Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all 4247 articles
Browse latest View live

マニラでの堅振など

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

今日は、フィリピンのマニラの聖ピオ十世会の教会で、50名が堅振の秘蹟を受けました。
また、ティシエ司教様が司教による聖母像の戴冠式を執行しました。教会ははじけるほど人でいっぱいになりました。
聖伝のミサの後、聖ヨゼフの聖堂の祝別がありました。
お祝いの食事を皆で摂った後に、ティシエ司教様の講話を皆で伺いました。

天主に感謝します!マリア様に感謝します!聖ヨゼフに感謝します!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

11月3日主日のミサ

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

11月3日の主日ですが、いつも通りの10時30分から新大阪の丸ビルで聖伝のミサがあります。

クチュール神父様からのボーナス・ミサです。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父

天主様に感謝します。

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日11月3日には大阪で主日のミサがありました。それは、大阪の信徒のマリア・テレジアさんが31日午前9時16分(日本時間)、天主様から召されたからで、葬儀が、11月2日の午後1時から、クチュール神父様によって執り行われることになったからです。

 こちらマニラでは、11月1日の諸聖人の祝日、11月2日の死せる信者の記念、11月3日の聖霊降臨後第24主日を、盛大に執行いたしました。

 次のような報告をいただきましたので、ご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--------------------------------------

アヴェ・マリア!

この度の葬儀ミサと、ボーナスミサのご報告を申し上げます。

2日 午後一時から葬儀会場でテレジアさんの葬儀のミサと、赦祷式が行われました。SSPXの信者の方が14名、その他一般の方を含めて40人以上の方が参列され、原さんの霊魂の為にお祈りいたしました。

3日、主日ミサには東京からの方を含めて16人の方が御ミサに預かるお恵みをいただきました。
お説教は昨日に引き続き煉獄についてでした。御ミサ後も、公教要理で「死者ミサ」についてお話をしていただきました。

主よ永遠の安息を彼らに与え
絶えざる光を彼らの上に照らしたまえ。
彼らの安らかに憩わんことを!アーメン

レイテ島の方々のために

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

先日は日本でミサ聖祭を捧げることができ、天主に感謝します。詳しい報告は、改めて致します。

11月10日の主日にはフィリピンの台風被災者のために22020円の特別献金が自発的に集まりました。深く感謝致します。

レイテ島全体には電気が無く、石油製品もなくなったそうです。特にタクロバンでは陸の孤島となり、食べ物や飲料水が不足しています。それでも、苦しみを耐えているとのことです。

レイテ島担当者のヘラ神父様がいまレイテに船で行く機会を探しています。神父様は、月曜日からセブに行き、救援活動を組織しています。

聖ピオ十世会では、レイテ島に4箇所の巡回教会があります。タクロバン、マアシン、バト、ソゴッドです。

タクロバンは被害が甚大ですが、そこの信徒らは、今のところ、全員無事です。信徒らが助け合っています。しかし、タクロバンの教会の建物は崩壊したようです。聖ピオ十世会の所有の車は、被害を免れたとのことです。道路が開通したら、まだガソリンの入っているその車で信徒たちを安全で、とりあえず、食糧のある場所に移動させる予定です。

救援物資も軍隊がエスコートしているとのことです。家を失い、食糧もなく、雨が降り、生き延びた方々も命を落としているとのことです。

フィリピンの台風被災者、また地震の被災者の方々のために、どうか、どなたでも、マリア様に天使祝詞
「めでたし」を三回唱えて下さい。感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

天主様に感謝!2013年11月の日本でのミッションの報告

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ご無沙汰しております。10月15日にはセブ島やボホル島での大地震があり、11月8日には台風30号(国際名:ハイヤン、現地名:ヨランダ)がレイテ島のタクロバンを中心にサマール島なども襲いました。早速、レイテ担当の司祭であるヘラ神父様が、ティム神父様と共にレイテ島に直接行って救護活動をしました。ヘラ神父様の不在の間、マニラでの仕事は大変多くなりました。
 そういうわけで、私は、フィリピンの被災地には直接行く機会がありませんでしたが、マニラの教会で、日常の仕事をこなしながらお祈りと仕事をしていました。
 しかし、レイテ島やサマール島での被害があまりにも甚大で、復旧に時間が掛かるので、多くの被災者の方々が空軍によってマニラに運ばれてきました。そこで、空軍基地に行って手伝うように要請を受けた私たちは、11月16日、17日、19日、21日、22日などとフィリピン軍の基地に行ってボランティアとして働きました。多くのボランティアの方々が基地に来ていました。多くのシスター達も来ていました。食料も古着などもどんどん到着していました。

 そうして、着のみ着のままで飛行機に乗ってマニラに着た家族や子供たちと会いました。タクロバンから、サマールのギアンから、オルモックから、またその他の場所から来た方々で、家やその他全てを失った方々、身内を失った方々、あるいは家族をまだ残してマニラに来た方々に会いました。そういう方々と出会って、お話を伺いました。カトリック司祭の存在をとても心強く感じられたようです。ロザリオを差し上げたり、スカプラリオの着衣式や、祝福して差し上げました。そんな中で、私が出会った方々は、皆、この試練をとても肯定的に、超自然的に受け止めていたのが印象的でした。他人についてこう語るのは容易ですが、私たちも、試練をいつも肯定的に超自然的に受け入れて捧げる準備ができていますように! 

 日本では明日から聖伝のミサが大阪と東京であります。また、2014年の典礼カレンダー(カラー)もできあがりました! ミサの会場でお分けいたします。今年は、制作費が昨年よりも安く上がったので、950円でお分けできることになりました。天主様に感謝! 

 さて、大変遅れてしまいましたが、2013年11月の日本でのミッションの報告を申し上げます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


----------


【大阪】
アヴェ・マリア!
11月の大阪の御ミサの御報告です。
8日金曜日には15人の方が御ミサに預かるお恵みをいただきました。
この日の聖福音にあるぺトロの舟についてお説教をしていただき、
1、イエズス様がいらっしゃる公教会は最後まで絶対に沈まないことを信頼し 
2、教皇様の為にたくさん祈り 
3、聖伝の信仰を守る御ミサに預かる人と、聖なる召命が益々増えるように祈る
ようにしなければならないことがわかりました。

9日土曜日には22人の方が御ミサに預かりました。

御ミサの後、公教要理では「カトリ ック信者としての心得」についてお話しいただきました。
私たちの使命は、「主のみ旨を果たすこと」つまり

1、掟を守り
2、時間を大切にし
3、すべてを天主のために為す

ことであると再確認いたしました。国家、世間の人々が私たちの主をなおざりにしている分、私たちはただただ天主様のためにすべてをおささげしなければならないと感じました。

ハードなスケジュールの中、日本に帰って来て下さった神父様に心から感謝いたします。神父様に天主様がたくさんのご助力とお恵みをお与えくださいますように!!!
聖母の汚れなき御心よ、我らの為に祈りたまえ!


【東京】
11月10日(主日)の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 13人(内、子供0人)
女: 16人(内、子供0人)
計: 29人(内、子供0人)


------------------------

11月2日の葬儀ミサでクチュール神父様がなさったお説教をご紹介します。日本語訳をしてくださった大阪の信徒会長様に感謝します。

テレジアさんの葬儀の説教(2013年11月2日)

テレジアさんのご家族の皆さん、
信者の皆さん、
友人の皆さん、

私たちは、マリア・テレジアさんのために祈っています。テレジアさんは木曜日(10月31日)に亡くなられました。私たちは、なぜ亡くなった人々のために祈るのでしょうか。それには多くの理由があります。

第一に、私たちは、亡くなったあとにも命があり、死ぬことですべてが終わるのではないことを信じているからです。私たちの霊魂は霊的であります。死ぬことはなく、体のように腐敗することはありません。体は死んだあと、ちりや灰になってしまいます。霊魂が体から離れたあとも、霊魂は存在し続けます。

次に、死の瞬間ののち審判があります。霊魂は審判を受けるため、天主のもとへ行きます。テレジアさんも、生涯の中で行った良いことと悪いことについて裁かれました。私たちは、私たちが自覚して行ったすべてのこと、思い、言葉、行い、怠りによるすべてを天主の前で説明しなければなりません。私たちが天主の十戒に従い、天主を信じ、洗礼によって恩寵を受け、霊魂における天主の命であるこの恩寵を保ったならば、霊魂は救われるでしょう。つまり、天国へ行けます。天国は天主の国であり、天主とともに永遠に幸福でいられるでしょう。天国の幸福は大変素晴らしいため、人間の言葉で表現することはできません。 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心にまだ思い浮ばず、天主がご自分を愛する人々のために準備された」(コリント前書2:9)。しかし、霊魂が天主を信じることを拒絶し、天主の命令に従うことや恩寵を保つことを拒絶するならば、決して天国へは行けません。地獄へ行くのです。

信じている人が亡くなったとき、よくあることですが、魂に小さな汚れが残っています。小さなちりのように。この場合、この人は天国に入ることができません。なぜなら、完全に清められた人だけが天国に入れるからです。しかし、地獄へ送られるのでもありません。この人の心に天主の恩寵があるからです。この人は、どこかで小さな汚れを清めてもらわなければなりません。その場所は、煉獄と呼ばれます。天国の玄関のようなものです。聖書は言っています。死んだ人々のために、罪から解き放たれるよう祈ることは聖なる考えだと。

それが、きょう私たちが行っていることです。亡くなった人々の霊魂に汚れがあり、まだ天国に行っていない場合、私たちは彼らの霊魂のために祈ります。私たちは彼らを見ることはできません。しかし、私たちは「念のために」に祈ります。聖アウグスチヌスが言うように、亡くなった霊魂のために十分祈らないよりは、多すぎるほど祈るほうが良いのです。もし亡くなった人々がもう天国にいるならば、私たちの祈りは助けが必要なほかの霊魂に与えられるでしょう。

亡くなった人々のご遺体に敬意を表すのは重要ですが、最も重要というわけではありません。実際、私たち自身のために重要なのです。私たち自身の慰めになるのです。なぜなら、霊魂は体を離れ、物質的なものは必要なくなるからです。にもかかわらず、亡くなった人々への愛のためにご遺体に敬意をあらわすのです。

皆さん、テレジアさんのために聖なるミサを続けましよう。ミサにおいては、私たちは天主の御子の御体、御血、霊魂、そして神性を天主のために捧げます。私たちは父なる天主、永遠の御父に申し上げます。これは、あなたの御子のいけにえ、御子は私たちのために、私たちがきょう祈っている霊魂のために亡くなられました。彼女のあらゆる罪、霊魂にまだ残っている汚れを赦し、速やかに天国へ連れて行ってください。聖なるミサは、人が亡くなったときに私たちが捧げるもののうち、最上のものです。

ミサののち、「赦祷式」と呼ばれる儀式を行います。亡くなった人への特別な祈りです。亡くなった人のご遺体に聖水をかけ、香をたきます。なぜなら、体は洗礼において聖香油が塗られ、聖体拝領で聖なるものとなります。そして、全能の天主の神殿になるからです。

最後に、イエズスの御母、童貞聖マリアに祈りましょう。マリア様がエステル王妃のように、王の中の王である御子に対し、テレジアさんと、煉獄にいるすべての霊魂のためにとりなしてくださいますように。アーメン。

-----------

2013年11月3日(主日) 大阪での説教
煉獄について

信者の皆さん、

(逝去され、葬儀ミサを行うことになったことで)マリア・テレジアさんに感謝しましょう。諸聖人の祝日、死者の日、そして聖霊降臨後第24の主日のミサにあずかることができたのですから。今度は私たちが、彼女のために祈りを続け、本日のミサおよび聖体拝領を彼女のために捧げることで、感謝しましょう。

昨日の葬儀では、死者のためにミサを捧げる理由をお話ししました。今朝は、煉獄について詳しくお話しします。私たちは、この教えをよく知っておく必要があります。なぜなら、今の時代は多くの方法でこの煉獄の教えが攻撃を受けているからです。

第一のポイント:煉獄に関する誤り

まず、この煉獄に対する攻撃に関し、少し説明します。煉獄を信じていない人々を喜ばせるために、カトリック教会で多くのことが変更されました。たとえば、もう黒い祭服は使われず、紫色の祭服が使われるようになり、白い祭服が使われることさえあります。哀悼の日でなく、祝日を表すように祭壇に花が飾られ、アレルヤさえ歌われます。

もっと深刻なのは、死者のための時間、ミサ、祈りが、死者をたたえ、煉獄ではなく天国に入っているのを祝っていることです。葬儀ミサにおいて、煉獄に言及することはほとんどありません。地獄についても煉獄についても触れません。はっきり言いましょう、なぜなら、もはや罪はないからです。罪はもう、天主を攻撃しないのです。

第二のポイント:煉獄の教え

しかし、これらはすべて、しっかりと打ち立てられた煉獄に関する聖伝の教えに反しています。煉獄について言うべきことはたくさんありますが、私たちの信仰、カトリック信仰の一部をなす二つの点についてだけお話しします。一つ目は、煉獄が存在すること、二つ目は、私たちが煉獄の霊魂を助けることができるということです。

聖書にないから煉獄は存在しないという人々は、聖書をよく知っていません。また、プロテスタントの人々がするように、聖書を自分勝手に解釈しています。聖書には、死後の清めの場所が存在することを述べている聖句が、少なくとも三つあります。「煉獄」という言葉は使われていませんが、清めとそのための場所のことが確かにあります。

まずは、マカベオ書下の第12章です。(マカベオ書下は旧約聖書の最後の巻で、聖マテオ福音書の直前)戦いの後、ユダ・マカベオは、エルサレムにお金を送って死んだ兵士たちのためにいけにえを捧げさせます。聖霊はこう記しています。
(実に死んだ人たちのよみがえりを希望していなかったなら、死者のために祈ることは無益な空しいことであったろう。)彼は、敬虔に眠りに入った人たちに素晴らしい報いが準備されていると考えていた。これは聖い信心深い考えである。そのために彼は死者のための償いのいけにえを捧げ、罪から解き放とうとした。

次の聖句は、マテオ福音書第五章25―26節です。ここでは、イエズスご自身が生きている間に清い心を持つように仰せられました。さもないと、死んだ後、
「牢に入れられる。まことに私は言う、一厘残らず返すまで、あなたはその牢を出られない」。
これが意味するのは、私たちが罪のせいで天主に対して負い目があるのなら、死んだ後、天国に入ることはできないということです。

もう一つの聖句は、聖霊に逆らう罪についての有名な聖句です。
言葉で聖霊に逆らう者は、この世においても来世においても赦されることはない(マテオ12章31―32)。
このことは、来世において赦される罪が存在するということを意味しています。この来世は、天国でも地獄でもありません。ですから煉獄なのです。

トレント公会議は、煉獄についてのカトリックの信条、私がさきほど述べた二つのポイントを明確に表現した公会議です。煉獄は存在し、私たちは煉獄の霊魂のために祈ることができる。私たちは、「とりなし」によって煉獄の霊魂を助けることができる。トレント公会議はそう言っています。とりなしとは、私たちが霊魂のために天主に対して何かを捧げることです。私たちは、彼らを直接助けることはできません。私たちが捧げるものを、この霊魂に与えてくださいと、天主にお願いするのです。煉獄についての疑問、つまり煉獄にいる時間の長さ、煉獄の火、煉獄のいろいろな段階については、トレント公会議は定めていません。

