アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話 「聖ピオ十世について」(日本語訳)をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年9月10日 大阪の公教要理
聖ピオ十世について
親愛なる兄弟の皆さん、
この前の主日に、私たちは聖ピオ十世の祝日を祝いました。彼はまことの聖人教皇の中で最も新しい人です。彼は、こんにちでも私たちがその大きな影響を受け続けているほど重要です。天国への道は新しいものではなく、全ての聖人はその道を歩んだのですから、もし私たちがその道から離れ、自分自身を欺いて失われた羊としてさまようならば、私たちは愚か者になってしまうことでしょう。第二バチカン公会議以来、教会で起きた悪魔によるすべての誤った方向づけのため、私たちは確実な導き手を探さざるを得ませんが、私たちは聖ピオ十世にその確実な導き手を見いだすのです。彼は、まことに聖ペトロの後継者にふさわしく、まことに信仰の堅いいわおであり、天国への道について確実な導き手であったのです。
第一に、聖ピオ十世は信仰の人でした。聖パウロは私たちにこう言います。「義人は信仰によって生きる」(ローマ1章17節)。まことの信仰は、個人にとっても社会全体にとっても、霊的な建物全体の基礎です。キリスト教文明はまことの信仰に基づいています。こんにちのヨーロッパで見られるように、信仰を破壊すれば文明全体が崩壊します。ですから、聖ピオ十世は、自分の教皇としての第一の義務を、信仰を擁護すること、特に近代主義に対して擁護することだと考えました。ここにおいて、彼はペトロの後継者にふさわしい人です。実際、これは私たちの主イエズス・キリストがペトロにお与えになった命令そのものでした。「私はあなたのために信仰がなくならならぬようにと祈った。あなたは心を取り戻し、兄弟たちの心を固めよ」(ルカ22章32節)。
近代主義は、信仰が天主による公の啓示という客観的な事実に基づいているのではなく、まるで天主についての一人一人のある種の個人的な体験に基づいているかのように、信仰を主観的にすることによって、信仰を破壊します。近代主義者にとっては、どのような宗教的経験も、それが何であっても素晴らしいものなのです。これは、完全に信仰を破壊することです。なぜなら、信仰の目的がもはや真理、すなわち天主と天主のみわざについての客観的な真理ではないからです。
その反対に、私たちが目を開いたとき、私たちが見るものを私たちがつくりだすのではないことは明らかです。これらのものは、私たちが目を開く前からあったのであり、私たちは単にそれらを知るようになるだけです。私たちは真理をつくるのではなく、真理を学ぶのです。同様に、私たちが信仰によって天主の超自然の神秘に目を開いたとき、私たちは天主の存在をつくりだすのではなく、それらを天主から学ぶのです。啓示は客観的な事実であり、預言と奇蹟によって確証されています。天主が人間と話をされ、人類の歴史の中に入られたということは事実であって、私たちが自分の気に入るようにつくりだすものではありません。私たちは、人類の歴史に目を開いたとき、その事実を学ぶのです。私たちはその事実から、天主が啓示された天主の神秘を学ぶのです。私たちがその神秘をつくる(でっちあげる)のではありません。
啓示は、天主の御子自らのご托身によって完成をもたらされました。御父のみ言葉であり天主の真理のみ言葉である天主の御子そのお方が来られて人間に話をされるとき、啓示は完成します。それに付け加えられるものは何もありません。私たちは、啓示の理解を深め、啓示の内容を明確にすることができますが、新しい内容を付け加えることも、啓示の内容を変えることも決してできません。天主の真理は永遠のものです。変わりません。「主のみ言葉は永遠に残る。あなたたちに伝えられたよい便りは、このみ言葉である」(ペトロ前書1章25節)。このように聖ピオ十世は、啓示は聖書の最後の書である黙示録を書いた最後の使徒、聖ヨハネの死をもって閉じられた、と教えています。
