2017年5月6日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
もしも私たちが汚れなき御心の神秘を深く理解しようとするならば、私たちは教会が教えている教えを、深く正しく理解するように、そこ教会の教えに、原点に戻らなければなりません。
つまり、「マリア様が聖霊の充ち満てる方である」という事です。もしも私たちがマリア様の事を見るなら、マリア様の御心に溢れるその動きを見るならば、そこには御子イエズス・キリストに対する無限の愛が、限りない愛がある事が分かります。
汚れなき御心を見ると、イエズス・キリスト様がなさりたいと思った全ての事は、マリア様と共に、マリア様の内になされているという事が分かります。
昨日私たちは黙想しました。マリア様の愛する汚れなき御心があったが故に、イエズス様は天から地に降りる事ができ、人となる事ができた、と。汚れなき御心はいつも、天主の御旨に対して“フィアット”「なれかし」と、このこだまの連続でした。
天主の御旨はどのように表現されたかというと、30年間マリア様が天主の御子の長上となる、つまり目上となる、母親となるという事を望むことで表されました。30年の間、イエズス様は母であるマリア様の御心をいつも眺めて、それを慕って、マリア様の心の望みが、それはイエズス様にとっては命令でした。
聖書によれば、「イエズス様は御生涯全て、天主聖父の御旨を果たした。」そして「聖霊の導きの導かれるままにあった」とあります。ところで聖霊は、マリア様の中に充満におられました。そして聖霊はマリア様を通して働かれました。したがってマリア様の心の望み、心の動きというのはすなわちイコール、聖霊の望みであり、聖霊の動きでした。
イエズス様が最初に、公生活を始めて最初の奇跡をする時も、マリア様の御心のこの小さな動きが、イエズス様をして最初の奇跡をするようにさせました。
今日の福音書を見ると、マリア様の御心がどれほど選ばれて贖いの業に参与したか、という事が分かります。聖アウグスティヌスは既に説明しています、「イエズス様が肉体に於いて苦しまれた事を、マリア様は心に於いて苦しまれた。」マリア様はこうして苦しむ事によって第2の新しいエヴァとなり、贖われた新しく生きる人々の母となりました。
イエズス様の母となった時に、その生みの母の苦しみはありませんでした。しかし私たちの母となる時には、私たちを生み出す時には、マリア様は極めて苦しい苦しみを捧げて、母となりました。
イエズス様の聖心とマリア様の御心はそれほど結合していて、それほど一致しているというのを見ましたが、実に1つの愛の炎で満たされていたからです。
「愛する者に自分の命を与えるほど偉大な愛はない」とイエズス様は言います。イエズス様が私たちを愛するが為に自分の命を与えて、私たちの為に苦しまれたその愛に、マリア様は与って、マリア様も一緒に私たちの為に自分の苦しみを捧げました。
イエズス様が十字架の上で亡くなられた時に、マリア様はその十字架の足もとに立って、カルワリオの全ての実りを聖化を受け取りました。
ではカルワリオの実りとは何でしょうか?それは、イエズス様が私たちの為に苦しみ勝ち取った、贖いと救いの実りです。
イエズス様のカルワリオの十字架の苦しみのおかげで、地獄の門は閉ざされ、天国は開かれました。私たちを今まで縛りつけていた地獄の悪魔の鎖を解き放って下さいました。イエズス様の御血によって私たちの罪の汚れを全て洗い浄めて下さり、その癩病のようにもう治る事ができないかと思われたこの病から浄めて下さいました、治して下さいました。
イエズス様がなさった、この解放と浄めの全ての実りを十字架の上で勝ち取った時、全てをマリア様に贈り物として与えました。イエズス様が亡くなった時には、私たちには天主様の光の一部を下さいました。つまり「信仰」と「希望」と「愛」という聖徳の光を私たちに分け与えて下さいました。マリア様は、マリア様も受けたこの光を私たちに与えて下さいます。
天主の贖いの救いの御業が全て、その宝が詰まっている宝庫のカリスが、マリア様と言えます。
ではマリア様のこの汚れなき御心は一体何をなさるのでしょうか?
