アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
明日、待降節第二主日は大阪で午後6時からレネー神父様の司式による聖伝のミサがあります。たくさんの方々がミサに与ることができますようよろしくお願い致します。
待降節第1主日のミサのご報告などをいただいたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
明日は、ロレトの聖母の家の祝日でもあります。(ナザレトから天使によってイタリアに運ばれた聖母の家、そこで聖母がお告げを受けた家のことです。)お告げの神秘を妄想することも提案します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
待降節第一主日の御ミサをありがとうございました。
今回は特に、クリスマスまで、「主に私の心を上らせ奉り」て、「マリア様とともに過ごす待降節になるように」と決心をすることができました。
クリスマスに向けてイエズス様の御降誕を待ち望む日が始まりました。我が家には小さなプレセピオがあります。それは木製で、流れ星のもと、洞窟の中にいらっしゃるマリア様とヨゼフ様と小さなまぐさおけとそして布にくるまれている赤ちゃんのイエズス様、それからろばと牛だけのとても質素なプレセピオです。これを買い求めたころにはまだどうして牛とろばがこのセットに入っているか、わからなかったかもしれません。
それがイザヤ書の最初の言葉(第1章第3節)に由来していると知った時に、造り主である天主様を知らずに生きてきた自分とそして救い主が人間のもとを訪れてくださったのに知らず悟らない惨めで哀れな人間のことを痛切に思い知らされた気持ちでした。
「人間は天主様に逆らった」というのだということを、旧約時代からの救いを求めるユダヤの民の祈りと、救い主がどれほど苦しみを受け軽蔑され捨て去られてしまうと預言されていたか、ということをこのイザヤ書の冒頭の言葉から知らされて、深い想いに包まれたことを思い出します。
2000年前にマリア様が赤ちゃんのイエズス様をその手に迎えられまぐさ桶に寝かせた時、その傍らには牛とろばがいたのでしょう。マリア様はそのとき、このイザヤ書の最初の言葉を思いめぐらして「牛はその飼い主を知り、ろばは主人のかいばを知るのに、イスラエルは知らず、私の民は悟らない」の預言が成就したと思われたでしょうか。とうとう救い主が来られた!でも!・・・、同時にその後に続く御言葉の残酷な未来がご自分の可愛らしい赤ちゃんに待ち受けていることをも思われたのでしょうか。それでもきっと、喜びが勝っておらたと思います。
お説教で神父様はそのイザヤ書からのお話をしてくださいました。「救い主が人類の犯した罪の罰を受けとろうとされる」。神父様のお説教を聴きながらマリア様の深い喜びとそれと同じくらい深い悲しみに少しだけちょっと思いを巡らしました。そして、旧約から続く私たちの罪の救い、救済への願い、の深さを自分の内側からも湧き出る望みとして、わたし自身も心からお祈りいたしました。「主よ、御憐れみを示し給え、われらに救いを与え給え。」
私たちがいつも灌水式で、Osténde nobis,、Dómine,misericórdiam tuam.、”主よ、御憐れみを示し給え、われらに救いを与え給え”、とお祈り申し上げる聖歌を、この日はアレルヤでもさらにもう一度、”御憐れみを示し給え、われらに救いを与え給え”、と歌ってお祈りするのですと、教えていただきました。これまで気に留めることのないワンフレーズでしたが、深い意義を教えていただきまして、うれしく思います。
そして、私には救い主が必要です、どうぞ主よ来てください!、という想いは、Ad te levávi ánimam méam. ”主に心を上らせ奉る”という一文に集約されていると教えられ、入祭文でもまた奉献文でも祈っているとのこと、この待降節中できるだけいつも主の方へ心を向けようと思いました。
この、主に私の心を上らせ奉るという言葉が、マグニフィカトの「我が霊魂は主を崇め奉る」ととても似ている表現のようですと伺い、ご訪問の時にマリア様が主に心を挙げて祈られたこと、そして喜びにあふれてご挨拶をしたことを思いました。
「全能にまします御者、われに大事をなし給いたればなり。」
