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聖霊降臨後第23主日の固有文 入祭唱を黙想する(その2)「主は言い給う 私は平和の考えを考える」

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖霊降臨後第23主日の固有文を続けて黙想しましょう。

「主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」
「主よ、御身は、御身の地(主の民)を祝福し給うた。御身はヤコブのために捕囚を避けさせ給うた。」

Dicit Dominus : ego cogito cogitationes pacis, et non afflictionis : invocabitis me, et ego exaudiam vos : et reducam captivitatem vestram de cunctis locis.
Benedixisti Domine terram tuam : avertisti captivitatem Jacob.

この入祭唱は、典礼暦年の最後の歌であり、夕べの歌です。
私たちの霊魂の歴史の最期の歌であり、人類の歴史の最終がうたわれるので、同時に希望の歌でもあります。

普通、入祭唱はよく詩篇からとられますが、時にして今回のように、詩篇以外からも取られます。この例外は、それだけ重みと意味を持ちます。私たちの主が私たちのことを気にかけている、私たちに注目している、注意を払っている、というメッセージです。

典礼暦の終わりに、教会がこの言葉を特に取り出したのは、私たちが天に心を上げるためです。天主が私たちに語りかけているからです。

「主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」

主のお考えは、平和の考えであり、苦しみの考えではない。天主は永遠のお方であり、考えを変えることはありません。永遠にただ一つの考えしかありません。この抱かれた一つの思い・考えは、一つの言葉となりました。それが、天主のみ言葉、天主の御一人子であり、人と成った天主の聖子、キリストです。キリストは、天主の唯一の永遠の知恵なる考えそれ自体です。私たちのために人間となり、平和の考えとなりました。全人類を照らす光、愛の考えです。

キリストと聖母とは、人類のために、罪の結果の苦しみを全て自分たちの身に負いました。その交換に私たちに平和を与えるのです。

天主のみ言葉が人と成って私たちのうちに住み給うたのは、私たちが人類の歴史の終わりに天国にたどり着くためです。天主のお考え、すなわちキリストは、究極の考えでもあります。永遠の幸福が私たちを待っています。天国こそが私たちのほんとうの祖国です。

入祭唱は、捕囚について、追放の身について語ります。私たちが、罪を犯し、悪魔の奴隷となり、その犠牲者となり、天の本当の平和を失ってしまったからです。

しかし、天主は聖寵により、その恩恵みにより、私たちを助けてくださいます、私たちが主を呼び求めるのなら。「あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。」

その昔、入祭唱が歌われている間、司祭が侍者らを伴い行列で聖堂に入堂しました。ちょうど天国への巡礼者であることを表すように。天国に多くの人々と一緒に入堂するかのように。

復活祭後第1主日の入祭唱 Quasi modo géniti infántes (「ほぼ生まれたばかりの赤子たちのように」という意味)と同じ第6旋法です。そこから第6旋法は単純さの旋法で、霊的幼子の旋法だと言われています。

「主は言い給う:私は平和の考えを考える」

ここで「言い給う主」とは、人類を愛する聖父です。メロディーを見ると、「平和の考え」(cogitationes pacis)の cogitationes という単語は、「主は言い給う」(dicit Dominus)と同じです。聖父と聖子とが同じ天主であることを表しているかのようです。「平和の」pacis でメロディーの頂点に達したかのようです。

入祭唱の第2部に主の約束があります。「あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。」

典礼の専門家によると、「私を」me がファの一音で、「私は」ego もアクセントがある音節にソの一音が上がるだけで、とても慎ましく、主の謙遜を表しているとされます。その反対に、信徒たちの行動を表現する動詞「あなたたちは呼ぶだろう」invocabitis と、主の行動を言い表す動詞「祈りを聞き入れよう」exaudiam は、発展したメロディーになっています。第2部の終わりがソで終わっているのも、専門家によると確実性を表すソです。

第3部は、第6旋法そのままで、とても軽く、専門家によると新鮮な若葉の牧場に連れられた子羊たちが飛び跳ねているようだ、と表現しています。つまり、捕囚から戻ってきたことを表します。私たちは主の群れの羊たちですから。私たちの主は良き牧者ですから。特に、それぞれの cunctis という単語のアクセントはとても強く、天主の権威に逃れるものは何もないことが歌われています。主の愛は、私たち各々すべてに及ぶからです。

下のリンクはソレムによる録音です。
Introït : Dicit Dominus

次のリンクは聖ピオ十世会のベルギーで録音されたものです。
Introït : Dicit Dominus
Schola Bellarmina – L’année liturgique en chant grégorien – Volume 7 / CD 14

聞き比べてくださいね。
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参考までに、復活祭後第1主日の入祭唱 Quasi modo géniti infántesの楽譜は次の通りです。
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