一体どうやって鼓動をしているのでしょうか?
マリア様の御心には、全ての民族の全ての民に必要な、全てのお恵みで充ち満たされています。それを何とかして、できる限り多く人々に与えたいと願っています。マリア様はイエズス様で満たされています。汚れなき御心はつまり、イエズス様の聖心でいっぱいで充ち満ちていて、その祈りとその光で満たされています。こういう仕方でイエズス様の救いの御業、贖いの御業、人類の救いの為の事業に参与しています。
イエズス様は、新しく生まれた贖われた人類の父です、新しいアダム。マリア様は、贖われた新しい人類の母、新しいエヴァです。
イエズス様は私たちの贖い主であり、新しい母であるマリア様は共贖者、共に贖った母です。
イエズス様は私たちの永遠の王であり、マリア様は私たちの永遠の元后、女王です。
しかし、マリア様の汚れなき御心の偉大さを説明するにはこれでは不十分です。何故かというと、イエズス様が復活して昇天された時に、後にイエズス様は私たちに聖霊を送られました。聖霊というのは、天主聖父と聖子の愛そのものです。これは昨日黙想しました。
イエズス様は私たちに救いの恵みを与えました。聖霊は私たちにこの救いの業を、イエズス様とは別の観点から別のやり方で与えます。イエズス様がすでに仰ったように、聖霊の特別の役割というのは、私たちを真理の充満へと導く事です。十字架の実りと救いの業の実りを私たちが受け取る事ができるように、聖霊は私たちの心を開かせてくれます。
この御恵みを私たちはいつも受けています。もしも皆さんが今ミサに与っているとしたら、これは聖霊のおかげです。もしも信仰の神秘のことを、「あぁ、そうだったのか!」と理解する、また深く理解する事ができたら、これは聖霊のおかげです。誘惑に対してより強くなって、それに抵抗する事ができる、それを避ける事ができるとしたら、聖霊のおかげです。
聖霊がこの世に送られた時に、一体どこに行くべきだったでしょうか?
聖パウロによれば、「聖霊は私たちの心に来た」と言います。「天主の愛が私たちの心に注がれた」と聖パウロは言います。
これはどうやって起こるのでしょうか?皆さんと私たちの全ての心にこの注がれる前に、聖霊は最初に1つの場所に来ました。何故かというと、この私たちの心に行こうと聖父と聖子から聖霊は送られて、私たちの心に注がれようとしたのですけれども、聖霊を受けようとする霊魂たちが一人もいなかったからです。何故なら、私たちは罪によって聖霊が入るのを拒み、ドアを閉めてしまっていたからです。
天主は光ですから、光には闇がありません。聖霊は聖なるものですから聖でない所に行く事はできません。聖霊が行かれる主要な場所というのは、聖なる場所でなければなりません。そのような場所というのは1つしかありませんでした。罪の汚れから全く浄められていた場所です。怠惰や或いは無関心、或いはその他の欠点から全て免れていた場所でした。これがマリア様の御心です。
聖霊はマリア様のこの清い心に来られて、そしてマリア様の御心を最高度に充ち満たします。そこで天使がマリア様の事について、「聖寵に充ち満てる御方」と呼ぶ事ができたのです、“gratia plena”と。
では聖霊に対して、マリア様の役割とは何でしょうか?マリア様は聖霊から受けた全ての光や恵みを、この自分の子供たちに与えたいと思っています。聖霊の浄配となったマリア様は、私たちに聖霊の恵みを分配する運河となるのです。
先程申し上げましたように、私たちが光を受けたのならば、それは全て聖霊から来ると言いました。しかしこれは、マリア様を通してのみ受ける事ができます。何故なら聖霊の全てのお恵み、全ての光があるのは、マリア様の御心だからです。
でもこのお恵みは、1日のうちのいつでも必要なお恵みです。私たちの1日の瞬間瞬間に必要なお恵みを、マリア様は既に用意しています。私たちがしなければならない事を理解する事、或いは真理をより良く、より深く理解するそのお恵み、私たちの弱点を強める為の意志の強さ、この私たちにいつどの瞬間にもお恵みを与える準備ができているというシンボルは、マリア様の御心であって、いつも毎瞬毎瞬鼓動をしている動いているその心です。
よく心臓の動きを見ると、ドキ、ドキ、ドキ、といっているではないですか。マリア様が聖霊の充満から受けたお恵みを全て私たちに与えようと、どの瞬間でも思っているという事です。
では、私たちは一体何をしなければならないのでしょうか?
