2024年2月11日無原罪聖母の騎士会霊的講話1(ファイファー神父様)
【講話1:マリアは私たちの母】
わたしは日本に来てとてもうれしく思います。初めて日本にまいりました。子どもの頃日本の映画を見たことがあるのですけれども、来たことがありませんでした。日本語が話せなくて申し訳ございません。日本語を勉強するには長い時間がかかりそうです。
無原罪の聖母の騎士会、Militia Immaculatae、この霊的な戦いにおいて最も大切なのは、わたしたちの指揮者であるマリア様に一致していることです。
この指揮者であるマリア様は、わたしたちの御母であります。ですから、今のこのお話は「マリア様はわたしたちの母である」ということについて考察いたしましょう。なぜマリア様は私たちのお母様であって、それと軍隊とどういう関係があるのでしょうか。
マリア様がわたしたちの御母であるというのは、まずイエズス様を肉体的にお産みになったお母様であるからです。そしてそのイエズス様がこの世界にお生まれになられたその理由はたった一つであって、それは私の霊魂のそして皆さんの霊魂の救い主・贖い主となるためであった、ということです。
大天使聖ガブリエルはマリア様にこういいました。:「見よ、あなたは胎内に子を宿すだろう。そして、男の子を産むだろう。そして、この彼はいと高きものの子と呼ばれる。そしてそののちに、聖霊があなたの上に臨んで、そしていと高き者の力があなたを覆う。あなたから生まれる者は 聖なる者、天主の子と呼ばれる。」その“子ども”と言う言葉が、子を宿す、子を産む、天主の子と呼ばれる…などとその“子ども”という言葉が、(三回)出てきます。
あなたの胎内の子ども、そして、いと高き者の子・天主の子、その二つがあるのです。“あなたの子は聖なる者であって、そしてダビデの子であって、ヤコブの家を永遠に治める"という預言の言葉が出てきます。“この王国には終わりがない”とも言います。
ですから、王国のために来るのですけれども、イエズス様は征服するためにこの世に入りました。そしてその最初の勝利の者はマリア様でした。
イザヤはイエズス様についてたくさんのことを預言しているのですけれども、イザヤの預言によると「キリストの御前に常におきてがあって、そしてそのキリストの御手にはその報いがある」と。
もちろん、イエズス様のおきてが御前にあったというのは、つまり十字架のふもとにおいて死を迎えなければならないというおきてが御前にあったのであって、その報いというのは多くの霊魂たちを贖うという報いなのですけれども、しかしそのもっとも根本的なおきてと最も根本的な報いはすでにマリア様において成就されました。つまり、マリア様はイエズス様のおきてとして常に御前にあって、30年間マリア様のいう通りに(かれらに)イエズス様は従われたのであって、そしてマリア様は最初の贖いの実りとして――贖いの実りを先取りしたものとして――無原罪の御孕りとして――報いとしてできました。ですから、マリア様においてこのイザヤの預言が完璧に成就した、と言えます。
このマリア様が実は大勝利だったということは、サタンにとっては隠されていました。サタンはすでに負けたということを知りませんでした。しかしマリアさまにおいてイエズス様の贖いのすべての功徳が適応されていたので、その勝利は最初の勝利であって、完全な勝利であって、最終的な勝利でした。ですから、マリア様が今後お持ちになるすべての聖徳・愛徳、それらはすでにイエズス様の功徳によって贖われてきたものであって、そしてマリア様のその聖徳や愛徳その他すべての徳などは、わたしたち(に適応されるそ)の贖いの予告であります。
もしもわたしたちが洗礼を受けるならば、それはマリア様の無原罪の御孕りを真似することです。マリア様のような完璧なまったく罪のない者となりきることは――もしもできないかもしれませんが、しかしそれの真似を始めるわけです。またわたしたちが死後天国に行くことは、それはマリア様の被昇天を真似することです。それと同じように、わたしたちの霊魂の一人ひとりの悪魔に対する勝利あるいは贖いはマリア様の勝利の真似であって、イエズス様がマリア様の霊魂になさったことをわたしたちも真似するわけです。
マリア様はイエズス様の母でありわたしたちの母となりますが、それはただ主がそうだ!と定めたから自動的になったというだけではなく、マリア様がそのために協力されました。マリア様が信仰とそして自由意思と愛をもって、主の玄義にハイと答え、それに同意したからです。ですから、もしもわたしたちの母になるという時も、ただイエズス様がそうだと決められたのではなくて、マリア様の同意があったからこそ、母になることができました。
イエズス様は、わたしたちを贖ったのみならず、主が造ったすべての被造物を回復するためにも来られました。そのすべての天主の栄光とすべての御業をイエズス様が回復するのですけれども、それがマリア様のうちに最も完璧になされました。ですからマリア様は教会の母と言われていて、そのすべてのものを回復させる最も素晴らしい原型となっているからです。
