アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
長崎巡礼でシュテーリン神父様がなさった霊的講話【その3】をご紹介いたします。どうぞお読み下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年5月2日 長崎巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【その3】
同時通訳:小野田圭志神父
今日は皆さんに、聖マキシミリアノ・コルベの生涯について、導入をお話したいと思います。
今日、長崎の巡礼の最後の1日となりましたけれども、色々な奇跡について黙想して、その奇跡の場所に行きます。
1つは、司祭なくして250年間信仰を守り通した、その信徒たちが発見された所の奇跡。この奇跡というのは本当に教会史上ユニークで、もう特異なものであって、他に例を見ないものでありますので、この事だけでもインマクラータのマリア様に讃美をしなければなりません。この約10世代にも渡る信徒たちが信仰を、司祭なく、或いは本もなく、色んな構造もなくこうやって信仰を守り通したのは、マリア様の取り次ぎなくしてはありえない事だからです。
今日の第2の奇跡というのは、ここに特別な使徒を宣教師を、日本のこの長崎の地に送り込んだ、マリア様は送り込んだという事です。この宣教師は、まさか将来自分が長崎に来る事になるだろうという事はゆめゆめ思わなかった人なのです。
この人この方は、ポーランドの小さな村の工業的な町で1月8日に生まれました。その時の生活状況は非常に厳しいものでした。よく当時行われた事は、長男であれば、長男にたくさん両親はお金をかけて学校にも通わせるし、色々な事を資本を費やすのですけれども、長男ではありませんでした。他の次男三男など他の子供たちは、この長男を養う為にたくさん働かなければなりません。皆はこの事に同意していて、それが良い事だと思っていました。そこでライモンド君も両親を助ける為に一生懸命働こうとしました。
小さな時からちょっと難しい子供でした。この子供のライモンド君は、戦う能力と、いつも腹を立てる事ができていて、いつも毎日のように家に帰ってくると傷だらけで、汚い服を着ていて、いつも喧嘩して帰って来ました。カトリックのポーランドの家族がいつもそうであるように、この家族も非常に信心深いものであって、ライモンドが喧嘩好きだったからといって信心がなかったわけでありません、敬虔じゃなかったわけでありません、その反対です、マリア様に深い信心を持っていました。
ここで2つの事が分かります。よくこれは普通の事なのですけれども、カトリックの環境と雰囲気と、原罪を持って生まれてきた人間のその性、その2つです。私たちも全く同じです。今はとても良いカトリックの環境の中に、今巡礼に来ています。でもその環境の中でも、私たちには悪い性格を持っていたり、怒りっぽかったり、角を生やしていたりします。聖人というのは天から降ってくるようなものではなくて、私たちと同じ人間であって、時には私たちよりももっとひどい性格を持っている人たちです。ライモンド君はもっと悪かったのです。
お母さんはライモンド君を厳しく、厳しい言葉で表現しています。そのお母さんはある時ライモンドにこう言うのです、「ライモンドや、お前こんな事をしていると、お前良くなるどころがますます悪くなって、本当にもうヤクザで終わっちゃうよ。」するとそのお母さんの言葉を聞いて、「え!?何か極道のヤクザになるって!?一体何の事なんだ!?一体自分に何が起こってるんだ!?」と目を覚ましました。
そこでライモンド君は、私たちが皆しなければならない事をしました。それはマリア様の所に行って、助けを求めたのです。
ライモンドはとても良い誠実な子で、たとえ喧嘩をしている時でも誠実でした。例えば喧嘩をして帰ってくると、お母さんにこの杖を与えて、「お母さん、どうぞ。」と言って帰ってきました。ライモンドはそれは正しかったのです。何故かというと悪い事をして、してはいけない喧嘩をして、お母さんから罰を受けなければなりませんでした。ですからその罰を受けるのは正しかったのですけれども、その翌日もまた喧嘩をし続けます。
将来ライモンドは、何千何万人の人々と接触しなければならなくて、このような人々が「やはり原罪を持っている、自分と同じように弱さを持っている」という事をよく理解していました。皆さんも同じようにご覧になって下さい。皆さんは自分の悪い性格の為に苦しんでいます。皆さんが犯した罪の為に苦しんでいます。何回やっても何回やっても、自分の悪い性格は直らないので、腹を立てています。ライモンド君がやったと同じ事をして下さい。いつも常にマリア様の元に行きました。誰からも見られないような脇祭壇に行って、その教区の教会の脇祭壇に行って、長い間マリア様の前でお祈りをしていました。
するとこの若いライモンド君に幼いライモンド君に、2つの冠の神秘が起こったのです。マリア様が彼に現れて、2つの冠を見せました。白い冠と赤い冠です。白の冠は白い殉教で、つまり「貞潔の殉教」です。赤は血の殉教で、「血を流して死ぬ殉教」です。後でよく考えてみると、この白い殉教というのは、「マリア様の汚れ無き御心の為に、汚れ無きマリア様の為に全命を、全ての命を捧げて、マリア様の為に生きる」という殉教の冠でした。赤の冠というのは後から考えてみると、彼が、「憎しみや憤りなど悪魔的な思いの中に入り込んで、彼らの為に祈り働いて死に至るまで働き尽くす」という殉教の、血の殉教の冠でした。
これは冠です。冠というのは、これは「報い」の事です。白の冠は、マリア様インマクラータの為に全て尽くしたその報いの冠です。赤の冠は、霊魂の救霊の為に尽くした、その尽くした努力への報いです。
このビジョンを見た時にライモンドは何も言いませんでした。もしもこのビジョンの後に、完璧な根本的な全体的な彼の生活の変化がなければ、もしかしたらこのビジョンはなかったと疑う事ができたかもしれません。この小さなライモンド君がこんなにもガラリと変わってしまったのが分かったのは、それはお母さんでした。
「ライモンド、ちょっと来なさい。」とお母さんが言います。「どうかしたの?病気なの?何か女の子のようにいつも泣きべそをかいてるね、昔のようじゃないね。昔はよく汚い服を着て帰って、泥んこになって傷だらけで血を流して帰ってきたのに、この頃は何かどこかに消えてなくなって姿を見かけないけど、何かうつ病でもなったの?」ライモンドは何も言おうとしません。「ライモンドちゃん、従順でお母さんの言う事をよく聞かなければなりませんよ。全て、ちゃんと全て言いなさい。」それでお母さんの元にこう抱きついて、「わぁ~ん、わぁ~ん!」と言って、お母さんに全てを話します。
お母さんはライモンドのそういう話を聞くと、でも夢想家でもなかったし、すぐそのような話をコロリと信じて騙されるような女性ではありませんでした。地面にちゃんと大地に足を付けて踏ん張って生きているお母さんなので、それを最初は信じようとしませんでした。私たちはそのお母さんがライモンドにその時に何と言ったかは記録に残っていないので分かりません。しかしライモンドはこの話を他に誰にも言いませんでした。お母さんだけに言って、私たちはその話をお母さんからのみ知っています。しかもこの子供は全てをマリア様にインマクラータに委ね尽くしてしまったのです。