ご聖体拝領にて霊魂にイエズス様を受け奉ることの大事を思うと、「わが精神はわが救い主なる天主よりて喜びに堪えず。」と申し上げます。そして、マリア様が受けたそのお喜びを想い、マリア様とともに溢れ出る喜びを天主様にお捧げできますように、と思います。
マリア様とともに過ごすことで、ご胎内に宿されておられるイエズスさまによって、マリア様が私たちの周りの人々を聖化してくださいますように。
主なるイエズス様が、隠れて見えないちいさな方として私たちの住むこの肉体を持つ世界に来られて、マリア様をとおして洗者聖ヨハネの罪が許されたのですから、同じようにマリア様に近づく多くの人たちの罪が許され洗礼へと導かれますように。
われらの地は実を生む、という言葉が、マリア様がたくさんの実を実らせたことを指すなら、マリア様とともに過ごす私たちの周りでももっとたくさんの者が、このクリスマスには罪の赦しをいただくようになりますように、と祈りと犠牲をお捧げしたいと思います。
マリア様が、身重の身体で聖エリザベトを訪問されて身の回りのご奉仕されましたように、私もご聖体拝領によってイエズス様とともにいる恵みを受けたことを忘れずに周りの人々に仕えてご奉仕することができますように努めようと思います。
神父様は、イエズス・キリストの3つの到来についてお話しくださいました、子羊として、友として、裁判官として来られますとのこと、今回はローマの聖マリア大聖堂のまぐさ桶を拝見する機会をいただいたことを思い出して、そこにちいさな赤ちゃんの子羊としてのイエズス様がおられるお姿を思い浮かべました。(その3つの到来についてのお話の内容は、私には初めて聞く内容でとても興味深かったです。)
ご聖体拝領後しばらくしてすぐ主を忘れてしまう惨めな情けないものであることを反省して、いつも心を上に上げるとこができますよう特にこの待降節中に努めたいと思います。御降誕祭まで、ご訪問のマリア様の玄義を思いめぐらして、イエズス様をお迎えする準備をしたいと思います。神父様、いつもありがとうございます。
【公教要理の時間の報告】
今回は、スライドで、主にフラ・アンジェリコの絵画作品を拝見しました。黙想や観想のために読書、香や音などの他に、絵画やステンドグラス・タピストリーなどによっても、準備や手助けが得られるとのこと、今回は初土の信心をよくするために、15分の黙想のための一例としてお告げの玄義について、受胎告知の絵を見ながらお話を伺いました。
最初に、ナザレトにあるお告げの教会の写真を拝見しました。この辺一帯は貧しいところであったけれどナザレトだけは平和な町であり続けていますというお話が印象的でした。この教会のたつところが「御言葉は人となって我らとともに住み給うた」というその場所だということです。この教会には上部と地下部分があり、地下にお告げを受けた洞窟があるとのこと、そこに置かれた祭壇には「御言葉はここで人となった」と書かれていました。マリア様はここで、大天使ガブリエルからお告げを受けて、そしてこの場所で天主様が人間になってくださったということなのですね。こうしてしっかりと保存されて残されていて、なんて素晴らしいと思いました。
絵画の方は、フラ・アンジェリコの受胎告知の三つのバージョンの映像をもとに、お話いただきました。(まとめてみました)、
最初に描かれた絵の特徴は、とても装飾的説明的な絵であるということ。、
御父や鳥(ツバメ)が描かれて、左側に三位一体を表す手がみられそこから聖霊が降る様子も描かれています。、アダムとエヴァが大きめに描かれ、楽園から追い出されている様子とその庭には禁断の実も落ちています。マリア様の椅子は女王様のような布の罹った椅子で、本を読み立ち上がるなら天使よりも背が高いように、大きく描かれています。
次の絵は、Cortonaという所の祭壇に掛けられているもの。アダムとエヴァは門から出されていて、より小さく描かれて上の片隅に見えるだけになります。ツバメの姿と手(三位一体)は消えて、聖霊だけです。天使の羽根に色がついて服の色も少し変わります、そして口から言葉が(ラテン語で)発せられています。絵画の下の部分に、マリア様のご生涯(お誕生から被昇天まで)を表している絵が添えられています、その最後の部分では、マリア様が聖ドミニコにロザリオを与えています。
最後に描かれた絵は、San Marco、の、修道院の廊下に飾られているもの。、