旧約においては、天主はふくらんでゆく啓示を受ける権威を大司祭に置かれ、こうして預言者たちが認められ、旧約における聖書の聖典に付け加えられてゆきました。天主は、「私たちを罪から救う」(マテオ1章21節。詩篇129章8節を参照)ための御子の来臨についてますます多くのことを啓示なさっていました。しかし新約においては、天主であり天主の御子である私たちの主イエズス・キリストがご自分の教会に置かれた権威は、新しい教理を教えるためのものではなく、むしろ「父が私の名によって送ってくださる弁護者、聖霊、彼があなたたちにすべてのことを教え、あなたたちの心にすべてのことを、私があなたたちに教えたすべてのことを思い出させてくださる」(ヨハネ14章26節)のです。言い換えれば、真理の充満(「すべてのこと」)は新しいものではなく、むしろ私たちの主イエズス・キリスト御自らがすでに教えてこられたすべてのことなのです。ですから、第一バチカン公会議は、教皇の不可謬性が定義されたまさにその章で、次のように教えています。「聖霊がペトロの後継者たちに約束したのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである」(デンツィンガー旧版1836)。
ですから、聖ピオ十世は、反近代主義誓文で、すべての聖職者に次のように誓うことを要求しました。
私は、使徒たちから正統信仰の教父たちを通じて同じ意味、同じ表現でわれわれに伝えられてきた信仰の教理を心から受け入れる。したがって、教義の意味が変化し、教会が昔信じていた意味と異なっていると主張する教義の進化説を異端として排斥する。…したがって、私は、教父たちの信仰を堅く守り、命の終わりまでその信仰を堅持する。また真理の賜物(カリスマ)が、使徒たちから継承された司教職のうちに今も、過去も、これからも常にあることを完全に確信する。それは、各時代の文化にあわせてよりよく、より適切であるように思われるものを信ずるのではなく、むしろ、最初から使徒たちによって宣べ伝えられた絶対不変の真理が、決して他の意味で信じられることも、他の意味で理解されることもないようにするためである。
誰も決して、ルターでも、教皇でさえも、信仰の遺産を変えることはできません! 私たちはどんなときよりもまさにこんにち、聖ピオ十世のこれらの言葉を聞き、その言葉に忠実である必要があります。その言葉は、「道であり真理であり命である」(ヨハネ14章6節)お方であり、「昨日も今日も世々に同じである」(ヘブライ13章8節)お方であるキリストという岩に私たちを置きます。新しいキリストはなく、新しい福音もあり得ません。あるのは、天主の永遠のみ言葉、変わり得ない天主の真理なのです。
信仰への熱意のゆえに、聖ピオ十世は、キリスト教の教理についての教え、特に公教要理を知ることについても強く訴えました。彼は、「聖ピオ十世の公教要理」と呼ばれる本を出版しました。これは、トレント公会議の公教要理を学校に通う子ども向けに要約したもので、信仰教育のために提供される美しいものです。彼はこの教えを強く推奨し、私たちの時代の悪の最も大きな原因は、宗教的な無知、天主と私たちの主イエズス・キリストおよび彼の教会に関する真理についての無知である、と言いました。
このように、聖ピオ十世は信仰の人であり、近代主義を非難することによって、教会に対して非常にすぐれた奉仕をしました。この信仰の岩の上に、人は堅い霊的生活を打ち立てることができます。また、聖ピオ十世は祈りの人でした。特に教会の公式な祈り、すなわち典礼と、最も崇高な祈りであるミサを愛し、促進させました。彼の第二の回勅は、教会固有の音楽であり、祈りから出て祈りへと導く音楽であるグレゴリオ聖歌の復興についてのものでした。グレゴリオ聖歌はまことに霊的な音楽であり、メロディーが支配し、精神を天的な観想へと導きます。さらに、グレゴリオ聖歌はプロの合唱団のために取っておかれるようなものではありません。普通の信者が、その多くを簡単に学ぶことができ、すべてのミサにある聖歌であるキリアーレだけでなく、沢山の賛歌や各ミサに固有の聖歌でさえも学ぶことができます。
聖ピオ十世はまた、典礼における聖人祝日と聖節の間の適切なバランスを復興させました。すなわち、一年間毎日諸聖人をたたえることと、待降節や公現節、四旬節、復活節、聖霊降臨後の聖節といった一年間の典礼上の「時節」の間のバランスです。これらの「時節」の典礼は教会の大変古い時代から来ているのですが、時がたつにつれてより多くの聖人が列聖されてきたため、これらの宝はいわば隠されたようになってしまっていました。典礼書には残っていたのですが、主日に使われるのが稀になってしまっていました。これは特に、全ての聖職者、また修道士や修道女のための祈りである「聖務日課」には重大な問題でした。そのため、聖ピオ十世はこれらの古い宝が適切に使用されるよう美しく復興させました。彼は好んで自分の聖務日課を唱え、教皇としての多くの重い任務の中にあっても祈りの人であり続けました。ある日、彼はメリー・デル・ヴァル枢機卿を自分の教皇チャペルでミサを捧げてもらうよう招きましたが、侍者がいなかったため、自分自身が枢機卿のミサで侍者を務めました。枢機卿が驚くと、教皇は「ミサで侍者を務める方法を、私がもう覚えていないと思いますか?」と言いました。このエピソードは、教皇の謙遜およびミサへの愛の両方を教えてくれます。
