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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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私たちの心に、マリア様の心に燃えていた愛の炎が私たちの中にも燃え伝わりますように

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年11月5日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2016年11月5日 初土曜日 聖母の汚れなき御心の随意ミサ
小野田神父説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2016年11月5日、聖母の初土曜日のミサをしております、聖母の汚れなき御心のミサをしています。このミサの後に、いつものように公教要理で、今回はファチマの100周年の準備の為に、一体100年前にどんな、世界の状態はどんなだったのか、この地上と天国と地獄ではどんな戦いが起こったのかについて黙想する事を提案します。

それから今日は初土曜ですので、食事の後で、信徒会長と今日の初土曜の信心をまたなさって下さい。

ここではいつものミサに加えて、来週の土曜日にも10時30分からミサがあります。ですからここでは、今週の土曜日と来週の土曜日と、更に再来週の土曜日にも10時30からミサがあります。それから12月も、23日と24日の予定に加えて、22日にも夕方にミサが付け加えられました。

ファチマに巡礼に行こうという方は、この11月30日が締め切りですので、早めにどうぞ申し込みをなさって下さい。シンガポールのお金で500ドルとパスポートの写真の付いた所のスキャンをして送って下さればこれで大丈夫です。



“Ut corda nostra ignis ille divinus accendat,qui Cor beatae Mariae Virginis in flammavit”
「私たちの心にも、童貞マリア様の心に燃えていたその火が私たちにも燃え移りますように。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日聖母の汚れなき御心の随意ミサの中で、密誦では、「私たちの心に、マリア様の心に燃えていた愛の炎が私たちの中にも燃え伝わりますように」とお祈りします。

そこで一体、マリア様の心には一体どんな愛が燃えていたのか?どんな火が炎が轟々と燃え盛っていたのか、永遠の火が燃え盛っていたのか?という事を黙想する事を提案します。特にファチマのマリア様を通して、この火が一体何であったのか?という事を黙想致しましょう。そこでその黙想の後に、私たちもその同じ火で燃える事ができるように、マリア様に御取次ぎをお祈りして、そして遷善の決心を立てる事に致しましょう。

昨日は、100年前ファチマにポルトガルの守護の天使がやって来て、平和の天使がやって来て、おそらく大天使聖ミカエルがやって来て、子供たちの前に「どうやってお祈りをしたら良いのか、イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心の特別の憐れみの計画、それの一番心に気に入る祈り」について話しました。

マリア様もそれと同じ事を、最初にお現れになった時に仰います。マリア様がファチマのトキワガシの樹の上に立ってお現れになった時に、ルチアは聞きます、「一体あなた様はどこからいらしたのですか?」マリア様は答えました、「私は、天国からの者です。」ルチアは、「一体あなた様は私に何をお望みですか?」そしてルチアは更に質問して、「私も天国に行く事ができますか?」と、「ジャシンタは行きますか?」「フランシスコは行きますか?」と聞きます。

この最初のマリア様と子供たちの会話を見ると、マリア様が私たちに一体、「一番私たちに持ってほしいという関心事は何か」という事を教えているようです。

「私は天国からの者です。」

マリア様は私たちの心をすぐに天国に上げさせました。もちろんマリア様は、「私はイエズス様の御母です」「私は童貞聖母マリアです」と言う事ができたかもしれません。でもマリア様は、「天国からの者です、天国から来ました。」

この言葉を黙想すると、ちょうど11月1日のこの前の諸聖人の大祝日を私たちは思い出さずにはいられません。天国の全ての聖人、天使たちが非常に栄光に満ちて、きれいな栄光の服に着飾って、或る者は真っ白いきれいな純白の雪よりも白いドレスを着て、或る者はキラキラ光る宝石に眩いて、或いは或る者は殉教の赤い帯を締めて、或る者は貞潔の真っ白いドレスを着て、或る者は博士としての知恵の冠を被りながら、或いは童貞の冠を被りながら、殉教の冠を被りながら、手にはおそらく勝利の棕櫚を持って、或る者はかつてこの地上では王様だった、或る者はこの地上で教皇様だった、或る者は家庭の主婦だった、或る者は司祭だった、或る者はもしかしたら私たちの先祖も日本の殉教者も、或いは世界中の多くの数知れない何千何万何億という多くの人々の数が、大聖人の数々が、きれいな天国のステンドグラスよりもはるかにこの光輝くような、宝石のようなキラキラとする天のエルサレムの大聖堂の中で天主の栄光に導かれ、その反射で輝きながら、「聖なるかな、聖なるかな、」と叫び、歌い、讃美しているその天主、天国。