門は閉じていてアダムとエヴァの姿は見えない。御父は描かれず飾りがあるだけで天使から発せられる言葉(ラテン語)もなくなっている。マリア様は、本も持っていないし、身につける服も質素で、座る椅子も豪華な背もたれもなく丸い質素なものとなる。マリア様のお顔も単純化されたものとなる。天使の服も質素になり、羽根はカラフルなものとなる。
奥の部屋があるのがわかるが、それは修道士の部屋のようだ。
そしてこの最後の絵が飾られているところが、修道院の廊下で、中の階段を上る時に目の前に見える壁に掲げられているとのことでした。修道士がたが、いつもロザリオを唱えながら過ごすなか、この階段を昇るとき、ちょうど目の前にこの受胎告知の場面があらわれるような仕組みとのことです。絵の中の特徴的な柱は、サン・マルコ修道院にある柱と同じ形であって、サン・マルコ修道院をマリア様の家のように思って描いていたためのようです。
三枚の絵画のバージョンのそれぞれを詳しく説明していただいた後に、最後の絵がシンプルに描かれた理由をお話くださいました。
フラ・アンジェリコが、この絵画を芸術作品として描こうとした結果、単純でシンプルな美を持つものになったのではなくて、毎日の聖務とロザリオの祈りをより良くする助けのため、信仰を日々生きるなかで、最後にこのような作品が残されたとのことです。修道生活を熱心に勤めロザリオを毎日祈る中で、その霊魂の中もいっそう単純化されるようになられたのでしょうか。、
よく、観想が深まるにつれて、いろいろなことが単純になるのですと、言うことを読んだことがあります。作品を作る人の信仰がその作品に命を与えているということにあらためて気づかせられました。
フラ・アンジェリコの受胎告知の絵というのにもいろいろなバージョンがあることも、初めて理解できました。とても好きな絵でしたので、いろいろなお話が聴けて、とても良かったです。
神父様、とても興味深いお話をありがとうございました。
【お便り】
レネー神父様が、来年の2月からオーストリアの学校の校長先生となられる為、12月で日本に来られるのは最後だという事で、とても急なニュースで寂しい気持ちになりました。
小野田神父様がブログで書いて下さった事を読みながら色々、本当にそうだ、と思い涙が出そうになりました。
レネー神父様が日本にいらして下さるようになって、もう6年くらいになりますでしょうか。
1日で韓国と日本に移動してミサを2回捧げるというハードなミッションを毎月私たちの為に行なって下さり、
大阪で毎月主日の御ミサが捧げられるようになったのも、大阪で毎月初金曜日と初土曜日に御ミサが捧げられるようになったのも、レネー神父様がおっしゃって下さったからだ、
と小野田神父様が仰って下さった事を思い出します。
本当に私たちはレネー神父様のおかげで大変多くの御恵みを頂き、その愛徳、博識、御謙遜に、私たちはいつも、「日本には小野田神父様とレネー神父様という素晴らしい神父様がミッションに来て下さり、本当に御恵みだ」という話しをしておりました。
また御説教も「天主の十戒」シリーズや「七つの秘跡」シリーズなど、シリーズでも色々お話して下さり、とても勉強になりました。プロテスタントの誤謬や、聖ピオ十世会がまことに使徒継承のカトリックの教えを守っていることなども、誰も反論することができないほど理路整然とお話して下さり、レネー神父様の御説教もいつか本として出版されたりして、日本のもっと多くの方々が、レネー神父様がして下さった素晴らしい貴重な日本語訳の御説教を読んで下さるようになれば良いなと思います。
この日本で最後の月となる12月に、レネー神父様がこんなにたくさん日本で、東京でも御ミサを御捧げくださるようになっていて、本当にマリア様の大きな憐れみの御摂理を感じました。
2017年のクリスマスの御ミサが、大阪ではレネー神父様の最後の御ミサとなるのですね。感謝と共に過ごしていきたいと思います。
残り少ない2017年、マリア様がファチマでの御出現で毎回必ず仰って下さったロザリオを、
毎日できる限り心を込めて唱えていきたいと思います。
【お便り】
12月の御ミサの予定をアップして下さりありがとうございます!(*^▽^*)
これだけたくさんの御ミサが日本で捧げられるというのも、ファチマ100周年の終わりにあたって、マリア様からの日本へのとても大きなボーナスプレゼントのような気が致します♪♪
デオ・グラチアス!聖母の汚れなき御心に感謝!