マリア様はライモンド君に今した事を、皆さんにもしようと望んでいます。もちろん皆さんはビジョンを見るわけではない、と願っています。もしも、もしも皆さんが「あぁ、神父様!ビジョンを見ました!」と来たらちょっと困ってしまいます。
マリア様だけが私たちの心を変える事ができます。マリア様だけです。何故かというと、天主様がマリア様だけにそれを与えたからです。マリア様はこの心を変える事を望んでいます。コルベ神父様がこう言うのを聞いて下さい。「マリア様、もしもあなたが御身が私を打ち捨ててしまうなら、私が引き寄せている連れている他の人たちも一緒に捨ててしまう事になります。もしもマリア様、あなたが私に手を伸ばして下さるならば、私はその私の導いている全て全世界をあなたの元に連れて行きます。そしたら私は大聖人になる事でしょう。」
これは本当の謙遜によって行われます。なぜ謙遜かというと、自分の力に全く信頼を置かずに、全てマリア様の御手に委ねているからです。コルベ神父様は後にこのビジョンの事を「回心」と言うのですけれども、そのご自分の全生涯の種は、その行動原理の種は、この回心のこの瞬間に植えられました。
その後で、小教区に宣教師たちがやって来て御説教をしました。そのお兄さんと自分は2人の兄弟、他にも兄弟がいるのですけども、2人はその宣教師の話を聞いて、「わぁ!マリア様の為に人生を捧げたい!」と思いました。でも貧乏だったのでお金がありません。学校にも行けなかったので、お兄さんだけが学校に行く事ができました。ライモンドはお母さんのお手伝いをして、お店のお手伝いをしなければなりません。
ライモンド君のお母さんは産婆さんとして働いていました。お母さんはですから、この身籠ったお母さんたちをたくさん助けていたので、いつも家にいる事が少なかったのです。そこでライモンド君が家での料理人になりました。実は自分の家の小さなお店では薬も売っていたのです。薬はラテン語で書かれていたので、「薬を買いたい」という人が来ると、そのラテン語の名前を自分で覚えてしまいました。
お母さんは看護婦で産婆さんでもあるので、ライモンド君はいつも薬の調達にも活躍しました。ライモンド君が薬局に行って、「あの私はこのパラセタモルと○○と」とラテン語でベラベラベラーッとラテン語の薬の名前をズラズラズラーッと言うと、「え!?何でこの子はラテン語を知っているのだ!?」と、「難しいこの名前を良く知っている!」と薬局の人は驚いたのです。するとライモンド君は「僕は侍者でね、ミサ答えをしているからラテン語は神父様が教えてくれるんだ!」と言いました。でも神父様はお祈りはラテン語で唱えるのを教えましたけれども、ラテン語を教えたわけではありませんでした。このようにこう話を大げさに言ったりするライモンド君はまだ、回心した、聖人になったとは言い切れませんでした。でもライモンドが分かった事は、「マリア様に全てを委ねると、マリア様は全て準備して下さる」という事が理解できたのです。
ライモンドは司祭になりたかったのです。しかし人間的に言えば、司祭になる事は全く不可能でした。全く無理で、門は全て閉ざされていました。でもライモンドはマリア様にインマクラータにそれを委ねて、「マリア様がして下さるから」と、それを心配しませんでした。
ところでこのマリア様は、ライモンドの弱ささえも使って、ライモンドにその司祭職の道を開こうとしました。例えばライモンドのラテン語の名前を聞いた薬局の人は、「あっこの子すごい!」と思って、それで「俺が君にラテン語を教えてあげるよ。」とラテン語の先生になる事を名乗り出たのです。こうやって状況は非常に不思議な事に回って、ライモンド君はお兄さんと一緒にフランシスコ会の小神学校に入学する事ができるようになりました。
次の天才的なこの若い男の子のエピソードがあります。入学した時には、入学したてで凡人だった学生ですが、数ヵ月後にはクラスでトップになります。ライモンド君は数学の先生に時々、先生でも答える事ができないような難しい質問をするので、先生が何と返答して良いか分からなかったほどでした。
2つライモンド君の特別な能力がありました。1つは戦略家で、例えば戦略ゲーム戦争ゲームがあると、そのゲームでどうやって戦略を立てて、どうやってゲームに勝つか、という事を計算する事ができました。その時ライモンド君を知っていた人々は皆、「あっ彼はきっと兵士に、軍人になるだろう。彼は戦略家であって、戦略の才能がある。」第2の特徴は、数学とか物理とかに非常に興味があって、非常に高い才能を見せていました。ライモンドがその時考え出したのは、月にまで飛ぶ事ができる機械で、自分で考え出しました。そういうライモンド君を知っている人は、「おそらく、あぁ彼は将来科学者になるだろう。世界をリードするような科学者になって、全世界を驚かすだろう。」と思っていました。
天主様は、御自分の子供たちにどのような才能を与えるべきかよく知っています。しかしこのような才能は、より天主のより大いなる栄光と、霊魂の救いの為だけに与えられているので、その為に使わなければなりません。こうやってライモンド君は修練者となって修道士となって、すると修道会は、「彼はとても才能がある子だから」と言ってローマに送る事を決意します。ポーランドで全世界の神学生たちが夢見る「あぁローマ、ローマで勉強できる、ローマの神学校で勉強する。それはもう何という栄光であって、何という夢であって、それが実現できる」という事でした。
修道名をマキシミリアノと受けたライモンドは、「ローマに行く?えぇ、ローマ…?」と言って恐れました。何故でしょうか?
2つの冠の事を覚えていますか?マキシミリアノはインマクラータの為だけに仕えようと思っていました。でもその同じ修道会の修道者の人たちから、ローマの嫌な噂話を聞いていました。「ローマには悪い女性がたくさんいる。」と。「何故かというと、そういう女性たちは、こう神学生の周りをうろついて、神学生たちを誘惑して、その神学校から出してしまおうとしている。」という噂話でした。マキシミリアノは16歳でした。そこでマキシミリアノは長上に言って、「神父様、私の名前を外して下さい。」と言うと、神父様は、「え!?ローマに行きたくないの!?」と言います。「あの、ここに居たいんです。」
ところでそう言った後に、自分の部屋に戻って考えてみると、「長上の神父様は私に『ローマに行け』と言うのに、私が『嫌だ』と言うのは、これは従順だろうか?私はインマクラータに無原罪のマリア様に従順でなければならない。」長上の部屋に戻って、ノックノックノック、「神父様、やっぱり戻して下さい。」「君、どうかしたの?」「神父様、神父様はローマに行けと仰いましたね。神父様長上の命令は天主様の御旨です。でも私はただ、ローマにいる悪い女の人たちを恐れたのです。でもそれは私の意志でした。この名前を外して下さいというのは、私の思いでした。でも私は天主様の御旨だけを果たしたいのです。」
ここに2つの原理があります。まず第1は、「インマクラータへの愛が汚れ無きマリア様への愛は、私たちがいかなる汚れをも受ける事を許さない」という事です。「もしもインマクラータが私に火の中に飛び込めというのなら、私は飛び込む。インマクラータの無原罪のマリア様の御旨は命令は全てです。」これがマキミリアノ・コルベ神父様の全生涯でした。
マキシミリアノ・コルベはローマに行って、神学・哲学を勉強しますが、左手でその博士号を取ったりします、勉強します。しかしそんなのは簡単な事であって、もっとマキシミリアノ・コルベについて関心があったのは何だったのでしょうか?
