「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」
The Synodal Process Is a Pandora’s Box: 100 Questions & Answers
ホセ・アントニオ・ウレタとフリオ・ロレド・デ・イズクエ著
第四章 教会改革
41.どのようなレベルで教会の構造を変えるべきなのでしょうか。
42.これらの変更は典礼にも影響を与えますか。
43.シノドス推進派によれば、教会の主な問題は何でしょうか。
44.聖職者主義をどのように治療するのでしょうか。
45.教会の現在の構造に対してどのような適応がなされるべきでしょうか。
46.この団体主義は緊張や意見の相違を生じさせませんか。
47.この過程は現代の民主主義とどう違うのでしょうか。
48.「共同体的な識別」とは何ですか。
49.教会の統治とはどのようなものになりますか。
50.信者の意見と教皇の意見が食い違う場合、どちらが優先されるのでしょうか。
51.シノドス推進派は、教会生活における共同体的共同責任を正当化するために、どのような神学的根拠を提示しているのですか。
52.「カリスマ」と信者の「役務」をどこまで認めるつもりなのでしょうか。
第四章 教会改革
41.どのようなレベルで教会の構造を変えるべきなのでしょうか。
シノドスのための準備文書によると、教会の構造は、以下の三つのレベルで変更されるべきとされています。
1.教会が普通に生活し活動するスタイルのレベル。
2.教会の構造と過程のレベル。
3.シノドスの過程と行事のレベル(78)。
「大陸ステージのための作業文書」は、司祭とそれ以外の天主の民との間の隔たりをなくさなければならないことを確認し(19番)、叙階された役務を中心に築かれた教会像(67番)や、独裁的傾向を助長したり司祭と信者の関係を分断したりする位階的構造(33番)を克服することを確認しています。同文書は、シノドス的な制度モデルを提案しており、それは、現在存在しているピラミッド型の権力を解体し(57番)、教会生活が、特に制度と統治機構に関して(71番)、聖霊が信者に授け給う賜物(66番)に応じて、すべての人の共同責任を真に実践することを本当に可能にするようなものです。同文書はまた、さまざまな評議会(小教区評議会、司祭評議会、司教評議会)が単なる協議の場ではなく、共同体的な識別過程に基づいて決定される場であることを望んでいます(78番)。
42.これらの変更は典礼にも影響を与えますか。
はい。典礼に関して、準備文書は、すべての信者の積極的な参加を可能にするシノドス方式の典礼祭儀の実施を提案し(91番)、司式司祭が過度に強調される現在の典礼を再考しています(93番)。
43.シノドス推進派によれば、教会の主な問題は何でしょうか。
シノドス推進派は、教会の主な問題は聖職者主義、すなわち、教会を聖職者と信者の間で、すなわち教導教会(Ecclesia docens)と聴従教会(Ecclesia discens)の間で分断する位階構造にあると主張しています。
準備文書は、「耳を傾けることと識別することの共同過程が欠如していること」を訴え、「独裁的傾向を助長する位階構造、個人を孤立させ、司祭と信者との関係を分断する聖職者的かつ個人主義的な文化などの構造的障害の持続」を指摘しています。同文書は結論として、「聖職者を孤立させ、信者に害を与える文化である…聖職者主義を、教会から取り除くことの重要性」(79)を強調しています。
44.聖職者主義をどのように治療するのでしょうか。
シノドス推進派にとって、聖職者主義の治療法は、洗礼を受けたすべての人の平等な尊厳と、信者のカリスマおよび役務の価値を認めることによって、「共同責任」を実行することです。なぜなら、「現在の司牧構造の指導者たちと多くの司祭のメンタリティーは、この共同責任を育んでいない」(80)からです。彼らは、「異なるカリスマと異なる役務の交わりである『すべてが役務的』である教会へと向かうために、叙階された役務を中心に構築された教会についてのビジョンを克服する」必要があると見ています(81)。
45.教会の現在の構造に対してどのような適応がなされるべきでしょうか。
シノドス推進派は、共同責任のダイナミズムが「教会生活のあらゆるレベル」に浸透すべきであると主張しています。
バチカン国務省はこう例を挙げています。「司教協議会は、団体主義を維持し、いかなる圧力も受けない意思決定の自由を維持しながら、さまざまな教区の聖職者および信者の代表を含むべき」(82)であるとされます。
教区レベルでは、司牧評議会は、「包摂、対話、透明性、識別、評価、そしてすべての人のエンパワーメントの場として、ますます制度化されるよう求められる」(83)とします。
小教区レベルでは、「教会はまた、特に統治に関して、自らの制度や機構にシノドス的な形や進め方を与える必要がある」(84)と言います。国務省はパプアニューギニアとソロモン諸島の提案を紹介します。「小教区で何かをしたいとき、私たちは一緒に集まり、共同体の皆の提案を受け、一緒に決定し、一緒に実行します」(85)と。