マリア様が完璧にわたしたちの母となったのは、イエズス様がお生まれになったときです。なぜかというとイエズス・キリストとわたしたちはキリストの神秘体を作っているからです。イエズス様は神秘体の頭(かしら)であって、わたしたちはその体の一部です。でもマリア様は頭だけの怪物をお産みになったのではなくて、すべてのキリストの神秘体をお産みになったのですから、キリストの御母となるときにキリストと将来一致するべきわたしたちをもお産みになって、その母となりました。
聖マリ・グリニョン・ド・モンフォールは、多くの聖人たちの言葉を引用して、マリア様は頭(かしら)を産むと同時に体の肢体もいろいろな部分も産み出したのだから、マリア様の子どもであるということをしないで誰もキリストの神秘体の一員となることはできない、と言っています。
またマリア様は、イエズス様の御母となられたその瞬間にキリストの生涯のすべての神秘と一致して、それに協力しました。贖いのすべての業に協力しました。同意しました。それなので、イエズス様の勝ち取ったすべての功徳というのは、マリア様の協力とともに勝ち取ったものなのです。ですからマリア様がイエズス様と共にイエズス様に協力してこの地上に生きておられているあいだに積極的に協力したそのやりかたを、イエズス様はいま永遠のなかで21世紀のわたしたちにそれを適応させようとするのですけれども、マリア様も同時に1世紀にいたと同じように21世紀のわたしたちにも、積極的にそして臨在してわたしたちにそれを適用させようとしています。
マリア様がまたわたしたちの母であるというのは、苦しみの神秘の中においても明らかにされます。もちろんこの地上のお母さんたちは子供を産むときに陣痛の苦しみがありますが、イエズス様は私たちを贖うために極めて高い最高の程度の苦しみをわたしたちのために受けました。そして、マリア様も非常に高い程度の苦しみを、わたしたちの贖いに協力するために苦しみました。ところで聖パウロは、イエズス様が苦しんでいたその1世紀にはまだ生まれていなかった21世紀のわたしたちのことをさえも「キリストはわたしたちの罪のために苦しんだ」と言います。つまり、時間を超えて超越して、のちに来るわたしたちの罪のためにイエズス様は苦しんだとあるので、イエズス様の苦しみの神秘は時を超えているということがわかります。ですから、マリア様もわたしたちを聖寵に産み出すためにイエズス様と共に苦しんだといえます。ところで、キリストにふさわしい御母となるためにマリア様は無原罪の御孕りでなければなりませんでした。無原罪の御孕りになるためには、苦しみは全くありませんでした。キリストの御母となるためには苦しみは必要ではありませんでしたが、わたしたちの母となるためには、恐ろしい陣痛の苦しみをキリストとともに受けなければなりませんでした。
またマリア様は、わたしたちを代表しています。どういうことかというと、マリア様においてすべての旧約聖書と新約聖書の最も高い天主に対する愛が代表されています。たとえば、皆さんがキリストのためにやりたい・捧げたいと思われること、あるいは思わなければならないこと、あるいは聖ベルナルドあるいは聖ドミニコその他の聖人たちがキリストのためにしたこと、それらすべてはすでにマリア様において最も完全なやり方でなされています。つまりマリア様はすべての新約の聖人たち旧約の義人たちの代表であって、かれらがやったことを最も完璧な形でなされた代表と言えます。
このマリア様をご覧になると、マリア様は悲しげな御顔をしています。汚れなき御心は悲しみに満ちておられます。マリア様は天国にいるはずではないでしょうか。天主の栄光に、そして至福を楽しんでいらっしゃるはずではないでしょうか。なぜそんなに悲しそうな顔をしているのですか。なぜかというと、マリア様は私たちの永遠の救いのことを心配されているからです。なぜかというと、わたしたちが永遠の至福をいとも簡単に失うことができるからです。わたしたちがいとも簡単に大罪を犯してしまうことができるし、信仰を失ってしまうこともできるし、地獄に落ちてしまうことが簡単にできるからです。ですからマリア様は、わたしたちの救いのことを思って悲しげな御顔で心配をしているのです。
マリア様のことを考えるにおいて、聖霊の働きを見てみます。なぜかというと、聖霊の働きはわたしたちを聖化することであり、わたしたちの霊魂を聖なるものとすることです。ところで聖マリ・グリニョン・ド・モンフォールによると、天主の働きにはパターンがあって これを変えることはない、といいます。キリストは聖霊によってマリア様の胎内に形作られました。おなじように、わたしたちをキリストのようにキリストのものとして形成させるためには、聖霊の働きが必要です。その聖霊が働くのはマリア様の胎内だからです。キリストは聖霊によって、砂漠に導かれそこで断食をしました。また聖霊降臨の時にマリア様の祈りをもって聖霊は降臨しました。聖霊の働きのためにはいつもマリア様がいらっしゃるということを、マリア様によるということを、お望みだからです。それがパターンだからです。行動のパターンだからです。