マキシミリアノは何時間も何時間も、御聖体の前で時間を潰しました。そこで聖人たちの知恵を発見しました。そこで私たちの贖いの神秘を発見しました。特に勉強ではマリア様の神秘を深めるという事のお恵みを得ました。特別なお恵みも受けました。この祈りと黙想のその何時間で、長いお祈りを経て、マキミリアノは理解しました。それは「マリア様は元后であって、女王であって、戦いの指揮をする軍隊の総司令官である」という事です。
ポーランドの全歴史を黙想しました。ポーランドの歴史はマリア様の歴史です。もっと正確に言うと、ポーランドの歴史というのは、マリア様を信じ、マリア様の中に生きている人々の歴史です。ポーランドというのは、困難と戦争と戦いと苦しみの歴史の国です。ポーランドという国が生まれた途端、異教の国がこのポーランドという国を亡き者としようとしてやって来ました。マリア様のおかげでこのポーランドの人々はその戦いに勝ちます。
しばらくすると、北からプロテスタントがやって来て攻めて来ます。北から来た大軍にどうやって打ち勝つ事ができるでしょうか。このポーランドという小さい国は、もはやプロテスタントの国と成り果てるしかないかのように思えました。ところで非常に不思議な事は奇跡的な事は、プロテスタントの大軍がポーランドにやって来て、ポーランドの中央にある聖地チェンストホーバ、マリア様のいらっしゃるその聖地の直前で、突然それが侵攻が止まるのです。その瞬間は、ポーランドの王様が、マリア様の前に跪いて、ポーランドの全てをマリア様の御手に奉献した時でした。
その次には、離教の正教がやって来ます。それから次には、共産党が共産軍がやって来ます。しかしそのやって来る度に奇跡が起こりました。その攻撃を受ける度に、マリア様がポーランドを守ってくれました。例えばコルベ神父様が生まれた時には、地図の上にはポーランドという国はありませんでした。ポーランドはこの地上から消えて無くなってしまったのです。どこにも無いのです、この全世界でポーランドという国が。ロシアがまず一部を取って、オーストリアがもう1つを取って、プロイセンがまたその1つを取ってしまったのです。それでポーランドの人々はそのような国に分かれて帰属する事になっていたのです。これは3回起こりました、歴史の中で。それにもかかわらずポーランドの人々は「ポーランドの心、ポーランドの母」と、マリア様の元にいつも集まってお祈りします。
これはそのイコンは、チェンストホーバはイコンですけれども、実は「マリア様の御心」なのです。マキシミリアノ・コルベはこの事をよく理解しました。コルベ神父様はこう理解してこう言います、「歴史を見ると、本来ならば私の祖国は、敗戦のうちのまた敗戦、敗北の後の敗北、敗北、敗北の連続であったはずなのに、現実に起こった事は、勝利、また勝利、また勝利、また勝利。何故かというと、御身よマリア様、あなたが総指揮官であるからです。エトマンカであるからです。」
コルベ神父様はローマで、特に全世界に於けるマリア様の活動、マリア様の働きについて深く研究しました。特に詳しくルルド、最近起こったルルドの事を、不思議のメダイについて研究しました。ちょうどそのマキシミリアノ・コルベがローマにいた時から75年前、何故かというと75周年を祝っていたからですけれども、75年前、つまり1840年に、アルフォンソ・ラティスボン、教会を憎んでいた、教会の天敵であったユダヤ人ラティスボンが不思議のメダイによってカトリックに回心した、その回心の記念を行っていました。
1917年、第一次世界大戦のど真ん中にやってきます。ここでマキシミリアノ・コルベは、ローマでものすごい光景を目の当たりにして、その目撃証人となります。同時にモスクワでは共産主義革命が起こりました。この後、モスクワから全世界の半分を無神論的唯物主義に陥れる事でしょう。同時にフリーメイソンも200年、その存在200周年を祝おうとしていました。この200周年を祝うその場所はローマでした。フリーメイソンのトップランキングのような大人物がローマにやって来て、「ローマを反キリストの座に、反天主の座にしよう、教会の敵の座にしよう」と動きをしていました。イタリアの大統領はフリーメイソンで、教会を迫害しており、教皇様はバチカン市の中に、その外にも出る事ができない囚人のようでした。
フリーメイソンの人は教会のコピーをします。どういう事かというと、聖母行列、聖体行列のように、フリーメイソンはこう旗を持って、行列をして、「悪魔が、サタンが教会を踏み砕く、サタンが勝利を収める。」という行列をします。それはものすごい危険な事であって、神学生たちや司祭や修道士たちは、そのような危険な所に身を晒す事ができませんでした。神学校、或いは修道院の中に隠れてなければなりませんでした。皆、神学生や司祭たちは涙を流し、悲しみの中に、「一体ローマがどうなってしまったのか。」と言って憂鬱になっていました。
ここでマキシミリアノ、小さな若き神学生は、「何でそんなに気を落としているのですか?私たちはもっと強いじゃないですか。もちろん私たちは何でもありません。私たちはゼロです。もしも私たちがいくら集まっても、ゼロをたくさん集めてもゼロです。でも1がそのゼロの前にあれば、100万にもなるし、1億にもなります。皆さんみんなゼロです。でも1があって、それがマリア様です。」「あのねマキシミリアーノ、あんたは修道士じゃないか。あんた一体何ができる、1人で何ができるというのか。見ろ外を。この人たちはお金も持ってるし、政治家も持ってるし、法律もあるし、全てを手にしている。1人で何ができるのか。」「神父様、簡単です。彼らには軍隊がありますけれども、私たちにも軍隊があります。彼らのボスは悪魔です。私たちの総指揮官はマリア様です。神父様たちはいつも土曜日にどういうお祈りをするのですか?聖務日課でこう祈るじゃないですか、『あなたは御一人で世界の異端を滅ぼし給えり。』と。聖書の最初に何て書いてありますか?『彼女は悪魔の頭を踏み砕くだろう。』と。私の祖国ポーランドを見て下さい。マリア様はいつも無用の私たちを使って勝利を収めました。この最も教会の危機、教会が威嚇されて、脅されているこの時に、マリア様の元で働く聖母の騎士たちが、無原罪の騎士たちが必要だ、という事が分かりました。『無原罪の聖母の騎士』というのは言葉ですけれども、この言葉の裏に隠れたのはこういう事です、つまり『マリア様は勝利を収める事ができる。しかしその勝利を収める為には道具が必要だ』という事です。つまり天才的な画家は素晴らしいものすごい大傑作を描く事ができるけれども、それを描く為には筆が必要だという事です。」
そこでマキシミリアノ・コルベは「じゃあ、やれ。」という事で、やる許可を得ました。聖イグナチオがイエズス会を始めた時には7名いました。コルベ神父様が無原罪の聖母の騎士を始めた時には、やはり7名でした。
ファチマでは太陽の奇跡が起った、その3日後、聖マルガリタ・マリア・アラコックの祝日の前日、すなわち1917年10月16日の夕方、その16日のこの夕方、「無原罪の聖母の騎士」が始まりました。ですからこれはファチマの太陽の奇跡の後の3日後でした。
一体何が起こったでしょうか?その翌日、マキシミリアノ・コルベは、血を吐いて病気で倒れます。結核でした。結核はその当時、治療の方法が無い、もう死を待つしかない病でした。そこでマキミリアノ・コルベはすぐに結核病棟に隔離されて、「治るのを待つか、或いはおそらく死ぬのを待つだろう。」と言われました。
マキシミリアノ・コルベの最初の5年間のM・Iは「マラスム」と言われて、ちょうどMで始まりますけれども、つまり災害と困難との連続でした。ものすごい熱意を持って、「さあ、始めよう!」としたその翌日、長上から命令が下って、「そんな事は忘れて、さぁ隔離室に行きなさい。もしも病気が治ったらその事を考えなさい。」と言われました。