たった1つの事だけで大丈夫です。マリア様の元に行くという事です。いつもどこでもマリア様の元に行けば良いのです。私たちの持っているものと、私たちがそのあるがままで、マリア様の元に行けば大丈夫です。
もしも「良い1日を過ごしたい、良い日でありたい」と思えば、マリア様の元に朝行けば、マリア様は私たちに良い日が送る事ができるようにお恵みを下さいます。
もしも困った事、心配事、辛い事があれば、マリア様の元に行って下さい。マリア様はそれに必要なお恵みを全て下さいます。
もしも誘惑を受けた、悪魔からの誘いがあったという時には、必ずマリア様の所に行って下さい。何故かというと、罪に打ち勝つ事ができるお恵みを下さるのは、マリア様しかいないからです。
すると、私たちがいつも考えていたよりも、汚れなき御心というのはずっと重要な役割があるという事が分かります。
昨日は、「マリア様の御心というのは、イエズス様の聖心が私たちの元に来るその心だ」と言っていました。イエズス様の聖心の全ての恵みは、汚れなき御心を通して私たちの元にやって来ます。
しかし聖霊も、私たちの元にマリア様を通して、全てのお恵みと宝物を持ってやって来ます。イエズス様の贖いのお恵み、そして聖霊の全てのお恵みは、マリア様の御心を通してやって来ます。ですからマリア様は全ての聖寵の仲介者であって、そのシンボルがマリア様の汚れなき御心です。
まだこれで終わりではありません、ちょっとお説教は長いのです。(^^;)
「天主様が私たちに下さるもの全て、マリア様を通して来る」という事です。ですからマリア様の汚れなき御心に感謝して下さい。これから、ただ受けるだけではなくて、皆さんも天主様に何かしなければなりません。何故かというと、イエズス様は私たちを救う為にやって来ますけれども、もしも私たちがイエズス様の方に戻らなければ、救われる事はできないからです。
私たちが天主様に戻るその一歩一歩の道行き、これはマリア様を通してです。マリア様を通して、天主様は私たちの元にお恵みを下さり、マリア様を通して、私たちは天主様の元に帰ります。
これがファチマでマリア様が仰った事です、「私の汚れなき御心は、あなた方の避難所であり、逃れ場であり、あなたたちを天主へと導く道である」と。
では皆さんが何をしなければならないでしょうか?
それはファチマでちゃんと説明して下さいました。
何をしなければならないかというのは、汚れなき御心に対する信心を実践するという事です。数日かけてこの信心については説明しました。もしもマリア様の汚れなき御心の信心を選んでそれを実践するならば、マリア様は私たちを導く星となり、そして母となり、私たちに大きな報いを約束しています。
この特別な報いというのは、皆さんが天主によって特別に大切に愛されたものとなり、特別の地位を得るという事です。
ではファチマでマリア様が仰った、「私の御心は最後に勝利を、凱旋するでしょう」というのはどういう意味でしょうか?