2018年のカレンダーは津和野の殉教者の方々という事で、恥ずかしながら私はあまりまだよく知りませんので、是非カレンダーを通して、
津和野の殉教者の方々の精神に与らせて頂きたいと思います。
永井隆博士も「津和野の殉教者物語」という本を書かれているそうなので、そちらも読んでみようかなとも思っています。
【報告】
マリア様に対する忠実、どのような機会もマリア様を愛する為に、イエズス様を愛する為に、罪人の回心の為に、犠牲の機会として使い、
そして天国への熱望、そしていつもロザリオを唱えていた、このファチマの3人の子供たちにいつも倣う事ができますように!
【報告】
今年はミサ典書を読むたびに、非常にその時の自分自身の状況と重なっていて、いつも天主様が私の気持ちを理解して下さっているという慰めを感じることができました。デオ・グラチアス!ファチマのマリア様に感謝!
この今まで天主様から受けた御恵みを感謝することを忘れず、そして自分は本当に無に過ぎない憐れな罪人であることを忘れず、天主様の憐れみを讃美して、マリア様の謙遜に倣って、日々祈りと犠牲をお捧げすることができますように!
全くの無に過ぎない、罪しか犯すことのできない憐れな私たちの為に、御一人子を私たちの罪の償いの為にこの世にお与え下さった聖父。そして無である私たち人間の罪の償いのために、私たちを地獄から天国へと引き上げるために、天主でありながら人間となり、十字架の贖いの御業を果たして下さった聖子。そしてその十字架の贖いの実りである全ての聖寵を、天主の御旨を果たす事だけをいつも考えておられたマリア様の汚れなき御心にお与え下さった聖霊。
その計り知れない天主イエズス様の愛、聖主の御旨を果たすためにイエズス様と共に私たちの贖いの御業に参与して、私たちの母となって下さったマリア様の汚れなき御心。
そのイエズス様とマリア様の聖心をお慰めするために、その全ての聖寵の仲介者であるマリア様の汚れなき御心のお恵みの運河となるために、その贖われた私たちが、私自身の罪の償いのために、罪人たちの回心と罪の償いのために、ファチマの3人の子供たちに倣って、マリア様の汚れなき御心の信心をする事によって、ますます祈りと犠牲を御捧げしていく事ができますように!そしてそれを果たす事ができる為に、いつも天主様の御旨、マリア様のお望みを果たす事だけを考え、マリア様の汚れなき御心の謙遜の御恵みを頂くことができますように!
聖母の汚れなき御心よ、我らの為に祈り給え!
【報告】
レネー神父様への霊的花束の呼びかけをありがとうございます。
本当に日本の司教様方が、マリア様がこんなにも愛して下さっている日本を、マリア様の汚れなき御心に奉献して下さいますように、強く願います。
その為に、ロザリオをもっと心を込めて唱えたいと思います。
【報告】
クレカリですが、神父様の入祭唱のお話、とても良かったです。
詩編についてのお話と私たちの最大の悪とは・・についてのお話が特に印象に残りました。
【報告】
【グレゴリオ聖歌】待降節第一主日のミサの入祭唱 Ad te levavi を黙想しましょう 有り難うございました。
とても嬉しゅうございました!
「我が天主よ!」
1人で祈っているのではない!教会と一緒に祈っている。
聖母様の御胎にもうイエズス様は居られる!
感謝致します!