しかしマキシミリアノ・コルベは分かりました、「これはインマクラータの御旨だ。私は従順に従おう。」従順に従いました。これに従順でなければならなかったコルベの心からは、血が滴り落ちていた事でしょう。それだけではありません。他の修道会の皆がマキシミリアノの話を聞きました、「マキシミリアノを知っているか?何か『聖母の騎士』作ったって。それで翌日病気で隔離室だって。ブーッ。」「見よ、おーい、大軍隊を作ろうとするあの男よ。」「おぉマキシミリアーノ、これがお前の夢の終わりだ。」7名一緒に始めた7名も、7名のうち数名かは、「な~んだ。」と言って馬鹿にし始めました。これは本当に、大変難しい苦しい事でした。
マキシミリアノ・コルベは、病気の為に勉強する事さえも難しくなって、叙階を受ける事さえも難しくなってきました。それでも4月28日、1918年4月28日、司祭に叙階されます。それは聖グリニョン・ド・モンフォールの祝日でした。
司祭となってポーランドに帰って、「あぁ、これで司祭になった!ポーランドに帰ってきた!さぁ救霊の為に働こう!」と思っていました。多くのポーランドの人たちがその彼の元にやって来ます。そこで神父様も一生懸命になって、「さあ」霊的な講話、色んな活動、人々がたくさん集まってきて、大きくなってきました。
そこでところが、突然また病気が再発して、「1年間、何の活動もしてはいけない。」と言われました。
これが1921年まで続きます。でもギブアップしませんでした。一緒にいた修道会のブラザーたちや修道士たちが、「ちょっと足りない、何かネジが外れているマクス。」とバカにしていました。その時にもちろん、マキシミリアノ神父様の心は痛んだのですけれども、その時にニコッと笑っていました。
でもその後健康が戻ると、長上に許可を求めて「印刷機を買ってもいいですか?」と頼みました。なぜ印刷機かというと、みんながこの話を聞いて「無原罪の聖母の騎士」という事に興味を持ったので、話ではもう伝えきれなかったので、書いて、印刷してそれでその「プリントしたものでこれを知らせよう」としたからです。
印刷機を買おうとお店に行くのですけれども、「あまりにも高くてお金がとても足りない、買えない。」という事で、中古の印刷機を買ってきて手で印刷しました。この印刷機の名前は「おばあちゃん」という名前でした。この印刷機を回すには3人の男が必要でした。このこれを5,000部刷る為には6万回これを回さなければならなかったそうです。その後で回した後で、自分でこれを折って印刷されたのを折って、手はもう血だらけでした。でも幸せでした。
まず記事を書いて、印刷して、それから折りたたんで、製本して、配って、全部1人でやりました。最初の第1号は創刊号は、5,000部でした。
もともとクラカオという所に任命されたんですけども、クラカオの修道院では「そのようなちょっと狂った男を留めておく事はできない」という事で別の所に行かなければなりませんでした。そこで一番遠く離れた、もうポーランドの僻地に送られました。
毎月毎月、その印刷機で印刷される部数は増えるばかりでした。最初このクラカオからマキシミリアノ・コルベ神父様と一緒について行ったのは3人でした。でもその「インマクラータの為に自分の命を捧げたい。全生涯を捧げたい」という志を同じくする者が、5年後には25人になっていました。最初5,000部だったのが1921年には5,000部だったのが、5年後には6万部になっていました。そこでその僻地に居た修道院があまりにもたくさん、あまりにも多くの人が来るになって、「もうここにいる事はできない。どこか他の所に引っ越せ。」と言われました。
1927年、首都ワルシャワにインマクラータの街を建設します。これはただの土地だけです。そこの土地に3つの掘っ立て小屋を立てます。1つは教会で、私たちの主イエズス様の為。第2は印刷機の為。第3が他のその他の為。23名のブラザーたちもいました。毎日のようにそのブラザーの数が増えていました。1930年にはすでに100名以上のブラザーになっていました。発行部は15万部になっていました。もう日々日々そのコルベ神父様の活動は花開くように発展しています。
これは、神父様は必ず長上からの許可を得てからのみ、これを全てしました。コルベ神父様は何か事業をしてこの考えついた時に、必ず長上に言って、「神父様、あなたは私の長上です。このような事をしたいのですけれども許可を下さい。あなたの決定がマリア様の御決定です。決定して下さい。」長上は、「あぁ、また気違いのマクスが。」この許可を求めた後は、コルベ神父様はよく寝る事ができました。でも長上は、「許可を与えるのか、与えまいか、与えるか、与えまいか、」と眠れない夜が続きました。「人間的に言えばこれは全く無理な話で、こんな事は全くできないのだけれども、どうも見るからにマリア様がやっているようだし、だから無下に『できない』とも言えないし、どうしたらいいか、どうしたらいいか、」と悩んでいます。ある時長上はこう言うのです、「私ははっきりと『ダメだ。』という準備をしていた。『何故ならばこれがこれで、これがこれで、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ。』でもマキシミリアノが来ると、何だか知らないけれど、『はい、いいよ。』と言ってしまった。」と。
これが1929年に起こりました。1929年、「アジアで宣教師が欲しい」というニュースを聞きました。長上の元に行って、「もしもインマクラータの御旨ならば、私はこのアジアに行って、宣教師となりたいのですけれども、許可をくれますか?」「え!?何だって!?今お前は今、こうやって、インマクラータの都市ニエポカラヌフを作って、今こうやって建設中で、それをやめてどっかに行ちゃうの!?これ、誰が、後で面倒みて管理して、誰がその後をやるの!?」「インマクラータのマリア様がやれます。他のブラザーが代わりにやってくれます。だから私は自由に行く事ができるはずです。」そこで「じゃあちょっと考えておきましょう。どこに行きたいの?」「中国が面白そうですし興味もありますけれども、もしかしたら日本もいいです。」「言葉を知っていますか?話せますか?」「いいえ。」「お金はありますか?」「いいえ。でもマリア様がお金をくれます。」この長上はもう驚きのあまり目を大きくして、このマキシミリアノの方をじっと見つめて、「この男、本当に大丈夫か?」とこう見ているのですけれども、コルベ神父様はこうニコッとしてこの長上からの返事を待っています。そこで長上は全く全ての想像されるべき答えに反して、「行け。」と言います。
コルベ神父様はとても賢かったのです。人間の本姓をよく知っていました。人間は最初のこのエモーションこの感情では、「はい、いい。はい、行け。」と言います。でもよく考えてみると、「あぁ、ダメダメダメダメ。」と言ってそれを取り消します。そこで長上が「じゃあ、行け。」と言った時に、全ての荷物をこうやってもう姿を消してどこかに行ってしまったので、長上が「やっぱり取り消そうかな」と言った時にはもう既に時遅しで、神父様はもう既に出てしまいました。
実はコルベ神父様は上海に行きたかったのです。何故かというと、1930年には上海ではキリスト教がものすごい勢いで発展していたからです。そこに、非常にこの寛大な裕福なカトリックの信者が、中国人の信者がいて、「中国語で『無原罪の聖母の騎士』を印刷したい。」と言ってきたのです。でも本当ならば「ブラザーを2人送って、試しに印刷してみる」という事をお願いしたのですけれども、長上が「ダメだ。」と言ったのです。「それじゃあ私は日本に行きます。」となりました。