とりわけ、聖ピオ十世はご聖体の教皇です。彼はこの最高の天主の賜物への大きな愛と感謝を持っていました。幼い少年だったとき、彼はすでに初聖体を熱心に望んでいました。のちに教皇として、彼は幼い子どもたちがご聖体を受ける道を開きました。聖体拝領においてご自身を完全に与えてくださるというイエズスからの素晴らしい賜物に感謝するのに公教要理の知識が十分になるとすぐにです。彼はまた、ヤンセニズムの名残に終止符を打ち、頻繁に信心深い聖体拝領をすることを奨励しました。しかしながら、このことについて記しておかなければならないことは、彼がふさわしい聖体拝領のための適切な心構えが必要であることについて強く訴えたことと、こんにち非常に多くの人がいつも聖体拝領に行くのに全く告解をしないのを彼が目にするならば、ぞっとするであろう、ということです。成聖の恩寵の状態で生きている人にとっては、聖体拝領の前に毎回告解に行くのは必ずしも必要ではありませんが、頻繁な聖体拝領と頻繁な告解は相伴うもので、両方とも私たちの主イエズス・キリストへのまことの熱意と愛のしるしなのです。
聖ピオ十世の立法者としての業績は信者にはあまり知られていませんが、彼のもっとも素晴らしい業績のうちの一つは教会法の準備をしたことです。これは彼の後継者によって公布されましたが、この仕事は彼によって始まられ、大部分は彼の教皇在位中に終えられたのであり、それは彼の名がこの教会法に付けられているほど大きな役割だったのです。聖ピオ十世以前には、地域教会での法はありましたが、教会全体に対する一つの教会法にまとめられてはいませんでした。彼は、教会の法における永遠の諸原則をその賢明な適用とともに美しくまとめ、そのため彼の教会法は世俗の法律家の模範とさえなっています。近代主義者は彼の教会法を支持できませんでしたから、新しい教会法を公布することによってそれを変えようと試みました。ちょうど新しいミサを公布したようにです。しかし、聖ピオ十世の原則は彼自身のものではありません。その原則は初代教会から来るのであり、変えることはできませんから、聖ピオ十世会は聖ピオ十世の教会法によって表現された教会法のこれらの原則に執着し続けています。
また、非常に重要なのはフランスに対して聖ピオ十世がとった行動です。彼は、教会の聖職位階を市民政府の下に置こうとしたフランス政府に抵抗しました。教会の組織が市民政府によって変えられるのを見るよりは、むしろ市民政府が教会の財産すべてを盗んでしまう方がましだと考えました。教会はすでに、フランス革命の間にすべての財産を盗まれていましたが、1905年には再び教会と国家の分離という法によって盗まれたのです。しかし教会は、これによって、霊魂を救うという役割を追求するためのさらなる自由を得たのです。市民政府は、教会への影響力を失ったのです。
ここにおいて、彼は教会への大きな愛を示しました。聖パウロが私たちにこう教えてくれます。「キリストは教会のかしらである」(エフェゾ5章23節)、「教会はキリストの体であって、すべてにおいてすべてのものによって満たされる者の充満そのものである」(エフェゾ1章23節)。このように、教会はキリストの体、「キリストの神秘体」なのですから、教会を愛することなしに私たちの主イエズス・キリストを愛することは不可能です。一方を他方から離すことはできません。人は天主が合わせられたものを離してはなりません(マテオ19章6節)。教会が聖ピオ十世のような聖なる教皇を持っていても持っていなくても、教会はキリストの神秘体であり続けます。私たちの主イエズス・キリストは、タボル山での栄光に満ちた姿であろうとカルワリオ山であざけられて苦しみを受けられても、同じ方です。私たちは聖ヨハネのようにタボル山とカルワリオ山の両方で主とともに留まらなければならず、キリストのご受難の間に逃げだしてキリストを否んだペトロのようであってはなりません。しかし、そのときでさえ、彼はペトロ(教皇)であり続けたのです。