愛する兄弟姉妹の皆様、
明日、待降節第二主日は大阪で午後6時からレネー神父様の司式による聖伝のミサがあります。たくさんの方々がミサに与ることができますようよろしくお願い致します。
待降節第1主日のミサのご報告などをいただいたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
明日は、ロレトの聖母の家の祝日でもあります。(ナザレトから天使によってイタリアに運ばれた聖母の家、そこで聖母がお告げを受けた家のことです。)お告げの神秘を妄想することも提案します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
待降節第一主日の御ミサをありがとうございました。
今回は特に、クリスマスまで、「主に私の心を上らせ奉り」て、「マリア様とともに過ごす待降節になるように」と決心をすることができました。
クリスマスに向けてイエズス様の御降誕を待ち望む日が始まりました。我が家には小さなプレセピオがあります。それは木製で、流れ星のもと、洞窟の中にいらっしゃるマリア様とヨゼフ様と小さなまぐさおけとそして布にくるまれている赤ちゃんのイエズス様、それからろばと牛だけのとても質素なプレセピオです。これを買い求めたころにはまだどうして牛とろばがこのセットに入っているか、わからなかったかもしれません。
それがイザヤ書の最初の言葉(第1章第3節)に由来していると知った時に、造り主である天主様を知らずに生きてきた自分とそして救い主が人間のもとを訪れてくださったのに知らず悟らない惨めで哀れな人間のことを痛切に思い知らされた気持ちでした。
「人間は天主様に逆らった」というのだということを、旧約時代からの救いを求めるユダヤの民の祈りと、救い主がどれほど苦しみを受け軽蔑され捨て去られてしまうと預言されていたか、ということをこのイザヤ書の冒頭の言葉から知らされて、深い想いに包まれたことを思い出します。
2000年前にマリア様が赤ちゃんのイエズス様をその手に迎えられまぐさ桶に寝かせた時、その傍らには牛とろばがいたのでしょう。マリア様はそのとき、このイザヤ書の最初の言葉を思いめぐらして「牛はその飼い主を知り、ろばは主人のかいばを知るのに、イスラエルは知らず、私の民は悟らない」の預言が成就したと思われたでしょうか。とうとう救い主が来られた!でも!・・・、同時にその後に続く御言葉の残酷な未来がご自分の可愛らしい赤ちゃんに待ち受けていることをも思われたのでしょうか。それでもきっと、喜びが勝っておらたと思います。
お説教で神父様はそのイザヤ書からのお話をしてくださいました。「救い主が人類の犯した罪の罰を受けとろうとされる」。神父様のお説教を聴きながらマリア様の深い喜びとそれと同じくらい深い悲しみに少しだけちょっと思いを巡らしました。そして、旧約から続く私たちの罪の救い、救済への願い、の深さを自分の内側からも湧き出る望みとして、わたし自身も心からお祈りいたしました。「主よ、御憐れみを示し給え、われらに救いを与え給え。」
私たちがいつも灌水式で、Osténde nobis,、Dómine,misericórdiam tuam.、”主よ、御憐れみを示し給え、われらに救いを与え給え”、とお祈り申し上げる聖歌を、この日はアレルヤでもさらにもう一度、”御憐れみを示し給え、われらに救いを与え給え”、と歌ってお祈りするのですと、教えていただきました。これまで気に留めることのないワンフレーズでしたが、深い意義を教えていただきまして、うれしく思います。
そして、私には救い主が必要です、どうぞ主よ来てください!、という想いは、Ad te levávi ánimam méam. ”主に心を上らせ奉る”という一文に集約されていると教えられ、入祭文でもまた奉献文でも祈っているとのこと、この待降節中できるだけいつも主の方へ心を向けようと思いました。
この、主に私の心を上らせ奉るという言葉が、マグニフィカトの「我が霊魂は主を崇め奉る」ととても似ている表現のようですと伺い、ご訪問の時にマリア様が主に心を挙げて祈られたこと、そして喜びにあふれてご挨拶をしたことを思いました。
「全能にまします御者、われに大事をなし給いたればなり。」