コルベ神父様は、東京とか大阪とか別の所を、横浜とかを考えていたはずです。フランシスコ会が既にいる所を考えていました。ところで長崎の司教様が、神学校で教える教授を探していたのです。コルベ神父様は博士号を持っていました、神学博士と哲学博士です。ですから神学校の教授として行く事になりました。
今からこの終わってすぐに行く所が、神学校を見に行くのですけども、この神学校の教授としてコルベ神父様は長崎に行きます。この続きは神学校でします。
(後半に続く)
愛する兄弟姉妹の皆様、
長崎巡礼でシュテーリン神父様がなさった霊的講話【その3】をご紹介いたします。どうぞお読み下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年5月2日 長崎巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【その3】
同時通訳:小野田圭志神父
今日は皆さんに、聖マキシミリアノ・コルベの生涯について、導入をお話したいと思います。
今日、長崎の巡礼の最後の1日となりましたけれども、色々な奇跡について黙想して、その奇跡の場所に行きます。
1つは、司祭なくして250年間信仰を守り通した、その信徒たちが発見された所の奇跡。この奇跡というのは本当に教会史上ユニークで、もう特異なものであって、他に例を見ないものでありますので、この事だけでもインマクラータのマリア様に讃美をしなければなりません。この約10世代にも渡る信徒たちが信仰を、司祭なく、或いは本もなく、色んな構造もなくこうやって信仰を守り通したのは、マリア様の取り次ぎなくしてはありえない事だからです。
今日の第2の奇跡というのは、ここに特別な使徒を宣教師を、日本のこの長崎の地に送り込んだ、マリア様は送り込んだという事です。この宣教師は、まさか将来自分が長崎に来る事になるだろうという事はゆめゆめ思わなかった人なのです。
この人この方は、ポーランドの小さな村の工業的な町で1月8日に生まれました。その時の生活状況は非常に厳しいものでした。よく当時行われた事は、長男であれば、長男にたくさん両親はお金をかけて学校にも通わせるし、色々な事を資本を費やすのですけれども、長男ではありませんでした。他の次男三男など他の子供たちは、この長男を養う為にたくさん働かなければなりません。皆はこの事に同意していて、それが良い事だと思っていました。そこでライモンド君も両親を助ける為に一生懸命働こうとしました。
小さな時からちょっと難しい子供でした。この子供のライモンド君は、戦う能力と、いつも腹を立てる事ができていて、いつも毎日のように家に帰ってくると傷だらけで、汚い服を着ていて、いつも喧嘩して帰って来ました。カトリックのポーランドの家族がいつもそうであるように、この家族も非常に信心深いものであって、ライモンドが喧嘩好きだったからといって信心がなかったわけでありません、敬虔じゃなかったわけでありません、その反対です、マリア様に深い信心を持っていました。
ここで2つの事が分かります。よくこれは普通の事なのですけれども、カトリックの環境と雰囲気と、原罪を持って生まれてきた人間のその性、その2つです。私たちも全く同じです。今はとても良いカトリックの環境の中に、今巡礼に来ています。でもその環境の中でも、私たちには悪い性格を持っていたり、怒りっぽかったり、角を生やしていたりします。聖人というのは天から降ってくるようなものではなくて、私たちと同じ人間であって、時には私たちよりももっとひどい性格を持っている人たちです。ライモンド君はもっと悪かったのです。
お母さんはライモンド君を厳しく、厳しい言葉で表現しています。そのお母さんはある時ライモンドにこう言うのです、「ライモンドや、お前こんな事をしていると、お前良くなるどころがますます悪くなって、本当にもうヤクザで終わっちゃうよ。」するとそのお母さんの言葉を聞いて、「え!?何か極道のヤクザになるって!?一体何の事なんだ!?一体自分に何が起こってるんだ!?」と目を覚ましました。
そこでライモンド君は、私たちが皆しなければならない事をしました。それはマリア様の所に行って、助けを求めたのです。
ライモンドはとても良い誠実な子で、たとえ喧嘩をしている時でも誠実でした。例えば喧嘩をして帰ってくると、お母さんにこの杖を与えて、「お母さん、どうぞ。」と言って帰ってきました。ライモンドはそれは正しかったのです。何故かというと悪い事をして、してはいけない喧嘩をして、お母さんから罰を受けなければなりませんでした。ですからその罰を受けるのは正しかったのですけれども、その翌日もまた喧嘩をし続けます。
将来ライモンドは、何千何万人の人々と接触しなければならなくて、このような人々が「やはり原罪を持っている、自分と同じように弱さを持っている」という事をよく理解していました。皆さんも同じようにご覧になって下さい。皆さんは自分の悪い性格の為に苦しんでいます。皆さんが犯した罪の為に苦しんでいます。何回やっても何回やっても、自分の悪い性格は直らないので、腹を立てています。ライモンド君がやったと同じ事をして下さい。いつも常にマリア様の元に行きました。誰からも見られないような脇祭壇に行って、その教区の教会の脇祭壇に行って、長い間マリア様の前でお祈りをしていました。
するとこの若いライモンド君に幼いライモンド君に、2つの冠の神秘が起こったのです。マリア様が彼に現れて、2つの冠を見せました。白い冠と赤い冠です。白の冠は白い殉教で、つまり「貞潔の殉教」です。赤は血の殉教で、「血を流して死ぬ殉教」です。後でよく考えてみると、この白い殉教というのは、「マリア様の汚れ無き御心の為に、汚れ無きマリア様の為に全命を、全ての命を捧げて、マリア様の為に生きる」という殉教の冠でした。赤の冠というのは後から考えてみると、彼が、「憎しみや憤りなど悪魔的な思いの中に入り込んで、彼らの為に祈り働いて死に至るまで働き尽くす」という殉教の、血の殉教の冠でした。
これは冠です。冠というのは、これは「報い」の事です。白の冠は、マリア様インマクラータの為に全て尽くしたその報いの冠です。赤の冠は、霊魂の救霊の為に尽くした、その尽くした努力への報いです。
このビジョンを見た時にライモンドは何も言いませんでした。もしもこのビジョンの後に、完璧な根本的な全体的な彼の生活の変化がなければ、もしかしたらこのビジョンはなかったと疑う事ができたかもしれません。この小さなライモンド君がこんなにもガラリと変わってしまったのが分かったのは、それはお母さんでした。
「ライモンド、ちょっと来なさい。」とお母さんが言います。「どうかしたの?病気なの?何か女の子のようにいつも泣きべそをかいてるね、昔のようじゃないね。昔はよく汚い服を着て帰って、泥んこになって傷だらけで血を流して帰ってきたのに、この頃は何かどこかに消えてなくなって姿を見かけないけど、何かうつ病でもなったの?」ライモンドは何も言おうとしません。「ライモンドちゃん、従順でお母さんの言う事をよく聞かなければなりませんよ。全て、ちゃんと全て言いなさい。」それでお母さんの元にこう抱きついて、「わぁ~ん、わぁ~ん!」と言って、お母さんに全てを話します。
お母さんはライモンドのそういう話を聞くと、でも夢想家でもなかったし、すぐそのような話をコロリと信じて騙されるような女性ではありませんでした。地面にちゃんと大地に足を付けて踏ん張って生きているお母さんなので、それを最初は信じようとしませんでした。私たちはそのお母さんがライモンドにその時に何と言ったかは記録に残っていないので分かりません。しかしライモンドはこの話を他に誰にも言いませんでした。お母さんだけに言って、私たちはその話をお母さんからのみ知っています。しかもこの子供は全てをマリア様にインマクラータに委ね尽くしてしまったのです。