ですから、煉獄は存在し、私たちはその霊魂を助けることができます。最上の方法は、彼らのためにミサを捧げることです。彼らのために、ミサ、ノベナ(九つのミサ)を捧げることができます。特に、グレゴリオ・ミサと呼ばれるものがあります。これは、特定の霊魂のために30日間中断せずに毎日連続でミサを捧げることです。グレゴリオ・ミサは、生きている人のために捧げることはできません。また、多くの死者のために同時に捧げることもできません。一人の死者だけです。

また、聖体拝領やロザリオの祈り、他の祈りや償いの業を捧げることもできます。そうすれば、死者のために贖宥(免償)を獲得します。贖宥とは、罪による罰を減らすことです。ご存じのように、贖宥には二種類あります。部分贖宥と全贖宥です。部分贖宥は苦しみの一部を減らし、全贖宥は罪による罰をすべてなくします。天国へのフリーチケットのようなものです。ところで、11月1日から9日まで毎日、お墓参りをしたり、霊魂のために祈ることで、全贖宥を獲得できます。

最後に、私たちは煉獄の霊魂のために、徳の行いを捧げることもできます。たとえば、怒りそうになる場合、こう考えましょう。いや、怒らずにいよう、そうすれば、怒りの罪のために煉獄にいる霊魂を助けることができる。また、試みに抵抗することができます。食べ過ぎないようにしよう、そうすれば、食べ過ぎたために煉獄にいる霊魂を助けることができる。このテレビ番組や、その危険なウェブサイトを見ないようにしよう、そうすれば、目の罪のために煉獄にいる霊魂を助けることができる。

信者の皆さん、皆さんは煉獄についての聖伝の信仰を知りました。さあ、実践しましょう、特に今月の残りの間に。多くの霊魂を天国に送り届けましょう、そうすれば彼らは、私たちのこれからの人生において、最上の友人になるでしょう。

あわれみの御母である聖母を通して、そう願いましょう。アーメン。


============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ

============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA

カンザス・シティでのアンジェルス出版社の講演会におけるフェレー司教の講演報告

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 大変遅れてしまいましたが、アメリカ、カンザス・シティでのアンジェルス出版社の会議におけるフェレー司教の講演報告を日本語に訳してくださった方がおられますので、それを愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。これを訳してくださった方には心から感謝します。また「二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教よりの抜粋」の日本語もできておりますので、後ほど、愛する兄弟姉妹の皆様にお知らせいたします。

 また、フェレー司教様は、来年の1月1日から6月8日まで、ロザリオの十字軍を起動させることを発表されました。多くの皆様のご参加をお待ちしております!

 さて、日本では明日から聖伝のミサが大阪と東京であります。

 また、2014年の典礼カレンダー(カラー)もできあがりました! ミサの会場でお分けいたします。今年は、制作費が昨年よりも安く上がったので、950円でお分けできることになりました。天主様に感謝! 

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



アメリカ、カンザス・シティでの
アンジェルス出版社の会議における
フェレー司教の講演報告

原文はこちら


アメリカ、カンザス・シティでのアンジェルス出版社の会議におけるフェレー司教の講演報告

十月十二日土曜日、フェレー司教はアンジェルス出版社の会議中の講演で、カトリック教会の破壊的状況のあらましと、教皇フランシスコがどのようにしてこの状況を「一万倍も悪くした」かを述べた。

聖ピオ十世会総長、ベルナール・フェレー司教は、十月十二日土曜日、アンジェルス出版社の会議中の講話において、ファチマの第三の秘密と、物質的懲罰と教会内の恐るべき危機の両方についての明らかな預言に焦点を当てた。

DICI編集部は、カトリック・ファミリー・ニュースよりジョン・ヴェナリ氏の報告書を載せる許可を得たことを感謝する。


「教会の現状はまぎれもない悲惨の中にあり、現教皇様はそれを一万倍も悪化させている」

 これは、フェレー司教が十月十一日から十三日にかけての、カンザス・シティでのアンジェルス出版社の講演会の講演で述べたことである。
 この報告書では、司教の土曜日の講演のさらに劇的な側面を強調する。

 フェレー司教は、シスター・ルチア、第三の秘密を読んだ人々、第三の秘密についての知識を持つ人々の言葉を詳しく引用した。司教は、私たちが第三の秘密の内容を知りたいなら、ヨハネの黙示録の第三章第八章から第十三章までを読むようにとのシスター・ルチアの言葉を指摘した(第三の秘密の詳細はカトリック・ファミリー・ニュースの次号、十一月号に載る予定である)。

 シスター・ルチアは、(第三の秘密については)黙示録の八章から十三章を参照せよと言うが、これは身も凍るような内容である。十三章の終わりでは反キリストの出現について語られているからである。

 フェレー司教は、聖ピオ十世教皇が自分の教皇職の始まりに「滅びの子」はすでに地上にいるかもしれないと述べたこと、また、レオ十三世作の大天使聖ミカエルへの祈りが、悪魔はローマに自らの座を打ち立てることを目的としていることに触れていることをも指摘した。

 フェレー司教は、ピオ十二世からヨハネ・パウロ二世までのすべての教皇たちの神学者であったルイジ・チアッピ枢機卿の次の言葉を引用した。「第三の秘密の中には、特に、教会内の大背教は頂点から始まると書かれている」と。

 フェレー司教はまた、一九五七年の、有名かつ劇的なフエンテス神父のシスター・ルチアへのインタビューにかなりの時間を費やして話した。その中でルチアは「さまざまな国々が地上から姿を消すでしょう」そして「悪魔は天主に捧げられた霊魂たちを圧倒しようと全力を傾けるでしょう」と繰り返した。

 天主に仕える人々が、この混乱と破壊で打たれたが故に、信者たちは自らの救霊を自力でやっていくよう取り残されている。聖職者たちが提供するべき助けの手が存在しない。これが「今だかつて想像し得ない教会にとっての最大の悲劇」である。

 この時代は非常に深刻である。私たちの救霊について深刻にならざるを得ない。「そしてこれを成し遂げるための重要な本質、教会権威者たちの援助を私たちは剥奪されています。なんという悲劇であることか」

 フェレー司教は、天主は私たちに最後に残された二つの救済手段をくださったという、シスター・ルチアの慰めとなる言葉について語った。すなわち、ロザリオとけがれなき御心への信心である。


 フェレー司教は二〇一二年の聖ピオ十世会とローマとの間の困難について以下のことを示唆した。

「現在[教皇フランシスコのもとで]起きていることを見て、私たちは去年のあらゆる合意協定のたぐいから守られたことを、天主にひたすら感謝しています。私たちがやり遂げたロザリオ十字軍の実りの一つは、このような不運から守られたことであると言えるかも知れません。天主に感謝します。これは、私たちがカトリックでありたくないということではありません。もちろん私たちはカトリックでありたいですし、私たちはカトリック信者です。そして私たちにはカトリック信者であると認められるべき権利があります。ですが私たちの宝をそのために台無しにするつもりはありません。そんなはずはありません」

 司教は続けてこう述べた。「想像してみて下さい。私たちがなおもローマと合意協定を得ようと決意していると見せかけている一部の人々のことを。かわいそうな人たちです。彼らの意図を証明するよう、私は心から異議を申し立てます。彼らは私が実行していることから別の何かを考えていると偽っています。私の頭の中にはそんなものはありません」

 ローマとの討論については、以下のことを語った。

「教会法的承認へのあらゆる類の指示は、彼ら[訳注:ローマ当局]が二〇一二年六月十三日に私にサインするよう書類を渡したときに終わりました。まさにその日に『私はこの書類を受諾できません』と彼らに告げました。前年の九月の初旬から、私たちはこの "継続の解釈学" を受諾できないと彼らに告げていました。これは正しいことではなく、現実ではないからです。現実に反しているからです。ですから私たちは受け入れません。第二バチカン公会議は聖伝と継続していません。違うのです。ですから、ベネディクト教皇が第二バチカン公会議は聖伝と分かたれていないと受け入れるよう要求してきた時、 『残念ながらそれは現実的ではありません。ですから私たちはサインするつもりはありません。それを認めるつもりはありません』と言っています」

「ミサに対しても同じです。新ミサは有効である、ただし正しく捧げられたらという条件で云々……だけでなく適法でもある、と私たちに認めるよう望んでいます。私は彼らに告げました。『私たちはその言葉を使いません。それはいささかの混乱を招きます。私たちの信者たちは有効性に関して相当に混乱しています。ですから私たちは信者たちに『新ミサは悪いものだ。それは悪しきものです』と告げています。そして信者たちはそれを理解します。これで終わりです!」

 言うまでもなくローマ当局は「それを聞いてあまり喜んでいませんでした」

「第二バチカン公会議が良いものであるとみなされ、新ミサが適法であるふりをすることも、二つとも私たちの決して意図しないことです」

「私たちがローマに提出した[二〇一二年四月十五日の]文書は、言ってみれば、正確に理解されるべき細心の注意を払う文書でした。つまり、すべてのことを導いていた大原則とともに読まれるべきでした。この大原則は教会内の新奇さではありませんでした」

「聖霊は聖ペトロとその後継者に、新しい啓示を通して教皇が新しいことを教えるというやり方を約束されたのでは決してない。聖霊のおん助けのもとで、教皇は信仰の遺産を清廉に保ち、忠実に伝える」これは[第一バチカン公会議からの]不可謬の定義に属します。これが原則であり、文書全体の基礎でした。この文書は始めからいかなる新奇さをも排除しています。

「ですから、この原則なしに、この文書からいかなる種類の文章を抜き出すことは、まったく私たちの思想と人生ではない文章を抜き出すことです。文書自体の言い回しの数々は曖昧です。ですから、曖昧さを取り払うため、私たちはこの[第一バチカン公会議]からの原則を挿入したかったのです。残念ながら、おそらくそれは微妙すぎるものでした。ですから、この文書を撤回したのです。この文書が書かれたような充分に明白さがなかったらです」

「私たちの原則は、忠実であり続けるために常に同じであることははっきりしています! 私たちは宝を受け取りました。この宝は私たちの「もの」ではありません。私たちはこの宝を受け取り、そして次世代にこれを手渡さなければなりません。私たちに要求されたことは忠実と貞節です。私たちにはこの宝の数々を台無しにする権利はありません。この宝は私たちの手の中にあり、私たちはこれらを台無しにするつもりはありません」

教皇フランシスコ

 フェレー司教はシスター・ルチアが一九五七年に言ったとされる、ロザリオとけがれなき御心への信心は、天主が人類に与え給うた残された最後の二つの治療薬であるとの言葉に戻った。

 司教は「間違いなく『物質的な』世界の大懲罰は間近に迫っている」と述べた。「私たちの目前で大事が起きようとしています。どうやって? いつ? 私にはわかりません。ですがすべての物事をまとめあげてみるなら、天主は人間の罪に辟易なさっていることは明白です」

 また、司教は、天に向かって復讐を叫ぶ罪の数々、例えば堕胎や自然に反する罪について語った。自然に反する罪は、結婚とそれに関する多くの罪の、不自然な「再定義」への錯覚である。

「私たちは何をなすべきか? バニックにならないで下さい。パニックは何の役にも立たないからです。必要なことは自分の職務──毎日の義務を果たすことです。これが準備のための最善の方法です」

 司教は続けて「私たちは『非常に恐るべき時代』にいますが、無力ではありません」と述べた。「教会の現状はまぎれもない破壊のうちにあります。現教皇様はそれを一万倍も悪化させています」と指摘した。

「ベネディクト十六世の教皇職の始まりに、私は『教会内の危機は続くでしょうが、教皇様はブレーキをかけようとなさっています』と言いました。言うなれば、教会は落下し続けるだろうが、パラシュートとともにであると。そして現在の教皇フランシスコの教皇職の始まりには、私は『教皇様は糸を切って、落下するロケットを持ち込んだ』と言います」

「現教皇様がご自分の教皇職を開始したやり方で続けていくなら、教会を分裂させていくことでしょう。すべてのことを爆発させるでしょう。ですから人々はこう言うでしょう。『あの方は教皇ではあり得ない。私たちは彼を拒絶しよう……」私はこう言います。「お待ちなさい、あの方を教皇様だとみなして下さい、でもあの方の言動には従ってはなりません。教皇様は(良き信徒たちの)怒りを挑発しています。多くの人々は教会内の人々の行いに失望するでしょう』そして『(宗教生活の)すべてを投げ捨てる』誘惑を受けるでしょう。」

 だが、天主は「私たちよりもずっとずっと巨(おお)きな存在です。天主は教会を存続させることがおできになります」と司教は喚起した。また、こういった不完全な聖職者たちを通じて[天主は]働くことさえ可能だとも述べた。「ですが、もう一度言います」と司教は繰り返す。「彼らに従ってはなりません。彼らが真実を述べる時、従って下さい。でも彼らが馬鹿げたことを言うなら、その論点には従ってはなりません。真実へのあらゆる従順は天主に関連していなければなりません。私がある方に従うと言う時、その方は『天主の鏡』であるべきです。ですが、鏡が天主に反することを告げるなら、もはや鏡ではありません。私はその人には従いません」

 私たちは疑うことなく現教皇様に単純に従うことはできない、とフェレー司教は指摘した。自分たちを破壊するかも知れず、信仰を危険にさらすかも知れないからである。

 シスター・ルチア、レオ十三世及びピオ十世教皇の警告に従って、フェレー司教はさらに、私たちは反キリストの時代に突入しているのかも知れないが、このことがどれほど先のことなのか知ることはできない、とさらなる警鐘を鳴らした。

(Source : Catholic Family News/sspx.org – 10/18/13)


============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ

============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA

二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教より(その1)

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日のフェレー司教様の講演の記事に「彼らが真実を述べる時、従って下さい。でも彼らが馬鹿げたことを言うなら、その論点には従ってはなりません。真実へのあらゆる従順は天主に関連していなければなりません。」という言葉がありましたが、今年の10月にティシエ・ド・マルレ司教様のお供をしてソウルやレイテ島で共に時間を過ごしたときのことを思い出しました。

 フランシスコ教皇様が、あまりにも俗っぽい行動をされていることを残念に思いつつも、ティシエ・ド・マルレ司教様は、フランシスコ教皇がシリアのために9月7日に祈りと断食とを呼びかけたとき、従順のためにその日は断食をしたことを教えてくださいました。さすが!