第二バチカン公会議の後に、数人の神学生がルフェーブル大司教のところへ来て、よき司祭になれるよう自分たちを助けてほしいと頼んだとき、大司教は彼が設立しようとしていた修道会の保護聖人として聖ピオ十世を選びました。その理由は、この聖なる教皇のこれらすべての聖徳のためです。多くの司祭たちが、司教たちであっても、自分たちの司祭職の本質と目的について混乱していた時期に、ルフェーブル大司教は司祭職に奉仕することをご自分の設立する修道会の目的とされました。その司祭職とは、私たちの主イエズス・キリストが、「これを私の記念として行いなさい」(ルカ22章19節)、と言われて制定されたもので、そうして使徒たちにミサの聖なる犠牲、すなわちご自身が今より十字架上で捧げられる犠牲そのものの継続となる新約の犠牲を捧げる権能を与えられたのです。こうしてルフェーブル大司教は、ご聖体の人としての司祭を、ご聖体の教皇の保護の下に置いたのです。
聖パウロはこう言いました。「私たちをキリストのしもべ、また天主の奥義の管理者だと考えよ。管理者に要求されるのは忠実である」(コリント前書4章1-2節)。ですから、忠実というまさにこの単純な原則が、ルフェーブル大司教の原則でありと最初から聖ピオ十世会の指針となる原則であったのであり、今でも私たちの指針となる原則なのです。私たちは永遠の信仰に忠実でありたい、私たちの主イエズス・キリストによって啓示された不変の真理に完全に忠実でありたいと願っているのです。私たちは諸聖人の道徳に忠実でありたい、天国への確実な道である十字架の道という王道を私たちの主イエズス・キリストに従った諸聖人に従って進みたいと思っているのです。私たちは、教会が最愛の宝として私たちに伝えた永遠の典礼に忠実でありたいと思っているのです。私たちは変わりません。これらは永遠の価値であり、私たちが過去の教会と一致していることは、私たちが現在と未来の教会と一致することの最高の保証なのです。しかし、私たちは教会に忠実であり続けたいとも思っています。それゆえに、聖ピオ十世会は常に教皇聖座空位論を拒否してきました。なぜなら、教会の外では、まことの忠実はあり得ないからです。
聖ピオ十世会は、全てを変えたがる人々によって迫害されて続けてきました。私たちは不従順の罪によって告発され続けてきました。しかし、私たちが行っていることが聖人たちの行ったことであり、聖人たちが愛して大切にしたことであるにもかかわらず、もし教会で権威を持った誰かが私たちにそれを行わないよう命じるならば、間違いは私たちの側にはなく、むしろその権威者の側にあるのです! ルフェーブル大司教が、「地上のどのような権威でも、たとえそれが教皇であっても、私たちの信仰を変えるよう私たちに命じることはできません。カトリック信仰を変えることはできません!」と言われたように。聖ピオ十世が、「最初から使徒たちによって宣べ伝えられた絶対不変の真理が、決して他の意味で信じられることも、他の意味で理解されることもない」と言われたように。誰も、私たちにその信仰を変えるよう命じることはできず、典礼における聖伝の表現様式を変えるよう命じることもできません。
聖ピオ十世のような聖人たちが私たちが信じることを教え、私たちが大切にしている典礼を大切にし、私たちが実践しようと努めている道徳を実践したということを知って、私たちは平安でいられるのです。その聖人たちは、私たちを変えてしまおうと試みる人々に対して、最後の審判において私たちの保護者にして弁護者となるでしょう。
親愛なる兄弟の皆さん、聖ピオ十世会の司祭、また修道士や修道女の良きかつ聖なる召命のために祈ってくださるようお願いします。オーストラリアの聖十字架神学校に四人の韓国人神学生がおり、フィリピンのイロイロには一人の予備神学生がいるのは大きなお恵みですし、天主のお恵みによって私たちはもっと多くを期待しています。しかし、皆さんは祈り続けなければなりません。良き召命はしばしば良き家庭から出るのですから。聖ピオ十世は良きカトリックの家庭から出ました。彼の母は、彼に素朴ながら堅い信仰を受け継がせた聖なる女性でした。聖性が家庭を支配するところには、聖なる召命が花開くことができるのです。ですから、マリアの汚れなき御心を通して、キリストの愛徳が支配する、良きかつ聖なるカトリックの家庭のためにも祈りましょう。
アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話 「聖ピオ十世について」(日本語訳)をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年9月10日 大阪の公教要理
聖ピオ十世について
親愛なる兄弟の皆さん、
この前の主日に、私たちは聖ピオ十世の祝日を祝いました。彼はまことの聖人教皇の中で最も新しい人です。彼は、こんにちでも私たちがその大きな影響を受け続けているほど重要です。天国への道は新しいものではなく、全ての聖人はその道を歩んだのですから、もし私たちがその道から離れ、自分自身を欺いて失われた羊としてさまようならば、私たちは愚か者になってしまうことでしょう。第二バチカン公会議以来、教会で起きた悪魔によるすべての誤った方向づけのため、私たちは確実な導き手を探さざるを得ませんが、私たちは聖ピオ十世にその確実な導き手を見いだすのです。彼は、まことに聖ペトロの後継者にふさわしく、まことに信仰の堅いいわおであり、天国への道について確実な導き手であったのです。
第一に、聖ピオ十世は信仰の人でした。聖パウロは私たちにこう言います。「義人は信仰によって生きる」(ローマ1章17節)。まことの信仰は、個人にとっても社会全体にとっても、霊的な建物全体の基礎です。キリスト教文明はまことの信仰に基づいています。こんにちのヨーロッパで見られるように、信仰を破壊すれば文明全体が崩壊します。ですから、聖ピオ十世は、自分の教皇としての第一の義務を、信仰を擁護すること、特に近代主義に対して擁護することだと考えました。ここにおいて、彼はペトロの後継者にふさわしい人です。実際、これは私たちの主イエズス・キリストがペトロにお与えになった命令そのものでした。「私はあなたのために信仰がなくならならぬようにと祈った。あなたは心を取り戻し、兄弟たちの心を固めよ」(ルカ22章32節)。
近代主義は、信仰が天主による公の啓示という客観的な事実に基づいているのではなく、まるで天主についての一人一人のある種の個人的な体験に基づいているかのように、信仰を主観的にすることによって、信仰を破壊します。近代主義者にとっては、どのような宗教的経験も、それが何であっても素晴らしいものなのです。これは、完全に信仰を破壊することです。なぜなら、信仰の目的がもはや真理、すなわち天主と天主のみわざについての客観的な真理ではないからです。
その反対に、私たちが目を開いたとき、私たちが見るものを私たちがつくりだすのではないことは明らかです。これらのものは、私たちが目を開く前からあったのであり、私たちは単にそれらを知るようになるだけです。私たちは真理をつくるのではなく、真理を学ぶのです。同様に、私たちが信仰によって天主の超自然の神秘に目を開いたとき、私たちは天主の存在をつくりだすのではなく、それらを天主から学ぶのです。啓示は客観的な事実であり、預言と奇蹟によって確証されています。天主が人間と話をされ、人類の歴史の中に入られたということは事実であって、私たちが自分の気に入るようにつくりだすものではありません。私たちは、人類の歴史に目を開いたとき、その事実を学ぶのです。私たちはその事実から、天主が啓示された天主の神秘を学ぶのです。私たちがその神秘をつくる(でっちあげる)のではありません。
啓示は、天主の御子自らのご托身によって完成をもたらされました。御父のみ言葉であり天主の真理のみ言葉である天主の御子そのお方が来られて人間に話をされるとき、啓示は完成します。それに付け加えられるものは何もありません。私たちは、啓示の理解を深め、啓示の内容を明確にすることができますが、新しい内容を付け加えることも、啓示の内容を変えることも決してできません。天主の真理は永遠のものです。変わりません。「主のみ言葉は永遠に残る。あなたたちに伝えられたよい便りは、このみ言葉である」(ペトロ前書1章25節)。このように聖ピオ十世は、啓示は聖書の最後の書である黙示録を書いた最後の使徒、聖ヨハネの死をもって閉じられた、と教えています。