マリア様はライモンド君に今した事を、皆さんにもしようと望んでいます。もちろん皆さんはビジョンを見るわけではない、と願っています。もしも、もしも皆さんが「あぁ、神父様!ビジョンを見ました!」と来たらちょっと困ってしまいます。
マリア様だけが私たちの心を変える事ができます。マリア様だけです。何故かというと、天主様がマリア様だけにそれを与えたからです。マリア様はこの心を変える事を望んでいます。コルベ神父様がこう言うのを聞いて下さい。「マリア様、もしもあなたが御身が私を打ち捨ててしまうなら、私が引き寄せている連れている他の人たちも一緒に捨ててしまう事になります。もしもマリア様、あなたが私に手を伸ばして下さるならば、私はその私の導いている全て全世界をあなたの元に連れて行きます。そしたら私は大聖人になる事でしょう。」
これは本当の謙遜によって行われます。なぜ謙遜かというと、自分の力に全く信頼を置かずに、全てマリア様の御手に委ねているからです。コルベ神父様は後にこのビジョンの事を「回心」と言うのですけれども、そのご自分の全生涯の種は、その行動原理の種は、この回心のこの瞬間に植えられました。
その後で、小教区に宣教師たちがやって来て御説教をしました。そのお兄さんと自分は2人の兄弟、他にも兄弟がいるのですけども、2人はその宣教師の話を聞いて、「わぁ!マリア様の為に人生を捧げたい!」と思いました。でも貧乏だったのでお金がありません。学校にも行けなかったので、お兄さんだけが学校に行く事ができました。ライモンドはお母さんのお手伝いをして、お店のお手伝いをしなければなりません。
ライモンド君のお母さんは産婆さんとして働いていました。お母さんはですから、この身籠ったお母さんたちをたくさん助けていたので、いつも家にいる事が少なかったのです。そこでライモンド君が家での料理人になりました。実は自分の家の小さなお店では薬も売っていたのです。薬はラテン語で書かれていたので、「薬を買いたい」という人が来ると、そのラテン語の名前を自分で覚えてしまいました。
お母さんは看護婦で産婆さんでもあるので、ライモンド君はいつも薬の調達にも活躍しました。ライモンド君が薬局に行って、「あの私はこのパラセタモルと○○と」とラテン語でベラベラベラーッとラテン語の薬の名前をズラズラズラーッと言うと、「え!?何でこの子はラテン語を知っているのだ!?」と、「難しいこの名前を良く知っている!」と薬局の人は驚いたのです。するとライモンド君は「僕は侍者でね、ミサ答えをしているからラテン語は神父様が教えてくれるんだ!」と言いました。でも神父様はお祈りはラテン語で唱えるのを教えましたけれども、ラテン語を教えたわけではありませんでした。このようにこう話を大げさに言ったりするライモンド君はまだ、回心した、聖人になったとは言い切れませんでした。でもライモンドが分かった事は、「マリア様に全てを委ねると、マリア様は全て準備して下さる」という事が理解できたのです。
ライモンドは司祭になりたかったのです。しかし人間的に言えば、司祭になる事は全く不可能でした。全く無理で、門は全て閉ざされていました。でもライモンドはマリア様にインマクラータにそれを委ねて、「マリア様がして下さるから」と、それを心配しませんでした。
ところでこのマリア様は、ライモンドの弱ささえも使って、ライモンドにその司祭職の道を開こうとしました。例えばライモンドのラテン語の名前を聞いた薬局の人は、「あっこの子すごい!」と思って、それで「俺が君にラテン語を教えてあげるよ。」とラテン語の先生になる事を名乗り出たのです。こうやって状況は非常に不思議な事に回って、ライモンド君はお兄さんと一緒にフランシスコ会の小神学校に入学する事ができるようになりました。
次の天才的なこの若い男の子のエピソードがあります。入学した時には、入学したてで凡人だった学生ですが、数ヵ月後にはクラスでトップになります。ライモンド君は数学の先生に時々、先生でも答える事ができないような難しい質問をするので、先生が何と返答して良いか分からなかったほどでした。
2つライモンド君の特別な能力がありました。1つは戦略家で、例えば戦略ゲーム戦争ゲームがあると、そのゲームでどうやって戦略を立てて、どうやってゲームに勝つか、という事を計算する事ができました。その時ライモンド君を知っていた人々は皆、「あっ彼はきっと兵士に、軍人になるだろう。彼は戦略家であって、戦略の才能がある。」第2の特徴は、数学とか物理とかに非常に興味があって、非常に高い才能を見せていました。ライモンドがその時考え出したのは、月にまで飛ぶ事ができる機械で、自分で考え出しました。そういうライモンド君を知っている人は、「おそらく、あぁ彼は将来科学者になるだろう。世界をリードするような科学者になって、全世界を驚かすだろう。」と思っていました。
天主様は、御自分の子供たちにどのような才能を与えるべきかよく知っています。しかしこのような才能は、より天主のより大いなる栄光と、霊魂の救いの為だけに与えられているので、その為に使わなければなりません。こうやってライモンド君は修練者となって修道士となって、すると修道会は、「彼はとても才能がある子だから」と言ってローマに送る事を決意します。ポーランドで全世界の神学生たちが夢見る「あぁローマ、ローマで勉強できる、ローマの神学校で勉強する。それはもう何という栄光であって、何という夢であって、それが実現できる」という事でした。
修道名をマキシミリアノと受けたライモンドは、「ローマに行く?えぇ、ローマ…?」と言って恐れました。何故でしょうか?
2つの冠の事を覚えていますか?マキシミリアノはインマクラータの為だけに仕えようと思っていました。でもその同じ修道会の修道者の人たちから、ローマの嫌な噂話を聞いていました。「ローマには悪い女性がたくさんいる。」と。「何故かというと、そういう女性たちは、こう神学生の周りをうろついて、神学生たちを誘惑して、その神学校から出してしまおうとしている。」という噂話でした。マキシミリアノは16歳でした。そこでマキシミリアノは長上に言って、「神父様、私の名前を外して下さい。」と言うと、神父様は、「え!?ローマに行きたくないの!?」と言います。「あの、ここに居たいんです。」
ところでそう言った後に、自分の部屋に戻って考えてみると、「長上の神父様は私に『ローマに行け』と言うのに、私が『嫌だ』と言うのは、これは従順だろうか?私はインマクラータに無原罪のマリア様に従順でなければならない。」長上の部屋に戻って、ノックノックノック、「神父様、やっぱり戻して下さい。」「君、どうかしたの?」「神父様、神父様はローマに行けと仰いましたね。神父様長上の命令は天主様の御旨です。でも私はただ、ローマにいる悪い女の人たちを恐れたのです。でもそれは私の意志でした。この名前を外して下さいというのは、私の思いでした。でも私は天主様の御旨だけを果たしたいのです。」
ここに2つの原理があります。まず第1は、「インマクラータへの愛が汚れ無きマリア様への愛は、私たちがいかなる汚れをも受ける事を許さない」という事です。「もしもインマクラータが私に火の中に飛び込めというのなら、私は飛び込む。インマクラータの無原罪のマリア様の御旨は命令は全てです。」これがマキミリアノ・コルベ神父様の全生涯でした。
マキシミリアノ・コルベはローマに行って、神学・哲学を勉強しますが、左手でその博士号を取ったりします、勉強します。しかしそんなのは簡単な事であって、もっとマキシミリアノ・コルベについて関心があったのは何だったのでしょうか?