 ニュースによると、スンモールム・ポンティフィクムに従って聖伝のミサをしている修道会の創立者が左遷させられたこと、聖伝に対して迫害を始めたことがわかります。たとえば、Attack Against Franciscans of the Immaculate Because "Crypto-Lefebvrian, Anyways Traditional" 全くの不当な処置です。

 私たちは、しかし「天罰によって教会が改心するのを、待つほか無い」などと悲観するのではありません。私たちはすべてが天主に依存しているかのように祈り、同時にすべてが私たちの努力と知恵に依存しているかのように、行動しなければなりません。

 それでは、二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教よりの抜粋(その1)をご紹介します。この日本語訳をしてくださった方には心から感謝します。

 この説教の中に出てくるフランシスコ教皇様のインタビューについては、「カトリック新聞」にも記事があります。

倫理より癒やしを:教皇インタビュー(上)
時間かけて改革:教皇インタビュー(下)

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

+++++

二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでの
フェレー司教の説教よりの抜粋

原文はこちら

二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教よりの抜粋


 フェレー司教は、教皇フランシスコががどれほど「本物の近代主義者」であるかを、教皇自身の言葉を引用して示し、信者たちに祈りを、特にロザリオの祈りを倍加させるよう熱心に勧めた。

 ここに、十月十三日日曜日、ミズーリ州カンザス・シティの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会での、アンジェルス出版社の講演会において行われた、司教荘厳ミサにおけるベルナール・フェレー司教(聖ピオ十世会総長)による説教の一部を抜粋して紹介する。

 フェレー司教はファチマ、第三の秘密、二〇一二年のローマと聖ピオ十世会との関係に関して、論点を詳しく述べた。その後、教皇フランシスコにまつわる多くの深刻な問題について語った。

「最初から、私たちはこの教皇様に関して、何かがおかしいという印象を抱いていました。最初の時点から、教皇様は自らを他の教皇様たちとは違うのだと区別したがっておられました」

 私たちは、教会について、公会議について、教皇がどのように見ておられるか、彼の計画はなんであるかに目を向けなければならない、とフェレー司教は述べた。教皇フランシスコが、ひっきりなしの講話やインタビュー、電話をかけ始めたのは、今年七月下旬の世界青年の日の前後であった。

「私たちには今のところ全体像が見えていないかもしれませんが、それでも非常な恐れを抱くに十分です。」

教皇の矛盾した発言

 ピオ十世が「パッシェンディ」で警告したように、近代主義者に典型的なことであるが、近代主義者は時に異端的方法で語り、それから正統的流儀で語る。フェレー司教はこういった矛盾の一つの例を挙げた。司教は、教皇フランシスコがローマのラ・リバブリカ紙上で、無神論者のジャーナリスト、エウジェニオ・スカルファリを危険な相対主義へと導いているかのように思われる十月初めのインタビューについて語った。

スカルファリ: 教皇聖下、「善」について唯一の見方は存在しますか? そしてそれが何であるかを決めるのは誰でしょうか?

教皇フランシスコ: 私たち一人一人は善、そして悪についての見方を持っています。私たちは彼らが「善」であると考える方へと人々を動かすよう励まさなければなりません。

スカルファリ: 聖下、聖下は私への手紙の中でこう書かれました。良心は自律している、とおっしゃいましたね。そしてすべての人々は自分の良心に従わなければならないと。このお言葉は、教皇である方によって踏み出された勇気ある一歩の一つであると思います。

教皇フランシスコ: ここでもう一度先ほどの言葉を繰り返します。すべての人々は善悪について独自の思想を持っており、自分がそう考えるに従って、善に従うことを選び、悪と戦わなければなりません。世界をよりよい場所にするためにはこれで充分でしょう。

 非常に強調して、フェレー司教は教皇の回答についてこのように述べた。「これはまったくカトリックではありません! なぜなら、私の考えがどんなものであれ、それが現実に一致しないなら、それには何の価値もないからです。そして第一の現実とは、天主です!… 天主は唯一の善であり、すべての善に関連したお方です!……私たちには良心があります。けれど、私たちの良心が天主の鏡である限りにおいて、良心は私たちを天国へと導きます。良心は天主の法に従って形成されなければなりません」「ですから、"すべての人々が独自の思えに従うことができる"と主張することは、ナンセンスそのものです」「この言葉はカトリックの教えとは無関係です。まったくの相対主義です」と、フェレー司教は述べた。

 だが、このインタビューの数日後、教皇フランシスコは悪魔と戦う必要性、悪魔との最終的戦いについて述べた。それは、誰も悪魔と中途半端には戦えない、私たちは相対主義と戦わなければならないというものである。フランシスコはラ・リパブリカで述べたのとは正反対のことを述べた。「教皇は述べたばかりのことと矛盾したことを言ったのです!」

 教皇フランシスコは第二バチカン公会議についてどのような見方をしているのか?

 フェレー司教によれば、教皇フランシスコは「第二バチカン公会議は輝かしい成功をおさめたということを当然に思っている。公会議の主要なテーマとは何か? 近代文化の光に照らして信仰を読み返すことである」と述べている。「近代文化の光に照らして信仰を読み返すこと」とは「現代世界において福音を受肉化させること」と言えるかも知れません。フランシスコ教皇は「このことを大変幸せに思い、公会議は多くの善い実りを生んだ。最初の例は典礼──改革された典礼である。これは公会議のすばらしい実りである」と信じています。「これが教皇の言葉です。そして彼はこのことを大変幸せに思っているのです」

「フランシスコは私たちにこう告げています。『現代世界の中での福音を読み直すことは、後戻りできません。ですから私たちは引き返すつもりはありません』と。皆さんは私たちにどのようにして彼と同意せよというのでしょうか? 私たちは重要な戦いを目前にしているのです」

教皇フランシスコとミサ

 典礼と古いミサについて、フランシスコは「Vetus Ordo 古い司式」だと述べた。フランシスコは、おそらく、ベネディクト教皇が古いミサにまだ固執する人々のために、賢明な行為として古いミサを復興させようとしたと思っている。「しかし、フランシスコ教皇が、古いミサへと戻ってくるなどと期待してはなりません。たぶん、彼は古いミサを妨害することなく私たちに古いミサを執行させるでしょう。天主のみがご存じです。」

「しかし、フランシスコ教皇は「この古いミサには問題があると見て」います。"このミサをイデオロギー化する人々がいる"からです。彼の言う人々とは誰でしょうか? 多くを言う必要はありません。ということは、私たちに対して何が起こるのでしょうか?……私が思うに、教皇フランシスコは、過去に目を向けているこの人々について大きな強迫観念に取りつかれています。教皇様のお言葉を聞いてみましょう」

教皇フランシスコ: けれども、心配なことは「Vetus Ordo 旧典礼」のイデオロギー化の危険、そしてその悪利用です。もしもキリスト教徒が[過去の]復興者、法律主義者であるなら、すべてのものに明白さと確実性を望むなら、その人は何も見つけられないでしょう。伝統と過去の記憶は、天主への新しい領域を開くための勇気を与えてくれなければなりません。現代において、規律上の解決を常に求める人々、誇張された教義上の「確実性」を希求する人々、すでに存在していない過去を元通りにしようと固執する人々、彼らは静的で内的な方向に観点を持っています。このやり方では、信仰はその他のイデオロギーらの一つのイデオロギーになってしまいます。私の持っているドグマ的な確実性とはこれです。つまり、天主は全ての人々の生にましまし給うということです。

 フェレー司教はこう続ける。「現教皇について私たちが抱く印象は、教皇は『だいたい』『あいまい』に熱心だということです。非常に明確で確実なことからいかなる犠牲を払っても逃げたがっています。しかし、天主が明確で確実であるように、信仰とはそういうものです。教皇の考えはそうではありません」

(つづく)


============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ

============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA



12月の日本での聖伝のミサを天主様に感謝します。ご報告を紹介いたします

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 天主様に感謝! 聖母の汚れなき御心に感謝! 12月の日本での聖伝のミサが行われ、ご報告を頂きましたのでご紹介します。日本に行かれたレネー神父様に感謝します。また、神父様のお説教を翻訳してくださった信徒会長さまたちに感謝します。

 今月も引き続き台風の被害者のための献金をしてくださり、東京では JPY48,350 (approx. USD462)が集められました。感謝します。

 フィリピンでは明日から「ミサ・デ・ガロ」と呼ばれる暁のミサが始まります。私たちの教会では早朝4時半からで、24日まで九日間続きます。
 良き待降節をお過ごしください!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【大阪での聖伝のミサの報告】

アヴェ・マリア!
12月の大阪での御ミサの報告です。
12月13日金曜日には、11名の方が、
14日土曜日には17名の方が御ミサにあずかる御恵みをいただきました。
天主様に感謝!聖母マリア様に感謝!聖ヨゼフ様に感謝!レネー神父様に感謝いたします!

14日は、遠く福岡から求道者の方が初めて聖伝の御ミサ、公教要理にあずかられました。この方がお持ちになったロザリオや御像を御ミサ前にレネー神父様が丁寧に祝別してくださり、とても喜んでおられたようでした。

13,14日両日とも無原罪の御宿りついてお説教していただきました。翻訳してくだ さいました会長さま方に感謝します。
14日の公教要理では、お告げの祈りの「三つの謙遜」についてと「罪といけにえ」の意味を対比形式で詳しく説明していただきました。
お説教、公教要理については両信徒会長さまからのアップを期待いたします(^_-)-☆

では、良いクリスマスをお迎えくださいませ。
大変お忙しいと思いますが、どうぞお体に気を付けてお過ごしください!


【東京での聖伝のミサの報告】

レネ神父は今日のミサ中のお説教で、先週教会がお祝いした聖母マリアの無原
罪の御宿りについて詳しく説明してくださいました。無原罪の御宿りについて
は一見御托身に最も関連していると思われているが、実はイエズス・キリスト
のあがないの業にご自分を一致された聖母という点から見れば、実は共贖者と
なるために無原罪であったのある、という事実を教えていただきました。ま
た、私たちが苦しむ時、十字架上で改心した盗賊にならって、自分自身の罪を
つぐない、隣人の罪をつぐない、主と聖母の御苦難と十字架に一致することに
よって真に功徳を積んでお恵みを受けることができる、というお勧めをいただ
きました。

昼食後の霊的講話は、主が二度の来臨とその対比、アダムと新しいアダムであ
るキリストの対比、偽りの自由と真の自由の違い等についての解説、またヘブ
ライ人が紅海とヨルダン川を渡ったことが、実は私たちキリスト教徒が洗礼と
死という渡りをすることの前徴になっていること等を教えていただきました。

その後、待降節の晩課を歌って終了しました。

ミサの参列者数
男: 12人(内、子供0人)
女: 14人(内、子供0人)
計: 26人(内、子供0人)

霊的講話の参列者数
男: 7人
女: 4人
計: 11人

晩課の参加者数
男: 5人
女: 4人
計: 9人

【レネー神父様のお説教の日本語訳】

親愛なる兄弟のみなさん、

洗者ヨハネはなんの奇蹟もしなかった(ヨハネ10章41節)のですが、人々は洗者ヨハネの聖なる生き方の故に彼をメシアだと考えていました。なぜでしょうか?それは人々がアダムから引き継いだ罪の傷、すなわち原罪があること、そして、天主からの大変大きなお恵みなしにはそのように聖なる生き方をすることが不可能であることを知っていたからです。実際洗者ヨハネは大変立派な人であったので、私たちの主も洗者ヨハネについてこうおっしゃっています:「それなら、なにをしようとして行ったのか?預言者を見にか?そうだ、私はいう、預言者よりもすぐれた人である。“私は、あなたの前に、私のつかいをおくる。あなたの道をととのえさせるために”と書かれているのは、その人のことである。まことに、私はいう、女から生まれた人の中で、洗者ヨハネよりも偉大な人は出なかった。」(マテオ11章9-11節)と。

洗者ヨハネは預言者以上の人、天使のような人です。それでも無原罪ではありませんでした。洗者ヨハネも原罪を持っており、その原罪は、まだ母の胎内にいた時、聖母の御声によって洗い流されたのです:「なんとしたことでしょう、あなたのあいさつのお声が私の耳にはいると、私の子は胎内で喜びおどりました。」(ルカ1章44節)

かつて原罪から守られた人間はただ一人しかおらず、その人こそ童貞聖マリアです。その無原罪の御宿りを先週の主日にお祝いしました。これは大変大事な教理ですので、無原罪の御宿りについて少し説明したいと思います。

教皇ピオ9世はこの教理を定める際、聖母は御托身のために、すなわち御托身される天主の御言葉にふさわしい器となるために無原罪であったとおっしゃいました。しかし、聖書の中で「無原罪」ないし「汚れなき」という言葉を探してみると、驚くべきことにこの言葉が最も普通に文字通りの意味で使われているのは…私たちの主についてではなく、聖母についてでもなく、貞潔の徳についてでもなく、御托身についてでもなく、むしろ贖罪に関して、犠牲の生け贄の条件として使われているのです。すなわち子羊は「汚れなきもの」でなくてはならず、また祭壇に供えられる他のすべての生け贄も「汚れなきもの」でなくてはならないという条件です。聖書の中でこの言葉が使われている箇所のうち64%は旧約の犠牲の生け贄の条件としてなのです。そして新約聖書では2度だけ、私たちの主イエズス・キリストについて使われていますが、これも汚れなき子羊としてです:聖ペトロは言っています:「あなたたちが、祖先からうけついだむなしい生活からあがなわれたのは、金銀などの朽ちるものによるのではなく、きずもなく汚点(しみ)もない(ラテン語では”immaculatum”)子羊のような、キリストの尊いおん血によるのであることを、あなたたちは知っている。」(ペトロ前1章18-19章)と。また、聖パウロは言っています:「ましてや永遠の聖霊によって、汚れのない(ラテン語では”immaculatum”)ご自分を神にささげられたキリストのおん血が、私たちの良心を死の業(わざ)からきよめて、生ける神に奉仕させ得ないことがあろうか。」(ヘブライ9章14節)と。まことに「神の子羊を見よ」(ヨハネ1章29節)、旧約で条件とされていた全ての「汚れなき子羊たち」によってあらかじめ示されていたその小羊、「世の罪をとりのぞく」(ヨハネ1章29節)ことのできる、またそのお恵みによって聖母が無原罪となされた唯一の小羊です。

これによって、無原罪の御宿りを大変特別な見方で見る事ができます。聖母は、生みの苦しみなしに、いえむしろ最大の慰めをもって生む天主の子であるイエズスをお生みになるためだけに無原罪であるのではありません。聖母はまた、十字架の下で生みの苦しみをもって私たちを生むために無原罪なのです。聖母は天主の御母となるためだけに無原罪であるのではありません。聖母はまた、共贖者として私たちの母となるために無原罪なのです。これはいったいどうなっているのでしょうか?天主がどうして罪のない人に受難をお命じになることができるのでしょうか?これは不正ではないのでしょうか?しかし、父なる天主は自らの子に苦しみ、死ぬという命令をお下しになりました:「父が、私を愛されるのは、私が命をふたたびとりもどすために、自分の命をあたえるからである。その命は、私からうばうものではなく、私がそれをあたえるのである。私にはそれをあたえる権利があり、またとりもどす権利もある。それは、私が私の父からうけた命令である。」(ヨハネ10章17-18節)どうしてこのようなことがあり得るのでしょうか?