旧約においては、天主はふくらんでゆく啓示を受ける権威を大司祭に置かれ、こうして預言者たちが認められ、旧約における聖書の聖典に付け加えられてゆきました。天主は、「私たちを罪から救う」(マテオ1章21節。詩篇129章8節を参照)ための御子の来臨についてますます多くのことを啓示なさっていました。しかし新約においては、天主であり天主の御子である私たちの主イエズス・キリストがご自分の教会に置かれた権威は、新しい教理を教えるためのものではなく、むしろ「父が私の名によって送ってくださる弁護者、聖霊、彼があなたたちにすべてのことを教え、あなたたちの心にすべてのことを、私があなたたちに教えたすべてのことを思い出させてくださる」(ヨハネ14章26節)のです。言い換えれば、真理の充満(「すべてのこと」)は新しいものではなく、むしろ私たちの主イエズス・キリスト御自らがすでに教えてこられたすべてのことなのです。ですから、第一バチカン公会議は、教皇の不可謬性が定義されたまさにその章で、次のように教えています。「聖霊がペトロの後継者たちに約束したのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである」(デンツィンガー旧版1836)。
ですから、聖ピオ十世は、反近代主義誓文で、すべての聖職者に次のように誓うことを要求しました。
私は、使徒たちから正統信仰の教父たちを通じて同じ意味、同じ表現でわれわれに伝えられてきた信仰の教理を心から受け入れる。したがって、教義の意味が変化し、教会が昔信じていた意味と異なっていると主張する教義の進化説を異端として排斥する。…したがって、私は、教父たちの信仰を堅く守り、命の終わりまでその信仰を堅持する。また真理の賜物(カリスマ)が、使徒たちから継承された司教職のうちに今も、過去も、これからも常にあることを完全に確信する。それは、各時代の文化にあわせてよりよく、より適切であるように思われるものを信ずるのではなく、むしろ、最初から使徒たちによって宣べ伝えられた絶対不変の真理が、決して他の意味で信じられることも、他の意味で理解されることもないようにするためである。
誰も決して、ルターでも、教皇でさえも、信仰の遺産を変えることはできません! 私たちはどんなときよりもまさにこんにち、聖ピオ十世のこれらの言葉を聞き、その言葉に忠実である必要があります。その言葉は、「道であり真理であり命である」(ヨハネ14章6節)お方であり、「昨日も今日も世々に同じである」(ヘブライ13章8節)お方であるキリストという岩に私たちを置きます。新しいキリストはなく、新しい福音もあり得ません。あるのは、天主の永遠のみ言葉、変わり得ない天主の真理なのです。
信仰への熱意のゆえに、聖ピオ十世は、キリスト教の教理についての教え、特に公教要理を知ることについても強く訴えました。彼は、「聖ピオ十世の公教要理」と呼ばれる本を出版しました。これは、トレント公会議の公教要理を学校に通う子ども向けに要約したもので、信仰教育のために提供される美しいものです。彼はこの教えを強く推奨し、私たちの時代の悪の最も大きな原因は、宗教的な無知、天主と私たちの主イエズス・キリストおよび彼の教会に関する真理についての無知である、と言いました。
このように、聖ピオ十世は信仰の人であり、近代主義を非難することによって、教会に対して非常にすぐれた奉仕をしました。この信仰の岩の上に、人は堅い霊的生活を打ち立てることができます。また、聖ピオ十世は祈りの人でした。特に教会の公式な祈り、すなわち典礼と、最も崇高な祈りであるミサを愛し、促進させました。彼の第二の回勅は、教会固有の音楽であり、祈りから出て祈りへと導く音楽であるグレゴリオ聖歌の復興についてのものでした。グレゴリオ聖歌はまことに霊的な音楽であり、メロディーが支配し、精神を天的な観想へと導きます。さらに、グレゴリオ聖歌はプロの合唱団のために取っておかれるようなものではありません。普通の信者が、その多くを簡単に学ぶことができ、すべてのミサにある聖歌であるキリアーレだけでなく、沢山の賛歌や各ミサに固有の聖歌でさえも学ぶことができます。
聖ピオ十世はまた、典礼における聖人祝日と聖節の間の適切なバランスを復興させました。すなわち、一年間毎日諸聖人をたたえることと、待降節や公現節、四旬節、復活節、聖霊降臨後の聖節といった一年間の典礼上の「時節」の間のバランスです。これらの「時節」の典礼は教会の大変古い時代から来ているのですが、時がたつにつれてより多くの聖人が列聖されてきたため、これらの宝はいわば隠されたようになってしまっていました。典礼書には残っていたのですが、主日に使われるのが稀になってしまっていました。これは特に、全ての聖職者、また修道士や修道女のための祈りである「聖務日課」には重大な問題でした。そのため、聖ピオ十世はこれらの古い宝が適切に使用されるよう美しく復興させました。彼は好んで自分の聖務日課を唱え、教皇としての多くの重い任務の中にあっても祈りの人であり続けました。ある日、彼はメリー・デル・ヴァル枢機卿を自分の教皇チャペルでミサを捧げてもらうよう招きましたが、侍者がいなかったため、自分自身が枢機卿のミサで侍者を務めました。枢機卿が驚くと、教皇は「ミサで侍者を務める方法を、私がもう覚えていないと思いますか?」と言いました。このエピソードは、教皇の謙遜およびミサへの愛の両方を教えてくれます。