この凱旋というのは、イエズス様、御子イエズス様の凱旋であって、マリア様を通してイエズス様のお恵みを受けた人々が救われるという事です。これは聖霊の凱旋でもあります。これは私たちの心の闇と罪に満ちている私たちの心を、遂に光と聖徳の心に変えて、という難しい事業を達成した、聖霊の凱旋です。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
もしも私たちが汚れなき御心の神秘を深く理解しようとするならば、私たちは教会が教えている教えを、深く正しく理解するように、そこ教会の教えに、原点に戻らなければなりません。
つまり、「マリア様が聖霊の充ち満てる方である」という事です。もしも私たちがマリア様の事を見るなら、マリア様の御心に溢れるその動きを見るならば、そこには御子イエズス・キリストに対する無限の愛が、限りない愛がある事が分かります。
汚れなき御心を見ると、イエズス・キリスト様がなさりたいと思った全ての事は、マリア様と共に、マリア様の内になされているという事が分かります。
昨日私たちは黙想しました。マリア様の愛する汚れなき御心があったが故に、イエズス様は天から地に降りる事ができ、人となる事ができた、と。汚れなき御心はいつも、天主の御旨に対して“フィアット”「なれかし」と、このこだまの連続でした。
天主の御旨はどのように表現されたかというと、30年間マリア様が天主の御子の長上となる、つまり目上となる、母親となるという事を望むことで表されました。30年の間、イエズス様は母であるマリア様の御心をいつも眺めて、それを慕って、マリア様の心の望みが、それはイエズス様にとっては命令でした。
聖書によれば、「イエズス様は御生涯全て、天主聖父の御旨を果たした。」そして「聖霊の導きの導かれるままにあった」とあります。ところで聖霊は、マリア様の中に充満におられました。そして聖霊はマリア様を通して働かれました。したがってマリア様の心の望み、心の動きというのはすなわちイコール、聖霊の望みであり、聖霊の動きでした。
イエズス様が最初に、公生活を始めて最初の奇跡をする時も、マリア様の御心のこの小さな動きが、イエズス様をして最初の奇跡をするようにさせました。
今日の福音書を見ると、マリア様の御心がどれほど選ばれて贖いの業に参与したか、という事が分かります。聖アウグスティヌスは既に説明しています、「イエズス様が肉体に於いて苦しまれた事を、マリア様は心に於いて苦しまれた。」マリア様はこうして苦しむ事によって第2の新しいエヴァとなり、贖われた新しく生きる人々の母となりました。
イエズス様の母となった時に、その生みの母の苦しみはありませんでした。しかし私たちの母となる時には、私たちを生み出す時には、マリア様は極めて苦しい苦しみを捧げて、母となりました。
イエズス様の聖心とマリア様の御心はそれほど結合していて、それほど一致しているというのを見ましたが、実に1つの愛の炎で満たされていたからです。
「愛する者に自分の命を与えるほど偉大な愛はない」とイエズス様は言います。イエズス様が私たちを愛するが為に自分の命を与えて、私たちの為に苦しまれたその愛に、マリア様は与って、マリア様も一緒に私たちの為に自分の苦しみを捧げました。
イエズス様が十字架の上で亡くなられた時に、マリア様はその十字架の足もとに立って、カルワリオの全ての実りを聖化を受け取りました。
ではカルワリオの実りとは何でしょうか?それは、イエズス様が私たちの為に苦しみ勝ち取った、贖いと救いの実りです。
イエズス様のカルワリオの十字架の苦しみのおかげで、地獄の門は閉ざされ、天国は開かれました。私たちを今まで縛りつけていた地獄の悪魔の鎖を解き放って下さいました。イエズス様の御血によって私たちの罪の汚れを全て洗い浄めて下さり、その癩病のようにもう治る事ができないかと思われたこの病から浄めて下さいました、治して下さいました。
イエズス様がなさった、この解放と浄めの全ての実りを十字架の上で勝ち取った時、全てをマリア様に贈り物として与えました。イエズス様が亡くなった時には、私たちには天主様の光の一部を下さいました。つまり「信仰」と「希望」と「愛」という聖徳の光を私たちに分け与えて下さいました。マリア様は、マリア様も受けたこの光を私たちに与えて下さいます。
天主の贖いの救いの御業が全て、その宝が詰まっている宝庫のカリスが、マリア様と言えます。
ではマリア様のこの汚れなき御心は一体何をなさるのでしょうか?