実は、天主はまさに正義の方であるが故に、罪のない者が苦しむとき、天主は必ず溢れんばかりの報いを与えられるのです!私たちの主イエズス・キリストの御受難と死の報いはなんだったでしょうか?世界の救いです!私たちの主イエズス・キリストは御受難によってあがない主になられたのです:「死ぬまで、十字架上に死ぬまで、自分を卑しくして従われた。そこで、神はかれを称揚し、すべての名にまさる名をお与えになった。それは、イエズスのみ名のまえに、天にあるものも、地にあるものも、地の下にあるものもみな膝をかがめ、すべての舌が、父なる神の光栄をあがめ、『イエズス・キリストは主である』といいあらわすためである。」(フィリピ人2章8-11節)

そして聖母はまたー私たちの主イエズス・キリストの御恵みによってー無原罪でおられますから、聖母が十字架の下でお苦しみになったので、天主は溢れんばかりの報いをお与えになったのです:すなわち聖母は共贖者になられ、すべての(聖性の状態にある)生ける人の母となられ、慈しみの母となられたのです。聖母がこの力を得られたのは、私たちの主のあがないの効果を人々に分け与えるためなのです。

私たちの主イエズス・キリストも聖母も罪のない方でしたが、その故に苦しみから逃れようとされることがないどころか、その正反対でした。罪は高慢の為にこの世に入りましたから、罪の傷を癒すためには謙遜をもってすることが必要でした。罪深い人間(すなわちアダムとその子孫)は至聖なる三位一体に対して示すべき光栄、従順が足りませんでした。これを正すためには、至聖なる三位一体に対してより大いなる光栄、より大いなる従順を示さなくてはならず、それは聖なる人ヨブが言うように、まさに苦しみを受け入れる事にあるのです:「われわれは神から幸をうけるのだから、災(すなわち苦しみ)をも、うけるべきではないか。」(ヨブ2章10節)苦しみは罪の結果です。ですから罪のない者が苦しみを受け入れるとき、罪の償いをするのです。

聖人の、特に罪のなかった(一生涯大罪を犯さなかった)幼きイエズスの聖テレジアのような聖人の生涯をみれば、聖人達がなぜそれほど苦しんだのか、と思います。しかし、私たちが苦しみの神秘を理解しなければ、聖人達のことを本当に理解することはできません。罪の償いのための苦しみを天主の御手からすすんで、よろこんで受け入れることによって、新しいアダムである救い主、そして「かれにふさわしい助け手」(創世記2章18節)であり、新しいエワである聖母マリア、またそれに続く聖人達が、十字架に付けられたイエズスと共に、汚れなき子羊という完全な生け贄を捧げることによって、世界全ての罪の償いが行なわれるのです。

聖母は私たちの主イエズス・キリストによる贖罪によるお恵みの最も美しい対象となられましたが、そればかりではなく、聖母はその贖罪のお恵みをだれよりも沢山受けられましたから、聖母をキリストの贖罪の傑作と呼んでもよいでしょう。しかし聖母はそれに対してお返しをされました。聖母は十字架の下のイエズスと共に、自分自身をお捧げになったのです。それゆえ、その見返りとして聖母には更なるお恵みが与えられました:聖母は共贖者となられたのです。天主のなされる業には一定のパターンがあることがわかります。天主はまず、その者が受けるに値しないようなお恵みをお与えになります:聖母には無原罪の御宿りを、もっと低いレベルでは私たちには洗礼のお恵みを、といった具合です。このような最初のお恵みは、私たちが全く受けるに値しない賜物です:お恵みを受ける前にはまったく功徳がないのです。そこで、天主からのお恵みを受けた私たちは、天主からの愛に、愛で応えなくてはなりません(例えば、自分の義務を果たすこと、善行、特に慈悲の業を行なうこと、自分を捨てること、苦行を行なうこと、などによって)、とりわけ私たちの主イエズス・キリストと共に自分自身を生け贄としてお捧げせねばなりません。これらの善行は、私たちが善いことを行なうのをキリストがお助けくださり、それによって私たちが功徳を積む、という「協力的なお恵み」の成果です。最後に、天主はこの功徳に対して、私たちに永遠の命をくださるばかりではなく、この世でも多くのお恵みを人々にお与えになるなど、溢れんばかりの報いを下さるのです。

罪に深く沈んだ現代の世界では、十字架上のイエズスと共に自分自身を罪なき生け贄としておささげする、私たちよりもしばしばずっと純粋な犠牲を行なう霊魂が必要なのです。これは宗教生活でも可能ですし、年齢に伴う、あるいは病気に伴う苦しみをすすんで受け入れる事などでも可能でしょう。

苦しみが始まったとき、私たちがまず覚えておかなくてはならないことは、私たちは罪のない者ではない、ということです。私たちの主イエズス・キリストの側で十字架に付けられていた改心した盗賊のように、私たちはまず自分の罪を償うため、自分自身の為に苦しまなくてはなりません。そして、改心した盗賊と共に、この世の終わりのキリストの再来まで煉獄に留まることを受け入れなくてはなりません:「イエズス、あなたが、王位をもってお帰りになるとき、私を思い出してください。」(ルカ23章42節)と。改心した盗賊はこれに至る前に、罪の痛悔をしていました:「もう一人の方は、かれを押し止めて、『あなたは同じ刑罰をうけながら、まだ神をおそれないのか。われわれは行なったことのむくいをうけたのだから当然だ。しかし、この人はなんの悪事もしなかった』。」(ルカ23章40-41節)と。しかし、私たちの主イエズス・キリストと共に自分自身をおささげすることの報いは大変大きいものです。主は彼におっしゃいました:あなたは一日も煉獄に留まることはない!「今日あなたは、私とともに天国にあるであろう。」(ルカ23章43節)と。

私たちは、私たち自身の罪のつぐないのために苦しんだ後、私たちの隣人の罪のつぐないのためにもっと苦しまなくてはなりません!幼きイエズスの聖テレジアは、あわれな罪人たちのために自分自身をイエズスの慈悲深い愛におささげするとき、これを理解していたのでした。

苦しみが始まったとき、「私がいないと、あなたたちにはなに一つできない。」(ヨハネ15章5節)ということがもっと良くわかります。私たちが善をなすためには、いつも私たちの主イエズス・キリストのお恵みを必要としていますが、これを忘れてしまいがちです。しかし苦しみのとき、私たちはすぐに自分の弱さ、そしてこのお恵みが今すぐ必要なことに気づき、力と忍耐をひたすら求めるのです。それでも、私たちの主イエズス・キリストのお恵みをもってすれば、「忍耐は、業(わざ)によって完成される。」(ヤコボ1章4節)、「あなたたちは、私の名のために、すべての人から憎まれる。しかし、終りまでたえしのぶ人は救われる。」(マテオ10章22節)、「私はぶどうの木で、あなたたちは枝である。私にとどまっていて、私もまたかれのうちにいるなら、その人は多くの実を結ぶ。」(ヨハネ15章5節)

苦しみが始まったとき、私たちは反抗して、「なぜ?私が何をしたというのですか?」と言ってしまいがちです。私たちは汚れなき御心に心をむけねばなりません。聖母はそのような不平をおっしゃらず、主のお恵みによってご自分を天主の御旨に任せ、御受難の初めに「わたしの父よ、このさかずきを私がのまずにはすごせないものなら、何とぞ、み旨のままに!」(マテオ26章42節)とおっしゃった主の「fiat(われになれかし)」と共に、ご自分の「fiat(われになれかし)」を繰り返されました:「あなたのおことばのとおりになりますように!」(ルカ1章38節)と。

私たちが「(キリストの)御復活の栄えに達するを得」るのは「その御苦難と十字架とによりて」(御告げの祈)です。これこそが天国に至る十字架の王道です。これこそが私たちの主イエズス・キリストの道です。聖パウロは言っています:「私たちが神の子である…私たちが子であるのなら、世つぎでもある。キリストとともに光栄をうけるために、その苦しみをともに受けるなら、私たちは、神の世つぎであって、キリストとともに世つぎである。今の時の苦しみは、私たちにおいてあらわれるであろう光栄とは比較にならないと思う。」(ローマ8章16-18節)と。

ミサの目的の全ては私たちを子羊の犠牲と結びつけることです。ミサは私たちの苦しみ、悲しみを聖化し、無限のお恵みをもたらします。ですから、ミサは天国への扉です。また、無原罪の聖母は十字架の下にいらっしゃいましたから、全てのミサにもいらっしゃるのです。

「神は喜んで与える者を愛する。」(コリント後9章7節)聖人達の生涯を見ると、聖人達がいかに十字架を愛していたかがわかります。聖アンドレアが遠くから十字架を見たとき、こう叫びました:「おお大切な十字架よ、主の御体が善きものとした十字架よ、いかに長く望んでいたことか!いかに温かく愛してきたことか!いかに常々捜してきたことか!いまや十字架が私に来たのだから、いかに私の魂が十字架に引かれることか!十字架が人々の中から私を迎え、私を私たちの主に再び結びつけんことを。主は十字架によって私をあがなってくださったので、十字架によって主が私をご自分のもとに引き寄せてくださいますように。」と。聖人でさえこのような感情を持っているのですから、十字架の下にいらっしゃる無原罪の聖母はいかにもっと強い感情をお持ちでしょうか!聖母はあがないの神秘が行なわれていることを理解し、至高の母なる愛をもってご自分の子と全く一体となられました。私たちも、聖霊のお恵みによって、イエズスとともに一つの生け贄となれるよう熱望しなくてはなりません。これがミサのお恵みです。

愛徳をもってすれば全てのものが変わり、愛することができるようになります、十字架でさえも!聖人達についてこのように書かれています:「るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、焼き尽くすいけにえの捧げ物として受け入れられた。主の訪れのとき、彼らは輝き渡る。」(知恵3章6節)と。金はるつぼの中で清められ、輝いて出てきます。霊魂も十字架の木とともに燃える愛徳の火によって清められるのです。そしてこれが聖霊の賜物です。

願わくは、私たちが「十字架の友」となれるよう、そして多くの人がそうであるように「キリストの十字架の敵」(フィリッピ3章18節)とならぬよう、無原罪の聖母がキリストの十字架の愛を私たちに下さいますように。願わくは、私たちが天国で栄光を受けておられるイエズスに近づけるよう、無原罪の聖母が十字架に付けられたイエズスに私たちを引き寄せてくださいますように。アーメン。



============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ

============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA

私たちの主イエズス・キリストの御降誕おめでとうございます

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお慶びを申し上げます。

今日、大阪でクリスマスの聖伝のミサがありました。次の通りの御報告を頂きました。御紹介します。天主様に感謝します!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父


――――――――――

アベマリア!
おめでとうございます(^O^)

クチュ−ル神父様は予定通り到着され、

5時半から玄義の間にキャロルをはさみながらロザリオを唱え、その後聖歌を数曲歌い、ミサが始まりました。

今日は25人の方が御降誕の歌ミサに預かるおめぐみを頂きました!素晴らしいお説教に皆感動し大きなお恵みに感謝しました。

御ミサ後、クチュル神父様から皆さんにCDのクリスマスプレゼントを頂き、馬小屋のイエズス様の前で食事を頂きました。

デオグラチアス!!

早速、今年の元旦から第四次ロザリオの十字軍が起動しました。

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 新年の喜びを申し上げます。新年も愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

 早速、今年の元旦から第四次ロザリオの十字軍が起動しました。日本からは五万環のロザリオの祈りを集計したいと願っています。愛する兄弟姉妹の皆様のご協力をお願い申し上げます。

 こちらは、12月29日に大阪で主日のミサを捧げることが出来て天主に深く感謝します。これについては、次の【お便り】をご覧ください。

 また、神学校へ入学して以来始めて、年末年始を実家で父母と過ごすお恵みを頂きました。新年早々、大変に多くのお恵みをいただき、天主に深く感謝します。

 新2014年も愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りとご支援とをよろしくお願いいたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--------------------------------------------

【お便り】
アヴェ・マリア!
神父様、大阪でのボーナスミサをありがとうございましたm(__)m
29日 主日には23人の方が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!!
2013年に頂いた多くのお恵みに感謝いたします!!
来年は、新年からロザリオ十字軍も発動されたので特にロザリオをもっと祈ってマリア様の御保護とお取り次ぎを願おうとの決心をいたしました(^0^)/
天主様に感謝!
マリア様に感謝!
ヨゼフ様に感謝!
聖ピオ十世会の神父様方に感謝!いたしますm(__)m


グレゴリオ聖歌に親しむ会 1月の練習日が変更になりました。

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日、1月11日(土)に予定されていた練習が、都合により、1月12日(主日)の午後6時からに変更になりました。ご迷惑をおかけしますが、ご理解をお願いいたします。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2月の聖伝ミサの予定

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2月は、
大阪14日(金)、15日(土)、
東京16日(主日)の予定です。月曜は残念ですが、例外で、朝のミサはありません。

宜しくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!
トマス小野田圭志神父

8周年、感謝します

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

このブログも、1月21日で8周年を迎えました。天主様に感謝します。愛する兄弟姉妹の皆様の応援とお祈りに感謝します。

これからもよろしくお願いいたします。天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2013年10月13日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教の抜粋(その2)

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

いかがお過ごしでいらっしゃいますか? フェレー司教様のお説教の続きをお知らせしようと思いつつ、こんなにも遅れてしまったことをお赦しください。

 ニュースによると、フランシスコ教皇はローマ教皇庁(Curia)改革のために顧問として八名の枢機卿を選んで「枢密院」のようなものを創設したそうですが、その内で最も信頼を置き、八名の枢機卿の内の「主席」のような枢機卿が、マラダリアガ枢機卿だそうです。この枢機卿の発言を見ると、彼がオープンな近代主義者であることがわかりカトリック教会の行く末が思いやられます。

 私たちは、カトリック教会のために、教皇様のために、枢機卿・司教たちのために、たくさん祈らなければなりません。特にロザリオの祈りを多く捧げましょう。私たちはすべてが天主に依存しているかのように祈り、同時にすべてが私たちの努力と知恵に依存しているかのように、私たちにできる範囲の善を行わなければなりません。

 それでは、二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教よりの抜粋(その2)をご紹介します。この日本語訳をしてくださった方に心から感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


*****

原文はこちら

二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教よりの抜粋(その2)

フェレー司教


 教皇フランシスコの、問題ある言葉をもう一つの引用する。

教皇フランシスコ「ある人が、完全な確信をもって天主に出会ったと言い、不確実さのかけらもないと言うのなら、これは良いとは言えません。私にとって、これは重要な鍵です。ある人があらゆる疑問に対して答えを持っているなら──それは、天主がその人とともにないという証拠です。つまり、その人は自分のために宗教を利用している偽預言者だ、ということです。モイゼのような天主の民の偉大な指導者たちは、常に疑いの余地を持っています。」

 フェレー司教はこれに答えて叫ぶ。「教皇は、いったいどんな福音書を持っているのでしょうか? このようなことを述べるとは、教皇はいったいどんな聖書を使っているのでしょうか? 酷いことです。福音と、また、カトリック信仰と、これがどのような関係があるというのでしょうか? これは純然たる近代主義です。親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちの目の前には、正真正銘の近代主義者がいます……」

「教会当局に、人々が立ち上がって[私たちがこのような新しい教えを受け入れることは]『断じてありえない!』と言うために、これ以上どれほどの時間が必要でしょうか? 私はこのことが起こることを心から希望し、祈ります。しかし、これは教会内に巨大な分裂をもたらすことを意味します。」

 フランシスコは、また、自分は超近代主義者のイエズス会士、マルティニ枢機卿(すでに他界)の大変に尊敬していると私たちに告げている。マルティニ枢機卿は、教会内で、全体革命をおこすことを呼びかける一冊の本を書いた。「これが、フランシスコ教皇が欲していることです。教皇は、彼のような考えを持つ八人の枢機卿を、教会を"改革"するための助け手として選びました!」

 フランシスコ教皇は「この方向に向かって、ほとんど何も行われなかった」と主張しているとフェレー司教は述べる。これは驚くべき発言である、と司教は指摘する。なぜならエキュメニズムは教会へ無数の破壊を導入し、カトリック国家を背教へと導いたからだ。「にも関わらず、現教皇は『この方向に向かって、ほとんど何も行われなかった、ほとんど無に等しい』と、…そして『けれどもこれを実行するための謙遜と熱望を私は抱いている!』と述べているのです」

聖伝の教えとロザリオにしがみつこう!