46.この団体主義は緊張や意見の相違を生じさせませんか。
緊張は自然に生じるものですが、「私たちはそれを恐れるのではなく、絶え間ない共同体的な識別の過程の中でそれを明確にし、破壊的なものにならないように、エネルギー源として活用するようにすべきです」(86)と説明します。
47.この過程は現代の民主主義とどう違うのでしょうか。
「シノダリティに関する強調が、教会を民主主義的な多数決原理に依存した機構や手続きの採用へと向かわせるのではないかという…懸念」を和らげるために、大陸ステージのための作業文書では、「決定は、民主主義体制で用いられる多数決原理ではなく、共同体的な識別の過程に基づいて行われます」と述べて【現代の民主主義とは違うとして】います(87)。
48.「共同体的な識別」とは何ですか。
準備文書では、「天主の民の感覚と司牧者の司牧的機能との間の実りある結びつき」(88)を通して、「相反する利害の代表ではなく、福音化という共通の使命に対する相共にする情熱」の実りである「全会一致のコンセンサス」に達するまで、耳を傾ける努力をすることが必要であるとしています。
この意味で、位階階級は、論争に独断的に決着をつけるために教える権威を行使することはありません。それでも、コンセンサスのある統合に達するまで、テーゼとアンチテーゼの間の緊張が高まるのを許します。【こうして到達した同意が「共同体的な識別」と言われます。】
49.教会の統治とはどのようなものになりますか。
シノドス推進派にとって、どのような統治の施策も、共同体内での協議と推敲、それに続くそれぞれの権威による検証という二つの段階を経なければなりません。
国際神学委員会は次のように書いています。「シノドス、集会、評議会は、その正当な司牧者なしに決定を下すことはできません。シノドスの過程は、位階的に構造化された共同体の中心で行われなければなりません。例えば、教区では、識別、協議、協力の共同行使を通じた意思決定の過程と、使徒性とカトリック性の保証人である司教の権限内での意思決定の過程とを区別する必要があります。物事を解決することはシノドスの仕事であり、決定は司教の役務的責任です」(89)。
50.信者の意見と教皇の意見が食い違う場合、どちらが優先されるのでしょうか。
教皇庁立法評議会名誉会長フランチェスコ・コッコパルメリオ枢機卿は、シノドス的な解決策をこう提案しています。「教皇は、特に重要な教導権行為や特に重要な統治行為を、個人としては決して行わないことを約束することができだろうし、その結果、共同体の主体としてそのような行為を行うよう常に司教団に要請することができるかもしれません」(90)。
従って、信者の意見と教皇の意見の間に乖離がある場合、教皇は自らの不可謬権を行使しないことを、また同時に、共同体との対話を継続することを約束することでしょう。教皇フランシスコがアマゾン・シノドスについて以下のように語るとき、そのことを示唆しているように思われます。
シノドスの教育学の豊かさと独創性の一つは、聖霊が教会に語られることに共同体で耳を傾ける方法を教えるために、まさに議会用の論理の使用を避けることです。…
私はある意味で、シノドスは終わっていないと思いたいのです。私たちが目撃した過程全体を受け入れるこの時間は、私たちが共に歩み続け、この経験を実践に移すための挑戦なのです(91)。
51.シノドス推進派は、教会生活における共同体的共同責任を正当化するために、どのような神学的根拠を提示しているのですか。
前述したように、シノドス推進派にとって共同責任とは、すべての受洗者の平等な尊厳と、信者のカリスマおよび役務の承認に基づいているとされます。
国際神学委員会が用意したシノダリティに関する文書によると、信仰の感覚(sensus fidei)と、一致と統治という司牧の役務を行使する人々の権威との間の循環性が、「すべての人の洗礼の尊厳と共同責任を促進し、聖霊によって派遣されたカリスマが天主の民の中に存在することを最大限に生かし、ローマの司教と団体主義的かつ位階的な交わりを持つ司牧者の具体的な役務を認めます」(92)とされています。
52.「カリスマ」と信者の「役務」をどこまで認めるつもりなのでしょうか。
今回の「シノダリティに関するシノドス」におけるすべてのことと同様に、信者のカリスマと役務もまたオープンな議論の対象で、これは常に進化しています。
いくつかの提案は非常に急進的に見えます。例えば、ラテンアメリカとカリブ海の大陸統合は、解放の神学と2019年のアマゾン・シノドスの結論に強く影響され、アマゾンの部族におけるものも含め、あらゆる「自発的な役務」を認めることをこう提案しています。「合法的に、自発的な役務やその他の認められた役務を含め、洗礼の召命から生じる多くの役務があり、それらは制度化されていないものであり、また、その訓練、使命、安定性をもって制度化されているものもあります。先住民の中には、自分たちは役務を持っていて、すでにその役務を生きているものの、教会制度では認められていないと指摘する人さえいます」(93)。
アマゾン・シノドス文書が、特に、魔術師やシャーマンの働きを教会の役務として認めることを暗黙のうちに要求していたことを思い起こしましょう。