マキシミリアノは何時間も何時間も、御聖体の前で時間を潰しました。そこで聖人たちの知恵を発見しました。そこで私たちの贖いの神秘を発見しました。特に勉強ではマリア様の神秘を深めるという事のお恵みを得ました。特別なお恵みも受けました。この祈りと黙想のその何時間で、長いお祈りを経て、マキミリアノは理解しました。それは「マリア様は元后であって、女王であって、戦いの指揮をする軍隊の総司令官である」という事です。
ポーランドの全歴史を黙想しました。ポーランドの歴史はマリア様の歴史です。もっと正確に言うと、ポーランドの歴史というのは、マリア様を信じ、マリア様の中に生きている人々の歴史です。ポーランドというのは、困難と戦争と戦いと苦しみの歴史の国です。ポーランドという国が生まれた途端、異教の国がこのポーランドという国を亡き者としようとしてやって来ました。マリア様のおかげでこのポーランドの人々はその戦いに勝ちます。
しばらくすると、北からプロテスタントがやって来て攻めて来ます。北から来た大軍にどうやって打ち勝つ事ができるでしょうか。このポーランドという小さい国は、もはやプロテスタントの国と成り果てるしかないかのように思えました。ところで非常に不思議な事は奇跡的な事は、プロテスタントの大軍がポーランドにやって来て、ポーランドの中央にある聖地チェンストホーバ、マリア様のいらっしゃるその聖地の直前で、突然それが侵攻が止まるのです。その瞬間は、ポーランドの王様が、マリア様の前に跪いて、ポーランドの全てをマリア様の御手に奉献した時でした。
その次には、離教の正教がやって来ます。それから次には、共産党が共産軍がやって来ます。しかしそのやって来る度に奇跡が起こりました。その攻撃を受ける度に、マリア様がポーランドを守ってくれました。例えばコルベ神父様が生まれた時には、地図の上にはポーランドという国はありませんでした。ポーランドはこの地上から消えて無くなってしまったのです。どこにも無いのです、この全世界でポーランドという国が。ロシアがまず一部を取って、オーストリアがもう1つを取って、プロイセンがまたその1つを取ってしまったのです。それでポーランドの人々はそのような国に分かれて帰属する事になっていたのです。これは3回起こりました、歴史の中で。それにもかかわらずポーランドの人々は「ポーランドの心、ポーランドの母」と、マリア様の元にいつも集まってお祈りします。
これはそのイコンは、チェンストホーバはイコンですけれども、実は「マリア様の御心」なのです。マキシミリアノ・コルベはこの事をよく理解しました。コルベ神父様はこう理解してこう言います、「歴史を見ると、本来ならば私の祖国は、敗戦のうちのまた敗戦、敗北の後の敗北、敗北、敗北の連続であったはずなのに、現実に起こった事は、勝利、また勝利、また勝利、また勝利。何故かというと、御身よマリア様、あなたが総指揮官であるからです。エトマンカであるからです。」
コルベ神父様はローマで、特に全世界に於けるマリア様の活動、マリア様の働きについて深く研究しました。特に詳しくルルド、最近起こったルルドの事を、不思議のメダイについて研究しました。ちょうどそのマキシミリアノ・コルベがローマにいた時から75年前、何故かというと75周年を祝っていたからですけれども、75年前、つまり1840年に、アルフォンソ・ラティスボン、教会を憎んでいた、教会の天敵であったユダヤ人ラティスボンが不思議のメダイによってカトリックに回心した、その回心の記念を行っていました。
1917年、第一次世界大戦のど真ん中にやってきます。ここでマキシミリアノ・コルベは、ローマでものすごい光景を目の当たりにして、その目撃証人となります。同時にモスクワでは共産主義革命が起こりました。この後、モスクワから全世界の半分を無神論的唯物主義に陥れる事でしょう。同時にフリーメイソンも200年、その存在200周年を祝おうとしていました。この200周年を祝うその場所はローマでした。フリーメイソンのトップランキングのような大人物がローマにやって来て、「ローマを反キリストの座に、反天主の座にしよう、教会の敵の座にしよう」と動きをしていました。イタリアの大統領はフリーメイソンで、教会を迫害しており、教皇様はバチカン市の中に、その外にも出る事ができない囚人のようでした。
フリーメイソンの人は教会のコピーをします。どういう事かというと、聖母行列、聖体行列のように、フリーメイソンはこう旗を持って、行列をして、「悪魔が、サタンが教会を踏み砕く、サタンが勝利を収める。」という行列をします。それはものすごい危険な事であって、神学生たちや司祭や修道士たちは、そのような危険な所に身を晒す事ができませんでした。神学校、或いは修道院の中に隠れてなければなりませんでした。皆、神学生や司祭たちは涙を流し、悲しみの中に、「一体ローマがどうなってしまったのか。」と言って憂鬱になっていました。
ここでマキシミリアノ、小さな若き神学生は、「何でそんなに気を落としているのですか?私たちはもっと強いじゃないですか。もちろん私たちは何でもありません。私たちはゼロです。もしも私たちがいくら集まっても、ゼロをたくさん集めてもゼロです。でも1がそのゼロの前にあれば、100万にもなるし、1億にもなります。皆さんみんなゼロです。でも1があって、それがマリア様です。」「あのねマキシミリアーノ、あんたは修道士じゃないか。あんた一体何ができる、1人で何ができるというのか。見ろ外を。この人たちはお金も持ってるし、政治家も持ってるし、法律もあるし、全てを手にしている。1人で何ができるのか。」「神父様、簡単です。彼らには軍隊がありますけれども、私たちにも軍隊があります。彼らのボスは悪魔です。私たちの総指揮官はマリア様です。神父様たちはいつも土曜日にどういうお祈りをするのですか?聖務日課でこう祈るじゃないですか、『あなたは御一人で世界の異端を滅ぼし給えり。』と。聖書の最初に何て書いてありますか?『彼女は悪魔の頭を踏み砕くだろう。』と。私の祖国ポーランドを見て下さい。マリア様はいつも無用の私たちを使って勝利を収めました。この最も教会の危機、教会が威嚇されて、脅されているこの時に、マリア様の元で働く聖母の騎士たちが、無原罪の騎士たちが必要だ、という事が分かりました。『無原罪の聖母の騎士』というのは言葉ですけれども、この言葉の裏に隠れたのはこういう事です、つまり『マリア様は勝利を収める事ができる。しかしその勝利を収める為には道具が必要だ』という事です。つまり天才的な画家は素晴らしいものすごい大傑作を描く事ができるけれども、それを描く為には筆が必要だという事です。」
そこでマキシミリアノ・コルベは「じゃあ、やれ。」という事で、やる許可を得ました。聖イグナチオがイエズス会を始めた時には7名いました。コルベ神父様が無原罪の聖母の騎士を始めた時には、やはり7名でした。
ファチマでは太陽の奇跡が起った、その3日後、聖マルガリタ・マリア・アラコックの祝日の前日、すなわち1917年10月16日の夕方、その16日のこの夕方、「無原罪の聖母の騎士」が始まりました。ですからこれはファチマの太陽の奇跡の後の3日後でした。
一体何が起こったでしょうか?その翌日、マキシミリアノ・コルベは、血を吐いて病気で倒れます。結核でした。結核はその当時、治療の方法が無い、もう死を待つしかない病でした。そこでマキミリアノ・コルベはすぐに結核病棟に隔離されて、「治るのを待つか、或いはおそらく死ぬのを待つだろう。」と言われました。
マキシミリアノ・コルベの最初の5年間のM・Iは「マラスム」と言われて、ちょうどMで始まりますけれども、つまり災害と困難との連続でした。ものすごい熱意を持って、「さあ、始めよう!」としたその翌日、長上から命令が下って、「そんな事は忘れて、さぁ隔離室に行きなさい。もしも病気が治ったらその事を考えなさい。」と言われました。