とりわけ、聖ピオ十世はご聖体の教皇です。彼はこの最高の天主の賜物への大きな愛と感謝を持っていました。幼い少年だったとき、彼はすでに初聖体を熱心に望んでいました。のちに教皇として、彼は幼い子どもたちがご聖体を受ける道を開きました。聖体拝領においてご自身を完全に与えてくださるというイエズスからの素晴らしい賜物に感謝するのに公教要理の知識が十分になるとすぐにです。彼はまた、ヤンセニズムの名残に終止符を打ち、頻繁に信心深い聖体拝領をすることを奨励しました。しかしながら、このことについて記しておかなければならないことは、彼がふさわしい聖体拝領のための適切な心構えが必要であることについて強く訴えたことと、こんにち非常に多くの人がいつも聖体拝領に行くのに全く告解をしないのを彼が目にするならば、ぞっとするであろう、ということです。成聖の恩寵の状態で生きている人にとっては、聖体拝領の前に毎回告解に行くのは必ずしも必要ではありませんが、頻繁な聖体拝領と頻繁な告解は相伴うもので、両方とも私たちの主イエズス・キリストへのまことの熱意と愛のしるしなのです。
聖ピオ十世の立法者としての業績は信者にはあまり知られていませんが、彼のもっとも素晴らしい業績のうちの一つは教会法の準備をしたことです。これは彼の後継者によって公布されましたが、この仕事は彼によって始まられ、大部分は彼の教皇在位中に終えられたのであり、それは彼の名がこの教会法に付けられているほど大きな役割だったのです。聖ピオ十世以前には、地域教会での法はありましたが、教会全体に対する一つの教会法にまとめられてはいませんでした。彼は、教会の法における永遠の諸原則をその賢明な適用とともに美しくまとめ、そのため彼の教会法は世俗の法律家の模範とさえなっています。近代主義者は彼の教会法を支持できませんでしたから、新しい教会法を公布することによってそれを変えようと試みました。ちょうど新しいミサを公布したようにです。しかし、聖ピオ十世の原則は彼自身のものではありません。その原則は初代教会から来るのであり、変えることはできませんから、聖ピオ十世会は聖ピオ十世の教会法によって表現された教会法のこれらの原則に執着し続けています。
また、非常に重要なのはフランスに対して聖ピオ十世がとった行動です。彼は、教会の聖職位階を市民政府の下に置こうとしたフランス政府に抵抗しました。教会の組織が市民政府によって変えられるのを見るよりは、むしろ市民政府が教会の財産すべてを盗んでしまう方がましだと考えました。教会はすでに、フランス革命の間にすべての財産を盗まれていましたが、1905年には再び教会と国家の分離という法によって盗まれたのです。しかし教会は、これによって、霊魂を救うという役割を追求するためのさらなる自由を得たのです。市民政府は、教会への影響力を失ったのです。
ここにおいて、彼は教会への大きな愛を示しました。聖パウロが私たちにこう教えてくれます。「キリストは教会のかしらである」(エフェゾ5章23節)、「教会はキリストの体であって、すべてにおいてすべてのものによって満たされる者の充満そのものである」(エフェゾ1章23節)。このように、教会はキリストの体、「キリストの神秘体」なのですから、教会を愛することなしに私たちの主イエズス・キリストを愛することは不可能です。一方を他方から離すことはできません。人は天主が合わせられたものを離してはなりません(マテオ19章6節)。教会が聖ピオ十世のような聖なる教皇を持っていても持っていなくても、教会はキリストの神秘体であり続けます。私たちの主イエズス・キリストは、タボル山での栄光に満ちた姿であろうとカルワリオ山であざけられて苦しみを受けられても、同じ方です。私たちは聖ヨハネのようにタボル山とカルワリオ山の両方で主とともに留まらなければならず、キリストのご受難の間に逃げだしてキリストを否んだペトロのようであってはなりません。しかし、そのときでさえ、彼はペトロ(教皇)であり続けたのです。