更に天使たちも、ケルヴィム、セラフィム、9つの階級の全ての天使たちが何兆何億という多くの大群が、その讃美の歌をきれいなハーモニーで歌っている。その中にその中心にあるのは、眩い限りのマリア様、聖ヨゼフ、イエズス様、玉座に座っておられる御父。その三位一体の輝かしい光栄、その眩い威光。その前に皆ひれ伏して、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。至聖なる三位一体よ、聖父と聖子と聖霊、御身を心から讃美致します。心から礼拝致します。御身を愛し申し上げます」と、大天使、天使たちや聖人たちが声を合わせて歌い、讃美しているその栄光の天主、天国。

おそらく天国では、その眩い光の中に色々な色と、音楽と、或いはこの地上のすばらしい香の焚香りよりも花々の香りよりも更に美しい芳しい香りが漂い、そして音楽が奏でられて、そして歌が歌われて、讃美と感謝と喜びで満ち溢れたその天国から、マリア様が私たちの元にやって来て、「私は天国からの者です」と仰ったのです。

そして私たちも、「あぁ、その天国の光り輝く喜びと、永遠の命の中に招かれているのだ!」と心をすぐに上げざるを得ないではないでしょうか。

一体私たちがどれほど、この私たちの究極の目的である「天国」の事を考えているでしょうか?私たちを愛するがあまり、この地上を創り、「天国の栄光に入れたい」と思って私たちを創造した天主三位一体の愛の事を、憐れみの事を考えるでしょうか?

よく私たちの言われる事は、「愛すると、その愛するその相手の事をいつも寝ても起きても考えている」と言います。もういてもたってもいられずにその人の事を考えて、その人を思って、「どうしているか」と思うのですけれども、天主様は私たちの事をいつもこうして思って下さいます。

私たちは一体どれほど天国の事を思っているでしょうか?天国のイエズス様や三位一体やマリア様の事を考えているでしょうか?

或いは全然考えていなかったのかもしれません。地上の事だけで追われて、その事だけを地上の面白おかしい事だけで、天国の事はケロッと、全ての事は天国の事を除いて考えていたのではなかったでしょうか?

ルチアは、マリア様が天国からいらしたという事を聞いて、すぐに聞きます、「私も天国に行けますか?」

ルチアは何と良い子供でしょうか。すぐに「マリア様の元に行きたい。その天国の栄光に入りたい。」天国の喜びの事を思いました。

一体私たちはどれほど、「天国に行くだろうか?天国に行きたいなぁ!」天国に、私たちも大きな望みを持って、「すぐに行きたいんだ!」と思っているでしょうか?それよりももしかしたら、「地上のもっとこの面白おかしい事をして、」「この地上の事でお金を貯めて、」「この地上でおいしい物をたらふく食べて、」という事を思っているかもしれません。「あの服を着て、」「あのあそこに、」地上の事だけで頭がいっぱいだったかもしれません。

ルチアのすごい事はもっとでした。「自分が天国に行くか」と聞いて、「はい、行きますよ。天国に行きますよ」という特別のマリア様からの優しいお返事を頂いたら、「じゃあ、ジャシンタちゃんは?ジャシンタは行きますか?」と、すぐに自分のお友達の事を考えます。「“Tambien.”ジャシンタも行きます。」「じゃあ、フランシスコは?」「うん、フランシスコも行きますよ。でもフランシスコはたくさんロザリオを唱えないといけません。」

私たちはどれほど、私たちのお友達や、家族や、友人が、「天国に行くかどうか」という事を考えるでしょうか。私たちの家族や、友人や、同僚や、隣人、兄弟姉妹たちが「すぐに天国に行くだろうか」という事を考えるでしょうか。その救霊の事を考えるでしょうか。

それよりも救霊の事よりももっと、「あぁ、」否定的な事を或いは考えたり、「あぁ、うちの夫は私にこんな悪い事をした」とか、「うちの姑はこうだ、ああだ」等と、「あぁ、うちの子供は本当に…」などと、「うちの上司は…」、「うちの修道院長は…」などと思っているかもしれません。

マリア様が、「天国に行く」という事を約束して下さるその事を、「行きますよ」と教えて下さった事は、子供たちにとって何という喜びだったでしょうか。コルベ神父様も長崎で、「天国に行く」という事を知らされた時にとても大きな喜びで、それは本当に大きな秘密でした。子供たちの心はすぐに天国にへと向かいました。

すると次に思った事は、第2のこのポイントは、ルチアの質問でした。

「じゃあ、死んだマリア・ダス・ネヴェスはもう天国にいますか?」マリア様は優しく答えます、「はい、いますよ。今天国で永遠の命を味わっています。」「あぁよかった、マリアちゃん今天国にいるんだ。」