 フェレー司教は説教の要約としてこのように述べる。「教会に影を落としている神秘は、これほど巨大だったことはかつてありません! 私たちは大変困難な時代を目前にしています。いかなる幻想も抱いてはなりません。はっきりとした唯一の解決法、それは私たちが所有しているものにしがみつくことです。かじりついででもそれを保ち、なくさないことです……」

「聖ピオ十世教皇は、すべてのカトリック信者の本質は、過去から離れないことであると言っています。この意味では、全カトリック信者は聖伝の信者なのです! 現教皇はこれと正反対のことを述べています。『過去を忘れ、自らを未来の不確実性へと投げ込め』と」

「間違いなく、私たちはマリアのけがれなき御心を必要とします。私たちが経験していることは、まさに、ファチマの秘密です。私たちがしなければならないことは、すなわち、祈りに祈りを重ね、償いに償いを重ねることです。マリアのけがれなき御心に祈ることは、この困難な時代に私たちに与えられた確かな手段です。そしてロザリオの祈りです」

「確信して下さい、次のロザリオ十字軍の開始はそれほど遠くはありません。ロザリオを手に取りましょう……毎日祈りましょう。私たちは信仰にとって大変危険な時代に生きており、聖母から約束され、聖母から賜ったこの天的な防護の道具を必要とします。とにかくロザリオを祈りましょう! 聖母と天主と親密な関係のうちに成長しましょう!」
(Source : Catholic Family News/sspx.org – 10/18/13)



============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA

第5次ロザリオの十字軍 2014年2月4日現在、1828環が報告されています

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 第5次ロザリオの十字軍の報告を感謝の内に頂きました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

 2014年2月4日現在、1828環が報告されています!天主様に感謝!

 ご報告がまだの方々は、是非ロザリオの環数をお教えくださるようによろしくお願いいたします。

 明日は、日本二十六聖人の祝日です。日本のために祈りましょう。

 日本が、原子力発電という子孫にあまりにも多くの負担と負債を強いる危険で維持費の高いものを早く放棄する賢明な日が来ることを希望し祈りつつ、日本が核ではなく、真の天主(カミ)を持つ日が早く到来しますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 【報告】
トマス・マリア小野田圭志主任神父様
十主の平安!!!♪♪♪
アヴェ・マリア!!♪♪
童貞聖マリア様御潔めの大祝日!!♪♪おめでとうございます!♪
フェレー総長様の!♪御説教、有難うございます!♪
ルフェーブル大司教様に!♪聖会!♪聖ピオ十世会!♪与る信者!♪教皇様、司教様、神父様方の為にお祈り下さいませ!!を毎日祈っています!
早速ですが、聖なるロザリオの十字軍!!♪♪の御報告をさせて頂きます♪
シスター    93環
ヨゼフ  マリア        90環
ヨゼフ・パウロ   93環
マリア・クリスティーナ・ヨハネ   240環
マリア・ベルナデッタ・ヨゼフィーナ  223環
バルナバ    66環
エリザベト    93環
幼きイエズスの聖テレジア  74環
マリア・クリスティーナ    27環
マリア   29環
マリア・エリザベト   20環
マリア・ローザ  56環
マリア・クララ    5環
アンナ    57環
今の所以上で、1166環です、追加のご報告を頂きましたら、又御報告させて頂きます♪

アヴェマリア!
小野田神父様、ロザリオの十字軍1月の報告をします。
フランシスコ      31環
モニカ          31環
テレジア         93環

カトリック教会に聖伝の信仰が戻ってきますように。
天主様からの祝福とお恵みがありますように。祈りのうちに。デオグラチアス。


【報告】
+J,M,J,Ave Maria!

小野田神父様、聖務にお忙しいのに私たち日本の信徒のために
ブログやご連絡をありがとうございます。
拙くもロザリオ十字軍の意向で唱えましたロザリオの報告をさせていただきます。

マリア、マリアゴレッティ、マリアマグダレナ、マリアインマクラータ、パウロ マリア、マルガリタマリア、マリアレジナの8人で 1月分として507環を御捧げいたしました。

まだまだがんばりが足りないようで、申し訳ありません。 今月2月、頑張ります。
また毎日の自分の職務や境遇、つらいことを御ミサの犠牲に一致して
聖母の汚れ無き御心にお捧げいたします。

小野田神父様、どうぞお身体を大切になさってくださいますように。
2月の小野田神父様の御ミサを、ご帰国を心からお待ちしております。

至聖なるイエズス様の聖心よ、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
日本26聖人よ、我らのために祈りたまえ。

=====================

 明日は、日本二十六聖人の祝日ということで、DICI に掲載されていた記事を日本語に訳してくださった方がいらっしゃいますので、それをご紹介します。


迫害下における日本のカトリック教会の模範

原文はこちら

迫害下における日本のカトリック教会の模範
二〇一四年一月三十一日

 二〇一四年一月十五日の一般謁見の間、教皇フランシスコは七つの秘跡に関する公教要理の一連の講話の中で、私たちをキリストの肢体とさせるがために、特に洗礼の秘跡について詳しく論じることを決定した。洗礼の秘跡の効力によって、各キリスト者は弟子となり──信仰を受け取るがゆえに──宣教師となり──信仰を伝えるがゆえに──世界に福音をもたらすために召(よ)ばれたのである。

 教皇フランシスコは、洗礼の秘跡の力を強調するため、十七世紀初めの迫害の間、何千という殉教者を生み出し、聖職者たちを排除されてもなお生き残った、日本のキリスト信者たちのことを思い起こさせた。

 大迫害を受け、日本のカトリック信者たちは教会の存在を奪われたままであった。十七世紀のこの国では、国家の決定により、一人の司祭も留まれなかったのだと教皇は説明した。つまり、聖職者たちはすべて追放され、結果として信者の集団は秘密裏の存在として身を隠したのである。

「子どもが生まれると、母親か父親がその子に洗礼を授けたのでした」と教皇は続けた。「特別な状況下では、すべての平信者は洗礼を授けることができるからです……二百五十年ののち、宣教師たちが日本に戻って来ると、身を潜めていた数千のキリスト信者たちが姿を現しました」と教皇は続けた。
「彼らは洗礼の恩寵を通して生き残ったのです」[かつ、定期的に良心の究明をし、償いを実行をしていた──編集者より]二百年以上もの間、この隠れキリシタンたちの家庭は、信仰と洗礼の秘跡を世代から世代へと伝えていった。これらの集団は、特に長崎地方の村々に居住していた。
(see Nouvelles de Chrétienté no. 110, March-April 2008)

「この日本の信者たちの集団の賞賛すべき物語から、私たちは大変多くのことを学び取れます」と教皇は強調し、とりわけ、ヨルダンと聖地からやって来たアラブ人のキリスト信者たちに呼びかけた。教皇は彼らに「困難と迫害、これらを受容と信頼と希望とともに受け入れるなら、信仰を浄め強めるでしょう……。キリストとその福音のまことの証人となり、教会の正真正銘の息子と娘になりなさい。愛徳と尊敬をもって、あなたたちの希望の理由を与える準備が常にできているように」と断言した。
(Sources: apic/imedia/vatican.va – DICI no. 289 dated January 31, 2014)

【参考資料】
日本のカトリック中央協議会による「教皇フランシスコの32回目の一般謁見演説」日本語訳

「神の民にとっての洗礼の重要性に関して、日本のキリスト教共同体の歴史は模範となります。彼らは17世紀の初めに厳しい迫害に耐えました。多くの殉教者が生まれました。聖職者は追放され、何千人もの信者が殺害されました。日本には一人の司祭も残りませんでした。全員が追放されたからです。そのため共同体は、非合法状態へと退き、密かに信仰と祈りを守りました。子どもが生まれると、父または母がその子に洗礼を授けました。特別な場合に、すべての信者が洗礼を授けることができるからです。約250年後、宣教師が日本に戻り、数万人のキリスト信者が公の場に出て、教会は再び栄えることができました。彼らは洗礼の恵みによって生き伸びたのです。神の民は信仰を伝え、自分の子どもたちに洗礼を授けながら、前進します。このことは偉大です。日本のキリスト教共同体は、隠れていたにもかかわらず、強い共同体的精神を保ちました。洗礼が彼らをキリストのうちに一つのからだとしたからです。彼らは孤立し、隠れていましたが、つねに神の民の一員でした。教会の一員でした。わたしたちはこの歴史から多くのことを学ぶことができるのです。」




ロザリオの十字軍 現在1951環が報告されました。ロシアの聖母の汚れなき御心への奉献のため

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 カトリック教会は、残念ながら、エキュメニズムや司教団体主義などの新しいイデオロギーに犯され、通常の状態ではありません。

 カトリック教会のその特徴は、一、聖、公、使徒継承であり、聖伝に従うことがその正真正銘性の源泉にあるのですが、聖伝を放棄しつつあります。

 私たちは、そのような苦しめる母なるカトリック教会のために、イエズス・キリストの真の教会のために、祈らなければなりません。

 だからこそ、カトリック教会の全体の善のために、共通善のために、教会内でどうしても聖伝が守り抜かれなければなりません、そして聖伝があるべき地位に戻らなければなりません、カトリック教会の正常化がなければなりません。

 だからこそ、カトリック教会内において聖伝が保護され、さらに、教会内において聖伝が回帰するように、ますます熱心に一致して祈らなければなりません。そして、教皇様が、全世界の司教たちと一致して、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献し、聖母のけがれなき御心が凱旋することを祈願しなければなりません。

 だからこそ、フェレー司教様は新しいロザリオの十字軍を起動させました。【今回のロザリオの十字軍は第5次であるということのご指摘を受けました。私の手違いで第4次はすでに行われているにも関わらず、ダブって数えてしまいました。訂正いたします。第1次ロザリオ十字軍 2006年8月〜10月、250万環のロザリオが唱えられた後、2007年7月7日:トリエントミサの『解禁』。第2次ロザリオ十字軍 2008年10月末〜12月25日、170万環のロザリオの後、2009年1月21日:『破門』の撤回。第3次ロザリオ十字軍 2009年5月〜2010年6月、1200万環の目標に全世界から1900万環以上のロザリオが捧げられました。第3次報告 第4次報告

 ロシアは、ファティマの聖母マリア様のご要求通りにはまだ奉献されていません。それについては、以下のDICIの記事の日本語訳をご覧ください。【この記事を日本語にしてくださった方には、心から感謝します。】

 昨年、フランシスコ教皇様がなさるという噂が流れましたが、実際はそうではありませんでした。「ロシアを聖母の汚れなき御心に聖別する」のではなく、「私たち自身をファティマの聖母マリアに委託する・信頼する」ことがなされただけでした。

 フィリピンの或る教区司祭の中には、フィリピンカトリック司教評議会(CBCP)の重要なポストをしていますが、きわめて保守的で時々聖伝のミサを捧げていて、聖ピオ十世会にきわめて好意的な司祭がいます。昨年の10月13日に「ロシアが聖母の汚れなき御心に聖別・奉献される」という噂を聞き、この司祭は、ローマにまで行ったのですが、そうではなくきわめてがっかりしてフィリピンに帰ってきました。フランシスコ教皇様の言動に不安を抱いていることを、私にひっそりと教えてくれました。

 だからこそ、私たちはたくさんのロザリオを唱えなければなりません。
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。」(秋田の聖母)
「悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう・・・」(秋田の聖母 1973年10月13日)

 だからこそ、愛する兄弟姉妹の皆様をこの新しいロザリオの十字軍に、第5次ロザリオの十字軍にご招待します。

 現在のロザリオの十字軍の総計は、(私の1月の分87環を含めて)1951環です。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
JMJ
二十六聖人の祝日、おめでとうございます。
アップをありがとうございました!今日が二十六聖人の祝日だということをすっかり忘れておりまして、神父様のブログを拝見して、はたと気づいた次第です。
一月のロザリオ十字軍の報告を忘れておりました。少なくて申し訳ありませんが、十八環です。よろしくお願い致します。

【報告】
十主の平安!!!♪♪♪
アヴェ・マリア!!♪♪
*マリア・ローザちゃん 17環
*マリア・テレジア 1環(今月は、少し頑張るらしいです♪)

以上です、どうぞ宜しく御願い致します<m(__)m>

*****

教皇フランシスコ、世界をファチマの聖母に委託する

原文はこちら

教皇フランシスコは、世界をファチマの聖母に委託する

二〇一三年十月十八日

 信仰年、そして二〇一三年十月十二日から十三日にかけての聖母とともに過ごす祈りの日々という名目のもと、巡礼用のファチマの聖母像がポルトガルからバチカンへ特別の方法で運ばれた。
 十月十二日土曜日の午後、普段はファチマのご出現地に建てられた小さな聖堂に置かれている、このファチマのロザリオの聖母像は、聖ペトロ大聖堂広場に集まった信者たちの崇敬のために顕示された。その後、聖母像は約十キロ(六マイル)かかってローマ南部の "天主の愛の聖母聖堂" へと運ばれた。この聖堂は巡礼者たちは徹夜で聖母像に崇敬を表すことができた。教皇フランシスコは「ルルド、ナザレト、ルハン、ヴァイランカンニ、グァダルーペ、秋田、ナイロビ、バンヌー、チェンストヴァ、そしてマリアン・ヴァレーから私たちの祈りに加わっているすべての人々」に一致して、「童貞マリアの注意深いまなざしのもとで、聖なるロザリオを祈り、聖体を崇めるすべての人々と一つになった」……とビデオ・メッセージで語った。

 十月十三日の朝、教皇フランシスコは聖ペトロ広場において、ファチマの聖母像の前で、十万人以上の人々の列席のもと、ミサを司式した。儀式の終わりに、教皇は「マリアへの委託の祈り」を唱えた。

「おお、ファチマの幸いなる童貞マリアよ、あなたが母としておられることを新たに感謝しつつ、私たちは、あなたを幸いなお方と呼ぶすべての時代の人々に声を合わせて一致します……。
私たちが今日、非常に愛しく思うあなたの姿をうつしたご像の前で、あなたに信頼をもって行うこの委託の行為を、母らしい慈愛深さでお受け取り下さい。
私たち一人一人があなたにとって大切な存在であり、私たちの心の中にあるすべてのことについて、あなたにとって関係の無いことは何もないと、わたしたちは確信しています。・・・
あなたのみ腕において、私たちの生命を無事にお守り下さい。善に対するすべての望みを祝福し、強めて下さい。私たちの信仰をよみがえらせ、養って下さい。私たちの希望を支え、教え導いて下さい。私たちの愛徳をかき立て、命を吹き込んで下さい。私たちすべてを聖性への道へと導いて下さい」

 ローマにおいてバチカン放送局が断言し、当局者たちが主張したところによると、教皇の今回の意志表示は、厳密に言って、ファチマの大聖堂がそのウェブサイトで告知したような「マリアのけがれなき御心への世界の奉献」ではないとのことである。

 今回のマリアとともに過ごす祈りの日々を企画した、新しい福音化のための教皇庁立委員会長官、Rino Fisichella大司教は「奉献」という言葉の意味をめぐって「非常に激しい神学上の議論」があったと説明した。この「奉献」はヨハネ・パウロ二世が回勅「レデンプトーリス・マーテル」(一九八七年三月)が出された後、放棄された。以前に、バチカン放送局によると、一九八二年五月にファチマにおいて、それから一九八四年三月にバチカンにおいて、ポーランド人教皇は、童貞マリアへの世界の奉献の祈りを公式に唱えたとのことである。

 教皇フランシスコは、今年の五月十三日に教皇に選出されたのち、当時のリスボン総大司教、ホセ・ダ・クルス・ポリカルポ枢機卿に、自分の教皇職をファチマの聖母に奉献したいと要請した。この奉献は、一九一七年にファチマの三人の牧童に聖母がご出現になった九六年目の記念日のミサ中に行われた。 (Cf. DICI no. 274 dated April 26, 2013).