しかしマキシミリアノ・コルベは分かりました、「これはインマクラータの御旨だ。私は従順に従おう。」従順に従いました。これに従順でなければならなかったコルベの心からは、血が滴り落ちていた事でしょう。それだけではありません。他の修道会の皆がマキシミリアノの話を聞きました、「マキシミリアノを知っているか?何か『聖母の騎士』作ったって。それで翌日病気で隔離室だって。ブーッ。」「見よ、おーい、大軍隊を作ろうとするあの男よ。」「おぉマキシミリアーノ、これがお前の夢の終わりだ。」7名一緒に始めた7名も、7名のうち数名かは、「な~んだ。」と言って馬鹿にし始めました。これは本当に、大変難しい苦しい事でした。
マキシミリアノ・コルベは、病気の為に勉強する事さえも難しくなって、叙階を受ける事さえも難しくなってきました。それでも4月28日、1918年4月28日、司祭に叙階されます。それは聖グリニョン・ド・モンフォールの祝日でした。
司祭となってポーランドに帰って、「あぁ、これで司祭になった!ポーランドに帰ってきた!さぁ救霊の為に働こう!」と思っていました。多くのポーランドの人たちがその彼の元にやって来ます。そこで神父様も一生懸命になって、「さあ」霊的な講話、色んな活動、人々がたくさん集まってきて、大きくなってきました。
そこでところが、突然また病気が再発して、「1年間、何の活動もしてはいけない。」と言われました。
これが1921年まで続きます。でもギブアップしませんでした。一緒にいた修道会のブラザーたちや修道士たちが、「ちょっと足りない、何かネジが外れているマクス。」とバカにしていました。その時にもちろん、マキシミリアノ神父様の心は痛んだのですけれども、その時にニコッと笑っていました。
でもその後健康が戻ると、長上に許可を求めて「印刷機を買ってもいいですか?」と頼みました。なぜ印刷機かというと、みんながこの話を聞いて「無原罪の聖母の騎士」という事に興味を持ったので、話ではもう伝えきれなかったので、書いて、印刷してそれでその「プリントしたものでこれを知らせよう」としたからです。
印刷機を買おうとお店に行くのですけれども、「あまりにも高くてお金がとても足りない、買えない。」という事で、中古の印刷機を買ってきて手で印刷しました。この印刷機の名前は「おばあちゃん」という名前でした。この印刷機を回すには3人の男が必要でした。このこれを5,000部刷る為には6万回これを回さなければならなかったそうです。その後で回した後で、自分でこれを折って印刷されたのを折って、手はもう血だらけでした。でも幸せでした。
まず記事を書いて、印刷して、それから折りたたんで、製本して、配って、全部1人でやりました。最初の第1号は創刊号は、5,000部でした。
もともとクラカオという所に任命されたんですけども、クラカオの修道院では「そのようなちょっと狂った男を留めておく事はできない」という事で別の所に行かなければなりませんでした。そこで一番遠く離れた、もうポーランドの僻地に送られました。
毎月毎月、その印刷機で印刷される部数は増えるばかりでした。最初このクラカオからマキシミリアノ・コルベ神父様と一緒について行ったのは3人でした。でもその「インマクラータの為に自分の命を捧げたい。全生涯を捧げたい」という志を同じくする者が、5年後には25人になっていました。最初5,000部だったのが1921年には5,000部だったのが、5年後には6万部になっていました。そこでその僻地に居た修道院があまりにもたくさん、あまりにも多くの人が来るになって、「もうここにいる事はできない。どこか他の所に引っ越せ。」と言われました。
1927年、首都ワルシャワにインマクラータの街を建設します。これはただの土地だけです。そこの土地に3つの掘っ立て小屋を立てます。1つは教会で、私たちの主イエズス様の為。第2は印刷機の為。第3が他のその他の為。23名のブラザーたちもいました。毎日のようにそのブラザーの数が増えていました。1930年にはすでに100名以上のブラザーになっていました。発行部は15万部になっていました。もう日々日々そのコルベ神父様の活動は花開くように発展しています。
これは、神父様は必ず長上からの許可を得てからのみ、これを全てしました。コルベ神父様は何か事業をしてこの考えついた時に、必ず長上に言って、「神父様、あなたは私の長上です。このような事をしたいのですけれども許可を下さい。あなたの決定がマリア様の御決定です。決定して下さい。」長上は、「あぁ、また気違いのマクスが。」この許可を求めた後は、コルベ神父様はよく寝る事ができました。でも長上は、「許可を与えるのか、与えまいか、与えるか、与えまいか、」と眠れない夜が続きました。「人間的に言えばこれは全く無理な話で、こんな事は全くできないのだけれども、どうも見るからにマリア様がやっているようだし、だから無下に『できない』とも言えないし、どうしたらいいか、どうしたらいいか、」と悩んでいます。ある時長上はこう言うのです、「私ははっきりと『ダメだ。』という準備をしていた。『何故ならばこれがこれで、これがこれで、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ。』でもマキシミリアノが来ると、何だか知らないけれど、『はい、いいよ。』と言ってしまった。」と。
これが1929年に起こりました。1929年、「アジアで宣教師が欲しい」というニュースを聞きました。長上の元に行って、「もしもインマクラータの御旨ならば、私はこのアジアに行って、宣教師となりたいのですけれども、許可をくれますか?」「え!?何だって!?今お前は今、こうやって、インマクラータの都市ニエポカラヌフを作って、今こうやって建設中で、それをやめてどっかに行ちゃうの!?これ、誰が、後で面倒みて管理して、誰がその後をやるの!?」「インマクラータのマリア様がやれます。他のブラザーが代わりにやってくれます。だから私は自由に行く事ができるはずです。」そこで「じゃあちょっと考えておきましょう。どこに行きたいの?」「中国が面白そうですし興味もありますけれども、もしかしたら日本もいいです。」「言葉を知っていますか?話せますか?」「いいえ。」「お金はありますか?」「いいえ。でもマリア様がお金をくれます。」この長上はもう驚きのあまり目を大きくして、このマキシミリアノの方をじっと見つめて、「この男、本当に大丈夫か?」とこう見ているのですけれども、コルベ神父様はこうニコッとしてこの長上からの返事を待っています。そこで長上は全く全ての想像されるべき答えに反して、「行け。」と言います。
コルベ神父様はとても賢かったのです。人間の本姓をよく知っていました。人間は最初のこのエモーションこの感情では、「はい、いい。はい、行け。」と言います。でもよく考えてみると、「あぁ、ダメダメダメダメ。」と言ってそれを取り消します。そこで長上が「じゃあ、行け。」と言った時に、全ての荷物をこうやってもう姿を消してどこかに行ってしまったので、長上が「やっぱり取り消そうかな」と言った時にはもう既に時遅しで、神父様はもう既に出てしまいました。
実はコルベ神父様は上海に行きたかったのです。何故かというと、1930年には上海ではキリスト教がものすごい勢いで発展していたからです。そこに、非常にこの寛大な裕福なカトリックの信者が、中国人の信者がいて、「中国語で『無原罪の聖母の騎士』を印刷したい。」と言ってきたのです。でも本当ならば「ブラザーを2人送って、試しに印刷してみる」という事をお願いしたのですけれども、長上が「ダメだ。」と言ったのです。「それじゃあ私は日本に行きます。」となりました。
コルベ神父様は、東京とか大阪とか別の所を、横浜とかを考えていたはずです。フランシスコ会が既にいる所を考えていました。ところで長崎の司教様が、神学校で教える教授を探していたのです。コルベ神父様は博士号を持っていました、神学博士と哲学博士です。ですから神学校の教授として行く事になりました。
今からこの終わってすぐに行く所が、神学校を見に行くのですけども、この神学校の教授としてコルベ神父様は長崎に行きます。この続きは神学校でします。
(後半に続く)