「事実と特別な啓示によって説明された煉獄の教義」
フランソワ=グザヴィエ・シュッペ神父(1823~1904年)著
第一部 煉獄、正義の神秘
第3章
煉獄という言葉 - カトリックの教義 - トレント公会議 ー 論争されている問題点
煉獄という言葉は、地獄と天国の中間的な場所を意味することもあれば、状態を意味することもある。これは、死の瞬間に、自分自身が成聖の恩寵の状態にあるが、自分の過失を完全に償ったのでもなく、天主を至福直感で見ることを享受するのに必要な清さの程度に達したわけでもない霊魂の状況である。
したがって、煉獄は一時的な状態であり、至福の生命で終わる。煉獄は、もはや、功徳を積んだり、罪を犯したりする試練ではなく、正義を満足させる償いの状態なのである。この世の死すべき生は試練の時であり、霊魂が功徳を積む時であり、天主の憐みの時であった。この時が過ぎれば、天主には正義があるだけであり、霊魂はもはや功徳を積むことも反省することもできない。霊魂は死の時にあったそのままの状態に固定され、聖化された恵みの中に見出されたのならば、この至福な状態から落ちることはなく、天主を変わることなく所有するに到ることは確実である。しかし、霊魂は一時的な罰という負債を負っているため、あらゆる厳罰を受けることによって、天主の正義を満足させなければならない。
これが煉獄という言葉の意味であり、煉獄にいる霊魂の状況である。
ところで教会は、このことについて、信仰の教義によってはっきりと定義された二つの真理を提示している。第一に、煉獄が存在すること、第二に、煉獄にいる霊魂たちは信者の祈り、特にミサの聖なる犠牲によって助けられること、この二つである。
これら2つの教義上の問題に加えて、教会が決定していないいくつかの教義上の問題があり、それらは博士たちによって多かれ少なかれ明確に解決されている。それらの問題とは次に関することである。1.煉獄の場所、2.罰による苦しみの本性、3.煉獄にいる霊魂たちの数とその状態、4.煉獄にいる霊魂たちの救霊の確実性、5.罰による苦しみの期間、6.煉獄の霊魂たちのために地上に生きている人々ができる介入、さらに、教会の祈りの適用である。