私たちは次のことを思い起こそう。
ファチマのコーワ・ダ・イリアでの三人の子どもたちへの聖母のメッセージは、三つの秘密を含み、最初の一つは次のように宣言された。「あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うため、天主は世界に私のけがれなき御心への信心を打ち立てることをお望みです。あなたたちへの私の言葉が実行されるなら、多くの霊魂たちが救われ、平和が訪れるでしょう。戦争は終わるでしょう。しかし人々が天主を攻撃することをやめないなら、ピオ十一世の在位中に、もっと酷い戦争が勃発するでしょう。未知の光が夜空を照らすのを見る時、それは天主が世界をその罪のために、戦争、飢饉、教会と教皇への迫害という手段で罰するおつもりだという、大いなるしるしだと悟りなさい」

 第二の秘密は次のようなものであった。「これ[第一の秘密]が起きないようにするため、私は、私のけがれなき御心にロシアを奉献してくれるよう、初土曜日に償いの聖体拝領をしてくれるよう来るつもりです。私の願いに耳を傾けるなら、ロシアは回心し、平和が訪れるでしょう。そうでないなら、ロシアはその誤謬を世界中に広め、戦争と教会への迫害を始めるでしょう。善き人々は殉教するでしょう。教皇はたいへん苦しむでしょう。さまざまな国々が絶滅させられるでしょう。最後には、私のけがれなき御心は凱旋するでしょう。教皇はロシアを私のけがれなき御心に奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう」

 一九二九年六月十三日、トゥイにおいて、火曜日の夜の聖時間中に、聖母はシスター・ルチアにこのように言われた。
「天主が要求された、教皇が世界中の司教たちと一致して、ロシアを私のけがれなき御心に奉献するという時がやって来ました。この奉献によって世界を救うという約束です」そして一九三一年八月に、聖主イエズス・キリストは、リアンホで病み上がりのシスター・ルチアに以下のことを啓示された。「彼らは私の要求に耳を傾けることを望まなかった!……フランス国王のように、彼らは後悔するだろう。彼らは私の要求を実行するだろうが、後になってのことだろう。ロシアは戦争と教会への迫害を引き起こし、すでにその誤謬を世界に広めてしまった。教皇はひどく苦しむことになるだろう」


 一九四二年十月三十一日、ピオ十二世はラジオ訓話で、教会と世界をマリアのけがれなき御心へと奉献し、その後、一九四二年十二月八日に荘厳に行った。
「ピオ十二世はシスター・ルチアがトゥイで受けた啓示と、一九四〇年十月二十四日のルチアのオリジナルの手紙について知らされていなかったので、二つの要求があったこと、聖母の要求は世界中の司教たちと一致して果たされなければならないことを教皇が知るのは困難なことであった」(Joseph de Belfont, Mystères et vérités cachées du troisième secret de Fatima[ファチマの第三の秘密についての神秘と隠された真実]Éditions Lanore, p. 93)「従ってピオ十二世は一九三六年から知らされていた要求、世界の奉献という要求を果たしたのだった。その結果、教皇は戦争を終結させることができた。教皇はようやく少しずつ知ることとなった二つ目の要求になおも応えなければならなかった(ibid., p. 94)。

 数々の結果を勝ち得たことを見て、一九四四年五月四日、ピオ十二世は八月二十二日(被昇天の祝日の八日目)をマリアのけがれなき御心の祝日として宣言し、一九四二年十二月八日の奉献の記念であると説明した。

 一九五二年七月七日、ピオ十二世は使徒書簡「サクロ・ヴェルジエンテ・アンノ」を公布し、「ロシアの全国民」をマリアのけがれなき御心へと奉献したが、聖母が要求した全世界の司教たちと一致してではなかった。

 ヨハネ・パウロ二世は「私たちを一つの体、一つの集団に構成させる特別な絆による教会の全牧者たちと一致して」、一九八二年五月十三日、ファチマへの旅行中に、このような言葉を宣言した。「おお、すべての男女、すべての人々のおん母よ、私たちがじかにあなたの御心に訴える……嘆きをお受け取り下さい……。私たちがあなたに委ね、お捧げする、私たち人間の世界を……抱擁して下さい」「私たちは特別なやり方で、特にあなたにお委ねし、お捧げする必要のある個人個人と国々を、委ね、お捧げします」(Ibid., pp. 160-161)一九八四年三月二十五日、司教たちは、教皇がロシアを名指しで言及しない奉献に加わるよう招待された。

(Sources : apic /imedia/VIS/radiovatican/belfont – DICI no. 283 dated October 18, 2013)

【結論:まだ、ファティマの聖母マリアのご要求通り、教皇様が全世界のカトリック司教たちと一致してロシアを名指して聖母の汚れなき御心に奉献することはなされていない。】


============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA

ロザリオの総数は2月6日現在、2084環になりました

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
ロザリオの総数は2月6日現在、2084環になりました。


U.Kさんから54環が報告されました。詳しいPDFファイルが添付されていました。ありがとうございます。

また、別の方から次の報告を頂きました。
【報告】
おはようございます、修院長様、
こちらでは連日私の部屋の室温が2度で大変寒い日が続いております。フィリピンはいかがでしょうか。第4次ロザリオ十字軍の1月のご報告を致します。
私は76環お捧げ致しました。

 フィリピンのタクロバンで先月行われたメディカル・ミッションには、合計3028名が治療その他のサービスを受けることができました!天主様に感謝!
 聖ピオ十世会のインテリジェンス・ウェブ・サイトDICI に掲載された記事を日本語に訳してくださった方がおられますので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


フィリピンより──第八回ローザ・ミスティカ・メディカル・ミッション

原文はこちら


フィリピンより──第八回ローザ・ミスティカ・メディカル・ミッション


二〇一四年一月三十一日

 昨年十一月七日、台風三十号(ヨランダ)がフィリピンを直撃し、数千の死者を出し、数十万の人々から家を奪った。レイテ島とその首都タクロバンは、二十五万の住民を有し、最も甚大な被害を受けた。聖ピオ十世会も例外ではない。タクロバンの聖堂とそこに駐留しておいた宣教用車が破壊された。信者たちの多くは同じように打ちのめされた。ある者たちは親族を失い、多くの人々は財産を破壊されたことによってである。

 従って、今年のローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションは、一月二十日から二十五日にかけて、壊滅したタクロバン市で行われた。医師と看護師がACIM(Association Catholique des Infirmieres et Medecins)と聖ピオ十世会アジア管区によってボランティアとして招かれた。(see DICI no. 285, 22/11/13)

 フランス人ボランティアのグループが一月十八日、タクロバン空港に到着した。彼らは車内にはもはや椅子がなく、紐でくくられた運転席と窓の開かないトラックへと乗り込んだ。一人の子どもが彼らに近づいて「お腹がすいた!」と食べ物をねだった。フランス人ボランティアが旅行用のお菓子の残りをその子に与えた。彼らがタクロバンから受けた最初の印象は、乱雑に立てられたいくつものテント、色付きの防水布、ひしゃげた金属板、そして道端に積まれた生ゴミの山であった。人々はそこで、ぬかるみの上で生活していた。倒壊した家屋、うず高く積まれた装甲車、屋根がなくなった、あるいは破壊された倉庫、数枚の壁だけしか残っていない家々という光景を見るのは恐ろしく、悪夢のようでさえあった。巨大な木々が大地に倒れ、その根元は哀れにも天を仰いでいる。電柱はなぎ倒されていた。トラックはこの中を数キロ走って行った。トラックの中で「私たちは声も出ず、死のような沈黙の中で、想像を遥かに上回る現実を見ていました。私たちがメディアを通して見たどんなものともかけ離れた現実でした」だが、ここで多くのフィリピン人ジャーナリストたちは、膨大な数のご像が被害を免れた、と強調するのを恐れなかった。

 現地では、彼らはさまざまな宿泊施設で、できうる限り自分たちの寝場所を整えた。いくつかは水が出ず、電気がつかず、ベッドもなかった。他のボランティアたちが少しずつ、ぽつぽつとやって来た。暴風と豪雨で多くの飛行機やボートが欠航となり、来れない者たちもいた。聖ピオ十世会の修道士たちはイロイロから四日かかった。普通なら飛行機で二時間半の旅行である。

 一月十九日、日曜日にオリエンテーション(説明会)が開かれ、世界各地からやって来たボランティアたちが集合した。番号順に以下の通りである。フィリピン、フランス、オーストラリア、アメリカ、スイス、アイルランド、ベトナム、ベルギー、ニュージーランド、シンガポール、韓国、南アフリカ、マレーシア、カナダ、そしてトルコ人を先祖に持つアラム語を話す若い女性である。合計六十名のボランティアが集まり、後日、マニラとアメリカから、さらに二十名が加わることとなった。

 ACIMの秘書、ヨリー・ガムタン(Yolly Gamutan)は、市当局に一ヶ月掛け合い、み摂理のおん助けと彼女の人を引きつける微笑みを武器に、比較的平和で安全な場所──国技であるバスケットボールのコートの中央にある巨大な円形競技場、このスタジアムの使用許可を得た。屋根は一部はぎ取られており、降りしきる雨から部分的にシェルターの役目を果たしていたが、医療処置を行う場所のど真ん中に、たちまち池を作り上げてしまった。皮肉なことに、水道も、トイレも、電気もない場所の中で、ボランティア・チームは一日につき五百名以上の人々のケアにあたらねばならないこととなった。

 十四名の医師たちはスタジアム内のぬかるみのないスペースへと散らばった。初日、通訳と患者の登録のための十六名のボランティアたちが、まだ到着していなかった。このため、続々とやって来る患者たちに対する当初の主な妨げとなった。各医師たちは、タガログ語と英語の通訳とともに、なんとかがたつかないテーブルを準備したものの、患者の多くはタガログ語ではなくビサヤの方言を話した。スタジアム内は数区画に区切られた。すなわち、七名の一般診療医、三名の小児科医、二名の眼鏡技師、一名の皮膚科医、一名の歯科医──ローザ・ミスティカ・ミッションのために記録的な数の医師たちがいた。隅の一区画は包帯の手当て、個別の診察、簡単な手術、心電図装置のために用意され、薬の調剤は三つのセクションに分割され(歯科医、大人、子ども)、パスケットボールのコートの全長を占めていた。

 押し寄せる患者たちを、まずは名簿に記録することから始まり、その後、高血圧、及び気づかずに進行中の糖尿病を考慮した臨床評価があった。それから各患者たちは適切な区画へと案内された。診察の後、患者は薬の処方へと進む。ローザ・ミスティカ・ミッションは、すべての恩人のおかげで、生物学、放射線医学、そして入院治療に関する診療活動の全費用を請け負っている。

 膨大な数の患者たちは、自分たちの困難な状況において、たくさんの祈りを捧げることに同意した。ボランティアたちは「反抗などまったくありませんでした。なんと素晴らしい、希望という名の教訓でしょう!」と報告した。

 今年は、恩人たちの素晴らしい寛大さにより、オーストラリア人五名、アメリカ人二名、アイルランド人男性一名、ニューカレドニアに移民したピエ・ノワール[訳注: アルジェリア生まれのヨーロッパ系植民者]一名、フランス人男性三名と、約二十名のフィリピン人からなる建設チームを送り込むことができた。これら三十二名のボランティアたち、大工、電気技師、屋根職人、配管工、タイル工たちは、四軒の住宅と一件の聖堂を十日間で再建するという信じ難い課題に取りかかった。切迫した状況下にある数名の人々には、時間が足りないため、金銭的援助が与えられた。天主の恩寵を得て、建設チーム一人一人の情熱と才能のおかげで、この難しい課題は首尾よく成し遂げられた。

 宣教活動はこれだけに限られなかった。四名の司祭たちはスカプラリオを配布し、秘跡を施すことができた。毎日、最初のミサが南アフリカ人司祭、Coenrad Daniels神父によって捧げられた。なぜこれほど早い時間にミサが捧げられたのか? 午後五時半には、突然真っ暗闇になってしまうからに他ならない。建設チームは非常に朝早く、七時に始まる第二ミサに医療チームがあずかるより前に、仕事を開始していた。

 日曜日のミサの説教で、アジア管区長ダニエル・クチュール神父は、あるエピソードを引用してあわれみについて説明した。インドの路上で、死にかけていた一人の異教徒が拾い上げられ、聖なる修道女によって手当を受ける。瀕死の男は修道女に「あんたの信じるイエズスは、あんたみたいにいい奴なのかい?」と尋ねる。修道女は微笑んで答える。「いいえ、私のほうが、彼みたいに善い人になろうと努力しているのよ」 

 このミッションによってもたらされた援助が、たとえ大海の中のひとしずくにすぎないとしても、フィリピンの人々には現実的影響がある。彼らは逆境と戦い続けようと勇気づけられるからである。「困難は私たちに勇気を与える」「あなたの寛大さのおかげで私たちは立ち上がれる」「すべての人々に感謝します」と垂れ幕に書かれているとおりである。ローザ・ミスティカ・ミッションは八年間の宣教活動を続けてきたが「これほど多くの感謝を意を表されたことはありません。一人一人が前回同様に感動しています」とJean-Pierre Dickes医師は述べた。

 フィリピン人たちは、親切と微笑みと快活さを武器に、自分たちの苦しみのさなかにある些細なことや、親愛の情をあらわすしぐさ、友情を示すささやかな言葉を、なおも楽しむことができる。人々は自分たちのために互いに助け合うキリスト者の精神を持ち続けている。それは彼らが生きている劇的状況を考えれてみれば称賛に値する。

「私たちがイロイロで税関を通過する時」と、Dickes医師は述べた。「国境警備兵は五十五歳の女性でしたが、ボランティアたちがこの国にやってきた理由を尋ねてきました。私たちは定期的に行われる医療ミッションのためだと彼女に説明しました。毎年、私たちはさまざまな地域に行くのだが、今年はこういった状況のため、私たちは一番被害が甚大なタクロバンに行くところだと。彼女はそれ以上なにも質問せず、すぐに私たちのグループに通るよう合図をし、にっこりと笑ってくれました。彼女に感謝すると、彼女はこう言いました。「天主様が祝福してくださいますように! あなたたちのために祈るわ」と。

To help the SSPX mission in the Philippines:
-please make cheques out to the order of “ACIM”, with a note “for victims of the typhoon”, and send to Dr. Jean­Pierre Dickès, 2 route d’Equilhen, 62360 Saint-Etienne au Mont, France (tax receipt available upon request).
-or to the order of “MISSIONS”, with a note “Philippines” and mail it to MISSIONS, 60 avenue du Général Leclerc, 78230 Le Pecq, France (tax receipt available upon request).