ご聖体拝領にて霊魂にイエズス様を受け奉ることの大事を思うと、「わが精神はわが救い主なる天主よりて喜びに堪えず。」と申し上げます。そして、マリア様が受けたそのお喜びを想い、マリア様とともに溢れ出る喜びを天主様にお捧げできますように、と思います。
マリア様とともに過ごすことで、ご胎内に宿されておられるイエズスさまによって、マリア様が私たちの周りの人々を聖化してくださいますように。
主なるイエズス様が、隠れて見えないちいさな方として私たちの住むこの肉体を持つ世界に来られて、マリア様をとおして洗者聖ヨハネの罪が許されたのですから、同じようにマリア様に近づく多くの人たちの罪が許され洗礼へと導かれますように。
われらの地は実を生む、という言葉が、マリア様がたくさんの実を実らせたことを指すなら、マリア様とともに過ごす私たちの周りでももっとたくさんの者が、このクリスマスには罪の赦しをいただくようになりますように、と祈りと犠牲をお捧げしたいと思います。
マリア様が、身重の身体で聖エリザベトを訪問されて身の回りのご奉仕されましたように、私もご聖体拝領によってイエズス様とともにいる恵みを受けたことを忘れずに周りの人々に仕えてご奉仕することができますように努めようと思います。
神父様は、イエズス・キリストの3つの到来についてお話しくださいました、子羊として、友として、裁判官として来られますとのこと、今回はローマの聖マリア大聖堂のまぐさ桶を拝見する機会をいただいたことを思い出して、そこにちいさな赤ちゃんの子羊としてのイエズス様がおられるお姿を思い浮かべました。(その3つの到来についてのお話の内容は、私には初めて聞く内容でとても興味深かったです。)
ご聖体拝領後しばらくしてすぐ主を忘れてしまう惨めな情けないものであることを反省して、いつも心を上に上げるとこができますよう特にこの待降節中に努めたいと思います。御降誕祭まで、ご訪問のマリア様の玄義を思いめぐらして、イエズス様をお迎えする準備をしたいと思います。神父様、いつもありがとうございます。
【公教要理の時間の報告】
今回は、スライドで、主にフラ・アンジェリコの絵画作品を拝見しました。黙想や観想のために読書、香や音などの他に、絵画やステンドグラス・タピストリーなどによっても、準備や手助けが得られるとのこと、今回は初土の信心をよくするために、15分の黙想のための一例としてお告げの玄義について、受胎告知の絵を見ながらお話を伺いました。
最初に、ナザレトにあるお告げの教会の写真を拝見しました。この辺一帯は貧しいところであったけれどナザレトだけは平和な町であり続けていますというお話が印象的でした。この教会のたつところが「御言葉は人となって我らとともに住み給うた」というその場所だということです。この教会には上部と地下部分があり、地下にお告げを受けた洞窟があるとのこと、そこに置かれた祭壇には「御言葉はここで人となった」と書かれていました。マリア様はここで、大天使ガブリエルからお告げを受けて、そしてこの場所で天主様が人間になってくださったということなのですね。こうしてしっかりと保存されて残されていて、なんて素晴らしいと思いました。
絵画の方は、フラ・アンジェリコの受胎告知の三つのバージョンの映像をもとに、お話いただきました。(まとめてみました)、
最初に描かれた絵の特徴は、とても装飾的説明的な絵であるということ。、
御父や鳥(ツバメ)が描かれて、左側に三位一体を表す手がみられそこから聖霊が降る様子も描かれています。、アダムとエヴァが大きめに描かれ、楽園から追い出されている様子とその庭には禁断の実も落ちています。マリア様の椅子は女王様のような布の罹った椅子で、本を読み立ち上がるなら天使よりも背が高いように、大きく描かれています。
次の絵は、Cortonaという所の祭壇に掛けられているもの。アダムとエヴァは門から出されていて、より小さく描かれて上の片隅に見えるだけになります。ツバメの姿と手(三位一体)は消えて、聖霊だけです。天使の羽根に色がついて服の色も少し変わります、そして口から言葉が(ラテン語で)発せられています。絵画の下の部分に、マリア様のご生涯(お誕生から被昇天まで)を表している絵が添えられています、その最後の部分では、マリア様が聖ドミニコにロザリオを与えています。
最後に描かれた絵は、San Marco、の、修道院の廊下に飾られているもの。、
