではない。
●信仰が深いとか浅いとかどのようにはかるのかというと、聖トマス・アクイナスによれば、人は「知性」と「意志」の両方をもって信仰の大小をはかる。つまり天主の神秘をよく知り、意志を持って善行をおこなうこと両方を加味して信仰が深いかどうかをはかっているのです。(聖母マリア様ほど信仰が深い方はいらっしゃらないというのは、マリア様ほど天主の神秘をよくご存知で、ご自分の意志を聖霊と一致されて聖霊のお望みのまま全てを善く行われたという意味になるだろう。)
●信仰を得るには
1、信じるべき事柄を提示される恵みと、
2、それに同意する恵みの二つのお恵みが必要である。
●信仰を持つと、1、天主に対する畏れ(畏敬)が生じ、2心が浄められる。
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 14人(内、子供1人)
女: 27人(内、子供2人)
計: 41人(内、子供3人)