IBAN: FR76 3000 3018 6000 0372 7114 114 - BIC: SOGEFRPP

(Source: ACIM – DICI no. 289, 31/01/14)



============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA

日本──長崎、西坂の丘は「重要なカトリック巡礼地」

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会のインテリジェンス・ウェブ・サイトDICI に掲載された記事を日本語に訳してくださった方がおられますので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

原文はこちら

日本──長崎、西坂の丘は「重要なカトリック巡礼地」

二〇一二年十月八日

 今年の六月十日、日本のカトリック司教協議会は、二〇一二年二月の年次総会の間に告知されたことに一致して、長崎の西坂の丘を「重要な国際的巡礼地」であると指定した。今後、巡礼者たちは、大阪、広島、福岡を通過して、京都から長崎へと旅行できることになるだろう。巡礼者たちが通過する五つの各教区における記念のプレートとともに、つまり、一五九七年二月五日、西坂の丘ではりつけにされ、一八六二年六月八日、ピオ九世によって列聖された二十六人のカトリック信者たちが辿った道のりに従うことになる。

 時の権力者、豊臣秀吉は、一五八二年のその治世の初めに、イエズス会士たちに大阪に逗留し、同地で説教する許可を与えたにも関わらず、一五八七年、カトリックの全宣教師の追放令を発布した[訳注: バテレン追放令]。日本のキリスト信者の共同体は当時、二五〇の教会を持ち、信者数は二十万人に達していた。一五九五年には、一三七名のイエズス会とフランシスコ会の宣教者たちを含め、三十万人にまでなっていたと思われる。日本のカトリック教会の発展は、大名たち──影響力ある封建的総督──の改心によって成長を遂げ、九州の大名たちにすでに不満を抱いていた権威者たちを怯ませるほどであった。一五九六年十二月に、宣教師たちに反対する配下の一部の大名たちの讒言を受けて、豊臣秀吉はすべての宣教師と日本のキリスト信者たちの根絶を宣言した[訳注: サン・フェリペ号事件]。同年十二月三十日、秀吉は京都で捕縛された修道士たちと信者たちを大阪と堺を経て長崎へ連行し、そこではりつけにして殺害せよと命令を下した。死刑囚たちの公式名簿には二十四人の名前が乗せられており、その他二名の信者は長崎に向かう道中で加わった。囚人たちは縄で縛り上げられ、移動途中の村々の住民たちに見せしめとしてさらし者にされ、耳を削ぎ落とされ、陸路と海路で八百キロ以上の旅をした。一月のさなか、その地方では最も寒冷な月の一つであり、二十六日間旅は続いた。二月四日、二十六名はついに長崎から三十五キロ離れた彼杵に到着した。

 一五九七年二月五日、日本最初の二十六名の殉教者たちは、西坂の丘ではりつけにされた。イエズス会士、フランシスコ会士、そして平信者たちは、いっせいに処刑されたのである。殉教者たちの遺骸は九ヶ月間、十字架上にさらされたままであった。

 その他六〇〇名の信者たちが、日本を血で染めた迫害の間、同じ場所で殉教を耐えた。それは一八七三年まで続いた[訳注: キリシタン禁令の撤廃]。一部の歴史家たちによると、殉教者の数は三十万に及ぶのではないかとのことである。

 処刑場所は長崎市と長崎湾の反対側に位置する小高い山にあり、死刑囚のキリスト信者たちが処刑された場所であった。今日では「殉教者の丘」という名を与えられ、長崎の中心を走る駅の近くにある。日本では、古代ローマのように、はりつけでの処刑は屈辱的かつ重罪犯のための処刑方法であった。西坂の丘の頂には、京都から日本のゴルゴダの丘へと徒歩で引き回された二十六名の信者たちに敬意を表して、一九六二年に感動的なモニュメントが立てられた。信者たちはその丘に祈りを捧げるために訪れる──殉教者たちは直立し、ずらりと並んだ姿で描かれている。隣には近代的なチャベルと、迫害時代からの多くの遺物を収めた博物館がある。

 一五四九年、聖フランシスコ・ザベリオの来日以来、日本におけるカトリック教会の信者数は、人口の一バーセントに満たない。約半パーセントが日本人であり、残りの半パーセントは、大部分が東南アジアやラテン・アメリカからの移民で成り立っている。


============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA


レネー神父によるシャザル神父の書簡への回答

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
「レネー神父によるシャザル神父の書簡への回答」を日本語に訳してくださった方がいらっしゃるので、感謝しつつ、それを愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


原文はこちら

レネー神父によるシャザル神父の書簡への回答

二〇一三年四月十九日、シンガボールにて
※[ ]内は訳者による補足

敬愛する神父様、

 あなたはいつから立証責任を被告の側に負わせられるようになったのでしょうか? それはむしろ原告の側にあるのではありませんか? あなたこそがフェレー司教様は進歩主義者であると非難している人です。あなたこそそれを立証するべき人です! 従ってあなたは次のように書いて、全くの見当違いをしています。「それで、あなた【レネー神父のこと】は、"私たちがフェレー司教は間違いを証明できていない"と最初に述べています……なるほど! それなら、それを証明してみて下さい!」と

 そらから、あなたは「単にフェレー司教様の言葉を引用したに過ぎない」と言い続けています。ここにもまた、別の重大な欠陥があります。何故なら、あなたが引用した文章は、不完全であり、欠陥があるものかもしれません、しかし、状況や文脈を無視して、これ以上ないほど歪曲して解釈しているからであり、これはあなたが間違っています。あなたは聖トマスの神学大全を読んだことがあるのですか?

 疑いがある場合には、それを最善の意味に解釈すべきか? …… 【善意に解釈するという原則を持つと、頻繁に悪人について良い見解を持って間違ってしまうだろうし、善意に解釈しないのであれば、善良な人間について間違って悪く思ってしまうだろうが、これはあまり多くあることではない。しかし】たとえ頻繁に起きることではないとしても、善良な人間についての悪しき見解をもって間違うよりも、邪悪な人間について良い見解を持つために頻繁に間違う方が、より良いことである。なぜなら、前者の場合は相手に被害を与えるが、後者の場合はそうではないからだ。(IIa IIae qu. 60 a.4 ad 1m)

 というわけで、他人の発言を悪い方向へと解釈する習慣は、重大な悪徳です。聖トマスはこのように説明しています。(上掲書 a.3)

 これ【悪しき解釈をすること】は、人間が、他者に対して悪感情があるせいである。というのは、ある人が他者を憎んでいる、あるいは軽蔑している、あるいは怒り、妬んでいる時、その人は、ほんのちょっとしたことで、他者を悪く考えるようになる。何故なら、人は自分がそう望むことをたやすく信じてしまうものだからである。

 明白なのは、こういった「聖ピオ十世会の指導者たち」に対して、そのような「悪感情を抱いている」ことが、あなたとあなたの仲間たちが書いたものに浸透しているということです。こういった傾向は高潔なものではありません。

 あなたがどれほど悪意に満ちて、フェレー司教様の言葉を引用したと主張しているかを証明するためには、あなたの手紙の引用文を調べてみればわかることです。あなたはこう書いています。

「メンツィンゲンの二枚舌は現在進行中であり、証拠が集められつつあります;第二バチカン公会議と新ミサは、修正可能だという考えを基礎においており、従って、私たちは、新ミサがそれら【第二バチカン公会議と新ミサ】を排斥するように要求できません。>>>二月十五日のNouvelles de Franceでのインタビューより

 さて、明らかに引用終了のしるし(>>>)がありますが、これは普通の終わり方ではありません。引用開始のしるしもありません。ですから「第二バチカン公会議と新ミサは、修正可能だという考え」が本当にこのインタビューの中にあるのかどうか、それをほのめかしてはいるものの、誰にもわからないのです。このような狡猾なやり方にはすでに悪意があります。その上、この文節はフェレー司教様が「私たちは、新ミサがそれら【第二バチカン公会議と新ミサ】を排斥するように要求できません」と述べていると偽っています。ここでインタビューの原文を見てみます。フェレー司教様はこう言ってるのがわかります。nous ne nous attendons pas a ce que Rome condamne Vatican II avant longtemps.「私たちは、ローマがすぐにも第二バチカン公会議を排斥することを期待してはいない」と。
この最後のavant longtemps(すぐにも)という言葉があるか無いかは、完全に文章の意味を変えてしまっています! つまり、もちろん、私たちは確かに、ローマが第二バチカン公会議と新ミサの誤謬を排斥することを要求しています。ですが、現実的に、そのことがすぐに・ただちにあるだろうと期待はしていません。従って、この最後の言葉をカットすることで、フェレー司教様が第二バチカン公会議と新ミサは、あなたの言葉を使用すれば「修正可能」であると考えていると誘導しています。しかし、その反対に、これは司教様が言ったことではないのです!

 私はいつもこう言いきかせています。「近代主義者たちが教父たちの言葉を引用する場合、彼らを信用してはいけない。引用文を調べよ!」と。今となっては、こう付け加えなくてはなりません。「シャザル神父とその仲間たちが誰かの言葉、特に聖ピオ十世会の指導者たちの言葉を引用する場合、彼らを信用してはいけない。引用文を調べよ!」と。他人の言葉をねじ曲げるというあなたの率直さを欠いたやり方、肝心の言葉をカットするというやり方は、正直なところ、あなたの知性的誠実さに対する私のすべての信頼を失わせるものです。

 悪意に満ちた引用例がもう一つあります。「あなた【=レネー神父様】が後に非常に素晴らしく引用したように、新しい教会は、第二バチカン公会議後に『明らかになった』」と。
 私の答えは「どこに書いてありますか?」です。私が見つけられる唯一の箇所は、一九七四年十一月二十一日のルフェーブル大司教様の宣言の引用だけです。

「それどころか、私たちは第二バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた、公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否してきました。」

 もう一度言います。あなたが悪意に満ちて引用文をねじ曲げたということが理解できない人がいると思いますか? ルフェーブル大司教様は「公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向」について述べており、「新しい教会」について述べているのではありません。これが、人が言ってもいないことを言っているかのように思わせる、あなたの悪意に満ちたやり方なのです!

 その後、あなたは「教会法的正常化は……どうでもいいことです」と続けて言います。いいえ、どうでもいいことではありません。それ自体はよいことです。なぜなら位階制度自体がよいものであり、特に教会内においてはそうだからです。正常化とは「新ミサ」に服従することではなく、むしろ教会法的位階秩序に従うことです。まったく意味が違います。教会内における聖職者階級の位階制度は、第二バチカン公会議の革新者たちが作り出したものではありません。聖主イエズス・キリストご自身がお立てになったのです。このような位階制度の慣習は使徒たちの時代からあるものです。誰も罪を犯すことなく、この位階制度の有益性を拒否できないのです。

 「正常化などどうでもよい」と言うことで、あなたはこのような教会法的位階秩序の有益性を拒絶しています。従って……【結論は言う必要はありません】。あなたはシャリエール司教によって承認されたことが聖ピオ十世会にとって重要なのだと主張しておられたルフェーブル大司教様の言葉に決して聞いたことがないようです。シャリエール司教による承認により私たちの会は正当に誕生しました。つまり私たちはまことに教会によって認められた「教会のわざ」であったのだと。大司教様はこの事実を──正しく──重大視しておられました。大司教様の意志に反するただ一つのことは、教会法がその目的にまさに反して使用された時、大司教様はその教会法的位階秩序の[正しい使用を]否定された、このことです。(一九七五年に、聖ピオ十世会に対してなされた初期制裁は、教会法に反してなされました。その後一九七六年には、司祭叙階のための候補者たちの資質を保証するための叙階許可証に関する教会法が、常に聖伝のミサにあずかっていた良き神学生たちを叙階させないよう使われたのでした。これが聖ピオ十世会の不当な教会法的状況の始まりでした)。ルフェーブル大司教様は、教会法的位階秩序の有益性を非常によく確信していたので、一九八八年の不完全な議定書に、教会法的位階秩序を回復させようと、サインしたのでした。

 あなたは「従順から生じる悪への服従は罪である」と言って自分を正当化しようとしています。しかし、あなたはここで、聖主イエズス・キリストから来る、それ自体は良いものである、指導者たちの所有する権威と、その権威を指導者たちが悪用して──乱用して──行使するかも知れないこととの区別ができていません。

 教会法的正常化ということそれ自体は、聖主イエズス・キリストから来る権威への服従であり、つまり、その権威を持つものへの服従です。不正な命令、つまり、不正な命令の行使に従うことを暗示しているのではありません。ですから、教会法的正常化は「悪に服従すること」ではありません。一九七〇年代の初めには、多くの善い聖伝の司祭たちがいました。彼らは自分たちの正当な長上たちに礼儀正しく従い、反対に長上たちによってなされた乱用には従いませんでした。
「不正な命令への抵抗することは、それらの悪しき命令が発せられた権威そのものを拒絶することである」という考えは誤りであり、聖人たちの模範からはかけ離れています。

 聖ペトロ会(FSSP)、王たるキリスト会(ICKSP)、善き牧者会(IBP)、そしてカンポスに言及することで、あなたは自分をまた正当化しようとしています。ですが、彼らにおいて悪ではないことを、悪であると非難すべきではありません。聖ペトロ会の間違いは、正しい教会法的位階秩序への愛がなかったのではなく、むしろ、自分たちが一名の司教も持たなくとも、近代主義司教たちからの圧力に抵抗できるはずだと考えたことです。実際、叙階式の時に、近代主義の司教が「あなた方の神学校で第二バチカン公会議を教えないなら、私はあなたの司祭たちを叙階しませんよ」と言うなら、彼らは何を言えたでしょうか? こうして聖ペトロ会は近代主義の誤謬(特にBasile神父の主張)を彼らの神学校で教えるように誘導されて行きました。聖ペトロ会は司教一名を得ることよりも教会法的位階秩序のほうを選んだのです。これが彼らの過ちでした。

 次のことはその反証が与えられるまで事実です。私たち【聖ピオ十世会】を離れていった人々は、一人の司教もローマ委員会の聖伝代表も得られませんでした。こうして彼らは自らを明け渡し、手足を縛られ、進歩主義者たちの手中へと落ちていきました。このような状況下では、彼らは決して聖伝を維持することはできないでしょう(ルフェーブル大司教、司教聖別一年後のインタビューより)