門は閉じていてアダムとエヴァの姿は見えない。御父は描かれず飾りがあるだけで天使から発せられる言葉(ラテン語)もなくなっている。マリア様は、本も持っていないし、身につける服も質素で、座る椅子も豪華な背もたれもなく丸い質素なものとなる。マリア様のお顔も単純化されたものとなる。天使の服も質素になり、羽根はカラフルなものとなる。
奥の部屋があるのがわかるが、それは修道士の部屋のようだ。
そしてこの最後の絵が飾られているところが、修道院の廊下で、中の階段を上る時に目の前に見える壁に掲げられているとのことでした。修道士がたが、いつもロザリオを唱えながら過ごすなか、この階段を昇るとき、ちょうど目の前にこの受胎告知の場面があらわれるような仕組みとのことです。絵の中の特徴的な柱は、サン・マルコ修道院にある柱と同じ形であって、サン・マルコ修道院をマリア様の家のように思って描いていたためのようです。
三枚の絵画のバージョンのそれぞれを詳しく説明していただいた後に、最後の絵がシンプルに描かれた理由をお話くださいました。
フラ・アンジェリコが、この絵画を芸術作品として描こうとした結果、単純でシンプルな美を持つものになったのではなくて、毎日の聖務とロザリオの祈りをより良くする助けのため、信仰を日々生きるなかで、最後にこのような作品が残されたとのことです。修道生活を熱心に勤めロザリオを毎日祈る中で、その霊魂の中もいっそう単純化されるようになられたのでしょうか。、
よく、観想が深まるにつれて、いろいろなことが単純になるのですと、言うことを読んだことがあります。作品を作る人の信仰がその作品に命を与えているということにあらためて気づかせられました。
フラ・アンジェリコの受胎告知の絵というのにもいろいろなバージョンがあることも、初めて理解できました。とても好きな絵でしたので、いろいろなお話が聴けて、とても良かったです。
神父様、とても興味深いお話をありがとうございました。
【お便り】
レネー神父様が、来年の2月からオーストリアの学校の校長先生となられる為、12月で日本に来られるのは最後だという事で、とても急なニュースで寂しい気持ちになりました。
小野田神父様がブログで書いて下さった事を読みながら色々、本当にそうだ、と思い涙が出そうになりました。
レネー神父様が日本にいらして下さるようになって、もう6年くらいになりますでしょうか。
1日で韓国と日本に移動してミサを2回捧げるというハードなミッションを毎月私たちの為に行なって下さり、
大阪で毎月主日の御ミサが捧げられるようになったのも、大阪で毎月初金曜日と初土曜日に御ミサが捧げられるようになったのも、レネー神父様がおっしゃって下さったからだ、
と小野田神父様が仰って下さった事を思い出します。
本当に私たちはレネー神父様のおかげで大変多くの御恵みを頂き、その愛徳、博識、御謙遜に、私たちはいつも、「日本には小野田神父様とレネー神父様という素晴らしい神父様がミッションに来て下さり、本当に御恵みだ」という話しをしておりました。
また御説教も「天主の十戒」シリーズや「七つの秘跡」シリーズなど、シリーズでも色々お話して下さり、とても勉強になりました。プロテスタントの誤謬や、聖ピオ十世会がまことに使徒継承のカトリックの教えを守っていることなども、誰も反論することができないほど理路整然とお話して下さり、レネー神父様の御説教もいつか本として出版されたりして、日本のもっと多くの方々が、レネー神父様がして下さった素晴らしい貴重な日本語訳の御説教を読んで下さるようになれば良いなと思います。
この日本で最後の月となる12月に、レネー神父様がこんなにたくさん日本で、東京でも御ミサを御捧げくださるようになっていて、本当にマリア様の大きな憐れみの御摂理を感じました。
2017年のクリスマスの御ミサが、大阪ではレネー神父様の最後の御ミサとなるのですね。感謝と共に過ごしていきたいと思います。
残り少ない2017年、マリア様がファチマでの御出現で毎回必ず仰って下さったロザリオを、
毎日できる限り心を込めて唱えていきたいと思います。
【お便り】
12月の御ミサの予定をアップして下さりありがとうございます!(*^▽^*)
これだけたくさんの御ミサが日本で捧げられるというのも、ファチマ100周年の終わりにあたって、マリア様からの日本へのとても大きなボーナスプレゼントのような気が致します♪♪
デオ・グラチアス!聖母の汚れなき御心に感謝!