「じゃあ、アメリアは?」アメリアさんは18歳か20歳くらいだったそうです、ちょっと前に亡くなった。マリア様は、「彼女は、世の終わりまで煉獄にいます。」

今から100年前、インターネットもYouTubeも3Dの映画もそういう娯楽も、悪い雑誌なども全くなかったそのような時代に、携帯もなかった時代に、スマートフォンもなかった時代に、一体アメリアちゃんが世の終わりまで煉獄で苦しまなければならない、罪の償いをしなければならない、一体どのような罪を犯したのでしょうか。

「世の終わりまで煉獄にいる。」

ちょうど11月2日死者の日には、教会は司祭に3つのミサを捧げさせます。煉獄の霊魂たちが早く天国に行けますように。マリア様もきっと子供たちにこの事を、「煉獄の霊魂たちが、もしかしたら世の終わりまでずっと苦しんでいなければならない。何故かというと、誰も彼らの事を考えていないから」という事を教えたかったのかもしれません。

マリア様は実は、7月にはもっとすごい事を教えます、子供たちに。7月にお現れになった時に手をパッと広げると、地上地面を開かせて、この今ちょうど灰色に見えているようなこの床の下が開かれて、真っ赤に燃える、燃え盛る火の大海原を見るのです。

想像して下さい、私たちが空中に浮いて、轟々と燃える火の大海原を見て、その中に多くの霊魂たちが、雪が吹雪の雪が落ちるようにバラバラ、バラバラ、バラバラと地獄に落ちている。そして物凄い厳しい、恐ろしい獣のような形相をした、見るからに恐ろしい、もう顔を見るのも嫌な、見るのも嫌な悪魔が、その霊魂たちをいじめて拷問している。あまりにも恐ろしい姿を見ました。

マリア様は瞬間、その地獄の様子を瞬間的に見せます。ルチアは後に、「もしも私たちが天国に行くという事を約束されていなかったら、もう恐ろしさのあまり死んでしまったに違いない。」私たちがお化け屋敷に行ってびっくりしたというよりもさらに恐ろしいものでした。もうこのそのような地獄を見るだけで、それでもう恐ろしさのあまり気を失って死んでしまう、それほどの恐ろしさでしたが、その後でマリア様は非常に悲しい面持ちで、「あなたたちは可哀相な霊魂たちが行く地獄を見ました。」

マリア様は永遠の事を私たちに教えようとしていました。子供たちに、「この地上の短い人生は、永遠の助かりの為に、救霊の為にあるのだ。その為に使わなければならない。そしてそれを使い損ねた人たちはあまりにも多くいて、多くの霊魂たちが地獄に落ちている」という悲しい現実を教えてくれました。

マリア様は子供たちが、「さぁお前、地獄に落ちるぞ、さぁさぁ、罪を犯すな!」と脅した訳ではないのです。マリア様は、「あなたは天国に行きます。だけれども、多くの霊魂たちが天主を侮辱し、冒瀆し、無関心でいるので、そして誰もこの霊魂たちの為に祈り、犠牲を捧げる人がいないので、かわいそうに、この人たちは地獄に落ちてしまうのですよ。」「さぁ、何とかしましょう。さぁ、この霊魂たちを助けあげましょう。この霊魂たちに何とか憐れみを捧げてあげましょう」と、仰っているのです。

ここがマリア様の違いです。私たちもこのマリア様の心の中に、汚れなき御心に燃える火を垣間見たのではないでしょうか。マリア様は、「霊魂を救いたい。私たちと多くの霊魂を救いたい。天主を愛し、天主を愛するが為に、この多くの霊魂を天主の元に引き寄せたい」という、この永遠の愛の火で燃えていたのでした。霊魂の救いの望みで燃えていたのでした。

5月の最初に、「天国に行きますか?ジャシンタは?フランシスは行きますか?」と聞いたその後に、マリア様はこの子供たちにこう言うのです、「アメリアちゃんが世の終わりまで煉獄にいる」と言ったその直後に、こう言ったのでした、「あなたたちは、天主様があなたたちにお送りする事を望まれる全ての苦しみを天主に捧げて、自分を捧げる事を望みますか?それを罪の償いとして、罪人の回心の為に捧げる事を望みますか?」と聞きました。

天使が最初に現れて言った事と全く同じ事でした、「一体何をしているのか?お前こんな事してのらのらしている時間はないんだぞ。この地上でお前たちは祈りと犠牲を捧げて、罪人の回心の為に全てを捧げなければならないんだよ」という事を教えた事と全く同じ言葉を、マリア様は仰ったのです。