イエズス様は御受難の前に「私はかれらのためにこれを捧げる……」と御父に祈られ、そしてマリア様は天国でキリストと一致してわたしたちの聖化のために祈っておられます。ところで皆さんが隣人のためにお祈りをされた時のことを思ってください。わたしたちが彼の回心のためにお祈りするというのにお祈りすればするほど実は回心どころかますますひどくなっているのを見ると、どれほど心が痛むでしょうか。あるいは彼が聖なるものとなるようにとお祈りしているにもかかわらず、全然そうでないのを見るとどれほど辛い思いをするでしょうか。マリア様も同じようにわたしたちのために、私たちの救いと聖化のためにお祈りされています。
聖霊は、マリア様の祈りとともにわたしたちの聖化をします。これは戦いの場所です。肉の欲望と霊の望みが対立しあっているからです。大きな巨大な戦いが行われています。
では、このものすごい恐ろしい戦いが続いているときに、わたしたちはどうすればよいでしょうか。ある態度はフランシスコ教皇様のようにわたしは罪人を祝福して罪に同意する――罪人に同意する、罪を祝福する、と言うべきでしょうか。それとも「ああ、あまりにも戦いが恐ろしいのでわたしには何もできない。いやっ、もうどうでもよい。なるようになればよい」というべきでしょうか。それとも、多くのカトリック信者はこのような態度をとっています…「私は関係ない!」。ところでわたしたちはそうではなくて、少数ですけれども、「いやっ、私はマリア様に協力したい。この霊魂の救いのために協力したい」と思うのでしょうか。
マリア様は、いったいどんなことをわたしたちにおっしゃるでしょうか。マリア様はこうおっしゃいます。「わたしの子どもたち、ああ息子よ、ああ娘よ、お前たちはまだこの母の心を、罪を犯し続けることによって剣で貫き続けるつもりなのですか? 無関心や罪や悪徳を続けて、わたしの心を傷つけ続けるのですか? 私に戦い続けるのですか?」
まだ日本ではそうではないかもしれませんが、しかし時は非常に近づいています。なぜかというと、あまりにもこの世界は悪徳に溺れているからです。ソーシャルメディアその他のものがわたしたちにあって、大罪を侵さないようにする唯一の手段は私たちが聖人となるしかありません。つまり御母であるマリア様を崇敬して、そして聖人になるしかありません。その時がもう来ています。
わたしたちがいま、ものすごい戦いの中に入っているということを、お判りでしょうか。もしもわたしたちがマリア様の子であるならば、マリア様を愛しているならば、それは何を意味するかというと、悪魔はわたしたちを憎むということです。もしもそうでないとしたら、ほんとにわたしたちはマリア様を愛しているのでしょうか。マリア様のように罪のない生活を心がけしているのでしょうか。わたしたちは天の遺産を受ける者であって、そのために戦っております。しかしその戦いのなかにいるということを、わたしたちがよく自覚しなければなりません。M.I.は無原罪の聖母の騎士会はそのことをわたしたちに思い出させて、そして勝利の希望を与えてその勝利の手段を与えてくれます。
わたしはフィリピンでこのMilitia Immaculatae 無原罪聖母の騎士会の指導司祭としてよくお話をするのですけれども、フィリピンの人たちは、一般には貧しい人たちが大部分です。でもそういう人たちに私はたぶん「あなたはおかあさんのために何かをしようと思いませんか。お母さんは皆さんの助けを必要としています。わたしたちのお母さんは多くの人の霊魂の救いを望んでいます。でも皆さんの協力が必要です。」するとフンフンといいます。いったい誰がお母さんからの助けてほしいというのにそれを断ることができるでしょうか。無原罪の聖母の騎士会の目的は二つあります。一つは、すべての霊魂、どのような人であったとしても、すべての人々の霊魂を救うことです。とくにフリーメイソンの霊魂たちを救おうとすることです。そしてもう一つの第二の目的・ゴール・目標は、どのような霊魂たちもそれがより聖なるものとなるようにその聖化のために尽くすということです。
マリア様の軍隊に入るにおいて一番大切なのは、マリア様のお望みのものとなるために自分を奉献することです。マリア様の目的のために奉献することです。そして、霊魂たちの救いと霊魂の聖化のために、道具となることです。ですから私たちが聖人になることを要求されているわけではありません。わたしたちに要求されていることは非常に単純なことであって、それはまず不思議のメダイを身に着けること、それから一日一回、少なくとも一回、全部で18秒しかかからないようなひとつのお祈りを唱えることです。でもこうすることによって、いま世界で約10億人いるといわれているカトリック信者、つまり戦闘の教会に属しているすべての人々が、もしもこれを自覚しているのだとしたら、その小さな協力が巨大な力となって、マリア様の勝利のために大きな貢献をなすことができます。無原罪の聖母の騎士会は、そのすべての人がわたしたちの母のために協力できるということを思い起こすことにあります。
では今から少し休息を入れて、次のお話は二時半からです。その間ここで黙想したり、あるいは外で軽いストレッチしたりして目を覚ますようになさって、次のお話を聞いてください。二回目のお話が終わりましたら、無原罪の聖母の騎士会の更新式あるいは入会式があります。それについてまた次のお話しで詳しく説明いたします。