2018年のカレンダーは津和野の殉教者の方々という事で、恥ずかしながら私はあまりまだよく知りませんので、是非カレンダーを通して、
津和野の殉教者の方々の精神に与らせて頂きたいと思います。
永井隆博士も「津和野の殉教者物語」という本を書かれているそうなので、そちらも読んでみようかなとも思っています。
【報告】
マリア様に対する忠実、どのような機会もマリア様を愛する為に、イエズス様を愛する為に、罪人の回心の為に、犠牲の機会として使い、
そして天国への熱望、そしていつもロザリオを唱えていた、このファチマの3人の子供たちにいつも倣う事ができますように!
【報告】
今年はミサ典書を読むたびに、非常にその時の自分自身の状況と重なっていて、いつも天主様が私の気持ちを理解して下さっているという慰めを感じることができました。デオ・グラチアス!ファチマのマリア様に感謝!
この今まで天主様から受けた御恵みを感謝することを忘れず、そして自分は本当に無に過ぎない憐れな罪人であることを忘れず、天主様の憐れみを讃美して、マリア様の謙遜に倣って、日々祈りと犠牲をお捧げすることができますように!
全くの無に過ぎない、罪しか犯すことのできない憐れな私たちの為に、御一人子を私たちの罪の償いの為にこの世にお与え下さった聖父。そして無である私たち人間の罪の償いのために、私たちを地獄から天国へと引き上げるために、天主でありながら人間となり、十字架の贖いの御業を果たして下さった聖子。そしてその十字架の贖いの実りである全ての聖寵を、天主の御旨を果たす事だけをいつも考えておられたマリア様の汚れなき御心にお与え下さった聖霊。
その計り知れない天主イエズス様の愛、聖主の御旨を果たすためにイエズス様と共に私たちの贖いの御業に参与して、私たちの母となって下さったマリア様の汚れなき御心。
そのイエズス様とマリア様の聖心をお慰めするために、その全ての聖寵の仲介者であるマリア様の汚れなき御心のお恵みの運河となるために、その贖われた私たちが、私自身の罪の償いのために、罪人たちの回心と罪の償いのために、ファチマの3人の子供たちに倣って、マリア様の汚れなき御心の信心をする事によって、ますます祈りと犠牲を御捧げしていく事ができますように!そしてそれを果たす事ができる為に、いつも天主様の御旨、マリア様のお望みを果たす事だけを考え、マリア様の汚れなき御心の謙遜の御恵みを頂くことができますように!
聖母の汚れなき御心よ、我らの為に祈り給え!
【報告】
レネー神父様への霊的花束の呼びかけをありがとうございます。
本当に日本の司教様方が、マリア様がこんなにも愛して下さっている日本を、マリア様の汚れなき御心に奉献して下さいますように、強く願います。
その為に、ロザリオをもっと心を込めて唱えたいと思います。
【報告】
クレカリですが、神父様の入祭唱のお話、とても良かったです。
詩編についてのお話と私たちの最大の悪とは・・についてのお話が特に印象に残りました。
【報告】
【グレゴリオ聖歌】待降節第一主日のミサの入祭唱 Ad te levavi を黙想しましょう 有り難うございました。
とても嬉しゅうございました!
「我が天主よ!」
1人で祈っているのではない!教会と一緒に祈っている。
聖母様の御胎にもうイエズス様は居られる!
感謝致します!