 ルフェーブル大司教様は、信仰に忠実であり、典礼に忠実であり、道徳に忠実であるためには一名の、否、四名の司教が必要だと正しく判断なさいました。これこそ、聖ピオ十世会を司教聖別以来、堅固にさせている理由です。

 カンポスのさらなる間違いは、彼らが一人で【聖ピオ十世会を離れて】聖伝を守ることができると考えようとしたことです。一致は堅固さを生み出します。フェレー司教様は、二〇〇〇年のホヨス枢機卿の申し出について、といった重大事項を議論するため、ランゲル司教を丁重に招いていました(二〇〇一年一月十三日の会議に私は出席し、ランゲル司教は、当時まだ神父であったリファン司教を送ってきました)。しかし、リファン神父はフェレー司教様に事前に相談することなく取り引きをしてしまいました。予想通り、ローマは、リファン神父に聖ピオ十世会と決別しなければならない、と実質的に要求しました。

 リファン神父は孤立し、圧力に耐えることができませんでした(さて、このことはまた、いわゆる『抵抗軍』の緩やかな結束といった(そして、すでに公然と教皇空位主義者を宣言した一部の人々や Feeneyite たちを含めて)、カンポスとは別の方向に行った人々にもあてはまります──正しい結束が欠けていることは、大失敗への確実な方策です。すなわち、教会から離れるなら、誰も長期に渡って信仰を保つことはできないからです。)

 ドナトゥス派の歴史は、次のことをはっきりと教えています。彼らは最初は離教者となり、その後、異端者となりました。ですから、あなたがドナトゥス派について言っていることは、残念ながらあなたの無知を露呈してしまっています! ドナトゥス派の誤謬は、単に秘跡の有効性についてだけでなく、「不道徳な人々との交わり」の問題をも──それ以前からも──含んでいました。つまり、彼らは、不道徳な(人物であろうと思われた)カルタゴの司教、Ceciliusとの交わりにより教会の他の人々は「堕落した」という口実のもと、教会との交わりを拒絶しました。聖アウグスティノは「善い人々は不道徳な行為に同意しない限り、教会内において不道徳な人々と交っても害を被らない」というカトリックの基本原理を述べて、ドナトゥス派を強く叱責しました。しかし、あなたは、このカトリックの基本原理を実質的に拒絶してしまっています。

 そして、あなたは教皇(ベネディクト十六世)は異端者であると、何の制限条項も設けずに裁き続けています。不正な行いと教えを指摘すること─それはティシエ司教様がご自身の研究でなさっていますが──と、個人について判決を下すことは別のことです。聖トマス・アクィナスがこのように述べています。(ibid. ad 3m)

「一つの物事を判断することと人間を裁くことは別の問題である……。物事を判断するとき、私たちは一つ一つのことをあるがままに解釈しようとするべきであり、人間を裁くときには、前述したように、最善の仕方で解釈しようとするべきである。」

 あなたが聖トマスの教えを実行できていないということをわからない人がいるでしょうか? 不正な行いと近代主義の誤謬については、現在でもDICIと聖ピオ十世会のウェブサイトでは触れられていますが、それは良いことです。しかし、あなたが書いたものの中には悪いことしか見当たらず、良いことですら悪の光に照らして解釈されています(例えば、スンモールム・ポンティフィクムとロザリオ十字軍についてのあなたの解釈です)。これはルフェーブル大司教様が非難した、典型的な苦々しい熱心です。

 あなたの判断のなんと性急なこと! 判断保留という事実すら、あなたの能力にはないかのように思えます。フランシスコ教皇もすでに裁いてしまっています! 私たちの人生が終わるとき、聖主が要求なさるのは、私たちがすべての人々について正しく裁いたか、ではなく、私たちが自らの義務を果たしたかどうかです。そして、聖ピオ十世会におけるあなたの義務とは、いかなる不正をも押しつけなかった長上たちに従うだけでなく、司祭の職務を必要としていた信者たちのところへ、任命された修道院へ行く、これだけのことでした。あなたはこれを遂行しませんでした。

 あなたの書いた内容には驚愕します。「こういった、麦ともみがらが混ざり合っているような状況で、私たちは何をすればよいのでしょうか? 畑に赴き続けるのでしょうか? いいえ!」あなたは本当に聖アウグスチノの著作も聖チプリアノの著作も読んだことがないのですね! この二人の聖人は単純にこう答えるはずです。「あなたが聖主イエズス・キリストの収穫の畑にいないなら、聖主の収穫小屋に集められはしないだろう。あなたは天国へは行かないだろう!」あなたの断固とした「いいえ!」は、間違いなく離教を断言しています! 私たちが教会の中にいるなら、聖主の収穫の畑の中にいます。ところで、あなたは二つのたとえ話を混同しているようです。すなわち、畑には麦と毒麦があり(マテオ十三章二十四節〜三十節)、麦打場には良い麦ともみがらがあります(マテオ三章十二節)。聖チプリアノが、続いて聖アウグスチノが正しく指摘していることは、もみがらの山にならないよう麦打場から離れるなら、その人は自らをもみがらであると証明する、もみがらだけが麦打場から投げ捨てられるからだ、ということです! 聖アウグスチノの著作をお読みなさい。おそらくあなたは私よりも聖人の言われることなら耳を傾けるかも知れないでしょうから。

 そうしている間にも、あなたは「祈りや、教皇たちや司教たちを認めるといった、目に見えるカトリック教会に属しているものなら、なんであれ、できる限り保つ」ふりをしています。それと同時に、あなたが教皇や司教たちに対して辛辣な裁きの数々を投げつけ、彼らのさまざまな言動をこれ以上ないほど酷いやり方で解釈し、正当な教会法的秩序のいかなる可能性をも拒絶するなら、口先だけで中身を伴っていません。 

 警戒なさい、親愛なる神父様、あなたの蒔いた種が芽を出し始めていることを! 一部の信者たちは、あなたの言葉よりも、むしろあなたの行動に従っており、横に滑り落ち始めています。例を挙げましょう。あなたが活動を始めたマレーシアの、あなたもよくご存知の一家は、今や極端な教皇空位主義者になったことを宣言し、あなたの司祭職の有効性すら認めなくなってしまいました。別の信者は、最近、香部屋で教区司教の名前を見ると眉をしかめていました。

 私たちは難しい立場に身を置きたがっているとでも言うのですか? 絶対にそうではありません! この件について、フェレー司教様は二〇〇〇年からずっと慎重に行動し続け、今なお、聖伝の擁護に熱心でおられます。ですから、十二年以上に渡る司教様の慎重な行動の結果、司教様に慎重が欠けていると非難できる人はいないのです! 私たちが活動できる教会法的状況を模索することと、組織的にいかなる教会法的正常化をも拒絶することは、別の問題です。さて、教会法的正常化を、まるでペーパーワークに過ぎないかのように「書類を準備万端に整える」ことに比較してみるなら、聖ロベルト・ベラルミノによる教会の唯一性の三番目の本質である「聖職者の交わり」の、本質的、霊的核心を見失うことになります。「聖職者の交わり」なくして誰も救われません。ですから書類上の問題ではありません。私たちの非合法的状況が私たちのせい、私たちの過ちでない限り、救霊の妨げにはなりません。しかし、正常化そのものを悪であり危険なもの、あるいは形式的には不必要なものだとして拒絶するなら、このような拒絶は救霊の妨げとなります。

 私は「ディノイア大司教の間違った思い込み」には賛成していません。レムナント紙に掲載された大司教への私の公開書簡をお読みいただけましたか?

 あなたの引用文を調べようとしていますが、残念ながらあなたの言っていることは間違いだらけです。あなたはルフェーブル大司教様の「一九七六年六月の宣言」を引用していると主張しています。さて、私の知る限り同年同月のルフェーブル大司教様の「宣言」とやらは、一九七六年六月二十九日の説教しかありません。さらに付け加えるなら、私はあなたに「さまざまな教会とは?」という私の書いた記事を参照していただきたく思います。「公会議の教会」についての考えに警戒なさい。公会議の教会はカトリック教会から分離した組織だと考えるなら、あなたは思い違いをしており、ルフェーブル大司教様の考えについても思い違いをしています。とても危険なことです。

 さて、私は曖昧さを好みません。この意味では四月十四日の声明を好みません。しかし、"後に撤回された曖昧な声明"と、"完全な裏切り"との間には、大きな違いがあります。ルフェーブル大司教様がサインしたとはいえ、一九八八年五月五日の議定書にもいくつか不明瞭な部分があると言う人がいるかも知れません。そして、大司教様が翌日、それを拒絶したというのは間違いです。五月六日の手紙の内容を読んで下さい。これはこういった断言への最高の反論です。すなわち、ルフェーブル大司教様はその手紙の中で、サインしたことを感謝しているのです!

 真実はこうです。ルフェーブル大司教様が五月六日に要求したこととは、議定書の内容の迅速な遂行と、近い将来それを果たすための日付です。つまり議定書の拒絶などではなく、むしろ切迫した思いでそれに同意を与えたのです。ローマの動きが遅々として進まないのを見て、大司教様はようやく、議定書にある承認、すなわち一名の司教の聖別を許可するという内容をローマが果たすつもりはないという危機を理解し、前進する決意を固めました。この決定は五月の下旬に採られました。拙著「ルフェーブル大司教とバチカン」を読んで下さい。要点となるすべての書類が載っています。

 教皇フランシスコのもとで「ローマが聖伝へと戻りつつある」のかどうか、私にわかる唯一のことは、教会のかしらは聖主イエズス・キリストである、ということです。すなわち、私は彼に信頼を置き、彼がお立てになった秩序に信頼を置き、誤謬と妥協することなく、そうでありたいと望みます。将来に関して私にわかる唯一のことは、聖主が主導権を握っておられるということです。ですから、私は自分の日ごとの義務を果たそうとします、それがどんなに退屈なものであろうとも。

 あなたが以下の私の論拠を完全にはぐらかしていることに気づいています。すなわち、あなたのフェレー司教様への反抗理由は、ルフェーブル大司教様の第二バチカン公会議、新ミサ、そしてアシジの集会へのそれよりも極度にごくごくわずかなことである、ということをです。賢明であるべきだ、には賛成しますが、あなたの公然たる反逆は否定します!

 このような反逆はルフェーブル大司教様の精神では決してありません。ルフェーブル大司教様は反逆者ではありませんでした。 大司教様の最初の心構えは、目新しいことに「対抗する」のではなく、むしろ、忠実である「ために」でした。その結果、大司教様は性急に糾弾はしませんでした。待つことをご存知でした。一部の人々は大司教様にさっさと司教聖別をしてもらいたがっていました! しかし大司教様は一九八八年まで待ちました。六月三十日は大司教様が設定した四つ目の日付であることを多くの人々は忘れてしまっています。すなわち、少なくとも三回、大司教様は聖別式を延期なさいました。正当な教会法上の正常な状況になることを望みつつ。あなたの教皇様とフェレー司教様への激しい、性急な糾弾とは、なんと対照的であることでしょうか!

 あなたが自分の書いたものを読み返しているのか疑問に思います。「従順が天主への不従順のために利用されたのは、今まで生きてきた中で、これで二度目です」とあなたは書いています。お待ちなさい! 正直なところ、あなた方全員、どのような「天主への不従順」を要求されたというのでしょうか??? この質問を、去年の八月にセントメリーのジョセフ・ファイファー神父へ投げかけましたが、彼は返答できませんでした。どんな罪を犯すよう要求されたのですか? 自分自身の意志で行動することをやめるよう要求されたかも知れませんが、天主のご意志に反抗するよう要求されたことは絶対にありませんでした。 

 人々は自分の意志を天主のご意志だと取り違えることがあります。このような主観主義はよくある傾向です。そして誰もがこのような傾向と戦わなければなりません。従順が福音の三つの勧めの一つであるのは、間違いなくこのような誤謬、まことの霊的生活への反抗に対する治療薬であるからです。「わたしのあとに従おうと思うなら、自分をすて、日々自分の十字架をせおって私に従え」(ルカ九章二十三節)

 あなたは公の宣言をやめるよう要求されたかも知れませんが、そのような要求の理由──至極もっともな──は、あなたが宣言書を乱発するからだと、理解できない人がいると思いますか? ド・カクレ神父様はあなたが進歩主義者だと非難するような司祭では絶対にありません。現在、フェレー司教様はあなたをド・カクレ神父様の指揮下に置きました。このような任命を拒絶してしまうとは!? フェレー司教様のこのような命令は「天主への不従順」だったのですか? そんなはずありません。それなのになぜ従わなかったのですか? 神父様、残念ですが、あなたの主張は、つぶれてぺちゃんこになっています。

 さて、あなたは「兵団、軍隊」を設立したいと嘯いています! 長上である「将軍」より与えられた立場を放棄し、無茶苦茶にやたらに大砲を打ち散らす危険人物となり、そして、軍団を組織できると取り繕っているとは!

 最初の約束を破った後、二度目の約束をあなたが守るとどうやって信じられますか? これこそ、離婚して再婚しては駄目だといわれる理由なのです。最初の義務を放棄した司祭たちにも同じことが言えます。

 あなたに与えられた立場とは、自分のやったこと悔やみ、行くべき場所へと戻ることです。すなわち、ド・カクレ神父様の配下へとです。これこそ、あなたが長上たちを通じて天主に対して立てた従順の「誓約を全うする」ための唯一の方法です。

 このために私は祈ります。特に聖母と聖ヨゼフに祈ります。聖ヨゼフの偉大な徳は間違いなく従順でした(そして、慎重さもでした。彼は性急に非難したりしませんでした。マテオ一章十九節〜二十節をご覧なさい)。

イエズスとマリアにおいてあなたの

フランソワ・レネー神父



============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい


============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA

天主様に感謝!ご報告

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

天主様に感謝します!大阪での聖伝のミサを捧げ、天主様に感謝します!

次のようなご報告を頂きました。愛する兄弟姉妹の皆様に御紹介します!

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

――――――――――――――――――――

アヴェ・マリア!
大阪には珍しい大雪の為、電車が止まってしまったりと、道中大変なご苦労をされた方もおられましたが、それでも
14日金曜日は16人の方々が、
15日土曜日には23人の方々が
御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!
ほんの数時間で都会の薄汚れた町並みを真っ白に変えてしまった雪を見て、インマクラ―タ、無原罪を連想しました。私の汚さもマリア様がこんな風に綺麗にして下さるといいなとも思いました。

土曜日の御ミサ後には20人が公教要理を受け、あっという間に時間が過ぎてしまいました。(:_;)

土曜日のお説教でルルド、グアダルペ、ポンペイの聖母とロザリオの奇跡の話しをお聞きし、いっそうロザリオの祈りをたくさん称えたくなりました。

暑い国から雪降る国へと、体調管理も難しい神父様の御健康が心配ですが、ロザリオでマリア様に神父様をお守りいただく事に致します。

チョコレートの代わりに棕櫚の葉をリュックに詰めて帰られた小野田神父様に、マリア様が特別のチョコレートを下さいますように!!

大阪でのミッション本当にありがとうございましたm(__)m
Viewing all 4247 articles
Browse latest View live