一体どうやって鼓動をしているのでしょうか?
マリア様の御心には、全ての民族の全ての民に必要な、全てのお恵みで充ち満たされています。それを何とかして、できる限り多く人々に与えたいと願っています。マリア様はイエズス様で満たされています。汚れなき御心はつまり、イエズス様の聖心でいっぱいで充ち満ちていて、その祈りとその光で満たされています。こういう仕方でイエズス様の救いの御業、贖いの御業、人類の救いの為の事業に参与しています。
イエズス様は、新しく生まれた贖われた人類の父です、新しいアダム。マリア様は、贖われた新しい人類の母、新しいエヴァです。
イエズス様は私たちの贖い主であり、新しい母であるマリア様は共贖者、共に贖った母です。
イエズス様は私たちの永遠の王であり、マリア様は私たちの永遠の元后、女王です。
しかし、マリア様の汚れなき御心の偉大さを説明するにはこれでは不十分です。何故かというと、イエズス様が復活して昇天された時に、後にイエズス様は私たちに聖霊を送られました。聖霊というのは、天主聖父と聖子の愛そのものです。これは昨日黙想しました。
イエズス様は私たちに救いの恵みを与えました。聖霊は私たちにこの救いの業を、イエズス様とは別の観点から別のやり方で与えます。イエズス様がすでに仰ったように、聖霊の特別の役割というのは、私たちを真理の充満へと導く事です。十字架の実りと救いの業の実りを私たちが受け取る事ができるように、聖霊は私たちの心を開かせてくれます。
この御恵みを私たちはいつも受けています。もしも皆さんが今ミサに与っているとしたら、これは聖霊のおかげです。もしも信仰の神秘のことを、「あぁ、そうだったのか!」と理解する、また深く理解する事ができたら、これは聖霊のおかげです。誘惑に対してより強くなって、それに抵抗する事ができる、それを避ける事ができるとしたら、聖霊のおかげです。
聖霊がこの世に送られた時に、一体どこに行くべきだったでしょうか?
聖パウロによれば、「聖霊は私たちの心に来た」と言います。「天主の愛が私たちの心に注がれた」と聖パウロは言います。
これはどうやって起こるのでしょうか?皆さんと私たちの全ての心にこの注がれる前に、聖霊は最初に1つの場所に来ました。何故かというと、この私たちの心に行こうと聖父と聖子から聖霊は送られて、私たちの心に注がれようとしたのですけれども、聖霊を受けようとする霊魂たちが一人もいなかったからです。何故なら、私たちは罪によって聖霊が入るのを拒み、ドアを閉めてしまっていたからです。
天主は光ですから、光には闇がありません。聖霊は聖なるものですから聖でない所に行く事はできません。聖霊が行かれる主要な場所というのは、聖なる場所でなければなりません。そのような場所というのは1つしかありませんでした。罪の汚れから全く浄められていた場所です。怠惰や或いは無関心、或いはその他の欠点から全て免れていた場所でした。これがマリア様の御心です。
聖霊はマリア様のこの清い心に来られて、そしてマリア様の御心を最高度に充ち満たします。そこで天使がマリア様の事について、「聖寵に充ち満てる御方」と呼ぶ事ができたのです、“gratia plena”と。
では聖霊に対して、マリア様の役割とは何でしょうか?マリア様は聖霊から受けた全ての光や恵みを、この自分の子供たちに与えたいと思っています。聖霊の浄配となったマリア様は、私たちに聖霊の恵みを分配する運河となるのです。
先程申し上げましたように、私たちが光を受けたのならば、それは全て聖霊から来ると言いました。しかしこれは、マリア様を通してのみ受ける事ができます。何故なら聖霊の全てのお恵み、全ての光があるのは、マリア様の御心だからです。
でもこのお恵みは、1日のうちのいつでも必要なお恵みです。私たちの1日の瞬間瞬間に必要なお恵みを、マリア様は既に用意しています。私たちがしなければならない事を理解する事、或いは真理をより良く、より深く理解するそのお恵み、私たちの弱点を強める為の意志の強さ、この私たちにいつどの瞬間にもお恵みを与える準備ができているというシンボルは、マリア様の御心であって、いつも毎瞬毎瞬鼓動をしている動いているその心です。
よく心臓の動きを見ると、ドキ、ドキ、ドキ、といっているではないですか。マリア様が聖霊の充満から受けたお恵みを全て私たちに与えようと、どの瞬間でも思っているという事です。
では、私たちは一体何をしなければならないのでしょうか?