「あなたたちはそれを望みますか?」

マリア様は同じ事を私たちにも望んでいます。典礼を通して、天国の諸聖人の大祝日と死者の記念を経た私たちにとって、初土でマリア様は同じ事を聞いています、「あなたたちは、天主様のお送りする全ての苦しみを、罪の償いとして、罪人の回心として捧げる事をお望みになりますか?あなた自身を天主様にお捧げする事をお望みになりますか?する事ができますか?多くの霊魂たちが地獄に落ちています。何とかそれを助ける事ができますか?私と一緒に助けて下さい。多くの霊魂が天主を冒瀆し、侮辱し、屈辱して無関心なので、天主は本当に御悲しい、もうこれ以上罪を犯させないように、何とか霊魂を地獄の火から守る為に、救う為に助けてくれますか?全ての苦しみを捧げてくれる事ができますか?」と、マリア様は私たちにも聞いています。

ルチアは答えます、「はい、望みます。」

するとマリア様は答えました、「はい。あなたたちはたくさん苦しまなければならないでしょう。でも天主様の憐れみが、天主様の御恵みがあなたたちの慰めとなるでしょう。」と。「ロザリオを毎日唱えて下さい。」

マリア様は言葉を続けます、マリア様は私たちにも同じ事を仰るに違いありません。「はい、マリア様、望みます。マリア様の御心を、汚れなき御心をお慰めして、イエズス様の聖心をお慰めして、霊魂を救う為にマリア様と同じ愛の火で燃やして下さい。」

マリア様は私に、「では、たくさん苦しまなければならない事ですよ。辛い事もたくさんあるでしょう。でも天主様の御恵みは、私たちを強めて下さる事でしょう、慰めて下さることでしょう。私の御心はあなたたちの避難所となる事でしょう、天国への道しるべとなる事でしょう。心配しないで下さい。私は決して見捨てる事はありません。いつもそばにいます。」

では私たちは、今日この初土曜日でどのような遷善の決心を取ったら良いでしょうか?

私たちも是非、まず第1に、私たちもマリア様のいらっしゃる天国へと心を高く上げましょう。「私たちもマリア様の元に早く行きたい」という望みがこう起きますように。マリア様の愛の火て私たちの心を燃やして下さるようにお願い致しましょう。私たちは天国に行く為にここに生きています。その為にここに生まれてきましたから。

第2は、マリア様のお望みの通り、多くの霊魂たちを救う為に、祈りと犠牲をお捧げ致しましょう。これこそ隣人に対する真の愛です。私たちがもしもこの地上で、健康や、この地上での成功を祈るとしても、天国を失ってしまったら一体何の意味があるでしょうか?私たちの本当の隣人愛は、隣人の救霊にあります、隣人の救霊を望む事にあります。この隣人の救霊を望みましょう。地獄に行かないように、また今罪を犯そうとしている人、或いは地獄に落ちよう死のうとしている人たちが、天主の憐れみを最も必要とする人たちが、天国に導かれますようにお祈り致しましょう。

最後に第3には、天主様はあまりにも多く侮辱されているので、それをお慰め致しましょう。私たちにとってここに違いがあります。私たちは天主様を中心として、天主様が愛されるように、天主様が礼拝されますように、天主様こそが一番でなければなりません。天主だけが全てでなければなりません。ですから私たちの心を込めていつも、「主を信じ、礼拝し、希望し、愛します」という射祷を唱えましょう。そして主を愛さない人、主を信じない人、礼拝しない人、希望しない人、愛さない人の代わりに赦しを乞い求めましょう。私たちはその主を冒瀆する人々の為に、特に御聖体に於けるイエズス様を侮辱するような人々、礼拝しないような人々の為に代わって、御聖体を心から愛を以て礼拝して、その御聖体を償いの意向で拝領致しましょう。これが初土の信心です。

私たちの求めるのは、この「弱者に対する権利が無視された」とか、「私たちの人権が阻害された」とか、「私たちの人間の権利としての尊厳が無視されたから、それについて謝罪せよ」と言うのではありません。私たちは進んで赦しを天主様に、罪人に代わって赦しを求めます。罪人に「謝罪せよ」と要求するのではありません。

そしてこの、罪人に代わって私たちが犠牲を捧げるという事こそ、イエズス様とマリア様の聖心をお慰めするという事こそ、初土の信心です。今日はこの遷善の決心を取って、良い11月、死者の月を送る事に致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名よりて、アーメン。



聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

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