第二バチカン公会議の後に、数人の神学生がルフェーブル大司教のところへ来て、よき司祭になれるよう自分たちを助けてほしいと頼んだとき、大司教は彼が設立しようとしていた修道会の保護聖人として聖ピオ十世を選びました。その理由は、この聖なる教皇のこれらすべての聖徳のためです。多くの司祭たちが、司教たちであっても、自分たちの司祭職の本質と目的について混乱していた時期に、ルフェーブル大司教は司祭職に奉仕することをご自分の設立する修道会の目的とされました。その司祭職とは、私たちの主イエズス・キリストが、「これを私の記念として行いなさい」(ルカ22章19節)、と言われて制定されたもので、そうして使徒たちにミサの聖なる犠牲、すなわちご自身が今より十字架上で捧げられる犠牲そのものの継続となる新約の犠牲を捧げる権能を与えられたのです。こうしてルフェーブル大司教は、ご聖体の人としての司祭を、ご聖体の教皇の保護の下に置いたのです。
聖パウロはこう言いました。「私たちをキリストのしもべ、また天主の奥義の管理者だと考えよ。管理者に要求されるのは忠実である」(コリント前書4章1-2節)。ですから、忠実というまさにこの単純な原則が、ルフェーブル大司教の原則でありと最初から聖ピオ十世会の指針となる原則であったのであり、今でも私たちの指針となる原則なのです。私たちは永遠の信仰に忠実でありたい、私たちの主イエズス・キリストによって啓示された不変の真理に完全に忠実でありたいと願っているのです。私たちは諸聖人の道徳に忠実でありたい、天国への確実な道である十字架の道という王道を私たちの主イエズス・キリストに従った諸聖人に従って進みたいと思っているのです。私たちは、教会が最愛の宝として私たちに伝えた永遠の典礼に忠実でありたいと思っているのです。私たちは変わりません。これらは永遠の価値であり、私たちが過去の教会と一致していることは、私たちが現在と未来の教会と一致することの最高の保証なのです。しかし、私たちは教会に忠実であり続けたいとも思っています。それゆえに、聖ピオ十世会は常に教皇聖座空位論を拒否してきました。なぜなら、教会の外では、まことの忠実はあり得ないからです。
聖ピオ十世会は、全てを変えたがる人々によって迫害されて続けてきました。私たちは不従順の罪によって告発され続けてきました。しかし、私たちが行っていることが聖人たちの行ったことであり、聖人たちが愛して大切にしたことであるにもかかわらず、もし教会で権威を持った誰かが私たちにそれを行わないよう命じるならば、間違いは私たちの側にはなく、むしろその権威者の側にあるのです! ルフェーブル大司教が、「地上のどのような権威でも、たとえそれが教皇であっても、私たちの信仰を変えるよう私たちに命じることはできません。カトリック信仰を変えることはできません!」と言われたように。聖ピオ十世が、「最初から使徒たちによって宣べ伝えられた絶対不変の真理が、決して他の意味で信じられることも、他の意味で理解されることもない」と言われたように。誰も、私たちにその信仰を変えるよう命じることはできず、典礼における聖伝の表現様式を変えるよう命じることもできません。
聖ピオ十世のような聖人たちが私たちが信じることを教え、私たちが大切にしている典礼を大切にし、私たちが実践しようと努めている道徳を実践したということを知って、私たちは平安でいられるのです。その聖人たちは、私たちを変えてしまおうと試みる人々に対して、最後の審判において私たちの保護者にして弁護者となるでしょう。
親愛なる兄弟の皆さん、聖ピオ十世会の司祭、また修道士や修道女の良きかつ聖なる召命のために祈ってくださるようお願いします。オーストラリアの聖十字架神学校に四人の韓国人神学生がおり、フィリピンのイロイロには一人の予備神学生がいるのは大きなお恵みですし、天主のお恵みによって私たちはもっと多くを期待しています。しかし、皆さんは祈り続けなければなりません。良き召命はしばしば良き家庭から出るのですから。聖ピオ十世は良きカトリックの家庭から出ました。彼の母は、彼に素朴ながら堅い信仰を受け継がせた聖なる女性でした。聖性が家庭を支配するところには、聖なる召命が花開くことができるのです。ですから、マリアの汚れなき御心を通して、キリストの愛徳が支配する、良きかつ聖なるカトリックの家庭のためにも祈りましょう。
アーメン。