たった1つの事だけで大丈夫です。マリア様の元に行くという事です。いつもどこでもマリア様の元に行けば良いのです。私たちの持っているものと、私たちがそのあるがままで、マリア様の元に行けば大丈夫です。
もしも「良い1日を過ごしたい、良い日でありたい」と思えば、マリア様の元に朝行けば、マリア様は私たちに良い日が送る事ができるようにお恵みを下さいます。
もしも困った事、心配事、辛い事があれば、マリア様の元に行って下さい。マリア様はそれに必要なお恵みを全て下さいます。
もしも誘惑を受けた、悪魔からの誘いがあったという時には、必ずマリア様の所に行って下さい。何故かというと、罪に打ち勝つ事ができるお恵みを下さるのは、マリア様しかいないからです。
すると、私たちがいつも考えていたよりも、汚れなき御心というのはずっと重要な役割があるという事が分かります。
昨日は、「マリア様の御心というのは、イエズス様の聖心が私たちの元に来るその心だ」と言っていました。イエズス様の聖心の全ての恵みは、汚れなき御心を通して私たちの元にやって来ます。
しかし聖霊も、私たちの元にマリア様を通して、全てのお恵みと宝物を持ってやって来ます。イエズス様の贖いのお恵み、そして聖霊の全てのお恵みは、マリア様の御心を通してやって来ます。ですからマリア様は全ての聖寵の仲介者であって、そのシンボルがマリア様の汚れなき御心です。
まだこれで終わりではありません、ちょっとお説教は長いのです。(^^;)
「天主様が私たちに下さるもの全て、マリア様を通して来る」という事です。ですからマリア様の汚れなき御心に感謝して下さい。これから、ただ受けるだけではなくて、皆さんも天主様に何かしなければなりません。何故かというと、イエズス様は私たちを救う為にやって来ますけれども、もしも私たちがイエズス様の方に戻らなければ、救われる事はできないからです。
私たちが天主様に戻るその一歩一歩の道行き、これはマリア様を通してです。マリア様を通して、天主様は私たちの元にお恵みを下さり、マリア様を通して、私たちは天主様の元に帰ります。
これがファチマでマリア様が仰った事です、「私の汚れなき御心は、あなた方の避難所であり、逃れ場であり、あなたたちを天主へと導く道である」と。
では皆さんが何をしなければならないでしょうか?
それはファチマでちゃんと説明して下さいました。
何をしなければならないかというのは、汚れなき御心に対する信心を実践するという事です。数日かけてこの信心については説明しました。もしもマリア様の汚れなき御心の信心を選んでそれを実践するならば、マリア様は私たちを導く星となり、そして母となり、私たちに大きな報いを約束しています。
この特別な報いというのは、皆さんが天主によって特別に大切に愛されたものとなり、特別の地位を得るという事です。
ではファチマでマリア様が仰った、「私の御心は最後に勝利を、凱旋するでしょう」というのはどういう意味でしょうか?
この凱旋というのは、イエズス様、御子イエズス様の凱旋であって、マリア様を通してイエズス様のお恵みを受けた人々が救われるという事です。これは聖霊の凱旋でもあります。これは私たちの心の闇と罪に満ちている私たちの心を、遂に光と聖徳の心に変えて、という難しい事業を達成した、聖霊の凱旋です。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。